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帆足分科員 御
答弁いただいて感謝にたえませんが、実は先ほ
ども建設省の
分科会で、住宅難の問題について聞いて話し合いました。これは非常に深刻な問題であることは、御承知のとおりであります。ベースアップだけでは問題は解決しません。すべて生活を安定させる方策は、総合的に
考えねばならぬ段階にきておることは御承知のとおりです。また、文部大臣及び厚生大臣、それから郵政大臣と、三つの委員会で話し合いましたが、たとえば子供の教育にいたしましても、紀元節とか人間像とか、こういう大上段の議論が流行しておりますが、私はそういうことにはあまり興味はないのでありまして、そういうことよりも、四季四季の移り変わりのうるわしいこの国土に生まれまして、子供
たちが健康にすくすくと育つことこそ、最大のしつけであり、最大の人つくりであると思っております。そこで、たとえば、小さな問題では映画がありますが、映画は選択して見に行きますから、いろいろ弊害がありましても選択の余地がありますけれ
ども、たとえばテレビの問題などは、あまりにも犯罪そのものに興味を持つテレビが多過ぎるし、またテレビの中間に広告が入りまして、悲劇ハムレットの最中に、そのクライマックスにインスタントラーメンと叫ぶがごときは、これは人の心を傷つけるものである。英国の法律では、それは禁止されておるのです。広告というものは、商品学の知識、商品の日進月歩の状況を
国民に知らせることで、非常に大事なことですけれ
ども、それは幕間にやってもらいたい。英国では、テレビの法律でそういうふうになっております。私は、こういうことは解決し得る問題で、またテレビの営業に影響を与えないで解決する方法もあるのですし、最近は広告というものも、スカラ座などで見ますと、非常に進歩いたしまして、楽しみながら啓蒙される、商品学について知識を得るということも可能ですから、もう少しそういう卑近な問題を
考えてもらいたい、こう要望いたしましたら、三大臣とも、賛成だから即刻適切な対策を講じようということでした。こいねがわくばそういうことの実現されることを私
どもは希望する次第です。私などは、子供が大学の試験を受けますために、テレビを買ったのはわずか半年前でした。自分でつい疲れて帰りますと、テレビを見る。つい時間を過ごす。そうすると、幕間にたびたび卑俗、卑わいな広告が入りまして、いいと思うよとか、へそねえじゃねいかとか、それがまた適切な
場所に入ればいいのに、全く前後の
関係もないところへ入る。最近の大脳生理学によりますと、人がある演劇を見て注意が集中しておるときは、大脳の流れはナイアガラの瀑布のようなエネルギーをもって流れているそうです。それを突如として中断する。こういうことを子供のときから
経験しますと、これは民族心理に重大な影響を及ぼすのでありますから、
何事でも保守とか革新とかいいますけれ
ども、目に余ることはないほうがよかろう。短い人生ですから、人生は美しく、常識的であることが望ましいわけですから、そういうことをお約束願いましたが、三大臣ともお約束してくださいました。一カ月後実現するかしないか。実現しなかったら、私は文部大臣のおたくに上がって、応接間でテレビにかじりついて見ておって、そして、約束を守らなかったら、テレビのガラスくらいこわすかもしれませんよということを約束しておきました。こういうことで、
分科会というものは、
外交の問題、軍事の問題等を除きましては、よく話し合って、よい国にしようということでいきたいものと思うのでございます。
最近痛感いたしますことは、大臣も御承知でしょう、相続税の問題です。この問題につきまして、私
どもは児孫のために美田を買わずで、すべて近いレベルのところからすることがいいことだと思います。しかし、それにいたしましても、多少の保護というものが必要でございます。十数年前に、戦後の最初の民法ができましたときに、相続税の問題につきまして、まず妻の相続につきまして、これは税の問題と民法の問題とがからんでおりますけれ
ども、民法で、妻の相続は三分の一ということに当時きまろうといたしました。私は、婦人議員の諸君はこれに猛然と
反対するものと予想しておりましたが、当時緑風会におりましたので記憶も新たではございますけれ
ども、三分の一で満足だ、こう言われる。私は、先代から引き継いだ財産は別といたしまして、苦労をして共にかせいだときは、糟糠の妻に対しては一定財産の範囲、すなわち天文学的な資本が資本を生んだというような、射幸的な、つまり幸運にぶつかったような収入でなくて、まさしく勤労収入と
