○
山本伊三郎君 旧
金鵄勲章年金受給者に関する
特別措置法案に対しまして、
日本社会党を代表いたしまして、
反対の
意見を述べたいと存じます。
本案第一条に規定しているところを見ますると、「旧
金鵄勲章年金受給者のかつて受けていた
経済的処遇が失われ、かつ、
老齢者については
生活能力が低下している状況にかんがみ、その
処遇の
改善を図るため、
特別の
措置として一時金を給することに」云々と書いてあります。
かつてこの
法案に対しまして、同僚
議員なり、あるいは
参考人、
憲法学者なり、当事者が
参考意見を述べておられます。しかし、われわれといたしましては、
納得のできない
法律案として今日まで来ましたが、ここで明らかにわれわれとして述べたいのは、
本案は、旧
金鵄勲章そのものの
復活ではない、すなわち
年金受給者のかつて受けていた
経済的処遇が失われたので、これを補償するのだ、こういう
趣旨であるようであります。
提案者の
答弁を
会議録で見ましても、そういう
趣旨が述べられております。また、
参考人としての
大石教授の供述の中にもそれがうたわれております。旧
金鵄勲章そのものに対する
年金であれば
憲法上これは違憲であるということが
大石教授、いわゆる
賛成の
立場の
参考人も述べられております。間違ったらいけませんので、そこで
会議録をもう一回読んでおきますけれども、こういうことを言っておられます。「
本案の
内容は、旧
金鵄勲章制度の
復活であれば、もちろん
憲法第十四条第三項に違反することになります。しかし、疑いもなく、
本案の
内容は
栄典としての
金鵄勲章制度そのものの
復活ではなく、敗戦による
経済的既得権の剥奪に対する
国家補償をその本質としております。」こういうことを述べておられます。私は、
賛成者の
立場の
大石教授も、こう述べられておられるところに大きな意義があると思う。したがって、問題は、
金鵄勲章そのものの問題でなくして、これらの
人々について
経済的の失われた
処遇をどう
国家が補償するかという問題にかかっておると思う。そこで、もしそうでなければ
金鵄勲章といういわゆる
評価価値が失われております。
法律語で言えば
原権がもうすでにない。したがって、それに対する
請求権というものはあり得べきでない。したがって
本案は、新たにこういう
人々のために
権利を
創設しようという
法律案だとわれわれは認識しておる。しからば
国家財政支出を伴う
本案がそれだけの社会的な
価値があるかどうかという一点にかかっておると思います。
大石教授は、それを称していわゆる
国家政策上のいわゆる
措置として妥当である、こう述べられております。しからばどういう意味で妥当であるかという
教授の
意見を見てみますると、こういうことを言っておられます。
「
本案における一時金の
給与対象になっている
人々は、国の
至上命令なるがゆえに
個人の
賛否をこえて、」。次が問題だと思います。「
自分を捨てて
国家の
悠久性を
維持するために
特別の働きをした
人々であります。」。いわゆる
金鵄勲章というものは、それはもう阻却されておる。そういう
国家悠久性を
維持するために身を捨てて働いたということが、この
権利創設の
一つの大きい要素だと言われております。私は
質問の機会がなかったので、
提案者から聞いておりませんけれども、おそらく
提案者もそういう気持ちでこの
権利創設の
法律案を出されたと思うのですが、そこに
一つの大きい問題がある。しからば、
金鵄勲章というものは全然それはもう問題でない。旧
金鵄勲章を受給する、その
権利を失われた
人々について
特別に一時金をここに与える
権利創設が妥当であるかどうか。これは私は一にかかってここに問題があると思う。少なくともわれわれが
国民の委託を受けて
国家の
財政支出を伴うところの
法律案を考えるときには、
社会性といたしましても、また、
価値評価の認定にいたしましても厳格に考えなければいかぬと思います。
もうすでに
憲法論議はされておりますので、私はあえて申しませんけれども、
憲法論から言っては、これは
両者おのおの意見が違います。
大石教授は
憲法第十四条第一項並びに第三項に違反しない。そのゆえは、いま申しましたように、旧
金鵄勲章の
復活でないからいいのだ、一にかかって
国家の
政策だと言っておられますが、他の二人の鈴木、
