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1965-04-28 第48回国会 衆議院 法務委員会 第25号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十年四月二十八日(水曜日)    午後一時十八分開議  出席委員    委員長 加藤 精三君    理事 上村千一郎君 理事 大竹 太郎君    理事 横山 利秋君       唐澤 俊樹君    木村武千代君       四宮 久吉君    濱野 清吾君       山手 滿男君    井岡 大治君       久保 三郎君    長谷川正三君       畑   和君    肥田 次郎君       竹谷源太郎君    志賀 義雄君  出席政府委員         警  視  監         (警察庁交通局         長事務代理)  鈴木 光一君         法務政務次官  大坪 保雄君         検     事         (刑事局長)  津田  實君  委員外出席者         警  視  長         (警察庁交通局         交通企画課長) 宮崎 清文君         検     事         (刑事局刑事課         長)      伊藤 榮樹君         専  門  員 高橋 勝好君     ————————————— 四月二十八日  委員赤松勇君、井伊誠一君、神近市子君、山本  幸一君及び西村榮一辞任につき、その補欠と  して久保三郎君、畑和君、肥田次郎君、井岡大  治君及び竹谷源太郎君が議長指名委員に選  任された。 同日  委員井岡大治君、久保三郎君、畑和君、肥田次  郎君及び竹谷源太郎辞任につき、その補欠と  して山本幸一君、赤松勇君、井伊誠一君、神近  市子君及び西村榮一君が議長指名委員に選  任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  刑法の一部を改正する法律案内閣提出第一〇  二号)      ————◇—————
  2. 加藤精三

    加藤委員長 これより会議を開きます。  刑法の一部を改正する法律案を議題に供します。  質疑の通告がありますので、これを許します。井岡大治君。
  3. 井岡大治

    井岡委員 今回のこの刑法改正の中で、主たる目的は、最近の自動車業務上の過失傷害致死が非常に多い。したがって、これら等の事態にかんがみて改正するのだ、こういうことでございますが、それ以外に何かございませんか。
  4. 津田實

    津田政府委員 主としてただいまお尋ねのような趣旨でございます。交通事故防止ということは国民の悲願にもなっておるわけでございまして、かような改正法律で直ちに交通事犯防止の特効薬になるとは私ども考えておりませんけれども、しかしながら、交通対策として政府のやっております、またやり始めております多くの施策の一環としてやはりこれは意味があり、相当犯罪予防に効果をあげ得るものと期待しているわけであります。
  5. 井岡大治

    井岡委員 最近の自動車交通事故が多いのは、単に刑法上の問題だけで解決することは非常にむずかしいと思うのです。特に日本道路の状態というものは自動車がなかったときを基準にしてやられておる。したがって、現在の許容量というものはすでにオーバーをしているわけです一これらの問題を考えないで、単にこれだけを罰を重くすればそれで交通事故がなくなるのだという考え方は私は間違いだと思うのです。現在の日本道路幅員等から考えれば、一日の許容量は三万二千台くらいが実際でなければならないのに、たとえば東京数寄屋橋の場合、十五万台から十六万台走っているわけですね。これらに対して考え方を改めないで、いわゆる刑法の一部を改正して、これでやるんだということに私は間違いがあると思う。この点どういうようにお考えですか。
  6. 津田實

    津田政府委員 すでに委員会にお配りいたしております交通事故防止のための政府の実施した、あるいは実施している施策の要綱というものがございますが、それによりますと、まず第一に掲げられておりますものは道路及び交通環境整備ということでございます。それから第二は交通安全教育、第三は交通秩序の維持、それから第四は交通事故被害者の救済、第五は交通安全国民会議というようなことになっております。大わけいたしますとかような施策で、もちろん道路及び交通環境整備ということが第一に掲げられております。ただいま御質問のとおり、たとえば東京におきましても、道路環境というものはオリンピックを契機にいたしまして非常に改善はされておりますけれども、まだまだ自動車の非常に少なかった時代の道路がそのまま維持されているようなところがあちらこちらにあるということは御承知のとおりでございますし、そのことはただいま仰せのとおりであると思います。したがいまして、これは法務省のことではありませんけれども、一般的に考えますと、それではその道路に見合うだけの交通量自動車制限すればいいじゃないかという考え方も一つあり得るわけであります。確かにそこに一種の跛行的現象があるといえるわけでございます。しかしながら、それじゃ今日の経済に見合うということを無視して自動車制限することができるかというと、これまたできない問題があります。そういうような全般的にわたって跛行的な現象があるということは否定できないところだと思います。したがいまして、道路交通に従事する人々としてはどうすべきかということになるわけでございます。そういたしますと、やはり何と申しましても安全教育と申しますか、交通法規を順守するという形でやってもらわなければとてもいけない。たとえば簡単な例は、狭い道路ではスピードを下げるとかいうふうに交通規制がなされておりますが、それを順守してもらうという以外にはないということであります。そういたしますと、今日の交通事故によります業務過失あるいは重過失傷害致死というものが起こっております原因を探求いたしますと、ほとんどその前提には交通法規違反というものがあるわけでございます。そういうことになりますと、交通事故業務過失あるいは重過失致死傷を引き起こした人は、その原因には交通法規を守っていないことがある、こういうことを言わざるを得ない。そうなってまいりますと、事故を起こした人にはそれだけの秩序違反責任がある。同時に、やはりそれに加えて、そこに過失、つまり注意義務の懈怠があった、こういうことになるわけであります。そういう面におきましては、どうしてもさような人の社会的責任道義的責任を問わざるを得ない。これは一般社会がそういう人に対する社会的非難を加えておることから見ても当然であるということになってまいりますので、道路環境その他の整備されていないという現状考えましても、なおかつ過失犯を引き起こした人にはそれだけの責任がやはり残っておると言わざるを得ませんので、これについての罰ということはやむを得ないことというふうに考えております。
  7. 井岡大治

    井岡委員 私は、犯罪行為としての問題を追及するのでなくて、環境ということにもっともっと重点を置かなければいけないと思うのです。たとえば歩車道区分がされてない、あるいはその歩車道区分をされてないところに自動車を自由に走らせている、こういうところにやはり問題があると思うのです。ですから、歩車道区分のないところは自動車を通さないのだ、こういう措置を講じてなお後に犯罪を起こす、あるいは過失を起こす、こういう場合はこうするのだということにしないと、法規を守らないために事故が起こったのだ、だからこれをやるのだ、こういうことは結局問題を先行し過ぎるのではないか、先に行き過ぎるのではないか、こう思うのです。この点についてどういうようにお考えになっておるのか。
  8. 大坪保雄

    大坪政府委員 法務省考え方を一応私からお答え申し上げます。  井岡先生お話しになる御趣旨はまことにそのとおりだと思います。ただ、交通環境整備ということになると、これはなかなか一朝一夕にしてでき上がるわけのものではございません。しかしながら急がねばならぬ。急いでその整備をすることはいたさねばなりませんけれども、申すまでもなく、今日の自動車発達のぐあいは自然発生的なものがございまして、国の工業技術の発展、産業の発達、文化の発達、そういうことに伴っての自然発生的な自動車の増強、これは世界的な事実でございます。これはちょうど人間が成長するようなものであろうと思います。したがいまして、これを無理に抑制することは国民気持ちに反する、感情に反するわけでございます。これを何とか大きく支障を来たさないようにして成長せしめていくということでなければならないと私ども考えるわけでございます。したがいまして、これを支障を少なくしていくための交通環境整備とかいうことはもちろん整えなければならぬが、同時に、その支障を少なくする、最小限度にすることのために、関係者教育ということがまた必要である。しかし、このこともまた一朝一夕にしてはならない、相当の時間をかさなければならぬ問題だと思うわけでございます。しからば、それらがすべて整備されて、しかる後に交通関係者、特に普通より重い、普通より速度の高いものを動かしておる者に、それらの整備を待って後に規制をする、抑制を期待するということでいいかということになりますと、御承知のように今日交通事故の激増いたしております現実、しかも事故の性質を見ますると、相当悪質化いたしております現実、これを放置すればさらにこれが増加するであろうという見込み等がございますから、これは何といたしましても交通事故を少なくするためには、そういう各般の環境整備なり教育強化徹底ということと相まって、やはりこれも教育の一部ではございますが、自動車運転する、非常に重量の大なる、速度の高きものを運転するような者に抑制心を持たすということはどうしてもいたさなければならぬ。これはやはり少しでも先行してあるべきものである、私どもはこういう考えであるわけでございます。特に自動車運転者の悪質なるものに対しては、先刻津田刑事局長も申しますように、国民的感情国民のこれに対する制裁の期待というようなものもございまするし、特に無謀運転等によって大けがをしたとか、あるいは命を落としたとかいう人たち、そういう被害者気持ち、あるいはその被害者の遺族の悲しみというようなものもやはり考えていかなければならぬ。それは環境整備された後でいいんだ、教育をまずやって、しかる後でいいんだというようには言いにくいのではないかというふうに考えまして、それぞれの対策措置を講じなければならぬが、できるものからやはり整備をしていく。今回私ども刑法改正を企図いたしました大きなねらいは、そういう警戒心を持たせ、予防策を強く発すればそれでいいんだという考え方ではないのでございまして、社会的制裁を重くするぞ、また、そのことに対しては重くなるということに対する自覚を持たなければならぬということを国民の皆さんにお示ししよう、こういうことであるのでございますから、そこはひとつ御了承いただきたいと存じます。
  9. 加藤精三

    加藤委員長 ちょっと委員長から申しますが、ただいま井岡大治君の質疑の中にありました、道路等で、歩車道区分がないような道路には自動車を通さぬほうが事故がなくなっていいじゃないかという御議論ですね。その御議論について鈴木交通局長代理から意見を述べてようございますか。
  10. 鈴木光一

    鈴木(光)政府委員 歩車道区別のない道路わが国現状といたしましてたくさんございます。こういう道路につきまして、具体的な道路の実情に応じた規制をしていかなければならぬと思いますが、現状といたしましては、歩車道区別のない道路で、対向交通ができないというようなところにつきましては一方通行、それからスピード規制するという方向で、まれに禁止しているという場合もございます。それは代替の道路との勘案におきまして禁止するという場合もございまして、歩車道区別のない道路につきましては規制措置を漸次講じている次第でございます。
  11. 井岡大治

    井岡委員 いまの次官のお話ですが、それでは人殺しをしたら場合によっては死刑にするぞ、あるいは強盗をやれば懲役を科すぞ、こういって幾らやってみても、毎日の三面記事はそんなものばかり載っているわけです。ですから私は、むちゃな運転をする者に対してどうしろ、こう言うのではないけれども、あなた方のお考えのように、これを警告をすれば減るのだ、こういう考え方は私は間違っていると思う。やはり環境をよくするということに重点を置いて、そしてその中であやまちをおかす、こういう者に対しては警告をする、こういうことでないといかぬ。あなたのいまのお話では、もしそういうようなことで犯罪が減っていくのだというような考え方に立つなら、最近のああいう悪質な犯罪というものはみんななくなっていくと思うのですが、一向に減っていない、こういう点をお考えいただきたいと思うのです。そういう意味から私はあなたのいまの説には少し了解をしかねます。同時に鈴木さんにお尋ねしますが、去年の事故件数は幾らありましたか。
  12. 鈴木光一

    鈴木(光)政府委員 昨年の事故件数といたしましては五十五万七千百八十三件でございます。そのうち死者が一万三千三百十八人、傷者が四十万一千百十七人でございます。
  13. 井岡大治

    井岡委員 刑事局長にお尋ねしますが、あなた方のほうで悪質と見られた件数はこのうち幾らぐらいございますか。
  14. 津田實

    津田政府委員 三十九年度の事故関係統計はただいま警察からお話しになりましたとおりでございます。昨年、三十九年の一月から十二月までの間におきまして、業務過失致死傷事件として起訴いたしたものが十六万四千百八十七人でございます。このうち公判請求をいたしたものが六千十六人、略式命令で、すなわち罰金になりましたものが十五万八千百七十一人、不起訴が六万一千二百二十九人、こういうことであります。
  15. 井岡大治

    井岡委員 そのうち営業車自家用車との区分がわかりますか。
  16. 津田實

    津田政府委員 その点は、さような統計を取っておりませんのでわかりませんが、これは業務過失傷害あるいは致死でありますので、真の意味営業車と、それからそうでなくて反復継続しているもの、両方含んでいるのでありますが、真の業態として行なっているものがどれだけあるかということは統計上判明いたしかねます。
  17. 井岡大治

    井岡委員 では鈴木さんにお尋ねしますが、あなたのほうではいわゆる営業車自家用車、これはおわかりになるはずだと思うのですが、お尋ねしたい。
  18. 鈴木光一

    鈴木(光)政府委員 自家用自動車によりますところの事故件数は、三十八年度の統計で申し上げますが、三十八年度では三十二万三千四百五十八件でございます。
  19. 井岡大治

    井岡委員 三十八年度の総件数は……。
  20. 鈴木光一

    鈴木(光)政府委員 三十八年度の総計の中で、自家用によるものが三十二万三千四百五十八件、営業用のものは九万三千二百九十七件でございます。
  21. 井岡大治

    井岡委員 これをごらんになってもおわかりのように、いわゆる営業をしておるものはそんなに件数はないわけです。むしろ自家用のほうに事故が多い。こういう点を考えあわせますならば、やはりその会社なりあるいは個人なりに対する自動車運転を許可する場合考えなければいけないのではないか、こう思うのですが、この点はどういうふうにお考えですか。
  22. 鈴木光一

    鈴木(光)政府委員 ただいま自家用営業用に分けまして事故件数を申し上げましたが、これは自動車台数当たりに換算いたしますと、自家用の場合には千台当たりで六十一件に当たります。それから営業用の場合には二百十八件ということになりますし、また事故による死者を見ましても、自家用の場合には千台当たりで一・三名、それから営業用の場合には四・三名ということになっておりますので、事故の絶対数は自家用のほうが多うございますけれども事故率から申し上げますと営業用のほうが多いという結果になります。
  23. 井岡大治

    井岡委員 そこで、トラックと、それからハイヤーというのですか乗用車、これとの比率はどうなっていますか。
  24. 鈴木光一

    鈴木(光)政府委員 トラックの場合は、そのうちの営業用トラック貨物自動車事故件数は合計四万九千五百六十一件、千台当たりに換算いたしますと二百二十二件、それからバスを含んでの営業用乗用車は、件数にいたしまして四万二千六百件、千台当たりにいたしますと二百二十五件ということになります。
  25. 井岡大治

    井岡委員 そこで津田刑事局長にお尋ねしますが、重過失犯罪を犯した中で、トラック自家用車でどういう比率になっているか、この点をひとつ。
  26. 津田實

    津田政府委員 その点は調査をいたしておりませんし、これは統計上もあらわれておりませんので、わかりません。
  27. 井岡大治

    井岡委員 最近の事故件数の多いのは、先ほど交通局長代理は、対向のできないところは規制をしておる、こういうふうに言っておいでになりますが、私は必ずしもそれだけで問題は解決しないと思うのです。たとえば道路幅が、とにかく大きなバスを通せばほかに何も通れないようなところでもやはり路線の免許をしておる。こういうところにやはり問題が出てきておるのじゃないかと思うのです。しかもそれらの事故を調べてみますと、主として学童のいわゆる横断場所に非常に事故が多い、こういうように考えるのですが、そういう点はございませんか。
  28. 鈴木光一

    鈴木(光)政府委員 ただいま御指摘のような実態は確かにあろうと思います。この問題につきましては、御承知のように車両制限令によりまして、あの車両制限令によるところの措置を講じておればよろしいのでございますけれども、来年まで暫定措置といたしましてバスにつきまして除外例を設けておりますので、現状といたしましてはそういうことになっておるわけでありますが、やがてあの制限令が全面的に採用されるということになりますれば、御指摘のようなことはなかろうかと思います。
  29. 井岡大治

    井岡委員 そこでそういう除外例を認めておきながら、一方においては刑法改正にあなた方も同意をされたのだろうと思いますが、この点は私は非常に矛盾をしておると思う。ですから、そういう場合は、その制限なら制限をして万全の措置、いわゆる交通環境というものを整備をして、そうしてこういうなにをおやりになるというなら話がわかる。しかし、今度の場合は併合罪が非常に多いわけですね。併合罪重点を置かれているわけです。そうなってくると私は、これは単に罰すればものは解決するのだ、こういうふうにしか解釈できないわけです。でありますから、先ほど申し上げますように歩車道区分というものを十分明確にする、そして歩車道区分のないところは自動車は通さない。学童横断のところは陸橋をつけてやる。こういうことを考えないと、せっかく法務省のほうで警告だということでこの案をお出しになったのでしょうけれども、こんなものは、私が先ほど申し上げたように、親を殺せば死刑にしますよといっても、やはり毎日毎日そういう犯罪があるわけです。これと一緒だ、こう思うのです。なぜそういうときに法務省に対してそのことをあなたのほうで十分御注意をなさらなかったか、この点についてお伺いをしたい。
  30. 鈴木光一

    鈴木(光)政府委員 私どものほうといたしましては、事故を減らす場合にいろいろな方策があると思います。御指摘のように交通環境整備という問題は大きな問題だろうと思います。それから安全教育の問題、罰則を強化する問題、こういうものが一緒になって事故を減らしていくということになろうかと思うのでございまして、私どものほうがこの案に賛成いたしておりますのは、やはり罰則を強化するということは、もう説明があったと思いますけれども、それだけが必要にして十分な方策ではないのでございまして、そういう意味で、この罰則を強化したから事故が減るということだけを考えておるわけでございません。総合的な施策を講じてまいりたいという観点から実施しておるのでございます。
  31. 井岡大治

    井岡委員 総合的な施策がないと事故というものは減らないのだ、こういうように御認識であるならば、私はこの法案が先行することがおかしいと思うのです。あなたのほうで現在制限しておるが、一部それを緩和をしている。こういうような状況の中で、一方いわゆる併合罪を含めたような刑法改正になってくるということになると、これはたいへんだ、こう思うのであります。ですから、むしろ私は、先に環境整備のほうに重点を置いて、しかる後にこういう措置をとられるというのであれば納得ができるわけですが、そうじゃない、来年になったらそういうのがもっとなるから、こういうようにおっしゃっておいでになります。たとえば一例をあげますと、大阪は車幅二メートル以上の乗用車というものは認めない、こういうようにやっている。東京外国車があの大きな二メートルも三メートルも——まあ三メートルはないでしょうけれども、二メートル五、六十というのが走っているわけですね。しかもそれがこまかいところをぐんぐんと動いておる。こういうことではやはりいけないんじゃないか、こう私は思うのですが、この点はどうなんです。
  32. 宮崎清文

