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1964-02-27 第46回国会 参議院 法務委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十九年二月二十七日(木曜日)    午前十時二十五分開会    ———————————  出席者は左のとおり。    理事            後藤 義隆君            迫水 久常君            稲葉 誠一君            和泉  覚君    委員            植木 光教君            田中 啓一君            高橋  衛君            坪山 徳弥君            亀田 得治君            山高しげり君            岩間 正男君   国務大臣    法 務 大 臣 賀屋 興宣君   政府委員    法務省民事局長 平賀 健太君    法務省刑事局長 竹内 壽平君   事務局側    常任委員会専門    員       西村 高兄君    ———————————   本日の会議に付した案件 ○不動産登記法の一部を改正する法律  案(内閣提出) ○検察及び裁判の運営等に関する調査  (検察行政に関する件)    ———————————   〔理事迫水久常委員長席に着く〕
  2. 迫水久常

    理事迫水久常君) これより法務委員会を開会いたします。  本日は、まず、不動産登記法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行ないます。稻葉君。
  3. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 不動産登記法改正の問題でこの前質問しました。それは大きな改正のことについて説明があったわけですが、これを見ますと、戦後だけでも、昭和二十二年、二十四年、二十五年、二十六年、二十七年、それからしばらく飛んで三十四年、三十五年、三十七年、三十八年、こういうふうに改正になっているわけですね。まあ別に改正して悪いわけではないでしょうけれども、実に毎年のように改正になっているわけですが、この改正はどういうふうなことが改正になったわけですか。何年はどういうふうに改正になったか、こういう説明をしてください。
  4. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 二十二年の改正のときには、裁判所から法務省に移ったときの改正だったと思います。  それから二十四年の改正は、ほかの法律改正に伴って政令関係で一部改正された関係であったように記憶いたしております。  それから二十五年の改正は、これは台帳の税務署から法務局への移管に伴う改正でございます。  二十六年の改正は、採石法制定に伴う改正であったように思うのでございます。  二十七年は、これは不動産登記簿バインダー化改正でございます。  三十四年は、国税徴収法改正に伴うこちらの整理でございます。  三十五年は、御承知の台帳登記簿の一元化の関係でございます。  三十七年は、建物区分所有等に関する法律制定に伴うこちらの不動産登記簿整理と、行政不服審査法制定に伴う整理であったと思うのでございます。  三十八年の改正は、これは商業登記法施行に伴う整理でございます。
  5. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 こうした改正は、施行令だとか施行規則でまかなうものも含まれているわけですか、含まれていないわけですか。当面施行令なり何なりでやっているものを法律改正でやっているわけですか。そういうことはないでしょうけれども……。
  6. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 施行令でまかなえるものは施行令でもちろんまかないますが、ただいま申し上げました改正は、いずれもこの不動産登記法自体改正か、あるいは他の法律制定あるいは改正に伴いまして当然法律改正をしなければならない関係にあったものばかりでございます。
  7. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それらの改正のほかに、施行令なり施行規則、それから実際の事務やり方登記に関連して改正になったことがありますか。
  8. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) たびたびございます。
  9. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 その詳細を説明してくれませんか。表か何かで出してくれてもいいですよ。非常に改正が多いんです。私の聞きたいのは、改正が多いし、同時に、いわゆる朝令暮改のような形で、一たん改正したけれどもそれがうまくいかなかったからといってまた元へ戻ったり変えたりしているのがあるんじゃないかと思うから聞いているんです。
  10. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 施行規則改正におきましては、ただいま仰せのような朝令暮改的な改正はございません。  政令のほうは地番の定め方でございますとか、地目の定め方でございますとか、あるいは建物の種類、構造、床面積定め方というようなことでございまして、これは制定後変わっておりません。昭和三十五年に政令が出たのでございますが、これはその後改正いたしておりません。  ただ、施行規則は、これはほかの法律改正に伴って——施行細則でございますが、改正されたということはほとんどございませんで、一番大きな改正は、何と申しましてもやはり不動産登記簿バインダー化したとき、昭和二十七年の改正でございましたが、そのバインダー化したとき、それから一元化したとき、その前にあればあります台帳移管に伴う改正、そういう際に法律に合わせまして細則改正いたしまして合理化したのでございまして、朝令暮改的な改正ということはいたしていないつもりでございます。
  11. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 権利書を紛失した場合に、たとえば保証人を二人つけて再交付を願うとかというやり方がありましたね。これは前のやり方とその後変化してきたんじゃないですか。今度また変わったんじゃないですか。
  12. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 権利書がなくなっております場合には、これは不動産登記法の四十四条に規定がありますが、ただ保証書だけを添附して申請すればいいという規定になっております。しかし、いわゆる地面師による虚偽の登記でございますとか、その他不正の登記がされる危険があるということがございまして、昭和三十五年に、その保証書を添附して登記申請をするという点は変わっておりませんけれども登記義務者のほうに照会をいたしまして、その登記は間違いないかどうかということを尋ねまして、その返事が来まして間違いないという返事が来まして登記をするというふうに昭和三十五年に改めたのでございます。
  13. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 その場合、保証書には保証人がつくわけですか。
  14. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) そのとおりでございます。
  15. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それはあらゆる場合に保証書が必要だったというふうになっていたけれども、今度の法律でそれが限定されることになったんじゃないですか。
  16. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 登記義務者権利に関する登記済証が滅失した場合でございまして、とにかく権利に関する登記の際には、権利書がございませんと、必ず保証書をつける。これは従来からそうなっておりまして、ただいま申し上げましたように、昭和三十五年のときに登記義務者照会をするということにいたしたわけでございます。したがいまして、所有権移転だけではなくて、担保権設定なんかにおきましても、全部登記義務者のほうに照会をするということにいたしておりましたが、昭和三十五年以来これを実施いたしました経過に徴しますると、所有権に関する登記の場合でございますと、きわめてわずかな例ではございますけれども、やはり登記義務者のほうから返事が来ない、あるいはこれは自分の全然関知しないものであるというようなことで回答が返ってきた例があるわけでございます。そういう関係で、所有権に関する登記の場合には、どうしても登記義務者照会をするという手数をふんだほうが安全ではないか。しかしながら、その他の登記、ことに担保権登記などにおきましては、もうほとんど全部回答が返ってまいりまして、間違いがないという回答が返ってくるわけでございます。そういう関係で、三十五年以来実施した経過にかんがみまして、所有権に関する登記の場合だけにこの登記義務者照会をするということで足りるのではないか。特に担保権登記などにおきまして一々登記義務者照会をいたしますと、それだけ登記が遅延いたしまして、金が足りないというのに現金が入るのがおくれて登記義務者も非常に不利になるというような事情がございましたので、今回の案におきましては、これを所有権に関する登記とそれから例の合併の登記のときだけに所有者に対する照会ということをやるようにしようというので、その点の改正が今回の改正に含まれておるわけでございます。
  17. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 だから、朝令暮改という言い方は悪かったかもしれませんが、一たんやったのだけれども、そこまでやる必要がないとかなんとかいう形で四十四条の二が変わるわけでしょう。
  18. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) さようでございます。
  19. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 朝令暮改かどうかは別として、実際には、財産が妻の名儀になっている場合があるわけです。それを夫が債務に入れて抵当権設定したり何かする場合に、細君判こを持ってきて印鑑証明をして抵当権設定するということが相当あるのじゃないですか。それで、あとになって、細君のほうは知らなかったのだ、夫が勝手にやったのだという形でもたもたしておる例が相当あるのじゃないですか。だから、必ずしも所有権だけの問題ではなくて、担保物権のような場合にもこの制度というものを残しておいたほうがいいのじゃないか。実益がまるでないように言われるけれども、そこのところはどうですか。
  20. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 私どもよく話を聞きますのは、妻名儀不動産を夫が勝手に担保に提供するという例もあるかと思いますが、よく話を聞きますのは、子供おやじ財産担保に入れるという例をだいぶ聞くのでございます。しかしながら、現実にこれは問題になりますと訴訟になるわけでございますけれども、この種の訴訟事件は、私ちょっと詳しい統計を持ちませんが、非常に少ないのじゃないか。少なくとも登記に関する関係におきましては、あれは実は自分息子が勝手に抵当権設定をしたのであるということで登記所にかけ込んでくるということは絶無ではないか。   〔理事迫水久常君退席、理事後藤   義隆君着席〕 登記の点ではそういうことはあまり——あまりというより、ほとんど私ども聞いておりません。で、ほとんど全部が登記申請間違いないという回答登記所に返ってきておる実情でございます。もっとも、その回答といえども息子が勝手におやじの判を使いまして間違いないという返事を出しているのかもしれませんけれども、という可能性はなきにしもあらずと思いますけれども担保関係では、登記義務者に対する照会をやめましても、弊害はほとんど考えられない。通知をいたしますと、どうしても登記がおくれます関係、そちらのほうが非常に登記申請人に迷惑をかけているのではないかというふうに考えられるわけでございます。
  21. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 しかし、あなたのほうで通知するときは、はがき通知しているわけでしょう。はがき通知しているから、そのはがきが来ると大体わかるから、前もって妻の財産を夫が勝手に抵当権設定する場合なんか夫はそのはがきを取っちゃうわけです。そして、妻にわからないようにして送ることが多い。いまの子供と親の場合もそういうことが多いんじゃないですか。はがきでしょう、通知は。
  22. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) はがき登記義務者の住所にあてまして郵送いたすわけでございまして、それは仰せのようなこともあり得ないことはないかと思いますけれども担保権関係ではほとんど心配はない。この点に関する限りは三十五年の改正以前に復したい。取引を円滑にすみやかにすることを可能にするためには三十五年の改正以前の状態に復したほうがいいのじゃないかというのが私どもの考え方でございます。
