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藤田藤太郎君 ただいま加藤君の意見を聞き、
政府の答弁を聞いておりますと、
労働者には弾圧によって臨むことでよいと言っておられるように思います。このようなことでは問題の
解決はできません。私は、
国民生活、
労働者の
生活を守る
立場より、日本社会党を代表して、
政府に対し
質問を行なうものであります。
まず、最初の論点は、池田
総理の理論的背景をなしていると言われる下村治氏の論理によれば、「
経済成長のプロセスにおいて重要なことは、卸売り
物価である。これさえ安定しておれば、国際収支の観点からいって、その国の
物価は安泰である。消費者
物価は、物とサービスの価格を含んでいるが、物の価格を代表する卸売り
物価が動かない限り、消費者
物価、サービス価格の上昇は、人間の価値上昇にほかならない。
経済の高度成長には、消費者
物価上昇は必然である」と言い切っているのであります。しかしながら、消費者
物価の
動きは、
昭和三十六年に五・三、三十七年に六・八、三十八年に九・二%増しと、
政府の見通しをはるかに上回っているのであります。このような消費者
物価上昇が、
国民の
生活をどのように圧迫しているか、いかに家庭の主婦を苦境に立たせているか、その家計簿の時点間比較等によっても実証されておるのであります。人間の価値が上昇したと言われるなら、数的価値
判断の一例として、個人消費割合の各国比較をあげてみますと、
昭和三十七年、比較的所得の高い国十七カ国平均は六五%で、これに比較すると、日本の五二%はあまりにも低く過ぎると言わざるを得ないのであります。これは投資割合が高いためで、つまり、高度
経済成長のために
国民生活が犠牲となっているのが日本の現実の姿であります。ここにおいて池田内閣は、勤労
国民犠牲の政策をいつまで続けるというのか、
国民の不安を解消するために、いかなる
物価安定政策を行なおうとするのか、
お尋ねしたいのであります。
第二の論点は、
国民の
生活が豊かになるためには生産の上昇が必須条件でありますが、しかし、それにも増して重要なことは、すべての
国民は
生活水準の向上がもたらされることであります。すなわち、工業化による生産上昇と
生活向上とは、今日の生産社会の二つの支柱であります。しかしながら、池田内閣の所得倍増
計画が推し進められて以来、
国民のだれしもが、高い成長、低い
生活水準という批判を、池田内閣に投じているのであります。このような条件をつくり出した要因をあげてみますと、
第一は、
国民総生産に対する民間設備投資の割合にあります。欧米工業国は一〇%の水準であるのに、ひとり日本だけが二〇%の水準を示しているため、資本コ
ストの上昇が強い圧迫となってあらわれているのであります。さらに大資本中心の拡大方式は、
生産性格差の拡大を通して二重構造を激化しているのであります。
二番目に、このために生産と消費のバランスがくずれて、操業短縮と思惑の景気変動を繰り返すばかりでございます。ことばをかえて言いますならば、設備資金を
物価上昇と低
賃金と長時間労働によって調達していると言えるでありましょう。
三は、活路を貿易に求め、これを伸ばそうとしましても、貿易のフィフティー・フィフティーの原則をくずすわけにはまいりません。やはり
国民購買力を引き上げて、その上に輸出入のバランスをとるということが前提であります。しかしながら、高度成長は
輸入依存度の高い設備がおもになってしまうので、国際収支の均衡が破れ、そのたびに、まっ先にそのあおりを受けているのが中小企業や
労働者であります。
政府は、このような現実に対していかなる手を打とうとしているのか。金融、設備投資に規制を加えて、勤労
国民のための政策に転換する
決意があるかどうか、
お尋ねをしたいのであります。
第三点としては、
労働者の低
賃金と低い
生活水準の問題であります。
日本の工業がヨーロッパ並みの水準にまで達しているにもかかわらず、その
賃金は後進国並みにきわめて低いのでございます。しかも、ここ三、四年来、急激に高騰しました消費者
物価の上昇によって、家計が日に日に圧迫されております。
労働者がみずからの
生活不安を解消させようとすることは、いわば人間として当然の欲求でもあります。通産省の数字によりましても、日本の付加価値
生産性は、すでにイタリアを追い越し、西ドイツ、フランス、イギリス等、ヨーロッパの一流工業国の水準に達しているのであります。それにもかかわらず、日本の
賃金水準は、イギリスの二・七分の一、西ドイツの二・五分の一等、半分以下の低さであります。かりにこれを
実質賃金で比較してみますと、イギリスの三・五分の一、イタリアに比べて二分の一であり、低
