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1965-03-12 第48回国会 衆議院 大蔵委員会 第19号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十年三月十二日(金曜日)    午前十時四十三分開議  出席委員    委員長 吉田 重延君    理事 金子 一平君 理事 原田  憲君    理事 坊  秀男君 理事 山中 貞則君    理事 有馬 輝武君 理事 堀  昌雄君    理事 武藤 山治君       伊東 正義君    岩動 道行君       奥野 誠亮君    鴨田 宗一君       木村 剛輔君    木村武千代君       小山 省二君    佐藤 孝行君       齋藤 邦吉君    砂田 重民君       田澤 吉郎君    竹内 黎一君       地崎宇三郎君    野呂 恭一君       福田 繁芳君    毛利 松平君       渡辺 栄一君    渡辺美智雄君       佐藤觀次郎君    只松 祐治君       野口 忠夫君    平岡忠次郎君       平林  剛君    藤田 高敏君      米内山義一郎君    横山 利秋君       竹本 孫一君  出席国務大臣         大 蔵 大 臣 田中 角榮君  出席政府委員         大蔵政務次官  鍛冶 良作君         大蔵事務官         (主計局次長) 鳩山威一郎君         大蔵事務官         (主税局長)  泉 美之松君         大蔵事務官         (国有財産局         長)      江守堅太郎君         文部政務次官  押谷 富三君  委員外出席者         専  門  員 抜井 光三君     ————————————— 三月十二日  委員谷川和穗君、西岡武夫君及び濱田幸雄君辞  任につき、その補欠として野呂恭一君、竹内黎  一君及び佐藤孝行君が議長指名委員選任  された。 同日  委員佐藤孝行君、竹内黎一君及び野呂恭一君辞  任につき、その補欠として濱田幸雄君、西岡武  夫君及び谷川和穗君が議長指名委員選任  された。     ————————————— 三月十一日  財政法の一部を改正する法律案内閣提出第三  三号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  小委員会における参考人出頭要求に関する件  国立学校特別会計法の一部を改正する法律案  (内閣提出第三四号)  財政法の一部を改正する法律案内閣提出第三  三号)  所得税法案内閣提出第八八号)  法人税法案内閣提出第四九号)  租税特別措置法の一部を改正する法律案内閣  提出第七八号)  所得税法及び法人税法施行に伴う関係法令の  整備等に関する法律案内閣提出第一一二号)  国有財産に関する件      ————◇—————
  2. 吉田重延

    吉田委員長 これより会議を開きます。  財政法の一部を改正する法律案議題といたします。
  3. 吉田重延

    吉田委員長 政府より提案理由説明を聴取いたします。鍛冶大蔵政務次官
  4. 鍛冶良作

    鍛冶政府委員 ただいま議題となりました財政法の一部を改正する法律案につきまして、その提案理由を御説明申し上げます。  この法律案は、国の財政の効率的な運営をはかるため、財政法第六条に規定する、公債または借り入れ金償還財源決算上の剰余金を繰り入れる措置について特例を設けることとし、あわせて財政制度審議会の構成について所要改正を行なうことを内容とするものであります。  以下、その改正の要点につきまして御説明申し上げます。  まず、財政法第六条の規定によりますと、前々年度歳入歳出決算上の剰余金の二分の一以上を公債または借り入れ金償還財源に繰り入れなければならないことになっておりますが、本規定が設けられました終戦直後と異なり、現在では国債残高が相対的に大きく減少しておりますこと及び決算上の剰余金の二分の一以上を常に国債償還費として固定化してしまうことは一般会計財源配分上制約が大きいこと等の事情を考慮いたしまして、来年度予算におきましては、暫定的な特例措置として、国債償還財源への繰り入れ率を二分の一を下らない率から五分の一を下らない率に変更し、財政運営全般効率化をはかることといたしました。また、国債整理基金現況より見まして、この程度変更であるならば今後二年間程度国債償還には支障がないと認められますので、本特例措置を二カ年度間に限り行なうこととした次第であります。  次に、財政制度審議会につきましては、国の予算決算及び会計制度に関する重要な事項を調査審議することになっておりますが、今後、前に申し述べました剰余金の処理の問題を含め、財政会計制度全般にわたって本格的な検討を進め、また、臨時行政調査会の答申に述べられてあります諸問題等を専門的に調査審議するために、広く有識者の参加を得ることができるよう、委員を増員するとともに、所要規定整備を行なうこととしております。  以上が、この法律案提案理由であります。何とぞ御審議の上、すみやかに御賛同くださいますようお願い申し上げます。
  5. 吉田重延

    吉田委員長 これにて提案理由説明は終わりました。  本案に対する質疑次会に譲ることといたします。      ————◇—————
  6. 吉田重延

    吉田委員長 所得税法案法人税法案租税特別措置法の一部を改正する法律案及び所得税法及び法人税法施行に伴う関係法令整備等に関する法律案の各案を一括して議題といたします。  質疑通告がありますので、これを許します。平林剛君。
  7. 平林剛

    平林委員 税法の本格的な質疑につきましてはまたあらためてお尋ねをいたしたいと思いますが、きょうはさしあたり医療費控除の問題について政府見解をお尋ねいたしたいと思う次第であります。特に医療費の問題につきましては今国会の焦点ともなりまして、国民医療費負担というものは今後増大をする傾向にございまして、こういう意味ではあらためて現在の所得税法規定をいたしてあります医療費控除につきましても再検討する必要があるんじゃないか、あるいは検討する価値があるのでないかという意味から、私の若干の質問をするのであります。  現行所得税法第十一条の五には、医療費を支出した場合、所得金額の百分の五を越えた場合に所得よりその医療費控除するという規定がございまして、今回の法改正におきましても、若干の修正が政府から提案をされております。これによりますと、医療費控除限度額現行十五万円であったのを三十万円に引き上げるということでありまして、この問題について一歩前進しておるということは認めますけれども、私はなお検討する余地があるのでないか。そこで医療費控除実情につきまして、初めにひとつ主税局長現況は一体どんなぐあいになっているだろうかというお話をお願いしたいのでございます。
  8. 泉美之松

    泉政府委員 医療費控除につきましては、現在あります統計で一番最新のものは、昭和三十八年分の所得税につきまして昨年の三月十五日までに申告されたものについての統計があるわけでございますが、これによりますと、医療費控除適用を受けております人員は九万九千三百人でございまして、その控除を受けております総額は四十億二千五百万と相なっております。
  9. 平林剛

    平林委員 今回の医療費控除限度額を引き上げることによって、大体どのくらいの減収になるのでございましょうか。ことばをかえていうと、どのくらいの減税になるのですか。
  10. 泉美之松

    泉政府委員 これは予算書にお示しいたしておりますように、初年度二億、平年度三億の減収に相なるわけでございます。この基礎といたしましては、いまのこれは昭和三十八年分について四十億になっておるわけでございますが、三十九、四十年と、こう所得もふえますし、医療費の額もふえるという前提で計算いたしまして、今回は限度額が十五万円をこえる場合についてのみ有効に働くわけでございますので、その程度を推計いたしまして、初年度二奥、平年度三億という計算をいたしておるのでございます。
  11. 平林剛

    平林委員 もう一つ伺いますが、何でもかんでも医療費だから控除するというのでなくて、「医療費範囲は、命令でこれを定める。」と書いてありますけれども、どういう範囲でございましょうか。
  12. 泉美之松

    泉政府委員 これは今度改正いたしましても、現行法の場合と医療費範囲を変えるつもりはございませんで、医師にかかったり、あるいは入院したり看護婦を雇って看護婦に支払ったり、薬を購入したり、あるいは特別の治療をしたり、こういったことに伴って支出いたしました医療費のうち、健康保険その他の社会保険によっててん補される部分を除きました部分、これが医療費控除対象になる医療費金額でございます。
  13. 平林剛

    平林委員 私は医療費控除があるということを知らない国民が非常に多いのじゃないかと思うのであります。そこで、特にいまのような質問を行ないまして、会議録を通じ国民にも知ってもらいたい、こう考えて質問を行なったわけでございます。特に私、念のために私の関係する専売病院、かなり大きい病院でありますけれども、どのくらい年間支払い証明書申請して交付されるかということを調べてみたのであります。ここは政府管掌保険のところでございますから、なかなか保険給付が多うございまして、実際に自分が支払うという金額が少ないから、したがってこの医療控除対象になる人員が少ないということは事実でございます。しかし昭和三十八年度年間におきまして、二十七件、医療控除申請があっただけなのです。金額にいたしまして二百七十七万円と少しばかり。三十九年度におきましても、医療費控除支払い証明書を交付した調べではわずかに十七件でございまして、金額は二百十一万五千九百円という金額でございます。この病院大蔵省関係の方はある程度御存じですが、規模も大きいほうでございます。またそこに受診される患者数もかなり多いのでございますけれども、実際にこの所得税法第十一条の五に規定されてあるものに従って申請をなさる方は、三十八年度で二十七件、三十九年度で十七件というわずかでございまして、これは私はこういうものがあるということを知らないから少ないのではないだろうかという一つの疑問を持ったわけでございます。そこでいまお話しになりましたように、看護婦さんの支払いから、特別の治療からいろいろな経費を支払うということになっておるわけでありますし、またお医者さんにかかった場合、病院の窓口では薬代を払えばちゃんと受領書をくれるわけでございますから、ああいうような受領書に、これは所得税法第十一条の五の規定によって、この受け取り書が幾らになったならば、税額控除を受ける恩典がありますという記入くらいしておいて、もっと国民に知らせる必要があるのではないかという感じがするのでございます。現在の使用状況あるいは交付申請実情から見まして、私はそのことを痛感をしました。特に医療費増大をしようとするこれから後におきましては、こうした行き届いた親切ということをとるばかりでなく、控除はこういうふうにありますよということを知らせる必要があるのじゃないかと思うのですが、そういうことはいかがでしょうか。その面についての御指導をやってもらいたいと希望するのですが、いかがでしょう。
  14. 泉美之松