  23. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、三十五年の改正のときには、所有権移転だけでなくて、担保物権のような場合も全部含めてやったわけですね。そのときにはそういうふうな状態は考えなかったわけですか。そのときには、説明は、所有権だけでなくて担保物権も全部必要だと、こういうふうに説明したんでしょう、提案は。
  24. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 三十五年のときは、確かにさようでございました。所有権だけに限らずに、権利に関する登記の場合には全部にという考えであったのでございます。
  25. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 保証書提出して登記申請するというのは、全体の中でどの程度あるわけですか。
  26. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 約四%くらいでございます。
  27. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 印鑑証明を出すときには、そこで印鑑証明を出して、これは市役所の問題ですけれども印鑑届けを出すと、家庭へこういう印鑑届けが出たけれどもこれが本物かどうかと通知するんじゃないですか。通知して、そのはがきかなんか持っていって、そしてそれではじめて印鑑届けが出たことがわかって印鑑証明してくれるわけでしょう。普通の状態ではすぐにくれないですね。それと直接同じように対比することはできないとしても、印鑑証明の場合それだけ慎重な手続をとっているわけです。しかも、本人がもらいにいく場合はくれますけれども本人以外の場合には、保証人を二名つけて、その二名がその地域において印鑑届けをしておった人であるかどうか非常に慎重な態度をとっているわけです。抵当権の場合でも、ことに保証書でやるという場合は、普通はおかしいのじゃないですか。例外中の例外じゃないですか。権利書をなくしたというけれども、ほんとうはなくしたかどうかわからないで、権利書をだれかが持っているけれども、それを紛失したと称してだれかが意識的にやる場合が相当あるのじゃないですか。あぶない場合が多いのじゃないですか。
  28. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) だだいま、印鑑証明書市町村役場で出します場合には、仰せのような慎重な手続をとっているのが実情でございます。  それから登記済証いわゆる権利書を紛失した場合には、保証書申請をするわけでございますが、仰せのように、ことにいなかにおきましては登記済証を非常に大事にいたします。登記済証があるんだけれども、ないといって保証書でやってくるという例も以前はあったというふうに聞いております。しかし、こういう通知制度がとられますと、それだけ登記がおくれることになります。最近ではそういう例は非常に減っておるのじゃないかと私は想像いたします。ただ、実情は詳しいことはわかりません。
  29. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 いなかでは権利書を大事にしてたんすの底にしまって見つからないということはありますけれども、実際には登記済証は持っている、だれか正規の権利者が。だけれども、それから借りてきて担保物権設定するのはなかなか現実としてはいろいろな事情でむずかしいということで、それを紛失したことにして、それで保証人をくっつけて、その保証人も、大体変な話ですが、いろいろな人になってもらって再交付を受けるとかなんとかという形が実際には多いのじゃないですか。だから、保証書でやってくる場合というのは、大体危険な場合というか、ノーマルな形でないことは事実ですね。相当あぶなっかしい例が多いのじゃないですか。そういうような実態はつかんでおりませんか。
  30. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 必ずしもそうではないのでございまして、私どもよく話に聞く例では、たとえば銀行その他から不動産抵当権設定いたしまして金を借りる場合、債権者のほうで登記済証を預かってしまうという例が少なくないのでございます。ですから、二番抵当権設定するというような場合に、登記済証がないという事態があるわけでございます。私どもは機会あるごとにそういう登記済証を引き揚げるというようなことはやめてもらうようにということを申しておりますが、なかなかやはり債権者のほうでは、気休めといえば気休めなのでありますが、登記済証を持っていって預かって置くというようなことが行なわれております。そういう関係でもって登記済証提出ができないという例もあると思うのでございます。そういうことでありますので、登記済証がない場合は、非常にあぶないケースが多いと必ずしも言えないと私は思います。
  31. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 登記済証債権者が預かってしまうのは、これは具体的に法律的の根拠があるわけですか。まさか留置権があるわけでないと思いますが、どうなんですか。
  32. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) これは法律上の根拠があるわけでなくて、金を借ります場合、当事者の合意でもってそういうことをやっているわけでございます。
  33. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 これは、ちゃんと抵当権設定してしまうと、当然返さなければならないわけですか。
  34. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) もちろんそうでございます。
  35. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 だけれども、そういうふうな理由をつけて保証書でやるのではなくて、実際はただ粉失した粉失したという形でやっているんじゃないですか。
  36. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) もちろんこれは登記所に関する関係においては、登記済証が滅失したためではないということで常に来るわけでございます。
  37. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それはそれほど問題じゃないと思いますけれども、だから、そういうふうに何か不動産登記法がよく変わるような感じを受けるわけです。実際やってみたらばそれがやり方として適切でなかったというか、実際それだけの効果がなかったということで変わっているのでしょうが、まあ変わってもかまわないですけれども不動産登記法だけでなく、民事局長の所管ですけれども供託やり方なんかもよく変わるのじゃないですか。これはきょうの直接のあれじゃないですが、ずいぶん供託なんか変わっておりますね。あれは、ちょっと関連して聞きますが、どういうふうに変わっているんですか。
  38. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 供託も、仰せのとおり変えましたけれども、あれは供託申請書の様式なんかをはっきり定めまして、むしろ申請人便宜をはかり事務合理化するという見地から変えていったのでございます。不動産登記法施行細則改正も、精神はそういう事務合理化し、能率化し、申請人便宜をはかるという見地改正と言って差しつかえないと思うのでございます。
  39. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 いわゆる甲号事件乙号事件とありますね。それはどういうふうに違うわけですか。
  40. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 甲号乙号と申しますのは、便宜上私どもが実務の上で申しておるのでございますが、甲号事件と申しますのは、登記簿記載をしなくちゃならぬ申請事件甲号事件と申しております。乙号事件と申しますのは、登記簿の閲覧でございますとか、登記簿謄本、抄本の交付請求、あるいは登記簿記載事項証明証明書交付、そういう登記簿記載をする必要のない事件乙号事件というふうに分けて分類をいたしておるわけでございます。
  41. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、事件の増加の場合に、甲号が何件ふえた、乙号が何件ふえたという説明がこの前ありましたね。その場合の乙号を何件くらいで甲号一件というふうに見るのか、どういうふうになっておりますか。
  42. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 乙号甲号事件に比べまして手数が比較的簡単であるわけでございます。そういうわけで、予算の資料なんかをつくります場合には、乙号事件甲号事件換算をするというふうな操作をやっておりまして、乙号もこれはいろいろございます関係で、それをおしなべまして大体甲号事件事務量を一といたしますと、乙号事件は〇・二くらいになるのではないかという計算でやっております。
  43. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 乙号事件甲号事件との関係でも、登記の場合と台帳の場合とでもやはり同じですか、ウエートは。
  44. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 台帳の場合は、甲号事件一に対しまして乙号換算率を〇・一五というふうにいたしております。
  45. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 この前大蔵省主計官が来たときにはどういうふうに説明したでしょうか。ちょっと私も速記録を見ていないもんですから……。三分の一くらいに見ていると言っていたのではないですか。
  46. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) その乙号換算率につきましてこの間大蔵省からは別にここでは説明なかったように私は聞いておりましたけれども……。
  47. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 甲号乙号と、全体の事件のふえ方を見るというと、大体五倍以上伸びている。昭和二十六年と三十七年を比べて五倍以上伸びているけれども乙号甲号の何%と見るから、全体としては三倍くらいふえていると大蔵省は見ていると、こういう説明だったのじゃないですか。全体を三倍と見ているということはぼくは記憶がある。速記録は見ていないのですが、それはあったのではないですか。
  48. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 私もその点はちょっと三倍という説明であったかどうか記憶いたしておりませんが、いずれにいたしましても、この伸びの率を見ますると、甲号事件は、昭和二十六年に比較しますと、約倍にふえております。それから乙号事件は、これは五倍以上のふえ方……。
  49. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 十倍……。
  50. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 約十倍くらいにふえているわけでございます。ただ、乙号は、先ほども申し上げましたように、比較的簡単な事件でございますので、それと、昭和二十六年以後、事務合理化をはかるという意味で最近の優秀な複写機なんかを入れまして、それで謄本なんかもつくるというふうに改めました関係で、事務量を質的に見ます場合には、乙号は十倍以上にふえてはおりますけれども、必ずしも十倍まで見るわけにはいかない。甲号が二倍になったのは、それは確かに二倍の事務量がふえております関係で、この乙号につきましてその後における事務能率化なんかの要素を考慮に入れますと、全体として何倍になりますか、一応私ども計算では、大体五倍ぐらいになっているというふうに見ていいのではないかとういふうに考えておるわけでございます。
  51. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 五倍というのは、甲と乙とをそのまま算術的に平均をして倍数を見た場合に五倍になる、こういうのじゃないですか。
  52. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) そのとおりでございます。
  53. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 だから、あなたのほうじゃ五倍にしておる。私どもも五倍にふえているという見方をして、もっと人員をふやさなければならない、いろいろな設備をやらなければならないと言っているわけですね。そのためにこの前大蔵省主計官を呼んで聞いたわけだけれども大蔵省は五倍と言っていないですね。記憶ないかな。速記録がないからあれですが、ぼくは三倍と聞いた。いろいろ計算をして、甲と乙との換算の仕方が違うわけです。あなたのほうの乙と甲の、登記の場合〇・二、台帳の場合〇・一五と見ると、倍数がもっと少なくなってしまう。
  54. 後藤義隆

