○愛知国務
大臣 ただいまお話がございましたように、実は昨年の夏ごろ、ちょうど私の就任の当時ごろでございますが、いわゆる大学志願者の急増に対しましての計画というものが一応研究されて、数字が出ておりました。そのときに、いまお示しの十万人という数が一応考えられておったわけでございます。しかし、これに対しましては、いろいろの機会に申し上げておりますように、事は大学の問題でございますので、大学の資質といいますか、内容を低下させるというようなことがあってはたいへんなことでございまして、むしろ資質の向上、それから教授陣容が引き続き継続的に拡充されるというようなことが、どうしても必要であるわけでございます。それから反面、大学の終戦後におきます入学志願者あるいは収容の人員等をつぶさに
検討いたしてみますと、率直に申しまして、なかなか実態の捕捉がむずかしいのでございまして、この十万人というのは、一応従来の趨勢からとりました傾向値から見て、たとえば志願者の率が高校卒業生の中でどのくらい、あるいは浪人の中で、たとえば一浪はほとんど全部あらためてもう一度受け直すというようなところの傾向値をとり、また社会的にいろいろ
経済条件がよくなった場合に、さらにそれを上回るものをどのくらい見たらいいだろうかというような点の捕捉にできるだけつとめましたけれ
ども、これがまた実に捕捉しにくいわけでございます。いま
お尋ねの
範囲外と思いますけれ
ども、一例として申し上げますと、たとえば三十九年を見てみますと、同一年齢に対しての大学生の比率というのが、百人のうち一九・九人になっております。つまり、二十歳なら二十歳の同一年齢で、百人のうち約二十人が大学に入っておる。ところが、その前の年は一五・四であるとか、あるいは三十六年
あたりは一一・八であるとか、あるいは三十三には一〇・七であるとか、こういうふうに過去の
実績を見ましても、変動の幅が非常に大きいわけでございます。それから一方におきましては、時間の一部には、何でもかんでも大学に入らなくてもいいではないか、履歴書偏重という思想はむしろ是正すべきではないかというような議論もあるわけでございます。
どうも前置きが、長くなって恐縮でございますが、そういったようなことを彼此勘考いたしまして、おおむね六万七千人ぐらいのところを四十年度、四十一年度で考えることが、まあ比較的無難なところではなかろうかと考えたのでございます。それをもとにいたしまして四十年度と四十一年度に振り分け、それから国公私立に振り分け、あるいは短大等に振り分けてみて、相当具体的な計画をはじき、それをもとにいたしまして、国立については予算の問題に入り、あるいは私立大学については、私大側からの申請の状況な
ども見まして計画を進めたわけでございます。そのときの計画としては、四十年度と四十一年度との間においては、これは概数でございますが、四十年度に十のうち四ぐらいのところをまず片づけて、四十一年度に六のものを片づけるというくらいの考え方で進めましたが、今日御
提案申し上げておりますものは、大ざっぱなところでこれが三対七ぐらいの割合になっておるわけでございます。四十年度の計画については、実はいろいろ努力してみましたけれ
ども、われわれの計画では若干足りないということは認めざるを得ません。足りないと申しますか、四十一年度にロードがかかったというふうに御理解願えば、より正確かと思います。そこで、四十年度についてはできるだけのことをしながら、それから、たとえば私学
振興会の
関係などでもよく申し上げますけれ
ども、三十九年度に比べれば倍額の融資計画をつくり、さらに特に急増の
関係については、六十四億円余りの施設拡充のための融資計画もいたしておるようなわけでございまして、いま申しました三年を通じて三対七とかにいたしました場合、この三の部分についてはまず十分に裏打ちができる、こういうかっこうになっております。そういう
措置をしておきまして、その間私学助成の調査会をつくっていただくとか、いろいろ積極的前向きの各般の
措置を
検討いたしまして、緊急
措置として四十一年度に七の割合になる拡充計画が実行できるように、あるいはさらに進んで恒久的に、私学等についてもどう考えたらいいかということを練りに練って実行の途上にあげてまいりたい。かたわら国立につきましては、当然直接国の責任として、四十年度で若干足りなかった分を含めて四十一年度計画を十分に樹立してまいりたい。おおよその考え方と、これまでの推移、経過、われわれの考え方の変化というものは、ただいま申し上げましたような実情でございます。