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芳賀委員 しかしこの要求の指向するところは、農村、漁村における
経済的な貧困というものを理由にして、これを解決するためには、
国有林の処分を行なうことによって、あるいは農業
生産の拡大をはかるとか、あるいは
林業所得の増大を通じて、そうしてその地域の住民の利益を高めるというところに、開放要求のねらいがあるわけです。ですから、これは何も東京のような、大都会の人とか、一般の国家公務員であるとか、産業労働者の
諸君が処分しろと言っているわけではないです。結局第一次産業部面に非常に断層がある。いろいろ
政府は宣伝をするけれ
ども、
所得格差というものはますます拡大する。どうもしょうがないじゃないか。結局目をつけたのが、この際
国有林を処分して、それによって何とか当面を糊塗する以外
方法がないじゃないか、行き着くところまで行き着いたような
一つの打開策とした、そういう要求が底流をなしている。それにただ歴史的な分野として、
明治維新当時こうであったということがつけ加えられただけであって、これはやはり否定することはできないと思うわけです。ですから、こういう動きが
国民の一部にある、政党の一部にあるということを十分お考えの上に、今後林政というものを進めていってもらわなければならぬと考えるわけです。
そこで問題は、
国有林の
国民的な
経済利用というものを、国として怠った点があると思うのです。その点がやはり問題だと思うのです。たとえば
国有林野法にしても、
国民が相当
国有林を
利用できる道を実は開いてあるわけです。たとえば部分林の制度であるとか、共用
林野の制度であるとか、あるいは地元における総合的な
国有林の
高度利用の要綱等を見ても、十分
国民にPRして、こういうことがあるのだ、この道が開かれておるということがわかれば、
現行制度のもとにおいても、第一次産業に従事する農村、漁村等においても、これを
経済的に十分
利用することが可能だと思うのです。そういう道はあるけれ
ども、それをことさらに閉ざして、いかにもそういう道がないように
国民に考えさしている。これこそ昔からの
国有林の官僚性というか、封建制というものから脱却されていないと思うのです。この点はどうなんですか。
国民に
国有林野から
経済的な利益を与えるという場合は、何も
権利の移動をしなければ解決ができない問題ではないと思うのです。部分林の問題にしても、最高八割以内までは
国民の側が分収にあずかることができるという
規定になっているわけでしょう。全部というわけにはいかぬにしても、共有林の契約を設定した場合においても、たとえば牧野等の問題は、モデル的な牧野の設定等については、
国有林野事業の一環として、機関的な設備というものはこれを行なうことができるという道もあるわけです。ですから、農業と
林業との
関連から考えた場合、たとえば現在の
農業基本法の第二十二条には、農業と
林業との
関係というものが出ておる。ですから、零細な農業と零細な
林業経営と、これを総合した農林的な新しい
経営というものを当然考えなければならぬが、やはり
林業にしても、基盤というものを国が十分確保して、それに
国民が参加して
利用するという道を大きく開くべきでないかというふうにわれわれは考えておるわけです。われわれの
森林基本法というものはそういう目標に立って策定されておるわけですが、この点は一体どう考えますか。