    理事後藤義隆君) 速記をとめて。   〔速記中止
  55. 後藤義隆

    理事後藤義隆君) 速記をつけて。
  56. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) ただいま御指摘のとおり、五倍というのは、甲号乙号をおしなべての総計昭和二十六年の総計に比較したわけでございますが、先ほどからも御指摘ございましたように、乙号事件甲号事件換算をする、それからさらにその後における事務合理化能率化というようなものを考慮に入れますと、実質的に事務量がかかる手数昭和二十六年に比較して五倍になったとは必ずしも言えない。事件の推定だけでございます。それは非常に精密な計算をしてみる必要があろうかと思うのでございます。
  57. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それは、こっちは、できるだけ多く事件の数がふえたということと、それから事件の場合でもできるだけ比重が多いというふうに言いたい、と言うと語弊があるけれども、そういうふうに持っていきたいとやっているわけですが、大蔵省のほうはどうもそこらがはっきりしないので、これは速記録が出れば、またよく検討して質問をここでするなり、あるいは予算委員会なり分科会でやるようにしますけれども、実際には、甲号担当者乙号担当者比率は、法務局のほうでは甲一に対して乙が〇・一という人数の比率できめてあるのじゃないですか。いまあなたの言われたのは、登記の場合は〇・二というけれども、そこまで行っていないのじゃないですか、実際の配置の比率は。
  58. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) これは二十六年の比較はちょっといま数字が出ておりませんけれども、私ども増員の要求をいたします場合には、甲号乙号なまの件数では増員に必要な積算の基礎が出てまいりませんので、乙号事件登記におきましては甲号事件を一とすれば〇・二〇五五、正確に申し上げますと。それから台帳事件におきましては乙号事件甲号事件を一といたしますと〇・一五二七ということで、事件を全部甲号事件換算をいたしまして、それを基礎にいたしまして現在の登記事件数を基礎にし、さらに従来の事件の増加率をそれに掛けまして、来年度の総件数というものをはじき出しまして、甲号事件換算した件数というものを出すわけでございます。それから職員一人の処理能力というものを基礎にいたしまして、登記に要する総人員が何名、現在登記従事職員が何名ということで増員に要する人数を出すわけでございますが、従来大体千名前後の増員が必要という数字が実は出ておるわけでございます。で、昭和二十六年に比較してどうなるかということは、ちょっと計算してみればわかるわけでございますけれども増員を要求いたします場合には、乙号事件を全部甲号事件換算いたしまして、登記従事職員の一人の平均処理能力というものを基礎にして増員の数を出しておるわけでございます。
  59. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 ちょっとこまかくなるんですけれども甲号一に対して登記の場合に乙が〇・二〇五五ですか、それから台帳の場合でも〇・一五二七ですか、非常にこまかい数字が出ているわけですね。一体どうやってこういう数字が出ているのか、いまここじゃなくていいですよ、あとで数字の出てくる根拠を明らかにして私のところへいただきたいんです。ここでやりますと長くなりますから。  もう一つの問題は、乙号をわりあい低く見ているのは、司法書士のところの事務員が台帳の閲覧というか謄写というかそういうものを手伝っていますね、手伝っているのは既定の事実として、それを前提として計算しているんじゃないですか。
  60. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 換算率はそれを前提にはいたしておりません。
  61. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 だけど、人員を配置する場合にはそれを前提として配置しているわけでしょうね、甲と乙と人員を配置する場合には。
  62. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 人員の配置は、やはりこういう数字を基礎にはいたしております。いたしておりますが、これは法務局の管内におきまして非常に事件数が伸びるところとあるいは横ばい状況のところといろいろございまして、毎年この数字を基礎にして配置がえをするということは実際問題としてできませんので、一たん定員をずっと割り当てまして配置定員をきめるわけでございますが、数年たちまして非常にそれが現状に合わなくなったという場合に定員の再配分ということを行なっておる程度でございます。毎年配置がえを行なっているというわけではございません。
  63. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 いま、実際に法務局の人が足りないから、司法書士のところの事務員を手伝わしていますね。それはどういうふうな仕事をやらしているわけですか。
  64. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 御指摘のような登記所が若干実はあるわけでございまして、手伝わせますのも登記簿謄本の作成でございます。戦時中あるいは戦争直後にできました登記簿は用紙が非常に粗悪でございまして、複写機にかからない登記簿があるわけでございます。そういう登記簿謄本の請求がございますと、どうしてもペンで書きます筆写をしなければいかぬ、手書きをしなければいけない関係上、登記所の職員のほうでこれをつくるとなりますと、非常に時間がかかる。ところが、謄本を請求されるほうの側が非常に急がれるというような場合があるわけでございます。そういう場合に、司法書士のほうに手伝ってもらって謄本を書いてもらうという例が実はあるわけでございます。
  65. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それは、いま何人くらいいるんですか。
  66. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) これは正確な数字はなかなか出てこないのでございますが、大体年間延べ六万人でございます。これは非常に数が多いようでございますが、一日三十分手伝っておりましても一人と計算いたしまして、全国の登記所の延べでみますと大体六万人くらいになるのじゃないかということでございます。
  67. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そういうふうなものを手伝わせる法律的な根拠があるんですか。
  68. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) これはあくまで登記所で作成すべきものでございまして、申請人に手伝わせるというような法律的な根拠はないわけでございます。
  69. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 これの法律的な根拠がないのはわかっているんですけれども通達とか何とか出ているんですか、手伝わせるについて。
  70. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 手伝わせろという通達は出しておりません。
  71. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、そういう人たちが手伝っているのに対して、法務局はその人たちに対して謝礼か何か払っているんですか。
  72. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) いや、払っておりません。
  73. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 払っていないかわりに、申請人が、法務局のほうへ謄本手数料と、それから司法書士のほうへ払う手数料と、両方払うわけでしょう。そのところはどうなっていますか。
  74. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 事実上はやはり申請人の負担ということになっておるのが現状でございます。
  75. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 申請人の負担というのは、これは登記簿の何といいますか下付の申請のあとで手数料を払うのはこれはあたりまえかもしれません、サービスを得るんだから。だけれども、それを法務局の人がやらないで司法書士がやったからといって、司法書士のほうの金まで申請人が払うなんて、そんなおかしい話はないじゃないですか。そんなこと目をつぶっているわけですか。
  76. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 仰せのとおりまことに不合理でございまして、私どもとしましてはそういう事態を早く解消したい、そういう点も考慮に入れまして増員の要求をいたしておるわけでございます。ほかの役所で申請人側に手伝わせるというような例はないのでございまして、おそらくひとり登記所のみそういうことをやっておるのではないかと思うのでございます。いまのところ背に腹はかえられぬというわけで黙認はいたしておるわけでございますけれども、これは非常に遺憾な状態で、早くこういう事態を解消しなければならぬと思っておる次第でございます。
  77. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 その手伝う人に対して、地方の法務局長は何か辞令みたいのを出しているんですか。何か身分的にどういう身分だとかいうことの扱いをしているわけですか。何かやっているんじゃないですか。
  78. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) そういう扱いは全然いたしておりません。あくまで司法書士の事務員、外部から来た人で、職員あるいはそれに準ずる待遇というような取り扱いというものは全然いたしておりません。
  79. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、外部の第三者が登記簿の倉庫へ行って持ってきたり何かしているんですか。
  80. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) そういうことはいたさせない建前でございます。
  81. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 建前はそうですけれども、実際はその倉庫へ行って持ってくるのは登記所の職員がやるかもわかりませんが、何か身分的に辞令でもないだろうけれども何か与えて、しるしをつけておるのじゃないのですか。そういうようなバッチか何かつけておるのじゃありませんか、胸のあたりか何かへ。
  82. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) そういうことはさせてないはずでございます。
  83. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 これによって一般の人は二重にお金を取られて非常に迷惑しておるわけですよ。これは法務省の腰が弱いというよりも大蔵省が理解がないというのか、いろいろ見方があると思いますが、きょうは大蔵省から人が来ておりませんけれども……。  もう一つ、各県で何といっても公共投資がだんだん進んでくるにつれて用地の買収なんかふえてきますね。そういうような買収も登記が非常におくれておるのじゃないですか。栃木県の例ですけれども、栃木県では県用地の未登記がまだ三万筆残っておるんです。戦時中の軍用の道路もまだ未登記だと、こういうんですよ。所有者が変わっても登記していないというんですね。そこで、法務省の人に聞いてみたら、いろいろなことでそこへ行くでしょう。そうすると、道路は名儀はまだおれの道路になっておるのだからそこへ入っちゃいけないと文句を言われて、非常に困っている。戦時中の軍用道路がまだ登記ができないで残っているんですか。そんなことがあるんですか。
  84. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) ただいまのような大量の事件登記申請なりあるいは嘱託がある場合がございます。その嘱託あるいは申請の段階におきまして相当おくれるということがあるわけでございます。所有者御自身からいえば、とにかく登記が済むまで非常にかかるということであると思うのでございますが、一たん嘱託書あるいは申請書が出ましてから、大量の事件でありますために、登記所のほうでもすぐ右から左というわけにもいかんのでありまするが、登記がおくれまする根本の原因は、私どもの見ておりますところでは、嘱託なり申請の段階において非常に登記手続がおくれておるという例が多いように承知いたしております。
  85. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、県が用地などを取得した場合に、その所有権移転申請をするのがおくれるのはもちろんありましょうけれども申請した場合にも、登記所というか法務局がやらないで、県のほうに嘱託してやらせるのですか。そんなことはないでしょう。
  86. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) これは県知事の嘱託に基づきまして登記をいたすわけでございますが、登記簿の記入の手続登記手続それ自体はこれはあくまでも登記所がやり、手伝わせるというようなことはしていないと思います。
  87. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 栃木県の例で恐縮ですけれども、これは新聞に出ておるのですが、県用地の未登記がまだ三万筆も残っておるのだ、それで処理班をつくってその一掃に本腰を入れておるのだと、こういっておるのですが、これはあれですか、登記申請がおくれておるのですか。
  88. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) ちょっと具体的なケースで、これは調べてみないとわかりませんが、普通そういう場合には、県用地の取得の登記という点になりますと、たとえば前提になります相続登記がしていないとか、あるいは登記名儀人の住所が変わっておるというようなことで、直ちに登記ができない場合がこれはあるわけでございます。前提登記といいますか、前提登記をしなくてはならぬ。相続登記をもう二代も三代もわたってしていないというケースがございますし、そういう関係で、県が登記所に嘱託してきます過程におきまして一筆々々登記簿を調査いたしましてやるということになりますので、嘱託が非常にこれは手数がかかるわけでございます。しかも、県の職員で登記に非常に明るい人がいられればいいのでありますが、必ずしもそうでないという関係もありまして、嘱託の手続に相当の手数がかかる、登記所も手をとって教えるようにして指導してあげなくてはいけないと、そういうような実情でございます。
  89. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 相続制度が変わって均分相続になった関係があって、相続人がどこにいるかわからないとか、相続人の判こがなかなかもらえないとか、いろいろなことがあっておくれることはあると、こう思うんです、私も。ですから、一がいにどうこう言えませんけれども、県に責任があるのか、非常におくれているために、古い地主が固定資産税を払っているというような状態があって、古い地主のほうは、自分のほうじゃもうすでに売っちゃったのにまだ固定資産税が自分のところへかかってくると文句を言うし、その点は法務局の人も困っておるらしいですね。そういうような点がありますから、これは具体的にどうかわかりませんが、栃木県では三万筆が残って困っているといっておりますから、どこにどういう責任があるか、ちょっとよく調べてくれませんか。  それからもう一つは、きょうの最後の質問だと思うのですけれども、約千名くらいの人員の概算要求をしたわけですね。その概算要求をした根拠はどこにあるのですか。こまかい根拠はどうなっておりますか。
  90. 平賀健太