中村教授は、
憲法そのものに違反するのだ、こう言われておりますから、ここで
憲法論議をいたしませんが、
賛成せられておる
大石教授の、いま申しましたように、新しい
権利の
創設に値する
価値があるかどうか、これはわれわれの
反対の
一つの
論議の焦点になると思う。これすらも
価値がないとなれば、この
法律案はわれわれ
国民の前にこれを成立させることはできない。そこでこの点につきまして若干
意見を述べておきたいと思うのです。
そもそも
国家財政支出ということは、これはもう厳格にやらなくちゃいけません。第一の
国家財政支出の
要点といたしましては、いわゆる
合社会性、
社会性に合っているということが第一の
要点だとわれわれは認識しております。また、それは
憲法学者もそう言っておると思うのです。それを
大石教授は、先ほど申しましたように、
国家の
悠久性の
維持のために身を捨ててやったということで
合社会性を言われておると思う。しかし、それだけでは決して私は
国家財政支出をわれわれが認めるわけにいかない。
合社会性があるからといって、そこにやはり全部が一
合社会性があるからといって、すべて
国家財政支出をするということは、限界ある国の
財政ではできません。そこでわれわれの
判断の
基準になるのは、その
合社会性の
価値判断の
基準をどこに置くかということであります。もうすでに
金鵄勲章ということは問題でない。この人が過去にとられた
行動そのものが
合社会性であるというならば、それの次に
価値判断の
基準をどこに置いたかということです。私はあえて言いますけれども、いわゆる
至上命令として
戦争に行かれたということ自体はわれわれとしてはきわめて敬意を表することであったでありましょう。私はちょうど
明治三十九年の一月二十五日生まれであります。
日露戦争が済んだその直後に生まれたのです。小学校を通じまして、その当時学校の
教育はすべて
戦争につながった、いわゆる
日露戦争のいろいろの物語が教えられ、唱歌は全部軍歌で教えられた
人間であります。その当時私の母が、
一つの例でありますが、
紡績の
女工をしておりました。私がいつも
——その当時は、
御存じのように、昼夜二交代です。深夜の業務をやらされております。そのとき母がどう言いましたか。いま
自分らがつむいでおるこの織物で、あの満州の零下何度という寒い所で働いておる兵隊さんに着てもらうためにやっておるのだということであります。その人は決して誇りもなければ、
自分の使命として働いておったと思います。これは私の母だけではありません。その当時の
紡績女工は全部そうである。それがために肺病で胸をわずらって死ぬ人を日々われわれは目の前に見せられた。その当時の母は、夜勤で非常に疲れて、あの人もなくなった。こういうことで、その当時の
日露戦争の戦いの中でいろいろと
国民全体
——紡績女工だけではない、
軍需産業の
労働者も農民もすべて、先ほど
大石教授の例を引きましたけれども、
日本の国の
悠久性維持のために私は働いたと思う。そういう
人々に対して一体何を与えられたか。
戦争が済んだ後に、いわゆる操短によって首切りだけです。
悠久性の
維持のために働いた
価値評価は私は決してこの
人たちだけではないと思う。もちろん戦地におもむいていろいろ苦労された
方々、そういう
方々に対しては、もちろんそういう
価値評価をしてもいいでしょうけれども、これだけのことで、限られたこの人だけに
特別の
経済的の
措置をするということはわれわれとしては
納得のできない第一点であります。
次に、旧
金鵄勲章のこれが阻却されて、これが全然問題でないと言われるけれども、どうも
提案者の
答弁なんか聞いておりますと、やはり旧
金鵄勲章を持っておった人ということが
一つのもとになっておるようであります。
そこで私は第二点として、これに対して
納得できないのは、いまの
国会、また、いまの
政治形態は
民主主義の政体であります。旧
金鵄勲章年金令は勅命第百七十三号、
明治二十三年だと思いますが、制定されました。私は
民主主義の
原則からいきまして、旧
金鵄勲章年金令そのものが、はたして、
国民全体とはいわないけれども、
国民の
意思が入った
勅令であるかどうかということを
一つの問題としたいのであります。
勅令は
御存じのように、天皇の
命令でつくられた
一つの
法律形態であります。これと同じような
