○坂本
公述人 私は、大学で国際政治という講座を担当して勉強しておる者でございますので、
予算の具体的な費目について外交との
関係で御
意見を申し上げるような資格を持っている者ではございません。したがって、私は、ただ
日本の外交問題についての
基本的な
考え方に関連しまして私自身の
意見を申し述べさしていただきまして、もしそれが何らかの御参考になればたいへん幸いだと思って参りました次第でございます。
今日
日本の外交が当面して
おります最も重要でまた切実な問題として、中国問題、朝鮮問題、これは日韓交渉を含むわけでございますが、それからベトナムの問題、この三つがあるということについては、おそらくどなたも御異論がないことだと思います。この三つの問題には一つの共通の特徴が見られます。
それは、第二次大戦後、いわゆる冷たい戦争が激化をいたしますとともにつくられてきましたところの東西両陣営というものを仕切る最前線が一つの民族を分断しているという点で、中国も朝鮮もベトナムも共通の問題をかかえているという事実だと思います。こういうふうに冷戦によって民族が分裂させられているという事実は、次のような二重の意味でアジアの平和にとってきわめて重大な脅威の源になっていると思います。
第一は、申すまでもなく、分裂した民族の再統一というものが完成するまでは、それぞれの民族の内部で緊張が持続をします。そして、それが直ちに東西問の対立とか衝突へと国際化されるという、そういう危険があるということであります。朝鮮戦争がその最も代表的な例であることは申すまでもありません。
第二に、それぞれの分割された民族が、ほかの分割された民族の内部で起こった紛争とか緊張に非常に敏感な反応を示し、その意味でも紛争や緊張が容易に国際化される、そういう危険があるという点であります。たとえば、去る一月八日韓国政府が南べトナムに二千人の軍隊を派遣すると決定をいたしましたのはその一つの例であります。台湾の国府も同様な派兵を考慮しているというような報道もございましたし、また、最近では北朝鮮が北ベトナムへ派兵する
可能性があるというようなことも伝えられて
おります。こういうように、ある分割された民族の内部で燃え上がった火が他の分割された民族に飛ぶ火する危険というものが今日非常に高まりつつあるということは、見のがすことができない点ではないかと思います。
こういった分割された民族の問題を解決することなしには、アジアの平和と
日本の安全とは絶対に達成することができないと思います。そして、こういったアジアでのきびしい国際緊張の
中心にあるものは、申すまでもなく中国問題であります。そしてまた、アメリカと中国との間のするどい対決であります。したがって、私は、以下にまずわが国にとっての中国の問題を主として
中心に取り上げまして、それとの関連において朝鮮とベトナムの問題について若干考えを述べさせていただきたいと思います。
中国問題あるいは日中問題と呼ばれる問題の焦点は、申すまでもなく、台湾の国府が中国全体を代表するという、そういう想定、仮定が、はたして妥当であるかどうかという点にしぼられるわけであります。
日本にとってもこの問題は講和条約締結のときから一貫して懸案となってきたのでありますが、最近に至り国連総会で北京政府の代表権を支持する票がふえてまいりましたために、わが国としてもこの一両年のうちにこの問題についての
態度を最終的に明確にする必要に迫られていると思われます。しかし、
日本にとって中国問題がまず国連での代表権問題という形で迫っているということには、私は、次のような二つの問題点が含まれているのではないかというふうに
懸念いたします。
第一は、つまり、この場合一体
日本自身がどういう
態度を選ぶのかという、そういう姿勢ではなくて、ほかの国々の決定がなされた場合に
日本は一体どういうふうに反応するのかという、そういう意味で、いわば受け身の、受動的で自主性に乏しい、そういう姿勢が
日本の外交の中に見られるように
懸念されるという点であります。
それから、第二の問題点は、特に一九六一年以来、
日本が重要事項指定方式の提案国となってまいりまして以来、代表権の交代については三分の二の多数決が必要であるとか、あるいは前の国連総会の重要事項指定についての決議の拘束力を解除するためには、次の総会では三分の二以上の多数決が必要であるとか、そういった議論というものが非常に多くなってまいりました。本来高度に政治的な問題であるはずの中国問題が、とかく小手先の国連の規約いじりとか、あるいは末梢的な条文
解釈の問題といった、いわば次元の低い問題に置きかえられるような傾向があらわれているというのが第二の問題点であります。
