○川俣
委員 臼井総務長官は、みずから
答弁してみずから少ししまったというような形ですが、もしも
農地改革が行なわれなかった場合には、どうであったろうかということですが、もしも行なわれなかった場合だと、
地主がもっとみじめな迫害を受けたであろうということは言えると思います。なぜかというなら、一体米がとれたかとれなかったか。とれない中に一体、だれが生きていられるのですか。一番みじめな形をとらなければならぬのは地方の農民、これなんですよ。おそらく焼き打ちもされたであろうし、小作争議がもっと激化したであろう。一体心身の
保障はだれがしてくれたであろうか。
社会の援護のもとに
地主があるのであって、自己の力でもっておるのじゃないのでです。今日までの
地主というものは、自己の力じゃないのです。
経済の変遷の中を巧みに泳いだということの力はあったでしょうけれども、自己の力でもっておったのじゃないのです。これは農林省の統計では明らかだと思いまするけれども、資料が十分でないようでありますけれども、開放されるまでの
地主の成立過程を見てごらんなさい。合法的に
土地を所有したかというと、必ず脱法行為のもとに行なわれておりますよ。(「どういう点で」と呼ぶ者あり)どういう点かわからなければ、教えましょうか。たとえば、昔からの
地主というものはないんです。徳川時代には、殿様以外には
地主はなかったんです。それがどうして
地主という者が出てきたか。みな当時分配された
土地を収奪した。どういう収奪をしたかというと、金を貸したり、あるいは物品を貸し付けて、金銭にかえて(「違うよ」と呼ぶ者あり)違わないです。綱島君自身が、その小作争議の先頭に立った弁護士だったんだ。
地主の収奪に対抗して弁護士に立って、弁護料をもらった。その人が違うなんて、昔の弁護料なんかみな返さなければならぬ。(笑声)そういう形で一割二分という規制を越えた収奪をやっておる。だから違法だと言う。違法でしょう。それから、物品を金にかえるというようなことは、承諾があったかもしれぬけれども、強圧でやったんですから、これも違法でしょう。金を借りたんではない。金にかえたんですよ。物品を金にかえたんです。そうしてみなそれに金利をつけて
——物品に金利をつけるなんというばかな話が、どこにあるんですか。販売品に金利がつくなんて、どこにあるんですか。みなこれをやった。過去の成立過程をずっと見てごらんなさい。金貸しか繊維製品などの商人が、
地主に変わってきたんです。(「酒屋も」と呼ぶ者あり)そのとおりです。綱島先生も酒屋をやったことがあるから、ちゃんと知っておられる。だから、飲み食いしたものを金銭にかえて、そうして
土地と取りかえた。それは知能が低かったということもある。りこうだったらそんなことはできなかったでしょうが、綱島先生を頼むようなこともできなかった人は収奪された。だから、ばかだったからおまえはだめなんだというならば、いまの
地主でも同じです。りこう者は、そういうように自分の
土地を他の宅地やあるいは家屋にかえたり、あるいは山林にかえておる人もある。だから、私は、個々が
対象になるかというと、そうでもないと思う。個々が
対象にならないのだと私は思いますよ。個々が
対象にならないならば、一反歩幾らということはおかしい。
地主総体として協力したというならば、
地主団体全体に何かの救済機関をつくってやる、それならば話は別ですが、それからといってこれには賛成しませんが、
考え方としてはそうだと思う。個々が協力したというならば、個々によっては、もうけた者、あるいはそれによって恩恵をこうむった者はむしろ低減しなければならぬ、
補償する必要はない。むしろそれによって恩恵を受けた者から出させなければならぬだろうと思うのです。いままで綱島先生をはじめ大いに
運動した人は、あんな気の毒な
地主は何とか助けてやるのが人道上必要じゃないかというお話です。私は、人道上
考えてやることは、
地主であろうと犯罪人であろうと、その人が窮地におちいった場合に、それを人道的に救済するということは、国民として当然だと私は思いますよ。しかし、全部が一致して協力したならば
——形の上では結束して協力したのではないけれども、総体として日本の
農政の大きな役割りを果たしたのだ、あるいは国民
経済の上に大きな役割りを果たしたのだというならば、側々じゃないのです、
地主槽という全体なんですね。全体として
考えるというならばまだ話はわかる、こう申し上げておるのですが、この点はどうなんですか。あくまでもやはり個々なんですか。個々だというと、個々にはもうけた人もある。損をしなかった人もある。それでもなお救済しなければならぬか。一方においては、うちから屋敷からあるいは墓地まで
買収されて
——墓地なんというのは、普通は
買収の
対象にならないのです。ダムのときだけは墓地も
買収の
対象になるのです。そういう心理的に一番悪
影響のあるものについては、心理的だとは見ない。旧
地主の分だけは心理的な
影響と
考えるということは、何かもったいをつけてわざわざこうやってやらなければならないというこじつけであって、その
ために日本の予算、国の会計を使ってはならない、私はそう思う。これはとうとい血税ですよ。国民全体が不利益を受けたという場合には、国民の血税で払うことは決してやぶさかではない。食糧問題等でまだやらなければならぬ問題、前向きの
解決をしなければならぬ問題があるときに、予算が不足だということで
解決がつけられないでおるときに、なぜそういう
うしろ向きのものだけはやらなければならぬというのですか。こういうことをやっていると、大きな反動がくるということをおそれなければならないと私は思う。