○平岡
委員 山一が象徴的なものであったということ、よって、これは単なる
山一救済のため二十五条を発動したのではない、この趣旨はよくわかっております。
山一不安の
本質は、いまあなたの御指摘のとおり、運用預かり株券の取り戻し要求、すなわち運用預かり契約の解除要求が殺到したということ、運用預かりは
山一だけで五百五十億円、相次ぐ解除要求のために、今日現在
日本銀行は二百三十四億円のてこ入れをいたしておることも御
承知のとおりであります。また、大井
証券に対して三十六億円、合計二百七十億円が支出されております。ところで、
証券十九社の運用預かり総額が、六月末現在で二千六百十億円でございますから、すでに一〇%をこえる解除要求があったわけであります。私は、この
程度でとどまっておればいいと思うのですが、今後の見通しについて少しく御見解を伺いたいのであります。
それは、いま千円台の大台につきましての攻防戦が展開されておるわけですが、
池田前総理
大臣の御親戚であられる近藤荒樹さんは、新聞紙上で、このダウ平均は八百円まで下がるんだということを御主張になっておられるわけです。だから、一千円台の攻防戦が八百円ぐらいということになりますと、一〇%
程度のてこ入れではとても間に合わない事態ができてくると思うのです。そういたしますと、まさかと思った二千六百十億円の極限度まで、あなたのほうがこの運用預かりの株券の取り戻し要求の処理のために支出しなければならぬことも、論理的にはあり得る、そういう可能性もないことはないと思うのであります。私は喜んでそういうことを言っておるわけではなくて、そういうことがないことを望んでおるのですけれ
ども、しかし、打つ手は別になければならぬと思うのです。いままで
証券業界の価格維持のためにすでに五千億円ほどが投ぜられ、なお二千億円
程度が待機中ということが、午前中の
大蔵省の当局者からの答弁にあったわけですが、この大
規模動員偏重が少しく的をはずれているのではないか、と言うては言い過ぎかもしれませんが、もっと大事なことがあるのではないかと思うのです。
私の申し上げたいのは、第二段の打つ手としては、結局いまの
政府のてこ入れの中心は、運用預かりの取り戻し要求を遮断するということが
一つありますが、そのほかの重点認識は、結局
投資信託自身が目下の市場の売りの元凶だということ、この点から、
投資信託自身に対する対策がかなりよくなされておると思うのです。
その一、二例をあげますと、
投資信託組み入れの公社債担保
金融は決定されておりますし、
投資信託の手持ちの株式の肩がわりの再度の実施等も準備されておるわけです。そういうわけで、日銀、
大蔵省の第二の鎮火目標は、
投資信託の動きそのものに向けられておるわけでございます。当然なことですが、投信再編成に向けられているわけでありましょう。それで、市場目下の元凶ともいうべき
投資信託の救済方式は、現状でも至れり尽くせりであると私は思っております。これまでは、しょせんは株安の応急血どめ策にすぎないということ、株価安定のための応急血どめ策にすぎないのではないかという疑問が私にはあります。血どめはあくまでも血どめでありまして、投信そのものが大衆から信頼を失って見放されておることが致命的なわけでございますから、この根源をつくところの救済策を、言うなれば構造的に
考え直さなければならぬのではないかと思います。現下の
投資信託救済諸対策は、株価対策のための一手段に堕してしまって、これのみでは
証券市場回復のめどは立ち得ないと私は思っておるのであります。千円台の攻防戦というがごとき株価現象に目を奪われる結果でありましょうが、投信の体制的な改善を忘れてはならないのではないかというのが私の
意見であります。すでに株価に対しまして、先ほど申したように五千億円、さらに二千億円というような大金が用意されながら、そこにまだ決定的な効果が出てこないということに思いをいたすならば、第二の対策はそういうところにはないんだということにお
考えをいただきたいのであります。