したがって、こういった弊害におちいることなく、中国問題のいわば本質に立ち返って、そして
日本としての自主的な判断を下すことがぜひこの際必要であると思われるのでありますが、そのための一つの手がかりといたしまして、私は、今日いわゆる中国問題といわれている問題がはっきりした形で発生いたしました一九五〇年当時に起こりました次の二つの事件の持つ意味をここに再確認しておくことが重要ではないかと考えるのでございます。
第一は、中華人民共和国が一九四九年十月に成立いたしまして三カ月の後、一九五〇年一月の五日にアメリカのトルーマン大統領は、台湾は中国の一部であるということ、そしてまた、その場合台湾が帰属する先の中国というのは、中華民国——あるいは国府でもよろしいわけでございますが、中華民国であるかあるいは北京政府によって代表される中華人民共和国であるかということの決定は、これは中国の内政問題であって、アメリカはそれに干渉しないということを明らかにいたしたという事実であります。さらに、当時のアメリカのアチソン国務長官は、同じ日にこの大統領の言明を補足いたしまして、次のように述べたのであります。つまり、台湾が中国に帰属するということは、対日講和条約が結ばれているかどうかということには
関係なく、実際上もう疑いの余地のない問題である、また、台湾が中国本上を支配する政権のもとに編入されるというのは、これは当然のことであって、本土に共産主義の政権ができたからといって、それを理由に台湾を分離するための外国介入というものを正当化することはできない、そういう趣旨の発言を行なりたのであります。私は、これはきわめて正当な議論であったと思います。アメリカは、当時すでに北京政府とはかなりきびしい対立
関係にございましたけれども、そのアメリカでさえも以上の点を承認していたということであります。ところが、その後、この
解釈は、朝鮮戦争の勃発、進行とともに変更されたことは、御存じのと
おりであります。それでは、その変更ははたして正当な理由に基づくものであったか。もしその変更が正当な理由によるものでないのであれば、ただいま申しましたところの一月五日に発表されましたアメリカ政府の見解は、今日も十分その意義を持っていると考えなくてはならないと思うわけであります。
そこで、第二に、朝鮮戦争が問題になるわけでございますが、この戦争の過程で、一九五一年の二月に北京政府は国際連合によって侵略者とみなされ、自来アメリカは、北京政府は国連憲章を守る意思がないという、そういう理由でその国連代表権の獲得に反対をいたしました。また、北京政府の侵略を阻止するという観点から、台湾の本土からの分離を積極的に行なうことになったわけでございます。朝鮮戦争につきましては、今日も歴史的に見まして非常に不明な点が多いので、私としても断言的なことを申し上げる立場にございませんけれども、そういった制約のうちでこの戦争のたどった経路というものを少し詳しく見てみますと、これが次のような経過をたどっていることが明らかになると思います。
まず、この戦争は北朝鮮とソ連との連絡のもとに開始されたというのが西側の多数説でございますが、同じような
関係が初めから北朝鮮と中国との間にあったという
解釈は、これはきわめてまれでございます。これは、西側の学者、歴史家の中にもそういう
解釈は非常にまれであります。つまり、中国は初めから朝鮮戦争の勃発について
関係を持っていなかったという
解釈が圧倒的に多数でございます。中国が戦争に介入をいたしましたのは、韓国軍や国連軍が三十八度線を越えて、いわゆる北進をいたしましてから、少なくとも約十日前後あとであります。また、実際に国連軍と中国のいわゆる義勇軍とが戦いを交えましたのは、この三十八度線を越えました十月七日から一カ月以上もたってからであったのでございます。この三十八度線を越えるということを認めました国連の決定がはたして正当であったかどうかということについては、二つの重要な疑点があると思います。第一に、北朝鮮の侵入を排除するというだけにとどまらず、北朝鮮へ侵入するということがはたして国連の行動として妥当であったかどうかということは、これはかなり疑わしい点であります。第二に、かりに三十八度線の上で完全に停止するということが軍事戦闘技術的にも困難であるといたしましても、北朝鮮への侵入を必要最小限度に食いとめるならばともかくといたしまして、当時すでに国連の統制を逸脱する傾向を示して