    泉政府委員 お話のように、もし医療費控除の特典があるということを御存じない納税者の方があるとしますれば、これはたいへんお気の毒でございます。せっかく税法でそれを認めておるわけでございますので、もしそういうことならば、それは周知徹底が不十分なせいであろうと思います。したがいまして、税務署におきましてもそういうことをお知らせすると同時に、厚生省を通じまして各種の医療機関のほうからそういった指導をお願いするようにいたしたい。それらにつきまして厚生省とも十分打ち合わせてまいりたい、かように考えております。
  15. 吉田重延

    吉田委員長 関連質問を許します。武藤山治君。
  16. 武藤山治

    武藤委員 いまの医療費の問題ですが、所得の何%のうちのまた何%という限度がありますね。あの限度が私の判断では少々高いランクにあり過ぎるような気がするのですよ。そこであの限度は何を基準にどういう算定できめたのか。あれをいじらぬことには、所得の少々多い人は少し医者にかかっても全然控除されないのです。引っかからないのです。何を基準にああいう算定をしたのか、聞かしてもらいたいのです。
  17. 泉美之松

    泉政府委員 これは医療費控除を設ける際に、かぜを引いたから薬を買った、腹をこわしたから腹薬を買ったという程度の一々こまかいものまで控除するのは税の執行上煩瑣にたえない。したがって、ある程度のものは各自の生活の消費資金として見ていただきたい。所得税の場合に医療費を支出したためにその人の担税力が少なくなったと認められるような場合に限って医療費控除をしよう、それについてはどの程度が適当であるかということを検討いたしましたあげく、所得の五%くらいまでは各自の消費支出金額の中から支出していただいていいのではないか。それをこえるような大病をした場合には、やはりそれに伴って、本人のみならず親族の人がそういう大病をしたために支出したことになりますと、担税力がそれだけ少なくなったと認められるから控除しようじゃないかということで、いまの五%という数字がきまっておるわけでございます。ただ、最近この医療費の問題が非常にやかましくなりまして、私も医療費の問題をいろいろ勉強しておりますと、所得の五%ということになりますと、なるほど百万円の人は五万円だけれども、一千万円の人は五十万円をこえる医療費ということになる。それは一千万円もの所得のある人だから五十万円くらいまでは自分のふところで負担しろということだと思いますけれども、しかしそれは少し酷な場合も出てくるのじゃないか。そこで最近医療費の問題をいろいろ論議されるのを聞きながら、その点についてはもう少し考え直さなければいけないのではないかという感じを持っておるのでございます。
  18. 武藤山治

    武藤委員 もう一点。そうしますと、五%という限度はその所得階層によって実情に合わない、こういう点があるような気が私はするのです。私なども家族がかなり医者にかかってもひっかからないのですよ。一年に二十五万以上にならぬと全然引かれないわけです。十五万かかってもひっかからない。これは非常に不合理な気がするのです。そこで五%の限度というものをもっとランクをつけて、所得階層に応じて三%から五%ぐらいの間のランクを設ける必要があるのじゃないか。そういう前向きの姿勢で今後主税局検討してしかるべきだと考えますが、主税局長見解を伺っておきたい。
  19. 泉美之松

    泉政府委員 先ほども申し上げましたように、最近、医療費の問題は特にやかましくなりまして、私どももいろいろその実態を税の面を通じて勉強いたしておるのでございますが、その面から見ますと、お話のように、所得階層に応じて五%という限度が酷になるような場合も見受けられますので、これにつきましては、どういう方向でやるべきかにつきましては、いろいろの案がございますが、前向きの姿勢検討いたしたい、かように考えております。
  20. 平林剛

    平林委員 私もその点をお聞きしょうと思ったのです。というのは、夫婦、子供三人の場合を例にとりまして、五十万円程度のものでありますと、今度は税改正によって課税最低限というのが上がりますから、五十万円程度の人には、医療費控除というのがあったって役に立たないわけです。そうなりますと、七十万円程度年間所得がございますれば、百分の五でございますから、三万五千円、いま、法の規定で三十万円までは見てもらえるということになるわけでございますが、国民相当数の人が所得税法第十一条の五で医療費控除というのがございましても、恩典を受けることができないというところが、私は百分の五に限度をきめた欠陥だろうと思うのであります。そこで、この百分の五という限度は、現段階におきましては、再検討する必要があるのじゃないかということを感じまして、先ほど、周知徹底をはかってもらいたいということとともに、百分の五についての再検討を要望いたしたかったのであります。いま武藤さんの御質問に答えられて、この面についても前向きで検討なさる、こういうお話でございますから、せっかくその実現のめにた努力をしてもらいたいと思うのであります。  それからもう一つ、この医療費控除は、たとえば私もこの間病院に参りまして薬代を払ったのでございますけれども、その金額はもちろんそうたくさんのものではありません。しかし、毎月毎回行くたびにかなりかさむわけで、こういう累積ですね。相当金額に達したら、これは医療費控除申請を受けることができる、こういうふうに解釈してよろしいでしょうか。つまり、一ぺんに法定の金額に達しなければだめだということでなくて、こまかくためてさえおけば、医療費控除を受けられます、こういうものになっているかどうか、この点も明らかにしていただきたいと思います。
  21. 泉美之松

    泉政府委員 その点につきましては、毎年の一月一日から十二月三十一日までの一年間支払いました医療費の額が、その年の所得金額の五%をこえるということになっておりますので、その一年間でありますれば、何月に支払いましょうとも、それを累計したものが五%をこえると適用を受けることになります。ただ二年も三年分もまとめてというわけにはまいりません。
  22. 平林剛

    平林委員 人間ドックに入ったような場合、ああいうのは医療費範囲に入りますか。
  23. 泉美之松

    泉政府委員 ちょっと私、こまかい点は、実際どういうふうに取り扱いいたしておりますか、承知いたしておりませんので、後刻、取り調べまして、お知らせいたします。
  24. 平林剛

    平林委員 とにかく医療費控除の問題につきましては、なかなか専門の方でもさっと答えられないくらいにいろいろ範囲がございまして、これを利用されようとする国民もわからないという実態でございます。  そこで私は、きょうの質問を通じまして、政府でもこの問題点について十分御検討願って、せっかく設けられたのでございますから、国民全般がその控除恩典というものをひとしく利用できるような形に御指導願いたいということを申し上げまして、この問題に関する質問は終わっておきたいと思うのでございます。      ————◇—————
  25. 吉田重延

    吉田委員長 次に、国有財産に関する件について調査を進めます。  質疑通告がありますので、これを許します。平林剛君。
  26. 平林剛

    平林委員 きょうは先回この委員会において問題を提起いたしました国有財産民有かという問題につきまして、質問を継続いたしたいと思うのであります。  登記所に備えられている土地台帳付図に二線引きの実線で示されている無地番の上地、その多くは、一般農地の間に存在するいわゆる二線引き畦畔で、これが一体民有地であるのか、それとも国有地であるのか。この問題は、その後各方面に異常な反響を呼んでおるのであります。私のところにも激励の手紙が来るし、またこれに関する資料の提供もございますし、国有財産局長は、新聞では時の人になったりいたしまして、なかなか話題を提供いたしました。質問した平林が時の人にならなければならぬのに、あなたのほうが時の人になったのでありますから、どうも話はあべこべになっておると思うのであります。  しかし、これは当然のことでありまして、大多数の農民は、明治以来自分土地だと思い込んでいるわけでありますし、現にそれを所有しているわけであります。ただ、二線引き畦畔というのは、無地番であるので、土地台帳には登載されていないし、また登記もされていないことが多いので、その存在のあるなしを知るには、土地台帳付図によるほかございませんから、一般に知られていないにすぎないのであります。  しかし、最近のように、地域開発が進んで、工場の農村進出に伴って、農地転売個所があると、初めて政府国有地論にぶつかってあわてるわけであります。私の選挙区の神奈川県でも、東名高速道路の建設もこの問題の究明が優先されませんと、その進展は阻害をされましょうし、いろいろと各方面の情報を調べますと、これは単に農地転売による所有権の帰趨だけではなく、政府指導している農業改善事業の中で、耕地整理が進んで、農業経営者地目変更登記をするときに、あらためて民有国有かの解釈論で一もめするというぐあいに、新しい問題を提起しているわけであります。私はこの問題をこのまま放置することは許されないと思いまして、再度政府の唱えている国有とその論拠について反駁する質問を展開したい、こう考える次第であります。  先回の大蔵委員会質疑を通じて明らかになりましたことは、東海地方では「はざま」、関東地方では青地東北地方では土手しろなどと呼ばれる国有畦畔は、政府神奈川千葉静岡の三県の登記所において土地台帳付図調査した結果、神奈川県で百九十万坪、千葉県で二十七万坪、静岡県で百四十万坪存在すると推定されたということ、栃木県や新潟県あるいは福島県、東北を含めますともっともふえると思うのであります。第二に、政府は、これらの土地明治六年の太政官布告百二十号によって国有地であるとの見解であること、その見解に基づいて昭和三十五年八月二十一日、東京法務局民事行政部長、同じく三十五年八月二十五日関東財務局長名で、二線引き畦畔地についてはその地主が自己所有畦畔地として公図抹消申請をしても受け付けないとの通牒を発しておるということがおおよそ明らかになったわけであります。大体そうだと思うのですが、間違いございませんね。
  27. 江守堅太郎