    宮崎説明員 交通企画課長でございますが、ただいま御指摘の第一点の業務過失致死傷罪罰則引き上げにつきまして、若干いきさつがございますので御説明申し上げます。  実は御承知と思いますが、昨年私たちのほうで道路交通法の一部改正をいたしまして、その際に、実は先ほど局長が申しましたように罰則を強化することだけが決してすべてだとは思いませんが、現在の交通事故防止するためには、やはり罰則が少し甘過ぎたんじゃないかということを考えまして、罰則の一部の改正をお願いいたしたわけでございます。その際に私たちが一番悪質と考えておりますのは、やはり自動車によりますひき逃げでありまして、ひき逃げ事犯防止するためにはどうしてもいまの罰則では不十分であるということで、法務省ともいろいろ折衝いたしましたが、とりあえず昨年はひき逃げの逃げのほうの罰則、つまりひいた場合の救護義務違反でございますが、この罰則道路交通法のほうで引き上げまして、業務過失致死傷罪のほうは来年、つまりことし法務省のほうで検討する、こういうことで一応昨年の罰則引き上げをいたしたわけでございます。したがいまして、突然罰則引き上げを先行したというお話がございましたが、私たち事務的には実は昨年から法務省と一体となりまして、そのひき逃げ全体の罰則強化ということを考えていたわけでございまして、突然今回持ち出したわけではないと私たちは理解いたしております。  それから御指摘の第二の点でございますが、現在わが国国道でございますが、一級国道、二級国道合わせまして、歩道がついております道路の部分は全体の九%でございます。これは率直に申しまして、私たちも非常に情けない現状だと思っておりますが、まあ現状現状でございます。そういたしますと、歩車道区別のない道路における車両通行を禁止するということになりますと、残りの九一%の道路自動車が通れなくなる。これは非常に大問題でございますので、これは私たち建設省ともいろいろ協議いたしまして、歩道はなるべくつくる、どうしても歩道がつくれない場合には、先生方も御承知と思いますが、最近歩車道区別のない道路の一部にガードレールを立てまして簡易歩道をつける、こういうようなこともいたしましておりますし、予算的にもできる限りそれをいたすことにいたしております。こういった方法で歩行者の保護をはかりたい。それから、どうしても危険な場所につきましては、先ほども申し上げましたように、現在車両制限令の規定もございますし、また局長が申しましたように、適当な規制をやって一方通行にするとか、あるいはどうもこうもならない場所車両のみの通行を禁止する、こういう措置をとってまいりたいと思います。  なお、これは車両制限令でございますが、実は政府部内の内情をお話しすることになってちょっと気がひけるわけでございますが、警察といたしましては、路線バスをなるべく早くやはり原則に乗せてほしいと希望いたしておりましたが、あれは建設省所管の政令でございまして、また運輸省その他とも密接な関連がございまして、いろいろ協議いたしました結果、理屈はそのとおりだけれども現状にいろいろ問題があるので少し延期しようということになりまして、来年の九月まででございますか、全面適用を路線バスにつきましては延期する、こういうふうないきさつになっております。
  33. 井岡大治

    井岡委員 私の言い方も悪いのでしょうけれども、ぼくは歩車道区分のないところを全部とめてしまえ、そういうような無鉄砲なことを言っておるのじゃないのです。いわゆるいなかの自動車の通らぬようなところは歩車道がなくても事故は起こらないのですから、そういう歩車道でなくて、主として言っておるのは、事故の起こっておるのは都内あるいは市内なんですね。しかもそこに歩車道区分がない、幅員もわずか六メートルか七メートルぐらいの幅員で車がどんどん走っている、そこに事故があるんだ、こう言っているわけです。ですから、そういうところはすみやかにやはり歩車道区分をつけない限りは通さないんだというような規制をしないと、私は毎日、きょうでもそうだと思いますが、きょうは全く高輪からここまで来るのに私は一時間かかった、どっちを回ったって車はもう一ぱい詰まっておるわけですね。そういうときには比較的事故が——まあ動かないのですから事故もないでしょうけれども、これがどんどん続いておればやはり事故があると思う。ですから、そういう点を何とか考えることができないのか、こう言っているのです。
  34. 宮崎清文

    宮崎説明員 先生の御指摘の点はまことにごもっともだと思います。私たち交通の危険防止交通の円滑を両方はかるという、いわば一種の二律背反的な使命を負わされておりますので、その点非常に苦労をいたしておるわけでございますが、どうしても危険な場合には、やはり仰せのごとく交通の円滑を犠牲にいたしましても危険防止のためにそういう措置もとらなければならないかと思っております。ただ先ほど申し上ましたように、歩車道区別のない道路のほうが圧倒的に多うございますので、一方におきましても、もちろん歩行者の保護、人命尊重の立場からは歩行者の保護をはかることが大切でございます。また、わが国の産業その他の事情から申しまして、自動車交通も非常に大きな役割りを演じておりますことも見のがすことができませんので、そこら辺のあんばいをいかにやるかということでいろいろ苦心しているわけでございます。その点はひとつ御了解願いたいと思います。
  35. 井岡大治

    井岡委員 そこで一応了解するとかしないということは別として、事情はわかりましたが、すみやかにあなた方のほうで、たとえば学童、児童の通行をしておる、横断をしておるようなところでは、やはり交通巡査の配置をするなり何なりをおやりになるべきじゃないかと思う。もちろん黄色いママさんお立ちでございますけれども、あれではなかなかうまくいかないと思うのです。ですから、私は学童、児童などの横断するようなところは、やはり陸橋をつけてやる。あるいは歩車道区分がないところは、これは通学のなにがきまっているのですから、そういうところは禁止をする。こういうようになさることが必要だと思うのですが、こういう点についてどういうようにお考えですか。
  36. 宮崎清文

    宮崎説明員 御指摘の点まことにごもっともでございまして、私たちいま考えておりますのは、一つはそういう危険な場所におきましては信号機をつけるということでございます。これは信号機も従来予算的になかなか困難な点がございましたが、幸い本年度からは地方債の起債が認められまして、これによりまして重点的に信号機の整備をいたしたいと思っております。したがいまして、特に学校のそば等で非常に危険な場所につきましては信号機を設けて児童の横断の安全をはかる、こういうことを考えております。  それから先ほど申し上げましたガードレールでございますが、どうしても歩道がつけにくい道路で、やはり学校のそば等におきましては、なるべくガードレールをつけまして、同じように学童通行の保護をはかる、こういうことを重点的にやっていきたいと思っております。
  37. 井岡大治

    井岡委員 そこで法務省にお尋ねをいたしますが、併合罪を適用しているような刑法はほかに何がございますか。たとえば道交法に今度は併合罪を適用するわけですね。そうじゃないですか。
  38. 津田實

    津田政府委員 併合罪と申しますのは、刑法四十五条以下に規定されておるわけですが、ある者が数個の罪を犯しました場合、その間に特別の関係がない限りは二ないし数個は併合罪だ、こういうことで、これはもう従来からあるわけでございます。そこで交通関係で申しますると、業務過失傷害罪というものがありまして、その前に、たとえばスピード違反でありますとかいうものがありますと、スピード違反スピード違反道路交通法違反になる。それから業務過失業務過失刑法、この二つは併合罪である。こういうふうになりますので、これは従来から少しも変わっておりません。ですから罪が幾つかあって、それについてまた再犯がなければ、一応併合罪の扱いにされるのが普通であります。その間に牽連とか、その他一個の行為について二個の罪名に触れるとか、そういう法律上の問題はありますけれども、そういうものに当たらない限りは二つの罪で全部併合罪ということになるわけであります。
  39. 井岡大治

    井岡委員 結局、先ほどから言われておりますことをお聞きしますと、現在の悪質な犯罪と申しますか過失、こういうものに対する反省を促すと申しますか、そういう立場からこれを非常に重くしたんだ、こういうことのようですが、私は、そうでなくて、さいぜんから申し上げますように、やはりもっとその環境なりあるいは訓練なりを重点に置くようなところに問題の所在を明らかにしたほうがいいんじゃないか、どうしてもそういうように考えられるわけです。そういう立場からここで局長にお伺いをしたいのですが、現在の自動車学校、ああいうものをもっと官立の学校をつくって、そこで訓練をする、こういうような考え方はございませんか。
  40. 鈴木光一

    鈴木(光)政府委員 ただいま指定自動車学校、指定教習所は全国で約千ございますが、いずれもほとんどは民間立でございます。若干公立のものもございますけれども、しかし原則として民間によるところの自動車教習所というものを期待しておりまして、官立をふやしてそれによってやるということは、目下のところ考えておりません。
  41. 加藤精三

    加藤委員長 委員長から申し上げますが、過去十数回の刑法の一部改正の審議にあたりまして、委員さんたちから現在の自動車教習所、自動車学校が非常に安易な免許証の交付やなんかをするものだから、そのために事故が多いんだろうという声が圧倒的に多いのですよ。その現状から見て、当局も相当その弊害を考えていられるはずですが、そこをもうちょっと御研究になっていただいたらどうか、こう思います。何回もいままでお話がありましたので……。
  42. 鈴木光一

    鈴木(光)政府委員 指定自動車教習所の制度をつくりました当時、そういう御批判がたいへんございまして、私どものほうでも指定教習所に対するいわゆる監督を強化いたしまして、昨年政令を改正いたしまして、教授内容につきましても、それから指導員につきましても、管理者につきましても厳格な制限をつけまして、りっぱな教育ができるようにということで現在やってきておるわけであります。その結果、事故率から申しますと、やはり指定教習所を卒業した者の事故率は、じかに試験を受ける者があるわけですが、その者と比較しまして事故率はずっと低くなっておるはずでございます。
  43. 井岡大治

    井岡委員 その指定教習所と申しますか、学校と申しますか、いま委員長が言われたように、私はこれらを野放しにすべきじゃないと思うのです。むしろ東京なら東京都がやる、大阪なら大阪府がやる、あるいは神奈川なら神奈川県がやる、こういうような学校をこしらえて、そうしてそこで一定の教習を受けさす、こういうようにすると非常にいいんじゃないか、私はこう思うのです。たとえばいま自動車運転手が足りませんから、業者の方々は鹿児島へ引き抜きに行ったり、島根に引き抜きに行っておられます。そうして直ちに東京なりあるいは大都市で運転をさしている。そういうのは非常に事故が多いと私は思うのです。特にダンプカーの運転手なんてほとんどそれです。そういうような点を考えあわせますならば、やはりダンプカーを使用する会社が官立の学校に自分のところの従業員を入れて、そうして自動車運転手を仕立てていく、こういうようにすると私は非常に事故というものが少なくなるのじゃないか、こう思うのです。こういう点について、いま考えておりませんというのでなく、私は真剣に考えるべきだ、こう思うのですが、この点どうです。
  44. 加藤精三

    加藤委員長 その点、委員長からも意見を申して何ですけれども、やはり試験で通ったのと教習所出と比較したところがということだけでは、私は全体に安心はできないのじゃないかと思うのです。それもありますが、最近政府のほうが各府県に指令して、教習所や自動車学校の教師のテストなんかもやった結果がある程度あらわれているのじゃないかと思いますが、そういうことで中央で努力しているようです。ですけれども、教習所や自動車学校の教師等の試験をした結果、どうも優秀でなくて教師として認めにくい者はなかったでしょうか。その点もし事情がわかったらお知らせいただきたい。
  45. 宮崎清文

    宮崎説明員 指定教習所の件につきましては、先ほど局長も申しましたように、かつて多少問題があったことは事実でございます、率直に申しまして……。実はこの制度自体がいわば自然発生的に出てまいりまして、民間でいわゆる俗に申します自動車学校ができまして、自動車学校で一生懸命教育をしているから、それに対して何か特典を与えてほしいというような希望から端を発したように私ども承知しております。十数年前のことであります。当時は比較的規定が大まかでございまして、監督規定もございませんし、基準についても何ら定めがございませんでしたので、若干御指摘のような点があったように記憶しております。三十五年に道路交通法をつくりましたときに、これではいけないのじゃないかということから、一定の基準を政令で定めまして、その基準に合致しておる教習所のみ指定しまして、そこの卒業生に対しては実地試験を免除する、こういう制度にいたしたわけであります。これは二、三年やってまいりましたが、どうも当初の判断が多少甘かったこともございまして、基準がやや厳格でないという点があるというので、先ほど局長が申しましたように、昨年の秋政令を改正いたしまして、相当基準を厳格にいたしました。したがいましてその成果は、昨年九月からでございますからまだ半年足らずでございますが、もう少し長い目で見ていただきたいと思っておるわけでございます。  なお、委員長からの御質問の点でございますが、各都道府県でそれぞれ指定自動車教習所の一種の教員でございますが、これに対する講習その他をいま次第にやっておりまして、間もなくその結果もわかることだと思われますが、もしその結果非常にはなはだしく不適格等の者が発見されれば、これは政令の規定によりまして排除する、こういうことを考えております。
  46. 井岡大治

    井岡委員 私の言っているのは、その自動車学校のなにをどうこう言っているんじゃないのです。いま自動車運転手さんは足らぬのですよ。正直に言って足らないから、いろいろ事故を起こしておいでになる方々というのは、東京都なら東京都の人と、それからよそから来た人と比較すると、よそから来た人のほうが多いわけです。しかも重大事故を起こしておいでになるわけなんです。それは東京という環境を知らないからそういうことになるのだと思う。ですから、私は官立の学校をこしらえて、そうして従業員として採用して、その採用者の中から一部ダンプカーならダンプカーに必要な人員を会社から学校に送る、そういうような措置を将来講じていかないと、依然として経験の浅い人たちをどんどんよそから集めてきてやっている、そのためにどんどん事故がふえている。自動車は、先ほど大坪次官もおっしゃっておいでのように、自然発生的という表現でしたが、私は自然発生的とは思いませんけれども、やはり自動車産業というものはどんどん伸びてくるし、これからもうんと自動車はふえてくると思うのです。その場合、いわゆる免許証を持っておるからというだけの採用では、事故というものはなかなか減らないのじゃないか、こういうふうに私は考えるわけです。法務省のほうは一つの警告意味で、こういうように罰則を強化したのだと言っておいでになりますけれども罰則を幾ら強化したって、優秀な運転者、練達な運転者ができない限り、事故というものは減らないのです。被害者の立場から、香典のかわりに罰則を重くしたということなら別ですが、そういうことじゃないと思う。そういうことじゃない限り、やはりいまの教習制度というものを新たに——単に科目をどうするとかこうするとかいうのではなくて、企業全体の中で自動車の占める位置というものを考えて、そうしてその企業に見合った、企業者自体が自分の運転手を養成していくというシステムに変えていかない限り、私は決して自動車事故というものは減らないと考えるのです。こういう意味でお尋ねをしているのです。将来そういう方向にあなた方は御指導されるのがいいのじゃないかと思うから、それを受け入れる立場から現在の自動車学校あるいは教習所というものに対する考え方を改められないか、こう聞いているわけです。
  47. 宮崎清文

    宮崎説明員 ただいまの御質問は、運転免許行政全般にわたるきわめて重要な御質問かと私伺いましたが、御指摘のように自動車教習所の問題が一つと、もう一つは運転免許試験そのものの問題があるのじゃないかと思います。そこで率直に申しますと、現在の運転免許行政と申しますのは若干立ちおくれております。これは私たちも認めざるを得ないのではないかと思っております。一つの例をあげますと、終戦直後は全国で自動車の数は二十二万台でございましたが、現在は六百八十万台でございます。運転免許人口は約千七百万と推定しております。これは御指摘のようにおそらくあと数年で三千万ぐらいにいくのではないか、かように見通しを立てております。したがいまして、こういうように免許人口が非常にふえていく、そのふえていく免許人口に対しましていかにして事故を押えるかということになりますと、やはり正しいドライバーがふえていくという方向に私たちは努力をいたさなければならないと思っております。その方法といたしましては、一つには、御指摘のように自動車教習所の内容を充実することでございます。そこで先生御指摘になりますように、国なり地方公共団体が自動車教習所をもっとつくったらいいじゃないかという仰せでございまして、まことにごもっともな一つの考え方とは思いますが、先ほどからるる申し上げでおりますように、一応現在の指定教習所を育成といいますか、いい意味の指定教習所ができることを期待しているわけでございます。したがいまして、いま直ちに、どうも民間の指定教習所はだめだから国でつくらなければならぬという結論を出しますのはちょっとまだ早いのじゃないか。もう少し指定教習所のあり方を見まして、どうしてもそれがうまくいかない場合に初めて考え得る第二の手段じゃないか、かように考えております。  それから運転免許行政の試験につきましては、目下いろいろ検討中でございまして、心理適性検査その他をなるべく早い時期に取り入れまして、試験の段階で不適格者を排除いたしまして、正しい安全な運転ができる運転者に免許を与えるように努力をいたしたい、かように思っております。
  48. 井岡大治

    井岡委員 それでは具体的に話をいたしましょう。たとえば東京なり大阪の道路交通の混雑をしておる原因の一つに路面電車があるわけです。この路面電車を撤去することによってかなり緩和するわけなんです。ところが、いまのバス運転免許証というのは、これは三年なり四年なりの経験を持って大型を運転している者でない限り与えられないわけなんです。そのためにたとえば大阪なり東京の路面電車を撤去しようとしても撤去できないわけなんです。そこで官立の学校をこしらえて、そうして現在の路面電車の運転手をやっておる人の中から、あるいは車掌をやっておる人の中から、一年なり二年なりをそこの学校にやらす。そうすると、その人はバス運転できるというようなシステムを考えてやったならば、私はもっともっと道路交通というものはスムーズにいくのではないか、こう考えるわけです。それを現在のような教習所制度でやっておったのでは、これはやはりいなかから集めてこなければいけない、こういう結果になる。ですから私はそういうようにお考えになったらどうかと、こう言っておるのです。そうすれば、鉄工所なら鉄工所が自分のところの自家用車運転をさせたいという場合に、その学校に行かせて、自分のところの運転手を養成をする。そうすればいなかから集めてこなくたっていいじゃないか、そのことが事故を少なくする原因になるのではないか、こう申し上げているのです。そのためにはいまの教習所制度だけではそれができないじゃないか。だから新しく官立の学校をこしらえるような方向をあなた方がお考えにならなければだれが考えるのです。私はこの点については、たとえば東京都の交通局長なり大阪市の交通局長と何回か話をしました。そういう制度ができるとするならば非常にいいことだと言っているのですけれども、あなたのほうが承知しないからどうにもならぬ、こう言っている。ですから、あなた方が事故というものを真剣に考えるならばあるいは事故をなくしようとするならば、そういう点を考えていくべきだ、こういうように申し上げたいのです。この点についてお伺いしたい。
  49. 鈴木光一

