○秋元参考人 このたび
精神衛生法一部
改正がこの国会で審議されるにあたりまして、この法の
改正にこれまで専門家の立場から終始深い関心を持っておりました日本精神神経学会の立場で、私が率直な御意見を申し上げることができますことをたいへん光栄と存じます。本店は非常に重要な
会議でもございますので、歯に衣を着せず率直に私
どもの
考えておりますことを述べまして御参考に供したいと思います。
日本の精神障害者に対しますこれまでの国の施策、これは申すまでもなく、非常に残念なことでございますけれ
ども、欧米諸国に比べますと非常におくれておりまして、とうてい文化国家というような名に値するものではないのでございます。これは、たとえば近来毎日のように新聞に載っておりますああいう精神障害者によるいろいろな困った事件、こういうふうなものがあとを断たないというような一事だけでもわかるのではないかというふうに
考えております。ああいうふうな事件は、非常に多くの精神障害者がおりますけれ
ども、そういう精神障害者の数から申しますとごく一部のものでございますし、また、ああいう不測の事件が起こりますことにつきましては、単に精神障害があるということだけではなくて、そこにいろいろな社会的
条件が加わっておるのでございますけれ
ども、しかし、ああいう事件が起きますと、精神障害者は危険であるというような
考え方が強くなります。また、これによりまして精神障害の方をかかえております家族にとりましては非常に肩身の狭い思いをするということが原因になりまして、そのためにできるだけ人に知らせないようにするといったような秘匿の傾向が出ております。こういうように精神障害者を危険視する、したがってまたこれを家族が秘匿するというような悪循環がございます。そしてああいうふうに事件があとを断たないわけでございます。こうした現在日本の精神障害者対策につきまとっております悪循環を断ちますためには、何としても国が責任を持って精神障害者に対する施策をつくるということが必要なわけでございます。このような見地から見ますと、現在の
精神衛生法にはいろいろ不備な点がございます。そういうことで私
どもはかねて、数年前からぜひこれを
改正していただきたいということを機会あるごとに要望してまいったのでございますけれ
ども、たまたま御承知のように昨年非常に不幸な事件が起こりました。あれがきっかけになりまして、ようやくこれが世論の注目するところとなりまして、今度
政府提案の形で
法改正をされるということになったわけであります。しかし今度、いろいろ当局の苦心がございましたけれ
ども、出ました案というものを見ますと、一体このような案でいま私
どもの当面しております精神障害者の問題を
ほんとうに解決できるかどうかということになりますと、私
どもとしましてはこれに対して多くの危惧を持つのであります。そうした見地からぜひこの国会におきまして、
精神衛生法の
改正を十分に慎重審議されまして、これを、これからの精神衛生施策を国が責任を持って行ない、精神障害者対策を
ほんとうに推進するようなものにしていただきたいということを、学会に連なります者といたしまして心から切望しております。
そこで、まず
精神衛生法の
改正にあたりまして、私
どもが望みます根本の精神は、この
法律がこれまでは障害者の入院治療、ことに自傷他書といったような公安上の危険があるもの、こういうものの隔離入院——措置入院といっておりますが、こうしたものの措置入院に重点が置かれた、そういう消極的な対策から脱皮いたしまして、ひとり精神障害者の問題だけではなくて、家庭であるとか学校であるとか職域であるとか、そういった広い精神衛生全般を含めました、国民全般の精神的健康を向上させるといったような施策に資する、そういうような答申であることを望んだわけでございます。また精神障害につきましては早期に発見し、これに適切な治療を加える、さらに退院したあとのアフターケアをいたしまして社会に復帰させる、そういった早期発見からリハビリテーションまで、そういう一貫性のある施策が行なわれること、そういうところに
法律を拡大発展させるということを
考えているわけでございます。すなわち、
精神衛生法をこれまでの消極的な社会防衛的な、いわば精神病院法というような形のものから、積極的な進歩的な、文字どおりの
精神衛生法に
改正することが
