○
開高参考人 私は
小説家ですが、
ベトナムに去年の十一月ごろから大体百日余りほど行ってきたわけです。それで、十七度線というのがありますが、
ベンハイ川、それから
インドシナ半島の最南端の町の
カマウというのがあります。よく、
南ベトナムのことを言うのに、
ベトナム人が
ベンハイ川から
カマウまでという
ことばを使いたがりますが、大体そこを全部見てきたわけです。当時台風でジェーンというのとアイリスというのと二人魔女があばれまして、
幹線道路と鉄道が破壊されて、バスも行けなくなったので、
中部地帯は行けなかったのですけれども、あと行けるところは一応行ってきたわけです。
戦争にも行ってひどい目にあってきたのですが、まず申し上げたいのは、あの国は面積又
び人口の八割までが
——正確な数字をいま申し上げられませんけれども、大体八割までが
農民であるということ、それから
農村であるということ。ですから、
多数決原理で動いていく二十世紀の
政治原理からしますと、
ベトナム国をどのような
方向にでもあれ変えようと
考える人間は、
農民及び
農村をつかまない限りこれを変えることはできないと私は思うのです。この
農民というのが実に悲しい
存在でして、どの村へ行ってみても、
じいさんばあさんと
赤ん坊しかいない。
じいさんばあさんしかいないのに
赤ん坊がいるの、はどういうことだという疑問が出てくるわけですが、つまり、
政府軍に行くか
ベトコンに行くか、とにかくどちらかに、若いやつ、働けるやつ、走れるの、荷物をかつげるの、そういう力がある
人たちがみんな行ってしまいますから、からっぽになっているんで、
ベトコンというのは、
農村を舞台にした
農民の
戦争ですから、農閑期になると
戦争する、農繁期になると、田植えとかなんとかになると、
ジャングルから帰ってきまして、たんぼに実をまき、奥さんに種をまく、そしてまた
ジャングルへ帰っていく、こういう生活をやっているらしいですね。非常に貧しいということは、私は
ベトナム語ができないし、若い通訳を連れていこうと思うと、これが
徴兵の
がれをして隠れたりしているもんですから、地方で警官に、
身分証明書を見せろ、こう言われたときに
徴兵の
がれをしているのがばれるからというのと、それから、
ベトコンがこわいからとか、
政府軍がこわいからとか、
流れだまにいつ当たるかしれないからというので、ついてこないのですね。それで、しようがないから
身ぶり手ぶり、それから、どの町へ行っても坊さんがいますから、お寺へ入っていきまして筆談をするわけで、それでどうやら
意思を通じてきたわけなんです。
農村へ行ってみますと、
南ベトナムで一番食糧の豊かな
地帯はメコン・デルタであろうかと思うのですが、見渡す限りお米が実っているわけなんですが、
農民、普通の
小作農ですね、
農民のうちのおよそ八割か九割を占めると思われる普通の
小作農の家というのは、泥とニッパヤシの葉でつくった
掘っ立て小屋でありまして、
床板がないのです。
床板すらもないという表現を使ってもいいかと思うのです。豚がピュッピュッ、鶏がコケコッコーといって床を走り回っておりまして、そこで
農民が寝ているわけです。
電気もありませんから、夕方になるとさっさと寝てしまうよりしようがない。寝て何をするかというと子供をつくるわけなんですが、
ベトナム国は非常に子宝に満ちておりまして、大体平均五、六人から十人、十五、六人というふうな子供をつくるのがざらにいるんですね。そんなにたくさん子供をつくったら将来子供が不幸になるではないかというわけなんですが、中にはカトリックの
農民もいますから、カトリックは制限することを許しておりませんから、産みほうだいに産んでしまうのです。いろんな答えを聞いたのですが、暑いからとか、まあ昼寝をする習慣があるからとか、教育が普及していないからとか、一番多いのは楽しみがないからという万国共通の原理によって子供を産みだす、いわゆるアジア的生産様式という古い
ことばが当てはめられるかと思うのです。このアジア的生産様式で過剰生産をやっていくわけなんですが、何しろ非常に衛生状態が悪い。一番多いのは肺病ですが、肺病、らい病、それからその他四百四病ことごとく集まってくる。ですから、平均年齢が、
戦争のせいもありますけれども、推定されるところでは三十歳という状況ではないかと思われるんですね。これはほぼ妥当な
意見だと思います。だから、北海道を二つ合わせたくらいの面積しかないあの小さな国なんですが、一向に人口過剰にならないので、
サイゴンでもちょっと外へ出れば
ジャングルが広がっていますが、
日本人ならたちまち
ジャングルを克服して畑にしてしまうのですが、
ジャングルはいつまでも
