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野々山一三君 これはまださらに議論があるところですけれども、少し進みまして、積み取り比率を論ずるにあたって、いままでともう一つ変わった角度から見てみる必要があるのではないだろうかと思うのですけれども、考え方を聞きたいのです。
それは、いままで議論したのは
金額によるものですね、IMFベースですから。ところが、量でこれを一ぺんはかってみなければ的確なものにならないと思うのです。非常に大きなごまかしがここに出てくる。それはこういうことなんです。
昭和三十七年度における輸出量は千四百万トンである、大ざっぱにいうと。戦前の
昭和十年における輸出量は量目にして千三百万トンで、大体同じである。ところが、これに対する輸入というものは、
昭和三十七年度におきまして一億二千二百万トン、
昭和十年のそれに比較をしてみると、輸入量は三千万トン。いいですか、量目で見ると、輸入量というものは
昭和十年におけるそれと今日のそれと見ると約四分の一なんです。そういうふうに輸入がふえておる。ところが、
国際収支改善策を考える場合に次の問題が一つ起こってくる。それは輸入の運賃と輸出の運賃との比率であります。これは大体三対一になっておる、輸出が一、輸入が三であります。そこで、いまの実情を見てみれば、輸出入ともにその積み取り比率は、先ほど
金額で議論したように非常なアン
バランス、量目においてアン
バランスである。それは何かといえば、国際競争ができないような
状態における運賃が安いということの問題から、この両面から私は問題を取り上げてみて議論をしてみなければ、正しい
意味の海運収支の
バランスということをとるための策というものは出てこない。今日までの議論というのは、主としてこれは
金額——主としてじゃない、まるっきり
金額だけを論じている。つまり日本の船は、働いて働いて働いて運賃をかせいだつもりだが、実は
外国船によってまるっきり吸い取られて、しかも赤字になっている、こういう現象がある、まさに一対三が逆の一対三でありますから、一対六の比率に、六倍の稼働をしなければ対等にならない。その点における根本的な改善策を考えなければどうにもならない。
私は、先ほど次長の言ったベースでもう一つ議論をするのでありますが、意見を聞きたい。かりに
昭和四十五年の六三・六の輸出、六二・六の輸入比率、つまり両者つり合いがとれたと言われるのでありますが、そのときにおける日本船の稼働というものはものすごいものにならなければならない比率になる、今日の状況からいえば。たとえばフィフティー・フィフティーであった場合にどういうことが起こるかというと、輸出運賃総額を日本船に見れば、輸入運賃総額を日本船で比較をすれば、これは約三倍、さらにこれを
外国船があと五〇%を持ってくると計算するならば、ちょうど六倍になる。六三・六、六二・六という比率をもってした、わずか一%の違いでは、これは全然今日の運賃体系からもってするならば、あなたのおっしゃるようなぐあいに海運収支が収支とんとんになるという計算にはどうにもならない。これがいまの積み取り比率、量目から見るもの、それから運賃体系というものから見た計算になる。つまり六対一ということになる。この点について検討を加えた上で、いま次長が言われた答弁になったのかどうか。そこを、非常に問題があるところなんで、詳細に伺いたい。と同時に、また、その私の言う議論かうなずかれる——これはうなずかれないはずがない、今日の運賃体系をそのまま私はとってきたわけですから。一体、運輸大臣としてこの点についてどういう考えを持たれるかということを聞きたいのです。
さらに、それにつけ加える
意味で申し上げたいのでありますが、あとから議論いたしますけれども、専用船の航行範囲というものは非常にふえてきている。しかも、日本船はピストン輸送をやったといたしましても、片方は空船航行をやらなければならない。そういうことを計算すると、十二倍の運航効率をあげなければその答えは出てこないという計算になる。
そういう貿易構造の根本的な変化というものが起こっている。原材料の生産地の
異動あるいは相手国の変化というものによって、そういう非常な大きな決定的な戦前戦後の違いが起こっている。このことをながめてみなくて船をふやしてみたところで、これはからの船を走らかして、そうして十二倍の稼働効率をあげなければつり合いがとれないということになっている実情を御承知なのか。私は御承知のはずだと思うけれども、それにメスを加えて、いま次長が言った答えになったのか。どうするのかということを、ひとつ大臣のお答えをいただきたい。これは運賃政策そのものになりますから。