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園田委員 いま
小川委員が
質問しました、
球場を
プロ野球に一部提供して
学生のために迷惑がかからぬということなんですが、その御好意がかえってあだになって、
プロ野球が七時から始まるとすれば、五時にはもうあけ渡さなければならぬ。あけ渡すとなると、入っておった観衆が出ていくのにはまた時間がかかる。そう
考えると、朝早くからやらなければならぬということになってきます。そうしますと、
選手団、
応援団数千名は学業を放棄する、これを
文部省は黙って見ておられる。これは重大な問題ですから、
体育局のほうでは十分検討して
善後措置を講ずるように
要求しておきます。
次に、
神宮のほうにお伺いしたいのですが、実は私は毎年夜の一時に
明治神宮に
参拝をいたしております。ことしは
参拝者が少なかった。そこで、これはどういう
国民の
方々の心の
動きか、天気のせいか、警視庁の
指導のせいか、
ふしぎとおいなりさんとか大黒さんとか、そういうところはうんとふえている。こういうことを心配している一人で、
国民から尊敬されるべき
明治神宮が、各
新聞にあたかも
営利会社のごとく書かれるのは非常に残念です。それで、
宮司の方にお
考えいただきたいことは、
明治神宮のほうで
財政上つらいから
プロ野球に
野球場を貸すのだということをおやりになっても、あるいはもっと極端にいえば、夏場になってあの
庭苑をキャバレーとかバーとかあるいはダンスホールというようなものに金を取ってお貸しになっても、
国民が黙ってなるほどと見ておるようなときには、そのときは
明治神宮というものを特別とうといものだと
国民が思わなくなったときであって、
財政上つらいから
プロに貸して金を取るのだ。それはそのとおりです。もっと極端にいえば、戦前は、国家の保護で援助をして、のほほんと浮き世を離れて神に奉仕しておったらよかったが、戦後は
時代がつらくなって
明治神宮もお金のことは
宮司がそろばんをおはじきにならなければおやりになれなくなった。これはそのとおりです。ところが
国民の心の中には依然として神さまに奉仕する方はそういう金銭を離れたかっこうでやっていただきたい
気持ちがある。そこからこれは各
新聞に出てきた問題だと私は思う。
こういうことから私は少しお伺いしたいと思いますが、
小川委員が聞いたとおりに、この
明治神宮の
野球場というものは、
全国から集まってきて、そうして
全国の
学生が
勤労奉仕してつくったものです。そうして、貸し与えたとおっしゃるけれ
ども、かっこうは変わったでしょう。国家からあなた方が半分でおもらいになって、そうしてあなた方が組織をつくっておやりになった。しかし、
明治神宮にお祭りしてある明治天皇さんと、あの
明治神宮の姿は、管理の責任者こそかわっておるが、
国民のものであることに変わりありません。
国民のものなんです。こういうことを私はお
考え願いたいと思う。
国民のものであって、決して一部の人のものではない。第一に、終戦直後、国家は
財政的援助をしてはならぬ、土地を貸してはならぬというので、政経分離のたてまえから、宗教と政治がつながってはならぬ、国家と縁を切れということであって、ほんとうをいうならば、あのとき
国会の中にもいろいろ
意見があって、神社仏閣に貸してある土地とか財産は全部接収して、国家が取るのがあたりまえだ、こういう
意見もあった。
全国の神社仏閣に無料で国家が贈り、あるいは半分売った。その総額はどれくらいの額になるか御存じですか。各所の山林から土地からすると、一年分の
国民の税金を上回るだけの額でございますよ。私はこの際、
神宮側の方に
考えていただきたいことは、何もあなた方だけがどうということではありませんけれ
ども、やはり
日本の
国民の中には神さまという
考え方があり、戦争に負けて弱った。弱ったけれ
ども、一方では創価学会なんというものは何十億という建物を建てておるのですよ。何十億という建物をどんどん建てておるからといって、収支が償わぬかといって、何か
営利事業をやっておるということは聞かぬ。金が足らぬ場合には、彼らみずから出て、そうして宗教の布道をやっておる。そうして宗教の力によって、みずからの力によって、
国民多数の人々から集まってくる金で何十億のたいした工事をやっておるのです。こういうことからお
考えになると、私は、どうも御返答なさることばの中に、何か貸してやっているのだ、
学生も決してはねのけておるのではない。そういうおつもりはないかもわからぬが、そういう
意味にとれるおことばがあった。こういうことは
神宮側としても決して適切でないと私は思うので、そういう観点から、
神宮側は、この
野球場というものが
国民の手でつくられて、
自分たちが扱ってはおるが、やはり
国民のものだ、そこで
国民の人々がなるほど神さまのお庭だというつもりで使ってもらいたい、こういうお
気持ちがありますかどうか。