ジャングルのままで残っていく、そういう状態なんです。夜になると豆ランプをつけているわけなんですが、その豆ランプすら買えないところもある。私は、自分の
報道記事の中で、少し誇張して、家財道具といったら洗面器
一つしかないということを書きましたけれども、これは、
日本とあまり事情が違い過ぎるので、少し誇張しなければ真実が伝わらないという
考えがあったものですから、かつ
小説家であるからして、洗面器
一つしかないと書いたわけなんです。行かれた方ならおそらく思い当たられるだろうと思うのですが、事実そのくらいしかないと思うのです。耕うん機とか農耕機具というふうなものもないわけです。
アメリカは、USOMという経済協力機構がありまして、これが
農村援助に乗り出して、豚や鶏、それから種、それからトラクター、こういったものを補給して回るのですけれども、私に言わせれば、一種の赤十字的な行為に似ているのじゃないか、全体としての構造としての改革が行なわれていないから、
農民としては安心することができない。それから、
農村の中へ入っていく
アメリカ人もいまして、これは実に善意に満ちて、一種のピューリタンと、それから、何と言いますか、彼らなりのヒューマニズムに立ちまして、理想に燃えて
農村に入っていって、
農村指導をしたり、それから医者のまねごとをしたりして
農民を助けているのですが、こういう
アメリカ人は
ベトコンは殺さない。しかし、この
人たちもそこに永住するわけじゃないわけですから、一年くらいたつとまた
アメリカかラテン
アメリカのどこかへ回されていくわけですから、
農民と真になじむことはできないのじゃないか。言語の問題という大きな問題がありますけれども、その上にもう
一つこういうことがあると思うのです。
それで、
作戦について行きますと、村に入るわけですが、どの村へ行ってもからっぽである。私が行ったときはちょうど稲を刈り入れたあとですから、
ベトコンのほうへ入った
農民はもう村にいませんし、
政府軍に入った兵隊は兵役が無期限ですから村へ帰ってきませんから、村はがらんどうに荒れ果てているわけなんです。ところが、
作戦に出ていきますと幾つかの村を通過する。私の行ったのはCゾーンのはずれ、それからDゾーンの入り口という
地帯でして、これは
南ベトナムでは
戦争の一番危険な状態にあるところといわれているわけです。村の中に入っていきますと、田畑が荒れていて、道なんかにどぶ水があふれ出していて、非常に治安状態が悪いといいますか、衛生状態が悪い。こういう村に来ると、
ベトナムの
政府軍の将校が私に、ここはあまり
ベトコンの力が及んでないからいいというふうなことを言うわけです。田畑がきれいに整理されていて、
掘っ立て小屋でも学校があり、
掘っ立て小屋でも病院というか医療施設といいますか、そういうものがつくってあるきれいな村に入っていきますと、極度に緊張して、これは完全な
ベトコン地区であるから、どこからスナイパーに、スナイパーというのは狙撃兵のことですが、やられるかもしれないから気をつけろというふうなことを言うわけです。私
自身は、
ベトコンと接触はしましたけれども、
ベトコンの中に入って生活をしていないので、どういうことが行なわれているのかわかりませんけれども、表面的にあらわれた事実を見て言うと、
農民及び
農村に対してどういう政策をとっているかということが、こんな小さなことでもわかるのじゃないかと思うのです。それでなければ何年間も
農村を舞台にして活躍できないだろうと思う。
それから、
政府軍のことについて少し申し上げますが、
戦争をやっているから
軍隊のことを知る必要があるのですが、もし私がいま平均的な
ベトナム人に生まれたとします。つまり、
農民、
小作農のむすこに生まれるわけです。十三男坊くらいのところに生まれたとします。間をとって八男坊くらいに生まれたとしますと、肺病、らい病、遺伝性梅毒、もろもろの難関を切り抜けて、腹ぺこをがつがつこらえて、税金に責め立てられ、小作料に責め立てられて、どうやらこうやら生き延びて二十歳に達すると兵隊にとられる、何もわからないままに
軍隊に入るわけですが、兵役は無期限である。私はどん小作、のろまであるから、一番悲しい歩兵隊に入れられる。ところで、歩兵隊に入れられるのですが、自由のために戦えと将校が私に一発訓辞をたれるわけですが、私はかつて食うものがなかったのだから、自由のためにと言われても何のことかよくわからない。かつ、
サイゴンにいる将軍たちは、これはもう白昼公々然たる事実でありますが、汚職にふけり権力闘争にふけっている。利権をむさぼると言いますが、利権というものがあの国にはありませんから、何をむさぼるかというと、結局一日平均大体二百万ドルくらい入ってくる
アメリカの
