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1964-04-23 第46回国会 衆議院 法務委員会 第29号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十九年四月二十三日(木曜日)    午前十時十四分開議  出席委員    委員長 濱野 清吾君    理事 鍛冶 良作君 理事 唐澤 俊樹君    理事 小金 義照君 理事 小島 徹三君    理事 三田村武夫君 理事 坂本 泰良君    理事 細迫 兼光君 理事 横山 利秋君       上村千一郎君    大竹 太郎君       岡崎 英城君    亀山 孝一君       坂村 吉正君    四宮 久吉君       田村 良平君    渡海元三郎君       中川 一郎君    長谷川四郎君       古川 丈吉君    松澤 雄藏君       森下 元晴君    井伊 誠一君       神近 市子君    田中織之進君       畑   和君    松井 政吉君       松井  誠君    竹谷源太郎君       志賀 義雄君  出席国務大臣         法 務 大 臣 賀屋 興宣君         厚 生 大 臣 小林 武治君  出席政府委員         警察庁長官   江口 俊男君         警  視  監         (警察庁刑事局         長)      日原 正雄君         法務政務次官  天埜 良吉君         検     事         (刑事局長)  竹内 壽平君  委員外出席者         検     事         (刑事局刑事課         長)      羽山 忠弘君         参  考  人 戒能 通孝君         参  考  人         (弁護士)   内藤  功君         参  考  人         (同盟会議議長         代理)     片山 武夫君         専  門  員 高橋 勝好君     ――――――――――――― 四月二十三日  委員服部安司辞任につき、その補欠として渡  海元三郎君が議長指名委員に選任された。 同日  委員渡海元三郎辞任につき、その補欠として  服部安司君が議長指名委員に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  暴力行為等処罰に関する法律等の一部を改正す  る法律案内閣提出第九号)      ――――◇―――――
  2. 濱野清吾

    濱野委員長 これより会議を開きます。  暴力行為等処罰に関する法律の一部を改正する法律案及び本案に対する竹谷源太郎提出修正案を一括して議題といたします。  まず、修正案について提出者から趣旨説明を求めます。竹谷源太郎君。     ―――――――――――――
  3. 竹谷源太郎

    竹谷委員 私は、民主社会党を代表して、ただいま議題となりました暴力行為等処罰に関する法律の一部を改正する法律案に対する修正案につきまして、その提案理由を御説明申し上げます。  このたび政府から提案されております暴力行為等処罰に関する法律の一部改正案は、最近におけるばく徒暴力テキヤ青少年不良団等による常習的組織暴力の激増にかんがみ、これらの悪質な組織暴力から一般市民日常生活上の権利、利益を保護し、もって社会秩序の維持をはかる目的を持ったものであることは、その改正内容委員会審議並びにその提案理由に示されているとおりであり、同法の目的がもっぱら常習的組織暴力取り締まり強化に置かれ、いやしくも憲法上の国民基本的権利や、労働組合の正当な活動を侵害する意図を持たないものであることは、きわめて明白であります。特に最近の刑法事犯中に占める暴力団関係犯罪は、まことに憂うべき率を示しており、特に銃砲刀剣を用いた悪質犯罪が増加の一途をたどっていることは、法治国家として看過できない現象というべきであります。もしこのような事態をそのまま放置するならば、法治国としての社会秩序は乱れ、犯罪から国民権益を守るべき立法府使命は、その任をみずから回避することになることをわれわれは厳粛に自覚すべきであります。  同法が提出されるに及んで、一部にこれがいかにも正当な労働組合活動を制約するものであるかのごとき宣伝を行ない、これの成立を阻止せんとする動きがありますけれども、それは、この法律趣旨をはなはだしく誤解ないしは故意に曲解したものであって、この法律の正しい評価を見誤ったものというべきであります。特に反対論の中で指摘されているような、銃砲刀剣類の中にプラカードや旗ざおが含まれるおそれがあるとか、労働組合活動家常習者として適用される危険があるとかいう議論は、あまりにもうがち過ぎた見方であり、不要の危惧と言うべきであります。すなわち銃砲刀剣類定義については、銃砲刀剣類等所持取締法の現在の規定定義によるものであることが明らかにされており、旗ざお等が含まれないことは明白な事実であります。また常習暴力犯常習定義も、習癖として反復してたびたび行なうということであることに、すでに判例で統一された解釈が確立されており、いわゆる労働組合活動家が同法の常習者としての適用を受けないことも明らかであります。わが党は以上の見地から、この法律労働組合の一部等で危惧しているようなものでないことをまず認めるものであります。  しかし、われわれが立法者として常に留意しなければならないことは、立法の動機、立法内容がいかに善意であり、かつ正しくとも、法の運用次第によっては、それが両刃の剣となって一般国民権益に若干でも危険をもたらす危惧が予想される場合には、それを絶無にするためのあらゆる努力を怠ってはならないことであります。  この観点から政府案を吟味するとき、国民一定処罰を加えることを内容とするこの種法案としては、必ずしも十分な配慮が加えられていない点を指摘しなければなりません。特に過去の事例において、労働運動に関連する暴力事犯本法適用を受けていることはまぎれもない事実であり、かつ法執行者としての現在の警察検察行政も、必ずしもその民主化が完全に徹底されてはいないのであります。わずかの事例ながらも人権問題を過去に引き起こしている実績等も考えるとき、法の運用について一定規制条項改正案自体に織り込むことは、この点に関する国民疑惑を解くためにもきわめて有益かつ必要な措置だと考えるものであります。  もとよりわれわれは、過去における労働運動に関連する一連暴力事犯が、正常な労働運動であったとは毛頭考えておりません。したがって、それらの暴力事犯について本法適用されたことを批判するものでもありません。なぜなれば、刑法上の暴力を伴う労働運動は本来邪道であり、労働運動の限界を踏みはずしたものであると考えるからであります。われわれは、そのような暴力的労働運動まで是認せよという主張は、まぎれもない暴力肯定論であり、法治国家のもとでは許されざる主張だと断じております。  われわれは、以上のような基本認識に立ちつつも、今日国民の一部に政府案に対して少しでも疑惑が存在するいま、われわれはあらゆる努力を通じてこの疑惑を解消する措置をとることが、立法府としての当然の使命であることを痛感するものであります。特に、一方において前述のごとき警察検察当局の未熟が現に存在することを考えるとき、それらの措置は当然とられなければならないことだと考えます。  われわれは、この際政府案に対する一連危惧が、かりに誤解や曲解に基づくものであるにせよ、それを軽視することなく、あくまで謙虚にこれを受けとめ、その立法について万遺憾なきを期する努力を傾注すべきだと考えます。その意味から、われわれは政府案に対する危惧解消について、単に委員会審議等をもってその解明を行なうにとどまらず、より抜本的な措置として、法それ自体の中に、正常な労働運動を制約するものでないことを明らかにするとともに、法の目的に反した乱用の禁止を法の中にはっきり明定すべきであると考えるものであります。この点につきましては、すでに警察官職務執行法第一条、破壊活動防止法第二条及び第三条、政治的暴力行為防止法第三条及び軽犯罪法第四条において立法の先例があり、この法律にこれを取り入れることは、立法技術上からも何ら差しつかえなきものと確信いたします。よってわが党は、この際政府案中に、乱用防止規定一条を挿入し、もって国民疑惑を完全に解消するよう主張するものであります。  以上が本修正案提出する理由並びにその内容であります。何とぞ本修正案に御賛成あらんことをお願いいたします。
  4. 濱野清吾

    濱野委員長 これにて修正案に対する趣旨説明は終わりました。     ―――――――――――――
  5. 濱野清吾

    濱野委員長 これより原案及び修正案について参考人から意見を聴取することにいたします。  ただいま御出席参考人は、戒能通孝君、内藤功君、片山武夫君の三君であります。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。本日は非常に御多忙のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございました。御承知のように、本案はきわめて重要な法律案でありますので、本委員会におきましては、本案の審査に慎重を期するため、ここに各位の御出席をわずらわし、その御意見を求めることと相なった次第であります。つきましては、原案及び修正案について、各位の忌憚のない御意見をお願い申し上げます。  なお議事の進め方につきましては、お一人二十分程度において、内藤参考人戒能参考人片山参考人の順序で意見開陳をお願いいたします。三人の意見開陳が終わりました後、委員から質疑が行なわれることに相なっております。  それでは、まず内藤参考人にお願いいたします。
  6. 内藤功

    内藤参考人 ただいま御紹介にあずかりました内藤でございます。私は弁護士としまして、労働公安関係事件弁護も若干いたしております関係から、その経験もまじえまして、本法案についての意見を申し上げて、皆さん方審議の御参考にしたいと思うのであります。  私ば、まず結論から申し上げますると、暴力行為等処罰に関する法律等の一部を改正する法律案、及び竹谷源太郎提出修正案については、いずれも結論的には反対せざるを得ないのであります。  その理由を申し上げます。まず政府提出原案についての意見から申し上げます。  私は、現行暴力処罰法――以下暴力法というふうに略させていただきますが、暴力法それ自体が、立法者意図が那辺にあったにせよ、現実には過去において労働運動大衆運動弾圧立法としての役割を果たしてまいりましたし、いまもなお果たしておりますし、そして今次の改正案は、そういう性格をさらに強めるものであると考える立場から反対するわけです。  わが国に明治以来労働運動が起きましてから、治安警察法十七条の、同盟罷業を誘惑、扇動した者を処罰するという規定取り締まりにもっぱら使われておったのでありますが、しかし、これには大正時代からの労働組合反対があり、さらに政府部内においても、治安警察法十七条の刑は比較的軽いので、もう少し重い、強力な労働運動処罰法規を要望する声まで出ましたところから、大正十五年の帝国議会治安警察法十七条の廃止とともに、暴力行為等処罰法を同時に制定したことは御承知のとおりであります。したがって暴力処罰法は、そのおい立ちからして治安警察法のかわりであり、労働運動取り締まり弾圧をねらいの一つとするものであったということは争いのない事実と思うのであります。  大正十五年四月三十日に実施されましたこの法律は、同年八月十五日までの四カ月の間に、全国で同法による起訴が五十一件、そのうち団体の威力を示して暴行脅迫したものが十一件、そのうち暴力団を背景としたものわずかに二件であります。これは、当時の司法研究報告書に出ております。暴力団をほんとうのねらいとしたものではないということをこれは示しております。  最高検の現在検事をやっておられる関さんの著書である「労働刑法概論」を読みますと、「本法は合法的な労働運動小作争議を取り締まるにあらざる旨を当時の政府は言明したが、しかるにその後の本法運用実情は、広く労働運動小作争議の一切にわたりこれを行なっている。本法一般労働刑法として特に重要なる地位にある。」こういうように最高検の関さんは述べております。  戦前の大審院の判例は、最初は「小作争議は常に必ずしも違法性なきものというを得ざるをもって処罰を免れず」としておりましたけれども、その後だんだん断定的になりまして、「暴力処罰法は、暴力団のみを目標となしたるものにあらずして、労働争議または小作争議の場合にもその適用あるものとす」というふうに変わってまいりました。昭和十年に発行された長谷川劉検事暴力法解説書というものによりますと、暴力法運用する場合には、平素から団体の内偵をやっておけ、主義、綱領に注意しろ、特高警察連絡をとって、思想加入団体加入の事情を調べて、写真指紋、筆跡も付加して常習者名簿、また常習犯罪表を整備しておくようにと書いております。これらの点から見て、暴力法労働運動農民運動弾圧法としての役割を果たしてきたものと見るほかないのであります。  だからこそ、戦後労働者団結権団体交渉権スト権が保障されますと、暴力法廃止しろという世論が起こってまいりました。具体的な例は、戦後末弘巖太郎博士中心として労働法立案に着手した労務法制審議会、これは政府審議機関でありますが、昭和二十年十一月二十四日答申しました労働組合法案については、第二条で、左の法令は労働組合のためにする組合員行為適用せず、としてありまして、刑法警察犯処罰令行政執行法出版法と並んで、この暴力法をあげておるのでございます。また当時の産別会議第二回全国大会に提案されました労働組合法改正要求案においても、同様の要求が決議されております。これらの事実は、いかに暴力法警察犯処罰令出版法行政執行法などのいわゆる悪法とともに、労働運動の発展、団結権団体行動権の保障の上に有害なものとして一般に認識されておったかということを如実に示しております。最近においても、再び現行暴力法はむしろ廃止すべきであるという意見が出てきておるのも、この意味から当然であると思うのでございます。現在暴力法労働運動にどのように適用になっておるかということにつきましては、法務省の三十六年度版「犯罪白書」によりましても、三十年から三十四年の合計を例にとると、暴力法受理人員の約二割、数として傷害に次ぐ第二位となっております。一部の人は、それはよほどひどい乱暴を労働組合がやったからやられたんだろうとお思いになるのも、題名からしてある程度無理からぬことである。しかし、実情はそんなものではございません。たとえば、ビラ張りですが、ビラ張り暴力法逮捕起訴されておる例が非常に多いのであります。日本労働組合にとって、職場で自己の要求ビラに書いて張り、一般宣伝をするということは、団結権団体交渉権、あるいは言論、表現の自由の当然の範囲に属することであります。寸法や文字のていさい一定したビラ職場ガラス窓などに張ったというだけである。これはあとで水などでちゃんと洗い落とせます。これを器物損壊罪、それから暴力法一条一項違反ということで警察逮捕し、検察庁起訴する。これは非常に行き過ぎでございますが、これが現行法で行なわれております。ビラ活動違反ということになったら、一体労働連動は何をやれということになるのでしょう。こういう行き過ぎだと思われる起訴に対しては、さすがにここまではできないという一審判決さえ最近は出ております。具体的な例としては、三十七年一月の国鉄労組広島高裁判決、三十八年九月の名古屋地方裁判所全電通労組に対する判決、こういったものは明らかに検察庁行き過ぎを戒めて、無罪を言い渡しておるのであります。  もう一つ暴力法のひどい乱用の例としては、組合員が同僚に説得する行為。たった十分間の説得行為脅迫暴力法違反逮捕起訴したという事案であります。これは、ある京都高等学校組合で、教育委員会人事異動に反省を求めるために、新任された教師に対して、いまの労使間の情勢のもとでは当分の間登校を見合わせてほしい、そうしないと意外の紛糾が起こるから、ぜひそうしてほしいと穏やかに十分くらいの間説得をし、相手も了解をし、最後にお互いに握手をして別れたという事案です。これに対して逮捕起訴をやる。これも乱用の例です。さすがに京都地裁は、本年二月二十三日に、この程度では暴力法違反にはならない、脅迫にならないという判決をしましたが、四年間この人は新聞に書かれたり、無実の罪を着せられるようなかっこうで、有罪のような被疑者として宣伝され、大いにその名誉を失墜した例があるのであります。これは乱用の極端な一つの例であります。  次に、経営者側の不当な団体交渉拒否に抗議する行動が多く暴力法でやられております。最近の経営者の中では、労務管理の未熟のために、団体交渉で話し合えばいいのに、話し合いを拒否するためにこういう紛糾の起こる例が多いのであります。この事件は、日本赤十字中央病院事件であります。この事件では、団交に誠意がない経営者に対して説得をしたけれども、応じない。そこで数名が、団交を開けということを大きい声で要求したということが暴行、衝撃と疲労を経営者に感じさせたという。私どもから見ると非常に常識に反すると思いますが、それがこういうように暴行、それから脅迫監禁であるという罪名をつけられて起訴されました。この事件は、昨年の三月十一日、東京地裁において暴行だけは認められたが、情状は非常に経営者のほうにも悪い点があるので、罰金一万円、脅迫監禁無罪という判決まで出された。これについて検事が控訴しませんでしたということは、検事がみずから起訴行き過ぎをこの事件では認めたことになるわけです。  このほか、例をあげれば切りがございませんが、時間の関係でこれだけをまず例として申し上げておきます。しかも日赤事件では、院長から交渉場所にいる副院長――経営者に対して、一、二時間では監禁罪にならぬから、もう少しがまんして、もう少し監禁の実をつくれということを言われて、経営者みずからが犯罪成立の条件をつくり出す努力をしていたという事実があるのであります。  このように、同じ国家機関である裁判所からさえ無罪宣告行き過ぎ宣告をされるような事案についても暴力法が使われているということは、労働運動の中では日常茶飯事でありまして、労働組合活動家たちは、また労働事件弁護に当たっているわれわれ弁護士たちは、常に身にしみて感じているところなのであります。  ところで、今度の政府提出改正案は、立案者がかりにいかに善意でございましょうとも、この法律ができてしまったならば、あとは野となれ山となれで、その暴力法労働運動取り締まりの面を一そう強化するおそれがあり、私は反対するものでございます。  まず、常習者法定刑引き上げ罰金刑廃止、この点でございます。法務当局説明では、一条一項に掲げてある罪だけについての常習性を認定するのでなく、その他の暴力的行為前科、その他常習を認定する資料は広く考えてよい、こう言われます。常習認定には、判例として、ほかに資料があれば十年間無処罰でもよいなどという判例もあります。御承知のとおり、常習認定権は最終的には裁判所でございますけれども、裁判所に対して料理をして材料を出すのは検察庁でございます。検察庁にさらに資料を提供するのは、一年間に八億もの警備予算をもらっている警備公安警察でございます。特に労働公安事件につきましては、警備公安警察意見判断資料がその最大の基礎であります。現在労働運動活動家で、闘争現場での警察による写真撮影日常の尾行、盗聴、情報収集活動等の対象とされていない人はいないくらいであります。警察官のデモなどにおける写真撮影、現認等の執拗さは、労働運動の中にある者はだれよりもよく体験いたしております。警備公安警察には、特に組合中心的な活動家などの詳細なリストがつくられております。これは会社側労務係との連絡のもとにつくられております。警備公安警察は、争議中心人物逮捕しようとの念にかられるあまり、ときに法律的に無理な判断認定をしやすい傾向、主観的、恣意的判断の危険を持っております。たれを長期間拘束するため常習器物損壊でつかまえるときめれば、一定期間彼をマークして、挑発もして、ささいな言辞を脅迫とし、ちょっとしたからだの接触を暴行とすることさえ可能であります。それを数件写真つきで集めて、彼は常習者だという資料を添えて逮捕令状などを請求し、逮捕し、検察庁もこれに基づき常習起訴することは可能であります。現に労働組合活動家の中には、最近ある特定の活動家の中には、前科二犯あるいは逮捕歴数回という人がだんだんふえてまいりました。このことは、労働組合活動家集中的逮捕をねらっているという一つの事実だというふうに、労働運動活動家たちはみな言っております。一部の人は、暴力常習者労働運動活動家などとは考えられないではないかと言われます。一応ごもっともです。しかし、労働運動活動家を長く拘束するために暴力常習者にでっち上げるということは、本法、特に改正案によって、さらにいまの警察の、活動家の中のさらに中心的な部分をねらっていくというやり方から見て当然やられると疑うに足る相当な理由があるのであります。またある人は、常習規定はいままで労働運動適用されなかったから、今後も関係ないですよ、こうも言われます。しかし、現行法では、法定刑常習の場合も一般の場合も同じでしたから、特に好んでこの常習規定を加えます積極的な実益は少なかったと思うのです。今度は法定刑が引き上げられまして、罰金刑がなくなります。権利保釈のみならず、裁量保釈にも法定刑が上がれば困難の度合いが加わるというのは、われわれ保釈申請をしょっちゅうやっていて痛感するところです。勾留却下も非常にむずかしくなり、取り消しや勾留延長却下にも困難度が加わります。求刑、量刑も重くなります。執行猶予もむずかしくなります。罰金がなくなり、すべて体刑となるので、官公庁の労働運動の中でひっかかって罰金だという場合に――これはやむを得ざる場合もありますけれども、罰金刑がなくなりますと、免職をまずされるということになるでしょう。民間の就業規則の場合も懲戒解雇が多くなります。裁判所法改正で単独でやれるということと相まって、これからは眠っていた常習規定がどんどん労働運動適用されるというおそれをわれわれは持つものでございます。ある人は、労働連動には適用しない、暴力適用するのだと言います。しかし、これは一つの論弁であると私は思います。労働連動取り締まります、処罰しますということをあからさまに書いた法律などは今日できるわけがない。労働運動取り締まりは、かりにある人がその下心を持っておりましても、巧妙に隠した形でつくるのが常でございます。暴力法改正案は、労働組合活動家をも常習暴力者としてつくり上げ、これを長期間勾留し、重い刑を科し、ひいては職場から放逐するという結果をねらい、もって労働運動中心的な幹部、活動家組合運動から切り離す役割りをどうしても果たすことになるでしょう。立案者皆さん方の中には、そういう下心を持った人ばかりではなくて、非常に善意暴力を追放しようという方もおられるとは思いますけれども、こういう法律は一たんつくったら、労働運動に関する限りは、大衆運動に関する限りは、警備公安警察によってたいへん乱用されるのが常でありますから、そういうおそれのある法律労働組合反対し、また労働組合基本権を守るために弁護をしておるわれわれが反対せざるを得ないというのは、その職責上当然であると私は考えております。  次に、民社党竹谷先生修正案は、この法案乱用のおそれを危惧し、何とか乱用されないようにしたいという願望はよく理解できるのですが、率直に申し上げて、この程度の条文を入れることでは、法律的にもほとんど乱用をチェックすることができないのではないかということを私は率直に申し上げたい。  軽犯罪法四条、破防法二条、警職法一条になるほど同様の規定がありますけれども、軽犯罪法はいまなお労働組合ビラ張りビラまき活動弾圧にどんどん乱用されております。破防法二条は、訓示規定でございますけれども、破防法を根拠にして、一般労働組合に対してまで公安調査官が日常活動を調査しておる、調査費まで出して調査しておる、こういうことが進んでおるのであります。警職法一条というけれども、警職法では、相手が財産、生命、身体上の危険をもたらすという場合のみ警察権の発動ができるのに、そういう場合でないのにこん棒を振り上げ、あるいは実力行使をしたという理由で、これが権利乱用であり、権限乱用であるという判例が、三十七年の五月に横浜地裁の全逓事件で出ておるくらいであります。こういうふうに乱用のおそれというものは、この一カ条をつけただけでは決して消えるものではないということから、遺憾ながら民社党の提案にも反対せざるを得ません。  最後に、私は、警察がいまの暴力法暴力団に対してほんとうに使っていない、現行法さえ十分に使っていないという例を幾つか知っておりますので申し上げます。  三池闘争のときに、三池の労働組合でたくさん暴力法でつかまりましたが、三川鉱の正門に襲撃をかけ、目つぶしをし、そうして暴行、傷害を負わせた暴力団に対しては、現行逮捕はしませんでした。私たちは、しょっちゅう福岡の地方検察庁に、あれを暴力法現行犯で取り締まってくれということを要求したのにかかわらず、あなた方の資料の出し方が足りないとか、あれはわれわれのほうでよく調べてみなければ逮捕するかどうかきめられないと言って引き延ばしをした例があります。  「主婦と生活」の争議では、女の方を含む組合員に対して暴力団が白昼公然たる暴行を行なったにかかわらず、所轄警察は容易に動かなかったという例があります。  安保デモのときには、これは東京地裁刑事二十部の証言に出ておりますけれども、維新行動隊の石井という人は前日に警視庁の公安刑事と相談して、田中稔男社会党代議士を脅迫することまで引き受けております。そうして協議をした上でこの暴行に及んでおります。私はその現場を見ましたけれども、警察署へ同行するのに、遠巻きにおまわりさんが囲んで、手錠をかけるでなし、車に乗せるでなし、ゆっくりあの坂をおりて警察署へ連れていったという、こういう寛大な取り扱いをしております。  三光タクシーの委員長の丸山君がある人間に殺害されたのに、事件発生一時間後に、警察署長はなぜか犯人には殺意がないということを言って弁護しておる。どうしてそんなことがわかるか。  去年の日本ロールの争議では、竹井組という暴力団が出てきました。そして、これは無抵抗のピケ隊に対し、焼け火ばし、焼けたまるい鉄棒を顔までくっつけて、そして脅迫しております。なぐるけるの暴行をしております。  司自動車争議では、委員長宣伝カーから引きずり出してなぐるけるの暴行をしております。こういう暴行に対しては、警察現行犯でつかまえたり、本気でやろうとしません。この警察の態度を変えないで法律だけ変えたとしても、どうしてこの右翼の暴力団、こういうものに対して厳重な態度をとることができるでしょうか。  私は、いまの暴力法改正案というものについては、以上のような理由から、この法案がかりに出ましても、警察は真剣に使う態度は持っていない。むしろ真剣に取り組んでくるのは労働運動取り締まりのほうであろう。これは十分なわれわれのいままでの経験上の裏づけから確信を持って申し上げる次第でございます。  以上をもちまして、たいへん時間が超過いたしましたが、私の意見といたします。(拍手)
  7. 濱野清吾

