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小川参考人 非常にたくさんの
事例か出てきておりますけれども、その中のこれはと思うような問題を
二つ、三つまず報告をさせていただきたいと思います。私がおります郡は、
岐阜県の中では地理的には大体
岐阜県の
中央部にあります
山間僻地の地帯でございます。七カ町村ございますが、その中で
行政の
担当の方が
組合の
脱退の問題につきましておやりになりましたようなことの
一つ、
二つを申し上げたいと思いますが、これは
一つは
大和村という村かあるわけでございますが、この村の例をひとつ御報告申し上げたいと思います。
大和村では昨年の九月三日の日に
学校長の
命令で村内の
教職員が、日直を除きまして
全員南中学校という
学校に三時半ごろ招集を受けたわけでございます。その中で
山田村長が
あいさつをされまして、その
あいさつを全
職員に受けさせました
あと、
教育委員長のほうから
組合の
脱退についての
指示をされております。
村長の
あいさつはごく
概略を申し上げますと、
大和村の
先生方が
日教組や
県教組から
脱退しなければ、
中学校の
整理統合に必要な六千万円の金の中で、県のほうから受ける
補助金四千万円の支出が困難になるかもしれない、だから村の
教育行政を推進するために何とか協力していただきたい、こういう村の
教育方針に同調できないような人には
子供をあずけるわけにはいかない、こういうような
あいさつをされたわけであります。その
あと遠藤教育委員長のほうから、この
組合の問題については非常にいままでも考える余裕があったはずであるから、明四日の午後五時までにそろって
脱退届けを出してほしい、こういうような
指示が
教育委員長からあったということであります。それから私のおります
美並村の例を申し上げますと、
美並村では三十八年の九月九日の日でございましたが、ちょうど四時からその当時
組合にまだ残っておりました十二人の者が
職場会議を持っておったわけでございます。そうしますと、四時十分ごろにこの
会議の席上へ
校長先生が入ってこられまして、
業務命令が出た、こういうふうにおっしゃったわけなんです。一体どんな
業務命令が出たんですかとお聞きいたしますと、
教育の
正常化という問題について
村長それから
助役、
教育委員、これだけの者と
組合に残っておる者とが
話し合いをするという
業務命令だ、こういうふうにおっしゃったわけなんです。それで私
たちの中では、そういうことで
業務命令が出せるものかなということを疑問に思ったわけなんですけれども、
業務命令であれば、これは
あといろいろとどんな処分が出るかもしれないからとにかく従おう、こういうことで四時二十分ごろから
村長それから
助役、
教育委員が四名、それに
校長をまじえまして、
組合に残っておりました十二人の者と
話し合いをしたのですが、これは
話し合いというよりも、
村長や
助役や
教育委員の方からいろいろと残っておる
組合員にまあおさとしがあったわけなんです。たとえば
村長はこういうようなことを申されました。きょうは
美並村の立場として
組合に残っておる
皆さんに
お願いに来たのだ、この
美並村も、それからこの
郡南中学校というところも
県下でいままで
誇りになってきておる、その
誇りのある村に
うしろ指をさされたくない。
正常化については
郡南中学校が一番成績が悪い。だから今後の
政治に影響するのじゃないか。たとえば村の財政の中で、大体村では五千万円くらいの
補助金をもらっておる、こういうものに影響があるから何とか
正常化に同調してほしい、こういうような
お話が
村長からありましたし、それから
教育委員長のほうからは
教育委員会としてはいままで
皆さん方を刺激しないつもりでおった。が、よその村がどんどんやっているから、よその村との
関係でやっぱりこれは話さなければならない、こういうことで話に来た。特に
皆さん方にそういうことを言わずにおいて、
あとからとやかく親切でなかったとかいうふうに言われては困るから、
教育委員長としてはこういうような措置をとった、こういうような
お話があったわけであります。その
あと教育長からも、それから
助役からも同様の
趣旨の
