○
永野参考人 今回の
暴力追放キャンペーンにからんで、
芸能界と
組織暴力の
関係が大きくクローズアップされてきておりますけれ
ども、その
内容を見ますと、個々の現象に影響されまして、本末を転倒した憶測とか論理が非常に
ジャーナリズムの紙上をにぎわしているように感じられます。もっとも
興行界と申しましても、実際上私
どもが知っておりますのは
音楽興行、主として
ポピュラー、
歌謡曲、そういった
世界についてでありますけれ
ども、
映画界はもちろん、
プロレス、ボクシングあるいは
相撲、
サーカス——ここにもいらしていらっしゃいますけれ
ども、その
世界とは若干
性格を異にしておりますので、私がこれから
興行という
ことばで
お話しさしていただきますことは、主として
音楽の
世界、それもクラシックではない
世界、そのようにお聞きいただきたいと存じます。
興行界と
組織暴力の
つながりというようなことになりますと、
徳川時代の
小屋がけ芝居とか
相撲、そういったことにまでさかのぼってしまうのは御承知のとおりでございます。当時、
先ほども
お話がございましたけれ
ども、
川原こじきとさげすまれまして
賤民扱いにされていた彼らが、
一種の
自衛本能と申しますか、そういう形でこういう
存在と結びついたというふうに私
ども聞いております。もちろん現在の
興行界は、
社会構造の
複雑化に従いまして、
興行界それ
自体ももっと複雑な形をとってきております。こまかくはまた御
質問によりまして申し上げいたと存じますけれ
ども、一口に申しまして、
歌手、
歌手を代表する
マネージャー、あるいは
プロダクション、この
プロダクションと
契約を結ぶ第一の
中間業者、第一の
中間業者と
契約を結ぶ第二の
中間業者、さらに第三、第四と
一般的にございます。
歌手と聴衆の間に大体
最短距離にいたしまして二つくらいの
中間業者が介在しておるのが
現状でございます。しかし、これらの
業者は、現在、
興行界の
流通構造においては、確かにそれぞれがその
存在理由を現実に持ってきている
現状でございます。このような
構造の
複雑化につれまして、彼らが現在のような形で
存在している余地が発生したというようにいってもいいのではないか、そのように考えております。
しかし、このような、彼らがここに入ってきている
現状につきまして、一部
ジャーナリズムでは、私
ども業者が、あるいは
タレント自体が、積極的に彼らをわれわれの
世界に呼び込んでいる、そのような見方が
一般にされているようでありますけれ
ども、実際にはそういったことは全くない。
暴力を利用してこの商売を伸ばしていこうというようなことは、実際に私
どもの業界では全くございません。もちろん中には
ピストルを持っていたといってつかまった
歌い手もおりますけれ
ども、こういう不心得な
存在というものはどういう
世界にもございます。作家でもつかまっている人があるように聞いております。だからといって、文壇がギャングと
つながりがある、そのように考える人はだれもないと思いますけれ
ども、同様に、私
どもこういう
芸能界において、たまたまそういう
人間がおったからと申しまして、それを全体として律せられては非常に迷惑しごく、そのように考えます。
具体的に
お話を申し上げたほうがいいと思いますけれ
ども、あまり具体的に申し上げると、またそこから
誤解が生まれてくるということを非常におそれまして、実際具体的な
お話というのはいままで申し上げる
機会もあまりなかったのでございますけれ
ども、現実問題といたしまして、
プロダクションが
存在している
場所は、ほとんど
東京に集中していると見て差しつかえないと思います。私
ども事業者協会にいたしましても、各
レコード会社はじめ
主要プロダクション二十七社が加盟しておりますけれ
ども、これら二十七社が
取引している
興行師と申しますか、こういう
存在は大体概数五十社前後ではないかと思っております。この五十社前後のうち、実際に今回のこのような
組織暴力といった対象になるところを見ますと一割幾ら、多く見ても二割以内ではないかというふうに考えます。これは私
ども彼らの
暴力組織としての面でつき合うことはもちろんあるわけでございませんので、これは私
どもよりも
当局のほうが御存じかと思いますけれ
ども、私
どもの