    濱野委員長 次に、戒能参考人にお願いいたします。
  8. 戒能通孝

    戒能参考人 私、右翼の暴力行為あるいは暴力団行動というものに対しまして憎しみを感ずる点におきましては、決して人後に落ちるつもりはございません。またこの暴力行為に対しましては、特に厳格に処罰する必要があるということにつきまして、この法案の提案者並びに竹谷先生のおっしゃることに対して全く異存はございません。しかし、それにもかかわらずこの法案にどうしても反対せざるを得ないというふうに感じましたのは、これは内藤参考人のおっしゃったのとはいささか違いまして、私、農村の問題を一つ取り扱っている場合に自分で体験したことがあるからでございます。  私が弁護士を志しました動機となったのは、岩手県二戸郡一戸町小繋という小さな町の入り会い関係事件でございます。この事件は、大正四年から今日までずっと五十年続いている事件でございますから、途中に起伏があるのは当然でございます。去る昭和三十年の十月八日午前十時ごろのことであります。部落農民の一人の山本満雄君というのが弟の孝君というのと一緒になりまして、部落の入り会い山であると彼らが考える小繋山に入りまして、その一部に入りまして伐木しておりました。これは自分の父、山本定蔵さんの家を新築する杉の木が必要でございましたので、それを伐木していたわけでございます。ところが、この小繋山につきましては、登記簿上の所有者鹿志村――いまは栄一さんでございます。鹿志村さんというのがいらっしゃいます。そして鹿志村家の代表者として鹿志村光亮氏というのがこの小繋山の監視に当たっておるわけであります。光亮氏は、山本満雄君が木を切っておるのをカメラを持参いたしまして写真にとったわけでございます。何回か写真にとっていたわけであります。そこで、山本君はこれに対しましてかねがね不快の念を持っていたわけであります。三十年十月八日午前十一時ごろでございますけれども、何で写真をとるかと言いながら、光亮さんの肩をちょっと突いたわけであります。光亮氏はちょっとよろよろところがりましたが、しかししりもちをつくには至っておりませんでした。しかし手に持っていた写真を満雄君と孝君とがさわりましたところ、その写真を手放しまして、そしてお供に連れておりました立山吉五郎という人に向かいまして、こいつらがカメラをとった、おまえ証人になってくれと言いながら立ち去ったわけであります。カメラは山本満雄君の手に入ったものでございますから、彼らはそのカメラをどうしようかと迷ったわけであります。ともかく自分のうちまで持ち帰って、そうして玄関の入り口にカメラを置いておきました。もちろんこれは、鹿志村光亮さんがとりに来るであろうという想定のもとに置いておいたわけです。しかし鹿志村さんはそのカメラをとりに参りませんでした。そこで満雄君のおばあさんがそのカメラをたんすの中にしまったのであります。  これが起訴されました。起訴理由は強盗罪でございます。これは、私憤然たらざるを得ませんでした。だれが見ましても、これは明らかに領得の意思はございません。確かに多少のもみ合いはございました。そして光亮さんが肩を突かれたということは事実であります。突かれた拍子にカメラを持っていた手を放したということも事実でございます。そして満雄君がそのカメラを拾いまして、自分のうちに持ち帰ったことも事実でございます。しかし、これは領得の意思があって強取した行為であるというふうには常識をもっては判定することができないと信じております。しかるに、これに対して盛岡検察庁起訴した罪名は強盗でございます。これが日本の検察官の考え方であります。  これは労働運動ではございません、農民運動でもございません。ただしかし、一つの入り会い事件でございまして、部落の人々数十名、それが鹿志村氏との間におきまして長年にわたって争い続けている事件でございます。こういう事件でございますから、このような事態、光亮氏と山本君との間で起こったようなもみ合い事態というようなことは、たまには起こり得る可能性がございます。この場合、検察官は強盗といって起訴いたしました。裁判所はこれに対して何と言ったかと申しますと、昭和三十四年の十月二十六日の盛岡地裁判決によりますと、強盗は成立していない。しかし弟の隆君と一緒に光亮さんを突き飛ばしたんだから、彼らは暴力行為等処罰法違反であるということになっているわけです。そして科せられた刑罰が、懲役十月執行猶予二年という刑でございます。この法務省刑事局の作成されました暴力団構成員による暴力犯罪関係事例集というものの第二ページを見ますと、これはまさにくれん隊の強盗よりももっと重い刑罰でございます。現在の日本裁判所は、ちょっと押して相手がよろよろとした。押したのでございますから、多少の暴力は入っています。多少の力が入っていると思います。力が入っていないとは私は申しません。しかし、しりもちはつかない程度に押したのであります。そしてカメラから手を離した、これが強盗罪で起訴されました。そして盛岡地裁におきましては、強盗は成立しないけれども、弟と一緒にやったんだから暴力行為等処罰法違反にはなるというのでございます。そして昨年五月八日の第二審の仙台高裁判決によりますと、同様にこれは暴力行為等処罰法違反になるというのが裁判所の考え方でございます。私、この考え方に対しましてはまさに憤然たらざるを得ません。  もちろん、私が小繋事件に関心を持ちましたのは、いままで申し上げたのは派生的部分でございまして、もっと基本的には入り会い権の問題、将来の山林の問題というものにつきまして私の考え方があったことは事実でございますが、私をして大学にいるより弁護士にならなければならないというふうに考えさせましたのは、まさにこの起訴のしかた、それから裁判所判決のしかたでございます。決して私は突き飛ばすことがいいとは申しておりません。しかし、入り会い事件というものになってまいりますと、長年のうらみが積み重なっているわけでございます。五十年前におきまして、現在の小繋部落の人々の一部の祖父たちは、このためにぶったりけられたりされておりますし、中には首をくくって死んでおる人もございます。中には突き飛ばされて胸がヒエ立て棒にぶつかりまして、その結果一年たったら死んでしまった人もあります。夫婦別かれした人もおります。非常な悲劇がここに生まれております。いろいろなうらみが積み重なっているわけでございます。このときに冷静に、あたかも法務大臣のように、あたかも大学教授のように、あたかも裁判官のように、あたかも検察官のように行動せよということは、私は無理であろうと思います。これがいいとは申しませんけれども、私は無理であろうと思います。そしてちょっとした踏み越えがありますと、強盗になるわけであります。幸か不幸か入り会い山の争いというものは、日本にはまだ絶えておりません。それからまた、最近では林野庁が入り会い権の整理法案を準備するという話でございまして、入り会い権をなくそう、分割しようということでございます。そうなりますと、だれでもいい土地がとりたいということは人情でございますので、入り会い権の分割という問題につきましては、若干の争いが出てくるということはやむを得なかろうと思うのであります。ところが山でございますから、その山の中には丸太は幾らでもころがっております。それからなたあるいはかまというものを持ち込んでいる。そのなた、かまというものを手に持っているということはあり得べきことでございます。なたがちょっとさわった、よくはありません、かまがちょっとさわった、これはよくありません。これはやはり銃砲刀剣類に属しはいたしませんでしょうか。丸太でありましても、同じようにそれにちょっとさわった。丸太でけっこうであります。私はそれがプラカードとは申しません。丸太は山林にころがっているのであります。それがちょっとさわったということによりまして、結局最低限度におきまして懲役一年、悪くいけば十年というふうな重い刑罰を受けなければならない。けられた。負傷といい、傷害と申しましても、ちょっと皮がはげる程度でもけっこう傷害でございます。ちょっと血がにじむ程度でもけっこう傷害でございまして、竹谷先生の修正案をもっていたしましては、こうした場合に何とするという問題は含まれていなかろうと思うのでございます。また漁業の問題についても同じでございます。漁業権の問題につきまして漁民が争う、これは決していいことではございません。しかし、漁業権の争いというものは、必死な争いになることがございます。この場合に漁業権があるかないか、自分はここで魚がとれるかとれないかという必死の争いにおきまして、冷静に行動せよということは私は若干無理かと思うのでございます。確かにお金があり、教育があり、りっぱな地位にある方ならば、冷静に行動できます。だがしかし、農民であり、漁民であり、これは多くの場合に不幸にして貧しく、教育を受けておりません。激高するなといっても無理なことがあります。常に押えに押えている気持ちというものに対しまして激高感が生まれてくるというのは、これは残念ながら避けられないと思います。私としてはぐれん隊を救い、そしてまた暴力団を援助し、右翼の乱暴者を支援するようなことを申すのは、はなはだ心苦しい至りでございます。しかし現状におきまして、裁判官あるいは検察官、もっと進めば警察官というものが何を考えているかということを私たちは無視することができなかろうと思います。  かつてガンジーが独立運動をやった。不服従運動をやった。そのときに彼は法廷に行きまして、自分は法を破ったから有罪にされてもいい、しかしこの悪法を破ることに対しては自分は名誉だと思う。ところが裁判官はそれに対して、自分も悪法と信ずる、この悪法によってあなたを有罪にすることを自分は心苦しく思う、もしこの法律廃止されたら一番最初に喜ぶのは自分であろうというふうに言ったということが記録にあるそうであります。  日本の裁判官、日本の検察官、もっと進めますと日本警察官は、そうした意識は残念ながら持っていなかろうと思います。やはり労働者をつかまえ、農民をつかまえるというほうに興味を持ち、そうしてぐれん隊に対しましては非常に甘うございます。残念ながら、この事例集を見ましても非常に甘うございます。中には人殺しをやりましても、傷害致死罪になりましても、懲役三年くらいで済んでいるのが多うございます。五年に至ることはほとんどないのじゃないかと思うくらいでございます。ぐれん隊同士の殺しならば、よほど悪くても五年でございます。日本の裁判官、検察官が持っているぐれん隊、暴力団に対する考え方というのは、ある意味において甘きに失するというふうにいままでの判例においては考えられているわけであります。  これに対して、労働運動農民運動、あるいは農民運動とまで言えないような入り会い関係、漁業関係というものに対しましては、辛きに失するというふうに考えざるを得なさそうでございます。この点は、この法律の御審議につきましてはぜひ御検討いただきたい事実であります。私としては、この法案がいま成案になることはたいへん遺憾であり、ぜひともこれはお流しいただきたいと思っておるわけであります。(拍手)
  9. 濱野清吾

    濱野委員長 次に、片山参考人にお願いいたします。
  10. 片山武夫

    片山参考人 片山でございます。私は労働組合同盟会議を代表いたしまして、今回のこの法案についての意見を述べさしていただきます。いま同盟会議は、日本に必要な社会正義の確立、そして自由にして民主的な労働運動を推進していくという立場に立っておりまして、今回審議中の暴力行為等処罰法改正案及び本案に対する竹谷源太郎氏の提出にかかる修正案について意見を述べてみたいと思うのであります。  先ほども述べましたように、日本の情勢というものは非常にこんとんとしておる。特にわれわれは、文化国家建設のために努力を続けているものでありますけれども、その中でも社会生活の安定やあるいは平穏、こういうものを維持する必要を特に痛感するわけであります。そのためにも、いま指摘されたような職業的な常習的な暴力団の横行、こういうものは絶対に絶滅しなければならない、こういうふうに考えているものであります。  最近の暴力犯罪実情は、資料にもありますように、その数においても依然として増加の傾向をたどっておると思うのであります。いわゆる暴力団と言われておる幾つかの団体、この不良団体の数は五千数百というふうに聞いておりますし、その仲間が十七万以上というふうにいわれております。そして、その関係するところの暴力関係事犯が毎年二十万件、驚くべき数字を示していると思うのであります。このことが、将来ある善良な青少年に大きな影響を及ぼしている事実も、これまた軽視できない重要な問題だろうというふうに考えております。特に、今回提出されました銃砲刀剣などを持ち出して公然と傷害事件を起こすような団体は、これはいかなるものであってもわれわれ社会人の敵であるというふうに考えますし、これを取り締まるということは当然のことだろうと思うのであります。そういうような立場から、いま審議されておるところの暴力行為等処罰法改正案内容を一応私も検討をしたわけであります。そして、次のように理解をしたのであります。  第一の問題は、一番危険性の多い銃砲刀剣類を用いた傷害罪を一般の傷害罪よりきびしくする、そして、それを一年以上十年以下というふうに刑罰の強化をはかったということであります。特に銃砲刀剣類についての定義は、厳然たる規定がされておるということであります。  第二の問題は、こういった暴力事犯常習化している傾向が非常に強いのであります。そして、傷害、暴行脅迫等を行なうものが、傷害事件常習として行なったものは常習傷害として同じく一年以上十年未満、こういうふうなことで刑罰を重くしているという点であります。  第三の問題は、この刑の下限を懲役一年に改めた結果、権利保釈等の適用を受けられなくなった、こういった問題であります。  第四の問題は、こういったような悪質な事犯の処理を迅速にするという意味で、単独裁判官による処理を認めた、こういうことが今回の改正のおもなる点であろうと思います。  したがって、この四点は、憲法上の国民の基本的人権だとかあるいは労働組合活動を侵害するという意図のないことは明らかでありますし、またこの点については、取り扱うものが十分注意をしなければならないものであるというふうに私はこの改正を理解しておるのであります。しかしながら、この法案はすでに前国会あるいは前回の臨時国会、今国会に再提出されております。比較的その目的が明らかでありながらその審議が非常におくれているということは、一般国民はもちろん、われわれにも理解しがたいところでありますが、かりにこれが政争の道具やあるいは法案の取引に供されておるということであるならば、たいへん遺憾だというふうに考えておるわけであります。  次に、竹谷源太郎氏の修正案に対して意見を述べたいと思うのでありますが、先ほど申し上げましたように、われわれの理解する限りにおきましては、同法案目的が組織的暴力団取り締まり強化ということに目標を置いているものだというふうに考えておりますし、不幸にして暴力行為等処罰法の歴史を考えてみますと、私の記憶に誤りがなければ、戦前は治安維持法などとともに、この法律が合法的な労働運動小作争議等にも数多く適用されておるというふうに思います。このようないろいろな社会情勢の変遷とともに、立法の精神や目的がいかに善意であったとしても、やはり法は人によって運用されるものであり、また社会情勢によって解釈に変化を伴うという危険があると考えられます。こういったような観点からするならば、この立法にあたっては万全を期する必要がある。特に正常な労働運動を制約しないということを明確にする必要があるのではないかというふうに考えます。そういう意味で、竹谷源太郎氏の修正案を付して私は賛成の立場に立ちたいと思うのであります。  最後に、この法案にいろいろ反対されている政党や労働団体があるというふうに聞いておりますけれども、われわれは社会正義を確立する、そしてあらゆる暴力を否定する、こういう立場に立っているものからするならば、これはたいへん遺憾であると思います。その反対する理由が、この法改正大衆運動弾圧のためであるという意見、あるいは特に明確になっているところの銃砲刀剣類の中に旗ざおやプラカード等が入っているのではないかといったような危惧があるように考えられます。また常習傷害重罰の規定は、労働組合活動家適用されるおそれがあるといったような理由に基づくものであるというふうに考えられるわけでありますけれども、今回改正の対象となっていない、これはむしろ第一条第一項の規定のほうに問題があるのではないかというふうに考えられるわけであります。したがって、この暴力行為等処罰法そのものに問題があるのであって、今回の改正点については、先ほど申し上げましたような労働組合等を対象にしないという明確な確認があるならば、この改正案趣旨に照らして私は賛成したいというふうに考えているわけであります。  以上、簡単ではございますけれども、私の意見といたします。(拍手)     ―――――――――――――
  11. 濱野清吾

    濱野委員長 これより参考人に対する質疑を行ないます。鍛冶良作君。
  12. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 御意見の違うところは、お互いの意見ですからなんですが、簡単に一つ、二つお聞きしたいと思います。  まず内藤さんにお聞きしたいのは、いわゆる一括して暴力とおっしゃったが、私は本法を主として申しますが、目的のいかんにかかわらず労働運動弾圧に拍車をかけるという、こういう大前提があなたの議論では出ているわけですが、それはどういうのですか。暴力の有無にかかわらず、労働運動弾圧しようとしているのは本法である、こういう論断ですが、その点が明瞭でなかったと思いますので、まずそれから聞きたい。
  13. 内藤功

    内藤参考人 いま鍛冶先生の御質問の中に、私が目的のいかんにかかわらず労働運動を抑圧する、こう述べたということを御前提の御質問のようでございますけれども、私のあるいは発言において明瞭を欠く点があったかもしれませんが、私の申し上げたのは、立案者の中にどういう意図が、善意意図が含まれておりましょうとも、かような法律が一たん法律として生命を持ち、施行され、警察検察庁その他の官憲によって行使されるにおいては、いままでの経験に徴して、労働運動を抑圧するという機能を果たすおそれがある、こういうことに正確にはなると思います。  そこで、暴力の有無にかかわらず、これが労働運動を抑圧するものだというふうに見るのかどうかという御質問でございますが、私がこれについてまず申し上げたいことは、現在この暴力というものは一体何であるかということにつきまして、これは学界におきましても、それから判例におきましても、いろいろな解釈があるところでございます。ここで私は、たとえばちょっと資料をもって申し上げるならば、暴行脅迫がすべて暴力に当たるという見解もありますし、それから最高検のもとの検事をやっておられた神山欣治さんの著書「労働刑法提要」の九十一ページによりますと、有形力、無形力の行使のうち、無形力の行使については、強盗罪の手段の脅迫のように、相手方の反抗を抑圧する程度脅迫まで含まれる、だから脅迫はすべて入らない。相手方の反抗を抑圧する程度脅迫は含まれるが、刑法二百二十二条における脅迫のごとき無形力の行使は暴力の行使には該当しない。こういうような見解を、もと最高検検事で公安を担当されておられた神山さんなどは言っておられる。このように、検察部内においてもいろいろな意見がある。そこで問題は、暴力というものを一体どういうふうに見るか。暴力というのは、さっき戒能先生が言われましたように、これは実力とイコールじゃない。何がしかそこに不法な要素、法律で取り締まるに値するだけの不法な要素が含まれたのが暴力だ、こういうふうに考えます。たとえば高等裁判所昭和三十一年七月の電産大谷発電所事件などを見ますと、電産でピケを張っている、そこへスト破りが飛び込んでまいりまして、その人の洋服のそでを一回引っぱったというだけで暴力罪で起訴された。これを高裁は無罪にしましたが、その理由としては、そでを一回引っぱっただけでは暴力に当たらない、こういう解釈です。したがって私の申し上げたいのは、暴力というものの解釈自体、これは判例においても学説においてもいろいろな解釈があるわけであります。そこで、一体いかなる暴力のことを鍛冶先生がおっしゃったかわかりませんけれども、暴力ということばだけで判断してはいけない。ほんとうに労働争議判断するには諸般の事情を要するということが三十一年の最高裁小法廷の判例でありますから、この点から見て、その暴力が不法な暴力であり、労働組合法が認めないところの暴力かどうかという点で判断をすべきだ、かように考えておるわけでございます。
  14. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それじゃ、わかりました。要するに暴力であると認めるが、あなたの目から見れば暴力でないものも暴力にする、こういうことですね。そうしてみると、あなたの見解と取り締まる者の見解が違うから、あなたがお気に入らぬ、こう考えるよりほかない、私はそう見たが、どうですか。
  15. 内藤功

    内藤参考人 昔から、弾圧というのは一体どういうものか、それから暴力というものは一体どういうものか、これについて法廷におきましても、裁判所の見解、検察庁の見解、弁護人の見解、被告人の見解、これは立場上それぞれニュアンスが違うのは当然でございまして、検察官側が暴力である、弁護人側が暴力でない、これでこそ刑事訴訟が形として成り立つわけでございます。したがいまして、多少の見解の相違はあろうかと思います。
  16. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それから常習者に対するあなたの先ほどの議論ですが、世の中のことは、どうもあなたの言うようにそうそうこういうこともあるだろう、ああいうこともあるだろうと想像して心配せられたら、何事もできるものではない。常習者には常習者としての判例がございますよ。それを、いかにもどうも警察検察庁で無理やり常習者をつくるのだ、しかも本法はそれをつくるための前提でつくる、こういう御議論のように聞いたのですが、あなたは少し杞憂にすぎませんか。世の中をそういうふうに考えたら、何でもそういうふうに見えますよ。私はもっと世の中というものはすなおに見る。ことに法律の解釈というものは、われわれはやっぱり常識で、何というのですか、第三者から見て最も多数説が通るものなんで、あなたのように、こういうこともあるだろう、ああいうこともあるだろう、そうすればこういうことになるかもしれぬ、それだからこれは反対だといったら、何でも反対せなければならぬことになるが、そうなると、どうしてもなければならぬおとなしい法律までも反対しなければならぬという議論が出ると思いますが、あなたはそうはお考えになりませんか。
  17. 内藤功

    内藤参考人 いま鍛冶先生のおっしゃったように、私もできるだけ議論を正確にいたします必要から、多数の判例に従って、一体常習というのは労働運動にどういう場合に適用されるであろうかということを、判例を商売柄調べてまいりました。  昭和十年五月二十一日の大審院の判例によりますと、時間的牽連関係のない前科でも常習性認定の資料となる。最高裁の二十五年三月の第三小法廷の判例によりますと、六年以上賭博で罰せられた事実がなければ習癖が消滅したと認めなければならないという実験則は存在しない。最高裁の二十四年の判例によりますと、十一年前の前科によって常習を認定しても差しつかえない。昭和八年の大審院の判例によりますと、数日間に数回も多人数を相手に賭博をした場合には、常習賭博罪が成立する。大正四年の九月十六日の判例によりますと、習癖さえあれば、ただの一同の行為でも常習性を認定し得る。最高裁の二十四年の判例によると、四月七日でございますが、起訴猶予処分を受けた者でも常習性の認定の資料となる。先生のおっしゃる多数の判例に従いましても、こういうふうに常習認定の幅というものがいかに広いものであるかということを私は考えるのであります。さらに、しかし最高裁はそうだけれども、実際に運用する機関がそこまでやるというのは、おまえは言い過ぎじゃないか、こうおっしゃる点は、私もよく反省はしてみますけれども、反省をいたしましてもなおこの見解は変わらない。たとえば現行暴力処罰法についての昭和十年の長谷川劉検事の解説によりますると、常習検挙のためには、ふだんから特高警察連絡をとって、団体の主義、綱領、構成員の思想を調べている、こう書いてあるあとに、常習犯名簿として――ここに読むのを省略しますけれども、非常にこまかいファイルを調製、整備をしておくようにということがここに書いてあるわけであります。労働運動の場合は、常習者名簿という名前かどうかわかりませんけれども、明らかに警視庁その他の警備公安警察では、このリストがそろえられております。もしこの暴力法が改悪されまして、この常習者に重い刑を法定刑としてきめる。そうしてこれを運用するということになりますれば、警察におけるこのリストというものは必ず効果が出てくるであろう。そうでなければ、このような改正が出ないいまの時期において、政防法はすでに廃案になっております。それにかわるような治安的な立法が出てくるのではないか。そうして、この法案というものは、確かに労働運動を鎮圧する、抑圧するおそれがあるというこの判断とあわせ考えまするならば、私は鍛冶先生のおことばでございますけれども、やはりこの常習規定というものは、活動家に最も乱用されるということを申し上げたいのでございます。
  18. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 あなたは、たいへんどうも議論の焦点になるようなものをお引きになっておやりになるから、そういうものが疑問でしょうが、一般にはそんなに常習は、あなたの言われるほどやかましいものではありませんよ。私はあなたを暴力常習者とは認めるわけがございませんから、何らかの認められるものがあるからだと思いますが、私は杞憂にすぎないのじゃないかということだけ申し上げておきます。  それからいろいろの身元調査をやるとか、団体調査をやるとかいう御議論でしたが、これは戦前のいわゆる特高警察を夢みておられるので、われわれはその点は非常に変わっておると思うが、それでも間違ったものはないとは言わぬけれども、どうもあなたのさっきの御議論は、戦前の特高警察を前提にしての議論のようでしたが、それはいかがですか。
  19. 内藤功

    内藤参考人 この点は、認識の相違かもしれませんけれども、現在でも警察、公安調査庁などにおきましては、むしろそれが仕事の課がございます。たとえば警視庁にはそういう公安課がございます。私ども仕事の関係上よく行きますけれども、ここで、もっぱら写真を朝から晩までよく調べておる係官もおります。それからある人の前歴をずっと調べている人もおります。こういう調査資料なしに、公安調査庁だとか警察の公安の仕事というものが一体できるものかどうかということは、われわれ常識で考えてもおわかりになることだと思います。従来でも、私の聞き及びますところでは、この法務委員会あるいは参議院の法務委員会で、公安調査庁、警察の身元調査、ファイルの作成、こういったものがたいへん御議論になったというふうに聞き及んでおりますが、これは専門の諸先生方にお聞きしたほうが早いと思うのですが、現在でも私の調べたところでは、警察、公安調査庁では基礎調査として、つまり調査対象として本籍、住所、氏名、生年月日のほか、経歴、政党関係、性格、思想、趣味、嗜好、交遊関係、血液型、指紋、写真、家屋の見取り図、財産状態、経済状態、異性関係なども調べましてカードに記入しておるということは、これはかつての東大ポポロ事件における警察手帳の発覚、これは公判で明らかになりました。それから島根県の警察の文書が発覚した。和歌山及び関西における警察官警察手帳が発覚した。国鉄において、新潟労働組合を調査するための大学ノートが発見された。これらから法務委員会あたりでも問題になり、また法廷でもこの公安調査官に関する事件としましては、舞鶴事件、ポポロ座事件、こういったことで、いやがおうでも証拠とならざるを得ないわけです。こういう法廷の経験からも、私は記録及び実際の経験で知っておりますが、実際に行なわれておるようでございます。
  20. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それ以上は議論になりますから、それはやめましょう。  戒能先生にひとつ聞きたいのは、先ほど、なるほどあなたのお話を聞いておりますと、入り会い権問題で強盗として起訴された、記録を見ないから断定するわけにはいきませんけれども、あなたの説明を聞いただけでは、はなはだ行き過ぎたやり方だとは思います。思いますが、これはあなた、本法と何の関係があるのですか。本法があるがゆえに強盗を適用したというのですか、それはいかがでしょう。
  21. 戒能通孝

    戒能参考人 私は、検察権並びに裁判権のものの考え方がこういうものであるということを申し上げたのでございます。それで、本法が具体的に適用されたのは、これは強盗ではございませんけれども、本法はやはり適用されております。  それから、私ちょっと申し上げたいのは、警備公安経費でございますが、警察は国家予算のほうに出てまいりませんで、地方予算のほうに入っておりますので、私も正確に警察費としてどれだけ使われておるかは存じませんが、現在におきまして警察経費として出されております地方予算は、合算すると千億円をこえております。そのうち、一割の百五十億は年々警備公安経費として使われております。これが大体顔写真その他を集める手続になっております。とにかくストライキをやっている最中には、いわゆる労働組合活動家のまわりには、顔写真をとる係の専属の警察官がついておるわけであります。それからカメラを用いて必ず隠しどりをしておる。これは顕著な事実でございまして、法廷なんかにしばしばあらわれておるのでございます。私は体験がございませんから、自分で語ることはできませんけれども、内藤さんはこの点をよく御存じだと思います。
  22. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それは、そういう法律があったから適用したと言われれば、なかったらいいという考え方です。いま問題になっておるのは、あなたの言われるようなことではないのです。この法律労働運動適用する、いま内藤さんが言われたようなことをあなたは別の方面でそう考えておると言われたが、それは裁判官の判断について特殊な場合です。  その次にあなたがおっしゃったのは、どうも暴力団に対しては処罰が軽過ぎるということ、それは私も認めます。認めますが、それゆえに本法改正の必要があるのだとわれわれは解釈して、ぜひとも本法改正はなくてはならぬと思っておりますが、あなたは、いままで軽過ぎたが、本法改正をやったらまたなお軽過ぎるという御議論ですか。それはどういうところから判定をなさるのですか。
  23. 戒能通孝

    戒能参考人 別に本法ができたから重くなるとは私は思っておりません。ただ、問題をはっきりさしていただきたいのでありますけれども、暴力団を保護する裁判官がいる。それは飯守裁判官です。これは、赤尾敏という人を確かにりっぱな人物だと、わざわざ新聞記者などを集めてインタビューされて、推奨されたことがございます。これは事実です。それから法務省の刑事局の井本台吉さん、これは前にいらっしゃいました局長でございます。これは有名な思想検事でございます。美濃部亮吉さんはこの井本検事につかまりまして、そうして何とかして治安維持法違反で調べようとしたが、美濃部先生あるいは有沢先生、脇村先生などが別に治安維持法違反でなかったことは事実です。それが戦後になってちゃんと刑事局長をやっていらっしゃる。問題は人的構成、裁判官、検察官の意識をどうするかということで、その上で法律適用されておるものでございます。検察官、裁判官がどういう立場で法律適用するかということが大きな問題だと思うのでございます。私はそれを申し上げたかったのです。労働組合となりますと、ある程度発言者がいるわけでございますが、農民の、しかも泥まみれになっておる農民でありますと、発言者がいませんので、むしろ私の実感としてとらえた声なき声を申し上げたのであります。
  24. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それは特殊のものです。人間の中でもいろいろありましょうが、本法のねらいは、暴力団を重くすべきものであるということだけは御認識を願いたい。  それからもう一つ片山さんに聞きたいのは、この法律をこさえる意味は決して悪くない、これはなくてはならないものだとおっしゃるのですが、それならば、何もそんなに注意せぬでもいいじゃございませんか。何かこの法律をやるときに、特にいまの改正でそういう憂いができたというならば、こういう修正案をつけるということに理由があるのですけれども、そうじゃないんだ、改正が当然なんだ、あるべきものなんだ、それなら何も当然のことをやっておるのに、特に注意規定のようなものは必要ないと私は考えますが、あなたはその点ではいかがですか。   〔委員長退席、小島委員長代理着席〕
  25. 片山武夫