    政府委員平賀健太君) 先ほど指摘にもございましたし、また、御説明申し上げましたように、来年度における想定件数でございますね、それを基礎にいたしまして、それから職員一人当たりの能力というものを基礎にしまして登記事務の処理に必要な総人員というものを出しまして、そうして現在の登記職員というものを差し引きますと、これだけの増員が要るという計算が出るわけであります。それが大体従来千名前後ということになっておるわけでございます。
  91. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それは、抽象論はよくわかるのですが、抽象論でなくて、具体的に千名前後の人が必要だというこの数字が出てくる根拠ね、こまかい数字の根拠、これを出していただきたいと、こう思うんです。これを検討して、それを大蔵省のほうに当らなければ、結局結論が出ないわけですよ。それをいただいた後に大蔵省の主計局長なり何なりここへ来てもらって私はこまかい質問をしたいと、こう思うのですが、非常にそこら辺が法務省側と大蔵省側と違うわけです、認識がね。大臣は大蔵大臣をやられた方なんで、そういう点は理解があるのでしょうけれども、問題になっていることは、千名要求した。二百三名だ。三名は訟務関係だから、登記関係は二百名でしょう。そうすると八百名足りないわけでしょう。いかにも法務省のほうでは山をかけて要求しているように見えます。そこら辺のところがまた問題だと思うのです。千名は実際に要るのだという根拠があって要求したのだけれども二百名しか認められないということになれば、八百名足りないのだから、その事務量はどこへかかってくるのか、そういうことが常識として考えられてくる。そういう形で、概算要求をしたこまかい根拠をこの次に私のところへ出してほしいと思う。それを検討してこの次に質問したいと、こう思うわけです。そこで、次回からはこの法案の内容に入って質問したいと思いますから、きょうは私は不動産登記法関係はこれで終ります。
  92. 後藤義隆

    理事後藤義隆君) それでは、本案に対する質疑は一応この程度にいたします。    ———————————
  93. 後藤義隆

    理事後藤義隆君) 次に、検察及び裁判の運営等に関する調査を議題とし、検察行政に関する件について質疑を行ないます。稲葉君。
  94. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 法務大臣、けがをされて十分まだあれでないのにおいでを願って非常に恐縮なんですけれども、あんまりぐあいが悪ければ遠慮しようと思ったんですけれども、非常に元気だというわけでおいでを願ったんですけれども検察行政の基本というかあり方について、これはもうきわめてきょうは常識的なことをお尋ねしたいと、こう思うわけです。  一つの資料というか、それは、ことしの一月二十二日に全国次席検事会同があったわけです。そこで法務大臣と検事総長がいろいろ訓示を、法務大臣は訓示ですか、検事総長は挨拶ですか、しているわけですが、これに関連をしてお聞きしたいと、こう思います。  一つは、大臣の訓示の中に、「昨年来の犯罪情勢を見ますと、わが国社会の宿弊ともいうべき暴力的風潮は」云云と、こう書いてあるわけですが、暴力的風潮がわが国社会の宿弊だという  のはどういう意味なんですか。
  95. 賀屋興宣

    ○国務大臣(賀屋興宣君) このままで  お許しを願います。  これは、率直に申し上げまして、犯罪の統計その他の数字を私はいま詳しく存じておりませんが、相当長きにわたりまして暴力犯罪の数が日本はほかの国に比べまして、まあほかの国と申しましても相当文化的の先進国に比べまして、相当に多いようでございます。ただ、殺人犯などが一番多いとはいいますが、これなどはむしろアメリカかなんか日本より多い国があると思いますが、相当に多い。しかも、大体その状況が相当引き続き、最近になりましてもそれがあまり改善されないという状態です。それで、刑法犯につきましては、少なくとも人口上犯罪の起こった割合からいえば若干改善されていると思うのでございますが、その改善されている内容は、窃盗であるとか詐欺であるとかいうような財物犯のほうが比較的顕著な減少を見まして、暴力的の犯罪のほうはむしろ割合が非常に増加しているというような状態、こういう状態をさしておるのでございます。
  96. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 こまかい数字とかなんとかはきょうはけっこうですよ。なぜ日本の社会にそういうふうに宿弊ともいうべく暴力的風潮が強いのでしょうかね。これは大臣はどういうふうにお考えなんでしょうか。
  97. 賀屋興宣

    ○国務大臣(賀屋興宣君) これは、率直に申し上げまして、私はそう自信のある御答弁はできないのですけれども、一つの社会人として若いときから考えますと、日本人の性質として端的に直接的に自分の意思を表現するというか実現するという風習があり、それはまた一面、非常な率直な、いい、遅疑のない態度としてそういう気風を称賛するような空気も日本人に伝統的にあると思います。そういうことが、従来ほ、かの理由からも、封建制度的の理由からも奨励された面もあるのでございましょうが、かたき討ちなどということに対してむしろ賛美的な傾向があった。それから任侠の徒が、これは暴力に対する暴力かもしれませんが、端的に腕力、暴力的にものを片づけて、動機としては正義かもしれませんが、この辺も日本人に相当長い間根ざしている一つの気分じゃないかということも考えられます。  それから最近の風潮としまして感じておりますのは、いろんな映画その他で一つのやはり暴力と申しますか、直接行動といいますか、映画で、外国なら西部劇等、それから日本ではああいうチャンバラ劇のようなものが相当に好かれる要素があるところに非常な多量なそういうものが上映される、供給が多いという状況であり、一方、戦後に、罪悪の批判をのけまして、秩序とかいろいろなしつけとか、従来の一種の社会道徳的あるいは法律的のルールに対する尊重心というものが、これは私は敗戦の結果によると思いますが、従来の伝統、権威というものに対して無批判というか、気分的に全面的に尊重しないということが、いまのような直接行動を是認すると言わなくても、そう悪いとは思わない。  こういうようないろいろそういう原因が集まってできておる現象ではないかというふうに一応考えておる次第でございます。
  98. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 いまのことは、これは基本的な問題で、またあらためてお聞きする機会があると思うんですが、この中にあるたとえば「暴力団徒輩による各種暴力から政治的暴力にいたるまで、」云々、こうあるわけですが、この政治的暴力というのはどういう意味なんですか。
  99. 賀屋興宣

    ○国務大臣(賀屋興宣君) これはむしろそういう犯罪を起こすに至ります動機に政治的意図がある。こういうふうな政治的の目的を実現しようとか、あるいは、たとえばある政治家の行為がよろしくない、これをこらしてそういう政治的の勢力を減殺してそういうことがないようにするとか、あるいは、自分の主張するようなことに反対をする者をこらして、それで自分たちの主張が世の中に認められ、是認され、力強くなにする。それからその手段にも、そういう政治的の意図が同じ人が結合するとか、共謀してやるという面もございましょう。動機がそういう面にあるというようなことを考えておる次第でございます。
  100. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そういう政治的暴力というのは、近来非常にふえてきておるわけですか。
  101. 賀屋興宣

    ○国務大臣(賀屋興宣君) ちょっといま数字では存じませんが、最近でも例の神奈川県平塚市におきます河野邸の放火事件でございますとか、また、先般の選挙の際であったと思いますが、池田総理また野坂参三氏に対する殺人未遂事件のようなもの、この少し前あたりの安保闘争の場合には河上丈太郎氏に対する問題もありますし、相当そういう件数が世人の耳目に残る事件が多いように考えております。
  102. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 いまいった政治的暴力ですね、それが、近ごろ特に、たとえば警察庁長官の訓示とかあるいは警視庁の刑事部長の談話の中にも、自民党の総裁公選をめぐってこういう政治的暴力の動きがあるんだというふうなことが伝えられておるんですよね。こういうふうな点については法務省としては何かキャッチしておられるということがあるわけですか。
  103. 賀屋興宣

    ○国務大臣(賀屋興宣君) それは私は承知いたしておりません。
  104. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 これは、法務省に聞くよりも、別な形で別なところで聞いたほうがいいと思いますが、そこで、その次に馬場検事総長の挨拶があるわけです。これは検察の運営に対する基本的な問題をこの中にたくさん網羅しておるというふうに私は考えるので、なかなか興味深く読んだんですが、この中で、たとえば「近時、」いろいろなことで「検察の運営に関し種々の批判を耳にする」んだと、こういうふうに言っていますね。これはどういうふうな批判があるんだと法務省では考えているわけですか。
  105. 賀屋興宣

    ○国務大臣(賀屋興宣君) これは、例の松川事件でございますとかああいうふうな相当世間に顕著な事件で、比較的終戦に近い、いまからいいますと年数のたちました前に起こりました事件で、検察庁の検察官の主張と違った決定をみたようなものは相当にあるように思います。したがって、そう重大な事件でしかも無罪になるようなものを検察庁は非常に有罪を主張するというようなことから、検察当局の活動その運営について批判が起こるというようなことをさしておるのではないかと考えております。
  106. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それは、どんな批判があって、その批判に対して検察庁なり法務省はどういうふうに考えておるのですか。あんな批判は当たらないか、あの点は当たっているとか、これはいろいろあると思いますね。
  107. 賀屋興宣

