○栗山
委員 そのところが最も核になる
一つの問題だと思いまして、私はわかりませんというところに
一つの分析を行なうことが必要だと思うのであります。本来申しますと、時間がありましたら、今日わからないということについて、どのような
調査をされて、そして今日わからないという
一つの経過の
報告を詳細に求めなければ、わからないという
意味そのものについても私は実はわからない、こういう理屈を申し上げなくてはならぬほど、ここに問題があろうかと思います。警察庁の
一つの捜査の段階におきましても同様のことでありまして、はなはだどうも政治的といいますか、あるいは人知及ばざるものとして不明なんというようには解せられないものがあるのでありまして、やはり警察捜査の
一つの過程を通じてこういう
一つの内容を持つということにならなければ、ちょっと
理解いた
しかねるような御
答弁を受けておる。そうかと思いますと、いま消防庁次長が竹谷
委員の質問に対して、なおこれから捜査を続ける、こう言うことは、何を
意味するのか。私は、やはり今日までの時間の経過というものそれ自身がもうすでに迷宮に入るのではないか、こう
考えておるのでありますが、そういたしますと、いままでの日子というものが、どういう
一つの
調査及び
検討の上で不明であり、今後も続けることによって、どういう内容を新たに
検討することによって、こういうふうな問題を、また
原因究明の端緒を聞くかもしれぬ、こういうふうに、やはりものには論理と
一つの体系があろうかと思うのでありますが、その体系を示さずして御説を伺っておるところに、やはりこの問題の本質的な問題がある、私はこう
考えるのです。御承知のとおり、
新潟震災のときの火災というものは震災火災だ、こういうことで世上一般が認識いたしましたのと、報道がそのように報道されたことは事実なんでありますが、その内容を
検討いたしてみますと、もっとこの火災
原因というものを広い
意味において明らかにすべき問題を非常に残しておるように
考えます。
私は消防庁次長に
お尋ねいたしますが、私の
資料が誤りでありましたらお許しをいただきたいと思うのでありますが、第一火災におきまして、いわゆる直接震災による過熱発火とか、あるいは
地震の衝撃で静電気が起こりまして火災が起きた、これについては、こういうことじゃないでしょうか、一般民家はわずか十三世帯、罹災者五十九人、千二百五十三平方メートル、ほかに若干事務室、倉庫、こういうものが五棟、きわめて不幸中の小さい罹災
関係で終わっておる、こういうふうに私の
資料では承知いたしておる。
しかし、あの大きな石油によります火災についても、もっと中心をなすものは、六時間後に起きました第二火災における問題じゃなかろうか。その工場が百五十棟、四万一千四百八十四平方メートル、一般民家が二百五十三棟、三百三十四世帯、二万二千二百五十六平方メートル、その権災者千四百三十二人、こういうふうに私の持ちます
調査資料の上でなっておる。私はこの
数字の一、二を論議するのではありませんが、火災の重点がどこにあったかということは、第二火災というものがその火災の中心的な
一つの内容を持っておる。
しかもそれは、震災による火事だ、こういうことじゃなくて、六時間後に
相当の距離を隔てておる昭和石油の旧工場の火災である。こういうことから見ますと、この問題は、
地震によるか、あるいは
原因というものは那辺にあるかということについては、単なる罹災者とか、あるいは単なる起きた
一つの事態についてその真相を究明するよりも、石油コンビナートにおきます今後の公害、防災、こういう諸点についてこれを徹底究明するというところに大きな重点を置いて、消防庁なりあるいは
通産省なり、また警察のほうにおきましては、先ほど論議されておりますが、これが震災によるか、あるいはその他の過失及び重過失によるものであるかどうかというようなことも、やはり捜査としては、そういう
意味において
相当の重要性を持ってくるのじゃないか、こういうふうに
考えて、私は、この問題は日本の産業経済の問題に特質を持つ震災とこれらの人災的
関係をどう見るか、こういうところに観点を置いてこの問題をいろいろ質疑を申し上げておる。こういう御認識をいただいて、私のいま申し上げました
数字上の若干の問題は別といたしまして、この
新潟震災による火災というものは、第二火災の最もそれが中心的なものを、世上、ああ
新潟の震災の火災なんだ、こういう取り上げ方をいたしておりますところに
一つの問題があろうかということが中心であります。何でもかんでも天災的条件によって、
しかもその中に足らざる人災的なあるいは過失的要素というものをそれによってカバーする、あるいは逃避するというようなことであれば、大きな間違いが起きるのじゃないか。震災ということによって人を殺し、あるいは大きなあやまちを犯したということは、震災だから、こういう姿で済ませるものではないんだということで、これはもっと科学的に、合理的に、知性ある
検討を要する問題じゃないか。一保険の
関係とか、あるいは罹災者の損害上の問題ということから、地元でもこの問題が重大だ、そういう
意味における重大のウエートを置かれて私どもの質問にお答えを政治的にされるということについては、私は、国会の場としてひとつ
考えを新たにしてもらってこの問題の解明に協力するという立場をとってもらわなくちゃならぬのじゃないか、こう
考えるのですが、消防庁の次長なり捜査第一
課長の、私の愚見についての見解を
お尋ねを申し上げたい。