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矢尾委員 ちょっと関連。――いま
泊谷委員からいろいろ御質問がございましたが、私は現在も
鉄道建設審議会の
委員でございまして、この問題につきましては運輸当局も御
承知のとおり、この線が
着工線になりましたのは、
昭和三十四年十一月九日の
審議会において
建議されました。その
建議は、
石狩-十勝
連絡線、いま
鉄監局長が言われたような順序で、
北広島-追分間、
紅葉山-金山間、右左府-御影付近間、こういうことになっておるのです。そうしたところが、私が
審議会におきまして不審に思いましたことは、そのずっと前、三十四年以来
審議会が開かれるたびに、予定線、
調査線、
着工線と色分けをして、いわゆる
着工線は赤の太いやつで、そして
調査線は青の太いやつ、予定線は赤の細いやつ、予定線は大体百七、八十あると思いますが、そのうちの
着工線というのはごく少なかったのでございます。しかし、その他図をずっと見ておりますると、いずれの地図も、最終の地図の直前までは
北広島から
追分のところに赤い筋があった。その前会もそうなんです。そしてその次に開かれたときには、もう
北広島というのは地図の中から消えてしまっておる。字も消えてしまっておる。
北広島を敬遠してしまって、
千歳と
追分に赤い線が、
着工線という筋が引いてあるのです。こう引いてあったのがこうなっておる。それでぼくは、その新旧両方の地図を出して、当時の小
委員長の
自民党の
三木さん、それから
石田博英君に見せまして、こういう
ことだが、これはどうなんだと言ったところが、証拠を突きつけられて、そう責められてはしようがないじゃないか、こういうのがその
小委員会におきましての
石田君の話だったんです。
御
承知のとおり、現在
全国的に百七、八十ある予定線から
調査線、そして
着工線になるまでのいきさつというものは、やはり長い時期になりますると十年、十五年、二十年という、その間顧みられないような線もたくさんあるのです。その線も三十四年の十一月に決定いたしまして、そして一日も早く
着工されるということを待っておりましたところが、
線路が
変更されておる。この順序はいま申し上げましたように、予定線から
調査線、そうして君工線ということになるのが順序なんです。しかし、
公団が
発足したときに、この
委員会において、結局
公団は一体何をやるんだ、
公団を設立するという趣旨はわかるが、
公団は何をやるのだ、こう言うたときにおいて、運輸当局がこの
委員会に
資料を次のときに出された。その出されたやつが、今までの
調査線と
着工線との四十八線ですか、これを
工事をやるのでございます。これが
基本計画でございますというて出されたのです。その出された
基本計画の中には、やはりいま油谷君が言いましたように、
石狩-十勝
連絡線に
北広島-追分という線が
委員会においてもずっと入っておったのです。
話があと先になりますけれ
ども、その三回か四回ほど前の
審議会におきましても、こういうことを
発言いたしました。九州の果てから
北海道の果てまで、ここへ
鉄道を敷くんだ、これを
調査するんだ、こういうて出されても、鹿児島に住んでおる人が
北海道の果てのことがわかるはずがない。
審議会の
委員も、
全国的に
調査するのではなしに、その日に
書類を出されてめくらめっぽうこれを敷くんだ、こういうようなインチキ
審議会なら、もう
審議会の必要がない。これはやらぬほうがいいということで私は
意見を出しまして、少なくとも
委員に対しては一週間、五日前ぐらいに、今度こういうところにこういう線を敷くんだ、ここを
調査するんだ、こういうような
資料というものを出してもらいたいという強い要求をしておいたのでございます。そうしたところが、
公団ができたときに、
基本計画もなくして
公団をこしらえて何をやるんだと言われたので、運輸省としては、
調査線と
着工線を謄写して、これをやるんだ、こういうて出された。そうして
審議会におきましても、やはりそのとおり言われる。その
審議会のときに出されたのは、いまの
北広島-追分が、
追分-
千歳というように変わってしまった。
それでこの前も、私、去年の夏に
北海道へ
国政調査に行きましたときも聞きましたら、
国鉄の
資料にはやはりこのとおり
北広島-追分間ということになっております。
公団から出してきた
資料によりますると、
追分-
千歳間ということになっておったのです。聞いてみたけれ
ども、出先の