    鈴木(光)政府委員 ただいまの路面電車と自動車交通との関係、御指摘のような問題があろうかと思います。ただ、そういう方針でいかれるということになりますれば、たとえば東京都の場合、都電を廃止して都バスをふやす、その都電の車掌なり運転者なりをどう措置していくかという場合に、たとえば都立の学校をつくってやったらどうかという御意見だろうと思うのでありますが、それはそれで確かにその方法はあろうかと思います。その場合に、それを卒業した者については実技試験を免除するというのが指定制度でございまして、あるいはいまでも東急鉄道の設立によるそういう指定教習所もございますので、そういう地方公共団体なり、会社なりが、そういう会社なり地方自治体の方針に基づきまして、そういう措置を講じていくということになりますれば、それを指定をするということにつきましてはやぶさかでないわけでございまして、そういう方針に従ってやられることはけっこうかと思います。
  50. 井岡大治

    井岡委員 自分のところというのではなくて、官立の学校をこしらえて、その官立の学校には東京都だとか、あるいは池貝なら池貝の鉄工会社の人もそこに入れる。そこに入った人については実技試験を免除してやる。それはやはり官立の学校でなければやれないでしょう。一人や二人養う運転手に、やはり自分のところの教習所をこしらえるということはできない。だから東京都なら東京都の学校をこしらえる、あるいは神奈川なら神奈川県の学校をこしらえる、埼玉なら埼玉県の学校をこしらえる。そこのいわゆる県下の産業が自動車を必要とするのであればそこに入れる。そしてその運転手には特典を与えてやる。こういうことにすることのほうが、人間配置の立場からもいいんじゃないかと思うのです。産業の発達の立場からもいいんじゃないかと言っているのです。ですから私は、特定のものを認めてやる、そんな考え方と違う。この点をあなた方もお考えになったらどうかと言っているのです。
  51. 加藤精三

    加藤委員長 井岡先生、この辺で一応一段落しましょうか。  御通告の順に従いまして、竹谷源太郎君。
  52. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 刑法の一部を改正する法律案について二、三当局に質問をいたしたいと思います。  まず第一に、刑法二百十一条の一部が今度改正になりますが、これは従来もあった規定でありますが、業務上の過失致死あるいは傷害のところのいわゆる必要な注意を怠ったというのは、具体的にどういう場合であるか。また、この場合に言っております注意の義務というのは、いかなる範囲、程度のものであるか、これについて当局の意見をお尋ねしたいと思います。
  53. 津田實

    津田政府委員 この業務上という問題につきましては、また後にお尋ねがあれば申し上げることにいたしまして、必要な注意を怠り、よって人を死傷させた、いわゆる注意義務の懈怠ということについての御質問と拝聴いたしましたので、その点について申し上げます。  これはいわゆる過失犯におきますところの注意義務の懈怠であります。これは、過失犯はある具体的な状況のもとにおきまして一定の注意義務が課せられていると認められるにかかわらず、これに違反したため、ある結果を発生せしめることによって犯罪が成立するわけでございます。お尋ねの注意義務の懈怠とは、判例あるいは通説によりますと、通常人を標準として考えました場合、当該具体的状況のもとにおきまして、何人も当然結果の発生を予見し、これを未然に防止すべき義務があるのに漫然これを怠った行為をさすのでありまして、このような行為者の態度に対する非難の可能性にこそ刑事責任の根拠が求められるのであります。その非難の可能性の程度は、他人の生命、身体に危害を及ぼすおそれのある業務に従事する者が、その業務上要求されている注意義務違反した場合は業務過失となり、わずかな注意を払えば当然結果の発生を予見し、これを回避する措置を講じ得たような場合は重過失ということになるというふうに考えられておるわけでございます。
  54. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 運転者の業務上の注意ということになりますと、どうなりますか。一般の注意義務以上のものが要求せられるということになると思うのでありまするが、その程度はどういうことになりますか。
  55. 津田實

    津田政府委員 業務過失を重くいたしまする理由の根拠といたしましては、これは学説においていろいろいわれておるところでございますが、通説、判例のとっておりますと考えられます考え方は、業務過失致死傷罪は一種の身分犯でありまして、行為の主体が業務者でありますので、そのような者に対しましては、通常人よりも特別に重い注意義務が課せられておる。したがって、その義務に違反すれば重い責任を問われるということになるとされているのであります。通常人よりも重い注意義務と申しますのは、これはそういうふうに申せばそれまででありますが、要するに業務者として反復継続いたしておりますと、その間に全然そのものに関係しなかった者が自動車運転なら自動車運転をいたします場合に、通常する注意義務よりは反復累行いたしまする関係から、さらにたやすく注意のいわゆる勘どころと申すものが出てくるはずであります。それにもかかわらずその注意をしなかったということについて重く非難されてもやむを得ない、こういうことに裏を返していえばなると思いますが、一応の考え方としては特別の重い注意義務が課せられているというふうなのが通説になっておると理解しておるわけであります。
  56. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 ただいまのいわゆる業務上は、運転者の場合、運転することが自分の職業であり、ある会社、ある運送会社に雇われてトラックなりその他の車を運転するという業務上仕事に従事するという場合と、自分の車をレジャーで運転して遊びに行くという場合とでは、いずれもこれは業務上になるのか、それともあとの場合は業務上じゃなくなるのか、それはいかがでございますか。
  57. 津田實

    津田政府委員 業務上の業務という概念につきまして、判例は、人が社会生活上の地位に基づいて継続して従事する行為でありまして、他人の生命、身体に危害を加えるおそれのあるもの、こういうふうに判例は解釈をいたしておりまして、この判例は堅持されております。したがいまして、それは本来その人の生活の必要上従事している業務、あるいは生活のかてを得るために従事しておる業務というものでありますと、または補助的に付随的に行なう業務でありますとをもちろん問いませんし、また、そのこと自体が生活と無関係でありましても、継続的にその人がそういうものに従事しておる、すなわち運転免許をとりまして、そういうものに従事しているということは、もはやその人の社会的地位になっておるという意味におきまして、たとえば医師でありますとか、あるいは弁護士でありますとか、あるいはその他の会社員にいたしましても、運転免許をとりまして従事しておる者はすなわちこの業務過失業務であり、なおまたさらに、運転免許を得ておりませんけれども、いわゆる無免許でありますけれども、事実上反復継続してさような仕事に従事しておる者もやはり業務上と解釈されるということが従来の学説でもあり、また通説でもございます。
  58. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 業務上ということは、かなり普通の業務上より広範に解釈せられているわけでありますが、私が申し上げた最後の例、すなわち免許を有しもしくは無免許でレジャーにたまに運転して、継続的にそれが行なわれていないというときには、いまの御説明ではこれは業務にはならないような感じがいたします。かといって、これは自動車運転をするのでありますから、普通の場合よりもはるかに重要な注意義務をたとえ一回の運転であろうとも払わなければならぬという点は、業務としてしょっちゅう自動車運転しているのと、対外的、社会的には変わりはない。そうなりますと、いまの解釈では、どうも業務上の過失死傷になるかどうか疑わしくなってくるような説明にとれるのでありますが、この刑法の規定は、自動車運転するというその運転業務考えるべきであって、従事している職業をとらえるべきじゃないと思うのですが、その点いかがでございますか。
  59. 津田實

    津田政府委員 先ほどの御説明でやや御説明が不十分であった点があるかと思いますので、補足いたしまして、あわせてただいまの御質問にお答え申し上げるわけでございますが、業務と申しますのは、先ほど申しましたように人が社会的生活上の地位に基づいて継続して行なう仕事でございます。ただ、先ほど申し上げましたように、運転免許を持っておる人がレジャーにたまたま運転をするということは業務になるかならぬかという点であります。これは運転免許証をとります場合には、すでに運転の練習もいたし、相当な試験も受けるわけでございます。したがいまして、もうすでにその意味における運転の事実上の経歴というものはあるわけであります。しかも運転免許を得て、将来運転をしようというものでありますから、レジャーのために第一回目の運転をいたしましたといたしましても、それは当然業務上というふうに問われるというふうに私は思いますし、従来の裁判例もそういうふうになっております。また、もしレジャーで無免許で運転するということがはたして実際問題としてあるかどうかという問題でありますけれども、たとえば全然運転経歴が事実上もないのに、たまたまおもしろ半分に無免許で運転をしたというようなものは、これはその人の社会生活上の地位にまだなっておりませんので、これはやはり業務上とならない。したがって、その場合にはむしろ何か事故が起これば重過失傷害致死というようなことになる場合が大部分であろうというふうに思うのであります。
  60. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 そういう解釈になると重過失にならない。普通の業務上でなければ、この程度のことはやむを得ないということで、問題が起こった場合には、業務上ならば注意義務として必要だ、業務上でなければ、その程度までの注意は要らないということで、事故が起きたというときには、どうもこれは適用すべき法律がなくなる。そういうふうに感じられますが、いかがでしょう。運転そのものを一つの業務と見ないと、これはどうも、たまたまいままで運転免許も持たず、きわめてまれに無免許で突然自動車運転して、そういう場合に非常に事故が起こりやすいのですが、そういうものはある場合には罰に問われないで過ごしてしまわれる、こういうことになりはしませんか。どうでございましょう。
  61. 津田實

    津田政府委員 無免許で、運転技量がきわめて未熟である者が運転をいたしまして、その結果人を傷害あるいは致死にいたしたというような場合は、これはむしろ、そのこと自体でもうすでに重過失になるのではないか。すなわち、運転技術未熟であるということを認識しながら、つまり自己が正常な注意義務を払って運転ができないということを知りながらでありますから、これはもうそのこと自体が重過失になると思うのでありまして、その場合に、ただ単に単純な過失傷害罪であるということには私はならないと思います。
  62. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 そうしますと、過失そのもの、いわゆる注意義務を十分果たしたかいなかという過失ではなくて、その前に、そのような運転免許もなし、十分の運転技量もない、事故も起こりやすいという条件を知りながらやったということで重過失になる、こういうことになりますね。刑法二百九条もしくは十条の過失致死もしくは過失傷害業務上ではない。この規定の解釈について、過失の程度は、業務上ではなくて、運転のやり方について過失は軽微であるが、しかしながら運転免許も持たない未熟であるという認識が重過失だ、こういうことからおっしゃるような解釈が出てきますか。
  63. 津田實

    津田政府委員 自己の運転技術が未熟であって、自己の払う注意によりましては事故防止することが保しがたい、けれども何とかやってみようという程度でやったが、それによってやはり結果が起こったという場合は、明らかにこれは過失でありまして、しかもそれは重過失であります。もしも運転技術が未熟であって、必ず人を傷つけるかもしれないがあえてやったとなれば、これは未必の故意で、むしろ故意犯になりまして、その場合は傷害罪あるいは傷害致死罪あるいは殺人罪ということになるのでありまして、それに至らないような場合で、いまの考え方で参りますと、重過失致死傷罪になるというふうに考えております。
  64. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 次に、今度の改正法では、いままでの三年以下の禁錮を、五年以下の懲役または禁錮というふうに刑を引き上げることになりますが、従来の判決の実例では、ひき逃げして殺したというような事件でも、半年ないしは一年の判例などが多かったと思う。最近はだんだん重くなってきているが……。だとすれば、従来の三年以下の禁錮というのでも、実際問題として検察官が求刑を引き上げれば、特に五年に延ばさなくても実効はあがるんじゃないかというような気もいたしますが、この点いかがでございますか。ただ、こういう事故は最近非常に激増をしておるし、一般の社会の特別な関心を呼び起こし、精神的にこれを非常に重視するという考えで五年に引き上げたのであるかどうか、どうしても五年に引き上げなければぐあいが悪いのかどうか。最近は三年という禁錮の刑もあるようでございますが、大部分は、ひいて殺して逃げてしまうというような事件でも一年ぐらいで済んだような例が多いようでございますが、これはいかがでございましょう。
  65. 津田實

    津田政府委員 お手元へ差し上げております統計によりますが、これは裁判所関係統計で、集計結果が非常に前のものしか出てまいりませんが、昭和三十七年までにおきましても、すでに業務過失致死につきまして、あるいは重過失致死におきまして相当数の禁錮三年という、いわゆる頭打ちケースというものが出てまいっております。これと同じ統計表でつけておりますところのほかの、たとえば業務過失往来妨害というようなもの、あるいは失火というようなものでありますと、頭打ちケースというようなものは全然ございません。そういうようなことから見まして、すでに現行法のもとにおきましても、禁錮三年というような高度の非難を加えなければならないとされる事犯が相当出てまいっておるということが申せるのでありますが、この法定刑を五年とし、懲役を加えることの理由といたしましては、近時自動車運転に伴います致死傷事件のうちには、無免許で技術が未熱である、あるいはめいていして正常の運転ができない事情がある、あるいは非常な高速度によりまして街路を疾駆するというような、まさに人命を無視するような態度で自動車運転して人を死傷さしたような悪質な事犯が次第に多くなっております。かようなものは、いわゆる傷害罪あるいは傷害致死罪という事犯といわば紙一重のものでありまして、その社会的非難の程度は故意犯とほとんど変わらないかと考えられるのであります。これらの悪質な事犯につきましては、それが過失犯であるがゆえにということで、直ちに禁錮であるということ、あるいは禁錮三年以下であるということでは、もう今日その社会的非難には耐えられないというふうに考えられるわけであります。しかも先ほど申し上げましたように、法定刑の最高限あるいは最高限に近い裁判例がきわめて最近において増加しておりますので、現行法の三年をもって評価することは軽きに失するということが考えられるので、かような改正案を立案し、御提案申し上げた次第でございます。
  66. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 次に、刑法の第百二十九条に過失往来危険の罪がありますが、これはこの業務上の過失致死傷事件の従来の規定と同じように、三年以下の禁錮、罰金ということになっておるのでございますが、今度業務上の過失致死傷を五年の懲役、禁錮に引き上げますと、従来の刑法の百二十九条の過失往来危険の罪とのバランスが非常に破られる不当な結果を生ずるのではないかという気もいたしますが、これについてはいかがでございましょう。
  67. 津田實

    津田政府委員 ただいま御指摘刑法百二十九条第二項に、現在の法定刑と同じような法定刑が規定されております過失往来危険罪というものがございます。これにつきましては、今回は手を触れないわけでありますが、先ほど申し上げましたように、統計の示すところによりますと、これによりまして頭打ちケースというものは出ておりませんし、この場合にも、業務過失致死傷というものを伴う場合には、当然そちらのほうでも処断されるわけでございます。したがいまして、この往来危険罪そのものにつきましては、この程度の、つまり現行法の程度で十分まかなえるものと考えておりますので、この点については特に手を触れないということにいたしておる次第でございます。
  68. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 この過失往来危険の罪の中に、もしこれに人が乗っておって、それを認識してこういう事故を起こせばどういうことになりますか。たまたまからの汽車や電車だと思って、それが過失致死傷事件というようなものを起こした場合には、これはどうなりますか。
  69. 津田實

    津田政府委員 このものにつきまして、同時に、これに乗っておった人、あるいは乗っておらなくてもそれに関係した周囲の人について傷害致死の結果をいたしました場合は、業務過失傷害致死になるわけであります。この規定と二百十一条の関係は、一個の行為について二個の罪名に触れるということになるわけであります。
  70. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 今回の二百十一条の改正の規定は、大体悪質な街頭における自動車運転に基づく事犯に対して適用する、これが主眼であろう、こう思うのでありまするが、そうだとすれば、自動車運転事故に対する特別法によって現在の事態に対処するほうが適当ではないか。刑法そのものを改正して、それといろいろな他の規定とのバランスの問題もありますし、それよりも、自動車運転による過失致死傷事件というものに対しては、特別法によって、それで規制していったほうがかえってよろしいのではないか。刑法の全面改正でもやる場合に、バランスをとって、きわめて合理的な改正をやるほうがむしろ筋が通るように思うのですが、この自動車事故に対して特別法で対処するということをお考えになったらどうか。
  71. 津田實

    津田政府委員 その点につきましては、立案の過程におきまして十分検討いたした次第であります。自動車による道路交通、すなわち道路交通法等の法律に、自動車によるところの無謀操縦によって致死傷の結果を引き起こした者についての処罰規定を設ける、それを相当な法定刑をもって臨むという考え方はどうか、こういうことを十分検討いたしたわけです。しかしながら、この点につきましては非常な難点が出てまいるわけでございます。御承知のように無謀操縦、たとえばめいてい運転、あるいははなはだしい高速度運転、場合によっては無免許運転というようなものによって人を死傷にいたしたということになりますと、その前提であるめいていしておるという状況、あるいははなはだしいスピード違反等というようなことは、これは内容としてはそれを認識しているわけでございますから、これは故意犯になるわけであります。そういたしまして、結果において人を死傷にいたすということになりますと、いわゆる結果的加重犯ということになる。故意犯の結果的加重犯につきまして懲役規定を盛ることはよろしいのでありまするけれども、いまの前提となっている無謀運転というような概念は、きわめてあいまいな、いわば抽象的な概念でございます。そこで、もしそれの規定を置きまするといたしますると、それでは一体どの程度のスピード違反のものが結果加重犯になって、故意犯になるか、あるいはどの程度の酒を飲んだ者によってそういうものが起こるかということになり、ひいては比較的軽微な無謀操縦についてもやはり結果加重犯をもって問わなければならぬということになりますと、現在の自動車に関する業務過失事犯というものは、過失犯でなくて故意犯の範疇になって、全体としては非常に重くなるというおそれが出てまいる。のみならず、もしそうだといたしますると、故意犯だといたしますると、現在の刑法に規定されている傷害罪あるいは傷害致死罪と、いまのさような特別法で設けました規定との関係はどうなるか。この間に限界を設けることが非常に困難であります。そういうような点から申しますると、特別法に自動車に関する無謀操縦による結果加重犯を設けるということは、現在の刑法との関連において解釈の一大混乱を来たすという問題がございまして、とうていこれはさような立法措置に出ることはできないという結論になっております。ことに現在過失犯あるいは業務過失罪というのは、明治四十一年の刑法施行以来多年にわたって存在している規定でございまして、今日それとの関連において、さような特別規定を設けることによって、この刑法自体について一大混乱を起こすことは得策ではないという観点もございまして、刑法改正のほうに踏み切ったわけでございます。
  72. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 自動車運転者のこうした事故防止のためには、むろん刑罰を重くしてこれを予防するというのが一つの道ではございまするが、現実の問題としては、刑法上の処罰の法定刑の引き上げよりも、むしろ道路交通法百三条による公安委員会その他警察の行政処分を厳重にするほうがはるかに効果的で、こういう事故が起きたときに運転者はまず行政処分のほうを非常に注意しておるのでございます。むしろこのほうで臨むほうが効果が多いのじゃないか、こういうふうに考えられるのですが、この問題について法務省警察庁の両方の御意見を承りたいのであります。
  73. 津田實

