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帆足分科員 私は平素外務
委員会に所属しておりますが、
予算分科会におきましては
国民として痛感しておりますことを率直に申し上げまして、そして施政の参考にしていただくことが適切と思いましたので、きょうは特に出席させていただきました。したがいまして、
文部大臣におきましては、おざなりにお聞き捨てにならずに、もし私
どもの意見がもっともなことであるとおぼしめすならば、必要なる実行についての御協力をお願いしたいのでございます。
教育の問題は
学校の教室だけの問題でなくて、家庭、社会
環境、またこまかく申しますならば、
学校の校舎の風格から
学校の校庭の樹木の一木一草に至るまで、子供たちに大きな影響を及ぼすのでございます。そういう総合施策において伝統的に日本の教育に欠ける要素がありまして、たとえば
学校の校舎一つ、校庭一つにつきましても、外国のミッション・スクールなどに見られますような一種の清潔な雰囲気、感じやすい子供たちに対して自然の恵みを与えるような機会に乏しいこと、そのような点に十分な配慮のないこと、国土の美しさ、それから空や花や木の美しさを毎日子供たちに感じさせるような
環境の整備がないこと等を非常に残念に思っております。
きょう特に申し上げたいのは、ただいま辻原君が
指摘しました映画の問題にも関連をいたしておりますが、全く同感でありまして、映画はただいまアヘン窟のような状況になって、ついに悪循環を起こして、このままではアヘン中毒になりまして、観客はますます強い刺激を求めまして、逆に観客層が減っておる状況でございます。一昨年「五番町夕霧楼」という優秀な人道主義的な映画が上映されましたが、ほぼあれが最後でありまして、その後の映画界の状況はもう驚くべき状況で、気違いさたでございます。最近「怪談」というすぐれた映画が上映されておりますが、その間の一年半の空白というものは、アヘン窟に入ったような思いがするのでございます。しかし、映画は行こうと思わなければ行かなくて済むわけでございますけれ
ども、テレビになりますと、見ようと思わなくてもつい目に入るのでございますから、私は昨日郵政
大臣に厳重な注意を促しました。私の家庭でも子供がちょうど
大学の入学試験前後でありましたから、テレビを買うことを控えておりまして、昨年の秋、初めてテレビを買ったのでございます。おもしろくて、ついテレビにかじりついて、読書のいとまもない。一億総白痴とはよくぞ言ったものといいながら、ひまのときにはテレビをながめているという状況であります。中には非常に苦心をされたよいニュース、よい映画もございますけれ
ども、しかし相当部分というものが、ほとんど犯罪映画。一時の、いわれなくインディアンを殺す西部劇は——まあ、西部劇の中でも、りりしい開拓者精神をたたえた西部劇はまことにさわやかなものですけれ
ども、いわれなくインディアンを殺す西部劇は下火になりましたが、何といっても圧倒的なものは犯罪映画です。その犯罪映画もたとえば、ビクトル・ユーゴーが描いた「レ・ミゼラブル」、これはジャン・バルジャンの犯罪を描きましたけれ
ども、犯罪の背後にあるのは貧乏であり、社会制度の欠陥を
指摘した人道主義的な映画でありますし、「罪と罰」にいたしましても、描こうとしたのは、その背後にある人間の美しい心を描こうとしたのであって、犯罪そのものにそれほど重点を償いたものではありません。しかしいまは、犯罪そのものを愉快に思うというような悪弊が天下にみなぎっておりまして、まことに異常なことでございます。先ほど辻原君がこのことを痛烈に
指摘いたしましたが、与党の皆さんが紀元節を
考え、
国民に愛国心を植えつけようと御努力をなさり、また人間像を子供たちに示したいと御努力なさいましても、テレビや映画の状況がかくのごとく、しかもテレビに至っては、もう言語道断の状況を放置されておいて、何の人間像ぞやと言いたいところでございます。犯罪映画のウエートがあまりにも大き過ぎる。これは非常識に多いのです。しかも、大部分はアメリカの映画ですが、私はアメリカの恥部を他
国民の前にさらしているようなものではあるまいかと思っております。こいねがわくは、世界各国、すぐれた映画があるのですから、私
