○金丸徳重君 私は、
日本社会党を代表し、ただいま
議題となっておりまする
河川法案及び
河川法施行法案につき、
政府原案に反対し、わが党
修正案に賛成の討論を行なわんとするものでございます。(
拍手)
現行河川法が、
明治中期の制定にかかわり、時代の進運に沿い得ないものであったことは、早くより万人の指摘していたところであります。したがいまして、これが
改正そのことについては、むしろおそきに失するとさえ
考えていたものでありまして、昨年五月
政府案提案せられて以来、わが党は最も熱心に
審議の
責任をとり、また、今
国会において再度提案せられて後も率先これが
審議検討の任に当たり、幾多の欠点と不満を指摘して
政府に再考を求めつつ、何とかして
国民の要望に沿い得るよりよき
河川法を得んものと努力してまいったことは、先ほどの
委員長の
報告の中でも明らかにされたとおりでございます。
しこうして、
審議を終わるにあたりまして、はなはだ残念なことは、これらの欠点につき十分なる解明がなされず、また、運用上危惧の念を抱かざるを得ないような点が、なお多く存することでございます。ことに多くの重要な部分について
政令にゆだねられておるのでありますが、これらについては、その
政令の
内容が十分解明せられ、整備できることの見通しがつかなければ、真に時代に即する
河川管理の大本を確立し得たとは申し得ないのでありまして、あれこれこさいにわたって勘案いたしますと、多くの
修正加筆すべき部分を認めるのでありますが、前
国会以来制定を急がれている
建設当局の熱心さと努力に敬意を表し、百歩を譲って
修正点を最も重要なる数点にとどめ、その他は
政府の今後の誠意に待つことといたしましたのが、ただいま岡本議員によって提案
説明のあったわが党
修正案であります。したがいまして、本
修正案は、
趣旨説明の中にもありましたように、
政府案に対し、いわば画龍点睛の役を果たしているものと申してもよろしいものでありまして、与党側からも双手をあげて御賛成があるものと信じておる次第でございます。
なお、私が
政府原案に対し、何ゆえにこれを不満とし反対するかにつきまして、その
要点のみにつき以下概略を申し述べ、御了承をいただきたいと存じます。
まずその第一点は、本案では
河川の何たるかを宣明いたしておりません。もとより
河川なる観念は、旧法においても明確にせられず、もっぱら解釈にまかせられていたのでありますが、これがため運用上しばしば混迷を来たし、伏
流水の取り扱い等については、その性質、範囲等とともに、全くその場その場の便宜にまかせてあったうらみがありました。また、
河川と一体として法運用の対象となる
河川管理施設が、
河川利用の高度化とこれに伴う
河川工学の進歩等とともに、いよいよ複雑多岐にわたるべきことが予想され、さらに従来付属法令の中に規制せられていた
河川付近地や
河川予定地に関する
規定が、本法の中に取り入れられることとなったこと等にかんがみまするときに、いまこそ
河川なる観念をその冒頭において明瞭にうたい上げて、一切の疑問とあいまい点を解決しておく必要があろうかと思うものでありまするが、遺憾ながらその
措置がとられておりません。
次に第二点として、強く不満に思いますのは、法
改正の最大の眼目である
河川管理の
責任と理想を故意に不明確にしておくことであります。新しい時代において、
河川法に対する
国民的期待と念願は、治山
治水の基盤確立の中で、国土
保全、民生安定の
責任を果たしつつ雨水を完全にかつ有効に利用し、国土の開発と産業の発展に寄与すべきであるとするにあることは言を待ちません。しかるに、
改正案は、
国家財政の
現状にかんがみるということに籍口して、国が当然に負担すべき
治水の
責任を回避し、十分なる財政
措置を講ずるための努力を怠り、
利水を重視するといいながら、水源涵養の唯一のかぎたる森林対策につき、片言隻句も触れておりません。また、
治水の基礎とも申すべき山腹や渓流の砂防対策についても、旧来の砂防法にまかせて顧みることなく、国土
保全の基本法たるの本質を全く忘れたるかの感があるのであります。
ことに、さらに遺憾に存じますことは、従来上流地域、山間部の
河川の
管理が、地方団体の技術的、財政的弱さに災いされまして、十分なる対策が講ぜられず、これがため中流、
下流地域において、いまなお多くの荒れ川、天井川等が見られ、あるいは近代
国家の国土にはあるまじき
洪水常
襲地帯と呼ばれるような地区が国内のそちこちに存ずることでありまして、池田
内閣の最大の
責任は、産業の高度成長を誇る前に、この種の国土
保全の基礎的欠陥をまず解消してかかるべきはずであったのであります。(
拍手)したがいまして、新
河川法は、その当然の成り行きとして、この種の