    片山参考人 法律の問題について私はあまり詳しく存じませんけれども、いま指摘されたポイントは、いろいろ多くの人たちが危惧をされておる点があることは事実です。そして、またそれを指摘しておる人があることも事実であります。したがって、その事実に基づいてやはり修正をされるということが、法をつくる立場にある人々にとっては親切なやり方ではないかというふうに私は考えまして、修正案を入れるべきであるという見解に立っておるわけです。
  26. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私、これでやめます。
  27. 小島徹三

    ○小島委員長代理 三田村君。
  28. 三田村武夫

    ○三田村委員 参考人の方々に基本的な問題点を一、二点お伺いいたしたいと思います。  第一は、今度の改正法を含めた暴力行為等処罰法労働運動大衆運動弾圧の具に供せられるという御見解です。これは、私健全にして正常な労働運動あるいは大衆運動はどうしても民主社会においては伸長発展を期さねばならぬという念願は、人後に落ちないつもりでございます。同時に、ここでいま一番大きな課題になっておるものは、いわゆる町の暴力団参考人の方方も申し上げるまでもなく御承知と思いますが、暴力団の数はすでに五千団体、人員にして十七万。御承知のとおり近ごろの新聞を見ておりますと、あるいは週刊誌を見ておりますと、目をおおい、耳をふさぎたいような悪質な事犯事例が毎日頻発しております。これをどうするかということは、民主社会の最高の課題だと私は思います。これは思想や政党を超越した問題でございまして、われわれが平和で安全な社会生活をするためには、人の生命、身体に対する害悪だけはどうしても除かなければならぬ。これは政治の基本的第一義的条件です。最高の課題であり、最低条件なんです。そのための今度の改正案です。私は参考人の方の意思をいろいろそんたく解釈いたしまして、どうもそれは納得がいきません。戦前の例も引かれております。私も実は昭和十一年以来政治の第一線に立った経験がございます。しばしば警視庁に検挙されたこともあります。東条内閣に反抗して、まる百日間警視庁の留置場におったこともあります。しかし、そのころの日本の法体系と、法体系の前提になる政治組織、政治の仕組み、法秩序、社会構造は新憲法によってすっかり変わってしまっているのだということは、聡明な参考人の方方も私は御存じないはずはないと思うのです。そうして、これを労働運動、大衆連動を弾圧する武器、あるいは悪用、乱用する武器に使われるとおっしゃいますが、いまやろうと思ったってやりようがありません。戦前の事態は、社会党の諸君は御存じと思いますが、問答無用です。逮捕状も捜索令状も何もありはしない。行政執行法というまことに便利な法律がありまして、いわゆる公安検束、保護検束で、いきなり問答無用で持っていくのです。私も現職の衆議院議員で百日間公安検束でやられました。いまはやれませんよ。たとえば、現行法では処分を現場でやりましても、立件条件が整わない場合は判事は逮捕状を出しません。現行の場合は、もとより証拠がそろわなければ逮捕状を出しません。乱用するにもしようがない。そのことは特に内藤さんあたりは御存じだと思います。私も、いま述べられたこと、戦前の事例、戦後の事例、絶無とは申し上げません。あったでしょう。どのような社会でも行き過ぎはあります。あやまちはございます。そのあやまちを正すために、司法の最高権威として裁判がある。ここに民主社会の基本的構造があり、司法の権威が尊敬され、尊重されるゆえんがある。でありますから、私は一々述べられた事例に対して反駁的な、批判的なことは申し上げませんが、どのような社会でも比較されなければならぬ事案がある。もちろん労働運動の中、大衆運動の中に、これまた全然行き過ぎがなかったとは私も申し上げる勇気はございません。また、警察検察当局取り締まりの態度の中にも行き過ぎがなかったとは私申し上げる勇気はございません。両方ともあったでしょう。しかしながら、ここで目的としておるものはちまたに横行する暴力団です。この暴力団の対象になるものはほとんど大部分無辜の良民です。母親が十五、六歳の娘を連れて表を歩いておる、いきなり白昼公然とあいくちか何か突きつけて、林の中に遮れ込んで暴行を加える、これは正常な社会の姿とは言えません。そのこと一事が一般の善良な国民全体に及ぼす心理的恐怖というものは、政治家は真剣に考えなければいけないと私は思う。繰り返して申しますが、正常にして正当な労働運動の発展は、その成長をこいねがってやみません。そうでなければ、民主社会の経済の秩序は確立されない。しかしながら、労働運動大衆運動の中のどこかに行き過ぎの部分があったかなかったか知りませんが、そこに、たまたま何件か何十件か知りませんが、この法律適用を見たということで、いま国民あげて要望し要求しておるところの最高の社会問題、政治的課題である町の暴力団の横行をそのままにしてほっておいていいという論理は成り立たぬと思うのです。ことに刑法の専攻であり、学的うんちくの高い参考人でありますから、私は率直に申し上げる。私たちも戦前、戦中、戦後を通じて苛烈、深刻な社会に生き残ってきた一人であります。どろ沼の中に生きてきた一人であります。どのような姿で日本が今日を迎えたか、このからだで承知しております。同時に私がここで申し上げたいことば、世の中で何が一番大切かというと、これは民主主義の原則で言う必要はありませんが、最大多数の最大幸福です。部分的なものを抽象してそのことのゆえに全体を律することは、例外を原則に戻すものであって、法の社会においても間違いだという判断を私はしております。いつでも例外は原則に戻しちゃいけない。この改正案がねらっておるところは、何べんも繰り返して申しますが、皆さんも御承知のとおり、ちまたにあふれるあの暴力団をほっといてはいけません。これも資料で御承知と思いますが、昭和三十七年の少年犯罪は、青少年白書に出ておりますが、ついに触法少年百五万になりました。これは暴力団予備軍と称しておりますが、こういう連中がさらに訓練され、訓練されて暴力団に編成され、その組織の中に、非社会的な活動行動の中に存在していく姿は私は全く残念だと思う。そういう立場から私たちはこの法案審議に臨んでおるのでございますが、繰り返し申し上げて御所見をお伺いします。  前の旧憲法当時の政治体制と新憲法下の政治体制は根本的に変わっておるということはお認めになりましょう。したがいまして、刑事罰にいたしましても、あるいは刑事法令にいたしましても、通用、運用の面においてそれこそ隔世の感がある。あのやろう、憎いからやっつけてやろうと思っても、やれない条件がいまの法体系の中に厳存しているんだということは御存じだと思いますが、これはいかがでしょう。
  29. 戒能通孝

    戒能参考人 いまのお話に対しまして、私は原則的に全く同感でございます。そして、暴力行為関係処罰暴力団取り締まりであるということは、私ももちろん心から望んでおります。しかし、現在の刑法暴力団適用されていないという事実がございます。現在の刑法暴力団に対して厳格に適用すれば、実を申しますと、この法規は要らないのじゃないかと私は感じております。  先ほど裁判のお話がございました。確かに裁判は厳正でございます。そして、裁判は厳正であるのみならず、公開されておりますので、厳正でない場合には、その記録を検討する道がございます。このことは非常にけっこうでございます。しかし、検察ということは、何と申しましてもこれは行政でございます。一たん検察官によって逮捕状を出される、もしくは起訴されますと、そのあと無罪になるまで何年かかるかわかりません。私が現実に関心を持ちました小繋事件におきましても、すでに九年かかっております。今後何年かかるかわかりません。これは、ほかの問題が入ったからこんなに長くなっておるかと思いますが、しかし何年もかかります。大事なことは、無事の人といいますか、あるいは若干行き過ぎがあるけれども、そこまで訴追されるべき人であったかどうか、そういう人がそう長年の間暴力行為等処罰法違反というふうなおそろしい罪名を着て暮らすことがあってはならないのじゃないかと思うのでございます。政治の立場をお考えいただくならば、現在の憲法の立場をできるだけ進めていただきまして、検察の場合にも、起訴される場合におきましても、不当な罪名といいますか、おそるべき罪名、おそろしげな肩書きをみだりにつけないようにしていただきたいと思うのでございます。  それから逮捕状の問題でございます。逮捕状は、現在におきましては、裁判官が発行するということになっておりますけれども、裁判官が発行する前に、実は書記官が逮捕状発行の型を大体つくっていくようであります。裁判所によりますと、裁判官が署名、捺印したときに逮捕状ができるんだから、型ができていく部分は、これは単なる浄書にすぎないとか、いろいろ説明をされます。しかし、裁判官が具体的に証拠を考量して、しかる後逮捕状を発行されるわけではないようであります。主として書面審理でございます。しかし、書面審理の形式を整えるのはむしろ書記官でございます。裁判官はほぼその書面を見てサインをすればいい。特に疑問のない限り、サインをすればいいというところまで大体準備ができているように聞いておるのでございます。この点は、裁判所書記官の諸君あるいは事務官の諸君がしばしば問題にされていることでございまして、これは裁判所の内部の問題でございますから、裁判所内部の公平審査の手続の記録を御検討いただきたいと思っているわけであります。  現在におきまして、逮捕状が非常に厳格な立場で発行されているというふうには、私は残念ながら感じることはできません。したがって、裁判官あるいは書記官、もしくはそれを請求してくるところの検察官なり警察官なりというものがどういう立場で逮捕状を請求するかということによりまして、逮捕される人というのはずいぶん違ってくると思うのでございます。逮捕されなくても済む人たちがずいぶん逮捕されているという実例は、たくさんございましょう。小繋の場合でございましても、農民で逃げる先のない人たちが逮捕されている。しかも、保釈もなかなかされなかったという事実もございます。逃げる道がないのですから任意出頭で十分だったと思いますけれども、なおかつ逮捕され、勾留されているという事実がございます。重い罪名がつけられて、それがいつまでも消えないでいるという状態のほうに問題があるのじゃないかと感じるわけでございます。  なお非行少年の問題でございますけれども、これは率直に申しますと、東京なんかにおきましては、わけても住宅問題と非常に関係があるということ、この点はなお御検討いただきたいと思うのでございます。  いささか余談になるかと思いますけれども、地方から東京に来る若い人たち、これが東京に来て感じることは、何といっても一つのノスタルジアのようでございます。おかあさんは恋しいし、うちは狭いということだと思うのでございます。その結果深夜喫茶などに出入する。そのうちにいろいろな人たちに呼びかけられる、若干おごってもらうということになりますると、一日百円か二百円もらって、そして、お前これで働いてこいということになるわけでございます。現在のぐれん隊の大部分というのは、非常な低賃金労働者なのでございます。私ちょっと調査いたしまして、びっくりしたくらい低賃金労働者でございます。一日二百円くらいお金をもらいまして、これでお前暮らせということになってまいりますと、あとかっぱらいをしたり、いろいろなことをするようなことになってまいりますので、ほんとうにあたたかい気持ちで非行少年の問題をお考えいただくならば、少年、わけても郷里を離れて東京に来る、大阪に来る少年たちのために、もっと愉快な設備というものを、若干ぜいたくな設備をつくっていただくようにお願いしたいと思うのでございます。これは余談でございますけれども、政治の問題としてお願いいたします。
  30. 内藤功

    内藤参考人 ただいまの御質問につきまして、若干私の見解も申し述べておきたいと思います。日本の政治形態が戦前と戦後でどのように変わったかというような問題は、私の専門外でございますので、この点は省きまして、先ほど私の申し述べた労働運動における団結権団体交渉権、それから争議権の保障の点につきましてはどうかと申しますと、この点は明らかに日本国憲法においては、この労働三権というものが権利として勤労者に保障されているわけであります。だとすれば、日本国憲法の条規、精神に違反しますところの暴力処罰法というものは、これは当然廃止さるべきものである。大正十五年の政治形態のもとでできた法律は、もし政治形態がいま先生のおっしゃったように根本的に変わったという見解に立ちまするならば、この法律は戦前の遺物なのですから、当然ここで書き改めて、新たに暴力団だけを取り締まり乱用のおそれの全くない法律をつくるということも可能であったにもかかわらず、これがいまなお存在している。ここのところに労働運動大衆運動に対する弾圧の非常に不自然な不幸な根源が実はあると私は思うのであります。  申すまでもなく、争議権といいますのは、この内容として、争議行為に対して刑罰を科せられないという内容は、歴史的にも一番基本的な内容であります。しかしながら、最高裁判所の戦後の判例は、最初の間は暴行脅迫といえども常に必ずしも違法ではないというのが、昭和二十四年の板橋造兵廠事件判例でございましたが、その後暴行罪、脅迫罪に当たる場合は、すべて労働組合法の刑事免責保障の適用がないというふうに、だんだんとこの正当性の範囲を狭めてまいっております。  このようなことを見てまいりますと、憲法三十八条という面から見ますと、戦前からえらい変わりようですけれども、この法律を実行する、最終的に保障すべき最高裁判所判例でも、私をして言わしむれば、争議行為はもともと思いものである、争議行為暴力処罰法は無制限に適用されるという戦前の考え方とたいして変化がないように私は思うのであります。  そういうところから、そういうおそれのある暴力処罰法は本来廃止すべきであるという意見が出てきておりますし、また廃止しないまでも、労働組合運動あるいは労働組合員の活動には適用しないということを、明確に解釈あるいは立法例において明記すべきであるという見解も出てくる根源があるだろうと思うのであります。  とにかく先ほど戒能参考人、それから片山参考人もこの点は一致しておりますように、戦前の暴力処罰法は、自由なる正当なる労働運動適用するものではないという政府の言明にもかかわらず、適用されたということは、これは先生もお認めになるとおりだと思います。  そこで私たちは、やはりこの際、この法律がもう一度この改正一案によって、さらに労働運動などに対する極端な弾圧を企図して作用しないように、ここで十分警戒をして、できればこの法案はもとへ戻して、もう一ぺん暴力団の根源というものを、刑罰だけでなくて、探っていく必要があると思うのです。そこで、暴力団退治ということについては、本改正案が直ちに特効薬であるかどうかということは大きな問題です。まず根源を突き詰めなければいけません。根源でなくて、たとえばこの法務省の資料にも出ておりますように、七百九十九名のこういう常習犯の人をあげて、こういう悪いやつがいるというならば、そういう悪いやつは一体どういうふうにしてそういう暴力団の道に入ったのか、やはり人間的にこれを考えなくてはいけません。私は、弁護士として法廷に立ち、刑事弁護もやっておりますけれども、ほんとうの悪人というものはいないのです。いろいろ事情を聞いてみれば、おい立ちから、境遇、経験、その中で暴力団に入らざるを得ない、足も抜けないという事情もあるのです。こういうことを一方において根本的に考えなくてはいけない、それと相まって法律改正を考えなくてはいけないのに、法律改正だけ――それだけとは私はあえて申し上げませんけれども、それが非常に先行してしまって、そしてほんとうの根源である、どうしてそういう暴力団常習者というものが出てきたかという社会的な根源――私の意見では、それはおそらくはっきり言うと経済政策の貧困であると思います。現在において正業につけない、暴力団に入っていたほうが実入りがよろしい、そこで足が抜けないということが一つあります。それからもう一つは、これはいつかの読売新聞にも書いておりましたけれども、ことしの二月に、暴力取り締まり対策要綱を警察庁において御立案なされたときに、ある捜査官は、真剣に、日経連などを通じて一部の財界人からこれらの暴力団にお金が出されておることを何とか取り締まってもらわなければほんとうに責任が持てないと発言したということが、読売新聞の解説に出ておりました。私は、捜査官の中にほんとうに真剣にこれを考える人があれば、こう言うことは当然だと思うのです。そういう根源を考えていかなければならない。  それから警察が、これは私がさっきの陳述で申し上げましたように、特に労働争議に介入してくる暴力団が目の前で暴行しているのに、それに対していかに現行逮捕を渋っておるかというこの動かし得ない事実ですね。これなどからして、われわれは、こういう根本的な問題を解決しないでこの法案審議を非常にお急ぎになるということについて、実は非常に疑問に思っておる、たいへん率直に申し上げるとそういうことになると思います。
  31. 三田村武夫

    ○三田村委員 戒能参考人の先ほどの御意見に対して、私は、冒頭に申しましたように、あげ足とりや反駁のための反駁論をやろうとは思いませんが、ただ一つ刑法適用でいいじゃないか、こういう御意見です。なるほどそうなんですが、刑法の刑では軽過ぎるのです。たとえば「十年以下ノ懲役又ハ五百円以下ノ罰金若クハ科料ニ処ス」こう書いてある。この法案審議についても、社会党の諸君からいろいろ意見が出ましたが、もう少し検察、警察を督励し、裁判所を督励して刑を重くしたらいいじゃないかという御意見も出ました。私は、この御意見には必ずしも賛成しません。警察警察、検察は検察、裁判は裁判、おのおの独立した機能と権限を持っている。いまの刑法規定の中でも重く罰すればいいじゃないかという御意見は、御意見として伺いますが、現実はそうなっていないのです。たとえば、昭和三十三年から三十五年の三カ年間の暴力事犯第一審判決の統計を見ますと、傷害、暴行脅迫銃砲刀剣所持、暴力行為、合わせて一年以上の刑に処せられた者は一万二千七百十二人です。一年未満――六カ月が一番多いのですか、二万八千五百三十三人、一年未満の短期刑のほうが三分の二以上を占めておる。だから三十四歳のある男が前科二十四犯を持っておる。三十四歳で二十四犯というと一体何だ、こういうことです。これなど、せっかく刑法があっても刑の効果はないのです。そこで、短期自由刑の最下限を引き上げませんと、裁判所はその刑罰法を忠実に適用判決することが裁判官の任務でありますから、戒能先生せっかくの御意見でも、これは裁判所はやりません。ここに問題点が一つあります。  それから内藤さんも申されました青少年不良化の問題、それから裁判構造の問題、これは戒能先生でしたか、私がかつて三十二年でしたか、当委員会委員長をしておったときに、最高裁判所の機構改革法が出てまいりまして、そのときにたしか戒能先生に参考人としておいで願ったと思います。いまの日本の裁判制度は、私が申し上げるまでもなく実体法と手続法とチャンポンです。刑事実体法は大陸法、手続法は米英法、チャンポンだから非常に困難な点が出ております。根本的にこれを解決しなければならぬことは言うまでもありません。内藤参考人の、いまごろ暴力処罰法の改正をするよりも別なことを考えたらどうだということも御意見のとおりで、法務当局もあるいはわれわれもその点は考えております。これは大体において刑法犯罪でありますから、刑法の類型に入ってくるのは当然であります。改正刑法草案の中にこれは入っております。そういう形において刑事法としての体系が整わなければなりませんが、いまの事態からいいますと、五年先か七年先か、その新しい刑法成立、制定せしめるまで待っておられません。そういうことのために今回の改正は私たちは必要だと思っているわけです。  なお、いま内藤さん強調されましたが、決してわれわれは今回の改正法だけで事足れりと思っておりません。政府もわれわれもそれほど浅薄じゃございません。町の暴力団がどうやって発生してくるかくらいは、十分われわれも検討を加えております。経済の貧困にも原因がございましょう。社会構造の穴にも原因がございましょう。しかしながら、いまここにある悪はどうやって除くのだというところに問題の焦点があるのです。御意見は御意見として十分伺っておきますが、私たちがここで申し上げたいことは、この町の暴力団退治、いま内藤さんが言われました暴力団に財界から金を出している者があるじゃないかということ、その証拠が押えられたらこれは断固としてやりましょう。いままでにも断固としてやった例もあるのです。やらなければならないと思います。これをなおざりにするつもりは毛頭ございません。しかし、法治国ですから、すべて法律に基づいた処置をとることは絶対の条件だと思うのです。何でもかんでも、あそこに悪があるからあの悪をあばいてやれということは、それが右であれ左であれ、社会構造のどこに向けられてもよくないことだと思う。そうでなくて、一つの刑罰なら刑罰の体系を整えて、そこの中で、もとよりそれは全部ではございませんが、できるだけのことをやっていくことは政治の任務であり、政府の責任だと思うのです。この点は、三田村個人の立場から申し上げてもよろしい。私の見解と御両所の見解と、その立論の根底において違うところがあることは私も認めます。しかしながら、私たちはこの法案を、今国会で三回目ですが、どうしても成立させなければならぬという政治上の責任が、われわれとして非常に良心的に大きな悩みになっておるということだけは御理解願いたい。正常な労働運動弾圧に用いるとかなんとか、そういうことは毛頭考えておりません。しかしながら、いまあげられた例も、先ほど申しましたように、必ずしも全部正常な健全な労働運動、労働行為ばかりだとは私は申し上げる勇気がございません。かつての小作争議がどのくらい深刻な争議をやったか、御存じのはずです。私も現場にいて知っていますが、地主の家に火をつけて焼いてしまったり、裁判所を襲撃して屋根がわらをはいでしまったりした小作争議もございます。それは社会的条件がしからしめたのでありましょう。そういう時代といまの時代は違っているのだ。内藤さんが言われましたように、労働三権というものは憲法で保障されておる、この保障された労働三権は守らなければならない、健全な労働運動を守っていくためには、ごく少部分でも不健全なものがあれば、むしろ労働組合の主体性からいって当事者の側から改めてほしい。私は、これが労働運動に悪用され乱用されるというようなことは、もとより政府としても考えておりませんし、よくお話に出ます、法律は通ってしまえばひとり歩きをするという意見も、そのように思います。しかしながら、ひとり歩きはするが、為政者の独断でひとり歩きはいたしません。日本は権力国家ではないのです。民主国家です。権力国家ならば、権力者の恣意によってひとり歩きをいたしましょう。しかしながら、いまの民主社会における民主憲法のもとにおいては、ひとり歩きはしませんよ。警察警察、検察は検察、裁判所裁判所の独自の立場で、独自の機能と独自の責任でこの問題の運営に当たっていかなければならない。だからわれわれは、ちまたに横行する暴力団の手当てのために、これだけは最小限必要だというこの必要性からこの法案審議に臨んでおるのです。それだけはひとつ御了承願いたいと思います。  これ以上議論をしようとは思いませんが、何か私たちが参考人の御意見を伺っておりますと、労働運動弾圧のために、あるいは大衆運動弾圧のためにこの立法に当たっておるような御意見がもしございましたならば、私ははなはだ遺憾だと思います。きょうの参考人の方々がお述べになりましたことは、この委員会の速記録に残ります。私たちの立場から、この法案審議に臨む責任の立場から、御両所の御意見のままでそれだけを速記録に残して黙って見送るわけにはいかないという立場から、私は自民党の一人として、この暴力事犯に対する態度はいかにあるべきかという立場から申し上げたのです。御意見がございましたら重ねて伺っておきます。
  32. 戒能通孝

    戒能参考人 暴力団に対して厳罰にしなければならないということは、私も同感でございます。また、厳罰にしなければならないだけの理由があると私は信じております。この点は、私は三田村先生に全然異存がないのであります。ところが裁判所暴力団に対してわりあい甘いということは、記録によってはっきり出ておると思います。先ほどおっしゃったように、三十四歳で二十何犯というようなことは、ずいぶん甘いということを明らかにしておるのじゃないかと思います。ところがその裁判所が、労働運動なんかになってまいりますと相当きびしゅうございます。いわゆる洗濯デモというようなものをやったとすると、これはあまりよいことではありませんが、大体一年半が相場ではないかと思っております。暴力団が踏んだりけったりする、時によるとあいくちを突きつける、こういうようなものでせいぜい三カ月ないし八カ月、石井一昌などでさえ八カ月くらいで出ております。ところが労働運動ということになりますと、やはり組合があるわけであります。労働組合が自分でストライキをやろうと決議してストライキをやっておる最中に分裂してしまって、そうして第二組合が第一組合の張っておるピケを侵して入ってくるというようなことがあります。そのときに、乱暴をしなければそれにこしたことはありませんが、しかし若干の感情が出てまいるだろうと思います。これは三田村先生、あるいはここにいらっしゃいます先生方のような紳士は、そういう感情をあらわしたら、これは非常にけしからぬと思われると思いますけれども、それまでを要求されるのは若干無理かと思うのでございます。やはり若干の感情というものは出てまいります。そうして、こづき回すということはやると思います。少なくともミミズばれができるぐらいのこづき回しはやると思います。ストライキが済んでしまえば働かなければならないのですから、足を折ってしまうということはしておりません。暴力団ですと、足を折る、胸を突き刺すということをやります。それにもかかわらず、前科何十犯という者が出てくる。これは、一体なぜ裁判所がそういうふうな軽い取り扱いをするのだろうかと私は私なりに感じて考えてみたことが一ぺんございます。私は、残念ながら監獄の中のことにつきましてはよく存じません。監獄の中の生活というものは全くの伝聞でございますから、間違っているかもしれません。監獄の方、刑務所の方にはたいへん不愉快な発言になりますが、日本の刑務所というのは、遺憾ながら犯人を教化改善するだけの設備がないように私は感ずるわけでございます。つまり裁判官はそれを知っている。だから、ぐれん隊を監獄に入れても教化改善されないということを知っておられる結果、裁判官は軽い刑を科するのではないかしらんという疑いを私は持つことがございます。   〔小島委員長代理退席、委員長着席〕  むしろうかつに刑務所に入れられていると、彼らに教えられて逆に仲間の組織の中に入っていってしまう、むしろ悪者になってしまう。監獄は、遺憾ながら犯罪者を育てる学校だということを裁判官はうすうす感じている結果、軽い刑を科せられるのではないかという感じを受けるわけでございます。それでなければ、二十何犯というものがあり得るはずはございません。そうしてまた、再犯率が非常に高い。不幸にして日本の窃盗犯とか傷害犯、暴行犯の再犯率は非常に高いということは、裁判官が監獄の学校的機能というものに対して若干の疑惑を持っておられるのではないかと思うのであります。ところが労働運動か何かになってまいりますと、これは教育の必要はございません。ストライキがなければ普通の人間でございます。ただストライキがあった結果、若干激高するということがあるわけでございます。教育の必要もございません。ですから、これに対してはある意味におきまして平気で重い刑を科し得る。重い刑を科した反面で、執行猶予というものをつけてしまう。つまり重くしかつ執行猶予をすることによって、幾つかの将来の活動に対して警告を与える、見せしめをするというような心理作用が動いておるのではなかろうかという若干の推測をするわけでございます。私としても、暴力団に対しては重い刑を科していいと思います。それからまた、重い刑を科した場合におきましては、その暴力団員が二度と再び暴力事犯を繰り返さないように、監獄で十分な教育をし、そして更生施設も設けて、ある程度まで生活を保障するという道がとられること、そのことが望ましいんじゃないかと思いますけれども、いまはかなり早く出ている。なぜ一体裁判所はそういう軽い刑を科するのかということについて、私は疑念を持ちます。裁判官だって常識ある人間でございますから、まさか暴力団がかわいいからということは、特殊な人を除けばあるまいと思います。また暴力団に対して有力な弁護士がつくということもあるかもしれません。しかし、それがすべてではなかろうと思うのでございます。裁判官が一体なぜ暴力団に対して軽い刑を科するのかということについては、これは量刑の立場から御検討をお願いいたしたいと思います。ただ私、残念ながら監獄の実態については全く無知識、むしろ伝聞でございますので、これは心理的な分析にまで至っていないことをお許しいただきたいと思います。
  33. 三田村武夫

