○畑和君 私は、
日本社会党を代表し、ただいま
議題となりました
暴力行為等処罰に関する
法律等の一部を
改正する
法律案に対し、絶対
反対の意見を表明いたしたいと存じます。(
拍手)
私は、ここで本
改正案そのものについて論議いたします前に、まず、現行法がいかなる経過をもって制定せられたものか、さらには、それが運用上いかなる
役割りを果たしてきたかという歴史的事実について、若干触れてみたいと存じます。
そもそも
明治以来
わが国に
労働運動が起こってからは、治安
警察法第十七条によって、同盟罷業を誘惑し扇動した者として、多数の運動家が逮捕され、
弾圧されてきたのでありますが、これに対しましては、一方において
労働組合からの強い廃止の
要求があるとともに、他方
政府部内においても、同条の法定刑が軽過ぎるという批判とともに、
労働運動だけでなく、当時盛んだった
小作争議や
水平運動にも適用できる集団的暴力行為取り締まり法規を要望する声が強かったところから、
大正士五年の帝国議会において、治安
警察法第十七条の廃止とともに、新たに現行
暴力行為等処罰に関する
法律が制定せられたのであります。
したがって、現行暴力処罰法は、そのおい立ちからして治安
警察法第十七条の生まれかわりであり、本来
労働運動や農民運動、
水平運動取り締まりのための
弾圧法規でもあったのであります。当時、同
法案審議にあたりまして、同法が治安
警察法第十七条の代替法ではないか、もしそうだとすれば、治安
警察法第十七条の廃止は意味をなさないとの論議がなされたのでありますけれども、当時司法
大臣の江木翼氏は、同法は
暴力団取り締まりをねらいとしたものであって、何ら
労働運動や農民運動、
水平運動等の
大衆運動取り締まりを目標としておるものではない旨を議会において明言し、ようやくにして通過、
成立を見たいきさつがあるのであります。
しかるに、
政府言明の
ことばのいまだかわかぬうちに、同法は、その適用第一号として、当時新潟県下に起こった
小作争議に適用せられたのであります。(
拍手)
大正十五年四月三十日制定実施以来、同年八月十五日に至る僅々四カ月足らずの間に、
全国で、同法による起訴五十一件、そのうち
団体の威力を示して暴行、脅迫したもの十一件、その十一件のうち
暴力団を
背景としたものわずかに二件であると、当時の秋田地裁検事飯沢高氏に「司法研究第二輯報告書集」の中で述べておるのであります。このことは、明らかに
本法が
暴力団をねらいとしたものではなく、他にねらいがあることを示しておるものと存ずるのであります。また、前公安調査庁次長、現最高検検事関之氏も、その著書「
労働刑法概論」の中で、「
政府は当時、
本法は合法的なる
労働運動や
小作争議を取り締まるものにあらざる旨を言明した。しかるに、その後の
本法の運用の実情は、広く
労働運動や
小作争議の一切にわたり行なっている。
本法は一般
労働刑法として特に重要な
地位にある」と述べておるのであります。さらに、
戦前の大審院判例は、最初は、「
小作争議は常に必ずしも違法性なきものというを得ざるをもって処罰を免れず云々」として、きわめて控え目の
態度でありましたが、次第に断定的となり、「暴力処罰法は
暴力団、不良青年団等、不法の
団体のみを目標となしたるものにあらずして、
労働争議または
小作争議の場合にもその利用あるものとす」、かように変わってまいったのであります。また、
昭和十年発行の、検事長谷川瀏氏の「
暴力法解説書」中には、「
暴力法運用にあたり平素から
団体の内偵をやり、その
団体の主義、綱領に注意し、特高
警察と連絡をとり、
思想、加入
団体、加入の事情等を調べ、写真、指紋、学籍等を付して常習者名簿または
犯罪表を整備しておくように」と書いてあるのであります。
これらの点から見ても、現行暴力処罰法が
労働運動や農民運動の
弾圧法規としての
役割りを果たしてきたものと断ぜざるを得ないのであります。(
拍手)
ところで、現在暴力処罰法が
労働運動にどのように適用されているかについては、法務省の
昭和三十六年版
犯罪白書によりましても、
昭和三十年から三十四年までの合計で、刑事
労働事件受理人員のうち、
暴力法適用は一九・六%で、
傷害の二三・四%に次いで第二位となっております。逮捕、起訴される以上は、よほどひどい乱暴をしたのであろうと思われがちでありますけれども、事実は決してそうではありません。単なるビラ張りが器物損壊の暴力行為となったり、同僚に対する説得行為が脅迫の暴力行為となったり、経営者の不当な