    津田政府委員 交通事故防止につきましては、すでにしばしば本委員会におきましても御論議がございましたように、他の交通対策を充実しなければならないということはまさにそのとおりでございまして、政府といたしましても、この刑法改正、これのみが事故防止に役立つ唯一の方法とはもちろん考えておりません。幾多の交通対策の一環としてこれを行なうということにいたしておるわけでございます。ただいま御指摘運転免許の停止あるいは取り消しの行政処分のほうが、事故を起こしました者に反省の機会を与えるとともに、一般自動車運転者に広く自制を促す効果のあることはもちろんでございます。しかしながら、運転免許そのものにつきましては、免許の不適正な者についてこれを与えることはもちろんできませんが、免許そのものに資格のある者がたまたま何らかのことによって過失事犯を起こしたときには、多少その免許の停止等は考えるにいたしましても、それを免許から全然除外してしまうということはやはりできないことであるというふうに思いますので、そのこと自体は、やはり刑事責任を問うことによってその人に対する社会的な非難を明らかにしなければならぬということは考えられるわけです。そういう意味におきまして、やはり行政処分と刑事処分とはおのおのその目的を異にするわけでございます。そういう意味におきまして、もちろん行政処分もこれを適正に行なう必要がありますが、やはり刑事処分につきましても、行政処分によってこれを代行せしめるということはできないものというふうに考えております。
  74. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 運転者が事故を起こして、雲をかすみと逃げ去った。もしそのときに直ちに被害者を病院にかつぎ込んだりして出血をとめるなどしたら生きたであるのに、ほったらかして逃げちゃったので出血大量で死んでしまった。こういうことになると、過失殺人になりましょうが、そういう場合には過失じゃなくて、むしろ故意に殺したような結果になるのです。過失傷害致死ではなくて、故意の致死というようなことにならないかどうか。運転者は、そのときに直ちにあらゆる救助の善後措置を講ずる義務があるのではないか、しかしその義務がないとするならば、逃げ込んでも別に故意殺人にはなろない。その義務があって逃げたら、不作為による故意の殺人みたいな形になりますが、それはどうなりますか。
  75. 津田實

    津田政府委員 ただいまの問題は、いわゆるひき逃げと申しますか、つまり救護措置をしないという問題でありますが、これは道路交通法の七十二条に規定されておるものの違反ということになる場合はもちろんございます。しかしながら、さらに進みまして、それが事故を起こしたことによって保護義務を生じまして、その保護義務を尽くさないという者につきましては、刑法の遺棄罪、二百十八条ないし二百十九条が適用される場合があるわけです。さらにそれからいろいろ進みまして、あるいは不作為による殺人ということもあり得るかもしれません。しかしながら、現在この遺棄罪によって処断されておる例もありますし、単に道路交通法違反として処断されておるという事犯もございます。むしろ後者のほうが多いのではないかというふうに考えておりますが、これは、その場合、場合の事情によるわけでありまして、必ずしも一がいには申せないと思うのです。いずれにいたしても、この道路交通法違反か、刑法の遺棄罪か、もっと極端な場合は殺人罪というようなことになることは、もちろんでございます。
  76. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 交通事故防止するために、こうした刑法改正も必要でありますが、同時に、多くの運転者は雇われて働いておる者が多いわけでありますが、そうした場合に、雇い主に対する監督上の責任を強く負わせることが必要です。業務に従事しておる運転者に絶えず接触して、これを指導しておるのが雇い主でありますので、雇い主に、業務上の交通事故を起こさないように日ごろある程度の監督指導の義務を負わせることが交通事故防止上非常に効果のあることではないか、こう思うのでありますが、現在の法制上どういうようなものがございますか。この雇い主に対する交通事故防止の監督上の責任についてどういう法制がありますか、御説明願いたいと思います。
  77. 津田實

    津田政府委員 交通法規を無視いたしました自動車運転行為によります交通事故のうちには、使用主の指示あるいは態度にも、それらの交通法規を無視した運転事故責任があると認められるものが少なからず存在するわけであります。そのようなものにつきましては、道路交通法七十四条の「雇用者の義務」または七十五条の「車両等の運行を管理する者の義務」というものが規定されておりまして、その義務違反につきましては、それぞれ懲役刑も科せられるということになっております。したがいまして、今後交通事故防止のためには、かような運転者の勤務の環境も適正にしていく必要がありますので、この面の取り締まりについては、あるいはその責任の追及については、十分これを行なっていきたいというふうに考えまして、せっかく努力をいたしておるわけでございます。
  78. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 どうも交通事故に対する行政上の責任を持つ警察がいないので残念なんですが、道交法の百二十三条に「法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関し、」云々とあって、ここに使用者側に対する処罰規定もあるようでありますが、こういう面からの運転者自身に自発的に注意を促すような措置が必要であるとともに、使用者が日ごろ被雇用者を十二分に指導監督をして、交通事故を起こさせない、たとえば国鉄では、毎朝現場では仕事を始める前に一緒に集めて、そして現場の長から訓辞をしたり、あるいは注意を促したり、ラジオ体操をやったりして、一日無事故で過ごしましょうというので、諸般の注意を加えておる。そういうような面から常時使用者が運転者を指導監督し、そして使用者もまた運転者の事故に対する責任を自覚さして絶えざる注意を喚起する、こういう手段が非常に必要ではないか、こう思うのであります。警察がいないので、どうも十分の答弁が得られませんが、こういう措置に関して法務省としてもどう考えておられるか、御意見を承っておきたいと思うのであります。
  79. 津田實

    津田政府委員 ただいまのお説はまことにごもっともでございまして、現行の道路交通法におきまして、ただいま御指摘の百二十三条、つまり両罰規定を含みます中には、たとえば同法の六十二条の整備不良の車両運転したという場合に、やはり使用者に責任があるというようなことになって、追及されることにもなっております。これは一例でございますが、そういう点がありますし、また整備不良な車両運転させてもいけないことにもちろんなっておりますので、そういう一例もあります。その他若干のものについては、その使用者に認識がなくても結果責任として処罰をするという規定も道路交通法には置かれておるわけです。さような規定を十分に活用いたしまして、ただいま御指摘のような問題につきましては、運転者だけの責任を追及するのでなくて、将来さような事故が再び起こらないために使用主その他の注意を促すという必要は十分あるものというふうに考えております。
  80. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 これも警察がいないのではなにですが、自動車運転者の処罰と並行して、運転者のあやまちによる事故によって被害者が重大な損害を受ける、これが救済制度というものについていろいろ考えなければならぬ点があると思いますが、自動車損害賠償保障法等もありますけれども、これらについては何らか今回の自動車事故の厳罰とあわせて、そうして被害者の救済制度に関して何らかの新しい措置をとろうとしておるか、またそうした準備がありますかどうか、そういうような点について政府施策があれば伺っておきたいと思います。
  81. 津田實

    津田政府委員 交通事故による被害者の救済対策といたしましては、政府として一環としてやっておりますものに、救急医療機関の整備拡充、それから救急医療機関の医師に対する専門的研修の実施、これはいずれも厚生省の所管でございます。それからすでに御承知のように損害賠償につきましては、自動車損害賠償保険金額の引き上げ、これは五十万から百万に引き上げを実施いたしたというようなことがもうすでにございますが、はたしてこの程度でよろしいかどうかという問題については、なお検討いたしておる問題でございます。なお法律扶助制度の拡充強化、それから交通相談活動の強化及び示談屋に対する取り締まりの徹底、これは法務省警察庁の所管において行なっておるわけでございますが、示談屋のばっこということは、これは被害者に非常に損害を加えるわけであります。示談屋の取り締まり、これはいろいろ弁護士活動という面からも考えられるわけであります。今度は法律扶助制度につきましては、法律扶助の予算を拡充いたしてまいりまして、これは昨年度から非常に高額にふえております。その扶助制度を活用いたしまして、無資力のために救済を訴求できない者についての救済というようなことは、法務省関係並びに日本弁護士連合会の管下にあります法律扶助協会等において実施いたしております。そういうような一連の措置を行なってまいっておる次第でございます。
  82. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 いま交通事故による罰金は一年にどれくらい収入されておりますか。なるべく新しい資料でお答え願います。
  83. 津田實

    津田政府委員 道路交通法違反あるいは業務過失というようなものによります罰金の額だけを引き抜いて統計をいたしておりませんので、はっきりしたことは申し上げかねますが、大体全体の罰金の徴収額の七割ないし八割くらいに当たるのではないかということが考えられまして、大体百十億ないし百二十億くらいというふうに推定されるわけでございます。   〔委員長退席、大竹委員長代理着席〕
  84. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 私の聞いておるところでは百五十億くらいの収入があるのではないか、こう聞いておりますが、非常に巨額な金であります。ところが、ただいま刑事局長から御答弁のありましたように、大都市等においては、交通事故防止のために、いろいろな安全設備やあるいは救急車の配置、医療機関の整備、その他非常に地方自治体がいろいろ多額の負担をしておるのでございます。そういう状況下にありまして、各地方自治団体の非常に要望がある。それに対して何らか国でめんどうを見てもらいたい。救急車を用意しただけでも、その費用は自動車の購入費や人件費、それからまたこれは非常に大繁盛、その他非常に交通事故防止のために犠牲を払っておるわけであります。これに対して国家として罰金という財源もあることであるから、これでもってある程度めんどうを見てやる必要があるのではないかと思いますが、きょうは大蔵省は来ておりませんね。——とすれば、ひとつ政務次官いかがでございますか、その点非常に考慮してやる必要があると考えますが……。
  85. 大坪保雄

    大坪政府委員 ただいま竹谷さんの地方公共団体等の交通事故防止あるいは事故にあった者に対する救済措置としていろいろの措置をしておる。そしてそれには非常な費用を要しておるし、一方道交法違反による罰金の額というものも非常にふえてきておるから、かれこれ勘案してそういう交通事故防止等に対する地方公共団体等の出費を補う意味において考慮することが必要じゃないか、こういうお話でございました。これはまことにごもっともでございます。ただいま竹谷さんのお話しになりましたように、地方公共団体からも要望等が出てまいっておりまして、地方公共団体の関係者がきわめて要望しておる事実は私ども承知いたしておるわけでございますが、罰金をもって直ちにこれに充てるというわけには参らぬわけでございますけれどもお話趣旨は私どももまことにごもっともだと存じますので、今後関係の向きにもその趣旨を話をしまして、何とか地方公共団体がさらに力強くかつ大きな後顧の憂いなしにそういう措置が講ぜられていくという措置をいたしたいもの、かように考えております。
  86. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 いま大坪政務次官からお話しのように、この点は地方自治体の財政の窮乏からかんがみまして、また、よりよい交通事故防止の施設配慮等につきまして、交通事故をできるだけ未然に防止し得るように、政府においても今後ぜひ御配慮をお願いしたいと思います。  次に、刑法四十五条の併合罪の問題について簡単にお尋ねしますが、確定裁判というものによって犯罪者に大きな感銘力を与えるという趣旨併合罪の前後を分けて考えられておる現行法四十五条のたてまえであるわけでありますが、改正案によると罰金刑以下であればこんなことは問題でない、こういうことで罰金刑以下の場合の判決というものを非常に軽視しておる。こういうことになるのではないかという心配がございますが、これは法務省どうお考えでございましょうか。四十五条の改正規定に関する質問でございます。
  87. 津田實

    津田政府委員 確定裁判後に犯しました犯罪の犯情を確定裁判前の犯罪のそれよりも重いものと評価いたしますることは、一般論としてもちろん是認し得るところであります。現行法におきましては、あらゆる確定裁判によって併合罪関係を遮断することとして、その後に犯されました罪を法律上別個に評価することにいたしておりますものに対しまして、改正法案は、あらゆる確定裁判によってその前後に犯された犯罪併合罪を遮断するということといたしますときは、刑事審判の手続及び刑の執行の手続に複雑さを加えまして犯人に不利益を生ぜしめることともなる。他方、確定裁判後の犯情が当該確定裁判が科した刑種のいかんによって差異のあることも当然でございますので、法律上右のような併合罪関係を遮断する確定裁判を禁錮以上の刑に処するものに限ろうとするものであります。しかし、情状も問題といたしまして、罰金以下の刑に処し、また刑を免除する確定裁判の前後に犯されました数罪を同時に審判する場合に、確定裁判後の犯罪をそれ以前の犯罪区別して評価し、前者を情状の重いものとして取り扱うことを妨げるものではないのでありますから、この改正で罰金以下の刑に処する確定裁判を無視するものでないことはもちろんであります。また累犯による刑の加重は、原則として懲役に処したものの一定の条件のもとにおける再犯とみなされるものとして、法律上懲役に処する確定裁判と禁錮以下の刑に処する確定裁判との間に区別を設けているのでありますが、このことは懲役以外の刑に処する確定裁判の権威を失墜しているということにはなっておらないことはもちろんであります。このようにいたしまして、確定裁判によるただいま仰せの感銘力の問題につきましては、一律にこれを考えるかどうかという点については、必ずしも一律に考えなければならぬものというふうには断定できないものでございます。現に刑法改正準備草案におきましても、これは禁錮以上の刑によってのみ遮断をするというようなことがもうすでに公にされておりますので、今回はその線に従ったわけであります。このことが直ちに罰金刑の軽視を来たすということにはならないことはもちろんであると確信いたしますが、かようにして罰金刑による確定判決によって遮断することにいたしますと、すでに逐条説明等において御説明申し上げましたとおり、そのことが看過されたために上級審において破棄を受けるというような事態がかなり多数にのぼっておりまして、刑事手続に相当の複雑さを加え、遅延を来たしておるというような点を考慮いたしますと、罰金刑につきましては確定判決を遮断しない、併合罪を遮断しないということにいたしましても、決して無理ではなく、むしろそれは現在の実情に適合するものというふうに考えられた次第でございます。
  88. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 罰金刑以下の刑を受けた者の一年の数はどれくらいありますか、統計がありますか。そしてそれが禁錮以上の刑に処せられた者との数字の比率についてはどうなっているか。もう一つ、罰金刑を受けた者のうち、道路交通法違反で罰金刑に処せられた者は罰金刑の処断を受けた者の何%くらい含んでいるか、この三つを承りたいと思います。
  89. 津田實

    津田政府委員 これも裁判の統計でありますので、昭和三十七年度によるわけでございますが、第一審の有罪の総数は三百五十六万八百七十四件でございます。これに対しまして禁錮以上の刑に処せられた場合が八万四百八十二、罰金以下の刑に処せられた場合が三百四十八万三百九十二でございます。この比率考えますと、禁錮以上のものは二・三%、罰金以上のものは九七・七%ということになっております。罰金以下の刑に処せられました三百四十八万三百九十二のうち、道路交通法違反にかかるものは三百二十一万八百二十四でありまして、そのパーセンテージは九二・三%ということになっております。
  90. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 罰金刑以下の処断を受けた者のうち道路交通法違反のものが九二%も占めるというのは、非常に多くの道路交通法違反がある、こういうことになる。これはなかなか事務的な処理もむずかしい。罰金刑以下の確定判決は併合罪の場合については無視するというと語弊がありますが、そうせざるを得ないのは何か事務的な手続でもあるのでしょうか。いなかではよくわかる。だれがどこで処罰されたかよくわかるが、都会では数が多過ぎるので、事務的にその人間がかつて犯罪を犯してすでに何か確定の判決を受けていやしないかということが十分調査が行き届いていないということになると、数の多いところで起こした事件は軽くなって、いなかなどで数が少なければ厳重な処断を受けるということで、事務的な処罰の不公平を来たすというような原因になっている、そういうことが想像されるのですが、いかがですか。
  91. 津田實

    津田政府委員 検察庁の犯歴関係の事務処理といたしましては、全部の確定刑を把握しておることになっております。ただ、その把握のしかたにおきまして、一般の刑につきましては、通常の従来どおりの方法で行なっておるわけでありますが、道路交通事件につきましては、三百万余という非常に多数にのぼっております。したがいまして、これを一般の方法で、通常の方法で処理することはどうしてもできませんので、これは簡易な方法によってそれを集積しております。集積してそれを索引するということにいたしておって、いわゆる通常の一覧的な形にはできていないというのが実情でございます。したがいまして、必要のつどそれを索引いたしますと、その者の前科が全部出てくるわけでございます。そこでそういうような形を現在とっておりますし、将来ともそれをとるわけであります。そういたしますと、たとえば交通裁判所というような流れ作業方式でやっておりますところでは、それじゃ交通事件の前科はわからぬではないかということになるのですが、これは運転免許証に記入いたしますことによりまして、その者の運転免許証を見て、その者について交通事故の前歴があるかどうかというようなことがわかることになっております。交通事犯の前歴のある者につきましては、それを索引として今度は集積した資料から索引をする、こういうことになっておりますので、決して特定の人については発見できないで、特定の人については発見するというような形にはなっておりません。ただ、しかし、膨大な数でありますので、見落とすというようなことが出てまいるのでありまして、そういうことから、ただいまのところは第二審において判決が破棄されるというような例が出てきておるというように申し上げられると思います。
  92. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 公式にはそういう落ち度はないと答弁せざるを得ないでしょうが、現実にはそういうことは罰金刑以下の、感銘力を無視しても処断をしないということになったのじゃないですか、これはどうなんです。これはもっと裁判所の事務が機械化されて、穴でもぽつっとあけるようなことでうまくいけばいいのだが、免許証に書いてあるからいいのだとおっしゃったが、免許証は不利だから、なくしたと言って出さないという場合はわからぬわけです。その点事務処理を完全に行ない得れば、判決というものの権威を認める制度はやはり存置すべきではないか。そのような事務的な理由によって、確定判決の感銘力というものを無視するようなやり方はどうでございましょうか。
  93. 津田實