どもは世界の映画を知りたい。日本はアメリカとも大きな貿易をします。しかし、東南アジアとの貿易も大きいし、中国、朝鮮との貿易もまた重要です。さらに驚くべきことは、これほど距離が離れておって、ヨーロッパとの貿易も相当の比重を占めておる。すなわち、日本は世界を理解し、世界に理解されなければ生きていかれない国です。したがいまして、せっかくの映画ならば、私はインドの映画にもすぐれた映画のあることを知っておりますし、エジプトにも年に何本かはあります。ヨーロッパにもすぐれた映画はたくさんあります。選択に不自由はしないのに、なぜこのように片寄っておるのか、これも病的現象でなかろうかと思いますから、御注意をいただきたい。
映画編成の諮問
委員会のようなものが渋沢秀雄
委員長を中心としてできた話も伺いまして、郵政
大臣もこのことには心を痛めておるということを昨日も承りましたが、何と申しましても、郵政
大臣は技術
関係から観察している
大臣でありまして、これはやはり
文部大臣が重要な助言をなされ、忠言をなさることは、私は必要であり、その
責任であると思いますから、繰り返して申すわけです。
編成について欠陥があるほかに、コマーシャルですが、外国のテレビを見ましても、映画のまっ最中にインスタント・ラーメンなどといってわめくテレビは、まあ世界に類がないでしょう。先日、かの悲劇ハムレットでありましたか、オフィーリアの頭が狂おしくなる、その直前にインスタントラーメンとこられましたが、まことに辟易いたしました。人の心の流れはナイヤガラの瀑布ほどのエネルギーをもって流れておると、心理学者は言っております。その心の流れの最中に、ラーメンが出たり、お前、へそないじゃないか、というのが出たり、いいと思うよ、なんとわめかれたりしまして、これは人間に対する私は侮辱だと思うのです。こういうことを
文部大臣がほったらかしておいて、何の人間像ぞや。私は冗談を申しておるのではありません。したがって、これ以上こういうことを続けるならば、私は
文部大臣のおうちをおたずねして、応接間のラジオをたたきこわしてしまいたいような凶暴な衝動にかられる次第でございます。それほどまでにわれわれを憤らしめておるということを御承知願いたい。
各国のテレビに対する規定は、専門の事務局のほうでもお
持ちでございましょう。英国ですら、一つの劇の始まる前か終わりに広告を許しておりますが、まん中には許しておりませんでした。最近少し緩和されましたけれ
ども、それでもよほど注意して、どうしても入れねばならぬときには、適切なものを幕間に一つくらい入れてもいいということになっておると聞きましたけれ
ども、それは例外中の例外でございます。わが国の映画でも劇でも、テレビの最中に四度も五度も出てくるのです。人の思考の流れを突如として何回か中断し、何千万の
国民がそれを聞いておるときに、それが原因となって精神中断ノイローゼにならないと、どうして保証し得ましょう。ハムレットの悲劇の最中にインスタント・ラーメンというようなことを子供のときから植えつけられて、それで健全な偏理を持つ子供が育つでしょうか。冗談ももういいかげんにしてもらいたいと思います。しかも薬の広告が一番多いのです。私は、薬というものは冷静に科学の進歩の状況を
国民に訴えるものであって、それは活字で広告すべきであって、一分間か二分間で叫び、わめくべき性質のものじゃなかろうと思うのですが、
文部大臣はどうお
考えですか。もちろん薬は広告に非常に大きく依存しておる。なるほど薬九層倍と言いますから、そうでしょう。しかし薬は科学の進歩の状況を私
どもがよく理解するために、それが薬の前提
条件であり、また医師の指導を受けるのが第二の
条件であろうと思います。わが国における薬の宣伝の技術は、全く卑劣きわまるものである。しかしラジオとて、採算が合っていかねはなりませんから、それは別な方法で
考えればいいのではないでしょうか。広告は幕間にしていただきたい。映画がときどき中断して、そしてラーメンが出てきたら、映画劇場に行く人はなくなるでしょう。ラジオでがまんしておる者は、NHKには料金を払っておるけれ
ども、あとはただじゃないかというて、われわれが侮辱を受けねばならぬとするならば、これは基本的人権に対する侵害であると思います。したがいまして、
文部大臣の裁断によりまして、別にラジオをいじめるわけではありませんけれ
