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帆足分科員 私は、事、外交上の問題などの大きな問題については、与党、野党の議論が分かれるときには、党の政策を明らかにするために党勢の拡張にそれを使うこともけっこうだと思いますけれ
ども、保健衛生の問題とか、
住宅をつくりたいという問題とか、水道の出をよくしたいというような問題とか、そういうようなことは、互いに助け合って世論を喚起し、所管
大臣を助けて、そういう隘路を打開していくことが望ましいと思うのです。そうして結局よい国になるし、私
どもの
子供たちは、与党、野党の区別なく同じ
小学校で仲よく勉強しておるわけでありますから、その
子供たちの前途を
考えましても、そういう心組みでいきたいということを痛感しております。
国会では、ほとんどすべてのことが論議し尽くされておりますけれ
ども、二つの欠陥があると思います。一つは、国民にそれが知られていないこと、したがいまして国民は、国
会議員の挙動の末梢的なことのみを知って、またそういうことに興味を感じて、やれ歳費が上がったとか、議員会館がりっぱだな
あとか、大野伴睦先生は浪花節がうまいとか、そういうようなことに興味を持ちまして
——これは政治部の記者諸君にも責任があると思いますが、各
予算分科会に順々にわれわれが出ておりますと、みなよく勉強して国民の言わんとするところのものを
政府にるる述べておるのであります。
政府の
答弁は新聞に伝えられますけれ
ども、国民の側においてどういう要望があったかということは、質問という名に隠れて、要望ということは、ほとんど新聞もお取り上げにならない。官尊民卑の伝統がジャーナリズムの中にあるが、それも歴史の一こまと思ってがまんしております。
第二の問題は、国民の要望が伝えられないだけではなくて、
政府側におきましても、いいことを聞いたというだけで一服の清涼剤として忘れてしまっておる。与党の言うたことも野党の言うたことも、
予算委員会の各
分科会において述べられたことは記録にとどめて、それが理あることであるならば、できるだけそれに近い
程度まで実行しようという熱意がすみずみにまで浸透して初めて、議会というものはけっこうなものだ、議会を通じて
日本をよくしようじゃないかということになるのではないかと思うのでございます。どうもその二つの点が不十分である。経済政治関係の雑誌などが
分科会における各党の
人たちが要望した問題の一覧表をつくって発表するくらいであれば、国民はなるほど
自分たちの言わんと欲するところのものはほぼ論じ尽くされており、
政府もまたこれを取り上げて、よいことは実施するであろう、こういうことになって初めて価値があるように思うのでございます。
昨日の
分科会におきましても、たとえば、小さなことですけれ
ども、テレビの幕間に有効な広告を入れるのは商品経済の知識を国民に知らせ、日進月歩の商品の性質を知らせるためによいことであるけれ
ども、演劇の最中にコマーシャルをみだりに投入して、悲劇ハムレットの荘厳な場面が展開するところに突如としてインスタントラーメンとはこれいかに。(笑声)こういう質問もあった。薬などというものは、どういう点を注意すべきか、万能ではないし、こういう欠点があるけれ
ども、よくきくようになったと発明した人がきちっとした説明でも入れて広告してこそ健康を守るのに役に立つのに、ただ「いいと思うよ」などと言って叫ぶ、わめく。それと
一体薬と何の関係があるのか。国民は侮辱を受けながら薬九層倍の薬を買っておる。しかもそれが、映画を見、劇を見ている最中にしばしばあらわれて叫ぶ。これはテレビの暴力であるまいか。以後こういうことを続けるならば、郵政
大臣、文部
大臣並びに薬関係の厚生
大臣の応接間に私はへたり込んで、こういうようなことを繰り返すならばテレビをたたき割ってやるからとまで言うたのでございます。三
大臣とも、それはひとつ相談して善処しますということでした。善処されるか、されないか、私は一カ月間様子を見ておりまして、されないとすれば、それぞれの
大臣の応接間にお伺いしたい、こう思っておる次第です。私は、そうしてこそ、国民が、議会政治というものは過去の封建政治よりもいいし、軍事ファッショ政権よりもいいということを確信を持つに至るわけでございますから、どうかそのようなお心組みでやっていただきたい。
むしろ私の質問は簡単なことですから、他の質問者の諸君の意見のうち、とるべきものをひとつ勇敢にとって、
大臣の
施策の中に生かしていただきたい、こう思う次第でございます。こういうことは、私はいかに強調しても強調し過ぎることのないことと平素から痛感しておりますから、各
分科会においてこのことを述べておる次第であります。
とりあえず限られた時間でお伺いしたい点は、不燃化