その点につきまして、七月十二日付の朝日新聞に「
経済気象台」という欄がありますが、その匿名五輪氏の所論は非常に示唆的であると思います。
かいつまんで論旨を申し上げますと、
投資信託の期限を無期限とせよ、安定
経済に移行しつつある現実を
考えれば、英米流の二十年ないし無期限として、
長期的
投資に徹せしむるべきである、投信の期限は、受益者にとっては何かの都合で解約するときが満期となる、こういう
考えに徹すべきであるということが書いてあります。これを画一的に五年にしておくから満期日が一時期に集中して、いまみたいなときには株安の激化の要因となる。第二に指摘されておることは、各社の
投資信託にそれぞれの特徴を持たすべきだ。配当も期間も同じであり、値下がりの率だけが違うということでは大衆は逃げ出すばかりである。投信は多様さに欠け、目移りの楽しさがない。既製服のほうがよほど種類が豊富で、需要者の要望をはるかに満たしている。いずれにせよ、マーケットリサーチのセンスに欠けているのが現行の
投資信託である。また、元本割れの投信の償還延期などは、延期すれば額面で返ってくるがごとき錯覚を与え、大衆の
投資に対する正しい理解を妨げているだけだ。新しい
投資ファンは生まれてこないであろうと結んでおるわけであります。
以上は非常に示唆的なものと存じます。
日銀必死のてこ入れも、その本来的な成果はいまのところ生まれてきていませんし、私は、近い将来になお効果的にこれが生まれてくるとも思っておりません。私があえて申し上げたいのは、あくまでも、いままでの
大蔵省、日銀の対策は血どめの対策であるわけであって、血どめは血を防ぐための応急措置であり、病体の回復のための治療はまたおのずから別個だという認識に徹すべきだと思うのであります。これは、治療のほうは
大蔵省の担当だということであるならば話はそれまででありますが、二十五条の発動、無制限的な資金投入それ自体が万能薬ではないということ、むしろ私は、ほんとうの株式市場の回復というものには、大衆の買い出動参加を裏づけられるような
証券市場の
本質的改善のための手段がなければならぬと思うのであります。たとえば、
投資信託は、
投資委託
会社が現在十社ございますが、これも早晩再編成されるでありましょう。しかし、四社を中心に系列
会社を井てれぞれくっつけてみたり、あるいは力のない二級
会社を寄せ集めてこれを合併させてみても、大衆の信用不在の形はやはり依然として残ると思うのです。そこで、人呼んで
会社型投信方式の導入とかいうようなこともやはり耳を傾けるべきであって、既成の四大
証券中心主義に未練も固執もせずに、投信
会社の再編成には思い切って新形態を導入する。たとえば、生命保険とかあるいは
銀行とかを核とする、四社以外に多様多彩な投信委託
会社をつくっていく、現行の十社のうち、三社はとにかくとして、
山一以下七社等は、むしろそうした新しい核の中に組み入れて発展解消をさせる。そういう方式をとり、そしてそのそれぞれの多様な新しい投信委託
会社におきましては、先ほど申したように、無期限投信委託
会社あるいは公社債投信の専用の
会社等々、形態にぐんと幅を持たせて新規まき直しで出直して、大衆の離散した
気持ちを集める方途を大胆に打ち出すべきではないか。特に投信委託
会社は資本金は徴々たるもので足りまして、せいぜい二、三億円もあれば出発できるわけでありますので、大衆心理の訴えの上からは、土台の腐った既成の
証券会社救済に管見的な血道を上げるばかりが能ではないということ、こういう点に新しい配慮をぜひともしていただく、このことを強く申し上げたいのであります。
時間の制約がありまして、私の言いっぱなしになりましたが、これは参考になったらひとつ取り上げていただく、参考にならなければこれは捨てていただきましょう。しかし、いま申し上げた点に最大の御考慮を願えるならば幸いであります。与党諸君、またわれわれの仲間に対しましても、少しく時間が超過したことに対しましては遺憾の意を表しておきます。
これをもちまして、私の質問を終わります。