○小西英雄君 時間もないようですので、一言
野田総務長官に、いままでの答弁を通していろいろお伺いしたいと思うのであります。
総理府のこの
設置法の一部を
改正する
法律案が通ることにつきましては、われわれ引き揚げ者一同非常に
野田長官に多とするものでありますが、いろいろいままでの答弁を通じて言われることがどうもはっきりしない、納得いかない点がございますので、一言申し上げたいと思うのであります。
野田長官は引き揚げ者の問題、
在外財産の問題が一応片づいたのだが、またその後の情勢が変わったので、
審議会をつくるというふうな
考え方を持っておられますが、私がもうこの問題だけに二十年も取っ組んでいる
関係上、
長官もいろいろその後の情勢、あるいはその
審議一回々々にわたる
審議会の
状況等について十分
御存じでないという点があろうかと思うのであります。
たとえばわれわれ引き揚げ者四百数十万の者が、たとえにいたしまするならば、現在
給付金が五百億まで出されることになって、そうして現在四百五十億余の金が一応十年年賦として出されたわけであります。もしこの四百五十億が引き揚げ者の
在外財産のすべてを
解決いたしたということになれば、われわれ引き揚げ者が、海外に行って、洋服の上着一枚を買う能力しか持ってない
財産であった。一万円余を平均もらったわけでありますが、それが十年年賦で払われたものが、もうこれで
政府は
在外財産の
補償が
解決したものなりというふうなことで一応大蔵省とか、いろいろ言うておりますが、これが間違いでありまして、この第二回の
審議会におきまして、私
ども審議委員が、二十三人、数十回にわたって、いろいろ
法律的根拠が、
政府に義務があるとかあるいはなしとかいういろいろ
意見が出ましたが、結局集約すると、皆さんの海外に残された
財産というものは、これは司令部と当時の大蔵省が査定いたしまして、大体日本の国外に置いてきた
財産は二百五十億ドルだと——その当時の金で二百五十億ドル。そうして、国と法人の
財産をそれから引くと、皆さん方の個人の
財産というものは一割五分が至当だと。これは、いろいろイタリアとかあるいはドイツの例に比して、最低一割五分ぐらいのものが個人の
財産だという
意見を述べたのに対しまして、司令部と大蔵省が、そんなあれはない、一割三分ぐらいが適当だということで、そのままにうのみにいたしました金が、当時の金で一兆一千九百億円、約一兆二千億である。当時の一人当たりの
財産が、司令部と大蔵省の話から、一兆二千億だった。その一兆二千億をなぜ
昭和三十一年にわれわれが要求しなかったかということは、
審議会の経過から見まして、われわれ日本が、国交の調整できておる
地域すなわちアメリカ
関係の
地域に置いておる
財産は非常に少ない。大体
政府は、それは四%内外のものしか
補償の
対象にならない。皆さんの置いておる中国とか朝鮮、台湾、樺太という、その現在占領しておる国々とは国交の調整ができていないので、これらの
財産を即
政府が
補償の
責任があるかどうかということについては、疑問がある。まず四%の
地域のものについては考えることができるというふうな意図から、一兆二千億円の四%ということは四百八十億に該当いたしたわけでありますが、大蔵省のほうは、四百八十億というのもおかしいということで、いろいろわれわれが当時、そんな根拠のないもの、ここにいる全連の引き揚げ者の代表が寄りましていろいろ協議した結果、
政府は四%の
地域対象しか持っていないので、われわれも謙虚に一割を要求しようじゃないか——千二百億を要求したところに対して、
政府が五百億の
給付金を出したのでありまして、そういう点は、記録を見ましても、われわれもう今度できた
審議会の
答申というものについては、
政府が尊重する意思があるかないかということを思うのであります。
その
答申の
内容を一部申し上げますと、朝鮮、中国にある個人の
財産を
政府の
責任においてこれを確保するように努力せい、ということが
答申の
内容の重大な項目になっておりますが、それをどういうふうに——八年もたつ間に
政府は努力したか。われわれが強く要望する点は、韓国
政府といろいろ外交交渉を進める道中で、韓国人の日本に持っておる
財産は相当な大幅に認めて、大体四億ドルないし五億ドルの金を払うような内示が出てしまった。われわれが韓国に残してきた
財産の主張は
政府はしておらない。当時七十億ドルの
財産は朝鮮に残して置いた。われわれは七十億ドルの一割三分にいたしましても、大体三千億の金が当然確保できておらなければならないのに——今日そういうふうに一方的に韓国の言うことをうのみにしたが、われわれの、日本人の私有
財産に対する主張がなされていない。かような点から引き揚げ者団体は——
解決したにもかかわらず、農地のように、一応
法律で、不満であっても
解決的な根拠があるのに、また郎党、徒党を大ぜいで組んで、やいやい言うわけじゃない。われわれは同情を寄せてもらったりして、あるいは、もう済んだものを、もう一ぺんくれというような
考え方で引き揚げ者はやっているわけじゃない。
そうしてもう一つここでお願いしたいことは、
国会に、
政府のほうに、いろいろ
審議会をつくって、法的根拠が、国際的に、国内的にどうという根拠について、何とかしてつくれといって、
政府につくらした第一回の
審議会、二十九年にできましたが、
政府のほうにおまかせした人員は十名、おおむね
政府の一方的な御用学者を連れてきて、二カ年間塩づけされた。われわれ憤激やるせなく、
反対の運動を展開して、いろいろの問題に取っ組んで、
審議会をつくってもらいたいというので、
昭和三十一年の七月に改組されまして、
国会議員の
衆議院の自由党から三名、社会党から二人、参議院からは自由党が三名、緑風会が一人、社会党が一人の九人、そうしてわれわれの被害者代表として台湾同盟の会長、樺太同盟の会長、日韓協会の会長、三人入りまして、それと全連の理事長、当時の理事長北条君が入りまして、二十三人という大きな
審議会をつくって、相当縦横から
検討された、その記録が残っております。われわれが、その当時の五百億円を
政府が支給するために、それほどに多数の、そうして
意見を求めたにかかわらず、今回は二十名以下にしばられている。こういう点について
野田総務長官は、この問題は、われわれ、いろんな根拠から見て薄いものとして、この
審議会が、
ほんとうに
政府の意を体して、これを縦横から見て、
政府が
補償する義務がないというなら、われわれは決して
補償を要求いたしませんが、そういうふうな
意味合いから、
野田長官も非常にこういう点について御理解があるので、この
審議会、もし通過した場合に、この構成について、第二回にわれわれが希望をしたような
審議会をつくっていただけるかどうか。これは
政府のほうでは、いろいろな、大蔵省のほうの出先
機関から、これは圧力をかけよとか、いろいろあったわけです。
もう一つお願いしたいことは、この臨時
調査室とかいうものができたのであるが、前に幹事会というものがあって、幹事会が、ほとんど
政府の一方的意図をくんで、いろいろな書類を作成してきた。そういうものをなしにして、
審議会はこの
調査室を中心として、幹事会というものをのけて、
審議会が
ほんとうに
審議委員の意図でそれが進められるように、そういうふうな考えについて、
総務長官はどう考えておられるか、一言伺っておきたいと思います。