    ○国務大臣(賀屋興宣君) これは、いろんな事件検察庁の意見と裁判所の意見が違うということもやはりあり得るわけでございまして、それを純客観的に人々が批判しますと、どちらにも見方がある。どちらがより悪いかいいかという批判もあると思います。しかし、現在の制度のもとにおきましては、何としましても裁判所の最後的決定が一番権威があると認めなければならぬ、これは間違いないのでございます。それだからといって、検察陣の運営が間違っているとは言えないと思います。検察陣として最善の努力と注意をして判断した、どこもミスのところがないということもあり得るんだと思います。ただ、松川事件につきましては、いろいろ議会でも、検察陣の運営につきまして当時の——実は私もよく過去のことで存じませんのですが、たとえば証拠物の保全と申しますか利用の問題とか、いろいろな事実の認定とかの問題で問題があったように伺っております。これも当時終戦に近い時代で、いろんな検察陣が捜査をいたしまする上においても現在より比べまして非常な不便、障害も多いような時代でありますが、そこで間違いがなかったか、あるいは、さらに十分に審査をして反省をすれば相当に当時としてもなおよりよい行動ができ得たんじゃないか、そういうふうな点につきまして反省をする必要があると思うのでございます。議会でもそういう必要について御意見があったように私は伝承しておりますが、それで、この事件が無罪にきまりました後に、最高検察庁におきましてみずから発意をして事態をよく調査する、そして十分に当時の検察官の責任があるかないか、どういう点を反省すべきか、具体的に調査するということに相なっております。そういう報告を受けましたので、私どもも気持から言うと積極的にそういうことをすべきであると望む気分はございましたが、検察庁自身がそういう発意で行動をとったわけでございますから、その結果を待っておるという次第でございます。
  108. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 検察庁自身がそういう行動をとったのは、具体的にいまどういうふうに進んでいるのですか。
  109. 賀屋興宣

    ○国務大臣(賀屋興宣君) 最高検察庁の中の人で主任者をきめまして、いろいろ調査をいたしております。
  110. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 その調査はいつごろから始まったんですか。それでいまどの程度の段階まで行っているのですか。
  111. 賀屋興宣

    ○国務大臣(賀屋興宣君) 政府委員よりお答えいたします。
  112. 竹内壽平

    政府委員(竹内壽平君) もうすでに半年以上前からやっておりますが、長期間にわたる公判でもありましたし、また、その間に各公判過程を通じましていろいろ問題がありましたので、関係者に当たったり記録を見たりというようなことで非常に長引いているようでございますが、なお慎重にやっているということを先般も報告を受けた次第であります。
  113. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 いまちょっと聞き漏らして、ダブって恐縮なんですけれども政府委員でもけっこうですけれども、何を主眼にしてそういう調査をやっているんですか。検察官の責任を追及するという形を主眼にしているんですか。あるいは捜査のやり方のどこが間違っていたか、あるいは間違っていたかいないか、あるいはそれをどういうふうに参考にするか、そういうような形を中心にしてやっているんですか。どこに目安を置いているんですか。
  114. 竹内壽平

    政府委員(竹内壽平君) どこへ主眼を置いて調査をいたしておりますか、まあ結果を見ないとわかりませんけれども、私のほうで伝承しておりますところでは、やはりこの国会でも問題になりました証拠品の取り扱い、それから被疑者、関係人の取り調べのしかた、あるいは公判に対処していく検察官の態度等、全般にわたりまして調査をし、それによって、われわれが今後の検察運営に処すべきものがあるならば、そこから虚心たんかいに反省すべきものを反省していく。また、その間に検察官の責任として追及すべきものがあるならばそれをもあわせて明らかにしていく、こういうことであろうかというふうに聞いております。
  115. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 これは大臣ね、たいへん失礼ですけれども検察当局に長くいたりした人等だとちょっと麻痺しているところがあると思うので、そうでない大臣のフレッシュな感覚というんですか、そういうようなものをお聞きしたいのですが、いま刑事局長の言ったたとえば証拠品の取り扱いというのは、おそらく諏訪メモのことだと、こう思うんですが、従来、検察官の持っている証拠を、被告人に有利な証拠をもちろん検察官が持っているわけなんですけれども、そいつを出さないわけですね。出さないでそうして裁判を進めようという行き方が非常にあるわけなんです。この松川事件の場合、諏訪メモがたまたま新聞記者の手を通じて発見されたのでこういう結果が出てきたんですが、そういうような例がほかにあるんですが、検察官はどうも訴訟の中で有罪にしよう有罪にしようという気持が強いんで、それで被告人に有利なものというものは出さない。隠しちゃう、持っている、しまっちゃうというのが多いんですね。この点については検察官のあり方として非常にアンフェアじゃないかと私は考えるんですが、これは大臣はどういうふうにお考えになりますかね。
  116. 賀屋興宣

    ○国務大臣(賀屋興宣君) これは、現在は、刑事裁判におきますと、検事は有罪を主張し、弁護士は無罪を主張し、裁判官はそれで公平な判決をする、まあ世間の常識でそう考えております。そういう点から、検事というのは有罪を主張するものだ、つまり犯罪者の敵方に当たるものだ、こういう観念が一般にあると思うんです。それは間違っていると思うのです。私は一般的にいって、嫌疑を受けた人——そのうちには被疑者、起訴された者も一緒になりましょう、そういうものに対しての味方だと思うのでございます。これが、検事というものがなくて、捜査段階からすぐ公判に行きましたら、たいへんなことだと思います。捜査段階の者が、これも白だろうこれも白だろうとやったら、事実上において嫌疑者というものは発見できるものじゃないですから、その中から、白の場面があっても黒の場面が考えられる者に対して捜査がそこに網が張られるということ  はこれはやむを得ぬだろうと思います。こういうことはあります。ところが、それを一時に来ましたものがみんな公判に付されたら、たいへんなことでございます。たいへんなことというのは、手数の点、公判の数がふえてたいへんになる。そういう意味で、ちょっとどうかしたら被疑者になって未決勾留されたり、公判に付されたり、その人権の上あるいは財産の上に非常な侵害を受けることになります。そうでなく、検事正というものがあって、捜査陣から来たものの中から、刑事事件に練達な素養のある人がおりまして十分にまず調べて、大部分はふるいにかけて、どう見てもこれは確かだというものだけを起訴する、常識から考えて。これらのことで、第一段階の作用というものは、特に非常にセレクトして、むやみに被疑者として起訴されて被害を受ける、権利を侵害される者が少なくなるという作用をしていると思うのです。このほうが表にあまり目につかぬようですが、私は、まず検事というものは人権擁護を第一の仕事をしていると、こう思うのです。そういうことが世間には十分理解しておらない。しかし、私は法律はしろうとで、はなはだ申し上げかねるのですが、私が法律家に際会したのは極東軍事裁判で自分が被告人で見ただけでございますが、とにかく弁護士は、率直に申しますと、有罪というか、悪い材料をみな隠して、いいほうだけを主張する。検事のほうは、どっちかというと、お話のように、われわれ聞いておりますと、弁論でも無理だと思うような気がするのを主張しておりまして、結局それで裁判官が裁定するということになるのですから、一応お示しのようにどうも被告人などに不利じゃないかという考えがまあいいか悪いか世間には出るし、それから大きくいいますと、そういうことも自然の成り行きもあるんじゃないかと思うのです。  しかし、もともと司法制度というものは、ほんとうに無実な犯罪を犯さない者、また、犯してもその状況が正確に重い軽いの程度というものを判定をしていく一つの特殊の機関でございますですから、いまのような特に被告に不利にするというような考え方で行くべきものではないと考えます。  ただ、率直に申し上げまして、私は訴訟手続の中でどういう証拠物件をどういうふうに扱うのがいいか、よく存じません。そういう点につきましては、また専門の政府委員よりお答え申し上げます。
  117. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 専門的なことは、これは訴訟法のたてまえからいっていろいろ議論があるところですね。これを私も問題にしているところなんですが、いずれにしても、いま大臣の言ったような形でいけば、検察官は今のやり方を——東京あたりの検事はわりあいフェアなんですよ。ところが、いなかにいくと、なかなかひどいのがある。そういうような点がありますから、これは事に当たって十分いろいろ何といいますか生かしていただきたいと、こういうふうに思うのです。  そこで、いずれ別の機会に具体的な事例をあげて聞くようになると思いますが、馬場さんの言っている中にもあることで、「先人の築き上げたよき伝統を継承しつつ、」と、こういうようなことを馬場さんは言っているわけですね。  「ジュリスト」のことしの一月号ですが、これに出射さん一この人は検事正として検察の問題について本をよく書く人ですが、この人の書いたものによりますと、日本の検察というのは、「外国に例のない特殊の性格」を持っているんだ、「明治初年以来の沿革で形成された独特の検察の性格」を持っているんだ、こういうふうに言っております。これは一体どういうことを言うのでしょうか。大臣でなく、政府委員でけっこうです。
  118. 竹内壽平

    政府委員(竹内壽平君) 出射検事正がお述べになっております点は、どういうことを中身として意味しておるか、私にはよくわかりませんが、私の理解しておりますところを申し上げますと、日本の検察は世界各国の検察制度に比べてみましてやはり独得なものがあると思います。その独得なところというのはどういう点かと申しますと、検察官が刑事政策を念頭に置いた検察をするということでございまして、御承知のように、犯罪の容疑があればすべてこれを起訴して裁判の場で黒白を決するという法廷起訴主義の国が大部分でございます。もしそういう国でありまして事件を不起訴にするということになれば、ドロップと申しまして、全く微罪的なものを落とすにすぎないのでございます。ところが、日本の検察におきましては、検察官が犯罪人の犯罪を犯したときの状況、その犯罪人の性格、環境その他を考えて、犯罪は成立するけれども、なお公判に回すかどうかは検察官が第一次的に判断してもよろしい、またすべきであると刑事訴訟法にも書いてある。この起訴便宜主義という性格が、その根底をなしておりますものは刑事政策だと思います。この刑事政策を検察官がやるということにつきましては、これは外国にとりましてあまり例のないことでございまして、実は、一昨年でございましたか、アメリカと日本との間で、日本が大陸法的な経験を持った検察制度である、それからアメリカ側は英米的な伝統を受け継いでおるもちろん国であるというところから、日米両国の法律制度についての討論会をやりまして、わが国からも私のほうの局の検事を二人派遣いたしました。そのときの討論の結果が本になってニューヨークから出版されておりますが、それによりまして、わがほうで強調いたしました特徴点としていまの刑事政策を検事が考慮するということを申し述べましたところが、非常な反響を呼びまして、アメリカでは刑事政策というのはプロベーション・オフィサーとかその他検察官以外の者がそういうことを扱ってきたが、法律家である検察官が刑事政策を考慮するということは一つの発見である、これはわれわれとしても十分考慮してみなければならぬことだということが最後の結論の中の批判として出ております。私はそれを読みまして、もう一回過去の伝統の中にそういうものがあったのを思い返し、かつ、この日本の独得な検察やり方というものについて外国人の目も引いておるということがうかがわれたのでございまして、そういう点が一つ独得なものというふうに考えていいかと思います。
  119. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 いまの会議の中に出たかもしれませんけれども、アメリカあたりでは、検事が身柄を勾留をして調べるということが非常におかしいのだというふうな意見が相当出ておるのじゃないですか。
  120. 竹内壽平

