○芳賀
委員 一応所得を維持するということは、たとえば数字的な基準
価格を維持するということではないのでしょう。実際の毎年度における
生産農家の実質的な所得を確保する、向上を期するということになると思うのです。数字の上だけで見れば、三十六年、三十七年の両年度は基準
価格は三千百八十円、昨年は百八十円上げて三千三百六十円ということになっておるわけです。三十六年、三十七年が据え置きの
価格である。三十八年ば大凶作であるにもかかわらず、百八十円しか上げていないということになると、一般の賃金の事情とか物価事情というものを十分勘案し、あるいはその決定年における大豆、なたねの
生産数量等を勘案した場合、実際の所得は毎年低減しておるわけです。数字が据え置きとか、少し上がったから維持されておるというのは、全然そうでないということは、長官も常識的に
考えておわかりでしょう。そうなると、既往三カ年のことは、いまここで
議論しても、遡及して追加払いするということはしないでしょうから、ことし一体どうするかということになるわけです。とにかくここ数年、毎年作付面積が減少し、今年度はようやく十万ヘクタールを維持する
程度でしょう。来年は大台をおそらく割るでしょう。そういうことになると、この法律の目的は、むしろ逆に、国内における大豆、なたねの
生産を放棄させる目的ということにしかなりかねないと思います。だから、ことしの算定を一体どうやるかということを端的にお尋ねしておるわけです。なぜこういうことを聞くかというと、算定方式は、法律の趣旨を体して政令で定め、あるいは省令で付録算式を用意しておるわけですが、三十六年、三十七年は同様の算定方式を用いておったわけです。これにも問題があることは、数次にわたって
指摘しておるわけです。たとえば算定の順序として、三十一−四年を
価格算定上の基準年次と定め、パリティの
関係については、三十一−四年の平均農業パリティ指数と、決定年における五月のパリティ指数というものを、これは分母分子の
関係で
計算して、それにさらに基準年の平均反収と、決定年における見込み反収というものを比較して基準
価格を求める、こういう算定方式です。なぜ三十六年、三十七年は同じやり方でいったかというと、三十一−四年の平均反収よりも、三十六、七年の見込み反収というものは相当上回っておるということが、おおよそ明らかになるわけです。そうしますと、決定年における見込み反収を分母にして、三十一−四年の平均反収を分子にして、
生産年の基準
価格を出すということは、これは当然
価格引き下げのマイナスの要素としての作用をすることは、これはだれが見ても明らかなことです。ですから、これは
生産性向上指数と当時呼んで、われわれはこれを採用すべきでないということを
指摘したわけですが、強硬に
農林省がこれを用いて、結局三十六年も三十七年も同様の基準
価格になりましたということで、これは決定を見たのです。ところが、昨年はこの方式を使わなかった。それはどうして使わないかというと、昨年は異例な不作年でありまして、全国平均でいくと、平均反収が七十七キロしかない。ですから、前年度に比べると、大体半作
程度の状態になっておるわけですから、これを前年度同様に
生産性向上を期するという形でこれを用いると、答えは前年度より相当大きく上回り、四千六百円くらいになるということになりますので、これを今度は下げるために、趨勢反収というものを去年は持ち出してきた。過去数年間の反収の趨勢値を求めると、やはり若干であるけれども、上昇傾向をたどるわけです。だから、去年の場合には、三十八年の実態というものを全く無視して、反収七十七キロ
程度しか収量の見込みがないにかかわらず、過去数カ年間の
生産の上昇趨勢というものを無理に持ってきて、そうして百四十キロという趨勢反収というものを分母にして、そうして基準
価格の据え置きをはかろうとしたわけです。これは全く
生産農家を犠牲にしておる無暴なやり方であって、われわれとしても絶対にこれを容認できない。そういう冷淡な算定というものが昨年行なわれたわけです。ですから、その年の都合で
値段が上がらぬようにするというのが、過去三カ年における食糧庁を中心にした
政府のやり方です。だから一貫性がない。そこで、ことしは一体どういう悪らつな
方法で算式を起こすのか、法律に忠実なかまえで算式を起こすかということは、齋藤さんが長官に就任されて、これは初めての取り上げということになるわけですからして、その点に当
委員会としては重大な
関心を持って、あえて態度を聞いておるわけです。そういうことです。