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帆足分科員 ファーブルの「こん虫記」という生物学の本がありますが、「にっぽん昆虫記」は以前になくて、この二ヵ月ばかり前にできた。技術上はそう優秀ではありません。しかし、心持ちは優秀な映画で、今度は国内の文化賞みたいなものをもらった名画です。映画技術としては、そうすぐれてはおりません。しかし、
厚生大臣は、やはりああいうものを見ておく必要がある。というのは、三千万を過ぐるボーダーラインの層がおるんです。その人たちの論理と倫理は、われわれとの間に断層があるのです。普通の倫理と論理の通用しない世界に住んでおる。その同胞たちのためにあたたかい手を差し伸ばすのは、文部
大臣がへ理屈を言うてみたところで、
予算の裏づけもなく、家に帰れば
住宅難、交通事故、すし詰め教室、愚劣きわまる試験地獄、そういう状況のもとで人つくりなどと言っても、私はほんとうにへそが茶をわかしはしないかと思って心配するく
らいです。その一番つ
らいところをいま引き受けているのが厚生省です。ですから、最初皆さんのお気にさわることを言いましたけれども、皆さんの今後の御努力と勇気を大いに期待するわけです。また、
小林厚生大臣が、
医療問題の解決のために誠意を持ってお骨折りをしておるその御苦労のほども、新聞等で察知しております。戦い敗れた当時に、日本を復興させるために、どこかの層が犠牲にならなければならない。最初は、かつてわが世の春であった地主が犠牲になりました。貴族は没落し、そして農民には、ほとんど無償に近い値段で土地が与えられました。また、工場は一部しか動きませんから、当然株の配当もありません。株は暴落しました。当時、三菱重工の株は十一円になりました。あのとき買っておけばよかったと思うく
らいであります。同時に、健康保険
制度は、かつては筋肉
労働者だけに与えられておりましたのが、やがて広範な層を包含するようになり、そうしてそのまま民衆の
生活の安定にこれが寄与しますために、何千というお医者さんが犠牲となって今日に至りました。終戦直後は地主、株主が犠牲になり、そしてお医者さんです。健康保険のおかげで、われわれもまたどうにかしのぐことができました。昔は、ホワイトカラーは健康保険に手がつかなかったものです。健康保険証をもらっても、出すのが恥ずかしかった。いまは、三等重役になってもやはり健康保険の恩恵を受けております。私は議員でありますけれども、奇妙なことに、議員は歳費値上げにはやや趣味をお持ちのようですけれども、健康保険
制度はありません。ここに医局というのがあって、名医と名医でないのとまじっておりますけれども、しかし、大事な
病気のときにはその次局に行くわけにはいきません。わが家でする。そうしますと、健康保険
制度がありませんから、議員は
病気をしたときに非常に苦労します。友だちによっては、しかたがありませんから会社の嘱託になりまして、五、六千円の月給をもらって健康保険についでに入れていただいておる、または国民健康保険のお世話になる、そういう事情です。健康保険というものが国風にとってどれほどとうといものであるか、大切なものであるか、もうこれを旧に戻すわけにもいきません。したがいまして、問題は健康保険をもっと合理的、実際的なものにし、お医者さまはその天職に励み、科学を進歩させ、
患者もまたその恩恵に喜び、そしてすべてが円滑に、合理的に行なわれる、こういうふうに持っていく以外に道はないと思います。終戦後、いまや資本は戦前の四倍、満州、朝鮮、台湾をなくしたのに生産は戦前の四倍をこえようとしております。驚くべきことです。そのために地価は暴騰し過ぎて、都会の地主はその富を満喫しました。株はどんどん高くなりまして、よく未亡人諸君の中でも、株でもうけたのもおります、損したのもおりますが。株でもうけたといいますが、これは株でもうけたのではありません。これは評価がえでもうけた。あの株式取引所というのは凶悪な
組織であって、大衆が損をするようになっておる。ときどき鯨が出てきてぱくっと愚かなイワシを食らうのが株式市場ですが、いままでは評価がえでもうかったのです。こうして株主は救われ、地主は救われた。しかるに、お医者さんの
生活はどうか、医者だけが取り残されておる。なぜ取り残されたか。下ではインフレーションがあって、国民は総体的に非常に貧乏です。驚くべきことには、
役所のすみでは、都会の
労働者は戦前の水準を多少上回った
生活などと言いますけれども、何という愚かな
数字であるか。池田さんが
数字に強いとよく言いますが、