考えられるほどのものにつきましては、夫婦共かせぎでありますから、内助の功で最初から半分は妻のもの、半分は夫のもの、こう
考えておりますから、相続の問題は、その夫の分の半分から出発すべきであろう。もちろん例外はありまして、先祖から受け継いだ巨大な財産とか、または資本経営によって得た特殊な財産というのは別にいたしまして、普通の勤労収入、または重役収入、または経営補助者収入というようなものについては、夫婦の共かせぎでありますから、これは最初から両方半々くらいの権利があるわけでございますから、二分の一は妻のものである。そういうノーマルな財産については、残った二分の一に対しては、妻が幾ら取る、子供
たちに幾ら分ける、これが適当ではあるまいかと言いました。ところが、ある婦人の議員が、それでは二度目の妻のとき、母のときに困るではないか。二度目の彼女がすっかり取ってしまって、そして前に生まれた本来の子供
たちを粗末にするということがあるではないかと言いますから、それはむしろ例外であって、そういうときには、妻の勤務年限という
ことばは悪いのですけれ
ども、二度目の妻の年数、一度目の妻から生まれた子供
たちの年齢など
考えて、多少のそういう例外は例外として別な措置をするとして、現在の措置でいいでしょうし、また遺言状をもってこれを調整することができますが、糟糠の妻に対しては、二分の一は妻のものではあるまいか。これに対しまして、男女同権といわれる今日、妻が三分の一、はなはだしきに至っては、子供がいないときは−いまは親戚と申しましても、親戚は他人の始まり、相当個人主義的になっている。平素、病気のときに見舞いにも来ないような遺憾な場合もあるわけでございます。ところが、相続となると急に発言権を持つというようなことで、妻が現在の民法によって十分に保護されていないのではないか。大綱においてそれほど極端ではありませんけれ
ども、この問題はもう少し研究の余地のあることではあるまいかという感を深くいたしました。私の申し上げることに御疑問がありましたら、おうちに帰って奥さんに御相談ください。そうしたら、
帆足さんの言うことはもっともである、まあすばらしい議員がおる、奥さまはきっとこう言われるに違いないと思います。しかし、これは民法に
関係のあることでございますから、これを修正しようといたしましても相当の手読がかかりますから、そういう深刻な問題があることをお含みくださいまして、それを前提として、今度は相続税の施行規則の場合にもう少し御考慮が必要であるまいかと思うておる次第でございます。
さてそうなると、それがどういう結果にあらわれるかということを申し上げましょう。
相続の問題につきまして妻の地位が十分に保護されていないということのほかに、第二の問題は、都会と農村と事情が違うのでございます。これは、御承知のとおりです。農村の問題は端的にあらわれておりまするから、農地がこまかく分散されると困るという事情がありまして、これがいろいろ論議されまして、実情に適するようにいろいろのくふう、工作が行なわれておりますことは、御承知のとおりでございます。
政府も、これに対してずっと研究を続けられておることも承知いたしております。ところが、都会におきまして農村の田地に当たるものは、都会における住宅でございます。住宅と妻の地位、子供の生活とは不可分のものでありまして、今日私
どもの生活をささえておる二つの要素は、
一つは収入、
一つは住宅、この二つが生活をささえておる二大要素でございます。私は、最近の医療問題や、また総評のベースアップの問題などに関連していろいろの困難にぶつかるたびに思うのですが、生活安定の対策は、今日の段階では賃金だけではだめです。また医療にいたしましても、医療の報酬だけではだめでありまして、やはり総合的な施策が必要である。すなわち、第一は賃金または報酬、第二は住宅、または病院の場合は病院の建築物でしょう。それから第三番目が社会保障、この三つの総合施策で生活を守らなければ、一本だけではちょっと無理があろうと思っております。そこで、住宅のほうと連関いたしまして、問題が多いのですけれ
ども、大臣は孟母三遷の教えというのを御承知でありましょう。小学校のとき習ったことで、孟子のおっかさんが、環境が悪いからかわろう、そして、吉原のようなところから今度は繁華街に移ったのですが、また環境が悪くて、坊ちゃん、孟子はいたずらばかりして困るから、三度目に学校の近所に−今日でいえば文教
地区でしょう、文教
