○戸
叶武君 あのときの答弁では、在来からの
関係によってそういう取りきめをする方針であるという方針の線まで答弁の中に打ち出されたのでありますが、朝鮮が
日本に合併されたのは明治四十二年です。台湾、澎湖島が
日本に帰属したのは日清戦争の
あとです。台湾のほうが
日本に編入されたのは古かったと思うのです。これが分離せられて朝鮮の独立となり、今日台湾、澎湖島の中国の一部となっている。いまその戦後処理といいますか、そういう問題で、そこに住んでいる住民、民族が非常に私は苦しんでいると思うのです。そういう場合において、朝鮮人に対しては韓国籍を与えるというようなことになると、それが中国人に対して、また、台湾、澎湖島に住んでいる者は国民
政府の籍に入れといっても、中国人には第三勢力的なものの
考え方、第三勢力というか、サード・ウェイ、第三の道を選ぼうとする人もある。中国にも、中華人民共和国にも行き切れない、台湾のいまの国民
政府にも行き切れない、何かこの間に統一的なものができてくるのじゃないかというような
一つの望みを持っている人がずいぶん海外にあります。私は十二年前にインドに行きましたとき、インドの諸大学には必ず一人、二人の中国人が教鞭をとっております。その人
たちの大部分もそうでした。そうすると、今度は次の選択の問題や何かで、中国人もずいぶん私は苦しむと思うのです。これは私は、韓国側には韓国側の言い分があると思いますが、
日本政府の受け取り方というものが軽々卒々な形においてこのことを行なうと、
あとで私は手をやくことになると思うのです。日韓会談の妥結を急ぐということにはなっておりますが、漁業権の問題、竹島の問題、いろいろな問題が、もろもろの感情問題がひっくるんでありますが、その根底に流れているものは、やはり私はイデオロギーを別として、統一されたやっぱり朝鮮というものを望んでいることが、これは朝鮮民族としての大きな悲願だと思います。それを今度の日韓会談というものは、
日本の意図がそうでないといっても、現実において二つの朝鮮に分裂させるという
一つの政策というふうにこの若いゼネレーションあたりがとったところに、今日の私は朝鮮における学生運動が起きているのだと思います。万歳騒ぎの中における青年の犠牲というものを私
たちは若きときに経験しておりますが、最近起きているところの朝鮮の学生運動というのは、私は根が深いと思います。一歩誤ると、これによってつまらないことを急ぎ過ぎて手をやいてひどい目にあったというような結果を招かないとも限らない。後進国におけるところの民族抵抗運動というものは、絶えずやはり近代組織がいろいろのところで整備されてないところにおいては、学生、青年若い軍隊、そういうものが
一つの革命的な抵抗運動の原動力になると思うのでありまして、私非常にあぶない。
日本も、朝鮮問題においては、日韓合併をやらした伊藤博文が安重根のためにハルピンで殺されております。
日本のあそこの公使が傷つけられたことも、いまのライシャワーの非常に深刻な被害をこうむったこともあるので、この民族問題で一番むずかしいのは朝鮮の問題とポーランドの問題じゃないかとまで世界でいわれている。この朝鮮民族の民族的な悲願、民族的な心理、民族的な感情というのを無視して、簡単に
考えて取っ組んでいくとえらいことになると思いますが、外務
大臣は非常に慎重なお方ですが、まわりから吹き上げられて、だいぶ忙しそうに立ち回っているようですが、どういうふうな御心境ですか。