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川俣委員 これは注意を喚起するにとどまりますが、それじゃ少しく内容に入りたいと思います。
二戸当たり五
町歩、六十
町歩単位の、大型
機械をもって
農業経営をできるような方式が望ましいということで検討されておるようですが、私は実はこれに大きな疑問を持つのでございます。なぜかというと、
農民といえ
ども、人間性を無視したような政策は、いかに農林省が
考えても、これは実行上不可能におちいるということでございます。大型
機械を活用することによって生産性が高まることは、これはまた明らかでございますが、生産性を高めるということは、
農民の
所得をふやすことであるから望ましいことのようでありますが、ここに
一つの危険が伴います。というのは、大型
機械で集落
農家をつくるということになると、だんだん孤立したような
農民感情を与えてまいると思う。能率よくても、孤立化は非常に好ましくないのでありまして、大型
機械によって人口が少なくてもいいということは、必ずしも
農家経営として一体望まれることなのかどうかということに、非常に大きな疑問を持つのが
一つです。
もう
一つは、最近農林省は非常に大型
機械の導入を勧誘されておりますが、
意図するところ必ずしも悪いとは思いませんけれ
ども、どうも農機具屋の出先機関に農林省がなっていくのではないかという危惧を非常に持つのです。何かこのごろは農林省がすっかり農機具屋の出先機関の
仕事をしている。行政をやっているのか、農機具屋の出店をやっているのかという危惧を私は持つ。これは私だけではないと思うのですが、危惧を持つ。そういう
意味でお尋ねしなければならぬのですが、私、先般アメリカヘわったときに
——私の前に自民党の方が行かれまして、進歩したアメリカ
農業を視察したいということで御視察になったそうでありますが、私が視察をしたときに、アメリカの
農業は行き詰まっているという私の見解を示したところ、当時の邦字新聞が大々的に書きまして、州の農務長官が大使館を通じて会談を申し込んでまいりました。私これは自慢で話をするのじゃないのです。
日本の国
会議員はおかしい、この間来られた人は進んだアメリカ
農業を見学したいといってこられたのに、あなたはアメリカの
農業が行き詰まっているという判断をされたのはどういうところだ、こういうことで、だいぶ詰問を受けたのであります。そこで私は、統計から見て、確かにアメリカの生産性は高まっているけれ
ども、これだけ耕地がふえていながら、
面積当たりの収量が下がってきたということが明らかじゃないか、これは生産性は上がったことは認めるけれ
ども、いまアメリカが
食糧難におちいってきて、余剰農産物等もほとんどなくなってきているときに、農産物が
不足をしておるときに、反当の収量が下がってもいいのかどうか、これがアメリカ
農業の行き詰まった原因じゃないか、そう言ったら、そのとおりだ、こういう話です。そして、どうしたらいいかと聞かれた。
日本の
農業を見たらわかる、こういうことを言って、たんかを切ってきたのですけれ
ども、これは余談にしまして、どこに問題があるかというと、あなた方、
八郎潟の試験農場を見てごらんなさい。あれは一反歩どのくらいの収量を上げていますか。この間、
大臣も一緒にまいりましたときに、私は一石四斗ぐらいじゃないかというふうに見たのですが、これに対して試験場長は、一石四斗でありません、一石五斗は上がります。四斗と五斗と幾らの違いなんです。一石四斗と言ったら、いや一石五斗
——三石も上がるというなら自慢をしてもいいけれ
ども、一反歩一石四斗、五斗ぐらいで何だと言わざるを得ない。どこに原因があるか。コンバインなんですね。あそこの農場へ行ってごらんなさい。稲を植えつけているのか、ヒエをこさえているのかわからぬ。ヒエと稲とは六、四ぐらいの割合です。これをこの間総理
大臣に聞いたら、いや、ヒエなんというものは、水に浸しておくとすぐ消えてしまう。アメリカへ行って教わってきたのだそうですけれ
ども、総理も
農業を知らぬ。
日本のヒエは水草ですから、水では死なない。アメリカのヒエというやつは陸草の部類ですから、水に浸しておくと消えるかもしれない。
日本のヒエは冷水に強いのがヒエであって、水につかって死ぬようなものじゃない。このくらいのことは農林省も知っておるでしょう。
話は横へいきましたけれ
ども、あのコンバイン方式でやると、ヒエも稲もみんな一緒なんです。ところが、
日本の
農業というものは、水稲
農業は特にそうですけれ
ども、精密
農業に部類するのです。精密
農業というのは何かというと、人力に依存をする。
農民の勤勉に依存をして、精密
農業というものは成り立つのだ。それを
機械化すればいいという。
機械化することによって、確かに一人当たりの
農民の労働生産性は高まってくることは認めますけれ
ども、収量は減る。
機械に依存するのですから、
機械に使われる人間ですから、減るのです。なぜかというと、この間も
一つの経験を持っています。去年
秋田県でイモチが非常に発生した。なぜイモチの防除をやらないんだ、いや、このくらいの
面積の発生率で、あの大機具の防除散布をやると不経済だから、もう少し蔓延してからやってもおそくない、こういうことなんですね。これも一理があると思います。しかし、勤勉な労働力でやっておった時代は、大きくなるとあとが始末がつかない点もあって、自然に早く防除をしようという消毒作業が行なわれるわけです。
機械になると、経済的であるか、経済的でないかということが頭に入ってきて、すみやかに防除するという態勢ではなくなる。大型化すると、ここに
一つの欠陥が出てくるのではないかと思うのですが、こういう
意味で、大型化に力を入れますと、必ずしも反当収量が上がることにはならない。あなた方は上がるという
計算のようですけれ
ども、私は、大型化することによって収量は低下すると、こう見ているのです。低下してもいいときもあり得ますが、
日本の
食糧事情からいって、あるいは
八郎潟干拓の
趣旨からいって、反当収量を減量させるようなことは好ましくないのではないかという観点に立つわけですから、ここで大型化については非常な批判をもって見るということですが、私の見方が誤っていますか。あなた方の見解のほうが正しければ、ひとつ御
説明願わなければならぬと思います。