    江守政府委員 そのとおりでございます。
  28. 平林剛

    平林委員 そこで、神奈川千葉静岡の三県の合計でおおよそ三百六十三万坪、これにいわゆる青地の多い栃木新潟はじめ関東各県、それに東北地方などを含めると、私の推定では多分一千万坪を下らないのではないかと思うのですけれども政府はどうお考えになっておるでしょうか。また、私の指摘したあと、各地の実情推定面積などについて全国的な調査をするような指示をお発しになりましたかどうか。
  29. 江守堅太郎

    江守政府委員 国有でありますところのいわゆる青地面積推定によるしかないのでございますが、いま栃木新潟などを加えると一千万坪を下らないのではないかというお話がございましたが、私どもも多分そういうことであろうと思っております。全国的にこれらのものを調査して、正確に何坪であるかということを調べることについて通牒でも出したかということでございますが、これは出しておりません。と申しますのは、これらのものがいまに至るまで国有財産法に定められました国有財産台帳に登載されておりません理由は、何分筆数が非常にたくさんでございます。またその個々の坪数は比較的小さいものでございます。したがいまして、これを全国的に一斉に実情調査して国有財産台帳に登載するということは、現在の行政の能力をもってしては非常に困難である。またこの青地の問題はそれを売ったり買ったりというような場合に初めて出てくる問題であって、通常の状態にあります場合にはあまり問題が出てきませんので、そういった手間と金をかけて調べ上げるまでの実益がない。ただもちろんこのことはいつまでもそのままほうっておくというわけではございません。私どもといたしましては、全国的に実態調査という作業を進めておりまして、実態の不明な財産につきましてその実情を明らかにする調査を進めておるわけでございます。その中の一環としての仕事は進めておるわけでございますが、青地問題についてこの際一挙にこれを国有財産台帳に登載し得る程度に明らかにするというような作業をいま直ちに行なうということは考えておりません。
  30. 平林剛

    平林委員 いま直ちにせなくても、これはある程度の期間をかけて調査をしておかなければ将来問題になる。私、問題を提起したことを契機として、この調査に乗り出してもらいたいということを申し上げておきたいと思うのであります。  しからば、いま全国的なものがわからないとしても、その実態を知る上で少しくお尋ねいたします。  先ほど私が指摘をいたしました昭和三十五年八月二十五日付の関東財務局長の通牒、「二線引の畦畔地について」の書類によりますと、こういうことが書いてあるわけであります。「当局所管の国有財産について実態調査を実施したところ、二線引の畦畔地を隣接地主が地目変換に便乗し、自己所有畦畔地として地方行政庁の証明を取付け、公図抹消を行っている事例が各所に見受けられ、特に三多摩地区においては著しいものがあり国有財産管理上まことに遺憾とするところであります。」こう書いてあるわけでございます。そこで、全国的なことは別といたしましても、三多摩地区においてこれらの問題があったということで通牒が出されておるわけでございますが、この三多摩地区の実情はしからばどうなっておるでありましょうか。局部的にしぼってその実情をひとつ御報告を願いたいと思うのであります。
  31. 江守堅太郎

    江守政府委員 その当時財務局で把握しておりました件数は六十九件、三千百三十二坪でございますが、これはもちろんそこにありますところの国有地青地がこれですべてということではございませんで、この通牒を出しました当時わかっておりました件数、数量が六十九件、三千百三十二坪であったということであります。
  32. 平林剛

    平林委員 坪数はわかりましたけれども、それをどういうふうにされたのですか。
  33. 江守堅太郎

    江守政府委員 この通牒を財務局長が出しましたのは、当時そういった二線引き畦畔地につきまして所轄の市町村長の証明などによりまして、登記所がこれを民有地に書き変えるというような措置が行なわれたのでございます。二線引き畦畔地国有地であるかどうかということはつきましては、先日の委員会におきましてもこれは明らかに国有であるというふうに私どもは思っておるわけでございますので、そういったものが市町村長の証明が出されてそれを登記所で受け付けて処理されるということはきわめて好ましくないということで、財務局長から東京法務局長に対しまして、登記所の仕事のやり方として、そういう市町村長などの証明でこういうことを処理するということはやらないでほしいということをお願いしたわけであります。
  34. 平林剛

    平林委員 それはわかりましたよ。それはわかっているけれども、いま三多摩地区で六十九件、三千百三十二坪、これは市町村長の証明を得てそうして公図抹消の手続がとられて土地台帳に記入をされて、この問題についてはけりがついておると私は理解しておるのですが、そうでしょう。
  35. 江守堅太郎

    江守政府委員 個々のものにつきまして、これは民有であるあるいはこれは国有であると申しますことは、個々のそれぞれの土地につきまして権利関係を明確にいたしまして処理するものでございます。個々にいま申しました件数のものにつきまして、どの程度その後そういった権利関係が明確になり、話し合いがついて、民有地に移すべきものは民有地に移したかということは、いま私資料を持っておりません。とにかく権利関係を明確にし、話し合いの上で個々的に処理をするという方向で仕事を進めております。
  36. 平林剛

    平林委員 私は、この三多摩地域の実情についてはすみやかに調査をして資料を出してもらいたいということを半月前に事務当局には申してあるわけであります。まだその実情がわからない。あなたは全国的なことはそれは金がかかって、手間がかかってなかなか困難だから、さしあたりはどうも乗り出せないというお話でございましたけれども、現に問題になっている点は、やはり実情調査する必要があるんじゃないですか。私はそれに基づいて今後の判断をきめるという態度が少なくとも積極的な態度というべきですし、この問題の解決に当たることができるわけです。私は、この問題はひとつ資料を後に提出してもらいたいということを、委員長にもお願いいたしておきたいと思うのであります。
  37. 江守堅太郎

    江守政府委員 資料を提出いたします。
  38. 平林剛

    平林委員 それじゃ時間もあまりありませんから——具体的な例はまだそのほかにもございます。神奈川県の足柄上郡大井町におけるある事業会社の本社の移転、名前を申し上げてもよろしいと思いますが、第一生命本社の移転に伴う畦畔の実情についても、ひとつ御調査を願って私に報告をしていただきたいと思うのであります。  そこで、きょうは少し先回問題を提起しました本論をやりたいと思うのであります。  この畦畔につきまして、その後あなたのほうの内部でいろいろ検討した結果、青地といってもいろいろ意味がたくさんあるわけですが、その中でこれとこれとはこの際民有としようではないかというような結論が出たと聞いておるのですけれども、そういうことはございませんか。
  39. 江守堅太郎

    江守政府委員 私どもはいわゆる青地といいますものが、すべて国有であるということを主張しようというふうには考えておりません。いわゆる青地と申しますのは、公図の上についております符牒でございます。その符牒がある地方では緑色に塗ってある、ある地方では薄墨色に塗ってあるというような公図上の一つの符牒でございます。で、こういった符牒のついておりますいわゆる青地につきましても、その後国が地元の方にお売りしたというようなところもございます。そういうのはすべて土地台帳に載っておりますので、たとえ公図の上では青地、いわゆる青地の区分を受けておりましても、それらのものは民有であるというふうに考えております。それからまた青地の中には農道のようにいわゆる公共の目的に使用されておるものがございます。これらはすべて建設省所管の公共用財産でございます。これらにつきましては明白に国有地として管理をいたしておる。ただこれがもし農道の必要がなくなったという場合には、これは大蔵省のほうに引き継ぎを受けまして、普通財産としての観点から管理処分をするということにいたしおります。それ以外の青地の中には、形式的に申しますと、土地台帳に何ら登載をされていない土地、これについては一応沿革的に国のものであるというふうに考えておりますけれども、それらの上におきましても民法上認められたところの取得時効の要件が完全に法律的に備わっておるというようなところにつきましては、国はみずからその所有権を主張するというようなことをするつもりはございません。それ以外の土地台張に登載をされておらず、先ほど申しましたような二、三のものを除きました土地につきましては、これは国有地として管理、処分をする。ただその管理の実情はまだ国有財産台張に登載をいたしておりませんので、不十分ではございますけれども、全国的な実態調査とあわせまして、漸次これを台帳に登載をして、管理、処分をしてまいりたいというふうに考えております。
  40. 平林剛

    平林委員 いま国有財産局長のおっしゃったことはなかなか重要なことだと思うのであります。土地台帳に載っているもの、これは民有地であるというお話でございます。また土地台帳に載っていないものであっても、時効取得の条件に合致するものであれば、政府はそれを国有地として争わない。もちろんこれにはたぶん訴訟が必要なんでございましょうけれども、私は一つ政府の新しい見解として譲歩だと考えておるわけです。しかし問題はそれだけでは解決しません。それでまた私は沿革から言いまして、二線引き畦畔はすべて民有であるという主張をしているわけではありません。これはあとで論争しますけれども、最初お話しがありました点、もう少し確かめてみたいと思うのであります。  たとえば土地台帳に載っているものはこれは民有であるとおっしゃった。ところが土地台帳の載り方はいろいろあるわけですね。たとえば土地台帳の中には一つの例を申し上げますと、田が何反、畑が何反、そして外畦畔が何歩、こういうふうに記載をされておるのでございまして、あなたが言われることによれば、土地台帳に掲げられておるものはその木地を所有している人のものである、こういうことでございますから、その限りは明確でありますけれども、実際の土地へいくと、いままで使用しているところの土地といま土地台帳に畦畔、外畦畔と書いてあるやつが、これはふだん使われないようなあぜ道としてどっちの所有か明確を欠くというような実例が非常に多いのであります。土地台帳に載っているものがそうであって、しかし実際にはかってみたら、外側のほうにあった自分がいま使ってないというものは、あなたの言明によってこれは自分の所有であるというふうに認められるわけですね。これはあなたの言明によって訴訟はずいぶんたくさん解決してしまいますよ。そのとおり確認してよろしゅうございますね。
  41. 江守堅太郎