ども、広告は幕間に限る英国またはヨーロッパ流の規約に改めていただきたい。これをなさらないならば、あなた方の御勉強なさっておる百の人間像も、辻原君の言ったように、おなら一つにすぎないということになると思います。ましてや、これは子供たちが見るのです。きのう田原君は、少年少女のためのラジオ局を一つつくったらどうであろう——いま教育テレビでしたか何かが、最近ギャング映画にいつの間にか人がかわって変わっておる。最近水野さんがなったということを聞きましたから、改善されると思いますけれ
ども、しかし教育テレビなどがほんとうに教育のことをまじめに
考えてやるべきであろう。もちろん、それは教育テレビだけれ
ども、半々だということも聞きますが、しかし半々であっても、教育テレビは教育テレビですから、ギャング映画などにあまり重点を置くべきでなかろうと思います。放送法の規定は皆さん御承知のとおりでありまして、さっき辻原君が読まれたとおりであります。人命を軽視する言動は是認しない。暴力行為は否定的に取り扱う。その表現は最小限にとどめる。犯罪を肯定したり犯罪者を英雄化してはならない。フィクションの場合には特に魅力的な感じを与えないように注意する。この規定にことごとく違反をしている。何のテレビ会社の社長ぞや、常務ぞや。
政府は次の認可の機会にそれらの常務をやめさせる、社長をやめさせる権能があるはずです。認可を取り消す権能もあるはずです。私は突如としてそういう手荒いこととを
要求するものではありませんけれ
ども、目に余ることはやめていただきたい。これは与党、野党の問題ではなくて、党派を越えた
国民の声であろうと思います。人生さまざまでございますから、悲劇もけっこうですし、喜劇もけっこうです。健全なエロチシズムも悪くはありません。しかし度を過ぎたことは、これはよくないと思うのです。ましてや、テレビにおきましては人が選択する余地なく、聴覚に入り視覚に入ってくるものですから、これは株式会社であろうとも公共の事業であるという認識をもっと徹底さしていただきたい。したがいまして
大臣の御在任中に、もう演劇の最中の、映画の最中の広告はやめていただきたい。そして広告は幕間にする、これだけでもひとつきめていただきたいと思います。
広告ということは大切なことでありまして、新しい商品の生産、よき科学技術の進歩、それを知らせる手段でございますから、ほんとうは愉快なものであります。化粧品の広告などに、実に美しい広告だと思って私感心した広告も幾つかあります。家内に聞いてみましたら、あれはとても高いのよと言われてちょっと辟易いたしましたけれ
ども、高くとも美しい広告は美しい広告だと思って私はよい感じで見ました。広告というものはそういうものであるべきで、最近スカラ座などで幕間にやっております広告は、広告というより芸術品を見ているような思いがして、まことに楽しいもので、広告によって商品に関する知識を啓蒙していただくならば、それはいいことだと思います。したがいまして、広告の方法に間違いがあるわけであります。第一、ああいうやり方では売れないと思うのですがね。あれで買うでしょうか。私は、反感を持って、多くの人たちはこんないやらしい会社の商品は買うまいと思うのですが、たぶん広告係が錯覚を起こしているのではないかと思います。最も遺憾なのは、三菱商事のような堂々たる会社が、宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」というあの歌をもじりましてばかげたことを言っております。あの歌は、子供たちのたくさんの
教科書に出ている詩で、日本の詩の歴史に残る絶唱の一つです。それをああいう形でコマーシャルに使うのは、詩人に対する侮辱でありまして、三菱商事は相当の資力がありますから、宮沢賢治作品刊行会から侮辱罪として訴えられて、そして損害賠償を請求されたならば、一体どういうことになるでしょうか。さっそく三菱商事広告部長さんは首、と言えば気の毒ですから、これは人道的問題ですから、謹慎を命じ、反省を命ずべきであって、社長、重役といえどその
責任を痛感して、今期のボーナスは半額に減らすことが必要であろうと思います。このようなことを
国会で言われるような広告のしかたをひとつ反省していただきたい。
長くは論じませんが、とにもかくには
大臣御在任中に、開幕最中の広告はやめていただきたい、それを続けておやりになるならば、私は軽犯罪法に問われようともがまんできませんから、郵政
大臣と
文部大臣の応接間にすわりこんで、そして談判いたさねばならぬ、こう思っている次第です。まずひとつこれについて御
答弁をお願いします。