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井伊誠一君 ただいま
議長から御
報告のありましたとおり、本院
議員渡邊良夫君は、去る十一月四日、にわかに逝去いたされました。まことに
痛惜の
至りでございます。
私は、
諸君の御
同意を得て、
議員一同を代表し、つつしんで
哀悼の
ことばを申し述べたいと存じます。(
拍手)
私は、渡邊君とは所属党派を異にはしておりますが、日ごろ君の庶民的にし誠実なお
人柄に心から敬服していたのでありまして、思いもかけぬ君の御逝去の報に接し、驚愕おくところを知らなかったのでございます。
渡邊君は、
明治三十八年十月、新潟県北蒲原郡黒川村にお生まれになり、長じて大阪商科大学に進み、
昭和五年に同大学を御
卒業になりました。
昭和六年
国民新聞社に入社、初めは社会部に、次いで
政治部に移られましたが、君の明朗率直にして、しかも誠実なるお
人柄は周囲の
人々に親しまれ、取材の困難な方面にも好意をもって迎えられ、当時の重臣たちも、君には特に信をおくというふうであったとのことであります。
このような
政治記者としての活躍を通じて、次第に君の関心は
政治そのものへ向かい、その後、小磯
内閣の児玉国務大臣の秘書官となり、また
吉田内閣の総理大臣秘書官となるに及んで、
政治家たらんとする君の意思はいよいよ確固たるものとなったのでございます。
昭和二十二年四月、第二十三回
衆議院議員総
選挙が行なわれまするや、君は、勇躍して
郷里新潟県第二区から立候補し、みごと当選の栄をになわれました。それ以来、連続して当選すること九回、
在職十七年七カ月に及んでおります。
やがて君の識見、手腕は次第に認められて、
昭和二十三年には民主自由党の副幹事長となり、君の円満なるお
人柄によって党
運営の面に特異な力量を発揮せられたのであります。その後も、自由党の党務局長、
自由民主党の総務等を歴任されました。また、政策面にもすぐれた識見を示し、
自由民主党において政務調査会の副会長や医療制度特別
委員長に推され、現在は東京湾開発特別
委員長として活躍しておられたのでありました。(
拍手)
この間において、
昭和二十五年には第三次
吉田内閣の建設政務次官となり、荒廃した国土の再建復興を推進し、さらに
昭和三十四年六月、第二次岸
内閣の厚生大臣に抜てきされ、医療制度問題の解決、新しく発足した
国民年金制度の推進等のために献身的な
努力をされたのであります。(
拍手)
このころの君の勉強ぶりはまことに超人的なものであったということでありまして、いまも厚生関係の
人たちの間で語りぐさになっておるほどでございます。
本院においては、
議院運営委員会や
外務委員会の
理事となり、また、予算、
内閣、商工、建設等の各
委員会の
委員となり、各方面の
国政の
審議に真摯、熱心な態度をもって当たられました。最近は、特に、
社会労働委員として、社会保障の問題、なかんずく精薄児問題に真剣に取り組み、なみなみならぬ精励ぶりを示しておられたのであります。
かくいたしまして、君が
国政の上に残された功績はまことに偉大なものといわなければなりません。(
拍手)
思うに、渡邊君は、身を持することきわめて堅固で、まことに高潔なる人格の持ち主であり、君の身辺には常に独特の清朗さがありました。そうして、おのれを捨ててひたすら人のために尽くすことをもって信条としておられた君は、みずからは質素な生活をしながら、人にすがられると着ている上着をも脱いで与えるということもあえて辞さなかったといわれておるのであります。(
拍手)
君は、一庶民の家庭におい立ち、苦学力行して社会に人となった方であり、庶民の喜びと悲しみをはだ身にしみて感じ取っておられました。すでに名をなされた今日に至るまで常にこの庶民の心をもって世に処されたのであって、これが渡邊君をして、庶民的な
政治家として、あらゆる階層の
人たちから親愛を寄せられた
ゆえんであります。苦労を重ねた人とは思えない明るさを持つ、きさくな心やすいお
人柄に、接する人はだれしもが、君を父とも仰ぎ、兄とも慕い、また、友としては水魚の交わりを結ばずにはいられなかったのでございます。(
拍手)本院においても、党派を越えて敬愛されていたのもまた当然であります。
君が
わが国の社会保障の問題に特段の
努力を傾けられたのも、また、後進性に悩む郷土のためにあらゆる支援を惜しまれなかったのも、君のこの庶民への限りない愛情の発露でありました。君の逝去の報を聞き、
郷里の
人たちは、あげて慟哭悲嘆の涙にくれたのは当然でございます。(
拍手)
いま、私は、この壇上に立っていても、君のありし日のあの温顔が目前に浮かびます。庶民の幸福のために働いて働いてうむことを知らなかったあの元気なお姿が目前に浮かんでまいります。しかし、いまや君はいまさないのであります。運命の無残まことに痛憤を覚えるものがあります。まことにかけがえのない惜しい人を失いました。
世界じゅうが一日も早くゆるぎない平和を打ち立てようとしておりまするとき、
わが国もまたその中にあって重要な役割りを果たそうと
努力を傾けているとき、渡邊君のような広い愛情を持った人を失いましたことは、何としても残念なことであります。(
拍手)本院はもとより、
国家にとりましても、これ以上の不幸なことはございません。
渡邊君は、五十九年の生涯を、限りない慈愛を持って、ただただ世のため人のために尽くされました。しかも、君はみずからの功をいささかも誇ることなく、ただたんたんとして歩んでこられたのであります。この君の生涯はまことに清朗の気に満ち満ちた感がございます。それだけに、われわれはまた哀惜の情ひとしお深いものあることを覚えるのでございます。
ここに、つつしんで君が生前の事績をたたえ、その遺徳をしのび、もって
追悼の
ことばといたします。(
拍手)
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