    江守政府委員 まず最初に土地台帳に載っているものはすべて民有地であるとおっしゃいましたが、それは私は先ほどの問題にお答えする意味でそう申し上げたので、土地台帳国有地として載っているところがございますが、これはこの問題にあまり関係がありませんが、念のために申し上げておきます。  それからいまの外畦畔の問題ですが、明治六年に初めて地所名称区別というもので官有地、民有地というものの区分をいたしました。官有地、民有地の区分の基準を示したのでございます。その基準を示しましたときにいろいろの基準を示しておりますが、実態的に考えますと、これこれこれこれのもの、そして民有地でないものというふうに書いておるわけでございます。したがいまして、この基準だけでは官有地、民有地の区分は実際問題としてはできない。したがって、明治政府明治九年から十四年ごろまでにかけまして、全国でいまで申しますところの実態調査というようなものをいたしました。民有地であるということが明確に確認できるもの、これに対しては地券を発行いたしまして私有権を認めたわけでございます。いま申されました外畦畔というようなものは、その当時において民有地と認めたものでございます。ただ、それではなぜそのような外畦畔というような処理をしたかと申しますと、民有地の中には地券の発行を受けて地租の課税を受けるもの、それから区入費と申しておりますが、地方税的なものでございますが、地方税の課税を受けますものと、地券の発行を受けて税金を納めない土地、免税を受ける土地があったわけでございます。その外畦畔というのは、地券の発行は受けるけれども免税をするという意味で、一般の自己の所有地とは区分する必要があってそういう措置をしたのかと私は思います。要するに外畦畔は、そういう意味で明らかに民有地でございます。
  42. 平林剛

    平林委員 実態に従って解釈していかぬと、ことばのやりとりだけでは問題が残ると思いますけれども、私の質問に対して大体合意なさったと私は認めます。  そこで第二の問題は、取得時効に相当する条件があるものは民有地でよろしいという政府の解釈は、いきなり、じゃあこれは民有地だというのじゃなくて、所有者がそれに対するところの必要な手続をとって初めて民有地にするのだ、こういう御解釈でございますか。
  43. 江守堅太郎

    江守政府委員 そのとおりでございます。と申しますよりも、もっと厳重にこの処理は進めなければならないと思っております。と申しますのは、時効の援用ということは、現在の判例法に基づきましてこれは訴訟上の弁護の手段として認めるということでございます。したがいまして、たとえ相手方が取得時効でこれはおれのものだということを財務局にお申し出になりましても、財務局はああそうですか、時効が成立しておりますからこれは民有地に書きかえましょうというわけにはまいらないのでございます。これはやはり占有の事実、所有の意思その他の事実関係につきまして裁判上明白にする、しかもそのことを時効の援用をなさろうとする方が積極的に裁判上これを主張なさるという手続を踏んでからでなければ、国有地民有地に切りかえるということはいたしかねるというふうに考えております。
  44. 平林剛

    平林委員 私は、この問題の処理は別に考えたらいいと考えておるわけです。いまのように何万筆、何十万筆に分かれるようなものを一々訴訟で受け付けておりましたらたいへんなことになる。そしてまたもう昔から自分のものだと思っているわけですから、それを積極的理由をつけてやるというようなめんどうなことはなかなかたいへんです。そういうことから考えますと、むしろこの際新しい法律などを用意されて処理していくほうが賢明だと考えておるのでありまして、これはもう少し政府において検討してもらいたいと考えるわけでございます。  いま私が質疑をいたしましたのは、第一回の質疑の結果、政府から新しい解釈が出されましたので、その問題について政府見解をややこまかくお尋ねしたわけでありまして、本質的な問題はこれからでございます。  そこで、いまお話になったことばの中で、あぜ道、つまり畦畔は公共用財産として建設省に移管してあり、都道府県にその管理をまかせてあるというお話でございましたけれども政府国有財産白書にはそういうことは書いてないですね。公共用財産というのは道路、河川、海浜地などがあるが、これらは国有財産台帳に登載されていないので、総額二百三十一億円の中には含まれていないというようなことが書いてありまして、国有財産白書の公共用財産の中を見るというと、私の指摘するようなものが公共用財産だというようには規定しておらないのです。これは新しい説ですか。
  45. 江守堅太郎

    江守政府委員 国有財産法国有財産台帳規定がございます。その中で、政令で定めるものはこの国有財産台帳に載せなくともよろしいということになっております。それに基づきまして施行令の二十二条の二で、これこれのものは国有財産台帳に載せなくてもよろしいということになっておる。いまお話になりました農道等のいわゆる認定外の道路は、このようなことで国有財産台帳に載せておりません。載ってはおりませんけれども国有財産法上公共用財産というふうに観念されておる財産でございます。
  46. 平林剛

    平林委員 これは問題を提起したにすぎません。しかしこの間私が質問してからあなたも少し勉強なさったようでございますけれども、二線引き畦畔ということばはいつごろできたことばか御存じですか。私が問題を提起しておりますいわゆる無地番、二線引き畦畔、このことばはいつごろできたことばかお調べになりましたか。
  47. 江守堅太郎

    江守政府委員 古くからそう言われておりますということ以外、いつごろからということは私まだ承知しておりません。
  48. 平林剛

    平林委員 古くから言われていることばじゃないのです。かなり新しくなってからつくったのです。私もいろいろ調べてみたのです。明治初期の地租改正の研究その他いろいろな古文書がございますから、そういうものを軒並み調べてみたのですが、どこをさがしても二線引き畦畔ということばは出てこない。これが出てきたのは、あなたのほうの三十五年の通牒に出ている。それから、やはりいろいろなことを調べている人がございまして、その資料を見ると、やはり明治初期にできたことばじゃないのです。ずっとあとで土地台帳ができて、土地台帳付図をつけなければならぬということに規定されて、いろいろなことをやっている間に出たことばで、私の調査ではかなり新しくなってからこういうことばが出ているのではないかという感じがするわけでございます。ほかには見当たりません。それですからあなたの言うように、太政官布告によってすでにこの二線引き畦畔国有地であるなどという議論はもちろん成り立たないわけであります。特に地租改正明治初期の実情を調べてみますと、あなたが常々国有地であるという主張をされておる太政官布告百二十号、こういうのは地所の名称区別を改正したものでありまして、この地所名称区別の布告の中には畦畔ということばは出てこないのです。したがってあなたが主張されておるところの明治七年太政官布告百二十号の中には畦畔ということばは出ていない。そしてこれはそれぞれ地所名称区別を明らかにしたものだけ布告でありまして、すなわち私が指摘をするような二線引き畦畔あるいは外畦畔というものを国有地であるというような根拠は見当たらないのでございます。これは本質的な国民所有権に関することでありますから、明確にどういう根拠で国有財産であるとおっしゃるのか、もう一度はっきりその後の研究も含めてお答えをいただきたいと思うのであります。
  49. 江守堅太郎

    江守政府委員 まず最初の二線引き畦畔でございますが、二線引畦畔ということばは、明治初年の官民有地区分をいたしました際にはもちろんそういうことばはございません。ただそういった実体はございました。と申しますのは、地租改正のための官民有地の区分をいたしまして、実地に即した調査をいたしまして、それに基づきまして地券を発行いたしたのでございますが、その際地券とともに字限図あるいは字引図というようなものが作成されておるのであります。これは現在のことばで申しますと公図に当たるものかと思いますが、そういったいま申しますところの二線引き畦畔あるいは青地というようなものがすでにその当時からそれらの図面上にあったのではないかというふうに私は思っております。  それからただいま仰せの明治六年の地所名称区別というものには畦畔ということばはないじゃないかということでございます。仰せのとおり官有地は第一種、第二種、第三種、第四種かくかくのものだというふうに書いてございますが、その中に畦畔ということばはございません。ただ第三種の官有地はこういうものだということを第一に書いてございます。「山岳、丘陵、林、藪、原野、河海、湖沼、池沢、溝渠、堤塘、道路、田畑、屋敷等其他民有地ニアラサルモノ」というふうに書いてあるわけでございます。先ほども申しましたようにこの地所名称区別というのは、あくまで官民有地を分ける区分の方法でございまして、この区分の方法が出たから直ちに官民有地が明白になるというものではございません。民有地にあらざるもの、あるいはまた逆に民有地のほうについて見ますと、官有地にあらざるものというふうな表現で書いてあるところがたくさんあるのでございます。したがいましてこれが実際に民有地であるかどうかということを調査しなければこの標準を適用する方法がないわけでございます。こういう意味で、明治九年ごろから明治十四年ごろまでにかけまして、政府は全国的にこういった調査をしたのでございます。その結果、民有地でないというものは、国有地として地券を発行しなかったのでございます。さらに明治三十二年になりまして、国有土地森林原野下げ戻しに関する法律という法律を出しております。この法律は明治初年の官民有地区分に従って官民有地を一応分けて、民有地には地券を発行したのでありますが、その後、その当時においては官有地として地券を発行しなかった土地についても、民有であることが明らかに確認できるもの、その証拠のあるものについて国民の方からお申し出がありました際には、その官有地の下げ渡しをいたしまして、地券を発行いたしておるのであります。したがいまして、まず最初に一応の調査をした、その後さらにその修正をするような措置をしておるという意味で、地券を発行されていない土地は少なくとも国有地であるというふうに私どもは思っておるわけでございます。
  50. 平林剛

