○滝井委員 合理化事業団の立場からいうと、いまのとおりだと思うのです。したがって合理化事業団がそれだけ
責任をのがれてやらないので、鉱業権者はなおのがれるわけです。したがって、みんな
責任をのがれて、
責任は一体どこにきたか、しわはどこにおおいかぶさってきたかというと、農民とか中小企業とかいう
被害者におぶさってきちゃったわけです。こういう実態になってきたわけです。だから最終的に鉱害の処理というものはなかなか終わらないという形が出てきておるわけです。事業団ベースでは終わってしまう。それは整理促進交付金の範囲内で
責任をのがれておるのですから、それで終わった。しかしたんぼの中に行ってみると、あるいは傾いた家の中に入ってみると鉱害は済んでいない、こういう形が一つ出てきたわけです。ここで私がいまひとつ
注意をしたいのは、今度の
法律の改正でもう一つ問題が出てきたのです。それは非常にいいことだったんだけれども、鉱業権者の負担分をずっと軽くしてやったわけです。鉱業権者は約三割程度軽くしました。軽くしたから、軽くした分だけ自分の
責任はなくなったという、こういう
考え方になったわけです。そこでわれわれの賠償
責任というものは、いままでよりも三割軽くなっただけの金を払えば、それでわれわれは一切の
責任をのがれたんだという形で出てきたわけです。このことは非常に重大なポイントだと私は思うんですよ。いつか私は鉱業法の審議のときにこういう
質問をしたのです。一体鉱業権者の
責任というのは、復旧費を全部出してしまったら鉱業権者の
責任はのがれるのですか、それとも鉱業権者は、鉱業権者負担分というものが
法律的にある、その負担分だけの金を出したら鉱業権者の
責任はのがれるのですか、どっちですかと言ったら、あなたの先輩は何と答えたかというと、鉱業権者の
責任は復旧費に近うございますと言ったから、それならば負担金の関係は一体どうなるのだ、いや鉱業権者の
責任は負担金にも近うございます、それでは、復旧費にも近いし負担金にも近いというならばどういうものだ、いやいや、それはとにかくどちらにも近いものが鉱業権者の
責任でございます、こういうことで終わっているのです。それだから私はそれは納得しないと言った。なぜならば、予定賠償というものがあるわけです。そうすると、ずっと昔に予定賠償をやった、ところがその賠償が著しく高いとか低いというときには増減することができることになっているわけです。そもそも鉱業権者の
責任というものの範囲が明確でなければ、予定賠償というものが行ない得ないわけです。鉱業法に予定賠償というものがあるわけですから、そういう点が明らかでない。ところが今度の
法律の改正で鉱業権者の負担分はますます軽くなってしまった。そこで鉱業権者は交付金をもらえば全部打ち切りでやればいい。そうすると鉱業権者の負担
責任は非常に軽くなって、いわゆる鉱業権者負担分で解決してしまうということになる。こういうことはいままでざらに行なわれておったのです。おれは金がない、だから君の家は傾いておるけれども、鉱業権者の負担分は百円だけ君にやればいいのだ、家は三百円なければ復旧できないけれども、三分の一の百円でおれの負担分はこれで終わりだ、これが百円が七十円とか六十円とかに今度下がるのですから、それだけやれば終わりだ、こういう形になってしまうわけです。そうしますと、哀れなのは祖先伝来の美田、家屋を荒廃に帰せられた人たちですよ。合理化事業団は
責任をのがれた、鉱業権者の負担は軽くなったということになると、残るのは、この
被害者は金をどこから取るかというとどこもないですよ。これがいまの悩みです。その鉱業権者の負担が軽くなったものを一体どこが払ったかというと、国と県が払ったでしょう。県の負担がふえたんです。県はそんなもの出せません。それをやっている県は
被害者ですよ。
被害者によけい金を払わせた。それができない分は、全部県が金を出せなければ、予算の関係で先に延ばせば延ばすほど、みんな農民や中小企業者が、祖先伝来の美田を荒らされ、家屋を荒らされて苦しむだけですよ。こういう形になってきたんです。そこでもう少しこれはしりぬぐいをはっきりしてもらわなければいかぬ。鉱害の最終
責任というのは一体だれが持つのか、これは無資力になれば国が持ちますと言いますけれども、無資力と有資力とは格段の差がある。これを少なくとも無資力と同じように無資力をあげて国が
責任を持つというなら、これは一つの方法でしょう。そこでこれは三十七年にわれわれは反対したのだが、石
炭鉱業の合理化法を改正して、合理化事業団に連帯
責任がないという形にしたところに問題があるわけです。だからこれはもう一ぺん合理化事業団に連帯
責任がある形にしなければいけない。そうして有資力と同じ形にして国がやる。それがためには、合理化事業団にはもっと国が潤沢に金を入れる方法を講じなければできないですよ。私はこの前こういう主張をしたのです。たとえば私のところにたぎりというのがある。この農地を復旧しなければならない。ところが五つも六つも
炭鉱があったけれども、全部つぶれて