    政府委員(竹内壽平君) これは、仰せのとおり、刑事訴訟法の考え方の問題でございますけれども、勾留して被疑者の身柄を調べるということにつきましては、かなり裁判所は厳格な態度をとっておりまして、その供述内容というものは証拠能力を否定するというような取り扱いがかなり強く出ております。そのことを最上のものとするか、刑事政策ということを頭に置いて考えますと、やはりこれは被疑者からいろいろ意見を聞いて、くむべきものはくんでいくという考え方をとるのがいいか、これは検察の一つのあり方と関係する問題でございまして、アメリカ式にものを考えていけば、被疑者からものを聞かないで、他の証拠によってすべて有罪か無罪かをきめる、そしてその人がどのような情状にあるかということはプリセンテンスの調査、つまり判決前調査というようなことで情状をきめていくというやり方に徹しておるようでございますが、日本ではそういう制度もいいか悪いかもちろん検討を要しますが、検察の段階でなお一ついまの刑事政策的な配慮をしていくということがいいこととされてまいっておりますし、また、そういう方法でいまもやっておるわけでございます。
  121. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それは起訴便宜主義をとるということから当然出てくるのかどうかはちょっと議論があると思うのですけれども、やはり検察官は捜査に専念すべきだと言うと言い過ぎかもしれませんけれども、公判だけに専念すべきでなくて、捜査というものの相当部分を検察官が受け持たなければならないという考え方に法務当局がなって  いるわけですか。
  122. 竹内壽平

    政府委員(竹内壽平君) 捜査をある程度、相当程度——その割合をどういうふうに見るかは別問題でございますが、相当程度現実にやっておることは事実でございまして、これをなぜ検事がみずから捜査をするのであるかという点につきましては、これは一つには訴訟法にも根拠があると思います。検察官調書でありませんと証拠能力がございませんので、そういう点でやむを得ず検察官が調書をつくらざるを得ない、それには取り調べざるを得ない、こういうことになると思います。  もう一つの実質的な理由は、やはり先ほど大臣が仰せになりましたように、警察からの取り調べを終わって検事の手元に渡されました事件がほんとうに真相に徹するかどうかということをテストして、まず検事が心証をとって、そしてその間にいまの刑事政策的な考慮を施す余地があるかどうか。それにはやはりある程度検事が捜査をしていくということが必要でございます。しかしながら それをますます強めていくのがいいか、ある程度それを引っ込めていくのがいいかというようなことは一つの問題点でございまして、検事総長の挨拶の中にも「公判活動と捜査活動の合理化の問題、」といったようなことがやはり問題点であるといって指摘をしております。その辺のウエートの置きどころをどっちに持っていくのが将来の検察としていいかというようなことを考慮しておられるようでございます。私どももやはり従来からその点について検討いたしております。
  123. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 この馬場さんの挨拶の中に、あとのほうですけれども、「かかる情勢下にあって、」というあとにいろいろ言って、「いわゆる背伸びをした検察をあえて行なうならば、」というのがありますね。これはどういうことですか、「背伸びをした検察」というのは。
  124. 竹内壽平

    政府委員(竹内壽平君) ちょっとこの点は表現がいかがかとは存じますが、よくわれわれの仲間では、力以上の——実際に力がそれまでないのにかかわらず力以上のことをしようというようなときに背伸びをしてというような言葉を慣用的に使っております。そういう言葉がむき出しにここに出ておるようでございまして、真の意味は私にはよくわかりませんけれども、おそらくは、検察官の任務というものを重大なものだというふうに非常に重く感じて、そのためにあれもこれもやろうということによって、気持ちはわかるのでございますけれども、実績において、場合によっては行き過ぎがあったり、場合によってはやるべきところが行き足らないという結果が生じたりするようなことになる、そういうことを自分は反省しているという趣旨のことを言わんがためのお言葉ではなかろうか、こういうふうに思うのでございます。
  125. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そういう具体的な事例は何かあったのですか。
  126. 竹内壽平

    政府委員(竹内壽平君) 具体的な事例と言われますと困るのでございますが、たとえば私どもが考えておりますのは、検察官も一つの治安を担当する機関だと、こういうふうに思うのでございますけれども、これには検察官の立場として限度があるのでございまして、たとえば安保騒動のときに見られましたような大衆運動というようなものについて、検察官は、これは事件になりますればもう事件として取り扱わざるを得ないのでございますけれども、こういうものをほんとうに越軌行為を防止していくというやり方につきましては、単に刑事罰だけで事が済むのではございませんで、やはり予防措置といったようなことを考えるわけでございまして、その予防措置ということになると警察の任務でございます。そこを検察官が横から警察の任務に対してまでもかれこれ批判がましいことを言うことは、これはまた気持ちはわかるのでございますけれども、職務外のこと、ひとの領分まで口を入れることになろうかと思いますし、それからまた、捜査につきましては、第一次捜査の責任は警察が持っているわけでございますので、警察の捜査を検事が取り上げてみずから進んで捜査をするというようなことも、必要によってはやらなければなりませんが、これにもおのずから限度があります。こういったような分をわきまえるというような意味のことが従来もわれわれの仲間で議論されたことがあるのでございまして、そういったようなことを意識されましてこういうような言葉になったのじゃないか、こういうふうに思うわけでございます。
  127. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 じゃ、問題を変えて、これは大臣にお伺いしたいのですが、近ごろ検察官の志望者が非常に減っているわけですね。ことしの修習生の中でも四十何人ですか、普通四十七士と言っているのですが、四十七人までいくかどうかわからぬというところですね。普通四十七人ぐらい、平均にして。赤穂浪士じゃないけれども、四十七人あればいいというようなことを大体常識的に言っているわけです。ところが、だんだん減ってきているわけなんですけれども、なぜ検察官の志望者が減ってくるのですかね。そこは大臣どういうふうに考えられているのですか、その原因なんか。
  128. 賀屋興宣

    ○国務大臣(賀屋興宣君) 私が聞いておりますところでは、一つは、やはり収入、したがって、検察官の給与の問題があると思うのでございます。どうも弁護士になったほうがそういう点非常にいい、こういうような考え方も相当にあるのが一つの原因じゃないかと思います。  それから収入の点で悪くない、いいとしますと、何としましても一定の職についておれば時間的にもいろいろな拘束を感ずることが多い。ところが、弁護士であれば、そういう点も非常に自由である。それから仕事の過重の負担につきましても、自分事件を引き受ける引き受けないという自由もそれはございましょう。そういう点も魅力のない一つだと思います。  それからこれはあらゆる組織の勤務者に共通の点でございましょうが、転勤という問題、したがって、住居の問題、子女の教育の問題、これに付随する問題こういう点もございましょう。  それから一つは、こういう思想的な面もあるのじゃないかと思います。つまり、戦後の一つの思想として、権力というものはみんな悪いことだというような考え方、これは、確かに道理もあるが、また間違えられている面もあると思うのでございますね。正当な権力が正当な範囲で行使されるということが、社会の秩序を保って多くの人権が侵されることを防ぐようなことがあるのですけれども、過去においてそれが行き過ぎたり、いろいろなことが唱えられ、したがって、概念的に権力関係というものはおもしろくないのだというようなこういう思想的の面もまたあるのじゃないかと思います。それからそれに関連して、検事の仕事に対して十分の理解がない。その次に、先ほどもちょっと申し上げましたが、検事というものは人を罪におとしいれる仕事をしているのだ、そんなおもしろくないものだというふうな、検事の職責につきまして一面十分にわからないでおもしろくないと感ぜられる面だけがあるような点もあるのじゃないかと思うのでございます。  そういういろいろなことの総合的の結果があらわれているのじゃないかと思うのでございまして、いまのそれで検事の職責などにつきましては、またよく理解をすればわかってくるし、また、研修所に入っております間にまた相当理解が進められるのじゃないか。たとえば、初めに志望を調べますと非常に少ないのが、いよいよ出るときに志望をきめるときにはむしろ人数が倍になってくるというようなこともあるように聞いておるのでございますが、そういうような点につきまして、いろいろそういうこと——まあ人によりましてはその中の重点を置く点も違うと思いますが——じゃないかと一応考えておる次第でございます。
  129. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それはまあいろいろあると思いますが、検察官自身が、何といいますかね、自分の職務に対して生きがいをだんだん感じる者が少なくなってくるというか、いろいろな自分の仕事に疑問を持ってくるのじゃないですかね。たとえば社会的正義なら正義というものを実現したいというふうに思って来るのですね。実際にそこでの素朴な正義感というものかもわかりませんけれども、実際にその機構の中に入ってくると、いわゆる正義というものが実現できない場合がある。むしろそうじゃなくて、逆にいまの資本主義なら資本主義社会というものの秩序を維持するという一つの機構を検事が代弁せざるを得なくなってくるのだ。これは公安犯罪なんかそういう傾向がだいぶ強くなってくるのじゃないですか。そういう点が非常に強くなってきておるのじゃないか。これは見解の相違ですから、ここで議論をしても始まらぬことですが……。  そこで、「ジュリスト」に刑事局参事官伊藤栄樹という人が「検察官論」というのを書いていますが、どういう人か私知りませんけれども、お会いしたことがありませんけれども、この中で、検察官になるタイプを三つに分けてある。「その一は、検察官の職務自体に生甲斐を感ずるタイプ」、「その二は、立身出世を夢みるタイプ」、「その三は、職業としての検察官に小市民的安定感を味わい、そのことで満足するタイプ」と、こう三つに分けているわけですね。その三つがいずれもこわれてきているのだ、こういうふうなことをいうのですね。これは、検察官の職務というのが警察との関係でいままでよりも強力ではない。それで、無罪になるというと、警察の捜査が悪くても、非難は検察官のほうに向かってくるのでかなわないということとか、それから「立身出世を夢みるタイプ」ということになってくると、率直に言うと、上のほうがつっかえていてなかなか出世できない。これは、大臣、実際上のほうはうんとつっかえているんですよ。これはあとで別のときに質問しますけれども。そういうようなこととか、それから「小市民的安定感」ということになると、転勤が多くて子供の進学に困るとか、こういうような形のいろいろな問題があって、そこで検事の志望者が少なくなってくるのだ、こう言っているんですが、私はこの考え方にはいろいろ議論があると思うし、私も異見を打っていますけれども、いずれにしましても、具体的にやはりあれじゃないんですか、検察官の仕事は国家権力の代弁者だというやり方現実に強過ぎるのじゃないですかな、ことに公安犯罪の場合に。だから、いまの若い人から見ると、なんだ、検事というのはやはり国家権力の代弁者じゃないかということで、こんなふうになってくると、これじゃあというので入らなくなってくるのじゃないですか。これはどうなんですか、実際そういう役目を果たしているのじゃないんですかね。
  130. 賀屋興宣