常識から言っても一割前後がせいぜいじゃないか、かように考えております。しかし、実際に問題でございますのは、この一割前後の、量は少ないわけでございますが、これらのものが事実非常にいろいろな
性格を含んでおります。ある面、ある角度からだけこの
性格を申し上げます。
私
ども業者にとりまして、第一に彼らは比較的高い
取引額で
取引をするという
性格を持っております。後ほどまた御
説明する
機会もあるかと存じますが、普通の、そういう
暴力に
関係のない
中間業者と比べて、非常に高い値段を払う、そういう
特徴が
一つございます。
それから第二に、金の支払いが非常に確実であるということでございます。物の
売買でございますれば、
売買の済んだ
あと金の
授受が行なわれなくても、その
品物自体がそこに
存在するわけでございますが、
興行という、あるいは歌という
無形の
世界におきましては、終わってしまえば実際何もないのでございます。そういった
意味で金の
授受というのは非常にむずかしい
性格を持っております。そういった点で彼らは確実に金を払う。
第三に、
仕事の絶対量が非常に多いということであります。絶対量と申しますのは、これも
興行界の
一つの
特徴でございますけれ
ども、この灰皿ならば、かりにこれを
札幌へ売り飛ばしても文句が出ないと思うのです。しかしこれが
人間であった場合に、非常に無理な
状態を押して
札幌へ一日だけ
仕事に行くということは、問題が出てくる場合が非常に多うございます。そのような場合に、彼らの場合には
札幌へ行って
仕事をするということに関連して、そこに一週間なり十日の
一つの合理的な日程を組むことができる。そういう
意味での
仕事の絶対量が非常に多い。
第四に必ずしも第一線でない
歌い手、いわばかつてのスターで、現在二線、三線に後退している
人たちの
仕事も、彼らは確実にこなしていく。
第五に他の、いわば
悪徳業者と申しますか、これは
プロダクションの
立場から見ての
意味でございます。そういう
悪徳業者から完全にビジネスを守っていく。そういった
特徴を共通して持っているようでございます。
現在のように
音楽の
興行が多くなりましたのは終戦後でございまして、当時あの
混乱期に彼らを
興行の
世界になだれ込ましてしまった、そのように私
どもは振り返って見ております。いわゆるチンピラ、ぐれん隊、当時のこれを押える
警察力の不足と申しますか、そのためにいろいろな
事件が、
地方ばかりでなく、
東京や
大阪など大都市でも当事数多く起こりました。いまから二十年から十五年前のころでございます。もちろんいわゆるなぐるとか切るとか殺すとか、そういう
暴力そのものもございましたけれ
ども、非常に逆な例が
一つございますので、御
参考までに御披露したいと思います。
昭和二十五年だったと思いますが、
大阪の通称大劇と申します
劇場で
——これはいまでもございますが、
東京で言えば
日劇、あるいは
国際劇場といった
ポピュラーの
音楽の
世界を中心の
劇場でございます。この
大阪劇場で
歌謡ショーを催したことがございます。それまでその
仕事に関連いたしまして、
暴力団との問題が未解決のままにその
ショーが開かれたわけであります。そういたしましたら、開演中に
歌い手が歌っておる客席の前で、彼らが
将棋をさしたり、じゃんけんをしたり何かを始めたわけであります。
将棋をさしたり、じゃんけんをするということは、それ
自体は
暴力行為ではもちろんございませんし、また
劇場の中でそれをやったからといって、その場に居合わせた警官がつまみ出すことはできないのではないかと思います。
しかし、
興行界の
特殊性という
ことばがよく使われますが、これはもちろん
事業的に見ますと、不
特定多数の
人間を
特定の時間、
場所に集めるというきわめて不確かな
仕事、そういった
一種のスペキュレーションと言いますか、そういう
意味での
特殊性があります。また一面
商品自体が
人間である。しかもその
商品価値を発生せしめておるものは、その
人間が歌う歌という、要するに
無形なものであるということが、この
特殊性を大きく形づくっておるのではないかと思います。この人の歌う歌というものは、そのときの体のコンディションあるいは
精神状態の充実、そういった
意味での非常に影響を受けます。
精神が乗らなければ、その歌われた
歌唱は