住宅の問題であります。戦いに破れて
東京の町が廃墟になったときに、せめて一人後藤新平伯のような方がおって、
都市計画をちゃんとつくって、一条通り、二条通りとつくっていたならば、今日の
東京はいにしえの奈良の都のように美しい町になり、
東京の町全体が原宿通り、神宮外苑近くのようになっていたであろうと、時期を失したことを、政治に互いに先見の明と責任感が十分でなかったことを残念に思う次第でございます。しかし、終戦直後に社会党内閣も一時連合内閣をつくりまして、そしてその無能を暴露したわけでありますから、いたずらに与党のみを私は責めるわけにいかない。与党も野党も知恵の足らないことは、どうも政治家というものは
一般の技術者に比べて一オクターブおくれておるのでないかと、相ともに励まし合わねばならぬ、反省せねばならぬと私は思う次第でございます。
そこで二十年時期がおくれて、いま
東京都の改造の必要を痛感しておりますが、名古屋の町は、市長さん、助役さんにすぐれた人物がいて、りっぱな町になりましたが、われわれはまことにこの点ざんきにたえぬと思っておる次第でございます。しかし、これを直すためには、どうしても高層建築、不燃化に進まねばならぬ。都内をもし四階
建てにすれば、約半分の
土地があくわけです。ワシントンの
道路率は三割をこえておると聞いておりますが、ワシントンのような町に、四階
建てにすればなし得るわけです。今日の木造建築を私は仮建築とまず
考えて、そしてやがて四階
建て以上にしていく。そして四十代まではアパートに住むほうが経済的でもあるし、簡素である。ただし、あき地がたくさんあり、母子公園があり、プールがある。
子供たちの遊び場がある。とするならば、アパートもまた悪くない。四十四、五になって、土のかおりのある郊外に移り、六十をこえて自家用車を持つようになって、今度はもっと郊外の広々としたところで自然を楽しんで、やがて人生の夕焼けを迎える。こういうような構想があれば、いまでも私はおそくないと思うのです。往年の建築を見ますとたいしたものではありません。こわして惜しいほどの家は幾らもありません。したがいまして、これを仮建築とお
考えになって、そしてやがて本建築にぽつぽつ直していく。しかしその直す仕事のためには、どうしても
計画性が必要です。しかし
計画だけ立てられては、住んでいる人は、どうしていいかわからないで困っているところが多いのですから、その次には
事業実施
計画を早くおつくりになり、そして住民の過半数の人に納得してもらって、そしてその上は、それが合理的であるという一定の審議会を経た
あとは、それを強行する強制力が必要である。
私は、自由ということを尊重することにおいては、自民党の皆さんに、人後に落ちません。自由民主党が、時としては不自由非民主党になることがあり得ることは、これは権力を持っておるためかもしれませんが、社会党もまた非社会政党であってはならぬ。したがいまして、自由党は放らつではありませんから、権利を主張する人は義務を守らねばならぬ。したがいまして、時としては、
都市計画断行のためには、進歩的弾圧も必要であろう、こう思うわけでございます。しかし強制力を持つ以上は、同時にそれに対する義務が伴なわなければならぬ。すなわち買収値段が適切であること、
計画が適切であり、迅速に実施に移されること、税務上の措置が行なわれなければならぬ。特にこの税務上の措置につきましては、物が金にかわったばかりであるのに、インフレーションのために錯覚を抱かせまして、おまえの家が八百万円で売れた、もうかったな、そうして税金を取り上げようとする衝動に大蔵当局はかられる。ところが八百万円の家は八百万円でありまして、別にもうかったわけではありません。買いかえようとすると、手数料が引かれますから、今度は逆に八百万円の金で六百万円の家しか買えないわけでございます。すなわち強制的に金にかえられたということは、損をしたのであるにかかわらず、おつむの弱いせいか、もうかったような錯覚を官民ともに抱いて、これに重税を課する。私は、こういうことについては、特に強制立ちのき、また
都市計画の趣旨に沿うて、みずから改築をしようとする者に対しては、一時的に入手をしたお金をもうかったと
考えることは、原則としては錯覚である。物の形態から通貨の形態に変わったものである、こう見ることのほうが正しかろうと思うのでございます。
さらに、
