○
八木(一)
委員 非常に前向きな答弁でけっこうでございます。問題は、いろいろなところで理屈が出ると思いますから、私の
考え方を申し上げておきたいと思います。
福祉年金と
拠出年金で少し共通の問題もありますけれ
ども、また別な論点もあるわけです。
拠出年金については、ほんとうの
意味で論議されるといいのですが、それを下げると金がかかるというようなことで、ブレーキをかけるためにする論議が一これは船後さんみたいな方はそういうことはないですけれ
ども、ほかのほうでは出るおそれがある。たとえば、労働人口がどんどんふえていく。だから年をとるまで働いてもいい。
年金をそんなに早くする必要はないじゃないかというようなことを言われる。
年金制度というのは、この
国民年金制度も四十年先——現在の時点で
考えていけないわけです。現在の時点で
考えなければならないのは
福祉年金です。現在の時点で
考えないで、将来を見通して
考えなければならない。そうなれば、いろいろな問題について、たとえば農業についても中小企業についても自由業についても、これはいろいろオートメーション化が起こるわけです。いままでは工業におもに起こっておりました。そういうふうに起こるわけです。いま労働力不足ということを労働省あたりが言いますから、年寄りも働いてもらわなければならぬという議論が起きる。しかし、いまの時点でそういうことをきめて、今度はオートメーションが
発達をして、今度は二十年後に人がダブついてきた。そんな年寄りが働いておったら若い者が働くところがなくなるんじゃないかという場合が必ず出てくる。そういうようなときに処して四十五年後の、四十五年というのはけしからぬと思うのですが、西土五年後の将来を見通した問題、国民
年金というのは二十から六十工まで、四十年払って五年待たされるのですから、これは六十にしていただく、四十年にしていただきたい。そしてただいまの時点で四十年先を見通す。いまの時点では労働力が不足だから年寄りに働いてもらう、働くから
年金はそんなに早く要らぬじゃないかという俗論が方々で出ると思います。そういう俗論については徹底的に粉砕する。長い目で見たほんとうの
年金制度というものはそういうものではない、人間の文明が
発達をして、それで若い、二十から六十までくらいの人が生産に従事して、そして生産の分配は全国民があるいは全人類が十分に受けられる時代が早晩——早晩ではなくて近き将来に到達をするのだというような見通しで
考えていかれないと、いま私の危惧したような反論がおそらくつまらないところから出てきて、正当論みたいに言うと思いますから、そういうことを撃破して、六十歳から開始するということをぜひやっていただきたいと思います。
それからもう
一つ、ほかの
年金が五十五歳で支給——共済その他がそういうことになっている。そういうものに並べるためにも五十五歳——五十五歳のものがある。厚年は六十歳、国年は六十五歳だ。そんなばかな
年金制度の格差というものはあったものではない。少なくとも国民
年金は六十歳に合わせる。法制的にも合わせる点でもそういう点を強力に主張していただきたい。
ちょっと基本的な問題点からはずれますが関連がありますから……。
福祉年金についてはこれまた別なんです。
福祉年金については別であって、いま
福祉年金の該当者は七十歳以上、私
どもは六十歳以上に該当させなければならないと思う。いま六十歳の人はどういう生活をやってきたか。戦争中、戦後に非常に苦労してきた。経済政策が非常に悪いために失業もした。おまけに貯金をしたものはインフレでパーになった。いま六十になった人はめちゃくちゃな目にあってきた人です。ですから、日本のいまの全国平均とちょっと違って猛烈に老衰の度が大きい。特に
福祉年金の該当者で所得制限をされている人たち、その人たちについてはその度が特に大きい。ここにおられる方の中に、
神田さんも若く、非常に若々しい顔をしておられる。私も五十三であと一月で五十四歳になりますが、六十になっても
神田さんくらいの若さは保てるつもりでおります。つもりでおりますけれ
ども、こういうところでしゃべっているのは日本国じゅうではレアケースですから、ぼくも、
神田さんもおっしゃったように、われわれはレアケースとして、われわれの判断で勘定してはいけない。また
年金制度についていろいろ言う人がおります。これはまたもとの議論に返りますけれ
ども、ある学者が公聴会でこういうことを言いました。人間は働くことによってあれがあるんだ。
年金をそんなに早くやって働くことから除外されたら生きがいがないのだと言われました。それはあなたは間違いです、あなたは学者という、大学教授というそういう特別に恵まれた地位を持っている、頭脳的な地位をもっているから頭は老衰しないのだ、いつも学生を指導し世の中を指導したいという意欲に燃えておられるが、しかし普通の人はそうではない、疲れはてて休みたい、子供が一本立ちになった、娘が嫁に行った、老後を楽しみたい、これが普通の国民の気持ちだ、あなたのようなエリートの感覚でこのような国民全体のことを
考えてもらったら困るということを
昭和三十四年の公聴会で公述人に対して言ったことがあります。これが私は当たっていると思いますが、どうもこういう問題を論議するときに、いろいろな学識経験者とかあるいは高級公務員とかあるいは
国会議員とかそういう者が議論をするので幾ぶんの若さを保ち、これからの仕事に意欲を持っている連中がやるので、そういう国民一般の概念からはずれた判断をすることがあろうと思います。こういう問題についてそういう議論が出ましたら、そういう自分たちの立場で
考えないで、国民の平均水準で
考えるというふうに反論をしていただきたいと思います。
問題をもとに戻して
福祉年金の点ですが、六十歳になっている人は非常に苦労したから非常に老衰の度が大きい。苦しい時期をささえてきた人たちですから、その人たちに対して社会的な親孝行をしなければならない。それが七十歳からではほんとうに苦労をした人にひとつも報いることにならない。特に苦労をした人は六十七、八で死ぬ人が多いんです。七十をこえて
年金を受ける人はその中でも比較的しあわせだった人が多い。そういうことを
考えれば七十歳開始というようなことはほんとうに問題にならない。少なくともこのような
福祉年金に関しては、これこそ決断を持って即時六十歳にしたらいい。ところが
福祉年金ではすぐ金がかかる。だから抵抗があってなかなかできないということ。
拠出年金六十五歳と書いておいて
福祉年金を七十にするなんて、そんなものは法制上の理屈に全然合っていない。法制上のバランスから
考えててんでなっていない。
拠出年金六十五歳、
福祉年金七十歳、話にならない法制です。おまけに実質を
考えれば、いまの老人こそ苦労をしている。老衰の度が早い。早くなくなられる方が多い。したがって早くから社会的にも親孝行をしなければならない。これこそは六十歳からすぐやらなければならないという問題である。
根本的な問題と、少しプラスアルファの点がございますから私の
考え方を申し上げておきますが、この
福祉年金の開始年齢の引き下げについては、次の
国民年金法の
改正案に断じてこれを入れる、そういう決意を表明していただきたいと思います。これはあなたが総理
大臣になられるか、ほかの
大臣になられるか、しばらく閣僚を休まれるか知りませんけれ
ども、あなたの在任中に各閣僚に断じてそれを
承知をさしておく、大蔵
大臣にもそれを
承知をさして、もっと熱心になるように言っておく、そのような努力をしていただかなければならないと思う。その点について断じて
老齢福祉年金の開始年齢については大幅に下げる、私の要望では六十歳、そういう要望に従って断じて引き下げた
提案をするという御決心のほどをひとつ明確に強力に示していただきたいと思います。
〔
小沢(辰)
委員長代理退席、
委員長着席〕