    津田政府委員 確定判決そのものを、つまり前科の有無を全然無視するということはできないことはもちろん明らかであります。しかしながら、罰金そのものの裁判の感銘力というものにつきましては、これは考え方は二様にでき得る問題であるというふうに思うのであります。ただ、しかしながら前科を把握する事務というものにつきましては、今後ともこれは検察庁において当然なすべきことでありますので、これは十分手を尽くしてまいるわけでありますが、したがいまして、ある特定の者の前科をどうしても調べるということになればそれを調べることができます。しかしながら、御承知のように墨田の交通裁判所において行ないますような流れ作業の間にそれらの集積したものを全部当たって前科を発見するということは、これはもう不可能なことだと存じます。したがいましてその面は免許証による。あるいは無免許運転についてはどうするか、これは検察庁において電子計算機によりまして、無免許運転の前歴者については把握するというようないろいろな形をとりまして、その者の前科の把握にはつとめるわけでありますが、しかしながら、併合罪で処断するしないの問題に関して、それではそこまで常に厳重なことを毎事件について行なわなければならないかというと、これはそれまでにするほどの必要はないのではないかということが考えられる。これは年間三百数十万件という事件について全部これをやるということになりますと、とうてい不可能なことであることは申し上げるまでもございませんので、罰金に処する判決の感銘力の重要性というものとをにらみ合わせまして今度の措置考えた次第でございます。
  94. 大竹太郎

    ○大竹委員長代理 久保三郎君。
  95. 久保三郎

    久保委員 私は改正案の二百十一条を主としてお尋ねするのでありますが、提案理由の説明を読みますと、さらに質疑応答の中で、刑罰を重くするという目的は、最近の特に道路交通における悪質犯罪、これに対して改正するのだ、こういう御説明のようでありますが、悪質犯罪と刑罰の関係はどういう関係考えられておるか。ということは、刑罰を重くする効用といいますか、私は法律の専門家じゃないのでありますが、そういう効用についてはいかように考えておりますか。
  96. 津田實

    津田政府委員 すでに御提出申し上げている資料にもございますが、刑法二百十一条の業務過失あるいは重過失致死傷罪につきましては、これは自由刑、すなわち禁錮刑を言い渡されている者につきましても、相当数にわたりまして執行猶予の言い渡しになっております。したがいまして、その人は全然刑務所に収容されることなくして、その執行猶予期間を終われば、その刑の言い渡しがなかりしことになるというような制度になっております。しかしながら、このような禁錮刑に処せられた人は、執行猶予の言い渡しを受けておりましても、再犯率は低い。つまり再び同種の犯罪を犯す率が少ないということは、これははっきり申せることでございます。このことは、やはりその刑罰の威力と申しますものがやはり影響しておるというふうに私ども考えざるを得ないのであります。そういう意味におきまして交通事故防止、ことに過失犯におきましても刑罰の威力というものは無視することができないものであるということが考えられるわけであります。もちろん、これが万能薬と申すわけではございませんので、今回の改正措置に踏み切りましたのも、やはり政府におきますところの交通事故防止対策のうちの一つとして行なっておるものでございまして、これのみにもちろんたよっているわけでは全然ございません。
  97. 久保三郎

    久保委員 刑罰を科するというと、たとえばいまの御説明でよくわかりかねるのでありますが、執行猶予で云々というお話がございましたが、それでも再犯といいますか、そういう事例はあまりない。だから刑罰は非常に効能がある、きき目がある、こういう趣旨でございますね。そういうことでありますが、この提案の説明からまいりますと、そうじゃなくて、いまの国民的な、一口にいえば感情といいますか、そういうものにこたえるためというのも、まあ効用とは書いてありませんが、一説明されていますが、そういう意味ですか、それも入りますか。
  98. 津田實

    津田政府委員 何のために刑罰を科するか、すべての犯罪に科するかということにつきましては、いろいろ議論があるところであります。しかしながら、つまり本人を改めさせるという目的と、それからさような刑罰に処せられるということによる一般警戒という二つがおもなものであると思うのであります。したがいまして、犯人を憎むために刑罰を科するということは、今日の時代においては時代錯誤だというようなことをいわれることもあるわけであります。しかしながら、御承知のように交通事故被害者の悲惨な状況というものは、これは目をおおうものがあるわけでありまして、それらの被害者の本人あるいは周囲の人、あるいはこの被害者と何らかの関係のある人、あるいは一般の国民の方々というものにつきましては、やはり事故に対する憎悪というものは非常に深いわけです。しかしながら、それかといって、それじゃたまたま過失によって事故を起こした者について重い刑罰を科することが必ずしも適当であるとは考えられませんが、しかしながら、さような被害者の側の苦しみにもかかわらず、加害者側にはほとんど罰らしいものがなかったということでは、やはり被害者としても満足はできないでしょうし、また一般国民におきましても、そういうことがあっていいものかというふうに考えると思うのであります。そういうところをやはり立法としては無視することができないわけでありまして、刑罰に対する社会的非難の度合いを示さなければならないと思うのであります。そうすれば、社会的非難が高まればやはりそれに比例して刑罰が重くなるということはやむを得ないことじゃないかというふうに考えておる次第でございます。
  99. 久保三郎

    久保委員 要約して、提案されている二百十一条の改正の効用というのは、一つには犯罪防止するということでありますね。それからもう一つは、いわゆる応報主義というか、被害者の立場を考慮して、それに応じて社会的な制裁を加えるということですね。その二つにしぼられるわけですね。
  100. 津田實

    津田政府委員 先ほど来申し上げましたことを要約いたしますると、本人を刑罰に処することによって再びそのようなあやまちを繰り返さないように本人を自戒させるということです。それから、そういう者が処罰されることによって、ああいう行為があれば自分も処罰されるのではないかという意味において一般を警戒する、つまり他戒の意味がございます。それからもう一つは、いまの最後の、刑罰本来の効果ではありませんけれども社会的非難の度合いに応じて刑罰を考えていく、要するに社会的非難に刑罰がこたえないとすれば、それは社会秩序を維持するゆえんとはならないということです。つまり極端に申せば、それじゃ刑罰というものはほとんどないのだから今度は私刑、リンチをやったほうがいいじゃないか、こういう議論になれば、これは社会の秩序は破壊されます。そういう意味におきまして、社会的非難の度合いに相応した刑罰を犯人に科するということは、やはり国家としては必要なことであるというふうに考えます。
  101. 久保三郎

    久保委員 そうしますと、整理されて御答弁がありましたが、いわゆる自戒を促す、一般的な他戒、もう一つは社会的ないわゆる制裁、社会秩序維持のためのあれである、こういうことですね。  そこで、それじゃこの問題でお尋ねしたいのですが、自戒のほうは先ほどの引例によって、執行猶予がたくさんあったが、再犯というか、そういうものは非常に少なくなっている、こういうことを信用して、それはよろしい。しかし、一般的他戒というか、これはやはりこの刑が重くなるということでありますが、それじゃこの刑でそういう効用があらわれるかどうか。一つの例でありますが、昨年でありましたか、道交法の罰則が非常に強化されたわけですが、その後道路交通面での犯罪というか、行政罰にかかった者が非常に比率として少なくなったかどうか。これはいかがでしょう。
  102. 津田實

    津田政府委員 ただいまの点は、昨年の道路交通法改正以後の犯罪と以前の犯罪の数の比較というものについては、これはなかなか実数をつかむことができませんし、またその原因というものを一体把握できるかどうかも問題であります。しかしながら、大体全般的に申しまして、こういうことが言えるわけでございます。昭和三十三年、いまから六年前になりますが、三十三年度と三十八年度、三十九年度とを比較いたした指数がございます。それは自動車の数を三十三年度を一〇〇といたしますと、三十八年度は二四五、二・五倍であります。それから三十九年度は二九一、ほぼ三倍になっておる。ところが、事故件数は、三十三年度を一〇〇といたしますると、三十八年度は一八五、三十九年度は一九二ということになっております。したがいまして、自動車は三倍になっておるが事故は二倍弱であるということがいえるわけです。また、交通事故による死者の数を見ますと、三十三年度は一〇〇でございますが、三十八年度は一四九、三十九年度は一六二ということで、自動車の数は三倍になっておるのに死者の数は一六二ということになっておる。この原因が何であるかということになりますと、これは交通法規が厳重になったからであるということは直ちに言うことはもちろんできません。これは道路施設の改善も行なわれましたでしょうし、安全教育も徹底してまいりましたでしょうし、諸種の要因があると思いますけれども、しかしながら、少なくともこの事故数あるいは死者数というものがそれほど自動車の数に比例して上がってこないということは、やはりそこに一つの施策の効果があるのではないかということも考えられるわけです。そういう意味におきまして、やはり交通法規を順守させ、交通法規を厳重にするということは、この面から考えてもゆるがせにできないことではないかというふうに考えられる次第であります。
  103. 久保三郎

    久保委員 これはもちろん水かけ論というか、なかなかむずかしいことでありまして、何とも言えないことじゃなかろうかと私は思っておるわけなんであります。まあ、単純な世の中の機構なら罰則強化というか、そういうことだけである程度問題は防げると思うのですね。人間も少ないし、あるいは社会機構も単純であるというときには、そういう刑罰強化によって問題が防げるだろうと私は思うのですが、刑事局長の見解は少し違うというか、違うと決して言いませんが、そういう要素もあるだろうということでありまして、まあそれは一応お聞きしておきましょう。  そこで、被害者に対する問題というよりは、社会秩序を維持するためにという効用をお述べになりましたが、懲役にすればということで今度改正案が出ておるわけですが、そういう基準というか、ものさしというか、それはどこからおとりになったのでしょうか。何か基準というか、そういうものがおありでしょうね。ただ腰だめで一方的に大体懲役がしかるべきじゃないか、それで五年にするのが当然じゃないか——さっきおっしゃいました頭打ち云々の問題は、いただいた資料から見ても、大半が最高限三年を食っているということなら話はわかりますが、そうじゃなくて、最高三年が大体年間九件、そういうのがあなたのほうから出した資料にあるようでございますが、しかも件数は四千何件あるということですね、事犯としては。だから、そういうことがあると頭打ちという問題はどうも理由にはならぬのではないか。そうだとするならば、先ほど私が申し上げたように、懲役に値するものである、五年を最高限にするべきであるというようなものは、ものさしとしてどういうふうなものさしが当てられたのか、この点を聞きたい。
  104. 津田實

    津田政府委員 従来この過失犯につきましては、御承知のとおり禁錮刑をもって臨んでおります。業務過失傷害致死については、禁錮三年をもって最高限といたしておるわけであります。したがいまして、これは懲役を科するのかどうかという問題があるわけであります。この点につきましては、御承知のように、近時のいわゆる重大な無謀操縦としてあげられておりますめいてい運転、はなはだしい高速度運転、技量未熟者の無免許運転というような、いわゆる三悪といわれるようなものにつきましては、非常に重大な事故が発生いたしておりまして、常識では考えられないような無謀な操縦が行なわれておるわけであります。すでに事例として差し上げております中に、禁錮刑に処せられているものはどれ一つとして酌量すべき余地のないものばかりであります。そういうふうな事犯がますますふえてまいる傾向にありますが、この事犯につきましては、やはりこれは過失犯ではなくして、むしろ故意犯に近いものである。故意に人を傷害したということと紙一重の事犯ではないかということが考えられるわけであります。であるにもかかわらず、これは過失犯の範疇に属するがゆえに禁錮刑を盛られておるということは、これは故意犯と比べてはなはだしく軽きに失するという意味におきまして、さようなものを処罰の対象とする場合には、これは懲役刑を選択すべきであるという意味におきまして、懲役刑のみにするのではなくて、懲役刑または禁錮刑の選択刑にいたしたわけであります。  そこで今度は、年にすることがいかがかという問題がございますが、これはただいま御指摘のように、三十七年におきましては年間頭打ちケースは九件であるということでございますが、同じ表の中に盛られております他の過失犯につきましては、頭打ちから非常に遠いわけであります。それを一々申し上げませんが、頭打ちから非常に遠いわけでありまして、頭打ちになっておるのはこの二百十一条にほとんど限られておる。そういう意味におきましては、もうすでに頭打ち現象であるということであり、しかもこれが昭和三十七年においてすでにそうであるというようなことを考えますと、やはり三年ではもはや軽過ぎるということになっておるということがいえるのではないか。  それからもう一つは諸外国の立法例、これもお手元に差し上げておりますが、これによりましてもなかなか重いところもございますが、もちろん軽いところもございますけれども、これは法制とかいろいろなことによりますので、一がいに外国は何年だから日本もそれでいいというふうに申すわけではございませんけれども、諸外国におきましても相当の例が出てまいっておりますので、そういう意味におきまして、それらを参酌いたしまして五年という刑を相当といたした次第でございます。
  105. 久保三郎

    久保委員 今回の改正の要点といいますか、ねらいは、御説明があったように、道路交通特に自動車交通事犯を対象として改正案を出されたわけですね、そうですな。
  106. 津田實

    津田政府委員 今回の改正に踏み切る動機といたしましては、もちろん先ほど申し上げました自動車の無謀操縦に基因するものにつきましては、現在の刑においてまかなえないどいうことが考えられた結果でございます。
  107. 久保三郎

    久保委員 そこで刑法三十八条の第一項では、過失は原則として罰しないということになっておりますね。そこで業務過失というものと三十八条との関係はどういうふうに考えておられるのでしょうか。
  108. 津田實

    津田政府委員 三十八条第一項には、「罪ヲ犯ス意ナキ行為ハ之ヲ罰セス但法律ニ特別ノ規定アル場合ハ此限ニ在ラス」ということでございます。これは刑法が故意犯を原則とするということを明らかに示したものであります。しかしながら、この特別の規定を設けるものにつきましては、罪を犯す意なき者についても処罰する必要がある。そのためには、それは何を考えるかということについては、刑法各条にきめていったわけでありますが、そのうちに業務過失あるいは重過失というものについては、これは罪を犯す意なき者すなわち過失犯、すなわち傷害致死というような重要な結果を来たした者については、過失犯も処罰するということが刑事政策上必要であるという観点に立って、現行刑法が制定されたものであるというふうに考えているわけであります。
  109. 久保三郎

    久保委員 そういうことでありましょうが、前段申し上げたように、私はこの刑法なんというものはあまりよくわかりませんので、ほんとうの質問をしているのですよ。ほんとうの質問といったらおかしいが、三十八条のただし書きというか、そういうものと刑法二百十一条との関係、これは原則論としていまお述べになったわけですが、業務過失というのはこれを特別に罰するということは、どういう観点からそういう条項をおつくりになったのか、これを聞きたいのです。
  110. 津田實

    津田政府委員 ただいまのお話は、人を傷害いたしました場合は、刑法におきまして一般に処罰しておることはもちろんでありますが、刑法にさらに過失傷害罪という章を設けております。過失により人を傷害した者は五百円以下の罰金ということになっております。そうすると、これは五百倍でございますから二万五千円以下ということになっておるわけですが、過失傷害についても単純な過失傷害、われわれが日常におきますところの過失によって人を傷害した場合も処罰するということになっておる。これはまさに罪を犯す意なき行為を罰しておるわけであります。われわれが日常行なっております、われわれ自身の行動で申しましても、過失傷害罪は起こり得る可能性は幾らでもあるということになります。そこで、そういう意味におきまして、人の身体に対する傷害、機能を害する行為というものは、刑法において非常に厳重に罰するということになっておる。その上今度は、業務上の行為によって、過失によって人を傷害した場合はさらに重く罰しようというのが、現行刑法の法意であります。その意味におきまして、人の身体あるいは生命というものが刑法で非常に手厚く保護されているということがいえると思います。これは業務過失とは全く関係なく、一般の過失においてもさように刑罰をもって臨んでおるわけであります。   〔大竹委員長代理退席、委員長着席〕
  111. 久保三郎