都市計画を進めますために、今度はかわりの家をつくらなければならぬ。不燃化建築になりますと、木造建築に比べて二倍ないし三倍のコストがかかる。むべなるかな古代からわれわれの今日に至るまで紙と木の家に住んで、ネズミの巣のような家に住んでおりましたゆえんのものは、これは結局安いからであります。これは、木造建築は実に安いのでございまして、アパートをつくりましても、木造ならば一部屋一万五千円で貸せる。しかるにこれを鉄骨コンクリートにするならば、三万円で貸さなければ引き合わない。これを引き合う値段にするためには、どうしても長期低利資金を提供する以外に道はないのでございます。実に木造建築が鉄筋鉄骨に変わるというのは、生活の民主革命でありまして、木造から鉄筋鉄骨の家に移る者は、非合理的なバーなどで非合理的な飲み方をすべきでなくて、大体すし屋さんでもバーでも値段の書いていないのがざらにあります。かくのごときは
一体——これは厚生省の所管か警視庁の所管か知りませんけれ
ども、貧乏なくせに言語道断のみえっ張りでありまして、一個百円くらいもするようなすしはざらにありまして、二十円か十円かと思ってつい入っていきまして、ひょっと上を見上げると値段が書いてない。白木のかおりかぐわしく、これはいいすし屋だなと思いついたときには、時すでにおそし、すし五個食べて七百円も取られた。友だち三人連れていけば二千四、五百円も取られて、すごすごとわが家に帰る。わが家の家内はどうかといえば、大根一本五円安いか、三円安いかということで胸を痛めておる。かくのごとき心がけでは、鉄骨コンクリートづくりに住む値打ちはないのでありまして、飲むときもちゃんとそういうふうに気持ちよく飲んで、切り上げるときはさっぱり切り上げる。そしてその余力をもって木造建築から鉄筋鉄骨コンクリート建築に移らなければならぬ。生活全体の刷新なくして、
都市計画を進めるということは、私はできないと思うのです。したがいまして鉄筋鉄骨コンクリートに移るということは、庶民にとっては生活の民主革命でございます。この民主革命を推進するためには、長期の資金が必要でございます。
これらのことについての哲学というか、方法論というか、土性骨が
建設省当局においても、都の当局においてもはっきりしておりませんから、薄志弱行の徒輩が
都市計画をやっておるのと同じでありまして、色男金と力はなかりけり、こういう手合いが、この時期おくれになった
都市の改造をやるのでありますから、百年河清を待つべし、まことにむべなるかなと歎かわしく思う次第でございます。したがいまして私は、河野さんのおるとき、気骨蛮々たるあの人がこのときこそ蛮勇をふるってくれるかと期待しておりましたが、多少は軌道を敷いてくれたものと思いますが、その
あとを受け継がれた新
建設大臣におきまして、河野さん以上の蛮勇をふるう意気込みを持たれることを切望するものでございます。そのくらいの意気込みなくしてはこの外科手術をすることはできない。外科手術をしようとする以上は、まず患者をつかまえて納得させて、おかゆを飲ませて、ウイスキーが飲みたいなど言えばどなりつけて、そのかわり輸血の準備もし、ブドウ糖の準備もし、そしてスマートな切開の手術の方法をとる。必要ならばちょっとの麻酔さえも加え。しかるに血の準備もなく、強制力もなく、そして手術している最中に相手がどぶろくを飲むのを取り締まる方法もないようなことで、どうして
東京都の手術ができるでしょうか。
いろいろな事例を見るにつけまして、私はただいま申し上げましたようなことを体しまして、いわば
都市計画断行戒厳令というぐらいのつもりでなければやれることではありません。自衛隊などという敗戦のエキスパート、卑怯、臆病の、武士の風下にも置けないような連中が、三矢サイダー研究などをつくっても、そんなエネルギーがあるならば、
東京の
都市改造の、クーデターでは困りますけれ
ども、
東京の
都市改造のために、ひとつ蛮勇をふるい起こすというようなところへ民族のエネルギーを振り向けていただきたい。三矢サイーダー暗黒グループなどは直ちに任免ちっちょくいたしまして、そして
建設省のほうに雇いまして、土木
事業にでもそのエネルギーを発揮させたらいかがであろうか、こう思う次第でございます。一国の防衛と戦略を立てるのに、頭の悪い人間を使うことは祖国のために危険でございますが、土木の仕事ならば、よき
設計家が監督をすれば、頭の悪い人間でも相当能率をあげさせることはできるわけでございますから、むしろ
建設省のほうにお引き取り願って、そして民族のエネルギーを十分発揮させたほうがよかろうなどと思われるような昨今の状況でございます。
さて、こういうことで、お願いいたしたいことは、たとえば一つの例をげたばきアパートにとります。げたばき
住宅は、私はよい構想の一つだと思います。たくさんの店がごちゃごちゃしておりますよりは、げたばきアパートをつくりまして、一階には商店をずっと入れる。地階は飲み屋さんなど入れ、二階には料亭などを入れる。ほぼそれで解決つきまして、約倍の
まわりにあき地ができるのでございます。そしてその上にアパートをつくる。大体諸外国の状況を見ますと、月給の安い、そして働き盛りの若い人は会社の近所に住んでおりまして、高級生活者は自動車で郊外から通う。
