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政府委員(
比田正君) ただいまの問題三件につきまして、一括してお答えいたします。
第一の、
名古屋港の防波堤の入り口の幅の問題でございますが、この幅の問題を申し上げる前に、若干その防波堤が必要になったいきさつを申し上げたいと思います。
御承知のとおり、昭和三十四年の九月の伊勢湾の台風というのは、未曽有の大被害がありました。多数の貴重な人命も失いましたし、財産も失ったわけでございます。そこで、そのときには、
政府は
法律を設けまして、昭和三十四年台風第十五号により災害を受けた伊勢湾等に面する地域における高潮
対策事業に関する特別措置法という、非常に長い名前でございますが、
法律までつくりましてこの復旧を急ぎましたことは、御承知のとおりでございます。そこで、
名古屋港をこの高潮から守りますためには、
名古屋港の入り口のところに一直線に防波堤をつくる。普通の防波堤というのは波を防ぐだけでございますが、この防波堤はあわせて高潮も防ぐということで、名前は防潮防波堤という名前にいたしまして、延長八キロにわたりまして、知多半島から鍋田沖まで結んだわけでございます。で、この工事をきめましたときには、何分にも多数の人命も失って、現地では非常に興奮
状態にありまして、一番の問題はまず人命の保護ということに最
重点が置かれたわけでございます。そこで、この
計画をつくりましたときには、
運輸省だけでいたしたのではございません。大蔵省のあっせんがございまして、
関係諸官庁、すなわち大蔵省、経済企画庁、農林省
——これは鍋田干拓との
関係でございます、それから
運輸省、建設省は後の防潮堤の
関係もございまして、これと学識経験者を寄せまして、この
計画はよろしいということに幅を合わせましてきめたわけでございます。そこで、
港湾のほうといたしましては、
運輸省の
港湾審議会がございますので、そのほうにも付議いたしまして、原案どおり可決いたしまして、ただいま鋭意工事中でございまして、総工事が約百八億でございますが、九〇%この三月に終わるわけでございます。
したがいまして、その入り口の幅の問題でございますが、入り口の幅は、本港路の入り口は三百五十メーターということになっておりますが、これは底幅でございます。それから副港
——もう一つサブの入り口がございますが、これは五十メーターということで、この
計画できまっております。この幅にいたしましたのは、高潮の侵入を防ぎますために入り口をかなり狭くしぼっております。そこで、このせばめたために高潮が減るということを前提にいたしまして、農林省のほうも建設省のほうも取り急ぎまして、防潮堤をすでに完成しておりまして、したがいまして、この防波堤が一応完成、われわれとしましては、各省ともお約束どおりにこの入り口の幅をきめてありましたので、このとおりに施行いたさなければならぬという義務がございます。
そこで、その後の港内の様子を申し上げますと、港内は非常に広いのでございますけれ
ども、その広い中の西側のほうと東側に埋め立て地ができることになっておりますが、東のほうの埋め立て、東海製鉄を
中心としましたものは、ほとんど八、九分どおり埋め立て地ができております。それからただいまは鍋田地区のほうの埋め立てを施行中でございます。この鍋田地区の埋め立てがだんだん進みますと、もはやその後では非常に安全になりますが、建設省のほうでも、それがある程度の高さに達すれば入り口を広く広げてもよろしいぞということをおっしゃっておるわけでございます。そこで、その時期はどうかということになりますと、
あと一年半か二年半の間でございます。最も危険なのは、入口が狭くて困るというのは潮の流れの問題でございまして、これは彼岸の潮が一番強いものですから、春秋の彼岸のころの潮干狩りのできるようなあの時節のときが一番流れが早くなる。これは年に二回ございます。二年間といたしましても、四回ございます。毎月干満の強いのは二回ございますけれ
ども、これはたいしたものではございません。最大のときに大体四ノットぐらい出るだろうということになっております。そこで大きな船はそれでいいのですけれ