    ○三田村委員 大体私の申し上げて御所見を伺いたい問題点は終わりました。こまかい点を議論しておると果てしがございませんから、この程度でとどめます。  終わりに、戒能先生も言われましたが、裁判官の問題、それから量刑上の問題――私も実は巣鴨の刑務所におったことがございますので知っておりますが、裁判官の独立性というものは私は尊重していかなければいけないと思うのです。裁判官はみずから良心に従って判決するということは、裁判官本来の使命ですから、どのような心理作川で判決が下されるといたしましても、裁判官の量刑の基準になるものはそれを規律する刑法です。その基礎法の定める刑が軽ければ、軽い判決をするのは裁判官の自由だと思う。これが一年以上十年以下にいたしますと、少なくとも一年以下の刑は科せられません。そこにいま戒能先生の御心配になりました、出たり入ったり、出たり入ったり、そのうちにだんだん箔をつけてますます町の暴力団の親分格になってしまうという最も好ましくないことをチェックしていく道があるのだということをわれわれは考えるのです。  それから刑の下限引き上げの問題については、権利保釈の問題もからんできております。これは、罪を犯した者といえども基本的人権は憲法で保障されております。これは当然考えなければなりませんが、起訴したらすぐ権利保釈で出てきてしまう。出たらその日から自由人になって、自由に暴力のちまたを横行するのでは何のことかわけがわからぬ。そのことによって被害者はさらに恐怖を感じ、近ごろは取り締まりの衝に当たっておる警察の家庭までもおどかしているくらいなんです。決して健全な姿ではないのです。そういう点に対する手当てもしなければならぬということが今度の改正法のねらいであるということも御了承願いたいと思います。  これ以上私は押し問答をやるつもりはございませんから、これにてとどめます。
  34. 戒能通孝

    戒能参考人 ごもっともでございますけれども、私も、裁判官が私たちとあまり違った感覚を持っていらっしゃるとは一般的に考えません。ですから、暴力団に対して一年ないし一年半の刑罰を科するということは、普通そういう感じ方はされるのだろうと思います。ところが裁判官は、具体的に言うと、あまり重い刑を科していない、なぜ重い刑を科していないかという問題につきまして衆議院で特に御調査になったことがございましたら、私どもとしては参考人として質問をするのははなはだおかしゅうございますけれども、理由のごく簡潔なことだけ教えていただければありがたいと思います。
  35. 三田村武夫

    ○三田村委員 これは、私のほうから釈明する問題ではございませんが、先ほども申しましたように、裁判官の心理がどのようにあるかということは、これは他の何人も干渉できない厳粛なる裁判、司法の独立でございます。これは聞くわけにはまいりません。調べるわけにはまいりませんが、出てきた統計によると、昭和三十三年から三十五年の統計で、先ほど申しましたように、暴力事犯で一年以上が一万二千七百十二人、一年以下、六カ月が一番多いのですが、二万八千五百三十三、これでは刑の目的を達し得ない。暴力団を一掃する処置のためにわれわれは別途なことを考えなければいけないということが下限引き上げの理由だということを申し上げたのです。裁判所の中のどういう心理で裁判官が判決を下すか、これは何人も、最高裁判所の長官といえども調べる道はないし、また調べてはいけないことだと私は思います。
  36. 戒能通孝

    戒能参考人 別に私、そういうことを申したわけではございません。しかし、裁判官が特に軽い刑――おそらく暴行罪をやった暴力団に対して六カ月というのは非常に軽いというふうに三田村先生はお考えでしょうし、私も考えるのでございます。軽い刑を科する何か客観的な理由があるかということ、これの客観的な御調査をなさったかどうかということを伺っておるわけでございます。私の印象でございますけれども、これは、監獄に入れてもあんまり効果がないというふうに裁判官は考えるのが普通じゃないか。日本の監獄制度というものは、どこか欠陥があるのじゃないかということ、その欠陥があるということは、結局監獄公務員が、刑務所公務員が自分の職場に対して十分な関心を持てないところにある。つまり具体的に申しますと、個人個人の意見しか言えない、監獄公務員に対しましては団結権の保障さえないということと私は何かつながりがあるというふうに感じているわけでございます。これは議論になりますから、私としてはこの際失礼いたします。
  37. 三田村武夫

    ○三田村委員 終わります。
  38. 濱野清吾

    濱野委員長 田中織之進君。
  39. 田中織之進

    ○田中(織)委員 参考人に対するわれわれ野党側の質問は、できるだけ遠慮したいという考えでおったのでありますが、先ほど与党側の質問を伺っておりますと、参考人から本案に対して率直な意見を述べたことに対して、原案を支持する立場の与党としては、いわば黙って聞いているわけにはいかないという意味合いにおいて、相当意見開陳も行なわれているようでございますので、私も、本来ならば、そういう意味参考人意見を支持する立場において、本案反対の立場で意見を述べたいのでありますが、討論会ではございませんので、意見を述べることは差し控えて、二、三の点について率直に簡潔に質問を申し上げますから、時間も経過しておりますから簡単にお答えをいただきたいと思います。  まず戒能参考人にお伺いをいたしたいのでありますが、戒能先生は農村における入り会い権をめぐる切実なる問題に関連して、この暴力行為等処罰法がいかに運用されているかということについて、実例をあげて述べられたのであります。内藤参考人から、主として労働争議中心にしての本法適用の状況について述べられたのと合わせまして、私ども非常に傾聴いたしたわけであります。私は、この点は戒能先生がどうお考えになるか伺いたいと思いますが、大正十五年に本法を制定するときに、当時の法務当局労働争議あるいは小作争議、それに加えまして、もう一つ、当時ほうはいとして起こってまいりました水平運動、大衆運動でありますが、これに対しても本法適用しないということを言明していることは、先生も御存じのところだと思うのであります。ところが本法ができますると、いわゆる水平運動、現在の部落解放運動に関連をする事件について本法適用がかなりひんぱんに行なわれてきておるわけであります。部落差別の問題についての理解というものは、なかなか現実社会にはないわけです。これは何人も否定することはできないので、現に内閣に同和対策審議会という強力なる機関を政府は設置して、この問題の根本的な解決のための施策を審議しているような段階でありますけれども、実際問題としては、部落問題に対してはなかなか裁判所警察取り締まり当局等においてはどうも理解がされていない。御承知のように、部落差別問題というのは、いわゆる封建時代の身分制の遺物である、少数の部落の人たちを今日なおべっ視観念のもとにべっ称もいたしておりますし、明治四年の太政官布告で、べっ称は法制的には除かれておるのでありますけれども、実質的に長い間社会から隔絶されたような形に置かれたことからくる社会的、経済的な条件を引き上げるということについて何らの処置をやっていないから、部落の後進性と申しますか、反社会性というものが今日なお残っておるところに差別事件というものが起こってきておるのが実情だと私は思うのです。  たまたま暴力法適用が起こりました事件は、そういう意味で特定の部落に対して特定の者が差別をした。したがって部落の人たちにとりましては、それは結婚の問題に支障を来たしてくる、就職にも差しつかえるというようなことから、その差別者に対して非常な憤激を持って、まず関係者、差別者というものを呼んでまいりまして、なぜそういう言辞を弄したかというようなことの、いわゆる差別事情の確認会というものを行なうわけです。ところが、差別したということをなかなか率直に認めないものです。したがって若い人たちの中には、自分が差別された直接の被害者であるということ、おまえはどこそこでおれに対してこういうことを言って差別したではないか、こういうようなことから、差別者に対して、勢い、先ほどの小繋事件の場合のように、肩を突くとか手が触れる場合がございます。これが暴力行為である、こういう形で処刑された事件が私の村にも起こりました。  それから西牟婁郡の日置川町に安宅という部落があります。ここはもと水平の行者といわれた栗栖八郎氏の生家のあるところであります。最近は非常に他の地区の人との間の融和がうまくいっているところでありますが、ここでたまたま問題が起こりました。町の教育委員会の諸君などが立ち会って、公務員が寄って確認会をやったときに、青年の諸君――これは模範青年です。町の青年団の役員もいたしておるし、町役場につとめておるというような諸君が、あまりにも白々しい否認をやるために、本人に対して威圧を加えた。これが暴力行為等処罰に関する法律起訴されて裁判になったのです。私は、この差別事件というものは、特定の部落の大衆に対して与えるのでありますから、差別をされた被害者である部落の人たちが勢い何としてもやはりそういう差別者を憎むという気持ちは当然あると思うのです。それに対して、まず事実を確認して、別に差別者をなぐったからといって、あるいは罪に処したからということによって、これは差別問題がなくなるのではないのです。したがって、それは間違ったことだということについて反省があって、差別のない状態をつくり出すために差別者が積極的に進むことがこの問題の処理の重要な点だということで今日私どもも指導いたしておるのであります。そういう意味で、間々部落の人たちが問題の成り行きを知るために多数集まります。そこで強い声が出たということになると、団体または多数の威力を示して暴行脅迫を加えたということで、暴力行為等処罰法適用してきているというのが事実なんです。こういう形の暴力法適用というものは、先ほど先生が述べられた入り会い権というような、部落の人たちにとっては深刻な生活に関連する問題についてたまたま出た。それは、ある意味からいえば多数の威迫ということになるかもしれませんが、そういうものにまでこの法律適用するということは、明らかに行き過ぎではないか。そういう問題の性質から提案者がこれは適用しないということを言明したのは、そういう一つの歴史的なものがあると思うのでありますが、現実にはそういう形が出てきている。私が国会へ出てから約十八年ばかりになりますけれども、この国会で取り上げた差別事件だけでも二十数件ある。  さらに一つの問題は、高知県の興津に起こった、いわゆる差別問題から起こった子供たちの同盟休校。休校中に部落の子供たちの学力が低下したらいかぬということで、校長が認めて部落の集会所で分散授業をやるために、校長の許可を受けて借り受けていた三十脚ばかりの机、いすを教育委員会が撤去するという問題に関連して、二百五十名の武装警官が出てまいりまして、それでいざこざが起こった。それを暴力行為だ、公務執行妨害だ、傷害罪だということで起訴して、これは裁判になった。私も特別弁護人として出たのであります。昨日関係者が上京してまいりました。今月の六日の日にそのことについては無罪判決が下った。私は当然のことだと思う。ところが、そういう形で職権乱用をして、女、子供を入れても全体で三百名しかいないところに二百五十名の警察官を入れて、公安検事がみずから指揮に出てきた事件で、いわゆる被告になった人たちは、裁判所無罪判決は出ましたけれども、そういう形で、部落の人たちももみ合いの過程でけがをした者も何人かあります。診断書も出している。そういう被害者が無罪判決が下っただけで何ら慰謝されることがない状態に置かれているということになれば、私は先日も賀屋法務大臣にも、そういう観点から出てまいりますと明らかに乱用しておるじゃないかと申し上げて、最後には行き過ぎはあるだろうということを賀屋さんは認めましたけれども、これは、私重要な問題だと思うのであります。この種のいわゆる部落差別、従来から俗にいう水平運動等に対する――労働組合とか農民争議は事態がはっきりいたしますけれども、こういうような事案に対しても本法適用をされていく。この問題の差別があとを断たない限りは、こういう事件が私は起こらないという保障はできないと思うのであります。その場合に政府当局では、一条一項は何ら触れていないのだからというだけで答弁をそらすのでありますけれども、私は、やはり改正点も、それに部落解放同盟の常任の諸君があらゆる事件に立ち会うということになりますれば、勢い常習者という認定をされないとも限らないという心配が出てくるのであります。こういう点は、先ほどの労働争議とは別な立場で、農民問題に関連して先生は御意見を述べられましたので、本件についての、私がいま申し上げたことについて先生の御意見がございましたらまず伺いたい。
  40. 戒能通孝

    戒能参考人 部落の問題は、私、東京に住んでおりますのであまり深刻に感じません。関西に参りますと、非常に深刻な問題があるようでございます。京都、大阪、特に京都などはそれは深刻な問題があるようでございます。  私も、実はある大学におきまして小繋の話をいたしましたときに、うっかり小繋部落、部落と盛んに申しました。ところが学生さんがそれを聞いていまして、憤然としまして、部落ということばは何かというふうに聞かれるわけです。差別的言辞があったというふうな抗議をされました。私は、その学生さんをその席でしかったわけです。人の話を聞かないで抗議するとは何だというわけでしかりました。そして押し問答いたしまして、私がその場で勝って、相手は自分も若干軽率なところがあったと言われました。しかし、私自身うちへ帰ってよく考えてみまして、部落ということばでそれほどの反応を学生が示すということは、やはり関西の部落問題、特に京都、奈良、和歌山というようなところの部落問題というのは非常に深刻なものがあるのじゃないかと思います。そして、部落ということばによりましてもう何十年間、何百年間ずっといじめつけられてきた人たちがいるわけでございます。その人たちが、場合によりますと誤解によって反応するということ、これはないという保障はございません。またあってもしかたがないのじゃなかろうかと思います。私は軽べつした気持ちはなかったわけでございますけれども、そういう環境をつくって、その環境の中に私もいるんですから、私はこの責任を分担しなければならないというふうに感じたわけであります。残念なことに、日本警察あるいは検察官の中に、時には裁判官すら、部落民のくせに何だということを法廷で言われた方があるようであります。検察官、警察官の方になりますと、部落民ということになりますと、何か一方的なきめつけ方をし、部落民が悪いんだ、あるいはしいて事を荒立たせているという形で、大量の警察官を投入するということがあるように私も思えます。現にあったわけでございます。ですから、暴力行為等処罰法というものを本気になって立法される場合ならば、これは一般的に暴力団が悪いんだ。これは悪いから悪いんです。それは私は同感されると思います。暴力団が悪いんだということで、実は部落解放運動あるいは労働運動農民運動までいっていない。しかし、考えてみれば理由はある。これは非常に高い地位におられる方には理由はありませんけれども、部落民として何代も何代もいじめられた人になりますと、部落民と言われるだけですでに憤然となるというようなこと。これは間違いだというわけにはいかない点があるということを私は感ずるわけであります。この点で、立法そのものを何か改める方法はないだろうか。部落解放同盟の方も、銃砲刀剣のたぐいを実際に使われたことはないと思います。「銃砲刀剣」というふうに厳格に規定をし、「類」というふうにしり抜け規定にならないようなことを考えなければならないだろうと思います。部落問題、労働問題は、本気で考える場合ですと、おそらくあいまいなことばを使うということが問題の根本にあるのではないかと思います。あいまいなことばは、立法当時におきましては、常に、そんなことはない、安心しろと言われたその領域に向かって発展していくのが一般的傾向である。残念ながら暴力行為等処罰法もかつてそうでございました、現在もそうであります。これだけは事実でございます。この点は法律の機能として、法律がひとり歩きしているという事実を前提として御検討願います。
  41. 田中織之進

    ○田中(織)委員 部落問題は、東京にいる関係から具体的な事例にあまり接していないと断わられましたが、非常に深い理解を持っておられることに対して敬意を表する次第でございます。  特に暴力法適用にあたって、もちろん、先生も言われましたように、銃砲刀剣類による傷害ということは、部落解放運動に関する限りは過去においてもありませんし、今後においてもあろうはずはないと私は思う。ところがこの点については、先ほど内藤参考人でございましたか、述べられましたいわゆる常習認定の問題に部落解放の専従者がひっかかる。しかもその点については、法務省刑事局長の答弁の中にありましても、暴行脅迫、器物損壊、それから今度は傷害が入るわけであります。これを一つのグループとして考えておる。そういうものをいわゆる暴力行為という。したがって、暴行なり脅迫なり、器物損壊なりの各罪についての前科云々であるとか、そういうことについての常習というような問題じゃなくて、それをひっくるめたいわゆる暴力行為一つのグループ、暴力行為というグループの行為を繰り返す習癖性があるんだということを、従来の大審院あるいは最高裁の判例も、先ほど内藤参考人から述べられたように、そこに具体的に事例を示している。非常に広範な常習性認定の解釈をしているというところに、特に部落解放運動、労働組合あるいは農民運動関係、あるいはその他の大衆運動の場合のいわゆる活動家というものがひっかけられる危険性がなしとはしないという私どもの反対と一致するんです。  私は、その点についてもう一つ伺いたいのは、参考人の三人の方ともに暴力団に対する取り締まりを厳重にやるということは共通しているのであります。この点は私も委員会で追及したのであります。暴力というのは、暴力行為そのものが目的なんじゃないんです。暴力行為によって金銭を得る。それによってなりわいを立てていくということが暴力団のそもそもの存立の目的であります。したがって、これは刑法上の犯罪からいえば、金を得るという恐喝が暴力団の最終的な目的だと思う。ところが、その点に今度の改正案においては触れていない。暴力団銃砲刀剣類による傷害あるいは暴力団関係者の中にいる常習者処罰するということについてはそれぞれ目的を持っているし、一つの意義があることは認めるけれども、これは暴力団対策と言われるけれども、暴力団の重要な問題をはずしているのではないかという観点から、私どもも皆さんと同じような立場で反対をいたしておるのでございますが、恐喝を入れなかったということについて、この点は内藤参考人からでも戒能先生からでもけっこうでございますが、御所見を伺いたい。  それから、ついでに私の質問点を、あと二つございまするので申し上げますから、逐次お答えいただきたいと思うのです。  現行法の第一条の二項でございます。「常習トシテ前項ニ掲クル刑法各条ノ罪ヲ犯シタル者ノ罰亦前項ニ同シ」という規定がございます。それから、今度の新たに設けた一条ノ二、いわゆる銃砲刀剣類を用いての傷害罪、あるいはそれの未遂罪に対する規定、それから一条ノ三、「常習トシテ刑法第二百四条」云々のいわゆる暴行または傷害を加えたる者に対する科刑の点でございます。これは、当局の説明では、一条一項とは無縁なんだということを言われておるのです。私どももそういうように実は解釈するのです。一条の二項にいたしましても、これは「常習トシテ前項に掲クル刑法各条の罪を犯シタ」ということの場合のいわゆる常習規定でございます。これは刑法のそれぞれの罪の常習として当然入れるべき筋合いのものであります。また一条ノ二、一条ノ三を新たに設けたのでありますけれども、これは、一条一項と関係ないんだということを提案者のほうでは繰り返し説明をされるなら、無縁なものであるならば、何も暴力行為等処罰法の中に入れなくて、これは刑法の中へ入れたらいいじゃないか。確かに刑法改正準備案の中にはそれぞれ入れているようであります。それかといって、いわゆる刑法の全面的改正ができるまでのつなぎ立法かと念を押しますと、必ずしもそのことの言明がないわけです。したがって、ポ勅が出て幾多の反動法令が廃止されたときにもこれが生き残ったように、この問題は、あるいは刑法の全面的な改正が行なわれた場合においても、従来の歴史的な経緯から見るならば残される危険性があるのではないかという点を危惧するのでありますが、この点について参考人の方々の意見を伺いたいのであります。  それから最後に、戒能先生が言われた事件は、最初盛岡の地裁でありますかの判決でありますから、当然これは合議制の裁判の判決の結果、強盗は成立は認めなかったけれども、暴力法適用があったということで、合議制で陪席が二人ついている裁判においても、これはだれが考えても非常識な裁判だと思うのです。裁判批判についての与党側の別な意見がありますけれども、私らは、やはり裁判所の独立は、立法府の者として認めることにおいては決して人後に落ちませんけれども、やはり個々の裁判については、これはやはり批判の自由というものはあるというふうに考える。そこへ持ってきて、今度常習にいたしましても、あるいは銃砲刀剣類による傷害にいたしましても、下限を一年に引き上げて罰則は強化されておりながら、いわゆる合議裁判からはずされて単独裁判になった。この点は内藤参考人が触れられたのであります。私は、これらを見ますると、われわれが心配するところの乱用の危険性を裁判の最終的な結果においてもぬぐうことのできない危険性が出てくる。もちろん権利保釈も認められないということになりますから、裁判の迅速という一面の理由はわかりますけれども、やはり合議制でも問題になるような事例が出てきておるのにかかわらず、裁判のスピード化という一点だけからこれを合議制からはずすということになれば、きわめて重要な問題を含んでくるのではないか、こういうふうに考えるのでありますが、この点については、参考人の方々の御意見はいかがですか。
  42. 内藤功

    内藤参考人 御質問が大体四点くらいに分かれると思いますので、私の考えているところを申し上げたいと思います。  第一に、この法律がほんとうに暴力団を取り締まるというのならば恐喝というものを入れてしかるべきではないかという御質問でございます。この点は私どももそう思います。恐喝というのは、古く英国の十九世紀末、それから二十世紀初めの労働運動の中で、団結をして団結の力を示して資本家から賃金値上げをかちとった、これが恐喝だといって起訴された事案があるやに歴史で読んでおりますけれども、しかし日本労働運動では、恐喝だということできた例は私の聞いた範囲ではあまりない。主としてこれはやはり町の暴力団、悪質な暴力団のやることでありましょう。ほんとうに取り締まるなら恐喝が入っているはずだという御疑問はもっともで、同感であります。ただしかし、私はその一点だけから暴力法というものの本質が労働運動取り締まり法だというようには考えておりません。これは田中先生も大体御同様であろうと思いますけれども、私は、やはり冒頭に申し上げましたような暴力法おい立ち、歴史、それから現在における適用状況、裁判においていかに検察官の行き過ぎ起訴がとがめられて無罪判決がなされた例が最近多いか。特に繰り返して申しますけれども、ビラまきであるとか、あるいは団体交渉における相手方の不当な団体交渉拒否を拒否する言動でありますとか、あるいは組合活動に対する協力を要請する説得でありまするとか、こういった日常組合活動にまで暴力法違反という名前をかぶせて訴追した例がいかに多いかということから、私どもは基本的にこの法案労働運動抑圧立法であるという考えに立つのであります。このことをあらためて申し上げます。  もう一点は、常習性の問題につきまして、本法の一条一項というものと改正案の一条ノ二あるいは一条ノ三というのは別個だという御議論をされている向きがあるやに承る点であります。この点、私はいろいろ考えまするに、おそらくそういう議論をされる方の言わんとするところは、一条の一項は団体の威力を示してやるのだから、これは労働運動あるいは小作運動、農民運動あるいは部落解放運動というようなものに関係する条文である、しかし一条ノ二、特に一条ノ三については、これは団体の威力を示してということがかかっていないのだ、これは必ずしも労働組合運動その他の大衆運動を対象にしたものではないのである、心配は御無用だ、こういう御意見だろうと私は推定するのであります。しかし、私はそういうことは言えないと考えます。なぜかと申しますると、なるほど一条ノ三を見ますると、団体の威力を示してという構成要件ははずされておりますけれども、しかし、それだからといって団体の威力を示したものをこの条文から、つまり一条ノ三から排除するという何らの明文の規定もございません。つまり個人でやったものであろうと、団体の威力を示してやったものであろうと、両方入るというのでございますから、なお悪いじゃございませんか。私はそういう意味で、一条ノ三というものは大衆運動労働運動を除外したものであると言われる向きがあると思うのですけれども、この考え方というものには賛成できないのであります。  さらにまた、関連いたしますけれども、一条の一項というものはいままで労働運動などに適用された判例が非常に多いけれども、一条ノ三に該当するような、あるいは現行の一条二項に当たるようなこういう適用はないではないか。この点は調べてみなければわかりませんけれども、この点についてかりにそうであるとしても、現在までのところは同じ法定刑であります。一項と二項は同じ法定刑です。したがって、ことさらに二項を使うという実益はおそらくないと思う。今度これが最低限がきまり、罰金がなくなる、法定刑が引き上げられるということになりますれば、これは権利保釈裁量保釈のみならず、勾留期間の延長あるいは実刑の増加、執行猶予判決が少なくなる等々が、労働事件にもしこれが適用されてきました場合には、長期間活動家が拘束をされて、労働運動に重大な打撃を与えることになるということを実は憂えざるを得ないわけであります。したがって、一条一項と二項の適用例が従来こうであったからといって、今度改正案が出た場合にやはり同じような調子で常習は使わないということには私はならないと考えます。  第三点としまして、刑法改正との関係でございますけれども、この点については、私は一言だけ述べておきます。これは、たとえばある裁判所内部の人も法律時報などで指摘しておりまするように、従来日本においては、刑事法の中で特別刑事立法、この暴力法も含めまして、特別法についての立法についてはきわめて審議が早い。それから国民権利を十分に保障するというような保障もないままに、十分に国民の世論に訴えるという形もなしにすみやかに通過するという例が多い。刑法改正などに比べますと最も慎重にしなければならない特別法の立法というものが、とかく非常に早きに失する傾向があるのじゃないかという点は、裁判所内部の方からも批判が出ているところであります。刑法改正という問題は、これは国の基本法に関する問題ですから慎重に討議すべきだ。私は最低限この暴力法改正案をかりにやるにしても、刑法改正と同じスピードで、刑法改正の中にも常習傷害とか常習暴行とか、そういうものが政府のお出しになった案の中にあるのですから、この中で一緒に国民が真剣に討論する機会を持ってやっていかないことはどうであるか。ことさらにその中から抜き出して、しかも従来労働運動に多く適用されたというそのおそれのある法律をかくまで急いでやるという点は、私は非常に疑問に思っておるところであります。その疑問は、先ほどから戒能先生、三田村先生の御議論もお聞きいたしましたが氷解いたしておりません。  最後に、第四番目に裁判所法改正について、私は先ほど時間の関係で省きましたので、意見を申し上げておきたいと思います。裁判所法の二十六条の二項二号におきましては、短期一年以上の法定刑事件は、原則として裁判官の合議体で行なうことになっております。しかしながら、今日この暴力法事犯については、その性質などにかんがみて通常審理が容易である、審理の迅速をはかる必要があるという御説明によって、これが改正案が出されておるのでありますけれども、審判の迅速をはかる必要があるのは何も暴力事件に限ったことではありません。もっと迅速をばからなければならぬ事犯もほかにあるはずであります。これだけをことさらにあげられる理由がわからない。それから何よりも私どもが非常に心外に思うのは、通常審理が容易であるとしている点、これは日常法廷に私たちが立ち会っておるが、通常審理が容易であるでしょうか。  先ほど言いました京都の山城高校事件、これは三十四年にこの事件が発生して、三十九年の三月五日に無罪判決が下るまで四年間、この審理はかかっております。なぜかと言いますと、これは、労働組合説得行為暴力法起訴した。こういうものが一体違法であるかどうか、暴力法違反に当たるのかどうかということを弁護人側も徹底的に争わなければなりません。労働者基本的権利に関する問題は、弁護側として断固として争わなければなりません。こういう事件の場合には、審理が決して容易であるはずはないのであります。いろいろな訴訟手続による反対尋問、異議申し立て、証拠決定、弁論、論告、こういうものが非常に慎重に行なわれる必要こそこの種事件にはあるのでありますので、したがって一律に政府の御説明のように、通常審理が容易であるという一事によっては、この裁判所法の二十六条二項二号からこの暴力行為違反事犯を除くということの理由としてはまことに乏しいし、私どもは納得がいかない。原則としてやはり三人の裁判官によるほうが審営が慎重になるのでありますから、この改正案についても、以上述べましたような点から反対せざるを得ないのでございます。  以上、いまの御質問の点にまっ正面からお答えすることができたかどうかわかりませんけれども、私の感じていることをお答え申し上げます。
  43. 濱野清吾