団体交渉拒否に抗議する大声が脅迫となったり、あるいは鼓膜を振動させたからと暴行なりとされたり、腕をつかまえて引っぱり戻そうとする行為が暴行となったりで、逮捕され、起訴されておりますが、これらについては、さすがに同じ
国家機関である
裁判所から、多くは無罪
判決が下されております。このことは、
労働運動において、いかに同法が
乱用されてきたか、また現在
乱用されているかということを、雄弁に物語っているものと信ずるものであります。(
拍手)
以上のごとく、現行の暴力処罰法それ自体が、たとえ立法者の意図がどうであったにせよ、現実に
労働運動、その他の
大衆運動の
弾圧法規としての
役割りを果たしてきたし、いまもなお果たしており、そうして、今後
改正案が、さらにその性格を強めるものであることは間違いないのでありまして、これこそが、わが
日本社会党が本
改正案に
反対する第一の
理由であります。(
拍手)
次に、
政府は、本
改正案は
暴力団取り締まりのため、刑を加重し、
強化することがねらいであると弁明し、宣伝をいたしております。
国民も、最近激増しつつある
暴力団を主とする町の暴力に対し、これが根絶を
要求しており、わが
日本社会党もまた強くこれを支持するものです。
しかし、この際明らかにしておきたいことは、
国民が求めているものは、集団的または常習的に暴力的不法行為を行なうところの、いわゆる
暴力団の根絶であり、
右翼テロの根絶であります。いまや
暴力団のばっこは、
政府資料によりましても、
昭和三十四年一月現在で四千百九十二
団体、八万二千人、
昭和三十八年一月現在で五千百三十一
団体、十七万二千人に達し、幾十の
右翼団体やあるいは幾千のばく徒、暴カテキヤ、ぐれん隊、会社ごろ、新聞ごろ、炭鉱売春、港湾のそれぞれの
暴力団こそがその目標でなければならぬのであります。
しからば、これらの
暴力団が
存在し、かつ増加していく真の原因は一体どこにあるのか、その社会的
背景は一体何か。それは、残念ながらいまだ封建主義が根強く残存しており、これが保守
政治と密接に結びつき、貧困と格差のはなはだしい社会を温床としておることによるものと信ずるものであります。暴力を行なった者が英雄として祭り上げられ、あるいは幹部の身がわりとして自首し、前科や暴力体験の肩書きがついたとして誇りとなし、刑務所出所の際は仲間が総出でのぼり旗を持って凱旋兵士のごとく迎えに行く。これら
暴力団に対して、
刑罰強化のみをもって対処しようとすること自体、まさに本末転倒であります。
暴力団対策としては、
暴力団の温床をなくし、その社会的原因を除く抜本的な
対策を行なうこと以外に、その目的を達することはできないのであります。しかるに、
政府には、これら抜本的な施策と取り紀もうとする熱意もなく、また、その
政治的姿勢もない。
政府は
昭和三十六年二月二十一日、
暴力対策について閣議決定をいたしております。けれども、その具体的推進について、何らの実効があがっておらないではないか。問題は、
行政措置に熱意なく、わずかに
刑罰強化の立法化に逃げようとするところにあります。
さらに、
政府・
与党の一部には、
暴力団や
右翼団体と
関係がある者があることは疑いもない事実でありますが、
政府・
与党は、この際、これら一切のくされ縁を断ら切ることを宣言すべきであり、財界等にも、いかなる
理由があるにせよ、資金の供給となるようなことをしないよう、
政府は指導すべきであると存じます。現職の法務
大臣が
暴力団の親分の葬式に花輪を贈ったり、政党の大幹部がやくざの親分のあと目相続披露式に出席して、仁侠道を賛美して世のひんしゅくを買ったり、さらには、現職の
大臣が札つきの
右翼選挙屋から知事選の横流し選挙はがきを買い取ることにつき関与したと疑うに足りる
理由ありとして捜査当局から極秘裏に取り調べられ、危うく不起訴になったり、都知事選に
暴力団を雇って
反対党たる社会党候補者の立ち会い
演説を集中的に妨害させたりというような
政治の姿勢で、どうして
暴力団の根絶はおろか、取り締まりができるでありましょうか。これでは
暴力団になめられるのはあたりまえであり、
暴力団の根絶どころではないのであります。
暴力団を育てている者は一体だれだと言いたくなるのであります。かかる
政治姿勢に立ち、根本的な
暴力団の本質把握をなすことなく、したがってそれに伴う抜本的
対策を欠いたまま、いたずらに現象にとらわれて
刑罰の
強化のみに走らんとする
政府の
暴力対策には、われわれ
日本社会党は絶対に
反対せざるを得ない次第であります。以上が本
改正案に
反対する第二の
理由であります。
なお、かかる見地に立って、われわれはさきにわが党の
暴力対策を発表し、
政府の