    平林委員 政府のおっしゃることは、私が調べた範囲においては間違っておる。というのは、地券の発行がないから畦畔は官有地であると政府お話しになっておるわけでありますけれども、地券というのは明治初期の地租改正の歴史を調べてみますと、土地の売買を行なうその証明書というような役割りを果たしておるものです。所有権というのは徳川時代にもあるんですよ。そうして明治政府になりましてから、この土地の検地をしなければならない、検地は太閤時代からあった。豊臣太閤が検地をした時代から検地ということが行なわれて、租税を取り立てておった。だからその当時からも所有権というものはそれぞれの農民に与えられておった。そこで明治政府になって新しい統一地租をつくる必要が生まれて、いろいろな建議がされて地租改正が始まったわけであります。そうしてその最初にはもう土地の売買はかってだというようないろいろな通達もあって、そういうものに関連して地券が発行された。地券の発行されない限りは所有権がないなんて理屈はない。しかもその土地の測量をし、いまで言えば土地を二線引きとか、実線だとか、付図をつくるのは官がつくったんじゃないですよ。みんな国民のほうがそれぞれの村あるいは町のおさ、古老を中心にしてつくり上げて、それを政府のほうが調べて、まあよかろうということになっていった歴史があるわけです。ですからお上からくださったものでなくて、地券発行があるからこうだ、これはもうないからこうだなんということは地租改正の歴史から出てこない。そういう意味から考えますと、地券の発行がないから官有地であるという議論は全く成り立たないし、「明治八年七月八日本局議定出張官員心得書」「地租改正條例細目ノ内」第二章第四条には、「数個ノ畦畔ヲ跨リ一筆トナス地ハ穂積ノ内ヨリ畔敷ヲ除去シテ反別ヲ定ムヘシ」こうありまして、初めからそういう規定で畦畔は除かしてやっておる。官の命令でそういうふうにしておるのです。  また同じく第三章の第一条には、「畔敷等ノ如キハ番外トシ第二章第六條ニヨリ処分スベシ」とあるだけで、ここからも官有地ということばは出てまいりませんし、いずれにしても地券の発行がされていないから、これは官有地であるという理屈は、私は成り立たないのではないかと思う。ですからそういう意味から、これはいろいろな規定を調べてみましても、初めから民有地である。あとで政府のほうが理屈をつけて、これは何もないから官有地である、こういうふうにきめていったのではないかと疑うのですが、その点はいかがですか。
  51. 江守堅太郎

    江守政府委員 明治初年の、いま仰せのいろいろの処理をいたしましたときにおいて、畦畔地はすべて国有地であるということではございませんで、畦畔であってもその当時民有と認められた土地はあったのでございます。私が申し上げておりますのはそうでなくして、地券を発行されなかった土地は、先ほど申しましたような意味国有地であるということを申し上げておる。話がいろいろわずらわしくなりますので、これもまた地券地券と申し上げておりましたけれども明治二十年になりまして地券の制度は廃止になりました。これをすべて土地台帳制度に改めまして、地価によって地租を徴収するということになったのであります。その地券を廃止して土地台帳をつくりました際に、先ほど申しましたように、土地台帳に載せてあるものは、特別の国有地のほかは民有地である。土地台帳に全然載っていないというものは、これは先ほど申しましたようないろいろ調査の結果を前提にいたしまして、民有地ではないというような解釈で土地台帳がつくられた。したがって土地台帳に載っていないものは民有地でないと申しておるのであります。ただこのことは、混乱をいたしますのは、青地は全部国有地かという議論と混乱をするのであります。青地は先ほど申し上げましたように、青地の中には公図上二線引きあるいは青地となっておりましても、その中には、ものによっては土地台帳に載っておるものもあるわけです。これらは当然民有である。だから公図云々という問題よりも、公図の表示そのものよりも、土地台帳に載っているかいないかということによって、民有、官有を区別するより方法がないということを申し上げておるわけであります。
  52. 平林剛

    平林委員 これも土地台帳に載っていないから、あるいは土地台帳付図との関係で民有地でないというお話がございましたけれども、案外土地台帳付図なんかもあまり正確でないものもあるわけですね。そういう点から脱落地が生まれてきて、無地番になっていたところもあるわけでありまして、それだけではいかぬのではないか。ここに私の選挙区の人が提供してくれたのでありますが、土地台帳付図にやや似通ったものがあるのですけれども、あなたがおっしゃっていることだったらこれは大混乱におちいるわけですよ。ほとんど無地番になっているし、土地台帳にも記載されていない。しかし実際には自分の所有地として農業経営をやっておるわけですから、こういう土地をこれは国有地であるなんということになったら大混乱が起こるわけです。いまは知らないからいいですけれども、知ったらたいへんなことになる。  そこで、私がいままで政府お話を聞いておりました地券のことについては、いま私が指摘をしたことで検討してもらいたい。  それからもう一つは、地租を納めていないのだから民有地ではなくて国有地だとさきの委員会においておっしゃったのですけれども、これも調べてみると、明治十七年三月十五日、七号の地租条例の原案にこういうことが書いてある。そしてこれは後に地租法として施行されたのですが、その地租法の第一章第二条に、「民有地中左ニ掲クル諸目ハ地租ヲ免ス。」として、「荒地、公立学校地、郷村社地、墳墓地、用悪水路、溜池、堤塘、井溝、畦畔、公衆ノ用ニ供スル道路」というものが掲げてあります。ここに畦畔ということばが生まれてまいりまして、地租は免ずということになっておるわけです。ですからいままで地租、今日で言えば固定資産税でございましょうが、こういうものを納めていないのだからこれは国有地だという言い分は成り立たないではないかということも指摘しておきたいと思うのであります。  それからもう一つ、一番大事なことは、大蔵省の一部にはこの二線引き畦畔が後年私人の権利放棄によって国有化したかのように見る向きがありますが、これも間違っているんじゃないか。権利放棄に必要な正当な方法や手段がなされていないこと、それから私人の意思が全くそこになかったこと、当該地の変遷や専用の状況等をもっても証明されるのでありまして、国有財産局長に考えてもらいたいのだが、畦畔というのは畦畔そのものが独立して存在するものじゃないのですよ。この点一番大事なことだと思うのです。畦畔というものはそのものが独立して存在するものじゃないということです。畦畔は本地に付随をしておるのですよ。つまり本地である田や畑を耕作するために必要なものが畦畔です。ですから本地の所有が民有であればそれに付随する畦畔というのは民有である。これは間違いないのですよ。それが土地台帳に記載されていないからとか、地券が発行させていないからとかいう理屈で、いまになって官有地であるというのは間違っているのです。畦畔なんというのは独立して存在するものじゃないですよ。私はそこの理屈さえよくわかれば、いまあらためてこれは国有だなんて言わないで、すみやかにこの問題は民有地であると処理をすることが民心安定のためにも最も必要だ、こう考えるのです。いかがでしょうか、あなたは大臣でないけれども実際の実務を担当しているのですから……。畦畔というものは本地に付随するものである。本地の所有が民有であれば畦畔も民有であって、これは常識だ、こう思うのです。そういう形で処理すべきだと思いますが、いかがでしょうか。
  53. 江守堅太郎

    江守政府委員 畦畔というものの実情によるのではないかと思います。いまお話しのように、ほんとうに自分の田畑を耕すために必要な本来の意味の畦畔というようなものはおそらくは青地の問題は起きないのではないか。その官民有地の区分の際に民有地として民有に編入された土地、そういうものについては非常に多いのではなかろうか。問題は畦畔と称しておっても、それはいわば農道的に使われておる。したがって、話は飛びますが、たとえ取得事項が発生してだれがおれのものだと言ってもよろしいというようにしても、それはあるいはもう公用の農道だと政府は思っておるけれども、実際はそうでなくなったとしましても、そこをやはり相当多数の人が通っておる。したがってある人がこれはおれのものだからよこせと言うと、ほかのほうの人からそれじゃ困るというような問題の起こるような畦畔、そのようなところは国有地だというふうになっておるのが私は実情でないかと思います。ほんとうに仰せのように農業生産上ある一人の人に専属で利用することが必要であるような畦畔、これは当然明治初年の官民有地区分の際に畦畔になっているものだと思います。それからまた、もしも何らかのことでなっていなければ時効を主張なされば当然民有地になるべき土地だと思います。私が申しておるのは、そうでない、もう農道的なものあるいは地方にあります非常に傾斜地などでだれも利用しないような土地、しかも明治初年に地券が発行されず、土地台帳ができたときにそれに登録もされなかったというような土地は、これはやはり国有地ではないかということを申しておるのでございます。
  54. 平林剛

    平林委員 私は繰り返して申しますが、二線引き畦畔国有地と認定する大蔵省の見解は間違いである、したがって現在出されておる通牒は再検討しておかなければならない。三十五年の通牒は少なくともいまあなたがおっしゃったようにこまかく認定をしているわけではないですね。一括して二線引き畦畔国有地であるときめつけて、以後登記は受け付けるなと書いてあるわけですから、もしかりに、私の主張よりは離れているけれども、あなたがこの委員会説明されたことが現在の政府見解であるならば、昭和三十五年度の通達というのは全部書き改めて、あらためて通牒を出しなさい。そうでなければ無用な混乱が起こるだけですよ。そうでしょう。通牒をあらためて出し直す必要が少なくとも現段階においてもある。
  55. 江守堅太郎

    江守政府委員 三十五年の関東財務局の出しました通牒は、その前提といたしまして法務局に対しまして、市町村長の単なる証明によって登記所国有地民有地に書きかえるというようなことはやめていただきたいということをまず法務局に申し上げて、そして法務局の御了承を得ております。それに基づきまして出した通牒でございますが、その中にも区分は原則として大蔵省所管の普通財産に属するものである、原則としてということを申しております。したがいまして、二線引き畦畔地はこれはすべてノー文句に国有地であるということを言っておるのではないのであります。ただその処理がきわめてばく然とした処理で、権限のない役所の事実上の判定に基づいてなされては困るということを申しておるのでございますので、われわれはこれらの処理については実態調査に合わして促進をしなければならないことはもちろんでございますけれども、三十五年に財務局長が出しました通牒の趣旨はいまでも私は守るべきものであるというふうに考えております。
  56. 平林剛