    久保委員 そこで、先ほどお述べになった、故意犯に近い最近のたとえば無謀運転ひき逃げ、こういうものがあるのでという御説明でありますが、そうなりますと、これは二百十一条そのものを解体し分析しなければいかぬじゃないかというなら、犯罪の構成要件というものは、いわゆる業務過失という範疇をどこまで広げるか、それから、その中で細分化しなければならぬような事態が来ているのじゃないか、こういうふうにも私は思うのですが、いかがですか。いわゆる故意犯に近いものが最近非常に多い、悪質だ、こうおっしゃいましたが、そのとおりなんですね。だから、ぼくら自身も、無免許で、酔っぱらいで、ひき逃げでということは、これは社会秩序の面から断じて許すべきじゃないと考えております。ところが、業務過失となると、単に酔っぱらい、無謀運転ひき逃げということだけでは限定できない要素が多分にある。なるほど、提案説明はそのことだけを説明されているから、それだけとれば、実際いってこれは何の無理も抵抗もございません。だけど、問題が業務過失になると、酔っぱらい、無謀、ひき逃げということだけには限定されないですね。しかも最近の交通機関あるいは道路交通、あるいは社会全体の機構、活動、こういうものが、明治四十年かどうかわかりませんが、二百十一条制定のときから比べればだいぶ複雑になってきているわけですね。たとえば、放火なんかの罪というものは何年たっても同じです。ガソリンで火をつけるか、マッチで火をつけるか、あるいは明治時代のつけ木で火をつけるか、方法、手段は違うかもしれませんが、出火すれば、放火ということは同じなんですね。ところが、最近のいわゆる業務上といわれるものをとるというと、そう単純なものでないですね。たとえば汽車にしても、御承知のように当時は最高六十キロでありましたが、最近は、東海道新幹線のように二百五十キロまで出そうというのですね。自動車交通もそうです。明治時代には、ほんとうに貴重品というか、希少価値ぐらいの台数しかなかった。あるいはこの刑法ができた時代にはなかったかもしれない。ところが、最近は先ほどお述べになったようにたくさんの自動車があるということ、そういうことを考えると——あるいは薬剤師にしても、昔はきまり切ったと言ってはおかしいが、たいした薬の数はないわけです。ところが最近は、とてもじゃないが覚えきれないほどの薬品が毎日続々出てきているわけですね。医者にしてもそうです。注射の方法というか、薬も多種多様、いろいろあるわけです。たとえば肉屋だけとっても、御承知のように昔は肉をぶら下げて売っているわけです。ところが、いまは冷蔵庫を持っている。そういう違いが出てきているわけです。変わらないのはとうふ屋ぐらいじゃないですか。豆をすって、機械でするぐらいです。  確かに、これは単に酔っぱらい運転ひき逃げということだけで限定すれば、二百十一条改正は何らの抵抗はなく、私もそのとおり同意します。ところが、業務過失というところに問題がありはしないか。しかもあなたがお述べになったように故意犯に近いものがある。そうだとすれば、業務過失というもののいわゆる犯罪構成の要件をもっと明確にしなければ、かえって角をためて牛を殺すというたぐいが今日出てきやしないか。しかも刑法の何条ですか、いわゆる過失犯を罰せずというのが原則ですね、そうでしょう。そういうことを考えられてここの改正案を出してこられたかどうかが疑問だと思うのですね。だから私は、いまあなたらの提案理由で述べられたところについては、何ら抵抗を感じません。しかし、提案された刑法二百十一条の業務過失改正案については、私は多大の抵抗があるというのです。しかも、刑法全体を見直す時期じゃないですかね。そうだとすれば、あえてこれだけを単純に罰則を強化して、刑罰の強化だけで臨むことがはたして全体のためになるかどうかということなんです。  さらにもう一つ申し上げたいのは、業務過失の範囲、これは先ほどから申し上げておるようにたいへん広範なんですね。だから、そういう点を今回は十分御考慮の上提案されたかどうか。あるいは改正案が通った暁において、そういう私が指摘するような問題が起きてくる心配がないという保障があるのかどうか、いかがでしょうか。
  112. 津田實

    津田政府委員 御承知のとおり業務過失傷害致死という規定が刑法に設けられましたのは、現行刑法制定当時以来のことであります。試みに、その当時の東京都内の自動車の数は十六台であったといわれます。でありますが、その後自動車の数もふえますし、いろいろな交通機関も御指摘のとおり変わってまいりました。また医師、薬剤師等の方々、その他一般に業務上危険な、人の生命身体に危害を及ぼすような行為をするような業態というものは非常にふえてまいっておると同時に、その業務の内容も複雑になってまいりましたことは、御指摘のとおりであります。にもかかわらず、現行刑法はそれに対処してずっとまいってきたわけであります。  それで、そういう非常に複雑な業務関係過失犯に現行刑法が対処しておって大きな非難があるかというと、それほど大きな非難というものがいままでないわけであります。個々の事件につきましては、あるいは控訴、上告等によっていろいろ不服のある方はございましょうが、しかしながら、全般的に見て、この二百十一条はきわめてけしからぬ規定であるというようにはなっていない。これは学者の間におきましても、むしろ妥当な規定だということになっておる。ことにお手元に差し上げておりますところの統計によりましても、たとえば業務過失傷害罪だけについて見ましても、これはやはり禁錮三年から罰金まであるわけです。そういたしますと、この中で禁錮刑を選択されておるもの、あるいは罰金刑を採択されておるものというようなものの数には、それぞれのランクごとにいろいろな数があがっておるわけです。これはやはりその刑事責任に見合う程度の刑罰が裁判所によって盛られておるということを示しておるわけでありまして、罰金の最低額と禁錮の最高とを比べますれば、これは刑罰としては非常に大きな差があるわけでありますけれども、その間に情状に応じた、あるいは犯罪事実に応じたところの刑が盛られておるということを考えますと、今回の改正によりまして考えられておるねらいの、いわゆる無謀操縦に基因するというものに対する刑罰はかくかくであるというふうな社会的非難に合したところの刑が盛られる。これは個々の刑に対しては不服だというような場合もございましょうが、全体として観察いたしました場合に、そういうふうに裁判所の量刑がなされていることは過去の実例に照らしても容易に予想し得るところであります。したがいまして、構成要件をこまかくするということは、実際において不可能でございますし、すでに明治四十年のときには、かような複雑な業務形態が出てくるとは予想していなかったときの刑法でありながら、現在何らほとんど非難なく施行されておるということから考えますと、やはりこの二百十一条の規定の刑だけを改正することによって目的を十分達し得るものと考えております。
  113. 久保三郎

    久保委員 ちょっと参考にお尋ねいたしますが、あなたは検事ですか。
  114. 津田實

    津田政府委員 さようでございます。
  115. 久保三郎

    久保委員 政務次官がいらっしゃるが、検事というお立場で、これはどうも前から疑問に思っているのですが、この法律をつくる立場の者が検事という——実務行為は検事の身分の方がおやりになる、こういうことは、私はまだちょっと研究が足りないのですけれども、ちょっとどうもふに落ちない点があるのです。それでこれは別に非難するわけじゃございませんが、刑事局長は若いころから法務本省にずっといて、法律をなぶっていたというか、お扱いになっていたと思います。やはり職掌柄、最初から検事ということで犯罪問題を扱っていらっしゃったと思うのですね。そういうことからいうと、どうも何か人を見ると、と言うと語弊がありますが、(笑声)そういうような方がその法律をいじくる、と言っては語弊がありますが、そういう者がお扱いになるのは制度上いかがかと思うのでありまして、きめられた法律を忠実に実行して社会秩序を守っていくというのがむしろ検事のお役目ではないか。だから、これはどういう組織になっているのかわかりませんが、むしろ刑事局長が検事という肩書きはどうかと思うので、これは月給の関係もあるでしょうが、これは余談でありますが、まあひとつおりがあったら一ぺん考えてみてください。これは政治家同士の話として考えるべきじゃないかと思うのです。
  116. 大坪保雄

    大坪政府委員 いまの点で、ちょっと個人的なお話になりましたから、私から津田刑事局長の釈明ということでなしに、どういうことでこういう法律改正案が出たかということを御了承いただかなければいけないと思いますから申し上げておかなければならないと思いますが、津田君はほんとうは判事出なんです。しかし身分は、法務省にはそういう経験者をどうしても多少置かなければならぬといういろいろなたてまえからして、いわゆる検事という身分をもって法務省局長をやっておる、こういうことでございます。しかし、津田刑事局長が判事出であろうが検事出であろうが、そういうことは問題ないのでございまして、この刑法改正案につきましては、御承知のとおり、法制審議会で各界の専門家にお集まり願って非常に慎重に検討し、これを法務省だけの立場でなしに、検察庁方面の専門的な知識もいれまして、そして改正案を提出いたしましたが、ここでは政府委員として当面刑事局長がこの問題を取り扱っておりますから、正面に立って御答弁を申し上げておる。その詳しい法律論は私はしろうとでございましてわかりませんから、刑事局長に答弁をやらしているというわけでございます。そこはひとつ誤解のないようにお願いいたします。
  117. 久保三郎

    久保委員 津田刑事局長は判事出身だそうでありますから幸いであります。二、三お聞きするのでありますが、何らの非難なく二百十一条は今日まできておるから、業務過失ということは刑罰を重くしても問題がない、こういう御説明であります。数は少ないと思うのですが、最近の判例というか、そういうものを御参考にしてこの改正はおやりになったと思います。そういう判例を判事出身の局長でありますから当然まず第一に頭に置いて作業は進められたと思いますが、そういう点はどういうふうに見ておられます。先ほどの答弁だと、何らの非難がないから問題がない、不服のある者は必ず控訴している、最近特殊な例が問題なんで一般的な例はあまり問題はない、だれが見ても当然だというのは問題がない、控訴もしないし、それで承服してしまう、こういうのでありますが、最近の例で、これはいろいろあるわけですが、この問題はあとにいたしまして、それではこの業務過失というものの中身ですが、それの責任性というか、違法性というか、そういうものは、言うなれば、当然注意しなければならぬものを注意しなかったという心理状態が一つあります。そのほかに、それに応じたところの行動をとらなかったということになると、これが責任がある、こういうことになるわけですね。過失の有責性というのですか、それはどうなんでしょうか。
  118. 津田實

    津田政府委員 過失犯におきましては、注意義務の懈怠ということばが問題になっております。ある具体的な状況のもとにおきましては、一定の注意義務が課せられておると認められるにもかかわらず、これに違反したので結果を発生したということによって犯罪が成立をするわけであります。この注意義務の懈怠と申しますのは、通常人の標準として考えました場合に、当該具体的な状況のもとにおいて、何人も当然結果の発生を予見しこれを未然に防止すべき義務があるのに漫然とこれを怠ったこの行為を非難する、こういうことになるのであります。なお、立ちましたついでにちょっと釈明をさせていただきたいと思いますが、法務省、ことに刑事局におきましては、主要な仕事をやっている者は検事という身分を持っております。しかしながら、その中には裁判官から出た者もあり、検察官から出た者もある。しかしながら、法務省におきましては、もちろん検察実務をとっておりません。法務省におきましてなぜさような者を職員として必要とするかという点は、これは御承知のように、法務省の仕事はいわゆる法律事務であって、これは全国の検察庁における諸種の検察事務の重要問題について法律問題等をいろいろ解決することが必要だし、同時に、法務省刑事局におきましては、刑事に関する主要立法を行なうことになっております。そこでそれらのものは、さような法律家としての経験を持った者でなければできない仕事が相当たくさんありますので、それらに対しまして法律家を職員として使用するために、これは法務事務官として採用してももちろんいいわけであります。しかしながら、法務事務官として採用いたしました場合は、給与等の関係から、これを裁判官あるいは検察官から求めることはできませんので、これを裁判官、検察官から求めるために、政府部内の職員という意味で検事という名前を使っております。これはアメリカにおきますアトーニーという制度と同じでありまして、いわゆる現場で検察事務を行なっている検察官と全く異なっております。したがいまして、さような立法に従事したり、あるいは検察事務の重要法律問題を検討するわけでありますので、さような経歴を持った者でないとできない仕事であるがゆえにさようなことにやっておるわけでありまして、法務省としての仕事をしておる場合におきましては、現に検察事務に経験があったとしても、その経験を法律家として使うのでありまして、検察事務そのものを法務省の仕事に直ちに反映せしめるということはございません。その点を御了解願いたいと思っております。
  119. 久保三郎

    久保委員 大体わかったような気持ちがしますが、何か不服がありそうとも思っております。  それじゃ本論に入りますが、そうしますと、注意力の集中、これが必要なんですね、いわゆる注意義務というから……。それと、それに集中しただけではだめで、不注意の行動をしたら罰則というか、責任がある。過失罪の場合こういう二つの要件が備わらなければいけませんね。そうでしょうね。専門家じゃないので、ちょっと自分でも言い方がたどたどしいのだけれども、そうでしょうな。
  120. 津田實

    津田政府委員 事例的に申し上げますと、よく注意すれば、こういう結果になるであろうということがわかっておったにかかわらず、そういう注意をしなかったために、そういう結果が起こるということを予見しなくて、したがって予見しないからいいだろうということで行動したら、やはり結果が起こった、こういう場合のことであります。すなわち通常人を標準とした場合に、その具体的状況のもとにおきましては、結果を何人も予見し、未然に防止すべき義務がある、こう判断される場合に、結果の発生を予見しなくてあえてその行動に出た、こういうことであります。
  121. 久保三郎

    久保委員 結局、結果予見の可能性があって、いわゆる結果を回避する手段を行なわなかった場合には責任がある、こういうことですね。  そこで判例の問題でありますが、たとえばいつのころでありましたかわかりませんが、機関士が線路上にある幼児を殺したのかどうかわかりませんが、そういう事件のために業務過失で判決を受けた例があります。それから最近では、たしかこの東京近辺でありますが、最終の電車の終着駅で駅務係が乗客を全部おろした。それは義務であります。たまたま酔っ払いがいて、車外に出した。これはどの辺におったかわかりませんが、一番前じゃなくて、後のほうからずっと見てきて全部見終わった。それで発車、車庫へ引き揚げの合図をした。ところが、たまたまその酔っ払いが一たんは出たんだが、また舞い戻ってホームから線路に落ちていたので、動きだしたからひかれて死んだ。そこでそれは駅務係の業務過失だというので判決があった例があります。そういうのは裁判官の認定というか、判断でありましょうからとやかく言いませんけれども、そういう例がたくさんというか、間々あるわけですね。これは常識的に、私ども国会ではほぼ運輸のほうを専門に担当しておりますが、そういうものを見た場合に、これにはかなり抵抗を感じます。なくなった方にはたいへん気の毒でありますが、いまの二百十一条のあり方に疑問を従来から持っているわけなんです。そこで先ほど申し上げたように、犯罪の構成要件というものをきちっとして、今日御提案になっている趣旨であるところの酔っ払い、無謀運転のようなものはきちっと罰則を強化して、それをやめていくということも必要だが、片方こういう判決を見ますというと、どうも業務過失というものはたいへん幅が広くて、裁判官の認定が広過ぎると言っては語弊があるかもしれませんが、広過ぎて非常に問題がある。しかも最近における先ほど申し上げたような機関士の判決でありますが、これは何メートルか先に人がいるようだ。しかし線路わきを歩いているから、まあ普通のあれとして注意汽笛を鳴らした。そしてだんだん近づいたら小さい子供のようである。そこでとめようとしたがとまらぬ。汽笛を鳴らしたところが、かえってはい上がってきて、これを死傷したということなんです。これなどは一般的に言うならば、線路上には何人も立ち入ってはいかぬという法律が一つある、いわゆる小さい子供は親権者がこれを保護する義務があるということ、それから高スピードで走っている汽車からそう遠距離ではわからぬ、近くへ行ったときにはもうすでに事おそしで、ブレーキはきかぬ。こういうふうなことを彼此考えあわせるというと、多少この判決には無理がありはしないか、こういうことなんです。といって、裁判官の判決を非難するという論拠もなかなかございません。だから、言うなれば、二百十一条というものをもって現代に合ったように犯罪要件を確立して、疑念のないようにというか、だれもが納得するような法律として整えるべきではないか、こういうふうに考えているのです。そういうことは十分お考えになったとは言うでしょうが、お答えはそうだと思うのですが、しかし、そういうことは考えてもできなかったのかどうか、いかがですか。
  122. 津田實

    津田政府委員 先ほども申しましたように、現行刑法の二百十一条は明治四十年に制定されたものであります。それから今日まで、世の中の諸般の事象が非常に複雑に変化いたしておりますが、それにやはり対応して、解釈によって運用できるというのは、このきわめて簡単な一カ条であります。ところが、これを高速度運転の場合はどうとかこうとかいうことを一々書きますことは、かえってそれに当たらないものは全部それでは野放しかということになってくる。そういう意味におきまして、これを例示する、あるいは要件を限定して書く、すなわち一種の構成要件を設けるということは、立案の段階においてはいろいろ考えてみましたけれども、これは非常に困難でありまして、しかも現行法との、他のつまり業務過失との関係においてはきわめて解釈困難な問題が生ずるということによりまして、その努力はついに実を結ばなかったわけでございます。具体的の事案につきまして、あるいは被告人の側にいろいろ裁判に対する不満があるということは事実であろうと思いますが、その点につきましては十分不服申し立ての方法によってこれを是正せしめる以外には方法がないというふうに考えられますが、私どもから見ました場合におきましては、現在の過失犯に対する裁判所の認定というものは、私はそれほど無理があるものとは思えないのであります。   〔委員長退席、大竹委員長代理着席〕  先ほどの駅務係と申しますかの終電車の場合の例でありますが、これは私も承知いたしておりますけれども、これらを一般的に考えますと、たとえば幼児に対する母親の注意義務というものも、いろいろ問題がある事件があるわけでございます。これはたとえば、たまたま子供が水たまりに落ちたというようなことについても、場合によりましては母親に過失責任がある場合もあるわけであります。しかしながら、それは事情が事情でありますから、重い処罰をするというようなことはありませんけれども、しかしながら法律的に申せば、そこに過失犯の成立することは間々あるわけであります。そういうことを考えてみますと、泥酔者に対する駅務掛の措置というものについては、やはり駅務掛は駅務掛としてこの程度の処置はしてやらなければならぬ、少なくともこの程度までは見届けなければならぬという義務は社会的にやはりあると思うので、その注意義務を払っていないからということによって非難されたというふうに私ども考えておるわけであります。しかし、具体的にその事案が適当であったかどうかにつきましては、私は、事案の内容は単に結果的な報告を聞いておるだけですから、とやかく言うわけではありませんけれども、そういうような、たとえば母親の幼児に対する問題でもやはり過失犯というものは成立しておるのでありますので、その過失犯自身がさように不明確になっておって、しかもそれが自由奔放に責任が認定されておるというふうには私は考えておりません。
  123. 久保三郎