おりましたマッカーサー元帥に対して無限定に北進を許したということは、これは、国連の決定としてはなはだ妥当性を欠くのではないかという点でございます。国連軍が三十八度線を越える直前の十月四日、米ソ問の妥協を試みたインドの提案が国連総会に提出をされまして、これは結局反対三十二、賛成二十四、棄権三という割合で否決をされたのでございますけれども、しかし、当時の国連は加盟国五十九でございました。その中にこのインド案に賛成する票が二十四あったということは、当時アメリカの影響力が圧倒的であった国連としては、きわめて異例の多数であったわけでございまして、このことは、この当時国連自身が、この北進、つまり三十八度線を越えることについてかなりちゅうちょしていたということを示す一例であろうかと思います。もしこのときに国連軍が三十八度線を越えていなかったならば、中国の義勇軍の介入というものも起こらなかったでありましょうし、したがってまた、中国が後に侵略者と宣告されるというようなことも起こらなかったと考えられます。そうしてまた、その後の中国と国連との対立、あるいは中国と米国との対立も、現在ありますよりは、はるかに
緩和されたものとなることができたのではないかと考えられます。その意味で、今日中国が持って
おりますところの非常に根深い国連不信の根というものの生まれました第一次的な責任は、これは国連と米国とがある
程度負わなければならないという面があると思われますし、したがってまた、国連が一方的に中国を侵略者と宣告することがはたしてどこまで妥当であったかということも、今日再検討の余地があろうかと思われます。さらに、もし中国の侵略と呼ばれるものがこういうような経過で発生いたしましたのだといたしますと、その侵略を理由にいたしまして、アメリカ政府が、台湾の地位について一九五〇年一月当時先ほど申しましたような見解を述べて
おりましたのを、その後変更いたしましたことも、はたして十分に正当な根拠があったとは言いにくいということにもなろうかと思います。
以上のような歴史的な経緯を背景に置いて考えました場合、
日本の中国
政策がどうあるべきかについて、私は次のような結論を導き出すことができるように考える次第であります。
第一は、中国は一つであり、台湾は本土と一体であり、大陸を支配する北京政府が中国の正統政府であるという原則に立脚してわが国が北京政府承認の方向に進むことを、正確に北京政府に伝達することが必要ではないかと思います。ここで私が原則とか方向ということを申しましたのですが、それは、次のような二重の意味においてであります。つまり、一方では、一つの中国と二つの中国との間にはこれは絶対に妥協があり得ないという意味で、原則にあいまいさがあってはならないということであります。と同時に、その原則を実現する方向に進む方法につきましては、これはかなり弾力的であってもよいということが、同時にそこに含まれているわけであります。したがって、ある日一挙に全面国交回復を北京政府との間に実現するというような必要は必ずしもなく、たとえば、アメリカ並みの大使会談を行なうこと、あるいは西欧の諸国並みの政府間の通商その他の協定を結ぶことなどから始めまして、最終的な法的な政府承認に至るまで非常にさまざまの段階があり得ることは、これはあらためて申し上げるまでもないことと存じます。また、ここでは、必ずしもこのテンポが、スピードが早いということが必要なのではなくて、決して途中で逆行するというようなことをしないという意味で
日本の外交の方向が確立しているということが大事であろうかと思われます。政経分離という方式で貿易面だけでの利益をあげるのにとどめようとすることは、そのこと自体が貿易そのものを絶えず不安定化させてきたということは御
承知のと
おりであります。
第二は、北京政府による国連代表権獲得を支持するということであります。したがって、重要事項方式の提案国になるというようなことは、これは絶対に避けるべきであろうかと存じます。そもそも、中国を国連から除外することによって不利益を受けるのは、中国よりも国連自身でございます。その上、前に申しましたように、国連には中国を侵略者として排除するに足る十分な正当な根拠がどこまであるのかという点については、疑わしい点もございます。そうだといたしますと、まさに国連そのものの機能と正当性とを回復するために、北京政府の代表権を認めなければならないわけでありまして、それこそが真の国連
中心主義にほかならないと私は考える次第でございます。
第三は、台湾との
関係でございます。国府が一つの中国の立場をとります以上、
日本による北京政府の承認が国府の承認と両立しないのは事然でございます。したがって、
日本が北京政府承認の方向に進むある段階で国府が外交