    濱野委員長 以上をもちまして参考人からの意見聴取は終了いたしました。  参考人各位には、御多用のところ長時間にわたり貴重なる御意見開陳をいただきましてまことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして私より厚くお礼を申し上げます。  午前の議事はこの程度にとどめ、午後は本会議終了直後再開することとし、休憩いたします。    午後零時四十五分休憩      ――――◇―――――    午後三時二十七分開議
  44. 三田村武夫

    ○三田村委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  暴力行為等処罰に関する法律等の一部を改正する法律案及び本案に対する竹谷源太郎提出修正案について質疑を続行いたします。松井政吉君。
  45. 松井政吉

    松井(政)委員 厚生大臣においでを願っておるのでございますが、おいでになりましたら、途中で切りかえまして、厚生大臣に関する部分をやらしていただくことの御了解をいただきたいと思います。  大臣並びに法務省事務当局に最初にお伺いいたしますが、本法律案提出に関する技術的な扱いと経過について、最初にお伺いいたします。  本法律案は、三国会にわたって審議をされていることは御承知のとおりだと思います。前国会におきましても、長期にわたっていろいろ審議をされまして、前国会においては、本法律案の不備について、衆議院の段階で修正が可能か不可能か、議員同士で、修正するとすればどの点か、こういうことで、自由民主党から三名、社会党から三名小委員を選びまして、二週間以上にわたってその作業を続けていただいたのであります。その結果問題点になりましたのは、今度の改正にはされておりませんが、現行法の一条の団体と多衆の問題がそのままでいいかどうかということが第一点。第二点は、凶器いわゆる刀剣類をやはり明記するかしないか、明記したほうがいいのではないか、そういう点にしぼられて議論がされたのであります。第三点は、御承知のように破防法三条、三条にあるような訓示規定に類する憲法上の人権保障と、労働三法等に基づく団体行動労働運動等に影響のある部分、こういう問題について御議論されたことは御存じでございましょうか。そしてそういう議論がされて、大体衆議院の法務委員会としては、小委員の中では、現在の改正をされない部分について気に入らない部分があるとしても、改正案として提案された範囲において修正するとすればこういう点だという、あらかじめの意見の一致を見るところまでいったことも御承知でございますか。その間に会期時間切れとなって本法案は廃案になっておる。そういう経過をたどっているのに、その国会で議論をされたいろいろな意思とか努力されたことを一つも考慮せず、三国会にわたって相も変わらず一字一句変わらない法案を出して、国会審議をいまのように長い間時間をかけて議論をしなければならないような形に提出をいたしたのは一体どういう理由か、この点についてまず大臣から、この点のいきさつ、経過、法務省の態度について明快なる御答弁をいただきたいと存じます。
  46. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 この前の委員会で修正につきましていろいろ御相談があったこと、私どもあとから承知をいたしておるのであります。たとえば銃砲刀剣類につきましてその範囲を明確にするとか、あるいは法の乱用がないように、いずれも御趣旨はまことに同感でございます。しかしながら、よく審査いたしますと、銃砲刀剣類につきましても、規定をしておけば一見明瞭なのでございますが、法律的の解釈としては現在で明瞭にして余すところはない。当然に銃砲刀剣類取り締まり法律による規定の範囲内であるということは明瞭でありますが、それと同じと書きますと、たびたび御説明いたしましたように、銃砲刀剣類の所持取り締まりの規則が改正されました場合には、そのまま内容が変更されるというかえって解釈上の疑点がある。また乱用の問題につきましても、乱用があってはならないという御趣旨は当然でございますけれども、そういう意思もないし乱用されたこともないので、いろいろ討議しまして、この御趣旨は同感であるけれども、規定の上に置くのはむしろ適当ではないのじゃないか。いろいろ審議しました末に、法の字句は前に提出しましたとおりに出すのが一番法律論として正確なんじゃないか、こういう結論に達した次第でございます。
  47. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 ただいま大臣のお述べになりました事情のとおりで、今回の提案にあたりまして、いわゆる修正案なるものを考慮いたしておらないのでございますが、四十三国会におけるいきさつにつきましてお尋ねがございましたので、その点私の知っておりますことを申し上げますが、小委員会ができて正式に討議されたということは私は存じませんでした。ただし、有志議員、これは自民党の有志議員、社会党の有志議員の方々が私の案として案をおつくりになって、それが論議されたということは、私は案なるものを非公式に見せていただきまして承知をいたしております。その修正案の私案というものは、結局議場には提示されませんでしたので、正式なものかどうか私わかりませんが、その案によりますと、先ほどお話のございましたように、武器を用いるところの傷害の定義を入れるという問題、第二は常習犯の中にさらに累犯を加えて常習累犯という形にするという二点でございまして、もう一つお述べになりました、今回の改正の対象になっておりませんが、第一条第一項について御議論があったかどうかということにつきましては、私はいま言ったようないきさつでありましたので存じておらないのであります。ただいま初めてその点を伺ったわけでございます。そうしてまた、その二つの点につきましては、いま大臣がお述べになりましたように、またさきの御審議の過程におきまして私からも御説明申し上げたと思うのでありますが、いずれも修正をしようという御意思の存するところはわかるのでございますが、その結果は必ずしも御期待に沿うような結果に運用上も解釈上もならないのではないかという疑念がございまして、やはりこれは原案のほうがよいということが私どもの結論でございましたので、今国会におきましては、やはり政府原案の形で提案をした、さようなふうに私は承知しております。
  48. 松井政吉

    松井(政)委員 続いて質問がありますが、厚生大臣がお見えになりましたから、最初に申し上げましたとおり、忙しい時間をおいでいただいたのでありますから、それを先にやらせていただきます。  どうもたいへん恐縮でありますが、いま審議いたしております暴力行為等処罰法案と、それからこれは厚生省の主管だと私は思いますが、精神病患者の犯罪、麻薬患者等の犯罪、これは麻薬は暴力の温床といわれておるのであります。それから最近も起こったようでありますが、睡眠薬常習者の少年の人殺しがございます。そういう関係について、厚生省として精神病、麻薬、睡眠薬常習者等の取り扱いについてどのような施策を施しておるか、御説明をいただきたいと存じます。
  49. 小林武治

    ○小林国務大臣 睡眠薬の関係でありますが、睡眠薬は一両年前に薬事法を改正いたしまして、睡眠薬は十四歳未満の者には渡してはならない、こういういわゆる毒物の取り扱いをし、なお十四歳未満以外の者でも、その者のその薬剤の使用について不安を持つ、こういうふうなおそれのある者については、薬局では売ってはならない。こういう規定によって一応対策が講ぜられておる、こういうことでございます。したがいまして、最近睡眠薬の話もぼつぼつ出ておりますが、それが十四歳未満の者であれば、たとえば年齢その他を偽って不法に手に入れるというおそれがございますが、さような扱いの結果、非常に減少しておるということでございます。  なお、終戦後非常に問題になりましたいわゆる覚せい剤の関係でありますが、これはもう覚せい剤の取り締まり法によって薬同等でも取り扱わない、こういうことになりましたので、通常の場合はこれは手に入らない。すなわち、医業をしておる者しかこれを手に入れたり用いたりすることができない。こういう状態になっておりますので、このほうの問題も大かた解消しておる、こういうことでございます。  それから麻薬の関係でありますが、麻薬の問題は、自分が麻薬の中毒になっておる者と、麻薬の密売等の手先というふうなことで密売に従っておる者、こういうふうに二つに分けられるのでありますが、これらも一昨年麻薬取締法で相当厳重に取り締まり刑罰を重科したということで、これらの問題は潜在化したとか、地方分散化したとかいうふうな関係もございますが、外にあらわれてくる事態は相当減少いたしておる。こういうことでございまして、たとえばいわゆる密売等に使われた二十歳以下の者は、三十六年には全体でもって二百二十六人、八・五%であったものが、三十八年にはこの人員は百七十七人、五・六%まで減ってきておる。こういうことで未成年者の密売に使用される者が相当に減少を来たしておる、こういう事情であるのでございます。それから中毒者の関係でありますが、これも二十歳以下の中毒者は、三十六年には約九十五人、全体の四・三%、こういうふうな数字が出ておったのでありますが、三十八年には若干減少して七十人で三・七%、こういうふうに中毒患者も二十歳未満の者はだんだん減少しておる、こういう状態であります。これは違反者と中毒者の関係でありまして、これらの問題については若干ずつ改善の徴候がある、こういうふうに申し上げられると思います。  それから精神病の関係でありますが、これはライシャワー大使の刺傷事件等もありまして、よくどろなわだというふうな批評を受けておるのでありますが、精神病の関係は、これは非常にむずかしい問題を含んでおるのでありまして、この実態が相当にはっきりしていない、こういううらみがあるのでございます。これは精神衛生法の関係にこれを規定しておりまして、自分が自殺をするとか、あるいは他人に傷害を加える、こういう心配のある者を取り締まる――取り締まるわけではありません、政府の力で治療を加える。こういうことで現在これらの政府の負担において収容治療をしておる者が五万五、六千人ありまして、これは全額国庫負担によって治療をしておる、こういうことになっております。それで、私どもの推定というか、調査で、治療を要する者は大体二十八万人くらい全国におる。しかし、そのうちいま病床の関係で入院治療をしておる者が約半分の十四万人、こういうふうな姿でありまして、入院以外の者がまだ十四万人くらい在宅でおる。こういうことになっておりまして、その十四万人のうちで五万五、六千人がいわゆる措置入院として政府の負担において治療をしておる。こういうことで、実態の把握が十分ではないではないか、こういうことがありますが、実は精神病につきましても、御案内のように日本の従来の慣習が、どちらかというと、いろいろの社会的、経済的の制約があるためにこれを隠す、こういうふうな傾向がある。これも人情として無理はないと私は思います。したがって、病人を通報するという義務が現在家族にもあるいは医療機関にもありません。したがって、どういう方法によっていま知るかというと、おもに犯罪あるいは不法行為を犯して警察あるいは検察庁の世話になった、その世話になった者は警察官または検察官が保健所に通報する義務があるのでありまして、精神衛生法上通報義務者はいまは警察官と検察官しかない。一般の友だちとか、学校の先生とか、あるいは家族とか、医者の医療機関には通報義務がない。現実がそういう姿になっておるのでありまして、私は、実はこういう状態はいまの精神病の状態からいって必ずしも好ましくない。したがって、これらの通報義務等についてもある程度拡張をする必要がないか、こういうふうな考え方を持っておるのであります。いまさようなこともいろいろ相談しておりますが、家族等についてそういう義務を課することは人権問題もあって、まだいまの社会通念からいえば適当でない、こういう説が多く行なわれておるのでありまして、せめて医療機関が手がけた患者について、精神病だという鑑定があるならばひとつ通報をしてもらったらどうか、今後の問題点としてそう改正をしたらどうか、こういうふうな考え方を持っておるのであります。いずれにいたしましても、精神病者の健康管理ということにつきましては、きわめて不十分な状態にあることは現実の事実であります。私ども、いまいろいろ精神衛生センターとかあるいは精神衛生相談所とか、こういうふうなものを設け、また設けつつありまするが、いままだ保健所等におきましてはこれらの専門家がきわめて少ない。精神衛生相談所等の医者も不十分で、また全国にもこれを専門にしている医者はわずかに二千数百人くらいしかない。こういう状態にありまして、これらの医者等につきましてもまだ非常に少なくて、欠陥が多い。こういうことで私どもは率直に言って精神病者対策はまだ非常におくれておる、こう言わざるを得ないのでございます。警察方面等におきましては、これらの病者の状態をよく把握する必要があるから、調べるとかあるいは医者から知らせろとか、こういうふうな話がありまするが、まだそこまでもまいっておらないのであります。実は届けさすということもなかなか困難な事情もあり、保健所の人員等も充足して、そして巡回をしてそういう者の相談に乗ってやる、こういうふうな方法をとるのが近いときにおける仕事ではないか、かように考えております。そういうことで、私どもがいま現実に正確に持っておるものは五万数千人の者を国の力で入院をさせておりますので、こういうものはわかりまするが、いま在宅の者でまだ治療を要する者が十四万人くらいある。こういうことでありまして、これらについては十分の資料と申しますか、リストを持つまでにまいっておりません。こういう現状でございます。  以上御報告だけ申し上げておきます。
  50. 松井政吉

    松井(政)委員 状態はあらかたわかりましたが、精神病患者の場合、あまり気違い扱いすると人権じゅうりん問題等が起きてややっこしい問題にもなる可能性がありますけれども、ライシャワー大使傷害の問題から見ても、これはやはり自宅療養というのは、本物の精神病患者である限り自宅療法というのを解消するための方法を政府は完ぺきに行なうべきじゃないかと思うわけです。これはぜひそうやっていただきたいと思います。  それからこれは厚生大臣になりますか、法務当局になりますか、どちらでもけっこうでございますが、麻薬密売の媒介者と称されるたぐいは大体暴力団、何々組の関係の人が多いのじゃないですか。その統計がございましたら聞かしていただけませんか。
  51. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 お話しのように麻薬暴力などということばがございまして、暴力団といわれる人たちが資金源を得るために麻薬を扱うということで、これは外国でもその例がございますが、日本でも顕著でございまして、麻薬のルートをたどってまいりますと、暴力団が介入しておる。その手によって売りさばかれておるという実態も浮かんでおります。ただいまその統計を持ち合わせておりませんけれども、これは顕著な事実でございまして、私どももそういう観点から、麻薬の犯罪を見ますときには暴力団の動向をもあわせて見る。こういう形で麻薬犯罪の防遏も暴力団対策の一環として考えておる次第でございます。
  52. 松井政吉

    松井(政)委員 それは数字がわかったときに知らしていただければいいですが、密売の媒介者とそれから中毒患者、この中毒患者が当然よからぬ集団の仲間に入らざるを得ない形になるのじゃないかと常識的に考えて思うわけです。この中毒患者と媒介者を含めて起こってまいります暴力違反というものは相当ありますか。パーセントでもいいです。
  53. 日原正雄

    ○日原政府委員 さしあたり手元にあります資料で、暴力団構成員による麻薬密売の介入事犯の検挙状況でございますが、昨年の一月から十月までに七百五十三件、六百六十四人に及んでおります。前年度に比べますと三割ぐらい増加の傾向を示しております。それから麻薬密売事犯の総数の中で暴力団構成員の占める割合でございますが、私どものほうの検挙のほうから見ますと約三割でございます。この構成比率も年々高くなってまいっております。
  54. 松井政吉

    松井(政)委員 これは厚生大臣のあげ足をとるわけじゃございませんが、ただいまの御答弁と食い違いがあります。厚生大臣は年々患者も媒介者も減っている、ところがただいまの御答弁だと、事犯となってあらわれたのは三割も増加している、暴力団関係も増加している、こういう御答弁です。これはやっぱり厚生省の統計と法務省の統計とは違うのでございますか。
  55. 小林武治

    ○小林国務大臣 私が申し上げましたのは実は青少年犯罪という意味で二十歳以下の者だけの統計を申し上げたわけであります。全体ではありません。
  56. 松井政吉

    松井(政)委員 そうすれば青少年の場合は麻薬中毒あるいは媒介のほうは減っておる。そうすると、全体でふえておるということは、おとなのほうがふえておるということですか。そう解釈してよろしゅうございますね。
  57. 小林武治

    ○小林国務大臣 そういうことでございます。
  58. 松井政吉

    松井(政)委員 それでは、これも的確に厚生大臣の主管であるかどうかわかりませんが、青少年の犯罪は逆に、政府がお出しになりました青少年白書を見ても刑法事犯がふえておるのですね。ものすごくふえておりますよ。昭和三十七年の統計を見ても、十四歳未満、十四歳-十八歳合計して虞犯少年と称される犯罪だけでも、凶器携帯、乱舞、いろいろありますが、九十三万、百万近い数字が出ておるわけですね。それからさらにまた特別法犯、これもかなりの数が政府の統計で発表されております。ところが、この青少年の犯罪と睡眠薬、麻薬、これは切っても切り離せない関係になってくる。それにつながる暴力、それの背景の暴力団、これがやはり日本における暴力対策の根本ではございませんか。そういう立場から、部分的に見て青少年の睡眠剤常用者それから麻薬患者、麻薬媒介は減っておるが、逆に全体の刑法犯はふえている。こういうことについて厚生省はどうお考えになりますか。厚生省はそういうものを法律で取り締まったり刑罰を重くすることではなくて、世の中の社会環境からこういう事件をなくするための施策を行なわなければならないのが厚生省だと思いますが、そういう点についてどうお考えになりますか。
  59. 小林武治

    ○小林国務大臣 これはまあお話のとおりでありますが、私ども麻薬の犯罪、中毒者を年齢別にみな調査をいたしておりますが、事実二十歳以下の者は、中毒者も密売関係者も減っておる。ただその方面だけは減っておる、こういうことははっきり申し上げられるのでございます。それから麻薬中旬者の関係も、全体としましても中毒者は減っておる。こういうことは言えるのでありますが、先ほど警察からお話の違反事件というのは、全体としてはふえておる。したがって青少年でないおとなの犯罪が、麻薬に関する限りはふえておる。そういうふうに私どもは見ておるのでございます。それでいまいろいろの凶暴犯罪がふえておることは事実であります。こういう関係でなくてふえておるというふうに見ざるを得ないのでございます。全体としまして凶悪なものがふえておるということは、国全体のいわゆる青少年問題として対策を講じなければならぬ。こういうふうに思っておるのでありまして、これは広く見て厚生省所管と申すよりか、政府全体の問題として、内閣にも青少年問題協議会、あるいは文部省その他全体の問題として対処しなければならぬ、そういうふうに考えております。
  60. 松井政吉

    松井(政)委員 御承知のように、青少年犯罪で一番多いのが道路交通違反ですね、間違いございませんね。その次が銃砲刀剣類ですね。これは政府の発表された白書にはっきり出ております。そうなりますと、そういう原因はどこからくるということを、対策上十分お考えになったことがありますか。法律も、刑罰を重くするとか、あるいは家庭の環境だとかいうことで国民にその責任を転嫁することなく、政府が政治、経済、社会福祉施策、教育、あらゆる面から考えて、一体どうしたらいいのかということの根本策を厚生省はお考えになっていると思いますが、予算を見ても、いろいろの款項目に基づいて出ておりますが、そういう問題について、やはり法律で刑罰を重くする形だけで処理できると思っておりますか。社会保障の面から、そういういじけた子供にならないように、それからいじけない青年をつくるための社会保障等の問題に力を入れるべきか、いずれに重点を置いてお考えになったことがございますか、その施策についてひとつお答え願いたいと思います。
  61. 小林武治

    ○小林国務大臣 青少年問題は政府全体の問題として考えなければならぬのでございますが、私どもの関係におきましては、児童福祉対策、そういうようなものを主として考えておるわけでありまして、からだの不自由だとか、頭が弱いとか、こういうふうなマイナスの関係の福祉というものを進めることも一つの大きな仕事であるし、それからもう一つの仕事は、子供を善導するためには、子供の家庭環境をよくするとか、あるいは子供に遊び場を与えるとか、あるいは子供が交通事故とかあるいは不良に走らないような健全な娯楽と申しますか、そういうふうな方面に力を入れて、私どもは児童館をつくるとか、広場をつくるとか、そういうふうなことを主としてやっておるのでございまして、教育方面ではなくて、たとえば学校が終わった子供が、そういうふうな悪の道に走らないような施策と申しまするか、子供の教養と申しますか、そういうことを担当いたしておるのでありまして、こういう方面についてはある程度進みつつあるというふうに思うのでありまして、一般教育問題とかそのほかの問題は、私どもの所管というよりか、別個の省でもって御担当になっておるので、私どもがやっておるのは、主として児童福祉対策というふうなことでこれに関係をしておる、こういうことであります。
  62. 松井政吉

    松井(政)委員 これはいずれ法務委員会には総理大臣の出席を求めて、私のほうからも同僚が質問すると思いますが、要するに本年度の予算を見ても、それから青少年対策を見ても、青少年対策の部分がもろもろの各省に分かれてばらばらなんですよ。これはやはり青少年なら青少年対策、要するに教育上の問題から、社会福祉の問題から、犯罪防止の問題から一貫して取り扱うということはできないのですか。そこに、いまも御答弁になったように、私のほうは福祉対策だ、教育上の問題は文部省だ、それ以外のものは法務省だ、そういう形でもって予算もそこで分取り合いをやる。そしてこの線からこっちにくれば主管が違う。こういうことで完全なる青少年対策ができると思っておいでになるのですか。これは法務大臣と厚生大臣両方にお伺いいたしますが、いずれ総理出席のときに同僚委員が総理から明らかにしていただくと思いますけれども、こういうことでは犯罪をつくることを助けておるような気がしてならないのです。一カ所で一貫した施策というものがないのです。
  63. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 いまの点につきましては、いま各省にその所管の仕事が分散しております意味からの弊害と申しますか、摩擦と申しますか、そういう点を御強調になったのでございますが、一方、青少年問題だけを一つの官庁、一つの省でまとめますと、これはまた、ただいまよりよほどやりにくいことがたくさん起こると思います。たとえば厚生省で精神薄弱児、肢体不自由児の対策をなさいますときに、精神薄弱児にしましても、暴力犯罪の危険がある者とそうでない者といろいろございますし、やはりそういうものは全体として考えなければならぬ立場がございます。また刑務所行政にいたしましても、少年院の問題にいたしましても、これを法務省から離しまして一つの省が青少年問題を全部やる。これはなかなか実際は言うべくして行なわれないのだ。やはり施設に収容しましてやる場合は、犯罪をやりました者につきましては法務省所管に置いたほうが、特に少年犯罪、少年教育を何も一つところに置くよりは、このほうがいいんじゃないか。すべての行政にそういう面がございますので、要は各省に分かれましたものの連絡調整でございます。その意味におきまして、昨日でございましたか、御質問もありまして、特に少年省とか少年庁というものはございませんが、これは各省におきまして、各省連絡を遂げてやる意味できわめて熱心で、青少年問題につきましては、たとえば青少年の協議の会議も置いております。暴力につきましては、暴力一切を所管するというわけには参りません。警察警察、刑務所は刑務所、少年院は少年院に分かれていきますほうが、行政系統でベターじゃないか。分かれる場合にむろん弊害、非能率もございますが、現状の行政系統としましては、ただいまのように各省それぞれの関係でやっていくほうがむしろベターである、こういう考え方で進めておる次第でございます。
  64. 松井政吉

    松井(政)委員 厚生大臣、時間をとらせないという約束でございますから、この一問でよろしゅうございますが、要するに福祉対策と麻薬、覚せい、精神病分野、そういうものを主管する厚生省としては、そういう施策面を扱っており、それから麻薬の取り締まりを担当している厚生省として、いまわれわれが審議しております暴力行為等処罰に関する法律、すなわちわれわれは暴力法と言っておるのですが、この法律は、この程度改正はどうしても必要なんですか、どうですか。その意見をひとつ開陳してお帰りください。必要なんですか。
  65. 小林武治

    ○小林国務大臣 私のほうの関係でありますが、いまの麻薬の関係は、これは厚生省と警察と一緒になってやっておる。そうして私どものほうは、主として専門的知識を持って密売組織を排除しよう、こういうことでやっておりまして、これに従事する人も三百人足らず、あとは大部分警察と協力してやっておる。こういうことでありまして、この方面におきましては、私どもはこの法律をきびしくすることとともに、これの取り締まりの組織を強化するということで、ある程度やれる。しかし、これが暴力団等の関係におきましては、私どもの手に負えるわけじゃありません。そういうものを私どもは摘発するというようなことはやりまするが、あと警察にお願いする以外にない。こういうふうに考えておりまして、一般暴力的な問題といたしましては、私の所管外でありますが、個人的意見を申し上げれば、私はやはりこういうものが必要だ、こういうふうに直していくことが必要だ、これは所管大臣としてでなく、私の個人的意見として申し上げるのでございます。
  66. 松井政吉

    松井(政)委員 それでは先ほどの質問に続きますが、前国会の、公式、非公式であっても、修正はやむを得ないといういきさつは承知した、こういうことですね。それから国会が三国会にわたっておることももちろん御承知のことなんですね。何で法三条程度の短い条文の法律案が、これだけ真剣に審議しなければならないのか。それから重要なる資料をなぜ必要とするか。その本質を考えたら、三回目の国会ぐらいは与、野党すんなり通るような法案を出したらいかがですか。それだけの期間があったじゃないですか。ところが、資料要求しても出ない。しかも、あとで質問いたしますけれども、法務省当局に働いていらっしゃるえらい人が、雑誌の論文にはっきりと暴力団対策は必要だ、そのためにこの法律は出すのだと明確にうたっているじゃありませんか。それでは暴力団取り締まりに関する法律案を出したらいいじゃありませんか。前の三回の国会でなぜ労働団体反対しておるかということは御承知でございましょう。いま知ったわけじゃございませんでしょう。なぜ国会が三国会にわたって、長期にわたって法三条程度の条文を論議しなければならぬかということも御存じなんでしょう。しかも前国会においては、政府の提案したものを法律にしなければならぬので、国会でもって公式、非公式に与、野党集まって修正案の作業までしたということも御存じなんでしょう。にもかかわらず、相も変わらず前国会と一字一句も変わらない法律案を出して、さらにこの国会の中で論議を長引かせる。時と場合によっては混乱を招くということ、法務省当局は一体何を考えておるのですか。これは少なくとも公式、非公式であっても、自民党、社会党は修正案法律をつくろうと努力したことは御承知なんでしょう。にもかかわらず、要求した資料も出さない。法務省当局が暴力団対策は必要だ、暴力団対策のためにこの法案を出すということを論文として載せているじゃありませんか。それでいながら資料もつくらない。資料をつくる期間はありましたよ。三国会続いてやっておるのですから、一年以上われわれはやっておるのですよ。それで衆議院のほうで与、野党が一致した修正意見も取り入れることもない。一字一句変わらないというのは国会を侮辱した話じゃないですか。どういうわけでまたけんかをさせようというのですか。これはやはり提出技術について明確な回答をしてもらいたい。
  67. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 直接暴力団を取り締まる法律を出せというお話でございましたが、これはたびたび申し上げ、特に政府委員よりは詳細に申し上げましたように、法律的に暴力団というものをとらえることは困難である。現状では法律的な規定が不可能である。相手をしっかりつかまえられないのにそれを法制化しまして対象としたのではやれない話でございます。暴力団というものをはっきり定義づけて、法律的の対象といたしましてやれればむろんやりたいのでございますが、その不可能な理由を御説明申し上げ、外国でもそういうふうに進みながら、結局それは不可能であって実益がないので後退をしたという例も申し上げておるのでございます。法律的な規定としてただいま以上に考えることができなかった。しかも、これによって事実上暴力団及びそれから出ます暴力行為を押えることができるというわけでございますから、これはたびたび申し上げましたように、何も国会の意思を軽視するとか、そういうものではなくて、法制のたてまえから全くやむを得ないものでありまして、しかもこれで効果があるという考え方でございますから、何とぞさように御了承を願いたいと思います。  また、国会の意思を尊重して法文を直していくべきだというお話でございますが、そう申し上げてはおそれ入るのですが、国会として修正案をお出しになったことではございません。むしろ、そういう御意思なら、国会が修正なさることは御権能ですからできるわけですが、まだ与、野党完全に一致した案であるとまで伺うのは少しわれわれのほうでも行き過ぎではないかと思います。そういう寄り寄りお話があったという程度じゃないかと思うのであります。修正案提案もまだあったわけではないし、自民党、社会党その他完全  に一致したとも伺っておりませんので、御研究の過程でいろいろ御意見があることはもちろんであり、それも先ほど来申し上げましたように、決して軽視したわけではなく、いろいろ研究してみましたが、法律規定の文句としてそれを入れるのはどうかという考え方でございまして、それでまた御審議を仰いでいる次第でございます。また、いろいろありますが、私どもは原案で結局は国会が御納得していただくのじゃないか。無理に押しつけるという意味ではなく、研究しました結果このほうがよろしい、こういうことになった次第でございます。どうぞさよう御承知願いたいと思います。
  68. 松井政吉