    久保委員 私も自由奔放とは言ってないのですよ。泥酔者というお話がありましたが、どの程度が泥酔者か、実際わからぬ。ほんとうにお前酔っぱらっているか、これはわからないですよ。そこらのところが、いわゆる回避手段として、注意義務とその許された危険、そういう関係もありますね。許された危険というか、それはとにかく車外に出して向こうへ向いたなという——本来ならば裁判官が言うように、待合室までずっと送っていけばいいのであります、裁判官の要求するところによりますればこれが一番最善かもしれません。ところが、許された危険から考えれば、車外に出して向こうへ向いて歩いて行ったということになれば、これは許される範囲だと私は思うのです。それからもう一つは、危険の分配ということからいっても、これはたとえば鉄橋というか、さっきの子供と機関士の問題でありますが、これなども、やはり危険の分配というか、そういうものも注意義務の中にはもちろんあると思うのです。ところが、これがだんだん少し不明確に——不明確というか、もちろん明確に割り切れるものではないのでありますが、先ほど御説明になったように、通常人がという一つの基準があるならば、それから推して、それくらいに犯罪要件というものを細分化したらどうかということなんです。私の言いたいのはそういうことです。それは一つ一つ例をあげるということになれば、なかなかむずかしいと私も思います。しかし、大まかに犯罪要件を、もう一つクッションを置くなりなんなりしてやれば、この範囲は、当然と言っては語弊があるが、注意義務と、許された危険あるいは危険の分配というか、そういうものがこの中にきちっとある程度はまりはしないか。はまれば問題は解決だし、御提案の趣旨もそのとおり通るではないか、こういうふうにわれわれは思うのであります。これはもちろん、刑事局長と幾日やったって平行線かもしれませんが、そこにいらしゃる刑事課長さんとは、前に一ぺん非公式にお話をしまして、やったのでありますが、これはものの考え方そのものに違いがありますし——しかし、こういうものを唐突といっては語弊があるが、一つの柱はなぜあわてて出す必要があるかということです。もうちょっと世間が納得する——なるほど無謀運転だけは納得して賛意を表します。私もそれでいいと思うのです。私も、無謀で、酔っぱらいで、無免許で、ひき逃げをやったやつをいまのままでいいとは毛頭考えておりません。だからこれは、あなたがおっしゃるとおりな趣旨だとするなら、私はそれに賛成していいですよ。しかし、この二百十一条はそう書いてありませんから、業務過失ということでありますから、そうなると、いままで申し上げたような点がどうもひっかかる。刑事局長はお仕事として刑法なら刑法全体を見られているのでありますから、内外の法典も見られておるし、時代の進運に応じた法体系、刑法体系はどうあるべきかということを御研究になっておるのでありますから、ことさらかな文字で書いたところだけちょっと直すというような安易な方法でやるべきではないだろう、こう思っておるわけでありまして、これは水かけ論かと思うのでありますが、もう一度御研究なさるおつもりはないですか。
  124. 大坪保雄

    大坪政府委員 だんだんとお話の御趣旨はわかるのでありますが、先ほども申し上げましたように、法制審議会で長期間にわたって専門家がいろいろ検討いたしました結果のことでございまして、法務省の刑事局一局だけで課長、局長等がこういう案をつくったわけのものではございませんから、そこのところはひとつ御了承いただきたい。もう少し時期を見たらということでございますけれども、今日私どもは、一般運転者に対して、特に非常に危険を包蔵しておる車を運転しておる人に対して、一日もすみやかに警告したい、こういう気持ちでございますので、ひとつなるべく早く国会においても審議していただいて通過させていただきたい、かように考えております。
  125. 久保三郎

    久保委員 最後に申し上げますが、私は、政務次官のおっしゃる、無謀な連中に覚醒を促すということには賛成なんです。だから、それにはいいけれども、これはいわゆる両刃の刃物のようなものでありまして、無謀運転を切れば、片方、当然人権を擁護されるべき立場にある者がかえって傷がつく、そういうことはないのかどうか。それじゃ、そういうものは保障されるという何かがありますか。刑事局長どうですか。
  126. 津田實

    津田政府委員 この法律の制定の趣旨と申しますか、立案の趣旨は、先刻来当委員会における御審議によって十分申し上げたわけであります。したがいまして、将来法律になりました場合の運用につきましては、この国会の議事録というものは十分解釈に参酌されると思うのであります。現に現行法におきましても、やはり相当数の執行猶予者があります。資料を見ればわかりますが、少なくとも半数以上は禁錮刑で執行猶予になっておるわけであります。そういう点はやはり裁判所におきまして、個々の事件に対する刑事責任を十分判断して行なっておるわけであります。したがって、今後刑を重くされる部分につきましての運用につきましては、裁判所としても十分これを検討するということになると思いますし、現に立案の過程におきましても、最高裁判所の事務当局の意見も十分聴取しております。したがいまして、この法律の立案の趣旨というものは十分裁判所側にもわかっておりますので、この刑を引き上げられる部分が立法者の意思に反して運用されるということは、私は万々ないものと考えております。
  127. 久保三郎

    久保委員 刑事局長はそうおっしゃるけれども、裁判官は独立でございまして、その立案の過程のものを参考にする裁判官もおられましょうが、だからといって、これは汽車だから、これは飛行機だから、これは船だからといって、区別してかかるような裁判官はないと思う。法のもとにはみんな公平、平等でなければいけないのですから。そうなれば、へ理屈を言うようですが、それがトラックであろうが、飛行機であろうが、汽車であろうが、言うなら同じですよ。だから私が言うように、もう少し犯罪の構成要件について検討を加える必要があるということは、どうしても私は引けないと思うのです。これはむずかしいですよ。むずかしいけれども、時代の進運に伴って考える筋じゃないか、こう言うのです。時間もありませんからその程度にしておきましょう。
  128. 大竹太郎

    ○大竹委員長代理 肥田次郎君。
  129. 肥田次郎

    肥田委員 だいぶ時間もおそくなりましたので、私も質問したいことはたくさんあるのですが、できるだけつづめて質問したいと思います。  まずお伺いしたいのは、先般もこれはお伺いしたので大体わかっておるのですが、さらに確認をする意味で、この二百十一条の改正というのは、その目的は自動車交通事故の悪質犯に対する対策、こういうことで、自動車はもちろんのこと、汽車、電車、船、それから飛行機にも適用される性質のものだ、こういうふうに伺ったのですが、これはそのとおりですか。
  130. 津田實

    津田政府委員 その点は、この法律の立案の動機は、自動車の無謀操縦から基因するところの業務過失致死傷を対象にしておることは、すでに申し上げておるとおりであります。しかしながら、刑法二百十一条は、もちろん自動車というふうに限定いたしておるわけではございません。私ども考えておりますのは、自動車の場合、さような無謀な操縦が非常に多いということがある。それで自動車にいたしましても、かりに路線バスというようなものになりますと、さような泥酔してこれを運転するとかいうようなことは、まああり得ないことであります。したがいまして、路線バスなんということは、この立案の動機にはもちろん入らない。しかしながら、たまたま路線バス運転手が泥酔をいたしましてかようなことをやったといたしますならば、それは一般の通常の自動車と同じようにやはり刑事責任をとらなければならぬというふうに考えられることは、これはもちろんであります。したがいまして、正規の運転規則によって路線運転する鉄道等におきましてそういうことを——この対象になるような事犯は私はないと思いますけれども、万一そういう不当なことと申しますか、非常に常識外のことが行なわれた場合に、それはこの法律の適用外であるということは、それは申し切れない。しかしながら、そういうことは起こり得ないものであるということを私ども考えておるだけのことであります。
  131. 肥田次郎

    肥田委員 それは法律ができると、その法律が適用されるというのは広範に適用されるのが、これは当然のことだと思うのです。だから、この除外をするしないということは、ただ単に口先のことであって、実際法が制定されれば、それが適用される、これはもう当然だろうと思う。したがって、この自動車が主目的であるということは、その他にも適用されるということになるし、それからいまあなたのおっしゃった路線バスだとか、それからタクシーも入ると思うのです。そういうものについても同じだと思うのですが、そういうものは除外をするということはともかくとして、対象とはしておらないということについて、そういうふうにあなたはおっしゃってもいいのですか。
  132. 津田實

    津田政府委員 この立案いたします動機は、通常の自動車の無謀操縦ということによって現在故意犯にすべきものがあるということが立案の動機になっておるのであります。しかしながら、いまのタクシーあたりになりますと、そういう無謀操縦が現にないと言えないということは、日常われわれの体験するところであります。しかしながら、それは路線バスだって全然ないとは私は申しませんけれども、しかしながら、相当の運転規則のもとに運行される路線バスについては、これを泥酔して運転するというような事犯はおそらくないだろう。もしあって、何か事故があれば、やはりそれは相当の責任をとらなければならぬということであって、当面目標とされている事案は、おそらくは先ほど申しましたそういうふうな正規の交通機関ではなくして、まあ不正規ではありませんけれども、一般の自家用あるいは場合によってはタクシーというようなものが多くこれに該当してくるのではないか。また、そういうことの該当するものをなるべくなくするために、かような規定が必要であるというふうに考えておるわけであります。
  133. 肥田次郎

    肥田委員 これはちょっとそこに預けておいてお伺いしたいのですが、この二百十一条という法律の制定の趣旨というものについて、これはいろいろと疑問があるのですが、先ほどからあなたの答弁の中で私聞いておったのに、一般の過失というものと、それから業務上の過失というものとの罪の比重というものについては、これは業務上のほうが軽いというふうに考えていいんですか。そうではなしに、一般の過失というもののほうが軽いのではないか、こういうふうに考えていいのですか。その比重の関係は、いま今日の状態の中でどういうふうにお考えになっているでしょうか。
  134. 津田實

    津田政府委員 これは通説、判例のとっております考え方は、業務過失致死傷罪というものが一種の身分犯である、そういう業務に従事しておる者について起こった犯罪であるということでありまして、行為の主体が業務者でありますので、そのような者に対しましては通常人よりも特別に重い注意義務が課せられておる。したがって、その注意義務違反すれば重い責任を問われるということが、この考え方であります。しかしながら、この背後には、業務としてこれを行なう人におきましては、通常の場合これを反復継続しておるわけでありますから、その者の経験によりまして注意義務というもののきわめて深く行なわれるというのが通常でありますにもかかわらず、その注意義務を怠ったということである。一般のたまたま行なう人がそこまで注意が及ばなかったということもあり得るという意味におきまして、業務者のほうの注意義務が重いということになるというふうに考えておるわけであります。
  135. 肥田次郎

    肥田委員 その際は、判事が判決をする過程の中で情状酌量という面で考慮したらいいことじゃないですか。初めから業務上のものはこうだ、一般過失はこうだ、こういうことをこの法文の上で区別するという必要がありますか。
  136. 津田實

    津田政府委員 これはそういう身分のある者につきましては、通説、判例のいうところに従えば重い注意義務を課せられておるということが、この刑法の示しておるところであるということでありますので、その重い注意義務に照らして具体的な事案がそれに違反しておるかどうかということによって裁判上判断されるものだというふうに考えております。
  137. 肥田次郎

    肥田委員 これは、実は資料で見ると、明治四十年の政府提出、刑法改正案理由書というのがあるのです。いまのあなたのおっしゃっておる業務上について特に課せられておる責任、こういうものの考え方は、これはいわゆる明治四十年時代の思想だというふうに考えるのです。この思想がこの法律制定の理由書というものにはっきりあらわれていると私は思うのです。これを読んでみるとこういうふうに書いてある。「第二一一条ハ新ニ設ケタル所ニシテ職務ヲ奉シ其他一定ノ業務ニ従事スル者其業務上必要ナル注意ヲ怠リ為メニ人ヲ死傷ニ致シタルトキ八前二条ノ」これは前にありますが、「場合ニ比シ其情状頗ル重キヲ以テ特別ニ処分ス可キコトヲ定メタルナリ」こうあるのです。ですから、これはなるほど従来の法の精神を踏襲しておるということについて、そのことは正しいかもわかりません。しかし、この法文が制定されたのが明治四十年ということになってくると、当時の思想というものがこの法文の中に生きておる。こうなってくると、今日の事情の中で、要するに業務上の責任というのが、そういう関係で特に一般の過失業務上の過失というものとに差をつけるという法の制定のあり方がいいかどうかという疑問を持つのです。あなたのほうでは、これはもう従来のままで正しいとお考えになっておるわけですか。
  138. 津田實

    津田政府委員 業務者は一定の行為をしばしば反復をしておるわけであります。したがいまして、反復をしておれば、その者の経験等によりまして、事故防止するについては周到な注意が及ぶはずであります。にもかかわらずその注意をしなかったということであります。たまたま未経験者がある行為を行なう場合の注意の度合いとは、業務者については注意を持つべき度合いが非常に高いということになってしかるべきではないか。そのことによってこそ、それを反復継続して、いわゆる危険な業務を行なう機会が非常に多い人にとっては、そういう注意義務を払ってもらわなければ事故防止にはならないという観点であろう。したがいまして、その観点は私どもとしましては現在の刑法のとっておるところでありますし、これは正しいものというふうに考えております。
  139. 肥田次郎

    肥田委員 私は、交通事故だけを対象にして、ここでいろいろと質疑をきわめて限定された範囲でやるわけなんですが、今日の交通事故というものは、自動車自動車の衝突あるいは自動車と電車の衝突あるいは列車との衝突、その他同じ条件にある動力づきの車、こういう考え方に立つと、これは双方の注意もありましょうが、決して一つで事故が起きるためしはないのです。その責任業務上という解釈になってくると、私がお聞きしたいのは、業務上とは一体どういうふうにこれを区分されるのか。業務上の区分というものは、先ほどのお答えを聞いておると、業務者というものの解釈はすべて業務上というものに拡大されるようなお答えでした。たとえばお医者さんが自動車に乗って運転をしておる、自動車の免許証を持っておる、事故を起こした、これは業務上だ。それは何となれば、お医者さんはその自動車によって自分の生活の手段にしておるからなのだ、たまたまドライブに出た男が、これがほんとうに初めて車に乗ったというなら別だけれども運転免許証を持っておるということは運転免許証そのものが生活の手段に用いられるものであるから、これは業務上だ、こういうふうにおっしゃっておるわけなんですが、そうなると、業務上というものの区分は一体どういうふうに考えたらいいのですか。あなたのほうで何か業務上の一つの区分をおきめになっていますか。
  140. 津田實

    津田政府委員 これはすでに多年の判例によって定まっておると申してもいいのでありますが、判例のとる立場は、業務上といいますのは、人が社会生活上の地位に基づいて継続して行なう行為であって、他人の生命、身体に危害を加えるおそれのあるものというふうにこの二百十一条の業務を解釈しておるのであります。したがいまして、その業務は本業として、そのことによって生活のかてを得ておるために行なっておる業務、すなわち自動車運転を職業としておる人の運転というものにはもちろん限りません。医者の業務と申しましたのは、医者が医者としての医術を行なうということに付随しておるということではなくて、医者が免許をとって継続的に自動車を乗り回しておるということが運転業務なんで、医者の業務とは関係がございません。これは一般のサラリーマンにつきましても、弁護士につきましても、それはもう同じことであります。したがいまして、その業務によりまして生活のかてを得ているかどうかということは全く無関係であります。また運転免許を得ているかどうかにつきましても、無免許者が継続して実際に行なっておるとすれば、免許証の有無にはこの業務上ということは関係がないということでございます。したがいまして、継続してその人の従事しておる仕事ということであれば、この二百十一条の業務上である、こういうことでございます。
  141. 肥田次郎

    肥田委員 そうすると、自動車の免許証の有無ということとは関係なしに業務ということになるのですか。先ほどの竹谷君の質問に対するあなたの答弁を聞いておると、これは議事録を見たらわかりますが、竹谷君が聞いておったのは、たとえばドライブに出た者が事故を起こした場合は何だといったら、これは業務上だとおっしゃった。そうすると自動車の免許をとっておる者が事故を起こせば、これはすべて業務上の過失ということになるのでしょう。だから私はそれはそれで、職業が別にあってもいいとするのです。ところが実際には、自動車の免許証を持っておっても、たまに乗る程度の者、あるいはバスやハイヤーの運転手あるいはトラック運転手のように常時それに乗って、それを職業にしておる者、こういうふうに幾つかに区分されると思うのですね。免許証をとっておるけれども、ここ七、八年乗ったこともない。しかもそれはちゃんと自動車会社につとめ、タクシー会社につとめている、こういう者もおりますよ、こういう者は区分は実際にはできないでしょう。ですから事故を起こしたときに、検事なら検事が調書をつくり、判事がその事故を起こした当事者の話を聞き、陳述を聞いて、そうして判定をする、こういうことになるのでしょう。これはあまりむずかしいことではないのです、業務上という問題についての区分なしに、すべてこれを業務上ということにされるならば、二百十一条の業務上というものの解釈というものが問題になると思うがどうですか。
  142. 津田實

    津田政府委員 業務過失と申しますのは、いまお話の免許者の問題でありますが、免許者というものは、何らかの機会において免許証を必要とすると考えて免許を受けておるわけであります。そこでその免許を受ける者は、教習所であろうと、いかようの場所でありますとを問わず、事実上の運転経歴があるわけです。その人が免許を持っている以上、その人が社会生活にこれを利用するために持っておるわけであります。その人が第一回目に家族を連れて箱根にドライブいたしましても、それはやはり業務上になるわけであります。したがいまして、免許を持っておる人はすべて業務上になるということでございます。それから無免許者でありましても、たまたま全然運転経験のないような人が試みに運転していたというような場合は、これはもちろん業務上になりませんが、事実上、たとえば運送会社の社長あるいは店主でありましても、店員のいないときには、無免許であるが自分で車を運転しておったというような人でありますと、これは免許はなくてもやはり業務であるというふうに解釈されるということであります。免許者につきましては、常に業務上になるというふうな考え方でございます。
  143. 肥田次郎

