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田中一君 東照宮というのは、これは何でしょう。東照宮というのは国のものじゃないでしょう。これは土地収用法の悪用ですよ。これはほかにかわるべき道があるんじゃないですか。それを比較してどう金がかかるというんですか。金がかかるから私有財産を接収するんだということは、政治じゃないですよ
——民主政治じゃないですよ。これは天皇制の時代ならばどうか知らぬけれども、天皇制の場合ならもっと悪かったかしらぬ。とにかく、そういうことだけでは解決にならないのです。おそらく、日光の中禅寺湖その他、奥が開発されてくると、相当開発もしております。
道路も、それだけの道じゃ、どうにもならぬ。もう少し、東照宮をどけたほうが奥地のためにいいんだということになる。これは、
三橋君、君も行っているでしょう。僕も行っている。あすこが、たとえ四車線になったとしても、それで奥地の開発された暁には、間に合うものじゃないです。これは、やはり将来を考えて、そういう私有財産に対して手を加えないで、別の路線を発見すべきが当然です。その比較線というものはどういうものか、どのくらい金がかかると言っているのですか。将来、この
道路を何車線にして、これができ上がって、もっと奥地が開発されれば、もっと人間は行きます。相当よくなっておりますから。その場合にまたやるということは、いつも
政府がやっている
仕事です。十年前に区画整理をやって、また今度のように
道路の拡幅をやるなんということは常にやっている。もっと抜本的な、百年、千年の大計を立てるということにならなくちゃならぬと思うのです。ましてや、こうして、記念すべき造営物に対して、それを破壊していくなんという考え方は、これは文化人の持つべきものじゃございません。自然というものはどれくらい美しいものか。日本では自然をこわしているのです。たとえば芝公園をごらんなさい、芝公園を。われわれ幼い時分には、あすこへ行って楽しんだものです。いま、何ですか、
東京都政の悪いところか、それも占領軍からの間違いを受けて、そして払い下げをしている。思想的には同じなんです。芝公園をああいうように、せめてものいこいの芝公園を、いまじゃどうなっていますか。とんでもない大きなホテルができたり、上野公園をごらんなさい。飛鳥山をごらんなさい。ことごとく公共の名において、都民のほんとうのいこいの場所というものをこわしているじゃありませんか。最たるものは多摩川でしたよ。これは反省して
中止したというからいいけれども、この東照宮の問題にいたしましても、何車線をつくるかしらぬけれども、おそらく、これは足りなくなります。また奥地の開発のために産業的な
道路を必要とする時期が直ちにまいります。それが
行政面に与えられた良識なんです。その良識から発するところの、あすの社会のために行なうのが、真の国土
計画なんです。収用
委員会にかけているからといって、得々としているなんということは、国土を担当する
建設省の態度じゃない。だめですよ。
白浜さん、
政務次官、実際、あなた行って見てください。そうしてあの奥の開発されておる状態、今度、あれから藤原を通って、それから那須のほうにも通ずる国道があるのです。できた場合には、あの狭い日光の神橋の前を、どのくらい拡幅したって間に合うものじゃなくなってくるのです。これは県庁とか
建設省とか、そうした役人がすべきものじゃないのですよ。もっと文化を愛し、歴史を愛するという、民族の誇りというものが、やはりここに政治の面から浮かび上がってこなければならないのですよ。一体比較線というものがどれだけ金がかかって、どうなろうとしているのか。大資本や大産業のためには大きな投資をしている。港湾にしても何にしても大きな投資をしている。国民の一人一人の心の中に住んでいるというこの日光のこの姿を、そういう形で破るなんていうことは、これはもう民族の敵ですよ。国民の敵ですよ。これは許されません。いま
三橋君が収用
委員会にかけているなんてうそぶいている。並行線がどのくらい金がかかるのです、どこなんですか、ちょっと
説明して下さい。