○小関隆祺君 時間があまりございませんので、簡単に御
意見だけ申し上げたいと思います。
お手元に
意見が配付されておると思いますけれ
ども、まず一番最初に、
林業基本問題という問題の設定の仕方ということで、この
基本法との
関連についてお話ししたいと思います。
私は、
林業の基本的な問題は何かということについては、実はまだ十分わかっていないのではないかという感じを持っております。これは私だけじゃなくて、私たちのように
林業経済の
研究をやっている者の中で、これこそ
林業の基本問題だというような定説というのはむしろないのじゃないかと思っております。そういう
意味で、
林業基本法あるいは
林業基本法という
ことばの使い方には若干の疑問を持っております。
たとえば、
林業基本問題が数年前に
提出されたときに、木材の需給問題というのが非常に問題になりました。そこで、需要はどんどん伸びていく、それにもかかわらず供給がそれに追いつかないというような状態の中で、木材の需給問題を
解決することが基本問題ではないかという議論が行なわれました。
この点に
関連して考えてみますと、確かに
国内生産による木材の供給ということは不可能でございますけれ
ども、しかし、外国との開放経済の中へ入ってまいりますと、木材の需給問題というのは、ほんとうに
林業の基本問題になるかどうかということになると、少し長期的に見ると、そうではなかったのじゃないか、基本的な問題の一つではあったけれ
ども、それに限られる問題ではなかったという感じが現在いたしております。
たとえば、
林業所得という観点から見ましても、確かにいろいろな矛盾がございますけれ
ども、
林業を
経営している人間の大部分が農民であるという観点に立って、
林業自体でもって農民の所得という問題を十分に
解決することができないのじゃないか。そういう観点から言いますと、最初から
林業所得問題というのは重大な問題ではあるけれ
ども、日本の
林業にとって基本的な問題であったかどうかということについては非常に疑問を持つわけでございます。
そこで、基本問題の取り扱い方でございますけれ
ども、これは、たとえば高度成長経済の中において、
国内で木材の供給が十分に行なわれないという日本の高度成長を阻害する要因に
林業がなるんじゃないか。したがって、
林業の
生産力を高める必要があるのじゃないかというような観点からの基本問題のとらえ方があるのではないかと思うのです。それはさっきも言いましたように、需給問題に端的にあらわれた問題に言えると思います。
それからもう一つは、
林業生産を行なうという人たち、
林業従事者という
ことばで表現されているようでございますけれ
ども、そういう人たちの生活を全体として
向上させなければならぬ、所得を高めなければならないという観点からの問題があります。この点から言うと、端的に言うと、木材
価格が高いほうがいいということになります。
しかし、もう一つ全体の消費者の
立場から考えますと、必ずしも木材の
価格が高ければいいという問題ではない。やっぱり安いに越したことはないという問題がございます。ですから、
生産者の
立場、あるいは消費者の
立場、あるいはもっと大きな資本の
立場というような観点から考えたときに、基本問題が全体として一致するということは考えられない。むしろ矛盾した存在として出てくるのが当然ではないかというふうに考えております。
したがいまして、私は
林業基本問題というものを長期に
検討するということは非常に大切だとは思いますけれ
ども、立法の形で基本問題を持ち出させるということは非常にむずかしいというふうに考えております。
また、提案されました三つの
法案を読ませていただきまして、私が感じたことは、
基本法という名前で出ておりますけれ
ども、実際は現状からそんなに離れていない、現状の矛盾を
調整するという性格でございます。でありますけれ
ども、矛盾を
調整するという範囲であって、むしろ現状に即した
林業の振興
政策というものがうたわれてもいいんじゃないかというふうに考えるわけでございます。そういう
意味で、私は名前にとらわれずにこういう形の振興
政策が立法化されるということについては、もちろん賛成の
立場でございます。反対する理由はちっともないと思います。
ただ、掲げられている事項は、いずれも
目標といいますか、そういうようなものが掲げられておって、これはそういうようなことがうたわれることはたいへんけっこうであるし、今後のいろいろな行政手段を採用する場合に非常に有効な
推進力になることは疑いを入れないわけでございますけれ
ども、それにはおのずから限界があるということを考えなければならないと思います。しかし、限界があるから何もやらないでもいいというわけには、もちろんいかないわけですし、
基本法ができた以上は、それに見合うような実行手段が十分に用意されなければいけないのじゃないか。
法案を読ませていただいた感じでは、たいへんけっこうであるけれ
ども、一体実際は何をやってくれるんだろうというような感じをみんながもつのじゃないかと思います。そういう
意味で、
法律が
成立いたしまして、そして実際の
段階に入ったときに行政手段がそれに伴うかどうかということのほうがむしろ問題であって、私としては、うたわれた