商品価値を発生してこないということも言えると思うのであります。実際にお客さんが、感動もしない歌を聞いて金を払う人はいないと思うのであります。しかし実際問題として、そのような
自分が歌っておる前で
将棋をさされたりすると、そういった
商品価値を発生せしめるような
歌唱ができるだろうかということをわれわれは考えざるを得ないわけであります。
これは事実あったことでございますが、この
事件につきましてさらに申し上げますと、じゃ、これは
暴力団とどいうふうな
関係で処理されたかということでございますが、普通
常識的に考えれば、その場合に、次にそこで
仕事をする場合には、その
マネージャーはそういった
いやがらせをした
暴力団と
つながりを持って、合理的に
仕事をするというのが
常識でございますが、実際にはそうでなかったのであります。と申しますのは、翌日同じようなことをした連中を要するに腕力でつまみ出してしまったより強い
暴力団が
存在しておったわけであります。そういたしますと、当面、そのときに、
歌手にしても、あるいは
マネージャーにしても、そういったことを処理してくれる
人間というものは、ごく自然な形で身近な
存在に変わってきてしまうということも、
実情としては私は当然ではないかと思うのであります。そういったつき合いから、次にそこの
仕事というものが、
いやがらせをした
暴力団ではなく、そういう
方法で処理してしまった
暴力団という形へ転化してしまったわけであります。
これは一例でございますが、そういった
過程を経て今日に至ったわけでございますが、実際に今日
存在しておるごく一部の
暴力団の
興行者としての実体というものは、こういった
過程を経て実際に淘汰され、
先ほど申しましたような大体五つくらいの目ぼしい
特徴的な
条件を持っておるものだけがその中に残っておるというのが
実情でございます。
しかしこれは
先ほども申し上げましたように、あくまでも私
ども業者が直接
取引をしております五十数社の
興行師の中の、一割
程度を占める
暴力団と
関係があるとおぼしき
業者についての
お話でございます。さらにその
業者から
地方に転売されていくところの
業者については、別の問題でございます。これは私
どもここで現在御
説明申し上げるまでの材料を持っておりません。実際には知らないのであります。
次に、そういった概括的な前提に立ちまして、今回の
警察当局の
方針と、これに対し私
どもが表明した
態度について御
説明させていただきたいと思います。
私
どもが
協会内の
組織に従いまして、
理事会、
興行部会といったものを合併して、この問題をテーマとしてさっそくに三月でございますか開いたのでございます。ほかの
芸能界の諸
団体が直ちに
声明をお出しになったりなどしたのに対しまして、私
ども事業者協会が、そういう表明の打ち出しが若干おくれたということに一部では批判もされたようでございます。そういった私
どもの
協会の
流通構造の中に彼らが占めているという
意味において、いろいろ検討しなければならない問題がたくさんあったわけでございます。しかし、結論といたしましては、今後われわれの
事業を、
取り締まり方針の
精神を尊重して行なうことを全
会員に通達いたしますと同時に、先に申し上げましたそういう
興行師、直接
取引の
関係先に対しても、その
趣旨を一応文書にして全部出しまして、まずわれわれ
自身のえりを正して出発したいという
態度を結論づけたわけでございます。
最後に、本日この場に
出席さしていただきまして、私
どもが国会また
政府に
お願いしたいことにつながる点でございますが、三月二十六日に
当局に提出いたしました「
音楽事業者の
暴力団問題打開に関する
要請書」というものがございますので、ちょっとここで御
参考までに読み上げさしていただきたいと思います。「今回の
暴力追放の
キャンペーンに対し、当
日本音楽事業者協会においても
会員二十七社とともにその
趣旨に協調する
態度及び
方針を打ち出してまいりました。その結果として、業務遂行の上にも当然ある
程度の支障及び損害も予測するところでありましたが、
警察当局の処置並びにマスコミの論調があまりにも急激であるため、
一般社会のみならずあらゆる
興行関係者(註、
興行主催者、会場管理者、その他の
興行担当者等)が
興行と
暴力とがあたかも、不可分のものであるがごとき錯覚を起こし、その結果として
興行を危険視、罪悪視するがごとき現象さえ生じてきております。そのため個々の
