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田中一君 その
程度じゃ困る。どうもあなたが官僚にがんじがらめに抑えられている。ずばりとおっしゃいよ。実際この場合、いま私初めて知ったのですが、
分譲価格の押え方などは、目をつぶって幾ら以外はだめですよ、こういっている。八万円で
中高層の家ができるならばこれもいいですよ。八万円でできっこないですよ。それにその八万円の
標準建築費に対して七割五分の
融資をして、
価格はこれでございますよと押えているんです。八万円でできるという自信があるならば八万円の
建設費として
算定してきめればいいんです。公営
住宅自身の
家賃というものは、
建設費によるところの
家賃になっておりますから、
算定の出し方が、それと同じようなケースでもって、動かない弾力のない
分譲価格とか
家賃というものをきめるということは、たいへんな間違いなわけです。これはどうも妙なところに、いままでの
住宅行政としては押し込んで、そして
公団にしても
公庫にしても、やりにくい形にさせている。そして二つも三つも窓口があるものだから、一つの
土地を何百人、何万人がねらって宅地をつり上げる。つり上げておるのは
公庫、
公団ですよ。
公庫などは、全国的に、これから
法律を出そうという
住宅供給公社に資金を流すものだから、これまた一緒になってあおり立てて、足らない宅地というものをさがし歩いてつり上げておる。そういう形がおかしいというのですよ。これは一つの姿になれば、窓口が一つになれば、つり上がりゃしませんよ。つり上げているのは
政府です。そうしていながら、
分譲なり
家賃を取る場合には、これ以上取っちゃいけない。何をしろというのです、一体何をさせようというのか。こういう
施策は、今回多少緩和するから、われわれはこれに賛成しているわけなんです。大幅にすべき段階が来ておりますよ。応募者が千倍ございました、千二百倍ございました、こう言うから、ぼくも調べてみたら、たった六戸ですよ。青山のあれはたった六戸を募集する。倍数でもってこれには千何百倍来た、たった六戸の家を
賃貸するといって。それは一番いい適地ですよ。そのくせに所沢なんといった
都心を離れたところは、かんこ鳥が鳴いて、だれも来る者ありませんよ。いまあき家がたくさんありますよ。それで倍率でもって、さもさも
政府としてりっぱな
住宅供給をやっておるように
国民をだましておる。私はびっくりした。千何百倍というので行ってみると、六戸ですよ。六戸で六十人来れば十倍になるでしょう。六百戸あるのなら別だけれ
ども、そういうようなナンセンスなことをやって、
国民は、
住宅公団なり、
住宅金融公庫のやっておる、たとえば
東京都
住宅公社とか、あるいは首都圏不燃公社等が
中高層でやっております、そういうもので、倍数でおどかして、さもさもたくさんやっておるようにして、それで困窮者というワクの中にそういうものを入れて統計とっておる。これは仮需要なんです。みんな仮需要。どっちみち六戸じゃ
当たりっこないけれ
ども、一点かせいでおこう。そうして今度あき家抽せんのときには頼もうということでやっておるのです。そういう点は、
実態を実際に理解しないで、ただ空な夢を追う人たちに迎合するというか、それにやはり
住宅政策を、やっておるものは酔っぱらっておるのですよ、そういうものに。実際困っておる者に、いまるる申し上げたように、
自分の
土地を提供し、
自分もそれによって生計が営めるのだというような形の協力者が都民の中にたくさんいるのですよ。それがやはり生計できるような形の
施策をすることが望ましい。私は、ある例があるのです。四十八戸の全
貸しアパートというものを
住宅金融公庫にやってもらったらどうだというので、こまかい計算をしてもらった。そうすると、何と四十八戸の
アパートを、全部国から
貸してもらって、五十年
償還ということで計算してみますと、税金から何から一切払うと、月に三万円
程度は残るでしょう。その
土地は一坪五十万円しておる
土地を提供して、三万円、四十八戸だから、
自分が掃除ができないから、どうしてもおばあさんと女の子の二人くらい置かなければならぬ、四階
建てだから。そうすると、毎月毎月二万円くらい持ち出さなければ、その四十八戸の管理ができない。そうして二万円ずつ持ち出していると、五十年たつと
自分のものになりますということになる。五十年たって
自分のものになったって、これはだれも住む者がおりませんよ。住む者がいやしない。もっといいものがたくさんできている。私はせんだっても
予算委員会で申し上げたように、
住宅金融公庫の
中高層融資住宅というものは、三十五年の耐用年数で計算すべきだ。三十五年でちゃんとそろばんがとれるようにすべきだ。三十五年たったらここで新しく
建てる。いまだに五十年、七十年で金をもらいますよ。三十五年にしてもっと合理的な、技術的に見てもこれは可能だと思う。それには三十五年たったらこわします、また
政府は新しくあなたの持ち家をつくってあげましょう、金
貸しの
方針なら全
貸しでつくってあげましょう、そうしてあなたが坪五十万の
土地を百坪提供してくれるならば、それじゃ百坪分そろばんをはじいて、あなたの生計費として
家賃からこれだけ入るようにいたしましょう、そうして
自分のほうにはこれだけ返してください、そうしてほんとうに前向きに、都民に奉仕する人たちの生活、人たちの心、それからそれを受ける、供給せられる都民のしあわせというものを考えるというのが、真の
住宅金融
事業なんです。
住宅金融
事業の本来の姿なんです。いまそういうのはございますか。私は
住宅金融公庫総裁に、これこれの中で全
貸し、それが
融資していないというから、今度は相当その幅が広がりますから、こういうものがどのくらいでできるかということを試算していただきたい。何にもならない。五十年たったらこわすのに金がかかる。これを一つこわすのに二万円かかるというので、スラムが残っちゃってどうにもならない。それでは
自分の宅地を提供するとか、低収入者に安い
住宅を供給しようという
意欲は絶対に起こらないと思う。木造
アパートがどんどんできる、これなんか三年で
償還できるのです。その寿命が十年、木造は悪い材料を使っても十年もちます。そうすると、三年で元を取ってあとの七年間は利潤になる。こういうものに何も
政府は
住宅資金を貸す必要はちっともない。しかし、それはそれなりにやはり
中高層というか、
都心の再開発ということを考えた場合には、生涯その奉仕によって本人なり家族なり子弟なりが、五十年後にもしあわせであるということがほんとうの
住宅政策、ことに
市街地再開発のほんとうのねらいでなくちゃならない。それは否定しないですよ。そういう試算を一ぺんしてみるとわかるのです。