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川崎(秀)小
委員 私は、
防衛庁長官になられる方の言動あるいはその性格によってかなり
自衛隊そのものに与える影響というものも大きいように思います。
国防会議の
議長である首相でも同じことだと思う。わが国の戦後の首相は、幸いにして現在の首相に至るまで一人を除いては
自由主義の系列からずっと出ていることはいいことだと思う。その点で、非常な信頼を
小泉長官の上に寄せるんですが、あやまって
自衛隊員を激励するのあまり、
自衛隊員は国のシンボルであるというような
考え方を
政治家がおだてて言うと、これはえらいことになると思うのです。
日本は今後いかなる場合においても平和国家の姿を貫かなければならぬ。
自衛隊員にわれわれは見えざる敵から生命、財産を守ってもらっている感謝はあります。犠牲という
意味での非常な感謝は私
どもは持っているんですが、しかし、それが発展する
日本のシンボルかのように置きかえられると、そういう観念が頭のどっかにあると、国は次第に急坂を下るように軍国主義的な色彩を持ってくるのであって、これは厳に
政治家自身が戒めてかからなければならぬ最大の急務だと私は思っているんです。そういう
意味で、
防衛庁長官の先ほど来の哲学に信頼を寄せるわけですが、
自衛隊は
政治関与は絶対ないということを言っておっても、無限の信頼をかりに与えても、何らかの安全弁というものはなければならぬのだから、いわゆる
文官優位であれば、先ほど御言明のあったように、
防衛庁長官の周囲の
組織の強化、
文官による
組織の強化というものをふだんからし、また
総理大臣の
周辺を、
政治と
軍事と双方よくバランスのとれた知識を持つ優秀な人材によって固めて、そうして今日の
ベトナム問題の処理についても誤りのないように企図していただきたいというふうに私は念願をいたしております。
かなり長く
質問をいたしまして、恐縮でありましたが、実はまだまだ材料もあるわけですが、問題になった点は、今まで各
委員によって相当論議され尽くしている。ただ、私が冒頭に申し上げたように、
自衛の必要というものを自民党員として強く意識いたしております。同時にあくまでも文民優位によるたてまえというものを堅持していただきたい。歴史をこの際繰り返すわけではありませんが、とにかく軍がああいうような大失敗をした根源は、それは、さかのぼれば
日本は千数百年というものは武家
政治が行なわれておって、おそらくこのような文明国家で千数百年も封建
政治の中に没入しておったという国家はない。したがってその余波が大正、
昭和の時代に及んだことも、まあ歴史的必然ではあったかと思うのです。しかし
国会の言論もはなはだ振るわないで、わずかに尾崎先生はじめ十数人の
自由主義者、あるいは
社会党の
関係でも戦時中に非常に抵抗された方があった。けれ
ども、主流はむしろ保守党の
自由主義者たちが身を挺してこれを食いとめようと思ったけれ
ども、非力であのような大
東亜戦争になったわけであります。この間うちから実は齋藤隆夫先生、中野正剛氏
——中野正剛氏は、一時は
戦争をやれと言った方で、途中からやめろと言った、多少問題があったでしょうけれ
ども、今度の
三矢研究の問題で一番思い当たる節は、実は
昭和十七年だったか、戦時中ですが、食糧管理法並びに戦時動員法の二案を
国会に上程をして、当時翼賛会から発展をした翼賛
政治会の総会で一気にこれを事前審議と称して可決をして、
国会の
委員会はむろん省略、翌日の本
会議でこれを可決しようとしたときに、われわれの大先輩であった鳩山一郎氏が、
国民の糊口に最も
関係のある問題をわずか一日にして可決するとは何事である、自分はこの法案に対して十分の
意見があるし、たてまえとしては反対であるということを現在の自民党の代議士会の控室で言われたことを思い出します。われわれはそこに立ち会ったわけではないけれ
ども、三木武吉先生、中野正剛の三氏が翼賛
政治会の幹部に対して、審議権の放棄ではないか
——それと同じようなことがあの
三矢研究の問題の中にある、それは
国会がそういうふうにしてくれたというふうに書いてはあるのだけれ
ども、何か不吉な予感が、あれだけを見るとするわけでして、どうかそういうことの絶対に起こらないようないまからそういう
組織づくり、編制を
防衛庁の中で考え、総理の
周辺でそういうことのないような安全弁をつくっていただきたい、これが私の熱願であります。
はなはだ粗雑な
質問で恐縮でありましたが、
防衛長官並びに皆さんに対する
質問はこれで終わります。