    松井(政)委員 法務大臣はそのころのいきさつを御存じないかもしれませんから、いろいろ御答弁なさっていますけれども、そんなものではない。真剣に取っ組んだのですからね。それは理解していただきたいのですよ。  もう一つお伺いいたします。これは竹内さんがお答えになったほうがいいかもしれませんけれども、御承知のように前々国会でしたか、浅沼委員長が刺殺をされ、岸さんが襲われたり、河上さんが刺されたり、いろんな事件のあったときに、自民党からも社会党からも民社党からも、右翼政治暴力に対する取り締まり法をつくったらいいじゃないかというので、三つの議員立法が提案されたことを御存じですね。その経過があるわけです。だからわれわれはむしろそのほうが重大だと思っています。あなたはこの改正をしてどうなりますか。ところがまた精神病患者であってもライシャワーさんの事件が起こっているわけです。それ以外にも右翼の政治的暴力が続いて起きておる。あの当時は嶋中事件も起きてにぎわしたのです。ですから、要するに右翼の政治暴力を取り締まる法律案ということなら話はわかるのです。その経過を知っていながらこれでごまかそうとする。これが第一点。  もう一つ、これは名前は申し上げませんが、おたくの、法務省の人がある雑誌にこういう論文を書いているのです。犯罪実情を概観して、その数が戦前に比べてすこぶる多くなっており、かつ慢性化しつつある、こういうことを述べています。そうして当面の暴力犯罪対策のうち最も緊要なことは、暴力団によって犯される暴力犯罪の抑制防止であると論文に書いてある。そしてそのために有効な方法として、暴力団の解散等の規制措置が考えられるが、これは法律技術的に見て困難なので、暴力団によって犯される個々の犯罪に対する科刑を強化してということで、この法律案に結びついているわけです。ところが実際の腹は暴力団を解散させたいのです。そうじゃございませんか。法務省当局としては、現在麻薬からいろいろな関係を通じて社会に悪をなしておる暴力団、何々組といわれるものが根幹であることは間違いないのですから、答弁を聞いてもそのとおりおっしゃっているのですから、そうすれば、ほんとうを言えば暴力団を解散させたいのでしょう。この点をひとつはっきり答えていただきたい。
  69. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 三党共同で右翼暴力に対する、いわゆるテロ防止というような観点からの法案をおつくりになって、それを国会の審議の場で議論されましたことは私もよく承知いたしております。当時のいきさつといたしまして、これは議員立法でするのがいい、三党の話し合いでするのがいいということで当時おつくりになりましたものでございます。私は政府の立場から申しまして、立法府としてまことに当然なことであり、私どもも賛意を表していたのでございますが、その法案は結局廃案になりまして、その後右翼暴力が絶滅したというわけではございませんが、そういう機運になってきてないというのが現状でございます。私どもはその当時から、やはり町の暴力、それから暴力団のいわゆる程度の高い暴力、前者はよく小暴力などと報道されておりましたが、この小暴力から大暴力――と言えるかどうかわかりませんが、この種のいわゆる町の暴力全般について手当をしていかなければならぬということを考えておりましたところ、昭和三十六年には閣議決定で暴力犯罪防止対策要綱も決定いたしまして、それぞれ私どもの所管に応じてなすべきことが明示されております。その一環といたしまして、小暴力の問題もさることでございますけれども、いわゆる暴力団暴力というものに焦点を合わせまして、運用の面でやれるだけのことをやり、かつそれでやむを得ないものにつきましては最小限度の立法措置をとるということで、この案はまさしくその最小限度の立法措置でいくという線で立案されたものでございます。暴力団につきましては、資料として私どもの考えておることを簡単ではございますが取りまとめて差し上げてありますように、暴力団という日本の社会に特殊な地位を占めておりますこの種団体暴力活動につきましては、これがよろしいなどと言っている人は一人もないと思うのであります。できるならばこういう団体を解散して、一般の善良な市民の中に溶け込ましてしまうというのが私は最も望ましいところであると思います。それをそうさせる方法としましてはいろいろ考えられるのでございます。私は大きな政治の問題について論ずる資格はございませんが、法制上の立場からのみ申し上げましても、暴力団そのものを対象とした刑罰規定を設けることも一つの方法であろうと思います。この点につきましてはすでに御説明申し上げましたように、私どもとしては真剣に研究をしてみたのでございますが、いろいろ難点があって踏み切れない。そういうことになりますと、暴力団が一番犯す犯罪はどういうものかというところから、その中の一番悪質な形態の犯罪を重く処罰するということによって、刑罰の面から暴力団を追い込んでいく。そして彼らにその刑罰を契機として正業へ立ち戻る機会を与えていく。それに対して保護観察、量刑等の面からあたたかい手を差し伸べていく。両面相まって暴力団を自発的解散のほうへ追い込んでいくということがやはり刑罰の面から考慮されなければならぬ。こういう観点に立ちましてこの案を立案いたしたのでございますが、そういう目的に沿っておるものだと私は考えておりますけれども、いろいろ御批判もあるわけでございまして、大臣も先ほど申されましたように、私どもの行き届かないことが多々あることは私も自覚いたしておりますけれども、なおその意図しておりますことは、るる先般来申し上げておるとおりでございまして、ほかに他意あるものでは決してございません。
  70. 松井政吉

    松井(政)委員 いま御答弁の程度なら、現在の刑法でやれるじゃないですか。この程度改正で、あなたの高邁な理論を実践に移して、暴力団に対する取り締まりに取り組もうとする気魄たるや見上げたものがございますけれども、目的を達することができないじゃないですか。それならばなぜはっきりと、法務省が暴力団対策として法律案が必要だとするならば、要するに暴力団取り締まり法なり何なり、あるいは暴力団による暴力行為取り締まり法だの、はっきり誤解のないよう、それから論議のときに疑義のないように、ほかの団体が心配しないような法律案を出したらいいじゃないですか。その法律的技術の研究期間がないとは言わせませんよ。三国会にわたって同じものを議論しておるのですから。なぜ出さないのですか。そしてこれで事足れりとあなたおっしゃっていることがどうしても納得できないのです。この程度ならば、幾たびも多くの同僚が質問なさり、あなたが答弁したように、現在の刑法でやれることじゃないですか。それをこういう法律案を出して、またしても団体等の心配を招いたり、それから暴力団対策ではなくて、別のものをねらっているんだという解釈が生まれてきたり、たいへんな混乱を起こしているのじゃないですか。法務省のほんとうの腹は、やはり暴力団を解散さしたいという腹を持ちつつ、法律で取り締まっていこうというわけなんでしょう。それならばなぜ相も変わらず三国会もこんな間違いだらけの、そして誤解のしやすいものを出して国会をわずらわしているのですか。それならば、あなたのおっしゃるとおり暴力団に対する対策ならば、暴力団による暴力行為取り締まり法くらい出したらいかがですか。
  71. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 暴力団という対象をはっきりさせますためには、仰せのように、その暴力団を対象とした法律ということが考えられるわけでございまして、その点は先ほども申しましたように、私どもとしては、及ばずながら外国の立法例等につきましても研究してみたのでございますけれども、これは法律的につかみにくいということで、これは御説明を前に申し上げたわけでございますが、ある国ではそういう法律は憲法違反であるという判決まで受けておるのでございまして、なかなかつかめない。そこでやむを得ずこういう法律にしたということを申し上げておるわけでございまして、何とぞその点は、われわれの意図が及ばなかったことは事実でございますけれども、何らかの私どもがほかに意図するものがあって、わざと混乱させておるように仰せになります点は全く心外でございまして、私どもはそういう考えはございません。
  72. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 たびたび申し上げているのですが、暴力団というものはどんなものでございましょう。これは法律的にきめて、どういうふうにつかまえるというのでございましょうか。親分がおって子分がいる。普通にいえばみんな親分子分ですけれども、それに解散命令を出したらどうなるのです。集まっちゃいかぬ。これは悪いことをしなくても人間が集まる場合がある。これが政治結社とか、いろいろメンバーがきまり、構造がきまり、行動がきまっている概念ですとやりようがあるのですが、暴力団なんて雲をつかむようで、規則があるものもあればないものもある。あるものは常々とえらそうなことを書いておりまして、実際はそんなことはしない。だれが団員だかはっきりわからない。解散命令を出したって、解散したんだかしないんだか、かってに酒を飲んで寄り合いをしている。実は私もやってみたのです。つかみようがないじゃないですか、どうつかんでやりますか。これができればけっこうですが、私も、暴力団というものを定義して、それをつかまえてやってみなさいと事務当局に幾ら言いましても、つかめないのです。いい案があれば伺います。こうして解散命令を出せばやれるのだということになれば、私はちゅうちょすることはないのです。そういう意味でありまして、だから行為によってつかまえるよりしようがないのです。だから、団員か団員でないかも、いよいよこれを実証するといったら困難な場合があります。おれは一度あそこに行っただけで、おれは団員ではないと言う。しかし、団員でなくてもこういう行為をやれば、銃砲刀剣類をもって傷害をすれば厳罰にしてもいい。そうすれば、団員であろうがあるまいが――事実は多くは団員でしょう。実際は行為そのもので押えられるから免れぬということになるのでありまして、団員であるか団員でないか立証していかなければ、同じ銃砲刀剣類をもってやっても、それにひっかからぬというのでは、かえって悪いのではないかと思うのであります。それで、これ以外に恐喝のお話が出ました。私も、自分の感じを率直に申し上げまして、これ以外に取り締まらなければならぬものがないというのでは決してないのです。これは最小限度にやったわけです。一方からは人権の尊重、自由の尊重ということが政治上重大な基本方針でございますから、むやみに刑罰法令の範囲を広くするわけにはまいりません。疑わしい者は何でもつかまえるとか、罰するわけにいかない。確かに悪い者だけ罰しなければならぬのと同じで、そういう重刑を科しますのにつきましては、十分に考えて、できるだけ最小限度にするということでいきました。政治的暴力のお話もございました。われわれはああいう事件が起こりますと、ほんとうに何とかしなければならぬと思いますが、それがすぐできないからといって、こっちの町の暴力のほうをほうっておいてもいいか、決してそうはいかないのでございます。このほうは一般国民日常生活に非常にたびたび、しばしば起こり、被害者の数も多く、有名人がやられたような場合のように一々新聞には多く出ませんでも、どんなに庶民生活の日常生活の上に不安であるかということを考えますと、私は、これは決してほっておける問題ではない。これがまだ抜けたところがあるかと仰せになれば、それは考え方によってはもっときびしく取り締まりたい対象があると思いますが、そこが少々足りないからこっちは要らぬというわけには参らないので、どうしてもこれはやらなければならぬ。そしてなお恐喝についても申し上げましたが、われわれ残っているものにつきましては、なるべく人権を尊重して、不当に刑の過重がないようにいろいろ苦慮し、十分に慎みをもって研究しながら、必要なものは、今後もその刑罰の網は、そういう考え方で広げていきたいと思う次第でございまして、何も他意あっていろいろやっているわけでも何でもない。私はそういうすなおな考え方であり、私は、国民の多数もこの考え方は了承していただけると思う次第でございます。
  73. 松井政吉

    松井(政)委員 大臣の答弁、長過ぎます。時間がかかると、私が与党のほうから早くやめろとやられるのです。あなたの答弁が長いと私の質問ができない。少し短くしてください。  それから、あげ足をとるわけではございませんが、暴力団暴力を取り締まる法律というのがなぜ憲法違反なんですか。
  74. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 暴力団ということばはよく世間で使われておりますが……。
  75. 松井政吉

    松井(政)委員 あなたの理論の達者なところで、それでは暴力団とは何かという定義を先に説明して、憲法違反なら違反ということを説明してください。
  76. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 暴力団定義が実は私にはできないのでございまして、世間でいわれておる暴力団ということで、いわゆる暴力団というふうに申し上げておるわけであります。世間でいわれる暴力団という意味は、資料にも書きましたようなふうに言い得るかと思いますが、これを法律的に、暴力団とは何かということを規定します場合には、非常にむずかしくなって、できないわけであります。憲法違反だと言ったのは、日本裁判所が憲法違反だと言ったのではございません。アメリカの最高裁判所が憲法違反だと言いましたのを申し上げますと、アメリカのニュージャージー州の刑法でございますが、これには暴力団として知られている団体、ツー・ビー・ノウンということばをつかっておるのであります。これは世間でいう暴力団で、そういう団体を結成したり、そういう団体加入したり、そういう団体活動することが処罰の対象になっておるわけであります。これは、その世間で知られておる、というのでは暴力団という法律的な概念としてすこぶる明確を欠くではないか。日本の憲法でいいますと、ちょうど三十一条のデュー・プロセス、適正条項というのがございます。この適正条項に照らして、そういうあいまいな概念内容暴力団ということで人を処罰するということは、アメリカ憲法の許さないところであるということで、憲法違反という判決をしております。日本におきましても同じことが言えるのでございまして、まず少なくともその団体犯罪団体でなければ、私はいかぬと思います。ところが、ばくちのようなものは許されない行為でございますから、それをもって唯一の生業としておるような団体がもしあるとすれば、これは犯罪団体と認め得ると思いますが、そうではなくて、団体を組織しておるのは法人組織のものもあるようでございますが、生業としてはりっぱな土建業とか、くみ取り業とか、いろいろやっております。そのこと自体犯罪団体ではございません。ところが、そういう団体に入っております者は、必要があればすぐ暴力に訴えるということが、これが世間で知られておる暴力団でございます。そういうものを法律上違法団体だというふうに押え込むことは、すこぶる困難であるというところから、やむを得ず行為でとらえるという形をとったわけでございます。
  77. 松井政吉

    松井(政)委員 御説明はわかりました。暴力団を解散したい意図を持ちつつも、やはり一般世間の概念として、ああ、あの組は暴力団だといっても、それは土建業とか、そういう職業の表札があり、法人が組織されておるので、法的に捕捉するのがむずかしい。こうおっしゃるのですが、それはわかりました。それならば、この第一条において「団体」というのは何をさしておりますか。
  78. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 第一条は団体を背景としてやる個人の行為を罰するたてまえになっておりまして、この団体は、法律で認められた法人となっておるような団体ばかりでなくて、事実上の団体でもいいし、この団体というのは人数に制限があるわけではございませんで、要するに大ぜいの者を背景として、大ぜいの者をかさに着てやる行為を取り上げておるわけで、罰せられるのは個々の個人の行為が罰せられるわけであります。
  79. 松井政吉

    松井(政)委員 そうすると、この第一条における団体というのは、暴力団組織をさして言っているわけではないのですね。(「総評を背景にしているのだ」と呼ぶ者あり)それでは、総評を背景にしているというならはっきり答弁してください。それならそれでいい。
  80. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 団体には何らの制限もございませんが、そういった団体を背景といたしまして暴行をやったり、脅迫をしたり、器物損壊をする、そういうものでございます。でありますから、この団体というのは暴力団であるというふうに限定して読みますことは、法律の解釈として適当でございません。これを暴力団というふうに申しますことは、いま申したような理由で適当ではございませんが、そういう団体を背景にして暴行行為をするような人は一体どういう人であるかということを考えてみますと、やはり暴力団の人が多いであろう、こういうふうに思っておるわけでございます。
  81. 松井政吉

    松井(政)委員 これは水かけ論になりそうですからやめますけれども、思っているということで法案をつくられてはかないません。でも、これはあげ足とりになる危険性がありますから。  そもそも、これは先ほど申し上げましたように、自民党、社会党で一ぺん修正してみようじゃないかという非公式の話になって、集まって相談したときに、この一条が問題になったのですよ。あなたの答弁を聞いても、この団体とはどういう団体をさしているかということになれば、これはあいまいなんですね。いま真剣に考えますと、この団体のところが一番問題があるわけですよ。だから今度あなたのほうが改正をお出しになるときに、この団体と多衆のところを改正して、そして解釈的な改正案が入れば私はだいぶ違ってくると思うのです。ところが、そこをそのままにしておいて、要するに疑問のあるところをそのまま出してきて議論するところに大きな問題があるわけです。だから、その作業をやる時間はあったと思うが、なぜそこまでの改正をお考えにならなかったかということがどうしてもわからないのです。申しわけございませんが、もう一ぺん、どういうわけでここの改正に手をつけなかったか、それをひとつ御説明願いたい。
  82. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 何度も繰り返して申し上げますように、今度の改正のねらいは、暴力団といわれておる人たちの犯す暴力行為について重い刑を盛れるように刑を加重するというところがねらいでございます。現行法の一条一項、いまお話しの規定は、暴力団の人たちも相当ひっかかっておりますが、御心配になっているような労働運動の際に暴力行為に及んだ者に対しても、これは年間三百人程度でございますけれども、適用を見ております。そこでこの規定を重くいたしますことは、確かに暴力団対策の一つでございますけれども、そういたしますと、皆さま方の心配を一そう大きくするのではないかということを考慮いたしまして、その点は触れないことにしたのでございます。いま団体の点がどうだこうだというなら、大正十五年にさかのぼって議論をしなくてはならないかもしれませんが、団体について、暴力団であるという解釈をしているとか、そんなことを申したところで何の価値もないことで、四十年来解釈というものは積み上げられてきておりますので、私が何と申しましたからといって、法律はひとり歩きをするというおことばがございましたが、そういうふうな形で解釈というものは客観的にきまっていくわけでございますから、それは私が何と申しても意味のないことでございます。しかし、なぜそれに手を触れなかったかといいますと、刑を重くするというのが今度の改正のねらいでございますから、この団体がどうだとか、多衆の問題をどうするかというようなことは、これはまた別途の考え方で検討するのは格別、今回の暴力対策としては、刑を重くするにはどういうふうにしたらいいかということが最大の関心事でございます。そういたしますと、刑を重くするには、それにふさわしい質の悪い犯罪を取り上げなければ刑を重くするわけにはいかぬ。質の悪い犯罪とは何かというと、普通の犯罪の中でも特に情状の重い類型のことを考える。でございますから、傷害罪ではありますが、特に武器を用いての傷害罪というのは重いわけで、そういう重いものを取り上げて、それに重い刑をつける。常習犯の場合につきましても、これは大体重い類型でございます。この二項のほうは三年以下で、現行法の一条一項と同じでございますから、これは重くしてもいいのじゃないか、常習犯というものの考え方から重くしてもよい。でありますから、二項のほうは現行法よりも法定刑を重くいたしましたが、もし現行法のとおりが正しいのだといたしますと、二項を重くする以上は一項も重くするという議論が当然出てくるわけでございます。先ほど申しましたように、一項のほうについては、いろいろ御心配の向きもあろうかと思いますので、幾ら暴力団対策といたしましても、暴力団だけが対象になるわけではない実情にあります点にかんがみまして、そのほうにはあえて――刑のアンバランスということもありますけれども、手を触れないで、二項と、いまの新しい武器を用いての傷害、この二点に限定をいたしまして改正をしたのでございます。そうすることによって、これは暴力団を対象とした法律だということが、私は条文の上でも説明ができるのじゃないかというふうに考えておるのでございます。
  83. 松井政吉

    松井(政)委員 刑を重くすれば世の中の犯罪がなくなるというようなものじゃないと私は思うのです。だから、法体系からいって、一つ法律の部分改正をやる場合に、どの法律でも冒頭にうたっているのは、法律目的定義だと思います。それから説き起こして、要するに刑を重くするかしないか、どう扱うかということを各条文に出しているのが日本の法体系じゃないですか。その場合に、刑を重くすることだけを考えて、そして法体系の一番大切な一条を、そのままにしておいたのだ、こう御説明をなさるけれども、その考え方がちょっと私たちと違うわけなんです。
  84. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 法体系として第一条に目的を掲げ云々というおことばがございましたが、これは行政法などでは、ある行政目的を果たすために法律をつくるわけでございますから、この法律目的は、こういうふうに第一条に掲げるのが常識だと思います。しかしながら、暴力法もそうでございますが、これは刑法の特別法でございます。刑法のような規定は、そのときそのときの行政目的を果たすために存在する法律ではございませんで、これは昔からある法律、言うなれば自然法的な法律でございます。したがって、その刑法目的なんというのは、教科書を読みますと、ずいぶん目的のところがたくさん書いてございますけれども、法律にはそういうことはあえて掲げない。おのずからそれは自然法的な原理の上に立っておる法律でありますから、自然にそれはわかるわけであります。それからまた、体系体系と私どもも申しますが、これは法律の置かれております位置によっておのずから解釈に限定が出てくるわけであります。そのことは、一々これはこう解すべきものだとかいうふうなことを行政法では書く場合がありますが、刑法の場合でしたら、窃盗罪の章にある規定を入れれば、窃盗罪に関するいままでの判例、学説というものはすべてそれに乗ってくるわけでございまして、おのずから解釈にも運用にも限定がそこに起こってくる。そういう意味刑法の体系ということが言われるわけであります。  それからまた、他の罪とこの罪との刑の問題、そういうものもおのずから刑法体系の中にそれぞれ占める位置によりまして解釈も、刑の幅もきまっておるわけであります。したがって、いまここで刑を重くしようという意図を持っておりましても、現状のままですぐ法定刑を上げますことは、それこそ刑法の全体系から見まして刑のアンバランスが起こってくるわけで、不都合が起こってくるわけで、そこで刑を上げるとすれば重い情状の特別の類型をつくってそれにふさわしい刑を盛る、作業としてはこういうふうに進めていきませんと、刑法体系上において正しい条文の形として取り上げるわけにはいかない。こういうことになるわけでございまして、この暴力法刑法の特別法でございますから、その頭で、幾つかあります判例、学説等をすべて踏んまえまして、その解釈はすべてこの新しい法律にも適用されるという前提に立ちましてやっておるわけであります。それが適用されるのだということを法文に書かなくても、適用されるということが刑法一般通則でございまして、そういう点を含めまして書いてあるわけでありまして、いま仰せのように、第一条、目的、というふうに書かなくてもその趣旨は明らかであるというふうに考えております。
  85. 松井政吉

    松井(政)委員 これはたいへんなことです。昨日の質疑の中にもありましたけれども、大正十五年に最初本法ができたときに、その当時の司法大臣は、小作争議労働組合、水平社運動に介入しない、それを取り締まるのではない、と答弁しているのです。記録が残っているのです。ところが、その後私は幾たびかこの法律に問われているのです。そのころは青少年期ですが、労働争議が起きて、お前労働者の出入り口に立っていろ、いまで言えばピケということばでしょう。立っておっただけで、この法律で何べん検束されたかわからぬのです、私自身が。だから当時の司法大臣が、この法律目的はこうなんだという説明をはっきりしても、今度適用されるときになると、やはりその大臣の答弁した目的でない方向にこれが逆用されていくのです。それで悪用されてきている、歴史は。それだから私は言うのです。あなたはそういう経験がないかもしれませんが、私自身何べんもやられている。手も上げなければ、人にもさわらないけれども、この法律で検束されるのです。その当時検束されれば、御承知のとおり何の取り調べもなくて二十九日勾留です。たらい回しを三つ食へば冬が春になるまでわれわれはブタ箱です。その経験をなめてきたのです。だから、この第一条の団体とは何ぞや。そして、暴力団取り締まりのために必要ならばなぜ暴力団を取り締まるのだということを明らかにしないのかとしつこく言うのもそれなんです。だから、この法律改正して実際に適用されたときに、この法律ができるときに当時の司法大臣が記録に残した、答弁をしておるにもかかわらず、やはりみんなの心配する大衆運動や、労働運動や、民主的な運動にこれが適用されると考えなければならぬ。それを取り除くために、前国会において、非公式であっても議員同士が話し合って、第一条の団体とは何ぞやという解釈をしておくことが必要だという議論にまで発展したわけです。それをあなたのほうでお考えにならぬというのは、何べん答弁を聞いても納得いかないし、残念でしかたがない。現実はそうなんです。この法律はそうなんです。私ば国会に出て相当長くなりますけれども、自民党の人たちは社会党の暴力だとかいろいろやじられますけれども、私は懲罰に一ぺんもかかったことがございません。議運を六年もやっておりますし、常任委員長も長い間やらしてもらった、野党でありますけれども。しかし、そんな人の頭に手を上げるようなことをやったためしがない。ないが、私はこの法律で何べんも検挙されている。だから、そういう経験から推してこの法律に危険性がある。だから危険性のないように、安心できる条文はどうかということを、三国会にわたって審議をし論議をしているにもかかわらず、相も変わらず一字一句変えざるものを出してきた。これは与党の諸君でも、一字一句変えずに出すのは何と能のない話だなと私語を漏らす人たちもある。だから、法務省の考え方がどうしてもわからない。そして疑問を投げたまま審議を強行しようとしている。これが私にはわからない。何べん答弁を聞いてもそれがわからない。これは必ず悪用されるのです。大正のこの法律ができたとき、時の司法大臣の答弁、小作争議労働争議、水平社運動等には適用しないという記録がいまだに残っているのです。残っているにもかかわらず、何にもしないわれわれがやられたのです。だから、もちろん起訴なんかされる道理がない、何にもやらないのですから。しかし、検束するときにはこの法律で検束されるのです。そして三つくらいたらい回しにぶち込まれたのです。何べんもやられているのです。だから、労働争議運動に適用しないというのはうそであって、適用されるのです。これは経験から申し上げるのです。そういうことが議論されておるにもかかわらず、相も変わらず同じ議論をさせるというのは、まことにこれは困った話だと思っておるのです。したがって私は、あなたはほかの行政法と違うと大言壮語されますけれども、国会の中における議員同士でも、第一条の団体という解釈で改正条文を入れたらいいんじゃなかろうかという議論もなさったことを私はたびたび言うのです。だから、そこではっきり、この目的と、その第一条のそこのところを聞きたいのです。だからどうしても残念でしかたがない。これは言い合いになりっぱなしになるかもしれませんけれども、そういう経過があるのです。しかも三国会にまたがっているのです。いろいろな議論をあなたは耳にしているはずですけれども、われわれからいえば陰謀だ。陰謀にもかかわらず、一言一句変わりないものを出してきて、また今国会末期に至るまで論議をさせようというのは、一体これはどういうわけか。われわれよりは、あなたのほうが理論的であり、頭脳明晰であり、法律案に明るいでありましょう。でありましょうけれども、しかしその点はどうしても納得できない。これは水かけ論になりますから答弁はよろしゅうございます。  それから次に、もう一つお伺いしますが、特にこれも議論になったことですけれども、簡単でよろしゅうございます。銃砲刀剣類等所持取締法に定めるものに限るというように、問題になっておるここはうたえなかったのですか。
  86. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 その点も立案の過程におきまして検討してみましたが、そういうふうに書きますことは適当でないということになりまして、この原案のようになったわけでございます。これは単に私どもがそう考えただけではなくて、法制審議会の審議の過程におきまして、そういうことで決までとってやったのでございますが、きわめて少数の方のそういう御意見でございまして、多数はそれに反対で、原案のようになったわけでございます。
  87. 松井政吉