    平林委員 この点は、きょう私はもう一つの問題を提起したいと思っておりますからこの程度で終わりますけれども、あなたはあまり固執をしないで、農林省、建設省とも見解を統一なさる必要があると思うのです。政府見解はばらばらですよ。農林省の農地局管理課の見解では、畦畔は田畑に付随するもので、民有が原則で、国有畦畔というものは原則としてあり得ないものだという見解を出しておるんですよ。大蔵省はそれとあべこべのことを言っておるのです。若干の譲歩はしているけれども通牒は間違っていないから訂正しない、こうおっしゃっておる。農林省とよく相談して政府の統一見解をきめなさいよ。
  57. 江守堅太郎

    江守政府委員 先ほど申しましたが、畦畔という意味だと思います。農林省が言っておられるのは、農業生産上ある人に専属で利用さるべき畦畔というようなものに国有地があるはずはない、これは私どももそう思います。確かに明治初年の官民有地の区分の際におそらくそうなっていると思います。そうでなしに、畦畔という名前を使っておるけれども、農道のような意味で使われておるところがあるわけであります。それらについても官民有地の区分の際に、民有の明確にされるものは民有地にしておるのでありまして、そうじゃなくしてその当時そういうことも明白にできなかった、そのために土地台帳にも載せなかったというようなものは国有地であるということを申したのでありまして、もちろん建設省、農林省とよく打ち合わせをいたしますけれども、私どもはどうも議論がいろいろ分かれまして、分かれますと同時に、実態についての認識が少し食い違うとことばだけのやりとりになりまして議論だけになりますが、その辺のところを三省よく打ち合わせまして——これは私どもといたしましても、こういった小さい土地をたくさん持っておりまして、そのために国民の方に非常に迷惑をかける、あるいは新たな土地を造成したり工場をつくったりするのに非常に手間がかかるというのも私どもとしても非常に困るので、何とか早くやりたい、できれば国有地をぽっとやってしまう方法はないかということを、これは私自身の考えでありますが、そういうことさえ考えておるのでございまして、前向きに処理できるように検討をしてまいりたいと思っております。
  58. 平林剛

    平林委員 私はあと意見だけ申し上げて終わりますけれども、この二線引き畦畔の公図を訂正する場合に、土地台帳にも実地にも適合していない、あまり正確でない公図に筆境を表示するという点では、二線の実線による畦畔の図表方式は混乱を招くのじゃないかと思います。二線引き畦畔の公図のあらわし方そのものが所有権の点をめぐっていろいろな争いを起こす原因になりますから、今日二線引き畦畔の公図は実態に即して訂正をなさって実線であらわすような形に持っていったならば、こういう問題は将来にわたって起きてこないのじゃないか。この問題を提起するとともに、そういう点についてもあなたのほうで農林省や建設省とも相談をされて処理をされていかれたらいいのじゃないか。  それからきょうあなたが多少新しい説といいますか、こまかくお話しになりまして、土地所有者が本来木地の地目変更に伴って二線引き畦畔公図抹消を行なおうとする例がこれから多くなると思うのでありますけれども、この場合にも私はできれば一つ法律案を用意されまして、それに基づいて一括処理をなさるほうがかえっていろいろな便がいいのではないか、そういうようなこともひとつ統一して考えてもらいたいと思うのであります。同時に今日まで工場の敷地あるいは家屋の新築その他土地造成でもうすでにこうした問題がいろいろ発生し、内蔵しておるわけですが、表に出てこないからわからない。しかしすみやかにこの問題にケリをつけて固定資産税の問題についても処理をしていかなければならぬ問題が発生しておるわけであります。民有国有かわからないがために相当膨大な工場敷地がありましても、その固定資産税の行くえをめぐって、地域においては問題になっておるところもございますから、この固定資産税の問題に関連をしてもすみやかに解決をする必要があると私は思うのです。  いろいろ申し上げたいことはございますけれども、そうした点をひとつ考えられてこの処理を促進をしてもらいたい、そう要望いたしましてこの問題についての質問は終わります。      ————◇—————
  59. 吉田重延

    吉田委員長 この際、国立学校特別会計法の一部を改正する法律案議題といたします。  質疑はありませんか。——御質疑ないようですから、本案に対する質疑はこれにて終了いたします。     —————————————
  60. 吉田重延

    吉田委員長 これより討論に入ります。  通告がありますので、これを許します。藤田高敏君。
  61. 藤田高敏

    ○藤田(高)委員 国立学校特別会計法の一部を改正するにあたりまして、私ども社会党の立場を明らかにし、以下申し上げるような事柄を付して、最終的には賛成をいたしたいと思います。  過般来の質疑を通じても明らかにいたしましたが、今回の改正の主たる目的を過密対策に求めておるのでありますけれども、本来の教育に関する法律の制定やあるいは改正を行なう場合の基本的な理由というものは、そのことによって教育水準の向上にいかに効果があがるかということを主目的にすべきであるということが一つであります。  第二には、今次改正にあたって政府は過密都市解消ということを理由にしておりますけれども質疑の中で明らかになりました点は、現在時点におきましては、現在ある学校のあと地利用についてはいかなるものに利用するのか、その具体的な計画案すら不十分なまま法律改正をうことははなはだ不見識であり、またその改正目的が十分に達成されるかいなかについても多くの疑問を持つものであります。  以上の基本的な立場に立ちまして、これが実施にあたりましては、以下申し上げる幾つかの点を十分尊重することを要請いたします。  その一つは、これが実施にあたっては当該大学における教育の自由が侵害されないこと、また当該大学の意思と意向を十分尊重して、かりそめにも中央集権的な立場から権力的な干渉をしないことであります。  第二は、過密都市解消を有力な目的とした法律改正でありますから、当然のこととして、先ほども触れましたが、その目的が十分果たされるよう、あと地利用をすること。したがってあと地利用にあたっては現状と大同小異のものに利用しないとともに、利権対象に利用されないよう特別の配慮を行なってもらいたいということであります。  第三は、この資金運用にあたっては、つなぎ融資であり、その返還条件の見通しも明確でありますので、その限りにおいて今回は賛成をいたしますが、これが今後の措置として特別会計のわくを拡大しすぎないようにすることであります。  最後に、第四の要請事項として、借り入れ金の返済が授業料の値上げにはね返ったり、あるいは教育水準を引き下げるようなことのないように当然のこととして配慮をしてもらいたい。  以上の事項を要請いたしまして、本案に賛成をいたしたいと思います。(拍手)
  62. 吉田重延

    吉田委員長 これにて討論は終局いたしました。  続いて採決に入ります。  おはかりいたします。  本案を原案のとおり可決するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  63. 吉田重延

    吉田委員長 御異議なしと認めます。よって、本案は原案のとおり可決いたしました。  ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成等につきましては委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  64. 吉田重延

    吉田委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。   〔報告書は附録に掲載〕      ————◇—————
  65. 吉田重延

    吉田委員長 再び国有財産に関する件について質疑を続けます。平林剛君。
  66. 平林剛

    平林委員 それでは、先ほど質疑を展開いたしました二線引き畦畔の問題につきましては、時間の都合あるいは今後政府提出資料を待ってまだ議論しなければならぬ点がございますので、一応、私、きょうの質疑はこの程度で留保して、次の問題に移りたいと思います。
  67. 吉田重延

    吉田委員長 関連質問を許します。武藤山治君。
  68. 武藤山治

    武藤委員 先ほど来平林委員からたいへん農民の立場から見たら大きな問題を提起されて、本委員会で二度にわたって質疑応答がなされております。この問題は非常に重大でありますから、私は委員長に、おりを見て、法務省、特に登記関係の担当責任者を本委員会に招致して、畦畔の処理について現状がどういう状況になっておるか、こういう点の調査をさらに進めるということを本委員会で確認をしておいていただきたい。さらに局長は、先ほど、民有地である畦畔もあるし、一口に国有であるか民有であるかということは断ぜられない、非常にこまかい概念規定が必要だということも答弁されておりますので、民有地に属する畦畔とは何であるか、またそれが三十五年以降なり戦後どういう処理がされて、無償で農民に、公図が訂正された件数はどのくらいあるのか、そういうような点も明らかに資料で本委員会提出をしてもらうように要求をいたしておきます。詳細については理事会で御協議いただきたい。要求をいたします。
  69. 吉田重延

    吉田委員長 本件に対する御要求は、所有権に関する問題でございますので、非常に重大な問題だと思います。国にとりましても、個人にとりましても重大な問題でございますので、理事会でよく御相談をいたしまして、効果的な資料が出されるように、また将来この件につきましては、本委員会でも時期を見て十分御審議を願いたいと思っております。
  70. 平林剛

    平林委員 それでは、今後の処置を待つことにいたしまして、私は、続いて接収貴金属の処理のその後の事情についてお尋ねをいたしたいと思います。  今国会に、大蔵省設置法の一部を改正する法律案というのが内閣委員会提出をされまして、接収貴金属の処理をしておりました部課が縮小されるということになっておるようでございます。これを契機にいたしまして、今国会におきましても、従来大きな問題になりました接収貴金属の処理がどういうふうに進められてまいったかということを確かめることはきわめて必要なことだと考えまして、きょうは、その接収貴金属の処理の状況がどうなっておるか、また現在未処理の状況はどうであるかという点を、政府から御説明をいただきたいと思うのであります。特に、金、銀、白金、ダイヤモンド、いろいろ日本銀行の地下に眠っておるこの接収貴金属の処理につきましては、歴史的な問題もございますし、それだけに本委員会にひとつこの機会に御報告をいただきまして、その処理につきまして私も希望がございますから、それを申し上げたいと思うのであります。まず接収貴金属の処理の状況はどうか、また現在未処理の状況はどういうふうになっておるかという点を明らかにしていただきたいと思います。
  71. 江守堅太郎