賃金はすでに明らかなところであります。その結果、日本の労働分配率は、フランス、イギリス等の五七%に比べ、その半分にも近いわずか三三%というみじめなものであり、フィリピン、トルコ並みであることが、国連の統計にも明らかに示されているのであります。さらに、日本の労働
生産性と
賃金の
関係を見ると、
昭和三十年を一〇〇として、
生産性は三十七年一六〇、
実質賃金は一三〇であります。毎勤統計によると、三十五年を一〇〇として、三十八年十月
生産性は二二〇近くであり、
実質賃金は九三でございます。これを期末一時金でカバーしているというのが今日の
労働者の
生活実態でございます。
政府はこの言いわけに、一瞬金や福利厚生費の多いことをあげて、日本の
労働者の
賃金は低くないと宣伝をされております。
賃金に対する福利厚生費の割合は、フランスの三〇・八%、西ドイツの二一・一%、イタリアの四二・四%に比べ、日本は、はるかに低い一一・八%であることを、
労働省統計は明らかにしているのであります。日本の
労働者がヨーロッパ並みの働きをしているのだから、ヨーロッパ並みの
賃金がほしいという
要求をするのは、しごく当然のことであります。しかも、いま直ちに一挙にヨーロッパ並みの
賃金をよこせと言っているのではなく、二五%、五千円から七千円程度を求める、いわば控え目な
要求を行なっているのでありまして、さらに、このうちから最近の消費者
物価の上昇率九%を差し引けば、実質的にべ
ースアップとして求めているのは、わずか一五、六%なのでございます。
総理は、このような日本の
労働者の低
賃金であるという実態を把握され、日本
経済の正常な発展のために、
経営者に対し、労働分配率の引き上げを指導すべきであると思うが、
政府の
考えをお聞きしたいのであります。
第四点は、最低
賃金制の確立について伺いたいのであります。
日本の
労働者の低
賃金は、
昭和三十七年七月の就業構造調査によっても明らかであります。この低所得者の六〇%以上は世帯主であるということであります。就業しながら低
賃金で
生活にあえいでいるのであります。大蔵省は、三十九年独身者免税点は十七万円、これが最低
生活ぎりぎりであると言っております。人事院もこれと同じ
考えであります。このような
生活実態の中で進められた業者間協定を主にした最賃法では、一日四百円以上の決定は、たった十四件しかありません。二百万人以上は、最賃法が適用されたと言っておりますけれ
ども、ほとんどがこれ以下でございます。月に換算して幾らになるとお思いでございましょうか。このよって来たる根本
原因は、労働条件は
労使対等できめるという原則に、はずれて、法ができているからであります。
労働者の意見の入らない業者だけがきめるところに、人権無視の低
賃金が止まれてくるのであります。現在の最低
賃金法を、一は、
労使対等で労働条件をきめるという原則に改めるということであります。二は、全国一律最低
賃金制をつくる、最賃制をつくるということであります。三は、
賃金額決定に際しては、労働再生産に必要な額であり、生計必需品目を指定してきめる。これなくしては最低
生活を守ることはできないと思います。
政府の見解をお聞きしたいのであります。
第五は、
公労協の
労働者に対する
政府の
経済的権力的支配問題でございます。具体的に
国鉄に例をとってみますと、
国鉄の資本金は、
政府出資金八十九億円でございます。これに比較いたしまして、固定資産は一兆七千五百億円をこえる膨大な企業体でありまして、独立採算制をとっております。このように
国鉄が日本の産業の動脈的役割りを果たすような急速な成長を遂げたのは、
国鉄従業員の血と汗の結晶であると言っても過言ではありません。しかしながら、
国鉄当局は百円の支出も
政府の許可なしにはできず、建設資金の借り入れも七分以上の
鉄道公債にたよっているのが現状であります。あまりにも一方的な
政府の権力的支配下にあります。これに対して外国の例をあげてみますと、イギリス、西ドイツ、イタリア、フランス等の国有
鉄道においては、すべての建設資金は国家予算でまかなわれているのでございますが、
スト権の確立は厳存いたしております。これに反して、日本の
国鉄労働者をはじめ
公労協労働者の
スト権は禁止されているのであります。
政府はその理由に、公共の福祉を阻害するということをいっております。公共の福祉とは主観的
判断の問題でございます。日本は国連の有力メンバーでございます。ILOの常任理事国でもございます。国際慣例にそぐわない公共福祉論を振り回して
スト権を取り上げていることは、世界に例を見ないのでございます。
これに関連いたしまして、問題として、青森、長野地裁において
公労法十七条