    松井(政)委員 それではもう一つ、破防法の訓示規定、そのことも考えられたのですか、これだけ聞かせてください。
  88. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 破防法は罰則規定もございますが、同時に、主体をなしますものは破壊活動団体の調査というところにございまして、それで調査の権限等を定めておるわけでございます。これは言うなれば運用法、手続法も入っておるわけでございます。そういう法律でございますので、その衝に当たります者の運用の中に、乱用にわたること、逸脱がないようにという、これは立法者の注意としてまことに当を得たものだと私は考えております。しかし、実体法は違うのでございまして、私は実体法の中に訓示規定を設けるということにつきましては適当でないというふうに考えております。
  89. 松井政吉

    松井(政)委員 それでは急ぎますが、今度常習ということばが入ってきたわけです。ところが、従来常習ということばを使った法律は、刑法常習賭博、それから常習強窃盗ということばが法律に使ってあります。それから常習麻薬取引、これも常習ということばを使っております。今回も常習ということばを使っておりますが、これもやはり反復してという常習で、反復は、どなたが聞いたかわかりませんが、同じ罪の反復をいうのか、罪名は違っても反復というのか、前科が異なる犯罪であっても、前科なるものを反復というのか。それから年数が二十年もたって同じ犯罪を犯したのを常習というのか、そこらのところをお聞かせ願いたいと思います。
  90. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 年限で、あるいはその前科の回数で、あるいは別な罪によって常習性が認定されたり認定されなかったりということではございませんで、常習というのは、その犯人がある罪を繰り返しやる、そういう習癖があるかどうかということで判断をするわけでございます。したがって、何年前に一つ犯罪があったから常習になるというふうな見方をすべきではございませんし、それからまた前科の回数が多いから常習になるというふうに認定すべき性質のものでもございません。要するに、前科とか前の罪とかいうものは、すべてそういう癖のある人間だという、その癖を認めるに足る資料かどうかということの判断の材料にすぎないのでございます。したがって、そういうふうに癖というふうに見てまいりますためには、窃盗罪と暴行罪というようなものは癖を認める資料にはならないわけでございますから、大体において暴行前科なり繰り返しがあったという前歴なりというものが、今度の暴行常習性を認める資料になるかならぬかということが検討されるわけでございまして、罪が違ってくると習癖を認めることは困難になってくるというふうに私ども考えております。
  91. 松井政吉

    松井(政)委員 習癖の解釈はいろいろ議論があるだろうけれども、昨日の松井君の質問に竹内さんの答弁は、常習のところで、暴行、傷害、脅迫、器物損壊、それで拡大解釈するとすれば傷害致死程度だという意味の答弁をなさったように私聞いたのです。ところが、法制審議会においては、やっぱり兇器準備集合、それから傷害致死、建造物損壊、それから証人威迫、こういうものまでこの法律でいけば常習関係は拡大されるのじゃないですか。そうなりますと、あなたの昨日の答弁は、せめて拡大されても傷害致死程度だというのは、これは間違いになりますか、いかがですか。
  92. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 いまお話しのように、委員の中から質問が出ましたことは事実でございまして、そういう拡大になるじゃないかという心配をして私どもに質問があったと思うのでございますが、そのときの私どもの答えも、昨日松井委員にお答え申し上げたと同じ趣旨で答えておりまして、大体その答えで、学者の方々もよかろう、こういうことになっておるわけでございまして、これはそんなに次々と拡大していくというようなことはございません。
  93. 松井政吉

    松井(政)委員 私の心配するのは、こういう形でたとえば傷害致死や建造物損壊、それから証人威迫まで拡大していくということになりますと、これは公務執行妨害その他にまで拡大する危険性がありますから、この常習というところは、われわれとしては非常に大事になってくるわけです。だから、そういう意味で聞いたのですが、これはやはり非常にしぼられるというのが正しい解釈ですか。
  94. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 おっしゃるとおり非常にしぼられる。ただ、傷害と傷害致死は結果的加重犯でありますので、傷害致死というのは傷害と同じでございますから、傷害致死は入ってくるだろうと思います。この点五つでございますね。
  95. 松井政吉

    松井(政)委員 最後にいたしますが、これは直接この法律案関係ございませんが、暴力並びに暴力団、そういう関係からどうしても見のがすことができないので、大臣も簡単に所見を述べていただきたいし、それから当局からも説明願いたいのですが、執達吏や執行吏といいますか、これは法務省のおひざ元だと思いますが、四月九日に汚職の判決がございました。その汚職の判決が下って、法務省のおひざ元でたいへんな事件を起こしているわけですが、その事件の事柄もさることながら、この執達吏、競売屋、談合屋、それといわゆる社会通念の暴力団、そういう関係というものは、御承知のようにずっとくされ縁があるわけです。そこでやはり汚職が起こってきた、有罪の判決を下さざるを得なくなってきた、こういう形になっているわけです。そうすると、法務省のおひざ元の機関まで談合屋、競売屋、暴力団とのつながりがあって汚職まで起こすということはゆゆしい問題なんです。そういう問題が一方に起きておるにもかかわらず、この法律で刑罰を重くすることによって暴力団取り締まりがこと足れりと、こういうことにはどう理屈を言ってもならないのです。まずその辺の粛正と、きちっとしたかまえというものが法務省に必要じゃないですか。この事件についての責任、それから、こういう問題を起こした背後には町の談合屋、競売屋、暴力団の背景があることは明らかですから、そういうつながりについてひとつ責任ある答弁をお願いいたしたい。
  96. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 簡単にお答え申し上げます。そういうようなつながりで起こりましても、いやしくも法に触れるような場合におきましては、検察当局は今後も断固として、従来もそうでございますが、特に遠慮しないでやるつもりでございます。検察当局もその考えでございまして、たちの悪いものはなおさらきびしくやるつもりであります。
  97. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 暴力団活動分野というものは、社会の谷間と申しますか、われわれの手が十分伸び切れないような谷間が社会にはできてくるわけでございますが、そういうところには遠慮なく水が流れ込むように活動分野を広げておるように思われます。その一つの例が、いまの御指摘の執行吏の汚職事件にまで発展しておるのだと私は考えております。これにつきましては対策がなければなりませんので、いま大臣が仰せになりましたように、これが犯罪になるわけでございますから、厳正に摘発して処罰を求めていくことは当然でございますが、さらに執行吏制度そのものの中に内蔵する弊害もあると思いますので、ただいま執行吏制度全般につきまして、法制審議会で検討をいたしておるのでございます。
  98. 松井政吉

    松井(政)委員 この法律はどうしてもわれわれは納得できませんけれども、審議で、だんだん質問その他で考え方は明らかになったと思います。大体こういう法律で三回の国会をわずらわすよりも、おひざもとの執達吏の粛正でもおやりになったほうがいいということを申し上げて、質問を終わります。
  99. 三田村武夫

    ○三田村委員長代理 神近市子君。
  100. 神近市子

    ○神近委員 きょうは私は法務大臣にかなりいろいろお尋ねしたいことを持っていたのですけれど、五時半だかそこらまでしかおいでになれないというので、ひょっとしたら準備したものが飛び飛びになって、始末がつかないかもしれませんが、一、二お尋ねしてみたいと思います。  今日問題になっておりますこの暴力処罰法によって、今日の暴力団が徹底的に整理できる、あるいは退治できるというような信念を持っておいでになってこの法案が出ているのですかどうか、それを一点伺わせていただきます。
  101. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 たいへんお急がせいたしまして済まないのですが、ただいまの御質問、率直に申し上げまして、これだけで暴力団を全部完全になくする、ここまでは申し上げられません。いままで多数の方のお説がございましたように、犯罪は、いろいろな社会的の背景となる基礎的な原因もあり、直接の原因もございます。これは直接の原因に対して直接に向かう方法でございます。これ一つでもってすべてとは申し上げませんが、これを実行いたしますれば非常に有力であり、社会の庶民生活に対しまして非常な安心を与える。これからは傷害行為につきまして警察方面でも、従来もそうでございますが、一そう決意を新たにしてやられますし、それからまた、これを刑務所、少年院等に入れましても、従来よりは長期にわたり、場合によれば暴力団が従来おります土地より他の土地の刑務所、収容所に入れまして、その根源を断つのに非常に有力な武器と申しますか、暴力団解消の武器になる、かように考えておる次第であります。
  102. 神近市子

    ○神近委員 どうも私どもはさっきから御所感を承って、少し大臣は考え方が甘いのじゃないか。いまここに数字をたくさん支度しておりますけれど、ともかくお急ぎだというのでそれを逐一申し上げることができません。これは法務省でお出しになった数でありますから間違いはありませんが、大体三十五年の暴力による総受理数が八千八百九件、その中で暴力団によるものが三千三百五十八件、その他が五千四百五十一件、こうなっております。それから三十六年は総受理数が九千二百八十九件、暴力団が三千九百二十六件、その他が五千三百六十三件、こうなっておって、三十五年は三八%が暴力団、約六二%がその余の犯罪、こうなっている。それから三十六年は四二・三%が暴力団、そのほかのものが五七・七%、こうなっているのです。これは多少の出入りはあるかもしれませんが、ほかのところに鉄道の例がございますけれど、いまそれを出すひまがないのですけれど、大体この残余という件数は労働組合の人たちによると考えられているのです。暴力団とはっきりきまったものとそうでないものとの件数でありますけれども、こういう状態において、いま大臣がおっしゃったように、一部では――事務局にはあとでお尋ねいたしますから、あわてないでいただきたい。私は大臣の御所見を承っているのです。それで、私はその点で大臣のお考えは少し甘いのではないかということを伺っているのです。
  103. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 今回の法律は、御承知のように現行法の一条の一項、今度の法律の一条、それから一条ノ二、一条ノ三、これは全く違うのでございまして、第一条と第一条ノ二、第一条ノ三は、いわば同じ家族に入るのじゃないのでございまして、別家族、たとえていえばアパートに隣同士に入っているようなもので、同じアパートにおりますが、むしろ別ものでございまして、第一条の文字が少しも第一条ノ二には影響がない。三もさようでございます。そういう次第でありまして、同じ暴力と申しましても、銃砲刀剣類をもってするような、また常習者がいたしますようなたちの悪い、国民から見たらよりおそろしい、よりいやなものに対して焦点が向けられておるわけでございます。そういう次第でございますから、悪質な暴力が非常にそこで減る。ただ傷害がありました場合だけでは適用がないわけでございます。銃砲刀剣類をもってやった場合、あるいは常習者の場合でございますから、そういう特におそろしい、いやがられる悪質なものに対する減り方は、私は相当に強く減るんじゃないか。かりに数は今度の一条ノ二や一条ノ三が適用のない分は減らないといたしましても、悪質なものについては相当に有力に減るんじゃないか、かように思うのでありまして、結果において御批判のような甘かったということがないように、警察当局やまた検察方面についても努力をいたすつもりでございます。と同時に、そういういわば直接の方法以外に、先ほども精神病の問題も出ました。私も、余分なことを言っておそれ入りますが、私の党で社会保障やまた政調会でやっております場合にも、いまの精神病者の措置入院なんというものは二、三年の間に私は一生懸命にやって、予算も十倍以上にいたします。そうしてこれを措置入院をせしめて、社会からその害を除く。相当にいろんなそういう方面も同時に熱心にやっていくということはむろん怠らないわけでございますが、ただ直接方法の刑罰を重くするということは、いわゆる常習犯や銃砲刀剣類をもってする悪質なものに対して特に効果があるのではないか、こう考えておる次第でございます。
  104. 神近市子

    ○神近委員 そのお覚悟はよくわかりますけれど、この間私は、個人的なことは申し上げたくないのですけれども、大臣がお過ごしになった時代は二つに分かれておるはずでございます。昔、非常に弾圧の多かった時代を経て、そうして今日の民主主義の政治下の大臣におなりになっている。そういうところにお考えの開きがあるんじゃないか。たとえば、いまこの法律によってたくさんの人を刑罰に付して悪質犯罪をなくするんだというようなことをおっしゃったのですけれども、それに伴ってたくさんの人が――いまパーセントを申し上げましたけれど、ずっとはるかに高い数字がいま民主化で団結を持って、そうして労働運動をしている。いま松井委員も申しましたけれど、これは例をあげて申し上げようと思いましたけれど、お急ぎだというので略しますが、何もしない人が引っぱられて、そうしていままでは保釈になることができた。だけれど、今度のそのそばづえを食って、保釈は一切許されない。そうして何年か裁判がかかる。職は失うというような状態になるということをお考えになりませんでしょうか。
  105. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 私はいまの説は反対で、逆ではないかと思うのでございます。もしも人権ということの尊重をいたしませんと、戦前は人権を尊重しなかったと私ははっきり申し上げるわけではございませんが、かりにそういう時代としまして、その観念でやるならば、たとえば暴力団体の定義でも、事務当局が法律的にいうと、暴力団体というものはどうもそこまで行ってつかまえてみぬと、固体であると思ったものが気体であり、液体であり、固体でない。はっきりつかみにくいといいましても、そんなことを言っておったんでは取り締まりができないから、暴力団というものをきめてしまって、団員であるかどうか疑わしい者でも所属をきめてやってしまったらいいじゃないか、こういう観念が戦前的な考え方ではないかと思います。また恐喝の問題でもそうでございまして、恐喝はけしからぬ、あるいは資金源である。それは財産犯であろうが何であろうが、また恐喝をやるならばほかの建造物の破壊も取り締まれ、そんなことは言わないで取り入れてしまってやればいい。こういう考え方であるのが一方からいえば効果があるようでございますが、さようにおおまかに考えまして、一面そのために人権が侵害される、自由が不当に拘束されるということがあってはならぬ。法の刑罰の厳重な科刑は最小限度にとどめたい、これがかりに戦前、戦後を区別しましたら、そういう意思を御批判によっては尊重して、今回の立法もその適用範囲がきわめて制限されるようにいたした次第でございまして、できるだけ乱用がないように、あるいは不当介入がないように、そういう点に戦後の思想としまして、一部の人はあまりに憶病ではないかというほど忠実にまいったつもりでございます。労働団体のほうは、いまも申し上げましたが、第一条の一項の罪を加重するならばいろいろまた御心配もございましょう。一条に関係ない、全く別のことを今度規定したわけでございますから、一条の罪を加重するのではないのでございまして、常習銃砲刀剣類を盛っただけでございまして、銃砲刀剣類を持っていない場合に、これこそ間違いなくやるような心配はないわけですから、私は御心配のようなことは起こらぬ。それは警察官でも何でも、ほんとうは無罪なのが間違いでつかまえることはないとは決して申し上げません。そういうことはあり得るのでございます。あり得ますから、検察制度があり、さらに裁判制度があり、裁判制度も覆審であり、無罪になりましたら刑事補償の制度もあるようなわけでございまして、全然ないとは申し上げませんが、今度の立法は、最もそのおそれの少ないものではないか、手段等も限定されております。それから罪を犯す者の資格も常習者と限定されておりますので、その御心配がないように、またそういう点に立法技術でも十分に注意をしてまいっておる、かように思う次第でございます。
  106. 神近市子

    ○神近委員 大臣は雑誌なんかをお読みにならないかもしれないのですけれど、いま新聞や雑誌に――この間のケネディ大統領の暗殺の事件が起こっております。この審議の途中で刑事局長でございますかどうか、暴力団犯罪をあげるのは非常にむずかしいというお話をしていらっしゃるところがあるんです。いま統計もどこか書いておりますけれど、お急ぎだと思うからそれは略しますけれど、アメリカの例を考えてみても、それから日本の検挙が非常にむずかしいというようなことを考えますと、どういうところにむずかしい点があるかというと、届け出をしない。たとえば会社とかあるいは政治家のような人、個人とかが、名誉のため、それからまた、あとからゆすりが同じようにくるかというおそれのために届け出がない。そのためにどうしても検挙がむずかしいんだというお話が出ていたんです。この前ちょっとそれも出たようでしたけれど、一体そういう対策ですね。私は実は法務大臣にその対策について少しアドバイス申し上げたいことがあるのですけれど、お急ぎだというので、そのことまで触れられないのですけれど、これはまた他日、関連の質問にでも申し上げたいと思います。  もう一つ、この間田中委員が御質問申し上げたときに、裁判のあり方あるいは検挙のあり方についていろいろ疑念が出たんです。ごく手近な例を申し上げますと、この前の安保反対運動のときに、文化人になぐり込んだ石井某という人が警察官の集まっているところに行ってビールを飲んで懇談をしたということ。この結果か、暴力行為処罰法にかかるというので、武器が石だとかあるいは砂だとか、棒だとかいうものによって乱暴が行なわれた。それから三井の場合もそうでございます。石灰を袋に入れたもの、あるいは何か香辛料を入れたもの、ガラスの粉、そういうもので目つぶしをかけ、そうして石を投げ、青竹でやった、そういうようなこと。そうすると、この銃砲刀剣の類にかからないから、その手段をちゃんと教えていて、そして自分たちはこれは暴力行為でないからというふうにして、これを見ていることができる。そういうようなことがある。それから裁判になりましても、さっきも申し上げたように、暴力団よりも以上に労働組合の数が――いま数をたくさん持っております。いまあげませんけれど、それがあがっているというところを見ますと、何か法務大臣として、いまおっしゃったように非常におりっぱなお考えをこの末端までどういうようにしてその意思を通すことができるか、それに自信がおありでございますか。その点を承って、私の大臣に対する質問を終わることにいたします。
  107. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 暴力団犯罪につきまして届け出が非常に少ない、また検挙がむずかしい。これは偶発的のものでございませんで、いわば常習、俗にいえば商売にしているような連中ですから、犯罪を免れるということについてはいろいろ工夫もし、考え方もしているわけです。その一番おもなお礼参りなどもそのでんだと思います。今回の改正では、普通の場合の権利保釈ができないようになっています。これはお礼参りを防ぐことを直接の目的としてなったわけではございませんけれども、刑罰が最短期限が一年以上となりますために、いわゆるお礼参りの件は結果としてよほど少なくなる。このお礼参りがありますために、善良で弱気と申しますか、だれでも暴力団に対抗するだけの用意がある人はないわけでございますから、弱気でなくとも、それをおそれるということは人情として当然かと思うのでありますが、それが結果論としておそれるということがここに出てまいる次第でございます。そういうふうにおそれないで届けてください。これは新聞でもごらんのように、警察もそういう宣伝をうんとされております。私は、そういうことで現実に庶民が安心されるように警察も大いに力を尽くしてやることを希望し、またその決意を警察で聞かされておるわけでありますが、そういうふうに一方に暴力団の悪い意味の自己防衛をだんだんなくしていくということに力を努める次第でございます。  また、いわゆる犯罪を犯す凶器の範囲につきましては、心配すればいろいろあるわけであります。科学的のものを用いたらどうか、こういう御心配もこの委員会でも出ております。神近さんお話しのように、心配すれば幾らでもございます。しかし、先ほど申し上げたように、それをあまり広げますと、労働運動適用するのではないか、旗ざおを持っておった、先がちょっととがっておった、だからこれはということになってもいけない次第でございまして、そこは、先ほど申し上げましたように、最小限度にして、ことに町の暴力に一番使われる銃砲刀剣類に限ったというのは、そういう配慮からでございます。銃砲刀剣類では小さい魚はのがれるじゃないかと言われれば、そのとおりでございます。大体町の暴力を防ぐのには、いまのところこれだけあれば大部分いけるんだ、とりたい魚はこの網の円ならば大体かかるんだ。それじゃこれでとり尽くせるかというと、この網にかからぬものがございましょう。またそこへいけば、ガラスを砂に入れてやるとか、短刀を持った悪質な場合もあるかもしれません。それまで広げるということが、一面から言ったら行き過ぎの場合もあるので、最小限度にとどめる。むしろ用心し過ぎるくらいに私は用心しまして、立法技術のほうは自己抑制といいますか、大いに抑制してつくったものだと考えている次第でございます。
  108. 神近市子

    ○神近委員 私は大臣のその善意はちっとも疑いません。でも、いま銃砲刀剣類による犯罪をなくするとおっしゃいましたが、私がお尋ねしたのは、銃砲刀剣では犯罪になるから、石だのあるいは棒とか目つぶしなら犯罪にならないというようなことを通謀する人たち、警察官ですか、そういう人たちに対する考慮はどうでございましょうかということを私はお尋ねしたのでございます。
  109. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 それはつまり悪い人はすぐ悪知恵を働かすわけで、法をくぐっていきますので、そこまで網の目を張りますと、かえって行き過ぎではないかという考え方が一つでございます。そこいらの区別を徹底することは、検察当局はもちろんですが、ことに多数の警察官についてはその憂いがないように徹底して、この法律趣旨を十分に通達いたしまして、警察官判断を間違えることのないように十分徹底するつもりでございます。
  110. 神近市子

    ○神近委員 きょう、参考人のおいでのときにこのことはちょっと問題になりましたけれども、この法律の題に使われておりますところの暴力、この暴力という文字をいろいろ字引きを引いてみますと、いろいろ解釈があるわけなんです。法に反するものはこれを暴力とするということ、それから静止しているものを動かす、引っ張る、あるいは動いているものを静止の状態に置く、こういうような、何かまるで相反するような、あるいは融和できないような定義が出ているんですけれども、この二つの解釈で、たいへんにこの法律の性格が違ってくると思うのです。局長は、どちらをお考えになっているのですか。それとも両方をごったに考えていられるか。一つは、法律違反するということ、これは漢和辞典ですか、それからもう一つは、もっと別の字引きでございます。その定義をどちらをおとりになるおつもりか。
  111. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 むずかしい御質問でありまして、私も十分お答えできないと思いますが、法律上の用語といたしまして、暴力行為という刑罰の類型はございませんので、暴行とか脅迫とか器物損壊とか傷害とかというふうになっておりまして、暴力行為ということばが法律の中に使ってありますのは、この暴力行為等処罰に関する法律と、労組法一条二項の暴力の行使ということばがございますね。こういう法律の中に暴力行為ということばが使ってありながら、その実体は何も書いてないのでございまして、わかりませんのですが、この暴力行為等処罰に関する法律で取り上げております暴力行為といわれておるのは、暴行脅迫、器物損壊、現行法のもとではこの三つでございます。そして、この暴行が傷を結果的に発生しますと傷害になるわけでありまして、この傷害も当然この中に入ってくる、こういう意味で傷害をこの中に取り込みましたのでございますが、一応この暴力行為処罰法でいう暴力行為とは四つの類型の犯罪である。まあ、こういうふうに私は理解いたしております。それから、われわれが取り扱い上、粗暴犯とかいうことばで暴力的な荒い犯罪を言います場合には、殺人とか強盗とか強姦とかいったような人の自由を害する罪や財産犯、要するに、その手段として暴力がふるわれると性格的に見られるそういう犯罪も粗暴犯という中には数えておりますが、暴力行為という刑法上の概念としては、法律にこういうふうに書いてはございますけれども、中身は暴行脅迫、器物損壊、これに準ずるものとして傷害、こういうことになるのじゃないかと考えております。
  112. 神近市子

    ○神近委員 その点でこの問題の法律の解釈が非常にまちまちになるのではないか。やはりそれは最初に御決定になっておかなければならなかったことではないか。それで乱用ということが非常に起こっているんじゃないかというふうに考えます。この法律は、もう何度も繰り返されるように、十五年四月三十日ですか、この法律が制定されてから、そのときの大臣の答弁で、これは労働組合あるいは小作争議あるいは解放運動には使用しないという明言があったからでしょう、かなりの間乱用されなかったのが、三十二年ころから非常にたくさん乱用されるようになっております。それで、その一例といたしますと、これは鉄道のほうでありますが、鉄道の労働組合一つであります。ほかにたくさん事例があると思いますけれども、その例として一つここに出しているのですけれども、案件が二十件いま国鉄がかかっている。その中の十七件が暴力防止法でやられている、これが一つの例であります。おそらくそれに類似する法律でやられたのだと思うのですけれども、そのストだの、ピケだの、さっき申し上げたように、立っているものを動かす、動いているものを静止させるというような状態から、こういうことになったのじゃないかと思うのですが、ピケだのストで集まっているというようなところにかなり使われている。いま鉄道のほうは十七件ですけれども、さっき申し上げたように、年間の検挙の中で半数以上が労働組合がかかっている。そういうことになっているようですが、この点で、一体責任はだれにあるのですか。これは大臣が、十五年の制定当時、絶対にこれには利用しないという明言があって、最近このとおりに、松井委員が言われたように、立っていただけでやられたということ、それからもう一つのケースが、いまあとで出てきますけれども、その場にいないのに、委員長であったというのでやられるというようなこと、これは一体どこに責任があるのですか、私、それを伺いたいと思います。
  113. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 責任があるかないかのお答えを申し上げる前に、神近先生にひとつ正しく理解をしていただきたい統計上の数字がございます。それは、先ほどおあげになりました暴力行為処罰違反の数字は、年間に約八千人から九千人が処罰されておりまして、そのうちで約三千から四千の人が暴力団といわれる人たちなんでございます。それで、その他の残りのものが労働運動に従事する人が適用を受けておるのだというお考えでお話がございましたが、そうじゃございませんで、労働関係で受けたものは三百人前後でございます。あとの残りは、一般暴力団以外の人であり、かつ、労働組合の運動の際に起こった暴力行為以外の一般の人の犯罪、こういうことになるわけでございます。その点をまず正しく御理解を賜わりまして、御質問を賜わりたいと思います。
  114. 神近市子

