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国務大臣(宮澤喜一君) 新聞などで報道されておりますことは、概略正確であると存じております。概括的に申しまして、ちょうどわが国の
国内で
経済が
発展してまいりますと、
所得格差あるいは地域格差の是正の要求が出てまいりまして、これが取り上げなければならない大切な問題になりつつあるというのと同じようなことが、第二次大戦がありまして、その後に独立をいたしました多数の国、しかも第三次大戦がおそらくないであろうといういわば
世界の繁栄の中において、それらの国々から地域格差、
所得格差是正の声が上がってきて、そうして、彼らの
考えでは、その格差是正の要求は、
自分たち以外の
先進国においても、
世界というコミュニティーの中で、
先進国も当然にこの解消のために努力をする
義務がある、基本的にはそういう声のように受け取ってまいりました。で、それに対しまして私の感じましたことは、それはやはり
国内においてヒューマニズムの
立場から、そういう問題を取り上げなければならないのと同じ意味で、基本的にはヒューマニズムの
立場で真剣に
先進国も
考えなければならない問題である。基本的にはそういう問題として理解をいたしてまいったわけであります。で、さらに具体的に申し上げますならば、プレビッシュ氏は、それらの
後進国の要求をかなり強い形でプレビッシュ報告に出しているわけでございますが、しかし、現実には、いわゆるその格差というものは、
国内でも
世界でも長い歴史の産物でございますから、急速にこれを解消することはできない。やはり、かなり長い年月をかけて段階的にやっていかなければならないということは、プレビッシュ氏自身も認識をいたしておるようであります。ただ、低
開発国の中で非常にそういう強い声がございますので、それを、かなりあのようなきつい形で表現をしたのではなかろうか、こういうふうに
考えるわけでございます。で、具体的に各低
開発国が共通して申しますことは、いわゆる一次産品等々の交易条件を改善をしてもらいたい。そのためには、これを買い受ける側において一定量の数量について何かの形でコミットメントを与えてもらいたい。そうしてまた、買い上げの価格を相当高いものを約束をしてもらいたいといったような一連の希望、それから、それらの製品並びに低
開発国の一部で
生産しております軽工業品等につきましては、関税上の特恵を低
開発国に対して
先進国は与えるべきであるといったような要望、また、一般的に現在のこのような格差是正に対して低
開発国は補償というものを要求する権利があって、したがって、
先進国側はそれに対して何かの形で償いをする
——償いとか補償とかという意味は実は最後まで明確にはなりませんでしたが、思うに、やはりそういう低
開発国側に格差解消を要求する権利があるといったようなことの裏側としてそういう表現が出てきているように感得いたしましたが、そういう要求、その補償によって低
開発国側の開発をはかっていく。大体このような点が主たる要求であり、そうして、これらの問題を解決する機構としては、在来の
ガット等では本来不十分であり不適当であるから、新しい機構を設けるべきである。ほぼ、これらのことが低
開発国の共通した主張であるように感得をいたしました。ただ、その中で、低
開発国の中でも、アフリカのきわめて新しいしかも小さい幾つかの国のように、全く一次産品、限られた一次産品にたよっている国もございますし、インドあるいはパキスタンのように、軽工業品についてはすでにある
程度生産、
輸出の態勢を整えておる。したがって、それらの
輸出について
先進国が考慮すべきである。むしろ、そちらに重点を置いている国もございまして、その間の利害は必ずしも同一ではないように感得いたしました。私ども
日本政府といたしましては、基本的には、このような低
開発国側の希望、要求に対して同情を持つということ。次に、したがって、これは特定のグループ対グループの問題ではなく、いわゆる
先進国が一致
協力してこの低
開発国側の要求を満たすために長期的な努力をする必要があるということ。また第三に、低
開発国側の要求の中には、あまりに性急であったために、かえってその
目的を長期に見ればそこなうと思われるような点がある。それは、たとえば、一次産品をできるだけ高い値で買ってほしいというような要求は、ともすれば、それに対する代替品が工業的に
生産が可能になるというようなことになり得ますので、そういったようなことについても、それを低
開発国側にもよく
考えてもらわなければならないというようなこと。第四に、わが国は幾つかの国に対して開発
輸入というようなことを試みておって、これがある
程度成功する公算が高いので、こういう方式も
考えてもらってはどうかということ、このようなことを申しました。
また、こういうような問題を解決する機構としては、現在の
ガットがそのまま現在の形でこれに適応するものとは必ずしも
考えない。しかしながら、これと対立したような意味で大きな機構を
考えるということはいかがなものであろうか。この種の総会を定期的に開き、その間を小ぢんまりとした事務局が作業を先に向かって進めていく、そういう形くらいが適当ではなかろうか、このようなことを申しました。
なお申し落としている点があるかもしれませんが、それは補足させていただきますが、概して、そのようなところでございます。