○江藤智君 いろいろ御
努力をなすっておるようでございますが、私は、こういう社会だったら、なるほど
科学技術が進歩するという気持ちを強くしたこれは一例でございますが、何とかこういうひとつ世の中をつくるようにやりたいものと、この例を
一つ申し上げますというと、まあ十数年前でございますが、終戦の講和条約の直後、私がドイツに参りましたときに、これは
科学技術に何にも
関係のない人が私を案内したのでありますが、ある町かどで自動車をとめたのです。そうしてわざわざ私をおろして、ひとつこれを見ろというので見ますというと、棒のようなものが銅像になって立っているわけですね、そうして何だろうかと思うと、彼が
説明するのに、これがオットーが最初につくったディーゼルエンジンのかっこうを記念のために銅像にしたものである。これがとにかく
世界で最初のディーゼルエンジンなんだけれども、よく見ておけというわけで、非常に誇りを持って私に話したわけですね。これは
技術者の人がそう言うのだったら、それほどに思いませんけれども、全然そういう方面に
関係のない人が、最初にディーゼルエンジンがここでオットーによってつくられたのだ、しかもこれはドイツ民族の誇りだというような姿で
説明された。いわゆる国民生活の中に
科学技術というものがしみ込んでいるのですね。これは非常に長い歴史がある国でございますから、
日本の国が一朝一夕にそこまでいくということも無理でございますけれども、ほんとうに輸入の
技術でなくて、
日本の
技術を育てるためには、そういうまず社会環境をつくらなければならぬ、そのためには、たくさんの方法、あらゆる工夫をこらさにゃいかぬと思いますけれども、私はやっぱり国民が子供のうちから、あるいは家庭の中に、
科学技術の思想、そういうものをどうしても入れなければいかぬ。そこでお伺いしたいのは、
科学技術庁として、
文部省の教育方針といいますか、そういう方面にも
科学技術的な
考え方をするようにどういう働きかけをやっていらっしゃるか、あるいは
技術者の先ほど次官が言われたような待遇の問題についても、どういうふうにはかられているか、あるいは
科学技術者の数ということも非常にやはり大切になるのでありまして、
ソ連あたりでは御承知のように非常にたくさんの
科学技術者を養成をしておりますけれども、そういう方面について
科学技術庁としてはどういう
努力をしていらっしゃるか。少しこの
センターとは離れておるようでございますけれども、そういう根本的なことについてお答えを願いたいと思います。