    ○神近委員 ちょっと……。いま御説明の案件は、何件が労働組合関係だとおっしゃったのですか。三百件とおっしゃったのですか。五千三百六十三件のうち、何百件とおっしゃったのですか。
  115. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 正確に申し上げるなら申し上げてもよろしゅうございますが、大まかに申しまして、八千のうち半分が暴力団で、半分が労働組合だというふうな趣旨で御理解があったのじゃないかと思いますので、それを申し上げた。そうじゃなくて、残りのその他という中に入っております四千の中で、労働関係事件というのは三百人前後でございます。三百二十人とか多いときはもっと多いのもありますが、少ないときもありまして、数年間の平均を見ますと、大体三百人前後の人が暴力行為処罰法で罰せられ、しかも第一条の第一項で罰せられておるのでございまして、その他の条文で罰せられた例はないのであります。
  116. 神近市子

    ○神近委員 いま私が出した数字は、三十六年の九千二百八十九件、その中の暴力団の案件が約四千、あと五千数百の中の三百件くらいが労働組合あとのそれは何ですか。暴力団でない人たちの傷害というのがそれほど多く起こっているというのはちょっとわからないような気がします。
  117. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 傷害じゃございません。傷害は刑法犯で罰せられますから。いまあげております数字は、暴力行為処罰法の対象になっておる数を言っておるのでございます。暴力処罰法の第一条第一項でございますから、団体の威力を示しとかありますね。それの罪に問われた者が大部分でございます。大部分というのはほとんど九九%がそれでございます。その九千のうちで約四千が暴力団で、残りの五千のうちの三百が労働関係の方で、あと残りの五千に近い数字が一般の人ですね。これは暴力団の団員というふうに見られない、一般の花見の酒のときにできたできごととか、そういうような……。とにかく一億から人がおりますので、たくさんそういう犯罪があるわけでございます。
  118. 神近市子

    ○神近委員 それじゃ、あなたはそんなにおっしゃるけれど、一つの例をあげますよ。それは木更津の事件でありますけれど、木更津のデパートが非常に低賃金であって、そこでストが起こった。二十四時間ストをやったところが、この守衛の室に管理人を四人か五人入れて泊まらせておいたということで、二十四時間ストのときにデパートの品物がなくなった。それで組合としては、当然組合のせいにやられると思ったので、その管理人を守衛室から出てくれ、お前さんたちがこういうところにいるからこういうことが起こるのだから、それはわれわれのせいにされるのだから、管理人なんというのは守衛のほかにはいないようにしてくれというので、おそらく引っぱり出したか、なぐりはしなかったでしょうけれど、引っぱらなくちゃ出てこないでしょうから。ところがそれが暴力防止法でやられている。そういう案件が実際にはあるのですよ。だから私どもは相当の量がこれでやられていると思う。ほかにも数字はありますけれど、大体あなた方が審議の途中で相当多いということをおっしゃっていたことがあったように私は考えたのですけれど。
  119. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 それは先生の誤解でございまして、審議の過程でもあまりないないということを繰り返し申し上げておるわけで、この数字は正確なものでございまして、犯罪統計によって出したものでございます。
  120. 神近市子

    ○神近委員 それからいま大臣にもお尋ねいたしましたけれど、三池炭鉱争議のときに第二組合と家族が何かのいざこざのときに、石灰あるいは香辛料、それからガラスの粉、そういうものを使わせて、警官が三人ばかり高見の見物で見ていたということ。それから安保騒ぎのときに、参議院の入り口ヘトラックで乗りつけた暴力団が、あのとき武器は持たなかった。石だの棒だの青竹だの用意していた。それがどうも私どもには、その前の晩だか前の前の晩だか、警官の集合所に行って一緒にビールを飲んで雑談をしたというようなことがちゃんとわかっていれば、何か犯罪にならないようなことを教えてやらせているというような感じがするんだけれど、それほど暴力団警察官なら警察官なりと意思の交通があれば、この間田中委員がおっしゃったように、警察官あと暴力団に行って加盟するということがあるという例をあげていらしたでしょう。そうすれば、そのことと考えあわせれば、かねてから相当交流があるんじゃないかということが疑われれば、こういう法律なんてほんとうに何の役にも立たないだろうということが考えられるのです。あなた方はりっぱな良心的な方ですから、そういうことは御想像できないでしょうけれど、この事実はお認めになるかどうか。それから安保の騒ぎのときのあの警官たちの判決はどういうことになって、どういう最終的な判決が出ているか、それがわかっておりましたら教えていただきたい。
  121. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 いまお尋ねの中に、警察官暴力団の人たちと事前に打ち合わせたとか、そういうお話がございましたようでしたが、その点は私どもは承知いたしておりませんので、私はそういうことはないと思っておりますけれども、その点は警察の御当局からお答えを願うことにいたしたいと思います。  それから、その事件についての判決の結果はどうなっておるかという点につきましては、これは調べればすぐわかることでありますが、いまちょっと資料を持ち合わせておりませんので、調査いたしまして後刻お答えいたします。
  122. 江口俊男

    ○江口(俊)政府委員 安保の騒動のときに警察官が飲んでいるところに右翼が来て、そこでいろいろ談笑したんだから、やり方を教えたんじゃないかというようなお話があったのでありますが、私はここに資料を持ちませんけれども、当時を振り返って考えてみますと、そういう事実はなくて、ともにビールを飲んだという話がある委員会に出ましたので、私が警視庁に調査を命じまして報告を受けましたところでは、いわゆる情報をとりに行ったところ、警察官のほうが何か右翼団体の事務所に行ったようでありますが、そこで連中がビールを飲んでおった。そしてあなたも一ぱいどうじゃということで、初めはそういう事実はないというようなことでございましたが、よく調べてみると、コップ半分飲んだとか一ぱい飲んだとかということで、帰ってきた事実はございます。しかしこれは……(「完全な調査をしていない」と呼ぶ者あり)完全な調査です、このことに関しては。そういう事実はありまするけれども、現在におきましては、情報をとっておくことは重要でございますから何らかの方法でとらねばいかぬ、しかし、とるについては、ただいま御指摘になったような誤解を招くような方法はやらないようにという指導をいたしております。
  123. 神近市子

    ○神近委員 何かとりにいった人があべこべにとられるという昔からのことわざがありますね。それと同じだと思うのですけれども、もう一つ昨年の六月でしたか、山崎で丸山という労働組合委員長が五つになる子どもの目の前で殺されています。その人が何か犯罪的な怨恨でもあったのか、受けるような理由でもあったのかと考えると、そういうことはなさそうですね。   〔三田村委員長代理退席、委員長着席〕 そして殺されて、今日その仲間の人たちが、これもやはり暴力団ですけれど、暴力団ではないかというような目星をつけているのがあるけれど、これは警察一つも協力しない。そして調べようともしない。あるいは居住とかそのときのアリバイを探すということにも笑って取り合わない、こういうような事態があるわけです。それで私が懸念いたしますのは、この暴力団と一部の役人たちがもし手を組んでいるくらいだったら、これは何の効果もないんじゃないかということで、これをたいへん懸念して、そして他の方法があるのじゃないかということを私は考えるわけでございます。そのことはどういうことですか。やはり警察庁長官に……。
  124. 江口俊男

    ○江口(俊)政府委員 ただいまの川崎の事件につきましては、具体的に担当課長から説明させますが、一般的な議論として、暴力団警察官との間にくされ縁があるのじゃないかということはよく言われることでございまして、一番われわれの残念なことであります。十五万人の職員でございますから、一人もそういう者は絶対おらぬということを私言いたいのですが、そこまでは言わぬにしても、私はいない、こういうふうに信じておるのでございます。それで、そのことを裏から言って、きのうも私お答えしましたが、警察暴力団員として何のだれべえというような意味で一応把握しております数は、十七万名くらいあります。そして年々検挙いたしておりますのがこの三年間六万名近い、五万何千名ないし六万名という数字でございます。今回こういう法律をどうしても――私のところで出している法律じゃございませんけれども、御審議を願って成立させてもらいたいというふうに警察官全員が考えておりますのは、多少重複している分もありましょうけれども、かりに六万人ずつきちっとつかまえた分がきちっとした処罰を受けておれば、十七万人把握しているのは、かりに三年入っておるとすれば、重複さえいたしておらなければ、また新しいものができればこれは別でございますけれども、三年目にはゼロになっているという数字になるわけです。ところが、年々六万の事件をあげつつも、ちっとも暴力団としてわれわれが把握している数が減っていかないというのは、つかまえてもつかまえてもまた出てくるというところに一番の問題があるのでございまして、この点は十分御了承を得たいと思います。
  125. 日原正雄

    ○日原政府委員 ただいまお話しになりました事件につきましては、お話しのようにこれが犯人じゃないかというお話もございます。なるほどそれは暴力団とつながりのある者でございます。ただ、私どものほうは、もちろん容疑者の中へ入れて捜査をいたしておるわけでございますが、それから絶えず所在を確認して捜査をいたしておりますが、まだ直接逮捕するだけの疎明資料が得られておりませんので、十分な資料さえ得られれば直ちに逮捕できると思いますが、いままでのところではまだ得られておりませんので、捜査を継続中でございます。
  126. 神近市子

    ○神近委員 法制審議会の議事録を見ますと、ずいぶん早くからこの法案についての御研究があっているようですが、この法制審議会の議事録に、多分竹内局長だろうと思う、頭のいい方ですから、竹内局長だろうと思われる方がそのときにこういうことを述べられております。暴力団の検挙が非常に少ないのはどういうわけかという疑問が出たときに、届け出がないということですね。ゆすられた人たち、会社なり個人なりからの届け出がないために、恐喝あるいは強要というようなことを理由にして検挙ができないとお答えになっておるのです。三年も四年もいろいろ論議をなさっていれば、そういうところに届け出、通報の義務を課すというようなことはお考えになれなかったですか。私、ちょっと考えさせられるのは、西ドイツの刑法の百二十九条というものを資料としてお出しになっているのですが、百二十九条の一項、その中に「その他これを支持し、若しくはその設立を勧誘する者は、軽懲役をもって罰する。」ということがある。その「支持し」というところですね。お金を出してやる、あるいはたとえばゆすられたからこれをやるということは、ある意味で支持するということにならないかということ。そしてもしそのこと自身が使えないならば、第二項なり三項なりで結社の自由の乱用を処分するという項目を入れることができないかということ、そういうことを考えてこれを参考になさったということがないのですか。こういう項目を置いておけば、ゆすられた者あるいは強要された者が必ず届け出の義務を果たすということ、これに違反した者を軽い罰にするというふうなことをお考えになれば、こんな無理な、いまこういう問題になるような暴力処罰法改正しないでも、かえって効果はあがると思うのですけれど、そういうことは一ぺんもお考えになったことないのでしょうか。西ドイツの法律をお出しになっておるところを考えれば、あるいはお考えになったのじゃないかということが想像されるのですが、いかがですか。
  127. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 いまお尋ねの点につきましてはいろいろと検討をいたしましたことは事実でございまして、まず第一の法制審議会における犯罪検挙がすこぶる困難であるという趣旨の点でございますが、これは私が述べたかどうかわかりませんが、私も同じような考え方を持っております。これは不可能だという意味ではございませんので、届け出を得られない場合が多いのでなかなか検挙がしにくい。かりに届け出がありましても、ほんとうのことをなかなか言ってもらえないのだということが、暴力団犯罪一つ内容的な特徴になっておりますことを申したと思うのでございまして、そういう傾向がありますことは確かでございますが、だからといって不可能ではないのでございまして、先ほど警察庁長官がお述べになりましたように、年間六万人に近い者が検挙されておりますし、さきに、神近先生も御承知昭和三十三年の改正であったと思いますが、凶器を持って集まる罪でございますね、あれなどをつくりましたために、暴力団同士の対峙してまさに血の雨が降ろうというような前段階において、この罪によって逮捕することもできるわけでございまして、暴力団の実態というものは、あの罪をつくりましてから以後においては、かなり中身がはっきりしてまいってはきております。しかしながら、犯罪検挙ということになりますと、逮捕するにいたしましても、逮捕するだけの理由を明らかにする疎明資料が要るわけでございまして、そういう点で難渋しておるということを申し上げたと思います。  それから、通報義務を課してはどうかという点でございますが、これはなかなか、だれでも暴力団におどされたり、あるいはなぐられたりして被害者になりました者はふんまんやる方ないものを感ずるのでございますが、だからといって、それじゃすぐだれ某にやられたということを申告してまいりますことは、その人その人の個人的事情もあります。ちっともこわくないという人もございましょうし、こわくて申告することさえもちゅうちょされるようなふうに被害を強く感じる人もありましょうし、そこはなかなかむずかしいのでございまして、器物損壊罪のときに、これは親告罪になっておりますが、この親告罪をはずしていただきたいという、暴力立法昭和三十三年のときに提案をしたのでございます。これは申告をさせることはなかなかむずかしいので、申告がなくても警察官が捜査に入っていけるという道を開きたかったのでございますが、これは御審議の結果、いけないということでございまして、現状のままになっておりますいきさつもございまして、なかなか申告を自由にさせることすらも親告罪についてはむずかしかったいきさつもございまして、これをさらに進んで申告をすべし、申告をしなければ罰を――軽い罰でありましても、罪をもって申告を強制するというようなことは、今日の時世と申しますか、こういう人権が尊重される時世におきましては、これは取り締まりということだけを目標に置きますと、そういうことも考えられるのでございますが、しかし、取り締まりとともにまた個人個人の自由な意思というものも尊重していかなければならない仕組みになっております法制のもとにおきましては、やはりその点は人権上問題があるようでございまして、私どもとしては、そこまでは踏み切らないほうがいい、踏み切ってはいけないんだというような考え方をいたしております。
  128. 神近市子

    ○神近委員 私、その点ちょっとあなた方のお考えが間違ってやしないかと思うのです。こんなに国民がみんな、大多数の国民が困っている。そして大体においてあげられるのはざこばかりで、大ものはなかなかあげることができないというのがいまの実情でしょう。そうすると、大ものをあげると、それはやはりいま申し上げたような、ゆすられた会社なりあるいは個人なりが、これを申告する義務を与えるということは、その人たちにもプラスだと思うのです。それは人権の侵害にはなりません。絶対になりません。そのゆすられたという、損害を受けたあるいは名誉を棄損されたというようなことを申告する、あるいはそれを義務化するということは、私は絶対に人権の侵害にはならないと思うのです。国民が大多数が迷惑しているのですから、そのうちのごく少数の個人がこれを義務づけられるということは、ちっとも人権の侵害にはならないし、かえってその人自身を助けることになると私は考えるのですけれども、その点はいかがですか。
  129. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 申告をしたいというのをふさぐような道は許されないと思います。したがって、申告をしようとする場合に喜んでこれを受け取るというだけの態度を国としては示していくべきであると思いますが、申告をしなければならぬというふうに申しますことは、ある犯罪でございましても親告罪という犯罪がございますね。それなど考えてみますと、やはりその個人が判断をして、その個人の判断にまかせるという態度をとる場合があり得るわけなんで、この場合は、私どもの立場で申せば、先生が違憲でないとおっしゃっていただくのはまことにありがたいのでございますけれども、これは取り締まりの側からだけ見た場合でございまして、一般的に申しますと、そういうふうに申し上げることはいかがかというふうに感じております。
  130. 神近市子

    ○神近委員 それからこれはやはり労働組合の問題に関しますけれども、二百二十二条の「名誉又ハ財産」という項目がありますね。たとえば私企業で労使の協定があるという場合、その場合に、こんなに物価が上がってどうしても生活が困難だ、協定はあるけれども賃金を上げてもらいたいというような場合、そういう場合に企業主の財産にこれは損害を与えるというか、あるいは低賃金であるというのでその人の名誉を棄損するというようなことにこれはなるのですか。この二百二十二条の……。
  131. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 私はそういうものはならないと思います。これは社会常識でございまして、さようなことはないと存じます。
  132. 神近市子

    ○神近委員 それから法制審議会の第二十四回の会議であなたこういうことをおっしゃっています。刑を加重した結果として権利保釈に影響を及ぼすのであって、それがこの法案改正のねらいだとあなたはおっしゃっている。このねらいというのは、いま暴力団だけにこれが利用されているのであれば、そのねらいはよくわかりますよ。チンピラの人たちがやって、それを保釈を許さないということになって、ある程度改善するまでは拘禁しておくということはわかりますよ。だけれども、さっきあなたも実例をお出しになったように、労働組合その他、いま松井さんも言いましたように、何も手も出しもしない足も出しもしない人がつかまっている。また木更津事件のように、その場にいなかった委員長までがつかまって暴力防止法でやられているというような事態、そうすれば、あなたがねらいとおっしゃったのは、一体暴力団を保釈を許さないねらいなのか、あるいは労働組合の指導者たちを連れていって、そうしてこれを保釈を許さないというようなほうがねらいなのか、そのねらいが両方にとられる。もちろん、あなたは暴力団を保釈させないというのがねらいだとおっしゃるけれど、そばづえを食う労働組合の指導者、これはどういうようなことになるか。それはもう労働組合に絶対に、これは労働組合の正当な団結でありデモであるから、憲法二十八条ですか、それによるものであるということで割り切ればいいんですよ。だけれど、それは一向かまわないでおいて、そしてある数の件数が労働組合に用いられている。そのねらいと言われると、私たちは頭にくるのです。どっちがねらいなのか、暴力団のほうはつまであって、ほんとうのねらいは労働組合をつぶすためのねらいかということ、私はあなたを信用してますから、そういうことはお考えにならないとは思うけれども、ともかくこれで読めば、あなたのねらいというところは、ちょっと私どもには受け取りかねるというところです。
  133. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 この法律改正のねらいが暴力団犯罪に向けられておるということは繰り返し申し上げておるのであって、そのほかに他意はございません。これははっきりもう信じていただきたいと思います。
  134. 神近市子

    ○神近委員 それはもう耳にたこが出るほど伺っています。ねらいがどこにあるか。だけれど、そばづえを食うところのねらいを一体どう処理なさるかということなんです。
  135. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 そばづえを食う場合があるということの御心配でございますが、この点につきましては、この法律の解釈のねらいというようなものを、法を執行します警察官、検察官それぞれに親切によくわかるように示達をいたしまして、過誤なきを期していくということにするほかないと私は思います。法律そのものでねらいを定めるというようなことは、ねらって実はねらいがはずれることもしばしばあるのでございまして、やはり運用でその点はカバーしていかなければならぬと思います。
  136. 神近市子

    ○神近委員 その運用が一番問題なんです。私は、あなたが全部の裁判なりあるいは検挙者なりをなされば、あなたがそんな間違ったねらいをなさろうとは夢にも思いません。だけれど裁判官あるいは検察官というような人たちは無数でしょう。そしていま大臣がお帰りになったから大臣にはお尋ねできなかったけれど、ともかくもこの間も定義として、今日の暴力団は前時代からの遺物であるというようなことをおっしゃった。ところが遺物はたくさんいるんですよ。そう言ってはいけないけれど、官僚の中にどれだけ裁判の前時代の遺物があるか。労働組合の中では東の飯守、西の中村ですか、そういう合いことばさえあるというくらい悪質というか、あるいは弾圧主義の人がいる。検察官がいる。そういう何千といる人たちをどうしてあなたの意思によって、あるいは大臣の意思によって統一することができるか。そこに私どもがこの法案に対して非常な危惧を抱く理由があるので、官僚をどういうようにして制御するおつもりか、それを伺うのです。
  137. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 それはいまおっしゃったような多数の警官、検事、裁判官を私どもが指図することはできるものではございません。したがいまして、私はこの条文そのもので、そういう過誤にわたるようなことが起こらぬように工夫するのが私は今度のこの立法の中で一番苦心をいたした点でございます。このことはもう前に申し上げたのでございますが、いまの銃砲刀剣類を用いてやる傷害、こういうものは労働運動の際等に活動家がそういうことをやったということで処罰をされた例がいままで一件もございません。それからまた、今度改正になりました常習暴力行為でございますね、常習傷害とか、常習暴行とか、常習脅迫常習器物損壊といったような常習犯として裁判所の認定を受けたり、あるいは検事起訴しますときにそういう罪名で起訴をした事件は一件もございません。こういう実態を見まして、この種の改正労働運動の際に起こってくる事件には適用されることはない、こういうふうに私は確信いたしまして、この部分に限定をして改正をいたしたわけでございます。したがってこのことは私が幾らりっぱな指示を書きましても、指示は神近先生を納得させるわけにはいかないと思います。しかし、条文の上にそういう類型をとっておるということは、これは法律の条文といたしましては十分見ていただけることではないか、かように考えておるわけでございます。
  138. 神近市子

    ○神近委員 どうも竹内刑事局長は信用しますけれど、私どもこの立法にあたりましてあなただけを信用するわけにいかないので、いろいろと文句を申し上げているのですが、もう一つあります。やはりこの同じ年の審議会で、そのとき甲、乙、丙三人の方々が修正案を出されたのです。そうしてその修正案で三人の人が同じように出されたのは、下限といいますか、一年という規定は要らないのじゃないか、いままでどおりなり、あるいはいままでは五百円の罰金あるいは科料、それでいいじゃないかということで非常に反対があって、そうして採決をされているのです。そうすると、十人が修正案に賛成で、十人が反対。ところがその半々に分かれた採決を議長の投票が一票だとか、二票だとかというような議論があって、そうしてその場はどういうようにおさまったかはっきり書いてないけれど、その次の審議会では、これが今日の提出された原案どおりになったのです。それほど半数がこの下限を置くということに反対したのに、どういうわけでこれが原案どおりになったか、そこのいきさつを伺わしていただきたい。
  139. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 仰せのように、この法制審議会刑事法部会の審議の過程におきまして、下限をつけることの可否が論ぜられまして、その賛成をする者と反対をする者とがあったわけでございますが、反対をされた方の中にもいろいろとその差異がございまして、全部が、同じ意味反対をしたというのではございません。罰金、科料まで残しておくという意味で、つまり下限はそのままにしておいて、現行法どおりにしておいていいではないかという、上限だけを上げたらいいじゃないかという御議論の方もございましたし、罰金、科料はなるほどおかしい。しかし懲役刑については、懲役一年とか、懲役三カ月とかいう下限を設けないほうがいいという御意見の方もございまして、中には反対ではありますけれども、反対理由は必ずしも一致しておらなかったのでございます。そしていよいよ刑事法部会で決をとってきめることになりましたときに、反対のほうが一人多かったわけであります。その場合に部会長は委員でございますから、一票を行使すれば――部会長は、あとではっきりいたしましたが、自分は原案に賛成だということでございましたので、もし決をとるとすれば可否同数になるわけであります。可否同数になりますと、これは審議規定によりまして、可否同数の場合は議長の決するところによる。こうなっておりますから、議長原案賛成の方でございましたので、これは部会におきましても原案どおり可決される筋合いであったのでありますが、国会の場合と違いまして、議長はその採決に加わらないほうがいいだろうということで、御自分では決に加わることをなさいませんでした。その結果として九対十でありましたか、人数ははっきりしませんが、要するに一票の差で部会は否決のほうに、つまり原案を修正するほうに賛成がきまったわけでございます。ところが、今度は総会にまいりまして、その経緯を総会でるる部会長からお述べになりました。そのときにまた、破棄差し戻しと同じように、もう一回部会に戻して審議をするという方法もあるがどうかということで、これまた手続において議論がございました。ところが部会長から、いまの自分が決をとらなかったいきさつなども話されましたところ、それではもう部会に戻してみたところで、今度は決をとって、原案賛成ということで持ち込んでくるだけのことだから、むしろこれは、本来部会というのは予備審査のようにしてやらせる機関でございますので、総会そのものが論議を尽くして可否を決すべきであるということで、そこから総会でもう一回論議をいたしました結果、今度は圧倒的多数で原案が支持された。前の修正が否決されまして、原案どおりに可決された。こういういきさつになっております。
  140. 神近市子

    ○神近委員 そこのところが非常に不明朗なんですよ。たとえばエキスパートならエキスパート、その中で最も権威のある人たちが小委員会に入るわけでしょう。そしてそのうちの半数が反対というのが無視されたというところに、私どもの疑問があるわけなんです。その半数の意見が――ともかく十人と十人にあのときはなっているけれど、半数の反対があるのに、それが少しも考慮されないということが、一体これはあり得ることですか。私ども、普通の場合でしたら、半分反対があればこれはちょっと考えなくちゃならないというように考えるのがあたりまえだと思うのですけれど。
  141. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 これは決して無視されたわけではなくて、そういう半数の方が原案を否定する考えでございましたので、総会でも慎重にその取り扱いを検討した結果、総会みずからで検討してきめよう、こういうことになったのでございまして、少数意見が決して理由なく排撃されたり、理由なく押えられたりということではございません。
  142. 神近市子

    ○神近委員 あなたのこの法案に対するお考え方が、非常にはっきりと支持しよう、そして間違いなしにこれが執行されるようにしようというお話で、まあなんですけれど、いまやはり参考書類の中に出ましたのに、三十六年の一月から三十七年の七月三十日までの統計ですけれど、東京が暴力防止法で四十四件、大阪が百三十五件、福岡が百十四件、こう出ているのです。あと奈良と和歌山のようなところは二件か三件、あるいは福島なんというのは五件、山梨なんかも二件か三件で、圧倒的に大阪と福岡が多くなったというところに、私がさっきからあなたにお尋ねしている、検察官なりあるいは裁判官なりの考え方の非常な差異があるという例があるだろうと思うのです。これはどういうふうにお考えになりますか、東京は四十四件であります。
  143. 竹内壽平

    ○竹内(壽)政府委員 これは、初めから計画的に検挙するということは、計画検挙などというふうに私ども申すのですけれども、本来犯罪検挙というものは計画的にできる問題じゃございませんので、絶えず検挙しようと思って目は見張っておりますけれども、一がなければできないことは、選挙違反をごらんいただいてもわかりますが、東京が常に多くて、その他の地方が常に少ないというものじゃございませんで、東京が多いときもありますし、少ないときもある。これはそのときの事情によりまして左右されますので、ある期間を限って調査をいたしますと、ときに東京が少ないこともあるわけでございますが、大体を申しますと、東京は全国の二割ないし二割五分の犯罪事件が発生し処理されておるというのが常態でございます。その常態から著しい変化がございます場合には、何か事情があるのではないかということで、私どもは中身の検討をしてみるわけでございますが、いまの大体の基準に合っておりますと、ある期間をとって調べますとでこぼこはございますけれども、東京が特に暴力団について執行力が弱いということは私はないと思っております。
  144. 神近市子

    ○神近委員 大臣が急いでお帰りになったので、ある場合関連質問を申し上げるつもりでございますから、きょうはこれで終わることにいたします。
  145. 濱野清吾

    濱野委員長 本日の議事はこの程度といたします。  次会は明二十四日午前十時より開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後六時二十七分散会