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秋山委員 最近は、
信号機があるところは、まずまず
信号機のない横断
歩道と比べると事故がかなり少ないと思います。そこで
信号機のない横断
歩道のところに、なるほど標識が、まるいやつが立っておるでしょう。これは
歩道のほうに置いてありますから、
運転者がなかなか見るのに困難があるかもわかりません。だから、もしそういうところだけにでも、横断
歩道の注意というふうな標識を、空中に見やすいところにつけるということになれば、少なくもそういうところを通過しようとする車については、おそらく注意を喚起しなければならぬということが
考えられてまいりますが、ただ単なる進める場合の
信号機ではなくして、横断
歩道のところにそうした新しい
考え方を持った何かの標識を置く用意があるかどうか、私は
信号機もさることながら、そういうものも現在の段階では必要だろうと思います。そうでないとせっかく横断
歩道をつくりながら、一〇〇%の効果をあげるわけにはいかない、こういうことであろうと思います。
こういうことについて何か、私
たちのような運転もしないし、全くの、車から見ればしろうとでありますけれ
ども、それだけに
歩行者の立場から見れば、まだまだ行き届かない点がたくさんあるような気がするわけですが、
専門家である
皆さん方が、そこまで気がつかないはずがないわけなんであって、気がついてもできないということであれば、もう何も言うことはないわけですけれ
ども、常時それに専門的に取り組んでおる
警察の
皆さん方であり、同時にまた建設省の方々ですから、そういったことも十分もうどこかから始めつつあっていいのではないかという気がしているにもかかわらず、それがなされておらない。こういうふうなことも先ほど来
質疑を重ねておりましたことごとと総合的に
考えていくと、やはり
自分のひがみだけではないのだ、やはり
信号灯を
考えたり、あるいは建設の方々は、
産業構図というものを
考えて、
産業優先になっているから、したがって、
歩行者のほうにはかなりパーセンテージが低い
考え方しか置かれていない、こういうふうに
考えざるを得なくなってくるのです。それではならないと私は思います。特に建設省の
人たちにもなお聞いてみたいと思いますが、おそらく私が知っている限りにおきましては、
道路の問題、あるいは
道路が
でこぼこでしょうがない、これをアスファルトに直そう、あるいは完全舗装に直そう、こういうときにはまず
歩道に手をつけてから、それから後に車が便利になるように
考えていく、こういうことであれば、政府の
考え方として、
警察も建設省も一体となって、
歩行者のことをまず優先的に
考えているのではないかという、はっきりとした
事例があらわれてくるのだけれ
ども、いままでの
事例でいくとそういうことは一ぺんもありません。
日本じゅう、どこへいっても見受けることができません。そういうことになってくると、やはり
自分のひがみではないが、
考え方が違うのだというふうに思わざるを得ないわけです。だからそこで必ず
信号灯がここは必要だと思いながらおくれておる、こういうふうな御
答弁があろうかと思いますけれ
ども、
信号灯がついたところにはたいてい何人かの犠牲者があって初めて
信号灯がつく、これがいままでの通念的な常識であります。そういうことがないのに
信号灯がついたという
事例は、おそらく全国的にも数少ないと思いますから、それでは私はならないと思います。したがって
道路をつくるときには、必ず新しい
道路には
歩道を完備していく、こういうことがまず第一の条件として
考えられると同時に、また
考え方を進めれば、
信号灯やあるいは横断
歩道の施設、そうしたものについても当然
道路をつくる者、そうしてまた管理をする者、こうした者が先に進んでつくらねばならないのではないかと思います。ところが激しいところ、危険なところになると、三回も四回も、うちの中へ車をぶち込まれて、それでもどっちの管轄かということで、なかなかそこには危険防止の何ものかをつけるということにはまいらないようであります。そういうところには、たとえば丁字型の
道路なんかになりますと、飛び込む率が非常に多いのですが、そうした場合を
考えたときには、そこにやはり何か赤ランプなり、あるいはまた白ランプなり、いずれにしても、はっきりここは明るいのだというふうに認識ができるようにしておけばいいにもかかわらず、なかなかそれがなされないで、そうして薄暗くしておく、こうした
事例がたくさんあるわけです。これを私
どもが、ここは危険だから、ここに飛び込まないように歯どめをつくってもらいたい、あるいはそこにあかりをつけてもらいたいということになりますと、建設関係の
人たちになってみれば、これは交通関係と関係があるのだから、
警察でやりなさいという
議論が出てまいります。そうかと思って今度は
警察のほうにいくと、これは
道路の警戒の関係だからということで、血迷ってまいります。どちらがどちらかわからないけれ
ども、いずれにしてもあぶないことは間違いないという結論になることがあります。その場合によく私
たちが耳にするのですが、たとえば東京のどこからどこまで何キロだとか、あるいはどこへ行く道だとかの道しるべの場合には建設省でやるのでしょうけれ
ども、そうでない場合には、危険防止の場合になれば、今度は
警察の管轄ということになってくるようでありますが、そうなってくると、これはどちらにも欠陥があるわけであります。しかたがないから、私はそういうことの上に立って、この道をまっすぐ行けばどこへ行く道なんだ、左側へまっすぐ行けばどこへ行く道なんだということを書けば、これは建設、いわゆる
道路管理者がつけてもいいんだろうということでつけさせたこともあります。ところが今度は、これだけじゃ夜は見えないじゃないか、飛び込み事故というやつは昼間より夜が多いのだから、ここへあかりをつけたらどうかということになると、これは
警察関係になる。そうすると、
道路標識の中にそうしたあかりをつけることはうまくないというふうなことが実際問題として起こってくるわけであります。そういうことも間々あることを
考えたときに、やはり
道路警戒というものは建設省が
指導権を持ってやっていくべきじゃないか、それに必要な参考事項は
警察から十分な意見を聞いていくべきだ、こういうことじゃないかと思います。先ほど来聞いてみますと、
警察部と建設省とが常時連絡を密にして研さんを積んでいるのだということでありますが、私は何かそこまでぴったり行ってないがためにそうした
道路上の問題がいろいろ起こってくるんじゃないだろうか、こういう気もするのですが、いやな
ことばを使えば、もしも
専門家同士がそれだけ熱心に
検討していながらそういうことがわからなかった、
事例としてあらわれてこないのだとすると、何のための
専門家なんだと言いたくなるわけでありますけれ
ども、そういうことを考慮に入れて
考えたときに、こういう問題の解決は一体どうしたらよろしいのか、両者の立場からそれぞれお
考えがありましょうから、御
答弁を得れば幸いだと思います。