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田中一君 私、かつてイギリスのスチーブニジ・ニュータウンへ行ってみたんです。一番大きくいま反省されておるのは、
政策的
生産工湯を
中心と考える
都市計画はだめだということなんですね。まず第一に、率直に言って、今日あそこで何か原子関係の三千人の労働者がいる。
工場を
中心に考えるのでありますが、これは
政治的に、常に
政策的に変わっている。それが
一つ。それから
居住者は、ベッドタウンじゃないのですから、そこからその
地域以外に通勤することを認めないのです。ために就職した場合には、そこの町から放逐されるわけです。ということ。少なくとも、その
地域社会は過当な
競争もなければ、平和な
社会がつくられる。で、
首都圏の場合は、
首都圏という
一つの
中心がある。マンモス
消費地区がある。そのまわりに
近郊整備地帯として、むろんこれは
工場 私は
工場をいま
中心において言っているんですが、
工場というものをつくる。これはその付帯するところの
住宅の問題、道路の問題、その
工場経営に対する熱の問題、水の問題、いろいろの問題がある。そういうもので、それが常に
整備地域をきめても、
自由経済という名のもとにおいては、民有地を買収してそれがふえていくことについても、何も
制限いたしません。景気がよければ企業者はどんどん資本も増し、また投資家も生まれ、そうして企業は伸びていく、ということでは、ほんとうの
首都圏としての
整備ができないんではないか。もっと根本的な日本の
産業自体を見守りながら、日本の
生産というものと
消費というもののバランスを的確に握りながら、その地帯にはこれこれのものを幾ら
生産されたらよしということにならなければ、同じような苦しみを、
ドブネズミのような存在がどうしても生まれてくるということなんです。これに対する態度が明らかにならぬと、非常に危険を感ずるわけです。将来に対して。ことにこれが、地方公共
団体が主として行なう、あるいは
住宅公団が行なう、
工場造成、
宅地造成にいたしましても、
造成する者の意思そのものと、それから地方におけるその
地域の行政面の発言等も、これはやはり一種の
指定陳情
競争的なものになってきて、過当なものが要求されている。また、
政治的にも認めざるを得ないというのが、
地域社会に対する
政府の選挙対策でもあるわけです。そうなったんでは、とうていこれは百キロ内の
大都市という、世界連邦の首都が
東京にあるということにならざるを得ないような規模のものになるおそれが
多分にあると思うのです。これは何です。その
整備委員会の
委員長としての
小山さんは、相当それらのものを、エキスパートでありますから考えておられると思う。そういう危険を感じながらも、現時点においてこの
法律が通った暁にどういう
現象が起きるかということを考える場合に、私は逆にとめておくほうがいいのではないかという気がするのです。新しい投資が生まれる、これは自転車操業的な投資が生まれた場合には、つぶれちゃいますよ。ばたばたつぶれちゃう、こういう点をいまここであなたから、的確にこれならいいんだということは、今後の問題とし、御
答弁をもらわぬでもいいですが、この点は十分に考えてもらわなければ非常に危険を感ずるが、的確にこの問題について、学者でもないから、こうではなかろうかということでもってむずかしい。ことに、いまあなたおっしゃったように、
自由経済の
社会でございますという
前提では、とうていこれは実現は不可能であると考えるのです。これは
答弁はなくてもけっこうです。これはその点十分考えていただきたいということ。
それから、第二の問題としては、これもせんだって伺っておいたのですが、グリーンベルトの問題です。小西局長は飛行機に乗ってグリーンベルトを見ると、まだ相当緑はございます。と言っている。しかしながら、それは六〇%は蚕食されている。まだ相当ございます。私は撤回なさいと言ったのです。グリーンベルトという思想は撤回なさい。これはかつての
大臣の河野さんは、これは再検討しつつございますと、
東京都の場合には
東京部において再検討しつつございます。
政府としてもこれに対してはいろいろ手を打っております、という
答弁をしておりますが、グリーンベルトとしてのこの
一つのワクが、もはや消滅したと同然なんです。今日。ましてや、五十キロから百キロになると、そうすると、これは撤回なさい、
東京都の場合を考えて。そして思想的にもあるいは行政的にも
——思想的というと何かというと、この
東京砂漠に緑の地帯をたくさん
造成なさい。何もグリーンベルトという
一つの線を引かないでもけっこうです。至るところに緑の林をつくりなさい。日光の太郎杉の問題につきましても、あなたは、いろいろ
経済的に、あるいは切ったらいいのではないかと結論づけるような
考え方をこの前も言っておりましたけれども、思想的に緑をふやすという
考え方を
政府自身が持つ、そして行政的に今度はそれを実行することというのを私は要求したいのです。おそらく、ヘリコプターでゆっくりとこの
東京近郊を飛んで見ますと、あらゆる所が緑が切られ、赤土になっている所がたくさんでございます。ただ単に、鎌倉の文化人等があそこを守ろうじゃないかというような運動は、これは
政府の恥です。日本の民族の恥なのです。その姿勢を今度は積極的に緑を植える、緑化するという、都心においても緑化するのだという方向を強く打ち出さなければならないと思うのです。後手に回ったあと始末としての、たとえば隅田川の廃水のろ過の問題等は、これは後手の問題です。上流にそれらの緑を植えて、積極的な姿勢でもってやらなければならないと思うのです。どうも私権というものを、御
承知のように、もうこれは十五年前になりますか、あのグリーンベルトをつくったのは、二十四、五年ごろと記憶しておりますが…。