スト禁止条項は憲法違反であるという
結論を出しているのでございます。また、
公労法ができましてからの過去を振り返ってみますと、
公労法により
スト権を剥奪、その代償措置として
公労委ができたのでございます。
国鉄労組への第一号
仲裁裁定は四十五億円の支給を必要とするものでありました。しかし、
国鉄の予算上資金上という理由で、支出可能な十五億円の支給のみを
承認して、残された残額三十億円は支給されなかったのであります。
昭和二十四年から三十一年まで、このようにして債務不履行の問題がそのままになって四百数十億にも達しているのであります。
スト権を取り上げて代償機関としての役割りを果たしていないのでございます。ILO第五十四次報告は、公益委員の選任等に触れて、代償機関としての役割りを果たしておらず、公正を欠いていると指摘しているのであります。つまり、
政府の意図する
賃金政策に迎合する
考え方の
持ち主をあて、
スト禁止の代償機関ではなく、低
賃金政策を
実施するための通路としての機能を果たしているのであります。したがって、第六十四次報告では、そのF項で「当該
条約批准の意向表明に関連して、右の批准まで
条約に含まれる諸原則に逆行するような一切の措置をとることを避け、とくに
労働組合活動による一切の逮捕、解雇あるいは懲戒を避けるよう
努力することを、日本
政府に
要求すること」となっているのであります。去る十日、
衆議院におきまして多賀谷眞稔氏が、「すべての公有企業を同一の
基準において
ストライキを禁止している、」こういう項に触れ、「このような国は外国のどこにもない」との
質問に対しまして、
政府答弁で
労働大臣は、「五十四次報告の
ストライキの制限については、企業の
業務の中断が公共の困難を惹起するという理由で、真に不可欠であるもの」という答弁をしております。私は前にもかってな公共福祉論によって
スト権をとっているということを申し上げましたが、これは大きな誤りでありまして、第五十四次報告には、
ストライキ制限が、企業の中断が公共の困難を惹起するという理由で不可欠なものであるというなら、公平な
仲裁機関が付随すべきであり、日本の場合は、このような公平な
仲裁機関がないのであります。六十四次報告にいう八十七号批准まで逮捕その他はいけないと言っておる、控えなさいと言っているのであります。これに対して
政府の所信をただしたいのでございます。
これらは
公労協労働者のすべてに共通の重要な問題でございます。しかし、
当局者と
労働者との現実
関係はどうなっているか。
労働者の権利を抑圧し、資本の奴隷化にしようとする以外の何ものでもありません。このようなことで国際的連帯性が保たれるかどうか、
政府の見解をお聞きしたいのであります。
さらに、人権尊重、国際慣例に従って
公労協労働者に
労使対等で労働条件をきめる原則の上からも、
スト権を確立すること、公企業体に名実ともに独立採算制を確立すべきであると思うが、これに対する
政府の
考え方を
お尋ねをしたいのであります。
最後に、
公労協労働者の
賃金闘争について伺いたいのであります。
公労協労働者は、
業務の重要性にかんがみ、身を粉にして社会に貢献してきました。しかしながら、低
賃金と
物価騰貴によって、
生活苦に押し流されております。勤統十年、奥さんがあって子供二人を持つCさんの手取り二万一千八百円の
生活実態を見ると、卵は三日に一個、牛乳は子供のために二本、衣服のほとんどは子供に注がれ、なかなか本人の分は買えない。子供のためのレクリエーションも思うだけで実行できない。これでも毎月足が出、六千円の赤字は期末手当で埋めておるのが現実でございます。このような
生活実態は決して誇張ではないのであります。昨年十月より値上げ
要求を出し、団交を重ねていることが、
生活苦を如実に物語っているのであります。しかしながら、実権のない
当局者との団交はなかなか進みません。ついに第三者
調停に本年二月
申請して今日に至っておりますが、法に定めた二カ月が経過しようとしても、
調停案提示の期待は薄くなっているのであります。
政府が昨日の
公労協代表との会見において、
調停案が出れば責任を持つと言っております。しかし、
調停案は
労働者を納得させるものでなくてはなりませんことはもちろん、法で定めた期間内に提示されなくてはなりません。問題は、三
公社五
現業の
当局者に
政府が予算の裏づけを確約することにあります。明後十七日の
ストを控えて、
公労協労働者に対して、いたずらに弾圧することなく、
事態の
解決のために、
政府は誠意を持って
努力すべきであると思う。
政府の
決意のいかんを伺いたいのでございます。
私の
質問を終わります。(
拍手)
〔
国務大臣池田勇人君
登壇、
拍手〕