○川俣
分科員 私は、第一に中央卸売
市場のことについてお尋ねをし、第二には肥料二法案の問題についてお尋ねをし、第三には
農林省の農林統計について、その充実をはかる必要があるだろうという点についてお尋ねし、第四に国有林のあり方並びに民有林等の構造改善事業についてお尋ねをしたいと思います。
そこで、先に
質問を全部並べますから、
答弁は文書でもかまいませんからお出し願いたいと思います。
第一は、中央卸売
市場の目的は、私が申し上げるまでもなく農産物及び水産物の価格の形成及び売買の取引を公平にして公正価格を保持することによって農産物の
生産及び流通を円滑にして、もって国民経済の適正な運営に資することにあるのであります。このために
市場ができておりますが、先ほど加藤委員が
大臣に対して、ノリもやはり公正な価格を形成する必要があるのじゃないかということでお尋ねしたようでございますが、適切な
答弁がございませんでした。そこで私調べてみますと、中央卸売
市場には魚類というものがありますけれ
ども、水産物という表現がないようでございます。魚類に水産物も含まれておるのかどうか、いろいろな辞典を調べますと、水産物の根幹をなすのは魚介類であるという説明がありますが、魚類で全部の水産物を代表することはできないようでございます。魚類というものは、普通生物学的には動物性のものをさすようでございますが、海草類などは植物性であります。また、これらのものを養殖することも水
産業の中に入るようでございます。また簡易な加工物も水
産業に入るようでございますが、今度は魚類ということになってまいりますと、かまぼこのようなもの、ノリ、あるいはコンブのようなものは取引の対象にならないようにも見受けられます。そうすると、これは国民の消費経済に与える
影響の大きい
市場を形成して、適正な価格を形成して、水産物及び農産物の流通の円滑化をはかろうとする
市場の目的に反するのではないかと思うのでありますが、
答弁を待っておると時間がかかりますから
答弁はあと回しにします。
次に統計のことでございますが、農林統計が充実しておらなければならないと思うのであります。特に農業の構造改善事業による近代化の方向というものを進めながら、その基礎になる
調査が不十分である結果、構造改善事業が失敗した例がたくさんあります。構造改善事業が失敗したのではなくて、基礎
調査が粗漏であったための失敗ということになる。これが構造改善事業の失敗のように宣伝されておりますが、これは間違いでありまして、むしろ基礎
調査が不十分であったというところに基因すると思うのであります。そういう点から言っても、
農林省は基礎
調査をもっと充実する必要があるのじゃないか。ことに今日の農林統計を見ますと、旧態依然とした器具で、しかも設備の不完全なところで、いまだにそろばん勘定をやっておる。あるいは計算機を持ちましても、すでに十年以上経過して、がたがたであって計算機の科学機能を十分発揮できないような
状態。あるいは機動力が発揮できないような
状態で、災害が発生しても、てくてく歩いていかなければならない、あるいは自転車で行かなければならないというような、農村の近代化をはかる基礎
調査をするのにまことに非近代的な設備のもとに行なわれておる。これでは信頼度が薄くなるのじゃないか。特に今度私、農業所得税について大蔵省の見解を尋ねましたところ、
農林省の
調査はどうも適切でないので、税務署が独自の
調査をした結果、今年の収量は昨年よりも上回るということになったわけです。どっちがほんとうかは別といたしまして、せっかく
農林省が相当の組織を持ち長年の経験を持って収量の
調査をやってきた、しかも作報時代から農産物の収穫
調査につきましては、かなりの自信を持っておるといわれておる
農林省の統計が、同じ国の機関内において信頼されないということになったならば一大事だと思います。そういう
意味でももっと充実する必要があるのではないか。国内で全部あえて税務署が同じ国の経費を使って収穫
調査をしなければならないというようなことは、
農林省の権威にもかかるだろうと思います。農産物の
調査が大蔵省の税務署で調べなければ正確なものが得られないのだということになったら、
農林省の権威が全く失墜するだろう。そういう
意味でも農林統計の充実をはかっていかなければならぬであろうと思うのです。そういう
意味でのこの回答はあとに回します。
次に国有林の問題について触れたいと思うのでございますが、今日まで国有林が
——中には閣僚の中でも、国有林というものは林野庁が持っていて手放さないのだというような悪評もあるようでございます。しかしながら、私調べてみますと、明治二十九年、いわゆる日清戦争後に農村が疲弊をいたしましたときに国有林を九十一万町歩開放いたしております。続いて大正の八、九年ですか、年数ははっきりしませんが、二年か三年かかっておりますのではっきりしませんけれ
ども、いわゆる七、八年の農村の不況時代に、もっと正確なのは調べればありますけれ
ども、いわゆる農村の不況時代に三十二万町歩開放いたしております。また、これは政務次官覚えておるかもしれませんが、国有林でなしに、共用林ということで農民に使用させておいたことがございます。あるいは部分林、昔はこれは徳川時代からあったのですが、部分林と言いまして、国の土地あるいは藩主の土地を栽培する人あるいは植林をする人と分収をしたという利用のしかたもあるわけであります。必ずしも閉じておるようには私には思われないのでございまして、これらの面積は相当な数にのぼっておる。また戦後は開拓農地として、または適切な農地として国有林野が自作農特別会計で所属がえになった数は五十九万町歩に及んでおります。その五十九万町歩の中で約三十万町歩ばかりが、いわゆる農地として適当であるということで所属がえになった。あとの約三十万町歩はいわゆる特別法によりまして、合併促進法とかによりまして、売り払ったのが約二十万町歩、合わせて五十九万町歩ばかりあるわけでございます。時間がないから正確な
数字は申し上げませんが、そのように相当開放されております。
しかも、さらに農地の歴史を見ますと、
農林省がこんなことを知らぬわけはないのですけれ
ども、どこかに手抜かりがあるようでございますが、そういうことから旧地主の解放問題も出てき、国有林の開放問題が出てきたようでありますが、一体農民にいつから所有権が生まれたかというと、一八六八年、明治元年に初めて農民に土地の町有を許したわけです。許してはおりますけれ
ども、田畑につきましては売買禁止です。売買禁止が解かれたのが一八七二年、明治五年です。それから土地制度を見ますと、
北海道土地売買規則、国有地、荒蕪地の払い下げと十カ年の地租免除というのがございます。これで
北海道におきましては国有地を相当処分をいたしたのでございますが、処分はいたしましたけれ
ども、これは農地として利用されないで、ただ利権の対象になったために、規則を改めまして、
北海道国有地処分規則をつくりまして、土地売買規則の払い下げ制を改めまして、開拓の成功の後に払い下げもということに変わったわけでございます。すなわち、単なる払い下げは利権の対象になりまして、開拓の目的に沿わなかったために規則を改正したのが一八八六年の明治十九年です。