関係を断絶いたしましても、それはやむを得ないと考える次第であります。また、かりに国府が二つの中国の立場に変わりまして、断交を控えるというような場合でありましても、
日本としては積極的に外交
関係の維持をはかるべきではないのではないかと存じます。それは、北京政府との国交回復に好ましくない影響を与える
可能性があるからでございます。しかし、そのことは、もし台湾が望む場合にも貿易の継続を拒むべきだということではもちろんございません。台湾の住民も中国の人民であります。台湾の民衆と
日本国民との相互の利益のために
民間レベルでの貿易を続けることは、これは台湾が望むならば何らちゅうちょする必要はないと思います。その意味では、政経分離という方式はむしろ台湾との間に適用されてしかるべきものではなかろうかと考えて
おります。
次に、国連におきましては、国府が代表権を失って国連を去るという方向に進めていく以外には解決がないと私は考えます。これまでのわが国と国府との
関係からいたしまして、この方向に
日本が積極的に進めていくということは、これはかなり困難であろうかと存じますけれども、少なくとも、そういった方向への動きを阻止するということは、
日本としてやはり控えるべきことであろうかと存じます。
一つの論理的な
可能性といたしましては、国府が安全保障
理事会でいわゆる二重拒否権を行使いたしまして、北京政府はかりに総会に議席を得ても、安全保障
理事会には国府が残るということも考えられることでありますけれども、しかし、国府が中国を代表するという想定の非現実性が問題になっている場合に、国府がこういった
状態にとどまることは、実際政治上私は非常に不可能になっていくだろうと思います。
第二の
可能性は、国府が一つの中国の立場に立って最終的にみずから国連を去っていく場合であります。この場合には、問題はもちろん著しく単純になるわけであります。
第三の
可能性は、国府が二つの中国を受け入れて国連総会に議席を保持する道を選ぶ場合でございます。しかし、これを北京政府の国連
出席以前に行なえば、北京政府は国連への
出席を拒否することは明らかであります。したがって、この方式は問題の解決には役立たないわけであります。
それに、たとえばソ連などが拒否権を行使いたしました場合には、台湾の国連への
新規加盟がそもそも実現し得ないということになります。また、北京政府への代表権交代が済んだあとで台湾の
新規加盟を行なうことがもちろん不可能であることは申すまでもありません。したがって、いずれにしましても、二つの中国という方式が国連代表権問題に何か新しい解決策となり得ると期待することは、私はできないと考えます。
しかし、このように、国府が
日本との国交
関係を失い、また国連の議席を失ったといたしましても、事実として台湾に政権が、国府の政権としてであれ、いわゆる台湾共和国の政権としてであれ、存続するということは、おそらく当分変わらないことでありましょうし、また、アメリカがこの政権に支持と援助を与えることも当分変わらないと思います。ある意味では、実はそれからが本格的に台湾問題が始まると言ってもいいと思います。つまり、そこにあらわれてまいりますのは、もはや国連の末梢的な規約いじりというようなものによってではなくて、アジアにおけるアメリカと中国との
関係を平和共存の方向に根本的に変えていくということによってのみ解決し得るといった性質の問題であります。換言すれば、それはアメリカが台湾から手を引いても
基本的な不利益はないというふうに判断をするような状況が実現されたとき初めてこの問題は解決する、そういった性質の問題であろうと存じます。台湾問題を最終的に解決するには米中の平和共存の確立と
強化以外にないということは、いわゆる台湾独立という
考え方、つまり、これまで私が述べてまいりましたのとは全く別個な
考え方の立場の場合でありましても、やはり結論としては同じようなところに到達せざるを得ないという一事からも裏づけられると思います。と申しますのは、この台湾独立運動は、さしあたり国府への反発が非常に強く、ひたすら外省人、つまり中国本土から来た人々からの台湾人の独立を主張して
おりますけれども、しかし、少し長期的にまた現実的に考えるところの独立論者でありますならば、中国本土との平和共存がなくして台湾の独立というようなものはあり得ないということを認めざるを得ないと思われます。なぜならば、本土との緊張が続く限り、台湾は軍事的、
経済的にアメリカに大幅に依存せざるを得ないわけでありますし、それは、まさに独立という
