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井伊委員 執行が完全に行なわれるということは非常に大切なことで、
裁判制度の最後の締めくくりをするところで、それがなければしり抜けであります。何も
裁判をそれほど厳守しなくてもいいというようなことにでもなりそうな問題であります。しかしこの問題は、
執行の段階になれば、やはり近代的な社会の成長というか変化、そういう中において、
執行吏の
権限自体が非常に小さくなるのではないけれ
ども、社会の力、そういうもののほうが非常に強くなってきている。またそういうところからして、
執行そのものが非常に違った力を要するということになると思う。まあ言ってみると、単純な
裁判の
執行というようなものは昔と変わりはないと思いますけれ
ども、大きな建築物の収去などという例がよくあがっておるのですが、そういうような問題になれば、その建物を収去するという方法は一体
執行吏ができるかどうかということになってくれば、それはもうほとんどできないのじゃないか。そういうことになれば、
職務として
執行しなければならぬ立場にあっても、事実上
執行は不可能になる。これをほんとうにやろうとすれば、何か大いなる
権限が与えられておるというのか、そうでなければ、
権限をあらかじめ与えられておるというのでなくても、その
権限をさらにまた拡張するというようなことがなければ、その
執行というものはできないと思うのです。現に
権限がないというところから、彼ら
執行吏は、そういう場合においては、みずから手を触れるという形でなくて、債権者にまかしていくというような形で、その間にしかるべく何か操作をしておって、その中にいわゆる
執行屋みたいなものがそこへ介在する、そういうようなものを使うよりほかに、
執行吏だけのあれでは、
裁判所の命令であるとしましてもそれはできない。そうすればそこに自分では
権限がないのだから手はつけられないが、名目はそこを下げて、そしてほかのほうでやらしておるのだという形が出てくる。自然にていさいよくまとまりましたという形、それはどういうふうになるか、しまいのほうは示談のような形にでもして解決してしまうか、あるいはそこには何らかの抵抗でもあれば、抵抗を排除してでもほんとうに力をもってそれを
執行をする、そういうことをやる。そういうことよりほかに方法がないというところにきているのじゃないか。一番望んでおるのところ、それを
執行してもらいたいという最後のところにくると、法の力は及ばない。しようがないから、やはり
執行吏は
執行をしなければならぬ役目であるというので、それに違反するわけにもいかず、第三者が自然にやったようなかっこうをして、何とかかんとか形をつけていくのが今日のあれではないでしょうか。こういうところから、どうしても
一つの強い
権限を持つところの
執行官、そういうものにするか、それとも、報酬の面あるいは
手数料の面、それから立てかえ金の面、そういうものについて、もっと自由な
権限を与えておくということ、どっちかでなければこの収去の
執行というものができないというのが
現状です。しまいのほうにいって、人を使うのに
手数料規則というものにちゃんと縛られておるとすれば、それは私のあれとしてとうていできません、引き受けられません。こういったって、社会の通念としてわかっておりますから、それをどうしてもやってもらいたい、あなたのほうでそれは職分としてやらなければならぬのであるからなんて言ってみたところで、やらない。現に実際のところをいえば、いまでは
手数料規則そのものによってでは実際はできないものであるから、債権者が急いで車を用意して飛んでいく、そうして宿泊の場所を提供をしたり、あるいは酒食を備えて歓待するというような、債権者の側でそういうようなことをしてでもやってもらわなければならぬ。今日では、普通の
手数料でもって事実やれない。依頼に行ったって、そういうものは受け付けないとは言いませんけれ
ども、それはどうやらこうやら逃げておるというような状態であります。
執行吏としては事実引き受けられない。
監督の
裁判所のほうにそれを訴えてみたところで、事実が事実ですから、経済的に成り立たぬものを彼らのところにしいてみたってできないことです。
執行するのに、いまのような例で建物を収去するというようなことになりますと、自分の手では、適当な者をたくさん人を雇ってやれるかといいますと、人数をかけてやれるような
執行もありましょうけれ
ども、人数を幾らかけても、その
執行自体がそんな人数によってどうにもならないような仕組みになっているというような場合があるわけでしょう。そういうような場合になれば、これはやはり
執行屋のような、なかなか知恵もあれば顔もきくというような
人たちの何かの知恵によって、そこを何とか解決をするというようなことになる。そこはどうも
手数料だけを非常に上げても、必ずしも全部解決するというものでもないので、できないところがあると思う。そうすると下のほうにきて、
権限を非常に強くして、どういう力でも排除して
執行するという
執行権限を持たせるというようなことにするか、あるいはそうではなく、もっと民主的に自由の
職業、そういうふうにして、向こうの責任において全部を行なうという
制度にするか。
〔田村(良)
委員長代理退席、
委員長着席〕
私は、いまの社会がだんだん変化をして
執行がむずかしくなる一方であるというときには、これの解決はいよいよむずかしくなると思うし、
執行制度はだんだん渋滞をして、問題だけを残して、これが解決に対して根本的な
制度の
改革をしなければならぬときに、国のほうのあれとしては、いたずらにそういうことに迷うているけれ
ども、迷うて解決がつかないうちに事情が変化していく。こういうことになって、いまの
制度だったら、だんだん悪化する一方だと思うのです。これはただごとではないと思っているのです。これは何とかそういうふうなことでなく、真剣になって、急速にこれの
方針を立てる、そうして
制度を改めるということが、何といっても急がれると私は考えるのであります。
いままでの
お答えでも、御苦心のあることは言うまでもないのでありますけれ
ども、そこのところに、いまの
国家公務員のほうの
制度にするというのはいいけれ
どもu、民間のほうのあれも自由だ、そして
制度そのものを真剣に考えないで、むずかしいところは、まあまあそちらのほうで何とかやっているからまかせておけというような考え方がどうもあるんじゃないかと私は思うのです。昔の
執行吏制度はやさしかったかもしれないけれ
ども、今度はそうはいかない。すでに大切なところでくずれておるから、これはほっておけばいよいよ悪化する一方です。これは民間
制度の
自由職業としての
執行吏のほうへまかせれば、何とか彼らはやっていく、そういうところに安易に乗っかっておるのではないかと私は思うので、このことについてはほんとうに真剣に取り組んで、その
基本の
方針を定めて、そして起こるべき悪化の事態を防ぐ、これを
改善していくというふうにしていただきたいということを、ほんとうに熱望するのです。私は、外国の
制度というものをお聞きをしまして、これも参考にしておられるとは思いますけれ
ども、やはりそれはそれ、それよりも
わが国自体の考え方というものが根本だと思うのです。これに対しては、ぜひとも早くこの
制度を確立していただきたいということを私は希望いたします。
それからまたお聞きしたいのですが、今度
改正になる
手数料あるいは立てかえ金の増額というものは、当然一時的の措置だと思うのです。こういうことをしておいたからといって、それでどれだけの年限が救われるのか、私としてもそれは
見通しがつきません。平均して三割五分の値上げになるような
改正でありますが、どうなんでございましょうか。これをやっておけば、いまの進み方からしてどのくらいの間はこれでしのがれるとお考えですか。
執行吏のほうではこれで立っていけるのか、またすぐ
改正をしなければならぬのか、それともこれでやっていけばまだまだ
改正をする必要がなくやっていけるのか、その点はどうでしょう。