    ○国務大臣(賀屋興宣君) 生活が経済的にその他安定をするということは、何といってもいろいろ人が職業の選択に重要な要素を占めていると思います。それで、戦前でも司法官の判事、検事を含めまして給与が悪いということが非常に言われておりまして、私ども役人をやっている時代に給与関係をあれしましたが、給与がいい悪いというのはなかなかむずかしいのでございまして、たいがいの主張を見ますと、悪いと主張しますのは、悪い面ばかり主張して、いい面は言わない。故意でもない、人間性から不利の点だけ目にするというような状態もあるのでございます。現在私どもが見ますのに、戦前のバランスから言いますと、判事、検事、いわゆる広い意味の司法官の給与は、相当に前に比べたらよくなっている。前に比べたらよくなっているということがむろん問題の解決を意味するのじゃないわけでありますけれども、相当に判事に対する待遇というものも、戦前から見れば、社会の自覚が進み、したがって、検事に対するものも進んでいる。しかし、それは役人の中のバランスを言うことでございまして、一般の世間の所得のレベル、所得の進み方、消費生活の進み方から見て、はたしてどうであるかという問題は残っておると思います。いま、人事院の勧告などがありまして、毎年々々相当現行制度のもとにおける補正ではのぼっておりますが、結局、大きな目で見てまた裁判官、検察官の待遇がこれでいいか悪いかという問題が残っておると思います。これはいま臨時司法制度調査会でも、相当に審議されることと思っております。そういう点がございます。  それから小さい点で住宅、教育の問題もありますけれども、これはだんだんいわゆる住宅の建設その他に努力をしてまいり、これはある年数がたてば、一般の住宅状況の改善とともに検察官に対する住宅の整備や供給等、これはもうだんだんに解決されるものだと思うのでございます。そうして、子女の教育問題、これもまあ検察官だから特に不利益だという面はなくて、一般のサラリーマン、勤務者と同じことになるのじゃないかと思います。一番問題なのは、結局、俸給その他の給与の面が残ると思います。  それから一番大事なのは、いまお示しの、一つの国家権力の代弁者じゃいけないという思想ですか、これは、いまの国家の権力というものの観念が正当に理解され、また、事実上国家権力^の行使が正しい考え方に合うようになれば、そういう意味の国家権力の代弁者ということは決して私は悪いものじゃないと思う。正当な代弁者があってこそ、社会組織、社会生活、社会が維持されるものだと思います。それからもう一つ、この点は、ある意味では、私は率直に申しまして、世の中の思想的な考え、感じというものは波がありまして、常に反動的、反動的になる。権力があると、今度は反動が来る。どっちも正当な評価をしているかというと、必ずしもそうではないと思うのであります。必ず正当な評価に落ちつくように進めていかなければならない。一方は検察制度の老化、いや老化していないとかといういわゆる論争があるとすれば、論争にも結びつくかと思いますが、検察陣の起こす行動のいわゆる国家権力というものがある。国家権力の内容が、ほんとうに憲法その他の法令で定められている国家権力であるか、そのときにあるポストを占めている人たちの考え方に強い影響を受けてのそれの代弁者じゃないかということにおいて、私は問題が非常に違うと思うのです。そういう観念を払拭して、正しい検察のあり方というものについて私は常に日本の検察陣とてうものは努力をしてきていると思います。その努力をさらに進めて、ほんとうに国家権力として正当に行使されるのだということにつとめていくほかないし、またそうしていくことが大事であるし、それからまた社会もそれを了解し、特に検事に志望をするかしないかという法曹関係に従事する人もそれに対する正当な理解を持ってくれる、私はそういうほうに非常にステップはおそいかと存じますが進んで、常に進みつつあるように思うのでございますが、なお一そう進めていくことによって正当な考え方をなしていく、こういうふうに感想を持っておる次第でございます。
  131. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 国家権力ということの内容の吟味によってももちろん違ってくることですけれども、現在資本主義国家なんですから、だから、資本主義国家のいわば権力というものの代弁者というか、そういう役割りを検事が果たしている、だから、検事のやっていることは結局は資本主義国家を維持するための役割りを果たすことになるのじゃないですか。そこにだんだん希望者が減ってくる原因があるんじゃないですか。
  132. 賀屋興宣

    ○国務大臣(賀屋興宣君) それは資本主義国家という歴史的や学術的の概念はどうか知りませんけれども、いまの憲法と申しますか国家は、いわゆる社会主義国家じゃないと思うんです。それは、国の存続、発展、独立、国民の幸福と申しますか、むしろそのほうが適当なりと私ども考えております。それから、いまの日本の現体制もそうできている。それに対してだんだんに感じが違ってきたから、それがいけないという思想があるかないかということについては、私は、そういうものはないとも申し上げられませんし、あるとも申し上げられませんが、むしろ問題は、正当ないまの国家のあり方、それから国家のあり方というものは、何も学問と申しますか、あるいは歴史的概念と申しますか、資本主義国家というもののあり方そのものを目ざして言っているんじゃないのです。どういうあも方が国家として正しく正当であり適切であるかと言っているんでございます。そこで、相当の修正議論を考えている方もありましょう。私どもは、資本主義国家というものの概念がどうかというよりも、何が一番いいかという考え方をいたしております。そういうことについては、正当な理解を国民全般に持っていただくようにすべきであるというふうに考えておるのでございます。
  133. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そこらへんは基本的ないろんな問題であって、ここで論議しても結論が出ないことだと思います。見解も違ってくると思うんです。やはり資本主義社会を維持する一つの大きな役目を検察官が果たしている、客観的に果たさざるを得ないことになるんだということが、いまの若い人から見れば、どうも自分の感覚に合わないということから、検察官を志望する者が減ってくるんだというのが私は一つの原因じゃないかと思うんですが、これは議論しても始まりません。  それからもう一つは、検察官の実際の仕事が捜査捜査と言うけれども現実に捜査なんというものはほとんどやらないのですよ。これは捜査の内容によりますけれども、警察から送られてきた調書を読んで、それを上塗りするだけのことがほとんどなわけですね、検事の仕事は。これじゃつまらぬ、ばかばかしいという気になってくるんじゃないでしょうか。そこにやはり検事は検事としての何か違った行き方が当然出てこなければならないと思うんですが、実際の仕事は警察の上塗りだけなんですね。それ以外一歩も出ていないのですよ。そこに問題点があるんじゃないですか。
  134. 賀屋興宣

    ○国務大臣(賀屋興宣君) 私は検察生活を実感いたしておりませんので、何とも申し上げられませんが、しかし、それでもわれわれ推理小説を読みましても非常に興味を持ちますが、そういう意味で、みずから捜査をして奇想天外といわなくても、普通では見つからないキーポイントをつかんで事件の真相を明らかにするということには興味を感ずる人が相当あると思うんです。しかし、そういうタレントのある人が検察官の中にいるか警察官の中にいるかは別といたしまして、正しくいけばいいことには違いありませんが、しかし、人間というのはおのずから職分にもなにがありまして、あらゆる職分について自分が興味を持ち自分がやりたいと思うことが決して満たされないということは、大きな組織に入ればみなあるわけでございます。満たされないからいやになってくるということ、これもその人にとってしかたがない事実でございます。たとえば、いま非常な理想を持って普通の行政官になりましても、どうしても自分の意見などが初め行なわれるものでもないし、また、だいぶ地位が上がって行なわれるかといえば、なかなか決して行なわれるものでもない。やはりそこで組織の中の制約を受ける。組織からはずれて単独行動をすれば、意見は自由でも、それが主張の効果があらわれない。そういうような制約がある。それに対して本人はどう考えて処置するかはもちろんでございますし、それに魅力がないと  いうことももちろんございましょうが、それよりも、検察官としては、大体の捜査は警察官がやる、ただ、警察官の見ておるところがなお法律的に有罪であるか有罪でないかということを判別するためには、もっとそういう法律上の素養、体験のある人の目から見て、ここは大事だ、ここはこうやらなければならぬということを補充してやらせることが大きないい意味の国家の行為として必要じゃないか。また、そういうふうにだんだん考えてもらえば、その方面に相当な興味を持ち、やられていくということもあると思います。  お説のような感想があるということを決して否定するわけじゃございませんが、やはり検察官としての政府的な司法的なものの全組織の中における職能、地位というものをやはりほんとうに自覚してそれに行ってもらうようにつとめていくべきじゃないかというような考え方を一応いたしております。
  135. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 伊藤さんの論文というか、そういう中にも、こういうふうなことも書いてあるわけです。「警察で自白をしていない被疑者から自白をえようと努力している自分の姿、それは、法曹と呼ばれるにはあまりに縁遠く、むしろ、肉体労働者ないしはダイビング・マシンとでも呼ばれるべきものとして、その目に映らざるをえない。」、こういうふうに書いておるんですよ。実際、警察で否認しても、検事のところへ来てそれを何とか自白させようとするわけです。それで自白させれば、その検事は腕がいいということになるわけです。自白させられないと、その検事は腕が悪いとか、あるいは仕事に対して熱意がないとか、こういうふうな形で評価される場合が非常にいまの検察の中には多いんです。これは刑事局長はどういうふうに言われるか、刑事局長はその点は御存じだと思いますけれども、それが事実なんですね。だから、一生懸命何とかして自白させよう自白させようといってやっておるのが検事の実際の姿です。これはもちろん傍証を固めて捜査をやっていくという行き方はありますけれども、そういう行き方より、むしろ自白自白ということでやっておった旧刑事訴訟法とちっとも違わないような姿で追いまくられているわけですね。こういうのが実際なんです。これじゃ、やっておる人が、修習生のころに検察庁に行って見ていやになってしまうんです。これではちっとも人権の擁護でも何でもないわけです。法曹という商い理想を持っておる行き方ではないんじゃないですか。幻滅を感じてしまうわけです。検察庁の全体のあり方にもっともっと問題が伏在しておる、こういうふうに考えるわけです。ここら辺もよくお考え願いたいと思うんです。
  136. 賀屋興宣