ども、小さい船が困るという問題がある。だんだん防波堤が締まってくるにつれまして起きてまいります。昨年あたりからその問題が非常に強く言われまして、いろいろな御要望がございました。特に、この機帆船組合の方は、大体この沿岸に八百隻ほどございます。けれ
ども、そのうちで五十隻ないし六十隻は非常に小さいものでございます。大きいものは大体そういう潮が強くても入れるのでございますが、小さいのはそうはいかないというような状況になったわけでございます。そこで私
どもは、建設省のほうに、ひとつこれを締めないでこのまましんぼうしてもらえないだろうか、そうすれば、
あと一年たてば、もう埋め立ても急いでやりますから、まあその間には伊勢湾台風のようなものは来ないから、百年に一回ぐらいだということを相談いたしましたのですが、それは困る、万が一にも来るというようなことがあるじゃないか、それは最初の約束のとおりの幅に締めないで広げたままで工事をやるということは絶対に困るということで、なるほどそれもごもっともな
お話でございまして、そこでその案は取りやめまして、一応は既定どおり締めまして、西のほうが埋まり次第に取りはずしていく、そうして船も入りやすくなりますし、流れもたやすくなる、その間一年半あるいは二年の間はわずかな日数でございますからどうぞごしんぼうくださいますようということを、辞を低くいたしまして
関係者に相談いたしているわけでございます。しかも、その相談中にいろいろな問題がございましたので、その交渉をいたすときには、工事を全面的にストップいたしまして、誠意を示して交渉いたしました。その結果、最近では、いろいろな条件がつきまして、しかたがなかろうというふうに大体なりつつあります。それで、問題になりましたのは、こういう問題を建設省と相談いたしますときに、私
ども中央だけではできませんので、
港湾管理者というものがございますから、
名古屋港管理組合のほうへ相談申し上げたわけでございます。ところが、
名古屋港の管理組合のほうは、一部事務組合でございまして、県、市のほうから議員さんが出てまいっております。しかも、ここの事務
局長も、どうしてもそういう方に御相談しなければいかぬ。それが県会で質問があったということになりましたために、昨年
新聞に出たわけでございます。決して私たちは発表したものでないわけでございますが、そういう
段階を経て出てしまいました。それで、今度は広げないのだというふうに逆戻りしたというふうに非常におとがめをこうむりまして、その点についての不手ぎわにつきましては、中央で起こったことでございませんけれ
ども、所管官庁といたしまして私
ども非常に申しわけないと思っております。したがいまして、
あとの始末といたしましては、小船がとにかくわずかな時間だけ安心されるように入口付近に船だまりをつくってくれとか、あるいは信号所をつくってくれという御意見がございますので、これは全部そのとおりいたしたいということで、ただいま
港湾管理者のほうに
具体案の作成を命じております。したがいまして、この問題一応御了解を大体得たという
段階でございます。以上でございます。
次に、
横浜の米軍基地の問題でございます。これは、御指摘のとおり、米軍はいまなおかなりの地区にわたりまして接収いたしているわけでございますが、戦後は全面的に
港湾施設を接収いたされましたのを、今日までに至りまして、先刻も
お話し申し上げましたように、七、八バースのところまでこぎつけたわけであります。私
どもはできればもう少しねばって交渉いたしまして、もっと返してもらいたいわけなんでございます。その話がきまらない前に代替地をつくってやるという約束をいたしますこともいかがかと思いますので、中央の考え方といたしましては、もう少し現地を通じましてがんばれるだけがんばって、要らないものは返してもらって、それでも足りない最小限度のものを代替地をつくったらというふうに考えております。したがいまして、いますぐここで代替地をつくればオーケーだという案に賛成いたしますと、返してもらっていいところまでつくってしまわなければならぬおそれが若干あるわけでございます。その点がなくなりますれば、お説のとおり、ノース・ピアの裏側のほうにはまだ埋め立ての
計画がございますし、余地もございますので、この辺あたりを埋め立てて、一括してどいてもらったらというふうにも考えております。
ただいまのモーター・プールの
お話でございますが、モータ・プールはどこにありますか、私も詳細……。