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古井委員 私はこういう具体的な問題について
質問をいたしますことはあまり好まないのございますけれ
ども、事柄が小さいようで非常に大きいと思いますので、
質問をしておきたいと思います。あの
オリンピック選手村をどう
処理するかという具体問題としてもきわめて重要でありますし、より以上に私はこれを見て、行政のあり方ないしは大蔵官僚の根性、精神、吏道というものについて考えさせられるとき、非常に重大だと私は思います。そこでそういう気持ちで少し
質問をしたいと私は思うのです。
まずあの
オリンピックにゆかりの深い
場所の
処理の問題としてでありますけれ
ども、
オリンピックはあれだけ
国民に大きな感激を引き起こしたのみならず、あれを実行しますために一体どれほどの国帑を費やし、どれほどまた
国民が大きな精力を費やしたか、これを一時の祭典に終わらせるということはまことに遺憾だと私は思う。この
オリンピックの精神をいつまでも
国民の心の中に、体に残していかなければいかぬ、発展させなければいかぬ、私はそう思う。つまり
オリンピックの火を燃え続けさせなければならぬ、そう思うのであります。その
意味から申しますと、
オリンピックの
関係の深かったあの
場所をどう
処理するかということはきわめて重要だと思う。あの
オリンピックというものをぶちこわしにしないようには少なくともしなければいかぬ。むしろあの精神、
趣旨を生かしていくように活用していかなければならぬ、私はそう思う。この
意味において、いま問題になっておるように、国税局の公務員の研修と称して
宿舎に使うなどということは、許されぬと私は思います。
次にまた、それを抜きにしましても、あの
代々木の
場所は、単なる
土地としましてもこの狭い
東京ではきわめて貴重である。もしあれを利用するならば、幾らでも社会のために必要なことに利用できる
場所である。個人の住宅に使うにしてもどれほど高い
土地かわかったものではない。あの
場所の利用の問題としても、まことに私はいま問題になっておるようなことがあってはいかぬと思うのである。よくもこういうことを考えたものだ、その頭を、精神を疑っておるのであります。すみやかに私はこれは考え直すべきだと思う。これを通じてみてつくづく私はそう思った。ああいうことにしたのは、
手続の上で違法性はないというようなことをしきりに
大蔵省の人は言っておる、あるいは
大臣や党のほうと相談しておる、自分たちのことでやったことではないと言っておる、それで済むのかどうか。法に触れさえしなければどんなことをしてもよいと思っているのか、これを聞きたいのであります。法に触れさえしなければどんなことをやってもいいという考えでいままで大蔵行政はやってきたものであるか。これからもそういう考え、根性で
大蔵省の
仕事はやっていくかどうか、つまり
法律にひっかからなければ、いままで何でもやってきたということなのか。やっていいと思っているのか、そういうふざけた根性を持ったら私はもうおしまいだと思うのである。また
大臣に相談したであるとか、党の何がしと相談してあるとか、こういうことでありますけれ
ども、話は違いますけれ
ども、極端な例をとれば、犯罪をやる場合に、ほかの者と相談したからといって犯罪者がかんべんされるものではない、同罪のものができるだけのことである。いけないこと、道理を越えたことは同じことである。そういうことで弁明になるものではない。自分の
責任を免れることは私はできないと思うのである。こういうことをほうっておいて差しつかえない、そういう気持ちで行政をやっているのかどうか。おそらくは
事務当局の人というよりも、もっと
大臣連中の話し合いとかというようなことできまったのかもしれぬ、押しつけられたのかもしれぬ、たぶんそうだろうと思う。まさかああいう処分を
事務当局が何ぼ何でも案は立てないだろうと思う、進んでああいう案を立てますか、一体
事務当局として。私はまさかそうじゃなかろうと思う。上から押しつけられたのだろうと思う。押しつけられたにしても、いやしくも大蔵官僚だ。なぜこういうふざけたことを断わらないか、それはだめであると。私はまことにこの点で
大蔵省の官僚の名誉のために惜しむものである。私も二十年官僚をやってきた。間違いにもこういうふざけたことはわれわれはできなかった。全くいわば吏道すたれたりという感を深くするのであります。よく考えてもらいたい。いま
田中大蔵大臣はいわば権勢並ぶ名もない実力者でしょう。
大蔵省の持っておる大きな
権限に加え、鬼に金棒で何でもできるだろうと思っている、これがいけないのである。平清盛でさえもできないことがあった。太陽をさかしまに戻すことはできなかった。道理に反すれば限界がくるのである。よく考えてください。そしてこれをすみやかに是正しないならば、気の毒だけれ
ども、これを使っておる間は天下のなぶり者になりますよ。
国会のみならず社会全体の空気はここまできておる。これがある限りはあれを見ろあれを見ろということで、気の毒に
大蔵省の人はなぶり殺にあうのだから早く直すべきだ。あれは入ったからしばらく、少しでも長くかんべんしてもらおう、そのうちに話が変わるなどと思っておったのでは、世の中はもっときびしい。私はむしろさっさとこれを改めて、きれいさっぱりに
青少年総合センターに一元化してしまうことをして、そして罪滅ぼしをするのみならず、自分たちのためにも
立場を明らかにして、そうしてよけいな悪口を言われないようにしたほうが私は賢明だと思う。これは
政務次官はいわば白紙でものをお聞きになったのでしょうから、よく
大臣とも相談してください。また
事務当局も官僚としての
立場からよく考えてみてください。何か
お答えになる点があれば両方から伺っておきます。