社会党の同士諸君が、やはり経済学にうとい証拠であるのかもしれません。池田さんは税の問題には強いけれども、税務署の
仕事と経済学というのは、これはあまり深い
関係はない。アダム・スミスの諸国民の富では、諸国民の国富をふやすというように古典的経済学者は全力を注いでおりまして、かつてボールベアリングの社長で有名なスウェーデンのSKFの社長が戦争の最中に来たときに、ナチスによって失業者は救われたではないか、ナチスは
社会保障を充実しておるではないか、案外いいではないかという
質問が出たのに対して、彼はこう言いました。それは軍事費によってまかなわれておることです、軍事費のおこぼれによってフルエンプロイメントになっておる、したがって、究極の果ては戦争にいく、人の心を豊かにし、人の
生活を豊かにするための経済ではなくして、軍事費の間接的恩恵によってフルエンプロイメントになっておる、問題は、人間の経済学の目的は、平和に人の
生活を豊かにし、心を豊かにするのが正統な経済学者の志したことです。資本家の代表のSKFの社長さんのことばでありましたけれども、当時、自画の全学連から出たばかりのマルクスボーイの私でありました。マルクスボーイとしてはおとなしいほうのマルクスボーイでありましたが、私はその資本主義的古典的自由主義者のことばに非常な感激をしました。経済学の目的は、平和と人の
生活を豊かにし、心を豊かにすることである。涙が出るほどの感激を私は覚えました。厚生省の哲学も、私はこのようでなくてはならぬと思っております。ところが、今日の
医療制度においては、
患者の側は
生活が苦しいものですから払うべきものが払えないし、また、多少の利己心もあってなかなか払おうとしない。ベースアップされても、健康保険の料金が上がることはあまり好まない。もちろん、貧しい人たちにとっては一そう切実なことでしょう。しかし
労働者といえども、時にはバーに行って一ばい飲む。一ぱい飲めば二はい飲む。二はい飲めば四はいぐ
らい飲む。すると五百円も千円もかかる。しかし、お医者さんには払おうとしない。まことに心がけの悪い点もわれわれ勤労者にあるわけです。
〔古川
主査代理退席、
主査着席〕
中間には厚生省というものがおりますが、内務省の残党の集まりのせいか、まことに――失礼だったらお許しください。それとも心がけを入れかえて、いまでは新憲法のもとに護民官として人民の福祉を考えている皆さまでしょうか、きょうは外務
委員会からのこのこ出て、皆さまのお顔色を判断して御
答弁を伺って、場合によっては体温計でひとつ皆さんの体温をはかって、人類の体温であるか、または八月十五日前の爬虫類の体温であるか、それを伺いたいと思って参りました。
第三には、
大臣の御努力にもかかわらず、厚生省当局の皆さんが大蔵省に押えられて、そして
予算が取れない。大体、大蔵省というのは質屋のなれの果てだと最初申しましたけれども、一面そういう伝統がある。いまはそうでないでしょう。しかし、それが全然ないとは私は言い切れないと思うのです。したがって大蔵省の諸君はよく聞いておいてください。その上、通産省は産業を大事にし、農林省は農民をひいきする。ちょっとひいきし過ぎるぐ
らいひいきする。しかるに厚生省だけは、どういうものか、
患者や医者や身体障害者をほんとうにひいきしているかどうか、私は疑問だと思われる節がある。われわれに疑問だと思われるのは、皆さんひいきしているのでしょうけれども、ひいきのしかたが足らぬのじゃないか。時としては、医者と
患者を敵として、上から監督行政を検察官のごとき態度で臨んでおるのではないか。われわれ外務
委員、平凡な市民の心にはそう映る節がある。その辺をよく考えても
らいたい。皆さんが貧しい人の友であり、護民官でなければならぬ。保守党の中では、諸君は急進派でなければならぬ。もし与党、保守政党の自民党が
社会福祉に対してほんとうに熱意を注がれたならば、われわれも非常に安心です。
社会党が政権を取るまでにはまだ相当の日数がかかります。
社会党はまだ成長の過程にある党です。武士階級が平将門、蜂須賀小六の時代から織田信長、豊臣秀吉の時代になるのには、百年の歴史がかかっております。武士階級の勃興においてすらしかり、働く
労働者が政権を取って回天の偉業をなし遂げるまでには、精神内容が不足なために、時には大きな声を出したり、二人か三人代表が会えばいいところを五十人ぐ
らいわっと押しかけてみたり、いろいろなことがあると思うのです。しかしそれは、すべて成長するものの過程だと私は思っています。