あいさつが約一時間にわたって行なわれました。そうして一通りそういうのが終わりますと、これからひとつ
教育委員全員と
先生方一人一人と話をしたい。一人一人がどういう考えを持っていらっしゃるか、お聞きしたい、こういうことなんです。それで私
たちはだれの前でも
自分の
意見が言えるように
先生としては
子供を
教育しているのだ、だから
皆さん方とここで
全員でお
話し合いを申し上げたい、こう申しましたら、
業務命令だ、一人一人に
意見を聞くということが
業務命令だ、こういう
お話でございますので、それじゃまあ
業務命令ならやっぱりこわいものですから、しかたがない、じゃあ一人一人
意見を申し上げましょう、こういうことで始めたのですけれども、四人の
教育委員の中へ一人ずつ呼ばれてはどうもやっぱり話がしにくい、だから何とか一人ずつで話をしたい、こういう
要請をいたしましたら、それじゃ
教育委員の方も一人ずつ、
先生も一人ずつ、こういうことで一対一ということで
組合を
脱退するかどうかという
意見を聴取されたわけであります。大体これに二時間くらいかかりました。で、この
個人面接が終わった人から
業務命令を解く、こういうことで
最終に
業務命令が解けましたのが大体午後八時ちょっと前でした。五分かそこら前だったと思いますが、
最終の者の
業務命令が解けた、こういうようなことが私
たちの村の中では起こりました。そのほかの村でも先ほど申し上げましたように他の村がやっているから、こういうことなんですので、調べてみますと、やっぱりどこの村でも
教育委員あるいは
村長、
助役、こういう
方々が
脱退についての
要請なり勧告なりをしていらっしゃる、こういう事実が出てきたわけでございます。
それからこれは村の
行政当局者のいろいろの
お話でございますが、今度は
校長さんや
教頭さんは一体どんなふうにされたかということでございますが、これもごく一、二の例だけ申し上げます。
先ほど申し上げました
大和村というところに
南中学校という
学校があるわけですけれども、ここの
学校では九月五日、つまり先ほどの全
教職員を集められた翌々日でございますが、相変わらず
脱退が出なかったわけです。そこで森永という
校長から、
村教委から
皆さん方に
最後通告が出た、それをお伝えする、こういう
お話なんです。どういう
通告かと申しますと、
日教組に残る
先生には
子供をあずけることができぬ、だからこの村に置いておくわけにはいかない、きょうじゅうに
職場で
会議を開いて相談してよい
返事をしてもらいたい、これが村の
教育委員会の
最後通行である、こういう
お話であったわけなのです。そこで、この
学校では四時ごろから
職場の
会議を持ったわけですが、
全員で話し合って一応
脱退しない、こういう
返事を
校長のところに持っていったわけなのです。これが五時、それから七時、それから十時、それから夜の十二時とこの四回にわたって、いずれもそういう
返事を持っていったわけです。ところが
校長さんのほうでは、そういう
返事では困る、何とかよい
返事をしてもらうまで
職場会議を続けてもらいたい、こういう
お話でございますので、どうしても
職場会議を続けなければならない。結局午前三時ごろまで
職場会議をやったわけなのです。乳飲み子を持った女の
先生方は非常に困ったわけですけれども、とにかくよい
返事をせぬことにはきょうは帰してもらえない、こういうことで、泣く泣く午前三時ごろ、やむを得ぬから
脱退する、こういう
意思表示をいたしまして
職場会議を解散する、こういう例が出てきておる。
それから同じ村の
北小学校というところでは、
校長さんが九月五日の四時ごろ
職員会議を招集いたしまして、
組合の
脱退について何とか協力してもらいたい、
教育委員会の
最後通告である、こういうことで
お願いをされたわけですが、
意見がまとまらなかったわけです。そこで
校長先生のほうは、午後九時から、それではもう一人一人
勧誘する、きょうはいい
返事をいただくまでは
うちへは帰さないということで、九時ごろから一人ずつ
宿直室へ
先生方を呼ばれまして
勧誘をされたわけなのです。たまたま九時四十分ごろ
岐阜県教組の大平副
委員長、それから私のほうの
組合の副
委員長の石原、この二人がこの
大和の
北小学校を訪問いたしまして、いま