地区に移った。そして坊やの孟子はすくすくと育った。教育は環境に依存する、そのことを知っていた賢い母であるという物語でございます。今日孟子の賢いおっかさんがおりましても、孟子の母は大資本家ではなかったようですから、三度移れるでしょうか。一度住みついたところから他に移ることは、まず困難でございます。アパート住まいならとにかく、いわんや小さいながらも、ネコの額ほどでも、五十坪、百坪持っている中産階級のうちであれば、三度移るなどということは困難でありまして、移らない前に孟子は非行少年になってしまったかもしれません。とにかく今日では、住宅問題は非常に深刻な課題でありまして、大蔵大臣ですら、孟母三遷の教えなどという古めかしい
ことばにちょっとお気がつかれなかったというような住宅事情でございます。したがって、私が言いたいのは、孟子時代どころか、三十年前には、どこでも家を簡単に借りることができた。あまり夫婦げんかが激しいときには、気分を変えようじゃないかといって、三円ばかり奮発してよい住宅に移れば、心もすがすがしくなって夫婦の仲も円満になる。特にお年寄りをかかえているおうちでは、わずか三畳か四畳半の部屋でも、お年寄りの隠居部屋が一部屋あるだけで、家庭の中の空気がすがすがしくなる。こういうことが三十年、四十年前の東京市民の生活、
日本国民の生活でありました。今日五十坪なり百坪、また二百坪のうちに住みますと、まず大体それはカタツムリのからのようなものでありまして、わが身についたものでございます。したがいまして、これは自分の身についたものほど大事なものでございます。かりに二百坪のうちがありまして、知らない間に近所の地価が高くなり、坪十五万円になったなどといいましても、驚くばかりでありまして、二百坪の土地に住んでおれば、わずか三十坪ぐらいの小さな住宅でありましても二、三千万もするとかいわれて、肝をつぶすばかりでございます。しかし、なんじの肝が三千万円になったといわれましても、肝を切って乾燥して反魂丹に売りに行くわけではございませんから、痛くもかゆくもない。そこには妻が住み、三、四人の子供が住み、そしてしあわせな生活が続くわけでございますから、高くなっても、固定資産税が上がるだけで、逆に迷惑を感ずるような今日の状況でございます。そういう五十坪、百坪、二百坪ぐらいの安定した家庭に、一たび無情の風が襲って御主人がなくなったときには、そのうちの値段は一千万、二千万、三千万に評価されます。私は、それは固定資産税の評価額でいくのかと思っていましたら、最近はそうではなくて、道路ぎわで査定する方式がありまして、そして、それは時価の大体三割引きぐらいの値段でございます。何でもないところが今日東京都内においては十五万円いたしますが、十五万円の三割引きの値段、すなわち十一、二万円で評価される。そうすると、百五十坪持っておりましても二千万近く評価される。そうして、それの三、四割のものが相続税として取られるとすると、百五十坪の土地に二十七、八坪の狭いながらも楽しいうちに住んでいる家庭が、一瞬にして数百万円の税金をかけられる。それをまかなうために、営々としてためたすべての貯蓄、退職金、保険料を全部相続税に払ってしまって、あとは残らない。かろうじて家を一軒食いとめた。ところが、その家はささやかなぼろ家でありまして、残された親子四人がやっと住むだけのうちでありますのに、四、五百万円の税金がかかってくる。そして、保険料と退職金で払ってしまったら、あとは何も残らない。そして、これは未亡人の涙に追い打ちをかけるような結果になっておるのではあるまいか。
そこで、どうしてこういうような深刻な矛盾が生まれたかということを
考えてみますと、それは、結局家の問題であります。土地の値段がべらぼうに高くなって、その土地の値上がりが、空地であるか、貸家を持っているならば、売ってしまって一挙にお金持ちになるのですけれ
ども、自分が住んでおるときは、高くなっても、迷惑なだけで何の役にも立たない。そこで、住宅問題は、今日は孟母三遷の教えの住宅問題ではなくて、自分の住んでおる家一軒に関する限りは、カタツムリのからのような役割りをなしておる、キツネが入って住む穴のようなものです。それが、ただ観念的に値段が高くなって、そうかなと思っているうちに相続税がおいかぶさってきたときに、そういう特殊の矛盾があらわれる、こういうことではないかと思うのであります。議員をしておりますと、当然市民の知り合いのお葬式にお見舞いする
機会が多いのですが、そのたびごとに、私
どもは特に中産階級地帯に住んでおりますから、百坪、百五十坪、また二百坪のカキの木の二、三本ある、間数にして五つ、六つ、二十七、八坪から三十二、三坪の御家庭で起こる問題は、ことごとくこの問題でございます。したがいまして、これは大蔵大臣が悪いのではなくて、ときの変遷によっていつしか住宅問題が特殊な深刻な問題を生んだ。そして、自分の住んでいる住宅がめちゃくちゃな値段になった。相続税を払うためにその百五十坪の土地を売り払ってアパートに住めば、確かに一ぺんに一千万円ぐらい金を握ることができる。しかし、アパートに住んでも、今度は一部屋のアパートでは親子四人が住めるわけではなく、親子四人が住めるくらいのアパートに住めば、今度は家賃がばく大なもので、それは言うべくして不可能です。そうすると、住んでいるわが家はどうなるかというと、結局未亡人が住む、子供
