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野溝勝君 赤城さんは当時相当の地主で、
農地解放のいきさつを御理解いただいたと思っておりますが、なかなかどうも理解をされていない
ようにうかがえます。
私は、あの当時の経緯というものを静かにあなたは考えて、またはあの当時の経緯を分析すればおわかりだと思う。大体
農地解放は旧地主の方がみずから解放に努力したわけじゃないのですよ。あれはやはり御承知のごとくマッカーサーからのメモランダムによりましてああいう
状態になったのです。そのマッカーサーがメモランダムを出すまでにだれが一体努力したかというならば、日本の農民運動をやっておった農民組合なんですよ。微力ながら、私もその責任者の一人でございました。財閥を解体し、軍閥を解体し、労働三法をつくりましても、それだけでは日本の民主化はできないということを私どもは強く叫んだのです。日本におきましては数世紀にわたる農村の封建性というものから脱皮しなければだめだということを強く主張したのです。ところが、その当時におけるわれわれの主張であります高い小作料の、五公五民、大公四民という旧地主制度打破の主張は相手にはなかなかわかりませんでした。もちろん、われわれは戦争前からもこの高額小作料の解決のための努力をしてまいりました。戦後といえどもいち早く農民組合をつくりまして、以上の
ような財閥、軍閥、あるいは労働三法をつくりましても、それだけではだめだ、農村の封建制であるこの
農地を解放してもらいたい。それで、その当時は民主局長がホイットニー、経済科学局長がマーケット、民生次長がケージス、それにあなたも御承知のとおり、おもに
農地解放をあずかったのは天然資源局長のスケンクです。それから農業課のウィリアムソン、リッチー、こういう諸君が中心で私どもの
意見を聞かれたのであります。しかし、その当時の幣原内閣はそのことに対して反対をしておった。たまたまその当時の農林大臣は
自民党の松村君であったけれども、松村君は私どもの主張にやや傾いてまいりました。そこで、われわれは占領
関係のその諸君にいろいろ話をしたのだがわからぬから、いろいろ資料を持ってまいりました。そこで、最後に持っていったのが愛知県の尾張における大名のもとにおける小作制度の残酷な物語を具体的に示しまして、このスケンクなどが、そんなことが日本にあるかということで全国を調べて、その結果私どもの言うことは虚偽でもなければでたらめでもないということから、日本の民主化をするためにはこれをやらなければいかぬということになり、これが動機となったのです。
でありますから、いまあなたがお話しになりました
ように、第一次の
農地改革は五町歩以上。五町歩以上の
農地が解放されたところで、全国の耕作農民は浮かばれない、こんなものは少数の解放である、これは擬装だということで、追撃戦を私どもは努力いたしました。その当時われわれはマッカーサー司令部に押しかけまして、ハエのごとく追い散らされ、また追いまくられ、それでも屈せずしてこの運動に邁進をしたのでありますが、それでできたのが第二次
農地改革、百八十万町歩が解放になったのであります。
そこで、第一次
農地解放をするときには、御承知のごとく、当時の
農地調整法、第二次
農地解放をするときには自作農創設臨時
措置法、これによってできたわけでございます。で、この法律の目的というものは、赤城農林大臣もお話しになりましたとおり、「この法律は、耕作者の地位を安定し、その労働の成果を公正に享受させるため自作農を急速且つ広汎に創設し、以て農業生産力の発展と農村における民主的傾向の促進を図ることを目的とする。」、大体、
農地調整法とまあ内容的には少し違いはございますけれども、耕作者本位でございます。そこで、
農地解放によりまして生産性が発展いたしまして、あの危機を乗り越えたのが
農地解放の成果だと思います。解放された農民は土地の生産の拡大、技術の研究、栽培に対する非常な努力、病虫対策、か
ような真剣な努力を払いまして、御承知のごとくぐんぐんと生産性が伸びて、あの危機を突破、乗り越えることができたのでございます。あなたのお話によりまするというと、あの当時気の毒な地主もあったという。確かにありました。いまお話しになった