河川や地帯につき特に関心を注ぎ、優先的にかつ強力にこれが解決をはかるべき態度をとるべきものと信じます。
現段階において、
河川の
管理をあまりにも平面的に、あまりにも画一的に、かつあまりにも通り一ぺん的に取り扱うことは、山野ふくそうし高低はなはだしいわが国の地況と、今日までおくれにおくれてきたわが国の治山
治水政策の
現状とに照らし合わせて、断じて賛成し得ないところであります。
第三に、
改正案は、そのねらいの一つとして、水系一貫主義を掲げ、
治水と
利水を表裏一体として処理せんとしておりまするが、そのこと自体についてはわれわれは全面的に賛成であります。申すまでもなく、
治水の全きところ
利水の完ぺきが期せられ、
利水の高度化を念願するところ必然的に
治水事業の先行が要請せらるべきであることに思いをいたせば、水系を一貫して、これを統一的、かつ総合的に
管理すべきであることは論を待ちません。ただ残念なことは、新
河川法案は、その立案当初においてこそ、この当然の理想に忠実ならんとした形跡もあったようでありますが、成案として出されたものの実体は、水源より河口に至るすべての支川、派川を一括
管理すべき理想の姿は、いつの間にかあいまいもことして山のかなたに消え去り、あらわれたものは旧態依然たる区間主義、分断
制度のそれであります。はでななわ
張り争いにうき身をやつす政治の
現状からして、やむを得なかったと言ってしまえばそれまででありますが、これでは旧法のそれと何ら変わることなく、何のための
全面的改正ぞや、また何のための水系一貫主義の標傍ぞやと嘆かざるを得ないのであります。
第四に、
河川法の
全面的改正を企図するならば、この機会に、旧
河川法の権威主義、警察法的体臭を完全にぬぐい去ることにその努力が傾けられなければなりません。しかるに、ここでも
政府案は条文の形式のみは民主的ていさいをとっておるやに見られましても、その実、行間に流れる
思想は、依然として旧
明治政府の
官僚主義、権威主義そのものであります。
河川をこわいもの、おそろしいものとして観念せしめ、
災害防備を国の恩恵かのごとくに思い込ましめんとしている節が随所に見られるのはむしろ悲惨であります。
災害国に生まれ、
災害のおそろしさについては、もの心つく以来、おまわりさん以上に思い知らされている
国民一般は、天災の襲来に備えて、
河川管理者に協力せんとする意欲は、もはや本能的にさえなっておると申しても過言ではありません。したがって、
災害時において、付近住民は、法の強制を持たずとも、当然の使命として、物心
両面よりする協力を惜しむものではありませんが、問題は、天災に名をかりた人災をしいられ、上流の対策不備の結果を
下流に押しつけられるところにあります。
国民はもはやこの種のことにだまされ、あきらめを感じておるわけにはまいりません。
政府は、付近住民の慣行水利権を守るためにも、また損害補償の請求権保護のためにも、さらにまた潜在的、常習的被害の除去、もしくはその補償のため等々についても、もっともっとあたたかき態度と対策を法の上にあらわさなければいけないと思います。その努力が払われて初めて
河川法はその真の魂をよみがえらせたと申すことができるのでありましょう。新法案第二十一条以下の条文のごとき、形は民主的に見えて、実は官権主義のにおいふんぷんたるものであり、反省を促さなければならない重要な点であります。
以上をもって、
政府原案に対する反対
理由の概略を終わる次第であります。同時にまたこれがわが党
修正案に対する賛成の
理由でもありますが、討論を結ぶにあたりまして、最後に一群だけつけ加えることのお許しをいただきたいと思います。
それは、新
河川法に対する
国民の期待と念願についてであります。
現行河川法が七十年の歴史の中で、古色蒼然、動脈硬化的存在となり、幾多の特別法や、補足法令の助けをかりて、かろうじて運用せられてまいったことについては、
国民はいたく不満の念を持ったものでありますが、しかし、それ以上に法
改正に対する
国民的賛同感をゆさぶったものは、これを契機として、
治水事業への財政的裏づけが、強力にかつ潤沢に約束せられ、推進せられ、今度こそまくらを高くして眠れる境地を得られるであろうという期待と念願であったと信じます。この素朴にして、しかしながら熱烈なる期待は、長く台風におそれおののき、水災に悩み抜いた
国民の心の底からの叫びでもあったと申しても過言ではありますまい。
政府は、この
国民の悲願にこたえるため、治山
治水に対する財政的裏づけと、政策の強化を怠るようなことがあってはなりません。新
河川法までが看板倒れ、見かけ倒れだったなどという非難をこうむり、純朴なる
国民をして再び失望させるようなことのないよう、特に
政府に要望をいたしまして、私の討論を終わります。(
拍手)