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羽生三七君 私は、この過密ダイヤの問題とか、あるいは国鉄職員の待遇の問題とか、そういう
一つ一つの問題についてきょうはお尋ねする意思はないのですが、基本的な問題だけに限定しておるわけです。そこで、総裁もすでに御存じのように、
日本国有鉄道
諮問委員会が昨年八月に答申しました「国鉄
経営の在り方について」、これを見ますと、こう書いております。「“国鉄
経営の完全破綻とは、その
もとを正せば、「すでに巨大でありこれからいよいよ巨大になって行く公共負担」を、
政府が引続いて国鉄に負担させ、国鉄はその尻を全部「借入金」に持って行くからこそ起る現象だ”といえるのである。しかもその「公共負担」とは、本来「独立採算制の企業体」たる国鉄が負担すべきものでない以上、いま当
諮問委員会が求めているところの政策の骨子は、ここに明瞭になったものと
考える。」と、こう書いてあります。そこで、私は先ほど申し上げたように、それでは今日まで
政府がこの巨大な国鉄について、国有鉄道と称するからには、どの程度の実際上の
役割りを果たしておるかということを数字をあげて申し上げたのです。他のいろいろな
事業に比べて、それは財政投融資等では相当額の
役割りを果たしておりますけれども、
一般会計では、さっき申し上げたとおり、全然問題にならぬ、これが実情であります。
そこで、そういうことから、総裁は先日、この公共性と企業性の場合、特に能率的な運営をし企業性を十分に発揮していかなければならないが、その隘路になっておるものは、やはり運賃あるいは定期代等だ、こういうことで、四十年にはこの引き上げもやむを得ない、こういう結論を新聞記者会見で発表されておるわけです。ところが、この
諮問委員会の答申にもあるように、これらの重大な問題をほとんど国鉄自身に負担させて、国鉄はそのしりを全部借り入れ金でまかなっていることから、今日の国鉄の
経営の破綻——と言うと語弊がありますが、混乱性を招来しておる。そうであるならば、
政府自身がもっとこの点に——私ははっきり言えば、もう公共企業体なんというより、国有鉄道本来の姿に返ったほうがいいと思う。
昭和二十四年の
改正前のように、本質的に国有鉄道になったほうがいい。能率的な運営は能率的な運営で十分
考えられる。そういう段階に来ておると思うんです。
ついでに私、もう少し続けて申し上げますが、たとえば国鉄が負わされておる任務の中に、後進地域といいますか、おくれた地域の開発というか、そこへ線路をどうするかという、そういう問題もある。答申にはこうなっておるんです。「“もしいわゆる低開発地域の開発が国策であり、その国策を進めるためには、たとえ採算に合わなくとも鉄道を敷設すべきだとするなら、国鉄は進んでその国家的
要請に応ずべきではないか。”という疑問に国鉄はどう応えるかである。」、こう言っておる。ところが、これは今度公団でこの部分を一部担当するようになったようでありますが、この場合でも、これは採算だけを言っておれば、結局公団をつくらなければいかぬ、ここにもこういう矛盾があらわれておる。
それからさらに、公共性の定義を見ますというと、これはもう総裁が一番御存じのように、「“国鉄は、
日本国の陸上輸送機関の根幹をなすものとして、安全・確実・迅速・便利なる輸送サービスを、最低廉なる運賃をもって
国民に提供するというその当然の任務を、株主の利益のためという考慮なしに、国家
国民の利益だけを目標として遂行していくこと”」、こういうふうに公共性の基本を
説明しております。こう見てくると、本来、国鉄が公共性に、先ほど総裁の
お答えになったように、重点を置かれるならば、単に財投で一部を
政府がめんどうを見るというだけでなしに、国家それ自身がもっと国鉄に対して責任を負う必要があると思う。そうだからといって、私は、非能率な運営をしていいと言うのじゃないのですよ。能率的なことはあたりまえな話なんですよ。そういう前提の
もとに、国家がもっと責任を持った
日本国有鉄道に対する基本的な態度をきめないと、もう公共性か企業性かという論議を何回も繰り返し、依然として問題の解決が一向に進まない、そうなっている。そこで、一番重要な問題なんですが、そういうことから
考えていくと、運賃あるいは定期代の値上げを四十年度からやるという総裁の談話は、私は適当でないと思う。この前総裁は、
予算委員会の本
委員会の
質問に対して、私鉄と関連さして御
答弁なさっておられましたが、私鉄と違うがゆえに公共性なんです。特に地下鉄との比較の問題で総裁は
お答えになっておられましたが、これは地下鉄運賃と同じにするなら、何も国鉄と言う必要は全然ない。だから、そういう
立場から
考えていくと、それは私は、永久に、いつの世までも運賃を上げてはいかぬ、定期代を上げてはいかぬと、そんなことは言いません。やはり一番の問題点は、
日本の
国民全体が、
国民総収入としてはある程度高まってきておるけれども、個人
所得としては必ずしも十分ではない。そういう時期に、しかも、物価問題が当面の大きな課題になっておるときに、たとえ本年度でなしに、明年度にしても、運賃値上げ、あるいは定期代の引き上げ等も、そうしなければ国鉄はどうにもならぬというような
考え方が、私は間違っておるのじゃないかと思う。それは、私はいまもう一度繰り返しますが、永久に上げてはいかぬとは言いません。個人
所得が相当ふえておる。あるいは、ある程度物価問題が落ちついたときに上げるということはあり得る。私は永久不変の原則を言っておるのじゃない。当面そういう
立場で運賃問題あるいは定期代を
考える場合には、もし、そのことによって国鉄に何らかの財政上の必要があるならば、これは国家がめんどうを見て、それを乗客の運賃や定期代の負担によって解決を求めるべきものではない。これがくずれるならば、公共性というものは一体何か、私鉄とどう違うかという問題になってきます。ですから、この基本的な
立場から、あるいは総裁が言われた四十年度から定期代引き上げ、あるいは運賃引き上げということは、もう一度根本的に再検討される必要があるのじゃないか、こう
考えますが、いかがですか。