    江守政府委員 接収貴金属の処理の仕事は、それぞれの金、銀、白金、ダイヤモンド等の貴金属につきまして、その所有者がだれであるかということを明確にいたします仕事と、所有者がきまりましたあとにおきましてその所有者にそれぞれのものを返す、この二つの仕事があるわけでございます。最初の所有者を明確にいたします仕事は、これは法律施行後一年以内に請求をした方に対して処理をするのでございますが、六百二十六件請求がございました。それらに対しまして一件ごとに接収貴金属等処理審議会にかけまして、何ぶん非常に法律的にめんどうなことであり、所有権を確定することでございますので、慎重に審議をいたしました。その仕事がほぼ終了をいたして、本年の三月末までにそういった関係の仕事は終了するということでございます。それからもう一つの、そういうふうにいたしまして所有者の明確になりましたそれぞれの貴金属、これをその所有者に返す仕事でございますが、このほうの仕事は、金、銀につきましては相当進行しておりますが、それ以外のものについては、はなはだまだ不十分な状況でございます。こういった返還の仕事につきましては、昭和四十年度中にこれを終了するというつもりでおります。  個々の貴金属につきましてその大要を申し上げますと、金につきましては日銀で三十四年の六月に保管しておりました数量は百三トン強でございます。そのうちすでに返還をいたしましたのが約八十トンでございます。銀につきましては千七百六トン強ございまして、そのうちすでに返還をいたしましたのは千二百二十六トン強でございます。これは三十九年の暮れまでの数字でございますが、そのほか白金につきましてごく少量のものを引き渡しをいたしましたほか、ダイヤモンドにつきましては十六万一千カラットを持っておりますが、全然まだ返還の仕事はいたしておりません。
  72. 平林剛

    平林委員 そうすると、私が大体事前に、事務的にこの調査をしたのでありますけれども、法施行当時ありました金、銀、プラチナ、ダイヤモンドその他の処理、引き渡しが済みまして、昭和三十九年十二月末現在は金が約二十二トン、九十一億円、銀が約四十八トン、五十億円、白金が九百五十六キロで八億円、白金属が二キログラムで三百万円、ダイヤモンドが十六万一千カラットで七十二億円、ドル預金七十五万ドルで二億円、その他三千八百万円、合計二百二十五億円が現在保管数量であると承知をしておるわけでありますが、そのとおりでございますか。
  73. 江守堅太郎

    江守政府委員 そのとおりでございます。
  74. 平林剛

    平林委員 そこで私、法施行当時所有しておりました貴金属について、大蔵省が提出をした資料によりますと、食い違いができているんです。たとえば私のところに提出をされた資料によりますと、銀は、法施行当時百八十億円と書いてありまして、約百七十トン六千四百八十八キログラム、こうあるんですけれども、私の持っておる資料は、従来二百二十四億円あったのですけれども、こういうふうに現在提出された資料は百八十億円、昔、私が持っておる資料ですと、二百二十四億円と、四十四億円、トン数においてもかなり違うのですけれども、どうしてこういう違いが出てきたのでしょうか。まあ推測すると、百円銀貨やあるいはその他で一般会計に帰属したものを削ってお出しになったのではないかと思うのですけれども、これだけ読むと、四十四億円の銀がこれだけ違ってきちゃうわけですから、やはり政府の資料、せっかくいただいたんですけれども、こういうふうにそのつど法施行当時現在の現在高を間違えて、故意ではないでしょうけれども間違えて私どもに資料を提出するというのはいかがでしょうか。
  75. 江守堅太郎

    江守政府委員 私どもが御報告いたしました数字は、銀につきましては、三十四年の六月に千七百六トン四百八十八キログラムという数字を御報告いたしました。いま平林委員の仰せになりました数量との違いは、三十三年ごろに銀貨製造用として造幣局に引き渡した分がその差額に相当するのではないかと思われます。
  76. 平林剛

    平林委員 私もそうだと思うんですよ。だけれども施行当時現在は、まさしく二百二十四億円、二千百四十トン百八十一キログラムあったはずなんです。その当時あったならばあったように私に対する提出資料でもそう記載しておけばいいじゃないですか。どうしてここには百八十億円というふうに資料を提出なさったのですか。
  77. 江守堅太郎

    江守政府委員 私も、国有財産局長に就任しまして以来、私が心得ております数字はこの数字でございます。三十四年の六月に法律を施行いたしましたときには、銀につきまして日本銀行で保管しておりました数量は、まさにこの数字でございます。したがいまして平林委員のおっしゃいました数字は、この法律施行前に政府が造幣局に引き渡した数量ではないかと思います。
  78. 平林剛

    平林委員 私の持っておる資料は、三十二年四月二十日、接収貴金属監理官事務所で調べた資料でございますから、いまお話のように、法施行時となりますと、それより若干ズレていることは間違いございません。しかしこの問題は従来からいろいろ問題があったことでございますから、やはり法施行当時現在という形で、資料を残すよりも、最初の分、こういうものだけだという記録を残しておいたほうが後日のためにもなりますし、またそこに無用な誤解を生ずることを避けることができると思うのでありまして、ひとつそういう配慮をしてもらいたいと思うのであります。  そこで、先ほどお話がありました昭和三十九年十二月末現在の保管数量が、金、銀、白金、ダイヤモンドを含めて二百二十五億円とございますけれども、これも法施行当時現在の評価額で換算をすれば二百二十五億円になるというのであって、現時価に換算をいたしますともっとはるかに大きくなるのではないかと思うのでありますけれども、その点はいかがでしょうか。
  79. 江守堅太郎

    江守政府委員 仰せのとおり、金につきましてはグラム四百五円、銀につきましてはキログラム当たり一万五百八十円、白金につきましてはグラム八百九十円というふうなその当時の評価に基づいた評価額でございますので、これをいま政府が処分いたしますとすると、これよりも上回る金額になるかと思います。
  80. 平林剛

    平林委員 ですからどのくらいになるでしょうかと聞いておるわけです。金が一グラムいまどのくらいになりましょうか、銀についても白金について相当の値上がりがございましょう。ダイヤモンドでも当時は一カラット四万五千円ですか、いろいろ時の価格がございましたけれども、現時価に換算をすると幾らになりますかということを聞いておるのです。
  81. 江守堅太郎

    江守政府委員 現在の時点で評価いたしますと幾らになるかということは、実は計算してございません。たとえばダイヤモンドにつきまして十六万一千カラット、七十二億と申しておりますが、これは個数にいたしまして百五十万個近いダイヤモンドでございます。しかも鑑定につきましては非常な手数と技術と、やり方についても非常に慎重を期さなければなりませんので、これの再鑑定というのはいま直ちに行ない得ない。それからまたこれが一体幾らぐらいするであろうかというようなことも、私どもとしてはちょっと判断をいたしかねます。ただ金につきましては、四百五円で評価しておりますが、これは例の金特で年々産金を買います金額がこの金額でございます。相場は六百六十円ぐらいいたしておるのではないか。銀は一万五百八十円で評価しておりますが、ただいまは一万五千円ぐらいするのではないかと思います。したがいましてそういった意味の金、銀等につきましては、ある程度の目安はつけることはできますけれども、非常に大きな部分を占めますところのダイヤモンドにつきまして、再鑑定というのは私どもの能力ではとうてい不可能でございますので、こういったものを全部合わせて、いま一体どのくらいするであろうかということは、なかなか申し上げることが私どもとしてはできないというのが現状でございます。
  82. 平林剛

    平林委員 金が四百五円であったのが六百六十円ぐらいの時価であれば、現在高九十一億円は、大体めどで計算をいたしますと百二、三十億円になるでしょう。銀は当時一万五百八十円が一万五千円と相なりますれば、現在の保有が五十億円で算定されていますが、七十五億円以上になるでしょう。すぐ出てくるじゃないですか。ダイヤモンドについては一カラット四万五千円とかいろいろございまして、これは国際的な関係もございましょうが、少なくとも最近は金の高騰、銀も高値を呼んでおるときでございますから、そういうことを計算して何ぼになるかということを私お尋ねしておるので、概略でも違ってくるのじゃないですか。もう私あなたから聞かなくたって、大体どのくらいになるか、自分の頭で計算できちゃう。あなたのほうでそういうことを答えてもらいたかったのです。
  83. 江守堅太郎

    江守政府委員 私も、そういう意味で、金は四百円が六百六十円になりましたから九十一億のものが幾らになるかということはすぐ出ると思います。銀についてもそのとおりですが、全体として考えてみますと、非常に大きな量を占めておりますダイヤモンドについて幾らになるかさっぱり見当もつかぬ。これは全く見識のない話なのでございますが、そのとおりなのでございますが、幾らになるかわからぬというときに、金、銀だけをそういうふうに現在の時点で評価がえをして現在政府の持っております金、銀、白金、ダイヤ、その他は幾らでございますということは、かえって統一性を欠くので、やはり昔の一定の基準時で評価をして、そして実際に売り払う際に一々時価で売っていくということにしたいという意味で、いまの二百二十五億円ということを申し上げておりますので、政府としては二百二十五億円というものに何か意味を持たして申し上げておるというものではございません。
  84. 平林剛