興行運営に際し、適正な判断または選択を加えることさえも避けて、
興行事業全体に警戒を加え、
一種の手控えムードのごときものすら生まれてきた感があります。この事態がわれわれ
音楽事業者にとって、現在重大な危機を招きつつあることは、あえて言をまたないと存じますが、さらにこのことが各地における
一般大衆に対する
音楽の供給を妨げる結果ともなり、すでに各方面よりその打開を求める声が向けられてきております。これは社会的見地からも、重視すべきであり、いわゆる角をためて牛を殺す誤ちをおかしている懸念すら感じられるのであります。もちろん以上述べたことが当初の目的に疑念を持つがごとき
意味合いのものではありませんが、少なくとも今日以後においては、その後によって生じたあらゆる問題の収拾策に心を配ることが、われわれにとっての緊急かつ重大な課題であり、既述のごとく
地方における
音楽芸能提供の枯渇、あるいは正常な
興行関係者の苦悩を考慮されたいと念願するにほかならないのであります。ここで当
協会としては、以上諸問題の打開策の一案として、
興行者に対する認可または推薦の制度を実施されたいと考えます。」こういった
内容のものでございます。
これを要するに、結果として
興行というものを運営する機関の一部け脱落してくることが当然考えられるわけでありまして、しかも再三申し述べましたごとく、
興行というものが何分にも特殊なものであり、
一種のかけにも類似したものであって、経験者がこれを行なえばこれは
事業となりますが、そうでない者がこれを行ないますと、単なるギャンブルというような
性格を持っている。しかもその商品たるや、これは
先ほどもちょっと申しましたが、極端な一例でございますけれ
ども、現在今世紀最高のピアニストといわれているソビエトのリフテルというピアニストがおりますけれ
ども、
興行の
契約が終わって会場に来て、その会場に満員の聴衆がいても、きょうは気が向かないからピアノはひきませんというようなことを言って帰ってしまう。これは
先ほど常識云々という問題が出ましたけれ
ども、
先ほど二谷さんは非常に遠慮されておっしゃっていらしたようですけれ
ども、何も政治家にもなれるピアニストがえらいのだとは私は思っておりません。場合によってはそういった
常識がなくてもりっぱなアーチストはいると思うのでございます。ですから
会社の社長になれなくても、しかし芸術家としてはりっぱだ、そういうような人も当然私は
存在すると思うのであります。このリフテルなどは、ソビエトで、ああいう国であっても、なおかつ彼のそういった
性格というものは尊重されて、りっぱな地位を維持しているというような人もあるわけでございます。こういう他の
世界では判断しがたいような商品を取り扱う、こういったいろいろな
意味で危険性の非常に高い
仕事を、何でここでAがやめたからすぐBが入って
仕事をやるということが望めるだろうかということを、私
どもはおそれるわけであります。したがってAが、そういった脱落した
興行師があった場合、そこがそのままブランクになってしまうということを、今後私
どもとしては積極的に解決していきたいというのが、いま申し上げましたような
趣旨のものでございます。
もちろん私
どもは
組織暴力追放ということは、単なる
警察当局だけの問題ではなく、いわば国全体の願い、これは私
ども自体も同じ考えでおります。したがいまして、別に弱腰でこういうことを申しておるわけでは決してございません。しかし砂糖がアリを誘うからといって、砂糖の甘さを責めるわけにはいかないと思うのでございます。まして、砂糖を家庭から締め出すことは不合理で、そういうことになってしまったらこれは不合理もはなはだしいと思うのであります。しかも最近の状況は、砂糖があるからアリが
存在するのだというような飛躍した論理さえも展開されているのではないか、そのように思うわけでございます。要は、やっぱりアリそのものの
存在が問題の本質と思いますが、これは別といたしましても、私
どもとしてはまず砂糖からアリを完全に隔絶することを願いたい。そのためには家庭の一主婦だけではできない、やはり家族全体が協力しなければほんとうの隔絶はできないのである、そのように思うわけであります。そういった
意味で、ここで長々とお時間を拝借して
お話し申し上げたような次第でございます。御清聴ありがとうございました。