ほんとうのねらいであるというように
考えまして、これまでそういう見地からいろいろな意見を申し述べてまいったわけでございます。
このような見地に立ちまして、今回の
政府提出の
法律案を見ますと、確かにその中にはこれまでの
法律にはありませんでした在宅精神障害者、病院に入ります以前の家におります間の精神障害者のめんどうを見る、そういう訪問
指導の体制であるとか、あるいはいま精神医学的な治療が進みまして、軽症な者は入院させませんでも自宅で治療できますが、そうした自宅治療に対してその治療費を国が負担する、公費負担するといったようなこと、その他、そうした種々の点で確かに前進しているということは言えるのであります。しかし、先ほど申しましたような進歩的な姿勢という観点から見ますと、種々の不満足な点がございます。すでにこれにつきましては、この法案のもとになりました精神衛生審議会におきましても、この審議会の答申が十分に尊重されなかったという点で、厚生
大臣に対して不満の意を表明してありますし、また学会でもこれじゃ困るということを機会あるごとに述べてきたわけでございますが、それらの不十分な点を要約いたしますといろいろありますけれ
ども、およそ三点に尽きるのではないかと私
どもは
考えております。私
どもはこれを
精神衛生法改正の三つの柱というふうに呼んでおりますが、この
一つは精神障害者の定義であります。
御承知のように、現在の
精神衛生法の定義、精神障害者に対する定義は狭義の精神障害、精神疾患、精神病、これと精神薄弱、それから精神病質者、これは性格異常でございますか、生まれつきの病気というよりは、むしろ先天性の病気によるところの性格、この三つに限られております。しかし、先ほど申しましたような精神から申しますと、
精神衛生法はもっと広く、今日の精神医学が対象とするような、そういう広い軽いものも含めまして精神障害一般を含めるべきであるということが、この定義を改めるべきであるという主張の
理由であります。すなわち、この三つに限らず、精神医学的なケアを必要とするような精神能力の障害あるいは異常行動を制限する、さまざまなものがございますが、たとえば神経症などと言われているものの中にもそういうふうなものがございまして、これを中期に処理することが、いろいろな社会的な問題を未然に防げる
一つの大きな
理由にもなる、方法にもなるわけでございますが、このような広い方法に拡大しなければならぬということでございます。
それから第二は精神鑑定医
制度でございますが、御承知のように現在は、この自傷他害というようなおそれがありますと、この者は国の負担によりまして、公費によって指定精神病院に入院させることがあります。その際に、この患者がそのような措置入院の
条件に合致するかどうかを鑑定するのが精神鑑定医でございまして、これは厚生
大臣が指定をするわけです。そして、その指定の
条件としては、精神障害の治療について三年以上の経験を持った者といったようなばく然とした規定がありまして、それに該当するようなことであれば、そうしてまたこれは厚生
大臣になっておりますが、実際には都道府県でいたしますが、都道府県でそういう鑑定
業務をいたすのに必要であるという限度内においてこれを指定する。したがって、これは資格でも何でもないのでございますが、しかし措置入院といったような人権の制限、こういうふうなことをさせるというふうなことがありますために、特にそういった
制度を設けております。ところが、この人権制限といったようなことは措置入院だけでなしに、一般に精神病院ではこれが
医療上どうしても行なわれることになります。つまり、措置入院だけでなくても、
医療上必要があれば患者の意思に反してその患者さんの行動を制限する、つまり本人が幾ら出たくても外へ出さないで、それを一定のところに託しておく、行動を制限する、つまり本人の意思を束縛するという、ほかの
医者では行なわれない、そういう特別な人権に関する権限を精神科の病院の
医者にやるわけです。ところが、このほうは全く何にも制限がありません。鑑定医というものがありますけれ
ども、それといまの
仕事とは無
関係でありまして、措置入院と
関係がなければ、そういう人権の制限はだれでも
医者であればできる。つまり現行の
医療法では、これは日本の非常に大きな欠陥でございますが、専門