ような学校の先生のお話もありました。私ども承知しています。しかし、それならばどこで線を引くかということなんです。私どもそれだけじゃありません。宅地、山林原野、一切を解放せよと主張したのでございます。ところが、スケンク氏は、この
農地解放をやるのでさえも官僚の抵抗がある、宅地あるいは山林等を解放するといえば、とてもそんなことはできない、官僚の抵抗が強くてだめだ、そこで諸君らが民主的に今度は戦い取って民主政権をつくった上で君らの政策をだんだんやったらいいじゃないか、だから、これだけにとどめる、これ以上はできない、日本の官僚の抵抗が強くてできない、こういうことでわれわれはそれで一応手をおさめたのであります。しかし、そのときにいま大臣が申しました小さい地主、特に不在地主などありました。そういう諸君は非常に気の毒な
状態もあります。けれども、それでは不在地主の場合にどこで線を引くか、君
たちの言うことを聞いておったらできやしないじゃないか、ここで私どもは農民組合に対しまして、小さい地主
——小さい地主といえども善良な地主もあれば、大地主より悪らつな高額な小作料を取っているものもあったのです。だから、それをどういうふうに
処理するかという問題についてはわれわれもいろいろ
討議いたしました結果、農民組合の自主性、農民組合の判断によりまして、そういう小さい地主の諸君に対してはやはり生活のでき得る
ように、耕作でき得る
ように考えてやる
ように私は主張いたしました。しかし、それは確実にはいきませんでした。いまの
ように農林大臣が非常に気の毒だと言いますけれども、高い小作料を取って、小さい地主がですよ、圧迫していたのもあるのですから、そういうのはどうしても農民組合との間に融和ができませんでした。
しかし、そういう考えで進めてきたのでございまして、ただいまあなたのお話によりまするというと、その例をあげましていろいろ
説明されますが、それは農業以外の仕事に従事されておるのでございます。もし従事するという場合におきましては、私は農民組合との間に話ができなければ、未墾地、そういう土地を整地いたしまして耕作のでき得る
ようにやったらいいじゃないか、その相談あるいはあっせんに労を尽くせと、こういうことを私は指示いたしました。しかし、そのときにそういった小さい地主に対しましては、未墾地がありますからその未墾地を整地してやる
ようにする、その努力を払うからという折衝もしたのでございますが、その当時そういう地主の方々は、そんなことするのはいやだということでがえんじなかった方もあります。でありますから、その間の
事情を十分
了承されてくださるならば、私は今回の被
買収者給付金の問題についても、最高裁の判決で正当な価格とかなんとかということでなくて、その経過から見ればわかると思います。
なるほど旧地主の諸君にもいろいろと問題もあるでしょう。あるでしょうが、そういう人々には
農地をやる、経営するつもりか耕作するつもりかということを真剣に聞いて、国がこんな
報償金という
ような無理なことをやるのではなくて、むしろ整地までして農業経営に真剣になってやる気が、もしやる気があったならば、これに対してひとつこの際農業の生産性を上げるために、貿易の自由化等のために農業基本法というものを適用いたしまして、もっと近代的なそういう一つの施策を持った経営に従事してもらえるかどうかという
ようなことを、親切に農林大臣のほうから案を提示すべきものだと思う。こういう点について大臣はどういうふうに考えておるのか、この点を私はお聞きしたいわけであります。農業基本法という問題を先ほど出されましたけれども、それならばいっそうのこと、この諸君が土地から離れ困っているのだから、そういうことを考えたことがありますか、また近代化なり、あるいは将来の貿易自由化の対策として、農業政策をどういうふうにしていくかという点について協業化の問題もあります、いろいろあります。そういう点について大臣は少しでも考えたことがおありでございますか、参考にこの点お伺いしておきたいと思います。