日本はその逆になっておりまして、麻布とか青山とかといういいところには、むしろ高級生活者が住みまして、赤貧洗うがごとき、そして朝八時にタイムレコーダーをめざして突進しなければならぬ
人たちは、一時間も一時間半も離れたところから押し合いへし合い通勤して、着いたときは、息もほとほとの体になっておる。これもひとつおかしな現象であると思います。したがいまして、げたばきアパートをつくりまして、そうして朝早く出勤せねばならぬような
人たちは、会社、工場に近いところに住み、そして若いころはアパートに住み、年をとってから土の香に親しむところに住む。若いときは土の香に親しまなくとも、若いときには女性の香に親しむこともできますから、それも私は悪くないと思うのであります。
したがいまして、そのときに、しからば今日どうなっておるかというと、まことに
建設省の
指導はけちでありまして、アパートのほうの部分は最高十三万五千円ぐらいの建築費になっておるでしょう。そして九階
建て、最近はそれ以上許すようになりつつあることはいいことですけれ
ども、九階
建てをつくりますと、下のほうの商店の諸君が、まず三階までを商店街で占める。そうしますと三階ないし四階ならば坪十四、五万でできる商店街が、上にげたばきアパートをつくりますために、坪当たりの単価は、今日では十七万円ぐらいになると思います。その差額の二、三万円というものは、上にアパートを背負ったために、それだけ余分に、いわゆる上をささえるために、頑強な建築にせねばならぬために、コストが上がるのでございます。しかるに
建設省当局の
考えでは、
公団に命じて、とにかく十三万五千円ぎりぎりの線がございます。上は台所もつき、ふすまもつき、畳もつき、床の間もついて十三万五千円、下は自動車の車庫のようにがらんとしたままで十七万円かかる、こういう不合理ができるのでございます。そこで、下に対しては権利金を通常若干払っておりますが、それは
地主に対する権利金でございます。下部の支柱が、非常に重くなりますためにおそらく坪二万円ぐらい余分にかかるであろうと思いますが、それに対する分担をする余地がありません。私は大衆のアパートをコストを高くしないために十三万何千円で押えている事情は了といたしますけれ
ども、それならばそれで、下に対する助成金
——権利金でないものを権利金といって払っているわけであります。すなわち、下部のコスト高分担金に当たるものを含めて権利金とかを払っている。それならば下部に一千万円かかったとするならば、そのうちの七百万円は下部の分担金である、三百万円が純粋の、税理上からいえば純粋の
土地に対する権利金である。少ないけれ
どもがまんしてくれというならば話はわかるのでありますけれ
ども、どうも筋の通らぬことが行なわれている。したがいまして、下に与える一千万円は権利金でありますから、税務署はこれに仮借なく税金をかけてくる、三分の一は税金に取られてしまう、こういう状況でございます。したがいまして、私は、過渡期の措置といたしましても、これは税務署にも話したのですが、これは権利金でなくて、少なくとも半分は下部分担金として税務上取り扱ってくれ、
政府としては十三万何がしというアパート部分のコストを高くすることは法規上できないから、権利金というなまえで払っておるけれ
ども、その実態は今日ではすでに下部分担金という部分もあるのでありますから、もらうほうの側で、税務署と相談して、緩急よろしきを調節し得るようにして、そうして相談あられたいという親心があってしかるべきなのに、実際はそのような状況でして、そこで
公団、公社などによく融資をしてやるといいますけれ
ども、融資をしてやるのではなくして、融資をわずかながらいたしますが、その融資もまるがかえではなくて、ほんのガールフレンドにおこるぐらいの融資でありまして、そしてあなたのほうにおろさせていただきますから、ありがとうございます。
建てさせていただきますというべきものを、
建ててやるかというような態度で、法規上一方的に上に乗っかるようになっております。
公団の総裁は達識のある方でありますから、常識豊かで、近ごろは非常に親切にしてくださっているという声が高いことは満足でありますけれ
ども、しかしそういう法規上の無理がありまして、偽わりのことが行なわれておる。すなわち金を貸しますにあたりましても、六、七割の金を貸すだけでございます。六、七割の低利資金を借りたいばかりに、げたばきアパートなどをつくりましたときは、上に九階
建てのものを背負い、そのために坪当たりコストは二万円ぐらい高くなり、権利金というお仕着せがましいことを言うて金をもらったと思うと、実際は下部分担金に当たらぬくらいの金額をもらっている、こういう事情をひとつお含みくださいまして、さっそく税務署と交渉して税務上の取り扱いに対して無理はないかということを検討願いたいと思うのでございます。