関係にあるようでありますが、本質的に違うのは
恩給法であります。
恩給法は
軍人に対して
昭和二十八年にこれが
復活いたしました。
恩給法の
復活については、われわれはそのやり方について
反対であったけれども、本質的に
反対はしておらない。そこにこの
金鵄勲章年金令との間に問題がある、本質的にいって。
恩給法におきましては、
戦前の
法律でありますけれども、一応立憲的な
立場で、
衆議院の議論の後につくられたいわゆる
法律であります。
恩給法であります。旧
金鵄勲章年金令というものは、そういう過程を経ておらない、
国民の知らない中にそれがつくられたものであって、それを
国家財政支出で出そうということは、今日の
憲法下にある
民主主義の
国民を代表したこの
国会で、その
国民の
意思の入ってない旧
金鵄勲章年金令に対して、われわれは
国家財政支出をすることは第二点として許されないところであります。
以上、いろいろまだありますけれども、もうすでに
討論採決の場になっておりますから、ただ大きい点だけを申し上げましたが、最後に私は、この
年金受給者に
関係する
対象者の
立場の
方々に一言言っておきたいと思う。なるほど私は、おのおのその
人々の
個人感情からいうと耐え切れないものがあると思う。しかし、私は、先ほど
大石教授のことばでありましょうが、いわゆる
国家のために、
国家の
悠久性維持のためにやられた。けれどもその
功績というものは、
金鵄勲章や、または七万円
程度のお金をもらったからといって
納得されるものではないと思う。もし
経済的な問題で困っておるというならば、別に
国家として救済する
方法があります。厳然として
憲法第二十五条というものがありますから、私は単に七万円の金をほしいというだけでそれほどきゅうきゅうとしてこの
法律案を熱望されておると思わない。
かって自分のなしてきたところの
功績というものを、老後であるけれども、ただそれを表徴してもらいたいというきわめて強いそういう熱望があると思う私はそういう
方々に対しましては、単に
金鵄勲章があるから、七万円の金をもらったからといってこれが済むものじゃありません。
島本参考人だと思いますけれども、切々としてこの
委員会で
参考人として述べられております。
廣瀬中佐の例も述べられております。なるほど、私はこの当時
教育を受けた者として、
廣瀬中佐のあの態度に対してはいまもなお印象深く残っております。しかし、
廣瀬中佐が偉いということは、旅順港の
封鎖作戦に参加して、みずからの鑑を沈めて、そうしてやったという戦功もありましょうけれども、あの人が須田町の銅像になったという原因は、もうすでに鑑が沈まんとしている、弾丸は風雨のごとく飛んでくる、その中に一人部下の
杉野兵博長がおらないのでさがしたこの
人間愛が私はあの人の大きい光った
人間の
価値であると
判断いたしております。したがって、私は、そういうみずからやられたことについては、そういう一時金をもらったからどうだとかということでなくて、みずからやったというところに、歴史的に残るそういうものを私は十分持っていただきたいと思う。それは
軍人だけではありません。これは
軍人ということよりも、
日本人として過去にやったその
自分の
功績というものに対し、
金鵄勲章や一時金、
年金であがなえるものではありません。そういうことから見ると、きわめて
政治的性質の強い
法案を出して、しかもこれは
議員立法として出されている。私はそれほど
日本国家の
悠久性の
維持のために尽くされたそういう
功績があるならば、
政府提案として、そのときの
価値を
評価する
金鵄勲章の
復活にひとしいものを、堂々として私はいまの
民主国会に出してもいいのじゃないかと思う。それは出さない。
恩給法とは本質的に違う。そういうところに私はこの旧
金鵄勲章年金受給者に対する
特別措置法案に対しまして党をあげて
反対している
理由であります。七万円の金がほしいということじゃないのであります。
民主国会における、少なくとも
国家財政支出を伴うところの
法律案を軽々としてここで通すことは、将来
民主国家としての大きな私は危殆に瀕する問題がやがて起こってくる。こういうことからわが党は
反対しているのでありまして、この点はこの
法律案の
対象者も十分理解していただきたいと思います。
以上で私の
反対討論を終わります。