    平林委員 現在の二百二十五億より相当高くなるということは、間違いないことであります。  それから私この資料をいただきまして疑問に思ったことが一つあります。それは白金の単価一キロ八百九十円とございまして、この評価は処理法施行時の単価により行なったとありますけれども、私が承知している限りでは、当時千四百二十円なんです。八百九十円じゃないのです。これは私古い記録を調べたのですが、当時でさえも千四百二十円しておる。政府から提出された資料によりますと、八百九十円になるのですが、これはどういうわけで低目に換算したのか。どうも接収貴金属の処理の問題につきましては、いろいろ資料的にもあっちにいったり、こっちにいったりするもので、疑問でございます。この点はどういうわけですか。
  85. 江守堅太郎

    江守政府委員 当時の東京税関の通関のときの値段で調べた価格がこの値段だということでございます。それでこの値段一般の問題でございますが、私どもが仕事を処理いたしてまいります際に、自分たちと申しますか、日銀に保管をしてわれわれが仕事を進めておる金、銀その他の貴金属が、一体どのくらいの値段であろうかということは、もちろん一応心得ていなければならないことでございますけれども、それはたいした意味がない、と申しましては少し申し過ぎかもしれませんけれども、それは一応の目安であって、それが実際幾らになるかということは、こういった処理が済みまして、これを一つ一つ売っていく、返還するものはそうではございませんが、とにかく処分するものについては、売る際にその値段がきまっていくものでございますので、そういう意味で、いわばわれわれが一種の擬制的な意味で持っておる価格であるというふうに御了解いただきたいと思うのでございます。
  86. 平林剛

    平林委員 私はあとで提案をしたいので、前にこういうことを申し上げておるのですが、決してあまり意味がないというものじゃないと思っているのです。時価の換算ということは重要だと思っているのです。そういう意味で、こまかいですけれども、お尋ねしておるわけであります。  もう一つお尋ねしますが、政府の資料では、金が約三百二十六億円、銀が百三十億円、また白金が四千七百万円、その他水銀が三百万円、合計四百五十七億円というのが、今日までの間にすでに引き渡し済みであるとございますけれども、この四百五十七億円の中には、政府が持っていたものが相当あるんじゃないでしょうか。つまり、日本銀行であるとか、あるいは造幣局の特別会計であるとか、貴金属の特別会計であるとか、一般会計に帰属すべきものが相当数入っているのじゃないかと思われるのでありますが、現在まで引き渡し済みの四百五十七億円の中で、政府の関係する一般会計その他に帰属をしたものはどのくらいの割合で、金額はどのくらいになっておりますか。
  87. 江守堅太郎

    江守政府委員 金は全体で百三トンございまして、いままでに八十トン返還をいたしておりますが、そのうち日銀に返しましたのが七十六トンでございます。政府に帰属いたしましたのが二・七トンでございます。それから銀につきましては、千七百六トンのうち千二百二十六トンを返還しておりますが、そのうち政府に千四十二トン返還をいたしております。白金は全部政府でございます。水銀は全部民間でございます。
  88. 平林剛

    平林委員 いまのお話で私ちょっと感ずるのですけれども、大多数が政府のであるということは間違いないですね。同時にまた、法施行当時保管してありました金のうちで現在まで引き渡しの分をいまお話しになったのですけれども、比較してみますと、政府の分もまだ処理できてないじゃないですか。要するに、私の言うのは、政府というのは、一般会計、貴金属特別会計、造幣局特別会計、日本銀行などでございまして、一番簡単に処理できそうな政府関係のものも、まだ全部処理されていないじゃないですか。そうでしょう。民間のほうは立証その他でなかなか困難な仕事だと私は御同情申し上げますけれども、何年もたったのに、政府部内のものは処理されてないじゃないですか。これはどういうわけですか。
  89. 江守堅太郎

    江守政府委員 金につきましては、今後二十二トン返還をいたすことになりますが、そのうち政府に返還されると思われますものが十二トンございます。この政府に返すものがおくれているのではないかというお話でございますが、これは造幣局なんかにございましたものについて、その帰属関係を明確にするのが、比較的むずかしかったということ、これはつまり、取られましたときと現状との状況が違っておる。一つのインゴットのようなものになっておって、それを分割しなければならぬというような事情もありまして、おくれているということでございます。
  90. 平林剛

    平林委員 接収貴金属監理官調べによりますと、昭和三十二年四月二十日当時、交易営団等の返還見込み数量は、金の場合で三千五百六キロ、約十四億円、銀がお金にかえて二十八億円、白金が三億円、ダイヤモンドが七十億円、合計して百十六億円というふうに私は資料を持っておるわけでありますけれども、この処理はどういうふうになりましたか。つまり、交易営団はじめ、中央物資活用協会、金属配給統制株式会社、金銀運営会、旧軍委託機関、それぞれのものについてはどういうふうに処理なさいましたか。
  91. 江守堅太郎

    江守政府委員 これらの交易営団、金銀運営会、そういったものは戦時中の供出を集める政府機関であったわけでございます。戦後それらの回収機関にございました金、銀、それらを進駐軍に接収されたということでございます。したがいまして、その所有者は、一応形式的には交易営団ということになるわけでございますが、それはすなわち、もう政府に返還されるものということで、そういった交易営団その他の戦時中の回収機関に返還されますものは、すべて政府のものでございまして、先ほど申しました金、銀等のうち、政府と申し上げましたものの中にはそういったものの所有したものがたくさん入っております。
  92. 平林剛

    平林委員 そこで私は本論に入りますけれども、これだけの貴金属の処理が進められてまいりまして、三十九年十二月末現在で総計二百二十五億円、これを現時価に換算いたしますと、まず四百億円近くなるでしょう。また引き渡し済みの四百五十七億円、時価に換算すればもっと大きくなるでしょう、約六百億円以上になるでしょうか、そのうちの大多数が政府、つまり一般会計、あるいは造幣局特別会計、貴金属特別会計、日本銀行、それぞれへ帰納されておるわけでございます。日本銀行の場合は別にいたしましても、政府関係に帰属したもの、あるいは現在未処理のもので将来政府に帰属するものであろうものを考えますと、相当数の貴金属があるわけでございます。そこで私どもといたしましては、この貴金属をすみやかに処理をいたしまして、そうしてこれを一つの事業団体をつくり、名称をいえば、科学及び社会保障充実基金というべき、仮称でございますが、そういうものをつくりまして、この貴金属を換価して、その分を預託し、運用益が生ずる。その運用益を利用して、ひとつ科学だとかあるいは社会保障充実、それはそうたくさんはできないでしょうけれども、そういう方面に活用されるようにされたらどうか、こう思うのでございますけれども、これは政務次官ひとつあなたにお答え願いたいのです。具体案はいまあなたがうつらうつらしているときに申し上げました。
  93. 鍛冶良作

    鍛冶政府委員 金はやはり為替準備に使うために売れないということでございます。売れるのはダイヤモンドでございますが、これもいろいろ前から研究されておるのですが、どういう方法でやるか、まだ具体的に案はできておりません。案ができればひとつ処分して早く活用したほうがいいのではないかと思っております。
  94. 平林剛

    平林委員 金は為替準備のほうに回すという御方針ですね。銀はどうするつもりですか。
  95. 鍛冶良作

    鍛冶政府委員 銀貨をこしらえるもとにします。
  96. 平林剛

    平林委員 それにしては多過ぎるですね。ダイヤモンドについても、これは政務次官も御承知のとおりに、第二十四国会における衆議院の議決で、接収貴金属の処理により国家に帰属させた収入金の使途は何ら意思の決定がしてございません。でありますから、第十六国会でこの接収貴金属を取り扱った特別委員長の報告が生きてくるのではないか。この特別委員長の報告によると、「換価処分による収入金をもつて特別会計を設け、その資金を戦争犠牲者等のために支出すること。」というのが特別委員長報告でございまして、本会議においては与野党満場一致これが承認を見ている形で、この接収貴金属の処理についての使途は、現在のところ国会の意思はそういう方向に向かっていることは事実でございます。そこで私は、いま金は金準備のほうに、銀は百円銀貨のほうにと、こういうお話でございましたけれども、相なるべくは接収貴金属の性格、歴史的な沿革等から考えまして、これらについてはひとつ効果的な使い方をしていったらどうか。そして時価に換価いたしますと相当金額なんです。先ほどたいしたことはないとおっしゃったが、相当金額です。この金額をすみやかに処理して換価し、そしてそれを基金にいたしまして、科学技術振興及び社会保障充実基金というような名称をもってその用途に当てるというようなことは、私は時宜に適した考え方じゃないかと思うのでありまして、社会党としてもこれはひとつ政府に十分検討してもらいたいと考えておるわけでございまして、私はこの委員会を通じて提起をいたします。したがって、政務次官、この問題につきまして政府関係で御相談なさって、すみやかに結論を出していただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
  97. 鍛冶良作

    鍛冶政府委員 御趣旨はまことにけっこうだと思いますから、ひとつ研究いたしましょう。
  98. 平林剛

    平林委員 これで私の質問は終わります。      ————◇—————
  99. 吉田重延

    吉田委員長 参考人出席要求に関する件についておはかりいたします。  まず、所得税法案法人税法案及び租税特別措置法の一部を改正する法律案の各案について、来たる十六日、税制調査委員松隈秀雄君、武蔵大学教授佐藤進君、全国銀行協会連合会会長中村一策君、日本証券業協会連合会会長福田千里君及び全国中小企業団体中央会専務理事稲川宮雄君に参考人として委員会に出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  100. 吉田重延

    吉田委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  また、金融及び証券に関する小委員会において、来たる二十九日、金融に関する件について、全国銀行協会連合会会長中村一策君、日本興業銀行頭取中山素平君、富士銀行頭取岩佐凱実君及び住友銀行頭取堀田庄三君に参考人として出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありません。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  101. 吉田重延

    吉田委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  次会は来たる十六日午前十時より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後零時四十七分散会