○山中(吾)
委員 明確なことは得られなかったのですが、それではそれは次にいたします。何か中教審その他の答申の中には、単科
大学ということだけが文書に出ておるものですから、そこに私は
一つの問題があると思ってお聞きしたのです。これは日本の教員を養成する重大な問題と関連をするので、ほんとうは一日くらい論議せねばならぬと思っているのですが、私は教員を養成する場合には三つの条件が備わらなければ失敗すると思っているのです。
一つは先生の場合には素質のよい者を入学させるということが一番大事だと思うのです。第二には卒業した者が教職につくこと。この卒業した者を教職に吸収するという条件がなければならない。第三に的確な知識を与えるという、その三つのことを含んだものでないと
大学における教員養成というものは意味をなさないと思っているわけなんです。そこで、よい素質の者を吸収するということについては、非常に魅力のある
環境、あるいは政策的に何かの恩典というものが十分に与えられるということがないと、私は不可能だと思うのです。戦後の日本の教員養成を見ておりますと、その点がほとんど欠けておるのじゃないか。そして戦争前のいわゆる師範教育というようなものについて、ただ否定するというのではなくて、いいところと悪いところをよくさらに分析をして、そして国家統制だけが深まるのでない、よいところも入る日本の教員養成政策を立てないと、私は日本の文教政策は低下するばかりだと思っているのです。たとえば過去の師範
学校の場合は、貧乏人の子供ばかりでなく、農家で、その
地域に置きたい親の
気持ちも含んで、小
学校で三、四番くらいまでの者が入学をしておった、ところがいまはだんだんとそうでなくなってきておる。何だかんだいっても昔は一応素質のいい者は師範
学校に入れることができたわけです。いまから
考えてみると、これほど非常識な恩典はないと思うほどの徴兵の免除さえしておる。昔の徴兵制度をしいておった時代に、日本の教員養成に徴兵免除までして師範にいい者を吸収しようとした政策そのものは非合理的で、
考えてみるとまことに非常識だと思うのですが、そういうこときえしてきたという明治以来の日本の教員養成の苦心は、いま戦後
一つもないのじゃないか。戦前のあり方について単に否定をするばかりでなくて、それだけの苦心をしたというものを、どう戦後の民主主義制度の中で新しいものにつくっていくかといろ苦心が
一つもない。そこで私は
国立学校設置法の法案を審議し通す前に、
愛知大臣と実は論戦をしたかった。ただ分離したからそれで教員養成の目的が果たされると思ったら、とんでもないことだ。そういうふうなことも含んで、こういう
一つの伝統を持った明治以来の教員養成を目的とした
東京教育大学を
移転する場合には、その点は十分に検討に検討を加えて、今後の日本の教員養成の
大学に、全国の者に魅力を持たしめるような配慮がどうしても必要である。そういうことを私は強調して申し上げておるわけであります。この点についてはまだ言いたいことはたくさんあるのですけれ
ども、
理事会の定決の線を尊重しないと、また問題になりますし、関連
事項ですからきょはこれくらいにしておきますけれ
ども、それは真剣に
考えておいていただきたい。
そこで
委員長に提案をいたしたいのですが、
筑波山のあの
地域にいろいろな問題がある。日本の文教政策の基本問題も含んで重大なものでありますから、適当な機会に文教
委員会がやはり実地を一応見て、そしてこの問題をもっと真剣に取り上げる必要があると思うので、一定の機会に実地見学されることをおはかり願いたいと要望いたしまして、私の関連質問を終わっておきたいと存じます。