そこで、当分の間は保守政党がまだ政権を担当するならば、われらの子供たちは、富める者の子も貧しき者の子も、自民党の諸君のよきお子さんも、われらのやんちゃ坊主どもも同じ小学校で一緒に肩を並べて勉強しているわけですから、ひとついい政治をしても
らいたいと思います。子供たちを安心しておまかせできるような政治を、お互いに
責任を担当したときはやらねばならない。それに対して私どもは厚生省の現状に不満です。どうか、
小林厚生大臣は縁あって、また志あって
厚生大臣になられたのでしょうから、大いに蛮勇をふるって主張すべきところを主張して、そして国民のしあわせのために一番大事な省であるという自覚を持って御奮闘願いたい。
厚生
委員の
方々は、それぞれ志ある有能な
方々がなっておられますから、もう日ごろ
質疑応答を尽くしておられると思いますけれども、森におる者は木を見て森を見ずとよくいいますから、かえってわれわれのように外務
委員をしておる者が、世界を旅行し、外に世界の情勢を展望していますが、卒然として内に国内の実情を見、日本の
厚生行政の状況を見るときの印象は、おのずから切実な感があります。われわれは眼下の日本にこん虫物語、多くの残酷物語の惨たんたる実情を見ております。私は一人の
社会党員であり、
社会主義者であるのですけれども、
自分が貧乏で
社会党に入ったのではありません。私は、
自分が裕福でそして豊かに育てられて、そして貧しい者の
生活を見て見るに耐えず、人は能力によって多少の相違があることはやむを得ないと思いますが、このような残酷物語だけはごめんこうむりたい、また、きょうわれは有能であり、健康であると誇っても、孫に
病気の子供が出ないとも限らない、娘が未亡人になって
生活保護法に助けを求めないとはだれも保証できません。それらのことを思うても、厚生省は非常に重要な省である。
さっそくですが、時間が限られておりますからお尋ねしたいことは、こういうことで、とにかく健康保険
制度は取り残されておる、
患者も困り――お医者さんが困っておって、
患者が究極的にしあわせであるわけはありません。したがいまして、健康保険の
制度に対してはこの際徹底的な再検討が必要であると思います。いま医師会も意見が分裂して、そして従来激しく迫った武見さんに対して、もう少し話し合いでもっていこうではないかというような意見のニュアンスの相違があると思いますが、厚生省当局が、医師会の中に意見の相違があるからといって、その間隙に乗じてうまくやろうなんという、そういうさもしいことをお考えになったら、それは認識不足であって、それは小さな問題です。とにかく健康保険
制度に根本的な矛盾と欠陥があって、これをひとつ総合的にともに直そうではないかということが、今日の共通の課題だと思うのでございます。
日本の
厚生行政は、もと救貧法から始まっておりますので、その伝統がどうしてもついておる。おそらく厚生省のお役人も給料が安いのではないかと思いますが、救貧法に手が触れますと、どういうものか給料が安くなってしまう。
社会福祉の美名のもとに、実は日本の
社会福祉は全部救貧法にすぎない、これが根本だと思うのです。徳川家康の生かさず殺さずというさもしい思想、へぼ哲学は、いまでも厚生省の中に残っておるのではないでしょうか。ですから、朝日裁判などという痛ましい裁判が行なわれておる。諸君はあの裁判をどうお考えになっておられるか。人が極端な不幸な
状態になる、たとえば
病気になる、身体障害者になる等々は、それは必ずしもすべてがその人の
責任ではありません。重要な部分は、その人の
責任である部分もあります。しかし、すべてがその人の
責任ではありません。したがいまして、救貧法というものを、単に見るに見かねるから適当に処理しておけということではないでしょう。同じく同胞としての愛情と基本的人権の尊厳の上に立って、憲法はできておるわけです。ですから、私はこれは、第一はやはり心がけの問題でないかと思うのです。厚生省に迫力が出ず、大蔵省あたりから
予算を取ることができない。その道徳的迫力がないのは、厚生省の伝統に、哲学的に何ものか欠けているものがあるのでないかと思います。したがいまして、どうか皆さんにおいては、人類の歴史の最もすぐれた歴史である愛情の歴史――愛情はこれは大脳の作用からきている。ヒューマニズムの歴史、理性と科学の歴史、その伝統を背負う厚生省であっても
らいたいとわれわれは希望する次第です。
さっそくですが、まず第一に、健康保険法は総合的見地から再検討されつつあると思いますが、それについての基本的考え方を
厚生大臣から承りたい。
時間がありませんから、第二に、私は支払い基金