制度がありませんために、医師免許があればだれでも——きょうまでほかの臨床のことをやる、あるいは臨床を知らなくても基礎で何か勉強をして学位でもとる、あすからは直ちに精神病院の経営の管理者になれる、そうしてこのような人権制限ができるというたてまえになっておる。それが非常におかしいのでございまして、これは日本の精神病院の管理の上の大きな欠陥になっております。これを改めるためにはどうしても専門
制度などに、そういう人権制限を行なうための
一つの資格を認めなければならぬという立場から、これは審議会でも論議されまして、その
結論として精神衛生医、これは仮称でございますけれ
ども、そういうものを設けて、この精神衛生医はやはり一定の基準を厳格に課する。審議会の案では、五年以上のしかるべき精神医学の施設、診療施設で臨床経験を持った者について適切な審査をいたしまして、そうしてその資格を認める、こういうふうな資格を持った人が初めて精神病院の解釈なりそういう人権制限も行なえるわけです。そうして必要があればその人は措置入院の指定によりまして措置入院のほうの鑑定を受ける、そういうことはぜひ必要だ、こういうことを主張したのでありますが、今度の
法律ではそれが認められておりません。依然として非常に不完全な精神衛生鑑定医の
制度が存続しているわけです。
第三点は地方精神衛生審議会の設置であります。御承知のように日本の精神衛生対策につきましては、中央に厚生
大臣の諮問機関として精神衛生審議会がございます。そうしてここでわが国全体としての精神衛生に対する施策がいろいろ
大臣の諮問によりまして討議され、それが
大臣に答申されまして行政に反映されるというような仕組みになっているのであります。ところが肝心の地方におきましては何らそれがありません。したがいまして、地方の精神衛生行政は官庁の担当の係官あるいは民間のほうの精神衛生団体、そういった組織がてんでんばらばらでやっておる。すなわち、その地域性に即した自主的な精神衞生を促進する、そういう肝心のブレーントラストが全然ありません。つまり日本の精神衛生のそういった周知を集める機関というものは頭だけありまして、肝心の手足がない。これではとても推進ができないわけです。したがいまして、中央にそれがあるのでありますから、ぜひこれを一体となるような地方精神衛生審議会を設けるべきである。この三つともいずれも関連がありまして、これによって初めて
精神衛生法が旧来の精神病院法でなくて、前進的な、進歩的な、世界のいずれの
精神衛生法もこのような姿勢を持っておりますが、そのようなものにすべきであるということを言っておったのでありますが、この三点とも今度の
改正になります法案では除かれておるというので、この点は非常に遺憾きわまりないということであります。ぜひこの点を御勘案いただきまして、このような
方向に持っていっていただきたいということをお願いいたします。このようにいろいろ欠点はございましても、昨年米時間が足りませんで十分な
質疑ができませんでしたが、精神衛生審議会でも審議を尽くし、また厚生当局も非常に熱意をもってこれに当たられましてこういう法案ができました。これにはいろいろな欠点もありますが、しかし先ほど申しましたような若干の点では確かに前進であります。ですから、学会としましてはこの案が通るということを望んでおりません。そういった修正ということがもしできますならばその上でぜひこれは通していただきたいということを
考えておるわけでございます。
最後に、私はいまから四十七年前に、日本の精神医学の父といっていい呉秀三
先生、——
先生の百年祭をことしいたしましたが、呉秀三
先生が残されたことばがあります。それはこういうことばであります。一九一八年、ちょうど五十年ほど前でありますが、こういうことを言っております。
先生は、「わが国何十万の精神病者は、実にこの病を受けたる不幸のほかに、この国に生まれたるの不平を重ぬるものというべし」、このように当時の精神障害対策がいかに貧困であったかということが、このことばでわかると思いますが、しかし、
考えてみますと、この
状態と今日とはあまり著しい変わりはないのじゃないかとさえ思われます。現在の日本におります精神障害の方々は、このような悲劇を繰り返さないためにも、ぜひ国会におきまして、この
精神衛生法の
改正について御尽力いただきたい。そうして一歩でも前進するようお願いいたしまして、私の公述を終わります。(拍手)