たちが住む、おそらく長男が引き継ぐでしょう。そして、横にまだ多少余地があって建築法で許されるならば、次男か、からだが弱い末の娘のために、せめて六畳二間ぐらいの建て増しをして、幾つかの表札が並んでおる。一軒の家が二階になって、分割されて三家族ぐらい住んでおる。これが今日の
日本の家族の風景でございます。今度はこれに相続税の現金収入の追い打ちがかかるという状況ですから、この問題については、これは、
大蔵省当局が気がつかないうちに住宅の暴騰が起こったということからきた矛盾でしょう。現に私は自分のうちを売りまして、前にカボチャ畑になっておりました松林に移ったのですが、ほんとうに見る影もない丘の上の松林でありましたけれ
ども、五、六百坪偶然
——坪五十円ぐらいで買ったのでしょうか、持っておりましたところへいまのうちを売って民芸風のバラックをつくりましたら、とてもハイカラなので、社会党の代議士がこんなすばらしいところに住んでいる
——すばらしいもへったくれもない。坪六十円の小さな丘、それがいつしかまたたく間に、わずか数カ年の間に、最近は坪二十万円などといってあいているところを人が買いに来る。ところが、
戦争中ですから、われわれも大いに気ばって子供を生みましたから、四人の子供を生みましたから、四人の子供にこれを分ければ、幾らもありません。かろうじて子供
たちに、児孫のために美田ではなくて、キツネの穴ほどのものをあれして、それによって卑しい思いをせずに過ごせるとするならばしあわせなことであると感謝しております。ところが、売った家は、わずか二百坪でありましたが、当時二百万円くらいで人が買いまして、坪一万円というすばらしい値段で売れて、感謝感激しておりました。それはわずか七、八年前のことです。それがいまでは、なんと売った
場所が坪十五万円になっておる。家内がぐちをこぼすことこぼすこと、あなた、
経済学者のくせに、しかもインフレの専門の学者のくせに、なんて早くあわてて売りました。とにかくちょっとの間に土地は上がってしまったのです。そのために、自分のうちが一千万も二千万もするということを気がつかないうちに、たった
一つのわが住みか、わがカタツムリのからが、二千万になり、三千万になっておる。私は、これは財閥の相続税のことを申しておるのではなくて、きわめて平凡な一中産階級のお葬式の宵のことを申し上げておるわけです。これは、急激な土地の値上がりのために起こった悲劇でございます。これに対する社会保障的な控除は若干はありますけれ
ども、それは、土地価格の観念的な暴騰に比べれば、せっかくの当局の控除もごくわずかでございまして、わずか百五十坪の土地を持っておる、子供を四、五人かかえておる未亡人が、ばく大な現金の税金を払わなくてはならぬ、こういうことになっております。
そこで、第一には、妻の取り分が現在三分の一ということに無理があることと、第二には、住宅問題の
関係から、住宅が観念的に暴騰したために、現金収入で、ほとんど退職金も保険金も払ってしまわねばならぬ。家だけ残って、あとすっからかんである。ところが、また他方では、家のない人が非常に多いために、家のある人がそういうことを言うならば、それはほんとうにうらやましい苦労であると冗談を言う人もありますけれ
ども、ものごとは公平に見ねばなりません。家のない人のためには、公団その他の応急手当を
政府は急いでおりまするし、わずか百坪か百五十坪の家を持っておる
人たちのためには、私は、この敷島のやまとの国に生まれてきまして、カキの木の二、三本ある家に住むことは、決してぜいたくではないのでありまして、その程度のことは保護されねばならぬと思う。あたかも農村において自作農が保護されねばならぬと同じ問題であると思います。したがいまして、大臣も十分にそこまで問題がきておることにお気がつかぬ部分もあったかと思いますけれ
ども、非常に零細な住宅を持っておる人に、かえって比重としては大きく相続税がかかるように、いろいろな控除規定があるにかかわらず、現金で払わねばならぬ大きな負担がかかるように、いま、いつしかなっておる。これは、わずかこの五年間ばかりのできごとです。五、六年前はたいしたことがなかったのです。固定資産税がかかると思っておる方々にとっては、まず適当になさると思っておりましたところが、いまでは非常な金額になってしまった。こういうことでございますから、この席をかりて特に御注意を促す次第です。