援助費をたくみにちょろまかして、パリあたりへ逃避させる。むすこ、娘はみんなパリへ逃げていく。そういうでっかいことのできない大佐殿、中佐殿、少佐殿といったのは何をしているかといいますと、おめかけさんをたくわえまして、自分の家を建てるのに一小隊、二小隊の兵隊を平気で引っぱってきて、ただ働きをさせる。これはしょっちゅう問題になることでして、
サイゴンで、グェン・カオキという、私と大体同じくらいの年ごろの、ちょびひげをはやした、パイロットとしてはきわめて優秀であるが、
政治家としてはあまりどうかと思われる将軍がいて、かなり
勢力を持っているのですが、それがレセプションなんかに出てきまして、役人及び高級将校なんかを集めて、われわれはもっとモラルを清らかにしなければいけない、それで、汚職だとかそれから贈賄だとかいうふうなことをやめて、誠心誠意人民のために仕えなければ戦いを勝利に導くことはできないであろう、それで、かってにただで兵隊に家を建てさせるというふうなことはやめようではないかと、公開の席上でそういうことを言うのですから、その裏ではよほどのことが進行していると、論理必然的に
考えられるわけです。かくて、私はだれのために何のために戦うのかさっぱりわからなくなってきて、
作戦は朝の四時から始まるわけですが、一番エネルギーがぴちぴちしている朝起きても、鉄砲さかさまにかついで歩いていくわけです。今度は
小説家の私の経験ですが、
ジャングルの中に忍び込んで、あそこは朝は大体太陽が七時十分ごろにのぼりますから、それまで暗やみの中を手さぐり足さぐりで歩いているわけです。前の晩、それからその前の晩、
作戦計画を全部詳細知りまして、地図も見せられる。私は
日本人ですから、スパイじゃないことはわかっているから、何でも見せてくれるのです。見せてくれないときには、出かけていって、
ベトナム政府軍の将校だとか
アメリカ兵のところに行きますと、書類が置いてありまして、コンフィデンシャル、極秘と書いてあるのですが、これをテーブルの向こうからそこの極秘と書いたところを押えて内容だけを読みまして、ありがとうと言って出てくるわけです。向こうは見て見ぬふりをしている。これは、第三者である
日本人だから、そういう点、情報も非常にたくさんくれましたし、かなり正確なことがつかめたのじゃないかと思うのです。それで、主力大隊の中央に私たちが入って、左右を防衛していくということを聞いていたのですが、
ジャングルの中にもぐり込んでから夜が明けてみますと、確かに、左右両翼、ちらりほらりと木の陰の中を兵隊が歩いていく姿が見えるのですが、みんな鉄砲をさかさまにかついでおりまして、ああこれはたいへんな
軍隊に入ってしまったと思ったのですが、もうおそかったのです。とにかく、
ベトナム農民に生まれて、
ベトコンでないとしても、
政府軍に入って死んでいくよりしょうがない。だから、私としては自分の命を守るためなら脱走するよりほかに道がないわけです。けがをすると彼らは非常に喜ぶのです。これでもう兵隊にならなくても済むというわけです。兵隊からの
がれられるというわけです。
皆さんが
日本の新聞をお読みになっていると、ときどき戦況報告が載っておりますけれども、あの中に行くえ不明何名というのが必ず出てきます。行くえ不明、または
サイゴンでは蒸発という
ことばを使っておりますが、
作戦があると、必ず蒸発するのです。
政府軍は控え目にその数を
報道し、
ベトコンのほうはまた少し大き目に
報道するので、一体何人蒸発したのかはっきりわからないという事実があるのですけれども、相当の人数が蒸発しているのです。蒸発した兵隊は完全武装したまま蒸発するのですが、どこへ行くかといいますと、
ベトコンに走るか、鉄砲を捨てて野山をさまよい歩くか、この二つなんですね。それで故郷の村へ帰って納屋なんかに隠れているわけです。だけれども、村は警官がやってきますからあぶないというので、どこへ来るかといいますと、
サイゴンに中国人町のショロンというところがありますが、ここは一種のカス場みたいな状況になっていて、夜も、表道りはネオンがついているけれども、裏通りへ一歩入るとランプしかついていませんから、どこに逃げ込んでもわからない。ここに入ってこじきをしたり、ポン引きをしたり、昼寝をしたりしてみたり、最低生活を送るわけです、死ぬよりはましだというわけで。警官がまた、見て見ぬふりをしている。
ベトコンがテロをやりますと警官がかけつけますけれども、見て見ぬふりをして逃がしてしまう。報復をおそれているということと、
一つには、いまの
政府を完全に民衆は信じておりませんから、いつか
ベトコンが
政府をとるときが来るだろう、そのときに痛い目にあいたくないからという気持ちもあるのじゃないかと思うのです。
ベトコンの犯人でつかまったというのは非常に少ない。日曜日になると、巡査が私服に着かえまして