炭鉱はどこにもない。あそこには無資力のものがある 無資力のものをそれならば有資力のものが出てきて全部その復旧をやるかというと、絶対に金をやることはない。これはみんな逃げてしまう。だれもない。あるものは再び湿田化したたんぽがあるだけです。鉱害復旧をしたそのたんぼが湿田化したのですから、このたんぼを上げるとすればばく大な金がかかる。たんぼを上げ、家を上げなければならない。ここまでは無資力で何とかやりますけれども、しかしそれならば農道とか公共の建物とか道路というものがあり、市町村道というものがある。これをだれがやるか。これは市町村がやらなければならぬことになる。そうすると一尺も二尺も、一メートルも二メートルもたんぼを上げる場合に、この公共の建物なり公共の道路を今度は上げるときに、市町村が自分の持ち分を出して、国の持ち分と合わせて上げるということになると、市町村がばく大な何億という負担をしなければならぬことになる。とてもそれはできない。できないから、市町村がやらなければ道路が通れなくなってしまう。こういう場合に、合理化事業団が全部買い上げておるのですから、その中には旧方式のものと新方式のものとまじっておる。合理化事業団には連帯
責任があるからその分の金を出しなさいと言っても、出す金がない。こういう複雑な問題が至るところに起こってきておるわけです。過渡的な
段階だから旧方式と新方式、あるいは有資力と無資力が交錯しておるわけです。しかも
法律は絶えず変わっており、全部が過渡的な
段階ですよ。そういうときにこういう紛争を解決するのに、合理化事業団が無手勝流でやっても解決はできない。そこでこういう紛争の調整をする金、不時の金を合理化事業団の予算の中に組んでおかなければならないのに、何もないのです。中央の合理化事業団にもお百度を踏み、福岡の合理化事業団にもお百度を踏んだが、全部だめです。話を延ばすばかりです。それが終わっても、あとに浅所陥没とか幾らでも問題が起こってきます。起こってまいりましても、合理化事業団には解決する金がないので、すらすらいかない。もとの鉱業権者に言ってくれ、もとの鉱業権者がどうしてもだめだと言ったらそのときに何とかいたしましょう、こういうことなんですが、なかなかもとの鉱業権者は、おれは知らないから事業団に行けというようなことは言わない。そんなことを言うたら、今度は
被害者が事業団に押しかける。そうして事業団から金をとると、事業団はもとの鉱業権者に求償権を発動してとるものですから裁判になる、こういう形になるので、これは何らかの形でどこかで紛争を解決しなければいけない。下の炭を掘ったことは明らかなんですから、それをいつまでも解決せずに、
被害者に長い間苦難の道を歩かせるということはいけないと思います。合理化事業団にもそういう紛争の問題を解決する予算を組んで、あと始末というものをだれかがやらなければならない。国もあいまいな態度ですよ。こういう問題について有資力と無資力の差があるから、いまや無資力の場合はとにかくとして、有資力の場合はなお鉱業権者に肩がわりをいたさせようとしておりますが、そういうものの
考え方は間違っておると思うのです。だからここらあたりで、合理化事業団の石
炭鉱業に貸しておる金にさえ利子補給をしようという
段階がきたならば、その前に苦しんでおる善良なる庶民、善良なる農民、中小企業に対する
対策を国が
責任を持ってやるのは当然だと思いますのに、それをやろうとしていない。これは事業団の
性格論になるわけでありますが、ここらで私は事業団に連帯
責任を持たせるべきだと思います。私たちは今度の法案の改正については、党にもはかってそれを修正したいし、もとに戻さなければいけないと思う。そうしないと、みんな逃げてしまう。そうして哀れな目にあうのは中小企業、農民、労働者だけだということでは納得がいかない。みんな逃げてしまっているじゃないですか。
北炭だって同じですよ。悲しい目にあっている。われわれは虫けらになりたいと
組夫が言っておる。何で虫けらになりたいと思ったかというと、常用の鉱員が虫けらで、
組夫はそれよりも下だというんですよ。だから、せめてうちのとうちゃんは虫けらになって死んでもらいたかったと言っておるんですよ。虫けら以下だというわけです。そういう形にしておいて、鉱業権者がのほほんとぜいたくをするということは許されないと思います。あるいは、どこかの観光事業をやるということは許されないと思います。その観光事業をやっておる金をまず全部出させなさいよ。石炭産業で粒々辛苦して蓄積した資本を、そういうところに投資してしまっておるでしょう。
日本の資本主義はそうでしょう。筑豊炭田や北海道から積み上げたものでこのけんらんたる
日本の資本主義ができておるのですから、それをもとの筑豊の美田に戻すためには、当然、石炭産業から取り上げることができなければ、やはり国がその分だけの
責任を持ってもらわなければいけないと思いますよ。そういう
意味で連帯
責任を明らかにして、有資力と無資力の差をなくする、こういう
法律上の
措置を今度は絶対とってもらわなければいかぬ。これはもう最後なんですからね。店じまいになるのだからね。だからそういう点について、いまるる述べましたけれども、鉱害処理
状況は合理化事業団にとっては非常に円滑にいっておるけれども、末端にいったらそれは停滞しておるということです。だから、この停滞を打破する道を今度のこの
法律の改正で
考えてもらわなければいかぬ。これはひとつ
局長、あなたの見解をまず簡単に述べておいていただきたいと思います。