    肥田委員 どうも正直に言ってよくわかりません。これは口の上ですから、文章に書けばはっきりするかもわかりませんが、口の上で聞いておったんでは、業務上ということの性格づけについてどうも私ははっきり理解ができないのです。そこで業務上というものが、一般の者よりその事態に習熟しておるということで、したがって、それによって罪が重いということになってきて、そしてそれによって量刑されるということになるということだけは、その思想は変わりはないようです。ところが、今日の事態で非常に社会的条件が変わってきていますね。私は、委員長のほうから五時くらいまでに終われということですからつづめて申し上げますが、こういう例があります。これは左官屋です。自動車運転には一応かなり習熟している。絶えずそれに乗って仕事をしているわけです。それが、子供が二人立っておった。そこを四十キロほどのスピードで走っておったところが、いきなりその中の一人の子供が飛び出してきて、そして運悪くその子をひいて死に至らしめた。それに対して検事の起訴状があるのです。その検事の起訴状を読んでみるとこういうふうに書いてあります。その幼児がいつ飛び出すかということを絶えず頭の中に考えていなきゃならぬ、その考えを怠っておった、こういう検事の起訴状です。ところが本人は、二人おるから一人は出ないだろう、そして自動車が走っておるのはわかっておるのだしということで走った、こういう議論のやり取りです。それからもう一つは、警笛を鳴らさなかった、これを起訴状の中の重要な項目にしておるわけです。ところが、あなたも御承知のように町を静かに、警笛を鳴らさないでという運動があるのです。このごろほとんど警笛は鳴らさない。もちろん警笛を鳴らさないということについては、いつでもとまれるという、安全運転ということが条件になっていますが、ですから四十キロくらいなら、これは大体とまれます。ところが、警笛を鳴らさなかったためにこういう事故を起こした、こういうふうに言っているわけです。警笛を鳴らして飛び出す場合があります、相手のあることですから。警笛を鳴らさなかったら飛び出さなかった、警笛を鳴らしたために飛び出した、こういう例もある。ところが、その検事はこれを起訴の有力な理由にしておる。それからもう一つは、この人間がこうして重大な過失を犯して、そして死に至らしめたにもかかわらず、そのうちへ見舞いに一回しか行っていない、いわばこういうことを起訴理由にして、そして罰金と、それから禁錮二年、こういうふうにしておった。たまたま裁判でこれが執行猶予になった。ところが、その執行猶予が軽量にすぎるということで、その検事がまた控訴をしておるのです。ですから、この業務上の過失ということについては、判事と検事とのものの考え方というものが非常に違う。検事は、もちろん制定された法に従って、その法どおりの執行を迫る。こういうことになるのは当然かもしれませんが、判事が、裁判の結果裁判長が執行猶予にしたものを控訴をして、そうしてやらなければならぬ。こういう状態が起こるということは、私は、やはりこの法の立て方があいまいだからだと思っておるのです。  それからもう一つは、こういう問題について私はお尋いたしたいのですが、先ほどちょっと久保君も触れておりましたこの業務上という問題については、これは第三者の関係はともかくとして、業務上というものについてはいろいろな責任上の問題があります。たとえばバスの場合を一つの例にとってみると、バス運転するのに今日野放しで運転しておるのはないのです。タクシーは、これはもう無線車で監督されて動いておるのは例外として、一般通常の流しタクシーというのは時間に拘束されておるわけではない。いわゆる自分の勤務時間、持ち時間を適当に動いておればいい。これは性格が違います。ところが路線バスになってくると、大体ダイヤで運転をしておる。ですから停留所に行くと、この時間にはこの車が来るということで、それを期待して利用者はそこで待っておる。運転者にはそれだけの責任が課せられておるわけなんです。ここで業務上の習熟と、それからいわゆる雇い主の命令といいますか、社会的な責任、こういうものとが相いれないような条件が起こってくる場合がある。こういう際に起こった事故について検察側でどういう扱い方をしておるかということですが、これは何ら情状の酌量はありません。これについては、あなたも先ほどちょっと触れられたように、事業主、いわゆる雇い主に対してそういうことに対する法的な責任というものをどういうふうにお持たせになるのか。この人間は、時間的な拘束がなかったならばもっと実際に安全運転ができる、それが時間的な拘束がある、社会的な責任を感じておるということのために、注意しなければならぬ面で確かに若干粗漏になる面がある。これは、その原因というものはともかくとして、実際に事故というものがどういう形で起きてくるかというと、このごろはだいぶなくなったが、まだまだずいぶんあるのは、例の出べその自動車ですね。これは運転台のところとそれからボンネットのところに距離がある。そのタイヤの周囲に子供がおったような場合には、これはきわめて視界が狭いために見えない場合がある。母親がうっかりしておる、そのために、ちょうど車が発車するときにその子供が飛び出していってひかれるというような例もある。それからまた、よちよちの人、あるいは若い人でも、あわてて車の前を横切ろうとして、そしてたまたま発車する車がその人とぶつかってそれをひき殺す、すべてこれは業務上の過失致死ということになる。これは当然業務上の習熟しておるべき注意というものが十分でなかった重大なる過失である、こういうことになるわけです。ですから、こういうものの責任のとがめ方というものが、これでは幾らとがめても他戒の目的を達することはできないんじゃないか、こういうことになるだろうと思うのです。  それからもう一つは、こういう例です。たとえば規定されたきわめて狭い道路バス運転をやっておる。バス運転をやる場合に一番注意をしなければならぬのは路肩のゆるいところですが、路肩がゆるいためにバスが転落するということがたびたびある。こういう場合には、バスに乗っておる運転手というものは道路のことまではわからない。道路管理者、これが府であれば府、国であれば国、それから私道であれば、その私道の所有者というものがこの道に対して完全な状態にしておかなければいかぬ。こういうものがあっても、それでも転落死傷事故を起こした場合は、これはすべて業務上の重大なる過失事故、こういうことになるわけです。こういう点について、法の上で一体どういう形で規制をされるのか。もうこの際の罪というものは運転者の罪ということではなかろうと思うのです。そういう点についてどういうふうにお考えになっておるか。これはひとつ次官のほうからお答えをいただきたいと思います。
  144. 大坪保雄

    大坪政府委員 だんだんのお話、まことにごもっともの点があると思います。ただ、先刻いろいろ例をおあげになりました場合についても、まあ原則論と申しましょうか、包括的にと申しましょうか、自動車のように重量の重いもの、超スピードで走るものは、これは申さば社会的には危険物でございますから、そういう危険なるものの運転をする者はそれだけやはり責任を感じなければならぬ。また、それによって相手方に人身事故等を起こした場合には、それだけの責任はやはりとらなければならぬ。これは私は今日の社会生活の原則であろうと思うのでございます。そういうところに法のねらいはあろうかと存じます。たとえば先ほどのおあげになりました例の中で、幼児が二人前におるということは認めておった。しかし、それに対して四十キロというような、これは相当の高速度でございます。市街地では四十キロは許されておりません。御承知のとおりでございまして、それであるにもかかわらずスピードを落とさないで、おそらくよけるであろうとか、あるいは動かないであろうとかいう認定が、やはり注意義務を非常に怠っておる。これは警笛を鳴らせば驚いて飛び出すということもございます。これは馬とか鶏なら、警笛を鳴らせば飛び出すわけであります。幼児も意思力が弱うございますから、警笛を鳴らせばかえって動くわけでございます。しかし、驚いて動いても、とめるかよけるだけの準備は、それだけの注意は、危険物を運転する者は持っておらなければならぬというように私は考える。これは親の不注意もございます。しかしながら、ひき殺された子供の親の立場になってみますと、これは自分の子供が前のほうにおる、そのときに四十キロのスピードで一体走れったであろうかということも子供の親としては考えるであろう。そういうこともございまして、ひいた者の立場からすれば、ああでもなかった、こうでもなかったということも言いたいこともございましょうけれども、ひかれた者及びその遺族の立場になりますと、これは実にたまらない悲劇があるわけでございます。そういう悲劇をもたらさないようにそれだけの社会秩序——そういう重量物を、超スピードで走るという危険物を運転しているのでございますから、重々注意は怠らないようにしなければならぬ。その注意を喚起することは、私は今日こういう事故の多くなっている時代に特に必要でなかろうかというように思うわけでございます。  また、バス運転者が雇い主の定めた時間に抑制される、それはもうそのとおりでございますが、これはしかし雇い主も一方的にきめたわけではなくて、おそらくは警察の許可もとっておることでございましょう。平常の場合であればその時間に十分運転ができる。しかしながら、道路が雨が降って悪かったとか、雪が積んでぬかって悪かったとか、あるいはたまたま何かの事故で人込みが多かったとかいうことのためにおくれるということがあり得るわけでございます。その場合に、しかしながら時間がおくれるからといって、人を損傷するかもしれないという心配があるにかかわらず、スピードを落とさないで行くということは許されない。それによって人を殺傷するようなことになれば、やはり過失じゃございませんか、注意を怠ったという点についてやはり責任を持たなければならぬ。人命を尊重するということがやはり土台であろう。雇い主からしかられるかもしれぬ、しかられるかもしれぬけれども、人をひいてはいけないという強い社会的責任をぜひ運転者は持っていただかなければならぬ、私どもはそう思うわけでございます。たとえば道路の路肩がぬかっておって脆弱であったために転落したという事故もございます。非常に残念だと私どもも思う。そういう場合には、たいてい相手方とのすれ違いのときにハンドルを誤ったとか、あるいは何かカーブにおいてスピードを落とすことを怠ったとかいうようなことがあるようでございます。特にバスの場合は、非常にたくさんの人の命を預かっておるわけでございますから、その人数に相応する注意力というものはやはり持っていていただかなければならぬわけでございます。たまたま過失ではございますけれども、それだけ人命を尊重しなければならぬということを、これだけの危険物を運転している運転者には十分注意してもらいたいというのが、私どものこの提案いたしました考え方の基本でございます。  最近は御承知のとおり、いろいろ社会的条件の変化にはよりますけれども、人口も多くなりまして街路にも人があふれておる、自動車の数も多くなっておる、その行きかいも非常にしげくなっております。しかし、そういう事態でありますが、注意さえすればそういう事故は避けられる。私どもは現に自動車に毎日乗っておりますけれども運転者が非常に注意をしておりますと、やはり事故は起こりません。注意さえすれば事故は起こらないと私は思っております。でありますから、その注意力をひとつ喚起したいというのが、今回の改正のねらいでございます。特に最近の状況としまして、無謀運転がふえてまいっております。たとえば酒を飲んだにもかかわらずハンドルを握ってみるとか、あるいは未熟であるにかかわらずハンドルを握ってみるとか、人が相当おるということがわかりながらスピードを落とさないで行くとか、非常に無謀運転が多くて、そのために非常に貴重なる人命が損傷されておるという傾向がきわめて強いわけでございますから、この機会に運転者というものはそういうことであってはいけないという警鐘を乱打することは、私は必要でなかろうかというような考え方でございます。これが私ども考え方の基本でございます。
  145. 肥田次郎

    肥田委員 次官、あなたは自動車運転はおやりになりますか。
  146. 大坪保雄

    大坪政府委員 私はできません。
  147. 肥田次郎

    肥田委員 私らも、さっきから久保君が言っていたように、無謀運転を戒める、無謀運転というものに対する罰則の強化ということについては、むしろ私らは推進したい考え方を持っておるのですよ。けれども、やはりあなた方のいま言われるこの話を聞いておると、私らの考えておるものとの考え方の次元が残念ながら違いますね。どういうことが違うかというと、あなた方がそういうふうに考えておられるのなら、交通事故を起こせば一生運転免許証を与えないというところまで、なぜいきませんか。先ほど質問の中でこういう意見が私は津田さんから出たと思うんですよ。生活の道を奪うというようなことがあってはいけないから、免許証は取り上げないで刑法上の責任を問うんだ、こういうことを言われた。これは同じでしょう、刑法上の責任を問うということは。生活の手段は運転免許証があることに限らない、生活の手段というものはほかに求めることができる。運転に適するか適しないかということまでは、運転免許証を与えるときにそこまでは手を入れてない。学校で、うちの学校へ来なさい、うちの学校へ来たら免許証はもう必ず取れます、何々の点が免除、何々の点が免除、こういう特典がありますといって特典を並べて、そうして学校いわゆる教習所をつくって、そこへ運転免許証取りを集めて、このごろ特別のところは別ですけれども、あの自動車学校でもうかっておらぬところはないですよ。だから生活上の手段ということに対してものを考えるのなら、これは考え過ぎです。ですから、そういう者については再び、一生免許証を与えない、死傷事故を起こした者については。それからもっと罰金刑を強化する必要がある。一生払えないくらいの罰金をかけたらどうです。そうすると、もうこれはたいへんだということでハンドルを持たなくなる。法というものはある面では徹底した面がなければいけない。中途はんぱのものは決して他戒にはならない、自戒にもならない、そう私は思うのです。  それからもう一つ、あなた方と次元が違うというのは、いま日本自動車は七百万台になっておる、年々八十万台から多いときには百万台もふえておる。これを制限する道はないのです。自動車の道はできなくても自動車はふえることは間違いない。もう二、三年もすれば一千万台になる。そうなると、日本のような農村と都会とはなはだしい差のあるところでは、一体どうなると思います。大都市、東京とか大阪とかいわゆる五大都市というところに少なくとも七、八百万台の車が動いて、その他の地域でわずかに百万台程度の車が動くようなことになる。全部都市に集中するんです。私が先ほど言った次元が違うというのは、あなた方の考えておられる範囲というのはきわめて狭いのです。たとえばバスの例を一つとってみると、ダイヤを組んでバスを動かすというのは、地域からの要求というものがあって、それだけの数を動かすのです。決して会社が独自に動かすということはないのです。公安委員会の意見も聞き、それから、その土地その土地の交通機関の運営委員会というのがあって、いや、ここには何本よこせ、こっちには何本よこせ、こう言って配車をしていく。ですから、その時間というものは、いろいろな面を考慮して、もう最少限に見積もって立ててあるところのダイヤなんです。ところが、それでも動きがとれないというのは、いわゆる自動車のラッシュのためにその予定どおり動かない、こういうことになる。運転手もあせる、乗っている者もあせっておる、みんながあせっておる。こういう結果、そういう事故が起こる場合が非常に多い。ですから、ものの考え方の二次元というものが違うと思うのですよ。ですから、あなた方の考えておられるようなものでこの法の制定の趣旨があるというなら、懲役の五年ということじゃなしに、一生免許を与えない、こういうことにならなければこの他戒の目的は達せられない、こういうことになると私は思います。これは議論になりますから、またあらたらてやります。  それからもう一つ、この機会にお伺いしておきたいのですが、これは実際に扱っておるのは警察庁ですね。ところが、表向きには検察庁ということになっております。交通違反の処理ですね、最近、おそらくことしは交通違反の罰金の額は三百億になるだろう、こういうふうにいわれています。先般も大阪から陳情にやってまいりました。大阪は、実はえらい申しわけないけれども、ことしは四十億ぐらいな罰金を納めなければならぬと思っておるのだ。ところが四〇億の罰金を納めるについては、それぞれの地域にあるところのいわゆる交通違反に対する処理場というのですか、名前は知りませんが、そこで、とにかく時間を切って一日に何百人という者が出頭命令で来る。ところが、そこは狭過ぎるということ、それから建物がお粗未だということ、そうして、もちろんそういうところですから、順番を待っておる間に腰かけるところもない。あそこへ行くと、何というのですか、まるで豚箱に入れられたような気持ちがする。罰金だけでは済まぬから、併合罪でこういうことになっておるのかな、こういうことなんです。私も、まさかそういうことはないだろうと思うのですが、陳情の趣旨は、そういう検察庁の支所というのですか、そういうものを処理しておるところの施設を改善をしてくれということなんです。もっと広いところで、少なくとも罰金を納めに来たのだから——違反違反ですから、ですから罰金を納めに来たのだから、まるで重犯罪を犯してきた者を置いておくような形じゃなしに、罰金を納めれば、アメリカ式にサンキューぐらいは言ったらどうだ、こういうことなんです。こういうものに対してぜひひとつ設備を改善してくれという話なんです。ところが、これはどうも、どこへ持っていったらいいかわからないということです。聞いてみると、どうも検察庁らしいということですが、そういうことなんでしょうか。もしそういうことでしたら、ひとつそういう陳情が来ておった、非常に手狭なところで、大阪では、各地方の支所を含めて何カ所ありますか、五、六カ所、もっとありますか、そこで四十億の罰金を取るのですから、少し施設の改善をしてくれという陳情がありましたから、ひとつ心にとめておいていただきたいと思うのです。  要するに最近の交通事故というものは、日本は非常にスケールが変わってきております。ですから、たまたま交通事犯が悪質で困るというようなことであるとするならば、この罰則によるところの他戒策ではなしに、もっと具体的な指導方法があるんじゃないか、こう思うのです。私の知っている範囲の例を一つ申し上げると——警察庁はもう帰っておりませんから、ひとつ聞いておいていただきたいのですが、大体トラック運転手に免許証を持っておるのが一体何人おると思いますか。たとえばあるトラック業者がトラックを二十台持っておる。この二十台持っておるトラックの中で、常時おる運転手と、そこいらのアンコの運転手を雇ってきてやる場合、ほんとうに運転免許証を持っておるというのは数えるぐらいしかない。これはちゃんと警察と——警察がおらぬから言うのじゃありませんが、どうも裏話があるんじゃないかという気がする。乱暴な運転はこういうところがら起きてくる。ダンプーカーの運転手は、運転免許証を持っておる者がきわめて少ない。それからもう一つは、免許証の問題はともかくとして、一番危険に感ずるのは、商店で持っておるいわゆる軽四輪程度の運転者、これはひとつ十分考えてもらわなければいかぬ。こういうものに対する指導は全くできていないのです。それは組織がないからです。業者の組織はあっても、その運転者を指導する機関というものがないからなんです。曲がりなりにも労働組合なら労働組合を持って、そうして警察あたりと絶えず折衝しながら事故をなくしようというときには、不十分ながらも協力をするという体制にあるバス会社、タクシー会社、こういうものは例外なんです。ところが、ほんとうに交通事故を起こす者の層を調べてみると、商店あたりで持っておる車、ここではいなかから出てきて地の利もわからない、ただ自動車運転免許証を持っているというだけの者に運転さしておる。事故が起きるのはあたりまえなんです。それからトラック運転手もこういうことになっておるんです。ですから、こういう者に対する指導がやられない限り、交通事故罰則強化によってのみ他戒の成果をあげるということは非常にむずかしい。ですから、こういう結果あらわれてくる現象を私らは非常に心配をしています。これは正規の機関で最大限の努力をして注意を払っておるところの路線バス、こういうところのものに案外これの適用者が多く出て、その他では思うような成果をあげられない、こういうことになるんじゃないかと思うのです。  もう一つ最後に、これは例を申し上げておきたいと思うのですが、普通一般の場合に、注意運転をしておる者が事故を起こさないというふうに思われておったら、結果はどうも逆なんです。無謀な運転はともかくとして、大体無謀に見えるような、どうもぶっ飛ばしてあぶなっかしくてしかたがないというのが、残念ながら交通違反にあまりひっかからない。慎重に慎重に運転しているのが、ちょっとスピードを出したときにぱかっといかれて、そうして交通違反であげられておる。こういう例が非常に多い。あの男が交通違反にひっかからぬのはふしぎだなんという例がたくさんあるのです。ですから、およそ法というものを適用しようという立案者の考え方と、実際の人間社会の複雑な人間性というものが、そう簡単に割り切れない、こういうことがあります。  時間もだいぶおそくなりましたから、またあらためて残っておるところを質問したいと思います。きょうはこれで質問を終わります。
  148. 大竹太郎

    ○大竹委員長代理 本日の議事はこの程度にとどめます。次会は公報をもてお知らせすることとし、これにて散会いたします。    午後五時十九分散会