目標に反するという結果にならざるを得ないからであります。したがって、その意味では、平和なくして独立は達成できないと思われます。しかし、同時に、もし本土との
関係がそれほどまでに平和になっていくときには、あくまで独立に固執するということにあまり意味がなくなってくるということも考えられます。ことに、北京政府は、現在のように台湾が分離されている間は、台湾の自治を約束するということは控えて
おりますけれども、もし台湾が外国の影響から脱却してくる場合には、台湾に対して高度の自治を承認するという公算がきわめて大きいと考えられます。その場合には一そう独立と自治との区別というものは薄らいでいくということになるかと思われます。それがまさに台湾問題の根本的な解決にほかならないのではないかと考える次第でございます。
アジアにおける米中間の平和共存を確立するのは、きわめて長期にわたる努力を必要とすると思われます。さらに、台湾問題を真に解決するためには、直接に台湾問題についてアメリカ、中国の間の折衝を促進するということだけではなくて、それと並行して、台湾問題以外のアジアにおける問題を一つ一つ解きほぐしていくことが不可欠であろうかと思います。たとえば、
日本と中国との間に近い将来に不可侵条約を締結するというようなことは、これは、アジアの冷戦を
緩和する一つの礎石を据えることに役立つであろうと考えられます。また、朝鮮問題、ベトナム問題を解決の方向に進めていくということも、この点から見ても非常に必要なことであると思われます。
そこで、朝鮮問題とベトナムにつきまして簡単に私見をつけ加えさせていただきたいと思います。
今日の朝鮮問題の多くが、その根本において、朝鮮のきわめて不自然な南北分割に由来するということは申すまでもありません。すなわち、南北朝鮮の統一は、第一に、朝鮮民族の政治的な安定と
経済的な自立との達成のために、これは不可欠の
条件であります。第二に、したがって、朝鮮における国際緊張
緩和のためにも必須の
条件であります。したがって、また第三に、
日本の真の安全にとっても欠くことのできない
条件であると思います。
朝鮮における民族統一運動は、戦後間もなく超党派的に展開をされましたけれども、李承晩政権のもとできびしく抑圧されて、一時は表面から姿を消して
おりました。しかし、一九六〇年に李政権が倒れました後の韓国での選挙では、各政党が一斉に平和統一の構想を打ち出しましたし、また、北朝鮮からも南北連邦制の提案が行なわれ、統一への関心と運動とが著しく高揚したのでございます。その一つの頂点が一九六一年春の学生による南北統一運動であったことは御存じのと
おりでございます。その五月に成立をいたしました現在の政権は、統一運動をきびしく弾圧いたしましたけれども、しかし、最近に至りましては、朴政権自体が統一問題を政府として取り上げざるを得なくなっていることは、これも周知のと
おりでございます。こうした一連の動きは、民族統一への精神的な欲求と
経済的な必要とがいかに根強いものであるかということを端的に示していると思います。それは、沖繩住民の
日本本土復帰への強い願望にも通ずるものであろうかと存じます。
こういった状況のもとで、
日本が朝鮮に対してとるべき
政策は、朝鮮統一に寄与するものでなければならないわけであります。少なくとも統一を阻害するものであってはならないと思われます。このような観点からわが国がなすべきことの第一は、南北朝鮮の間に現在存在している軍事的な緊張を
緩和するための国際的な
条件をつくり出していくことにあると思います。こうした朝鮮における緊張
緩和のためには、南北朝鮮自身が、たとえば相互間の
経済的な交流とか文化的な交流を増大していくこと、あるいは南北間に不可侵協定を締結するというようなことなどが有効な方策であろうかと存じますが、それと並行しまして、南北朝鮮の軍備の
削減ということが不可欠である。そのためには何らかの国際的な保障が必要であると思います。本来ならば、こういった任務は国際連合が負うべき性質のものでありますが、御存じのと
おり、朝鮮におきましては、国連は朝鮮戦争以来紛争の一方の当事者になって
おりますために、現状のままではそういった役割りを演ずることはできない
状態にあります。しかし、もし北京政府が国連に代表権を持つことになりましたならば、北朝鮮も国連の権威と正当性とを認めるようになることは明らかであります。それによって朝鮮問題に対して国連が果たし得る機能が著しく
改善されることも、十分予想されるところであります。その意味からも、中国の国連代表権問題はすみやかに解決されなければならないのであります。そういった
条件のもとで、国連の監視のもとに現在韓国に駐留して
