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川俣分科員 大体人事管理についてはこれで了解いたしますが、今後、世相がこんとんとしておりますときに、こういうところからかえって世相の混乱を助長するようなことになったのでは
日本の将来が思いやられるという意味で、あえて指摘をしたのでございまして、個々の人に対しては非常にこういうことを言うことは気の毒だということは十分察します。それだけに人事院も苦労しておることは十分認めまするけれ
ども、やはり世間の疑惑を招くようなことがあってはならないというところから
——人事院は誤解を受けているというのではないのですよ、こういう就職をすることについて
政府が無関心であるというようなことや、あるいは連動がうまくいったものが行をするというような印象を与えることを避けたいというのが私の質問の趣旨でありまするから、どうか、新しい仕事を人事院が背負ったことになりまするけれ
ども、せいぜいひとつ御奮発願いたいし、この指摘に基づきまして、
政府のほうも、申請する側におきましても
——大体これは許可になるかならぬかということは、わかっておるはずだと思います。申請してからあわてて取り下げたりなんかしておる部分もあるようですが、これはみっともないと思うのです。どうかこういう点につきましては、
政府全体として自粛を願って、
国民に範をたれてほしいということをお願いしまして、人事管理の問題についてはこれで終わります。
次に、総務
長官に
お尋ねをいたしたいし、官房
長官にも、もしお許し願えればおっていただきたいと思うのですが、旧地主補償の問題について
お尋ねをいたしたい。
この補償がいいか悪いかということはかなり論争になっておりまするから、いま私ここで取り上げません。しかし、問題の本質だけはわかっていただかなければならぬのではないかと思います。
法律によって自作農主義をとりまして、旧地主の土地を買収したわけでございます。これは
日本の歴史から見て画期的だともいわれておりますし、あるいは戦時立法だということをいわれておりますが、必ずしもそうじゃない。それは一つの例を引いてわかりやすくここで明らかにしたいと思うのですが、
日本でも、一八六八年、明治元年、戊辰戦争のとき、このときに初めて農民に土地の併有を認めたのです。それまでは私有権を認めていなかったのです。しかし、私有権は認めましたけれ
ども、売買は禁止しておった。一八七二年、明治五年に至って初めて太政官布告をもって田畑の永代売買の禁止を解除したということになるわけでございます。
日本の歴史から見ても、特に各藩の租税の中心でありました田畑の収入でございますから、かなりいろいろな制度が徳川時代からあったわけです。強権もあったろうし、かなりひどいこともあったろう。
そういう歴史を経てきているのであって、戦争になって、いくさに負けたから急に地主が土地をとられたというわけでは必ずしもないということなんです。特に戦後におきましては、未墾地強制買収などが行なわれたわけでございますが、これらをもしも放任しておいたならば、
日本の全体の発展というものはできなかったわけです。むしろ未墾地の解放によって農民の所得がふえ、今日のような経済成長を遂げ、購買力を旺盛ならしめた。その結果土地価格も上がったので、持っていたがゆえに土地価格が上がったのではない。
日本の経済の発展の結果上がった。その発展の素地になったのが農地解放であって、技術革新と同時に、農地改革が
日本の経済が大きな発展を遂げた要素なんです。そのために自分が持っておった土地があるいは上がったかもしらぬけれ
ども、持っていたということによって上がったのではない。かつて持っておったということで上がったのではなくて、その後に起こったところの経済の発展によって土地価格が上がったということだと私は思うのです。
そうなると、補償制度とかいうことがおかしいというので、おそらく報償というようなことば、「何らかの報償」なんということを言い出されたのだと、私はそう思います。補償には値しないのだ、報償するのだ。
ところが、ここで官房
長官に
お尋ねしなければならぬ。あなたにおいで願ったのは、
昭和二十九年十一月二十六日、法制局発第八十九号で「法令用語改善実施要領」というものがあって、各省でこれに準じた法令用語にするようになっております。これによりますと、
日本に使われている「ホウショウ」ということばは三色ぐらいあるようです。償い報いるという「報償」、それから奨励の「報奨」というのがあります。それから、ほうびをくれたりする賞状の「褒賞」という、三色あるようでございます。前の「ホウショウ」についてはできるだけ統一をしようということが、この法令用語にある。それには「奨励」と読みかえられる。地主に対して何らかの報償をするということは、何らかの奨励をするというふうに読みかえられるわけですね。この間、私、高等学校の生徒に聞きましたら、やはり高等学校の生徒はこのごろ「ホウショウ」というのは奨励というふうに理解をしておるようです。そうすると、いまの子供からいうと、
政府が旧地主に何らかの報償をするということは、何らかの奨励をすることで、その奨励をするというのは一体何だ。旧地主に何らかの奨励をする。これが農地解放が進行しているときだと、それに応じたから奨励をする、あるいは奨励した結果応じたから報償をするというならわりあいに連絡して理解されるでしょうけれ
ども、判例が出て、いまどきになってから古いのに振り返って報償しなければならない、奨励しなければならない。奨励どころじゃない、向こうからいえば、圧力団体でよこせというやつを、奨励をするということになると、ああいう圧力団体を奨励されるのかという誤解を生むのじゃないかと思うのです。あれを奨励する、それではおれもひとつ圧力団体になる、ということが奨励されるというふうに誤解されてはたまらないのじゃないですか。高校の生徒に聞いてみなさい。二、三人。このごろ国語審議会の方で決定しているのかどうかしらぬけれ
ども、そんなのは奨励だろう、こういう意見を言う者が多いのです。すると、
政府は何らかの奨励をしたというふうにとられます。何の奨励だかわからぬ。たぶんワイワイと騒ぐことの奨励だというふうに子供にはとられやすいのじゃないか。そうすると、春闘でワイワイ騒ぐのも、あれも奨励されてやっているのじゃないかという誤解を生むのじゃないか。子供から見ると、何かの奨励をするということは、奨励の結果やっていいのじゃないか、こう理解しないとも限らぬと思うわけです。子供の感覚で、あれは奨励だ
——内閣はそういう意味じゃなくお使いになったかもわかりませんが、いまそういうふうに理解するようになっておるときに、
内閣の「何らかの報償」というのは一体どういう意味でございますか。あらためて聞いておかないと、子供が誤解すると思いますので、
お尋ねいたします。