サイゴンのショロンを歩いていくわけです。彼らの職業的鑑識眼からすると市民と脱走兵を見分けることができるらしい。
ベトナム人は
赤ん坊から
じいさんばあさんに至るまで指紋と写真をつけた
身分証明書を持たされておりますが、ちょっとあやしいなと思うやつがいると、暗いところに連れ込む。そうすると、五百ピアストルという札がありますが、大体平均五百ピアストルということを聞きましたが、それを
身分証明書の中にはさんだり裏に入れたりしてこう出すわけです。巡査が札だけを抜いて、ふむふむと言って返す。この種の話を始めると切りがないくらい材料があるのです。
戦争だけについて言うと、私の
結論としては、あそこでは、いまさっき
松本さんがおっしゃっていましたけれども、幾ら北をたたき南をたたいても、空からはえげつない、目も口もあけられないような
戦争がいまあそこでは続いておりますが、地上軍で
シラミつぶしに攻めていかない限り、あの国の
戦争で
アメリカとしては勝つことができない。もし本気で
ベトコンを殺したいという
考えを遂行するとすれば、
ベトコンというのは
農民の中に溶け込んでいるわけですから、一千四百万人の
ベトナム人をみな殺しにする、オリンピックスタジアムくらいもあるガス室をつくって全民衆をみな殺しにしない限り、
ベトコンを根絶やしにすることはできないとぼくは思うのです。ナチスは四百万のユダヤ人を殺しましたけれども、それのほぼ二倍半くらいのガス室をつくる、そうでもしない限りだめだ。これは
アメリカ人がよく知っておりまして、端的に彼らの状況を
ことばで言いますと、われわれはこの
戦争に勝つことができない、これは
軍事的にはそういうことだろうと思うのです。しかし負けることはできない、これは
政治的にはそうだという意味だろうと思うのですが、これがほぼ合い
ことばになっているような私は気がするのです。結局そういうジレンマに落ち込んで泥沼状態が続いている。
それと、
アメリカは、
ベトコンが脅迫、テロによって洗脳を
農民に施し、
ベトコン兵士に仕立てる、こう言っているのですが、
戦争している以上、ピクニックに行っているわけではありませんから、どこの国の
軍隊であってもたたき上げるだろうと思うのです。どういうふうにやっているのかぼくにはわかりませんが、地上最低の歩兵隊である
ベトナム政府軍の兵士が蒸発して
ベトコン側に入りますと、一カ月たつかたたないかで今度は地上最強のゲリラ兵となって再登場する、こういう事情があるのです。もちろん
ベトコンの中からの脱落者もたくさんいますけれども、
政府軍側からの逃亡者のほうが多いのじゃないかと私は思うのです。何が彼らをそうさせるのかということをよくよく
考える必要があるだろうと思うのです。単に脅迫と洗脳だけでそうすることができるかどうか。それから、そういうことだけを続けていて何年間も戦ってこれるかどうか。こういうことも
考えて、まず事実から
考えていく必要があるだろうと私は思うのです。
原爆を除きますと、百五十五ミリ無反動砲というのが一番大きいのですが、ナイフからこの百五十五ミリ無反動砲に至るまで全部、USプロパティー、合衆国財産という刻印が打ち込んである。これがどんどん村に飛び込んでくるわけで、
政府軍側が得る情報というのはきわめてあやふやなものであるということを私は身にしみて悟ったわけなんです。あやふやな情報でも、
ベトコンが入ったとか、
ベトコンがいるらしいという情報が入りますと、百五十五ミリ砲の射程は十五キロぐらいですけれども、十二、三キロぐらい先から夜となく昼となく砲弾をたたき込むわけです。かりに私が
ベトコンでなくても、頭の上へ合衆国財産が落ちてくるのですから死ぬわけです。それから、ナパーム弾、黄燐弾、それから、
ジャングル及び畑には、オペレーション・フォールン・リーブスというのですが、枯れ葉
作戦といいますか、落ち葉
作戦といいますか、
ジャングルをまっかに枯らしてしまうわけです。この間バーベキュー
作戦というのがありまして、七千五百ヘクタールにわたって、化学液をまき、粉末燃焼剤をまいて、ナパームをたたき込む。全部を燃やしてしまう。焦土戦術に出ているわけです。これで
ベトコンが何人死んだかどうかわかりませんけれども、
農民も同時に死んでいく。そうして、二者択一といいますか、
政府軍側につくか
ベトコン側につくかという余地は最近ではもう残されていないのじゃないかと私は
考えるのです。それで好むと好まざるとにかかわらずみんな
ベトコン側に走らざるを得ない状況になっている。
アメリカが一生懸命やっているのは
ベトコンを製造することである。民族解放戦線の領域を広げることに一日二百万ドルも使っている。
ごくごく大ざっぱな概況を申し上げると、こういう状態になっておると思います。