おります国連軍という名の米軍が撤退をいたしまして、それにかえて、中立的な国々からなるところの国連警察軍により暫定的に三十八度線のパトロールを行なうという体制がつくられましたならば、南北朝鮮の軍備の
削減は著しく容易になると思われます。特に、韓国におきましては、約六十万の軍を維持しているということが、
経済の安定と
成長にとって大きな障害になっておることを思いますと、こういった軍備の
削減を可能にするということは、実質的には南北朝鮮に対し多額の
経済協力を行なうにもひとしい意味を持ち得るのであろうと思われます。韓国に対する
経済援助は、いわゆる六億ドルの資本供与という形をとらなければ行なえないというような性質のものではないということを、ここに注意することが必要ではなかろうかと思います。今日、
日本が朝鮮国民に対して何にも優先して行なわなければならないのは、朝鮮の統一と緊張
緩和とのために、朝鮮の軍備
削減が可能となるような国際的諸
条件を整えることに寄与することでございまして、南北の分裂を固定化するような方向が日韓交渉を妥結させることではないと存じます。もちろん、たとえば漁業問題は、両国の漁民の
生活にかかわる最も差し迫った問題でございまして、これについて交渉を行なうことはぜひ必要であります。しかし、これは本来全面的な国交正常化の問題とは別個に話し合いが可能な性質のものでありますし、現に、
日本政府自身、そういった立場をとった場合も過去にあったわけでございます。また、
日本は、もちろん韓国との国交そのものを拒むという必要はないと思いますが、もしそれを行なうならば、同時に、北朝鮮との人的、物的な交流が
拡大されるということがぜひ必要であろうかと思います。また、韓国に対して一切の
経済援助を拒むということも私は必要ないと思いますけれども、しかし、それを行なうならば、同時に、少なくとも北朝鮮との貿易の
拡大への努力が行なわれなければならないのではないかと思います。北朝鮮に向けてのこういった
政策をとらないままで日韓交渉が進められますならば、それは朝鮮の統一を妨げ、したがって南北朝鮮の政治的、
経済的自立を阻害し、朝鮮民族の不幸を持続させるばかりではなく、朝鮮での軍事的緊張を存続させることによって、
日本自身の安全にとっても好ましくない結果を招く危険があると存じます。今日
日本の安全に対する危険の一つが朝鮮の軍事的緊張にあるということは、先般国会で問題となりました三矢作戦
計画の例からも明らかでございまして、何か非常事態が起こってからの
対策を講ずるということよりも、朝鮮からそのような危険も除去することのほうがはるかに重要であるということは、申すまでもないところだと存じます。
最後に、南ベトナム問題について一言だけつけ加えさせていただきますならば、南ベトナムの今日の事態を招いた最大の原因の一つは、アメリカがこの地でもっぱら軍事的な観点から反共
政策を打ち出したということにあると思います。一九五四年七月のインドシナの停戦・平和の諸
条件を取りきめましたジュネーヴ会議最終宣言への調印を拒否いたしましたダレス国務長官が、その直後の九月に、いわゆるSEATOと呼ばれます東南アジア条約機構、軍事同盟をつくり上げたということは、こういった軍事的な反共
政策を端的に示す例でございまして、こういうふうに軍事的な観点が優先をいたしました結果、第二に、アメリカは南ベトナムでの農地解放を徹底させることを怠り、それが、今日見られますように、農民の支持を決定的に失なうということになってしまったわけであります。こうした
政策の結果、今日続いて
おりますどろ沼のような戦争は、現地の住民にとりまことに大きな不幸であるばかりではなくて、米中
関係及び米ソ
関係をも悪化させる危険を持って
おりますし、ひいては
日本の安全に対する脅威ともなり得るものでございます。したがって、一日も早く停戦を実現するために、わが国には、フランスあるいは他のAA諸国とともに一九五四年のジュネーヴ会議にならった政治折衝の場をつくる責任と余地とがあると思われます。確かに今日の
日本は、強大な軍事力を背景にして外交を展開する立場にはございません。しかし、現代では、他面におきまして、まさに核兵器を持った強大な国が実は相互に手づまり
状態におちいって
おります。そこに中小国家が外交のイニシアティブをとることができる余地があるわけでございます。ベトナムに見られますような大国の手づまりを建設的に解いていくということが、アジアにおけるかけ橋としての
日本の任務であり、そのために
日本のなし得ることは決して少なくないのではないかと考える次第でございます。(拍手)