暴力対策と対比しつつ、われわれの立場を明らかにしておるのであります。
次に、今次
改正案の具体的内容の問題点の二、三について、意見を申し述べたいと存じます。
まず、第一点は、第一条ノ二を設け、従来の刑法体系にはなかった
銃砲刀剣類を用いた
傷害の故意犯という概念を設けまして、重く処罰し、その未遂をも罰せんとしたことで、学界におきましても刑法体系を根本からくつがえすものとの批判もあり、さらには、
銃砲刀剣類とは一体いかなる範囲のものをさすのかという点できわめてあいまいであることであります。
第二点は、第一条ノ三を設け、常習として刑法二百四条
傷害、二百八条暴行、二百二十二条脅迫、二百六十一条器物損壊の罪を犯した者が人を
傷害したときは一年以上十年以下の懲役、その他の場合は三月以上五年以下の懲役としたことであります。これは現行法第一条第二項を削り、そのかわりに本条を設け、かつ、新たに
傷害の罪を加えた包括一罪とし、しかも罰金刑を廃止して刑を加重したものであり、問題は刑の加重と常習であります。従来の判例によりますと、常習認定には、「他に資料があれば十年間無処罰でもよく」、あるいはまた、「習癖さえあればただ一回でも常習を認定し得る」、また「起訴猶予処分も常習認定の資料たり得る」とされていますから、
大衆運動の
活動家が常習と認定される危険がきわめて多いのであります。しかも、常習認定は最終的には
裁判所でありますが、資料を提供するのは検察庁であり、
警察であります。特に公安
事件にあっては、警備
公安警察の意見、判断資料がその基礎となります。警備
公安警察は、とかく
争議の
中心人物を逮捕しようとするあまり、ときに
法律的に無理な判断、認定をしやすい傾向を持っております。
政府説明によりますれば、
労働運動の
活動家が暴力常習者などとは考えられない、かように申しますが、
労働運動の
活動家を長く拘束するため、暴力常習者にでっち上げることは、
本法、特に
改正案によって、前述のような
警察の
態度から見て考えられることであります。
また、
政府説明は、こうも申します。現行の一条二項の常習の規定は
労働運動に適用されたためしがないから、今度の
改正案の一条ノ三の場合も適用あることは考えられない。しかし、現行法第一条二項の常習規定が適用されなかったのは、一条一項の一般の場合と法定刑が同じだったから適用の妙味もなく、積極的な実益がなかったからで、今次
改正で常習についての法定刑が引き上げられれば、この常習規定が
労働運動に対して大いに活用され、
乱用されることは間違いないのであります。
また、常習規定と短期一年以上への引き上げ、罰金刑の廃止は
権利保釈ができなくなることにもつながり、保釈も困難となり、求刑も量刑も重くなり、執行猶予も困難となります。罰金刑がなくなると、すべて体刑となるため、官公庁
労働者は懲戒免となるのであります。
政府説明は、さらに、新設の規定は現行の第一条第一項の集団的暴力行為とは何らの
関係もない、本来は刑法に規定せられるべきものだから、
労働運動を目標としてはいない、といいます。なるほど、一応形の上ではそのように見えますが、問題は、
労働組合の
活動家の行為も、常習とされれば第一条ノ三によって処罰され、従来の第一条による以上に重く処罰されますから、今次
改正が
労働運動弾圧とは無縁のものとの
政府説明は決して当たりません。
第三点は、短期一年以上と法定刑を引き上げた以上、当然
裁判所法によって合議体の
裁判官の
裁判を受ける権利があるべきであるのに、
本法の
犯罪が比較的単純であり、しかも迅速に処理する必要があるとの
理由で単独
裁判官によって
裁判すべきこととするよう、
裁判所法の一部をあわせて
改正せんとする点であります。
銃砲刀剣類の認定といい、常習の認定といい、きわめてむずかしい問題を含んでおり、
政府のいうごとく、決して単純ではないのでありまして、これこそは、
政府のかってな都合により人権を軽視したものとして、とうてい容認できないところであります。
以上、これを要するに、百歩を譲って、今次
改正案提出の意図が善意であり、
暴力団取り締まり
強化にあるといたしましても、結果としては、
大衆運動抑圧
強化の危険をもたらし、他面現行法の運用が、法定刑に比べて求刑、
判決が軽きに過ぎ、その間にはるかに幅を残しつつある現状にかんがみるとき、
暴力団対策としては、現行法の範囲内においてざらに一そう取り締まりに努力し、七際の刑の量定をもくし、運用の妙を得ますれば、十分その目的を達することができるのでありますから、今次
改正案は必要なきものとして
反対するものであります。
以上をもって
反対討論を終わります。(
拍手)