    ○国務大臣(賀屋興宣君) 検察のいろいろなあり方につきまして、問題はこれはまあ永久に残り、常にその問題をいいふうに改善するように努力しなければならないと思います。  自白ということは、いまの訴訟手続において非常に重要ならば、正しい自白というか、うそを自白されては困るが、正しい自白を得ようという努力は、これは私は正当だと思うんです。それから、どうしても被疑者が言わないという場合も相当あり得ることであります。そこで、そういうことに努力するということも正当であり、それから自白が正しくされなければ事件が処理できないから、自白をさせない者はへただ、さした者はうまいんだという評価も、これは社会としてやむを得ないのじゃないかと思うんですが、しかし、それじゃさせなかったからほんとうに悪いかというと、そうも言えないので、これはこういうことを言っては非常に恐縮ですが、たとえばほかの事業をしておる人で、たとえば取引の場合、常に相手を説得して何がしかの取引に成功すれば、そういう事業では、その人は腕がいいと言われる。しかし、それは必ずしもその人のみに責任がないので、その取引の条件その他や、無理な注文をはめられてやる場合には成功しない人もある。相手にまた事情がある場合もありますから、一がいにそこで今期の営業成績がよかったからその支店長は腕があるとも言えないと思います。しかし、そういう目で見られるということもやむを得ない。そういう意味で、自白について検事が非常に苦労をするわけですが、それのみで批判するのは非常に間違いですけれども、やはりある程度はやむを得ないことじゃなかろうかと思うのでございます。  それから人権の擁護ですが、これは人権の擁護が一番大事で、同時に事実は明らかにしなければならぬという、これはとにかくちょっと考えれば一つの矛盾した要求のもとに働かなければならぬわけでございます。擁護ばかり考えておったら、何もしないのが一番少なくとも害はない。何か一生懸命にやれば、尋問が長くなったり、語気が荒くなったり、執拗になったりして、とにかく相手に人権侵害とまでいかなくても、不愉快を与えることがあると思います。  世の中は、一番大事なのは、その接点をどこに求めてどこに限界を考えるかということ、これはやはり実際問題じゃないかと思います。そういう面における検事の苦悩も、また苦悩から来ますいろいろないやな思いは十分察せられますが、そこらはやはり良識で努力をしていかなければならぬ問題ではないかというふうに考えておるのでございます。
  137. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 あと二、三点で終わりますが、現実には警察で調べたことと全く同じことを検事が調べているわけですね。これは証拠能力の関係もあるわけですが、重複捜査です、ほとんどが。それにほとんど九割以上の力を検察官が注いでいるわけですね。ここらを何か考えて、改善すべき余地がないですかね。これは刑事局長はどういうふうに考えますか。
  138. 竹内壽平

    政府委員(竹内壽平君) ただいまの件は非常に専門的なことでございまして、まことにごもっともなことで、私どもも何とかそこは改善の余地があるのじゃないか。問題はいま訴訟法の要求しております証拠能力の問題でございますが、はたして検察官調書には証拠能力があるが、警察官のつくりました書類には証拠能力が否定されているというこの現状がはたしていいかどうかというようなことも私ども専門的に検討いたしておりますが、仰せのとおりにそこは問題点でございまして、現行法のもとでもできるだけ証人として公判廷に出して検察官調書をつくらないでやれるものならやったほうがいいということで、試みではございますが、東京地検でただいま特別公判指定事件とかなんとか申しておりますが、そういったような試みもそういう意図からいたしておるのでありまして、私どもといたしましても工夫いたしております。
  139. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 きょうは時間がないから問題点の指摘だけですけれども、大臣考えていただきたいことは、いまの日本の裁判の中でほんとうに真実が発見されないとか人権が尊重されないとかということの一つの原因は、私は警察なり検察官の調べというか、その調書のとり方に問題があると思うのですよ。調書は、実際にいろいろな問答をしているわけですが、その問答の経過というものは全然出ないわけです。いかにも被疑者が自分でべらべらしゃべったような形で調書ができるわけですね。この調書のとり方というか、調書のやり方に問題があるわけですよ。いろいろしゃべったことを、検事は検事の法律的な頭でまとめて、そして自分でどんどん口でしゃべるわけです。しゃべって、それを書記官が書いていて、このとおり間違いないかと来る。そうすると、たいてい調べられているほうは法律的には専門家ではありませんから、わからないから、そのとおりですと言う。そういう形で名前を書いて判こを押してしまう。そうすると、それがあとになって証拠能力がある。あのとき自白したじゃないかということになって押えられて有罪の判決になる場合が非常に多いわけです。だから、一つの例は、たとえば人を刺した場合などに、それが殺人になるのか傷害致死になるかという、殺意があったかなかったかというようなことは、それは客観的な証拠によって判断すべきなんですけれども、そうでなくて、検察官のほうで、こういうところを刺したじゃないか、そうすれば場合によったら死ぬかもしれないということは当然わかっていたじゃないかと聞くわけです。そうですねというふうに答えると、調書にはそういうふうにはならないで、私がああいうところを突いたから、その相手方は場合によっては死ぬかもわからないと思いましたと、こういう調書になるわけです。そこで、未必の故意、殺意があったという形で調書ができるわけですよ。そうすると、あとになってそう言わないとか言ったとかという争いになったところで、実際には調書ができて名前を書いて判こが押してあれば、それはやはり訴訟法で言う特別に信頼すべき状況のもとにつくられたという形になって証拠にされているわけです。これは非常に大きな問題なので、検察官の調書のとり方、あのとり方を根本的に改めないと、ほんとうの真実なり人権の尊重は発見できないと、こう思うのです。これはもっとよく研究しなければいけないことだと思う。私もこれは研究してやらなければいかんと思う。あの調書は、悪く言えば、自分で問いを発して自分で答えている場合の調書が非常に多いわけですよ、自問自答の調書が。警察官なり検察官の手元で、あたかも調べられた人が話したような形でつくられている。結果として出てきている。あれを変えなければ、ほんとうの真実を発見できない。これは私は一つの問題だと思うのです。これはきょうここで結論を出そうと言ったって無理ですから、私も研究していこうと思います。  もう一つは、法廷の中において検察官が証拠をたくさん持っているわけです、自分の権力によって集めた証拠を。検察官は公益の代表者なんだから、当然それを出さなければならない証拠であっても、自分の有罪を立証するものを出して、ちょっとでもそれに不利である、情状の点でも不利であると、隠しちゃって出さないわけです。これは松川事件の諏訪メモがいい例ですが、その他にもたくさんあります一そういうやり方をしている限りは真実を発見できない。  いま、当面この二つの面を問題点として指摘したいと、こう思っているわけです。いまここでお答え願うというわけじゃないが、十分大臣にお考え願いたいと思うわけです。
  140. 賀屋興宣

    ○国務大臣(賀屋興宣君) よく承っておきます。
  141. 竹内壽平

    政府委員(竹内壽平君) いずれも問題点として私どもも考えておるところでございますので、さらにこの上とも研究をさしていただきたいと思います。
  142. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 最後ですけれども、いまの問題点のほかにやはり問題点は、こういう点があるわけですよ。検察官なり警察官が調べる場合に調書をとるわけでしょう。その調書がほとんど最終的にものをいって、いまは公判中心主義とは言っておりますけれども現実には検察官のところの調書がものをいって判決されているのが実情です、大体は。そこで、検察官の調書などのときに、少なくとも最終的な調書をとるときに、被疑者なりなんなりが希望すれば、その立会人をつけることが必要であるとか、あるいはその場合ソノシートとかなんかで調べの模様を録音させることが必要だと私は思う。こういうことは私は議論になってくると思うのです。いまの場合でも、検察官は自分の立証に有利な場合には隠しマイクか何かで録音を行なう場合がある。これは証拠になって出てくるわけです。検察官だけがこういうようなマイクなんかで録音するんじゃなくて、被告人の側でも希望すればその取り調べの状況を録音できるようにするのでなければ、私はほんとうの当事者対等にならないし、真実は発見できないと思う。最初から終わりまで録音しろということも、これは捜査の秘密が漏れるということもあるだろうし、立会人を最初から終わりまでつけるのは無理かもしれない。少なくとも最終調書をとるときには立会人を希望すればつけさせるとか、録音を希望によってはさせるとか、こういうことをさせなければ、取り調べの一問一答の形は全然わからないわけですね。どういう言葉を使っておどかしたとか、どういう大きな声を出してやったとか、どういうような問答をしたからこういうふうな答えが出てきたとか、その間誘導尋問はどういうふうにあったとかということが全然わからないんです、今の調書では。これはやはり私は非常に大きな問題として考えなきゃいけないと、こう思うんですよ。これもひとつ研究をしていただきたいと思います。私のほうも研究をしますからね。これは検察の基本問題に触れる問題で、検察庁は、いやそんなばかな話があるかと思って反対をされるかもわかりませんけれども、これは基本問題です。私のお会いしたある人は、それをやらなければ裁判の真実は発見できないということをはっきり言っているんです。その人の名前はここで申し上げませんけれども、言っているんで、これは十分御研究願いたいと、こう思います。私のほうでも研究をいたします。
  143. 後藤義隆

    理事後藤義隆君) それでは、本件は一応この程度といたしまして、本日はこれにて散会いたします。    午後零時三十二分散会