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高田分科員 まあ、いろいろ問題はありますけれ
ども、当面やはり何といいましても
価格の安定という問題が蚕糸業にとりましては基本的な問題であり、いままでの、長い間の宿題だと思うのです。それで、ただいま
お話しの中間安定のことが審議会に諮問されておりますことは私も
承知しておるのでありますが、この
考え方の根本ですね、これを私はよほど明確にして推進する必要があると思うのです。
考え方自体など必ずしも固まっているのではないと言えるのではないかと思うが、いまの
栗原さんから質問のありました、現在までありました安定法というものと、いまお
考えになっておる仲間安定というものの
考え方は、よほどはっきりさせて推進する必要があるのではないかと思う。私、賛成ですけれ
ども、ちょっとあいまいさがあると、このたてまえが非常に弱い。たとえば、いまもちょっと御
指摘があっ一たが、私は、もしも繭糸
価格安定法というものが文字どおり強力に運営されているとすれば、これにまさる
制度はないんじゃないかと思うのです。かつて大暴落がありましたとき、三十三年だったですか一あのころにはたしか最低が十九万で最高が二十三万じゃなかったかと思うのです。三万ですか四万ですか、非常に値幅が狭いわけです。十九万を堅持するというので相当の努力をしたけれ
ども、とうとう堅持できなかったわけですよ。それ以後というものは、もういわば繭糸
価格安定法というものはなきにひとしいのです。実際は安定
制度がなくなってしまったと言っても過言でないと思うのです。それ以後の
状態は。なぜかといいますと、いま最高と最低がこんなに開いてしまったのですから、おそらく最高までは上がらないであろうと思われるようなところしか最高はっけないし、これより下がりっこないところしか最低は置けなくしてしまいましたから、実際には安定法というものは有名無実の飾りものみたいなものになってしまった。ですから、安定法というものはあるけれ
ども、使わない程度の、発動しないで済むような安定法にしちゃったということが言えるのじゃないかと思うのです。そこにやはり根本問題があると思うのでありまして、ほんとうに
価格を安定させなければならぬのだということで、そこに重点を置いてやるならば、やはり前と同じように——多少動くのは年々動くとしましても、幅をこう広げていくということはないはずだと私は思うのです。どんどん幅を広げてしまうということは、これは実際使わない、なるべく使わないということなんですね。だから、それでは済まないから、中間安定、こういうふうに今度は中間安定の問題がそういうところへ出てこざるを得ないことになってしまったと思うのですが、ここらあたりは、やはり蚕糸業というものに対する、先ほど最初に申し上げましたような熱の入れ方ということに相当私は
影響があると思うのです。もし、あのときでも、いまだってぼくは思うのですけれ
ども、十九万円でほんとうに堅持し切ったら、ずいぶん財政負担は大きかったと思いますけれ
ども、その後の相場の動きを見ますと、
政府は損しなかったんですね。あれからどんどん値が上がっちゃっているんですから。ですから、あそこでむしろあの
価格安定法に信頼感がつながれているとすれば、いまこういう問題は起きていないと思うのです。ですから、繭糸
価格安定法はなかったと同じだと思うのです。これは何とかしなければならぬというので、業界のほうでも何かやれる範囲のことをやってということでああいうものが出、また
政府のほうでもこれに協力されているということなんですが、そこで、それならば、その中間安定
制度というものをほんとうに強力に
機能できるようなものにして、そして将来行く行くはこの繭糸
価格安定法というものがなくてもそれにかわり得るほどの強力な需給安定がはかれるところまでこれを強化していくようなお
考えで進めていくのか、それとも、初めから限界を小さく置いて、そのワクの中でだけ中間安定をやらしておいて、そうして依然として繭糸
価格安定法というもので根本は押えていく、これによって安心感を与える、これによって海外に信頼も与えていこうというような、かなりのウエートを安定法そのものに置きながら、なおかつ中間安定をやっていこうということであると、非常にこれが中途はんぱなことになって、もし異常
事態が起こりますと、また再び中間安定がすぐだめになってしまう。すぐまた本来の繭糸
価格安定法のほうへ持っていかなければならぬ。ところが、持っていくにしてはあまりに幅は広過ぎますし、また、財政的な
準備等が十分でなければ、これもまただめだ。前のようなことを繰り返すのでは、まことにこれはどっちつかずになっちゃうと思うのですね。そういうような点で、どのような
考えをお持ちなんですか。中間安定とこの繭糸
価格安定法との
関係ですね。