局長も一向わからぬ、本省からこういうように来ておるからこれこれだと
説明しておる。これから
北海道はこういう
建設をやりますというので、
公団のほうでは一千万円も
予算をかけて
調査しています。
調査するということは簡単に
考えられておりますけれ
ども、
全国的に百数十ある中から
調査線まであがってくるというのは年にいままで五つか六つ、その中からまた
着工線というものが選ばれておるのでございまして、その段階を経てもう
全国的な猛烈な運動をやっています。
その中にこの
追分-
千歳間というものが、いす
泊谷君が申されましたように、
鉄監局長の
答弁によりますると、経済的な
事情というものを
考えてこれを
変更したように言われておるのでございますが、経済的な
事情は経済的な
事情、
法律は
法律なんです。厳然としてある
法律というものは、やはりその
法律に従っていかなければならぬ。やはり予定線から
調査線、そして
着工線、こういくということが私は
法律の示すほんとうの順序ではないか、こう
考えるのでありまして、その
公団ができたときに、
基本計画を出さなければ
審議できぬじゃないかと言われたので、急に印刷して出した。そのどさくさまぎれに、その四十八の中に
追分-
千歳間のやっと
北広島-追分間のやつが早くいえばすりかえたというような――すりかえたと言うと、ことばは悪いけれ
ども、黙って、順序も経ずして、
法律を無視したような状態においてやられた。
本日ここに提案されておりまするこの問題については、今度の
建設される線の起点の駅の
変更なんです。
変更のために二カ所の、関東と関西におけるところの二線の起点の
変更の案が今度ここにいま出されておるのです。そうしたならば、ほんとうに
法律的にいうならば、また経済的な効果というものがあるというならば、私は、この案と一緒にこの
委員会に同時に出されるということにして、そうしてここにおいて詳細な
説明をされるならば納得されると思うのですけれ
ども、その
追分-
千歳間の線というものは、何もせぬのでどさくさまぎれに――ほかの人も、
自民党から
審議会に出ておられた藤山さんにしたかて、
三木さんにしたかて、
石田さんにしたかてわからぬと思うのです。私も
追分がどっちを向いておるか、
千歳がどっちを向いておるか、地図を見てやっているだけでわからぬのです。経済的効果がどうということはわかりませんので、そういうような点において運輸当局において失態があったのではないか。失態ということになってくると、なかなか役人の
皆さんは失態でございましたといわれることは
認められませんけれ
ども、事実においては私はそうではなかろうか、こう
考えるのでありますけれ
ども、いま油谷君も
説明されておりますけれ
ども、経済的効果がどうであるとか、こういうことを聞いておるのではなくして、そういう順序を経ておられなかった、いわゆる
法律に従った
手続が踏まれておらなかった、こういうことであります。だから、現在予定線というものは百七、八十本ありますが、こういうことで
変更されるということになれば、
経済効果がどうだこうだということになれば、
審議会におきまして地理のわからぬ――
自民党も私のほうも、役職によって、この
審議会の
委員がきめられております。幹事長や総務
会長であるとか政調
会長であるとか、
全国組織
委員長、
内閣がかわるたびに一年一年かわっておられます。四年続けてやっておるのは私だけなんです。私は浅沼書記長がやめたあと、長いことずっとやっておりますので、大体
内容はわかっておりますけれ
ども、そういうようなことでございますので、慎重の上にも慎重を重ねていただかなければならぬ。そういう意味において、今度この問題に出されなかったということが、そこに失態があるのではないか、こう
考えるのでございますが、
鉄監局長、どういうお
考えを持っておられますか。
線路がこうあったやつを、こういって向こうにいく。その端とつなぐのだから、こういつてこういくのだから間違いはないだろう、こういうように地図を見ておりますと見えますけれ
ども、やっぱり
千歳間についても、自衛隊の演習場もありますし、いろいろな困難な点から、ぐるっと回らなければならぬというような点もありますので、そういうような
鉄道建設については、一応整理線とか赤字線であるとかいうことがつきまとっておりますので、そういうようなことの誤解を受けないようにも、こういう問題につきましても明らかにしておいてもらう必要があると思いますので、
泊谷君の質問に関連いたしまして、ちょっとお聞きしたような次第でございます。