校長先生がそういうことをやっておられるということをお聞きしまして、それは非常に不当じゃないか、こういうことで抗議を申し入れたわけです。そうすると
校長先生も、これは悪いことだということですぐに
職員会議を解散する、こういう宣言をなさったわけです。それで、この二人の訪問した
先生は帰っていったわけです。そうしましたら
校長先生は、一人一人やった中で、まだ男の
先生が三八、女の
先生が三人残っていたわけです。二人が帰った
あと、この六人の
先生を便所の横へ一人ずつ呼び出しまして、夜の十時過ぎでございますけれども、まっ暗な中で一人ずつ
脱退の
勧誘をされた。そういう中で女の
先生は泣く泣く
脱退しますということを表明していった、こういう事実が出てきております。そのほかいろいろの村で、あるいは私
たちの
学校の中で、
校長さんや
教頭さんが個別に
先生の宅を訪問する、あるいは個別に
校長室へお呼びになる、こういうことで一人一人やはり
脱退を
勧誘される、こういう事実がたくさんに出てまいりました。
特に
和良というところがありますが、この
和良小の
教頭さんは、
脱退しない
先生に対してこういうことを申しております。
脱退しなければ、おれの力でPTAを動かして全校の
生徒の
登校拒否をやってみせる。だからこの際
脱退したほうがいいのではないか、こういうような
言い方をされております。
それから、私のほうの
教頭はこういう
言い方をしております。
教育の
正常化ということは、つまり
組合を
脱退するということは村の
教育方針である。その
教育方針に従わないような者はこの村におれないのだ。こういうことで来年度の
人事異動にはどんなことが起こってくるかわからぬ、
責任が持てぬ、こういうような形で一人一人に
勧誘をしております。
こういうようにして行なわれたわけでございますが、それらの
脱退の
届けはすべて
校長に出せ、
教頭に出せという形で行なわれました。
先生方で泣く泣く書いた人は全部
教頭、
校長に
脱退届けを出す、こういうような手続をとっておるわけでございます。
それからその他のやり方について一、二申し上げますと、たとえば御
主人が村の役場だとかあるいは
農協なんかにおつとめなすっていらっしゃるような場合には、その御
主人に対して、
職場の
上役だとか
農協の
上役の方
——村でいえば有力な方でございますけれども、そういう方が御
主人に対して、
脱退させぬとまずいことだ、こういうことを言われた。御
主人が
うちへ帰って奥さんに、何とか
脱退してくれ、こういうような
要請をされておる事実もたくさんございました。
それから私のほうの
教育委員、
教頭もそうでしたが、直接本人に話すほかに家族に
お話を持っていく。たとえばお嫁さんのしゅうと、しゅうとめのところに行きまして、あなたのところの嫁さん
脱退させぬとまずいぞ、あるいは御
主人に対してそういうことを申される。そこで
うちへ帰っても家庭の中が非常に暗い、顔を合わせてもものも言ってもらえぬ、こういう女の
先生方が出てまいりまして、そういう人も
脱退をしてまいりました。
こういうようにいろいろの
事例がございますが、私
たちが一番憤激をいたしましたのは、県の御派遣になっております
指導主事があるわけでありますが、私のほうに来ておられるのは
今井指導主事というのでありますが、この人が
個々的に
先生方に
脱退を勧奨した事実がたくさんに出ました。
一つの例を申し上げますと、十二月十六日の日に、奥明方の
奥住小学校というところで
研究授業が
先生の手によって行なわれた。その
授業をやった人はまだ
組合に残っておる
先生であったわけです。そうすると
授業が済んだ
あと指導主事はその
先生を別室に呼びまして、おまえはなかなか
授業はいい、おまえまだ
組合に残っているじゃないか、
組合を出ぬとだめだぞ、いますぐ
返事をしろ、こういう話がありました。そういう重大な問題はやはりしばらく考えないとできません。いますぐ
返事をしろということをおれは要求している、こういうようなことで
指導主事が働きかけておるという事実は、
学校の中で起こったり、あるいは通勤の途上で起こったり、あるいは汽車やバスの中で起こったりということがしばしば出てきております。こういうふうな事実はたくさんに出てきておりますけれども、一々ここでたくさんの時間をお借りすることはできませんので、
概略それくらいにとどめたいと思います。