事務所へ行って驚きました。とにかくもう五十、六十の老先生たちが、一週間もあの試験の伝票のようなものを繰っているんです。しかも冷房装置もない場所でした。八月の末に行って私は驚きました。これはその伝票を引き受ける先生も実に忍耐力過剰だと思いますが、一日の日当七百円か七百五十円で、一週間もこういうつまらぬことに一流の医者が時間を費やしている。その書き込みをするために、また家族総動員でお医者さんは書き込みをし、最後の月末には、二、三日は奥さんも手伝って、夜の九時から夜中の三時ごろまで手伝ってやっておる。私はこの伝票をあらかた見まして、統計学者としてもっと合理化の余地があると思います。これは専門家とお医者さんと相談してもっと
簡素化して、そして審査ももっと簡単にできるような方程式に改むべきだ、また一定の
金額以下のものは、記入の必要のない事項などは相談して省いて、もっと簡素なものにし得ると思います。すなわち審査伝票及び審査方法を
簡素化するための
委員会を設けて、その
委員会は、役人式考え、また警察式考えでなくて、良識ある考えでやっていただきたい。中には文化人を入れるのもいいし、
委員の中にジャーナリストを入れるのも案外いいかもしれません。
第二には、インターンの問題です。実は私のむすこもいま医者を志しておりますが、
帆足さんのところのお嬢さんはみな東大に入っているのに、坊ちゃんが医者に入ったとなると坊ちゃんは少し成績が悪いのじゃないか、こう言われます。医者になるのは少しばかな子がなる、気のきいた子はもう医者にならないというようなことすら一部の俗物が言うような世相は、まことに私は残念なことだと思うのです。杉田玄白だけでなくて、昔から最高の秀才が医者を志したものです。日本にはそういう伝統があって、日本の医学の伝統というものはすぐれております。私は
質問もいたしますけれども、議員の任務は
質問をする下やっこでなくて、
自分の意見を国民にかわって述べて、国民に訴え、皆さんの参考にしていただくのが議員の見識である、こう思っております。したがって、意見も述べ、そしてお答えも聞きたい。それで学校を出てインターンという
制度があることは、私はやはり臨床が必要な以上必要、だと思います。しかしインターンがはたして教育なのか、それとも無償奴隷
労働であるのか、その哲学も明確にしても
らいたい。そして教育の一環であるとするならば、今日の心しい状況、学生の非常に多くの部分が奨学金をもらわねば学校へ通えない状況のもとで、インターンが教育の一端であるならば、これは実習教育に属している部分と、それから
労働をしている部分と両方あると思うんです。また経済
生活においても、奨学金、それから
住宅、食糧、栄養、体位、余暇、それらのことを勘案して厚生省が方程式をつくって、病院に示す必要があると思うのです。従来そういう指導が明確を欠いておる。今度新しい方程式を私も一通り読みました。しかし非常に不十分なものです。
住宅についての配慮、食事、余暇、それから実習教育についての指導要綱の配慮、いずれもまだ不十分です。それから一万円貸与すると言っておりますが、いま博士課程、修士課程の大学院の学生にすら一万円、一万五千円出しておりますが、これは実際の
労働、診療しているわけですから、一万円では私は少ないと思います。しかも医者の修学年限は長いわけでありますから、再検討なさる
意思があるかどうか。インターンに引き続いて無給局員の問題が起こっております。無給局員の問題は、これは数年にわたります。この問題も、また同じような問題をはらんでおることは御
承知のとおりであります。私は、医学の名のもとにおいて中世さながらの徒弟教育、奴隷
労働が行なわれておることを驚きます。そういう状況を十数年もほっておいた厚生省当局の
局長さんたちの顔色というものは、どういう顔色であろうかと、きょうは拝見に参った次第です。
それから健康保険
制度をしろうととして見ますると、やっぱり
医療技術というものに対する評価と投薬というものについての、つまり経営を維持するための一環としての投薬、二つがまだこんがらかっておるのはやむを得ませんけれども、
医療技術に対する認識というものがやはり不十分である。だれが見てもそう思います。それからもっと重要なことは、今日、こういう問題を解決するのは
一つの方法だけではだめです。総合的方法が必要だと思うのです。たとえば学生ならば、教育の指導と同時に
住宅とか余暇を与え、奨学金を与え、それから
医療機関であるならば、単に
単価だけでなくて、技術、そのほかに医師が病院をつくる場合、病院は別心ではありません。しかも今後は不燃建築にせねばならぬでしょう。