○
加瀬完君
根本は
行政の
実体というものを押えて、その
行政の
実体の中から、当然
地方団体としてはやるべからざるものがあれば、これは別ですけれ
ども、当然
地方団体としてやらなければならない
行政実体というものを認めるなら、その
行政事業そのものに進み得るような
財源をつくらなければなりませんし、その
財源の大半は税ということになりますから、そういう
意味合いで税というものを考えて、足りるか足りないか、あるいはそれを
交付税でまかなうか
地方税でまかなうかということを考えなければならないものだろうと、まあ形式的にいえば私は言えると思うのですよ。
そこで、
地方税の
改正が何回か行なわれたわけでございますが、どうも私はその
行政実体というものを確実に運転可能にするガソリン的な役目をするような裏づけをする
税制の
改正というものが、あまり密着性をもって行なわれてきたとは思われないわけです。といいますのは、一々例をあげますと、たとえば
昭和三十年ごろから三十七年までの決算を見て、教育費の
一般行政費に占める割合はといいますか、比率の推移というものはどうなっているかおわかりですか。——私のほうからお示ししてもいいのです。ここに文部省が
昭和三十九年にわが国の教育水準というのをお出しになりました。これによりますと、
行政費に占める公教育費の比率は、三十年は二一・九%、それが三十二年には二二・三%、三十五年には二一・四%となりまして、三十六年は二一・五%、三十七年は二一%と下がっておるわけですね。最近は比率が落ちているわけです。それで、さらに私立学校まで含めてしまいました公私立学校の支出項目別の比率を見ますと、このごろ非常に
給与が上がったので教育費がかさむということでございますが、いま申し上げましたとおり、実際は
行政費に占める公教育費の比率の割合は下がってきている。しかも
昭和十年を押えますとこの私立学校まで含めて消費的
経費の支出では、
給与が五七・七%、その他の消費支出が二二・二%、資本的支出が二〇・一%となっておるわけです。それが三十年になりますと、
給与が五二%、その他の消費的支出が三二・三%、こういうことになりますね。三十七年になりますと、
給与は五四・二%、それからその他の消費支出は二〇・一%、資本的支出は二〇・五%、
給与が高いといいますけれ
ども、戦前に比較をすると、比率の上では低いですね。
数字は高いけれ
ども比率は低い。それから、消費的支出の全体から見ても、戦前は七九・九でございますのに、三十六年は七三・九、三十七年は七四・三と、必ずしも高くはない。それから特にその他の消費的
経費というものは、三十年の三二・三から三十五年は二二・九、三十六年は二〇・一、三十七年は二〇・一と切り下げられておるわけですよ。
給与が上がった分を消費的
経費で落としているという形ですね。そうすると、これは消費的
経費の結局不足分というのが、
一般の寄付、
税外負担という形で
住民にかぶせられておるということは、この統計からすれば一応うなづけるのではないかと思うわけです。さらに教育
行政ばかりあげて恐縮ですが——都道府県の児童一人当たり教育費の標準偏差を見ますと、標準偏差が、
昭和二十五年は九百八十六円でありましたものが、三十七年は四千二百七十九円と開きが大きくなっているわけです。義務教育でありながら、府県によりまして一人当たり
経費が非常に違ってきているわけです。最高最低の差は三十七年は二万二千八百四十八円という
数字になるわけです。これは最高が四万五千百六十三円に対して、最低は二万二千三百十五円。都道府県の小学校児童一人当たりの
経費がこういう形になります。これは
行政目的をより達成するための
財源が十分に裏づけされておるとはいわれないということになろうと思うわけです。こういう点、一体これは
交付税を含めて、
地方税の
改正あるいは
交付税の税率の改定といった場合に、
行政水準が最近はむしろ切り下げられておる、したがいまして、これを切り下げられないように、一応の水準に上げるためには、まだ
税源が
地方に今日よりはよけいに
配分をされなければ、この
アンバランスの解消はできないというように考えられると思いますが、この点はお認めになりますか。