目標に沿って十分な
実施手段が、あるいは行政手段が用意されることを、特に要望いたしたいと思うわけでございます。
農業基本法というものも数年前にできておりますけれ
ども、
農業基本法を読ませていただきましても、私たちたいへんけっこうだと思うのですけれ
ども、実際に農政の中でとられた手段というものはいろいろございますけれ
ども、
農業基本法が日本
農業の構造を根本的に変えたというふうには、実は
理解できない。むしろ
社会全体の、たとえば、
労働力流出というような別な条件が
農業をゆり動かしているのであって、そのゆり動かされた
農業がその面で
農業基本法をつくって
調整されているか、消化されているかというと、必ずしも
調整されていないのじゃないかというふうに私たちは見ているわけです。そういう観点から、
法案が
成立しない前からこういうことを言うのは何でございますけれ
ども、うたわれたことができるだけ実効のある、効果のある行政
措置が伴って施行される、そのことがいまから一番望まれるのではないかというふうに考えておるわけでございます。それが基本問題と
基本法に対する全般的な
考え方でございます。
それからもう一つ、中へ入るといろいろございますけれ
ども、特に、重点的に
二つの点だけ、そこに書いてありますように、
林業生産の担い手というものに対する
考え方を申し上げます。それからもう一つは、
林業資本の
生産性、あまり使われない
ことばのようですけれ
ども、そのことが非常に重要ではないかというふうに私は考えますので、この二点について申し上げたいと思います。
林業生産の担い手でございますけれ
ども、こういうような
基本法をつくって、国がそういうことをしなければならない、あるいは
政府がいろんな手厚い援助を与えるといたしましても、実際
林業生産を行なうのはこれをやる人なんであって、その人たちの自主性の
確立こそが一番問題であろうと思うのです。自主性の
確立があってこそ、それに対する援助手段が有効になってくるということであって、まるまる
基本法に寄りかかって
林業経営をやるということは間違いだ、よくなっても悪くなってもみんな
政府のせいだ、国のせいだというふうなことがないのが一番大事な問題ではないかと思います。これは抽象的な
考え方の問題でございますけれ
ども、具体的に
法案の中に入って
林業生産の担い手について
考慮いたしますと、大規模
経営ということと小規模
経営というものがどちらが将来の
林業の担い手として代表的なものになるか、あるいは選手になるか、そういうような議論がしばしば行なわれているように思います。その点は
基本法案の中では若干ぼかされているのではないかと思います。私はぼかしているということについて、いろいろ政治的な配慮があると思いますけれ
ども、ぼかさざるを得ないのがほんとうではないかというふうに考えます。
林業は一般に大規模
経営に有利であるというふうに考えられております。また、そういう面も確かにあると思うのです。しかし、ほかの産業の
生産のように、たとえば大工場で工業製品をつくるように、大規模であればなるほど原価が安くなる、飛躍的に安くなる、非常に能率が高くなるというものではないわけです、
林業というものは。で、規模を拡大することによる有利性というものはほかの産業に比べて非常に小さい。そういうことがまず一つ問題になる。もちろん大規模
林業は大規模
林業として十分特徴を持った
経営がされなければならないと思いますし、その
方向に進むべきだと思いますけれ
ども、大規模が小規模
経営を駆逐してしまうというような
考え方は現実問題として
成立しないのではないか、そういうふうに考えます。そういう
意味で大規模
経営とともに小規模の
経営、これは家族的な
経営、これは家族
経営的
林業という
ことばで従来言われておりますけれ
ども、そういうような
経営はよかれあしかれ非常に長い期間日本
林業の中に残存しているのではないか。そうしますと、やはり小規模なら小規模
林業の中での有利な運営というものを考えていかなければならぬ。それを大規模
林業と小規模
林業のウエイトをどっちを高くするかというようなことではなしに、やっぱり、残っているものは見守っていかなければならないのじゃないかと思います。その中で、小規模
経営があまりにも零細である場合には非常に能率が悪いし、
意味がないのではないか、
経営規模を拡大したいという
考え方でございます。この点についてはもっともな
考え方で、できれば拡大したらいいと思います。しかし、私有財産の独占性というものを認める資本主義
社会において、ほかの人の所有のものをおれによこせと簡単にいきませんし、また、伝えられるところの割り引きという形もそう簡単にいくものでもないと思うのです。私としてはそのどちらも軽視してはいけないのじゃないか、そういうふうに考えます。それは
林業の総
生産を高めるとか、あるいは
生産性を高めるというような観点からいっても、私は必ずしも大規模
経営が有利だとは思わないし、あるいは大規模が不利だとはもちろん思いませんけれ
ども、決定的な影響は及ぼさないというふうに考えます。
それともう一つは、
林業の範囲を離れて
林業に
従事するところの人たちの生活を考えた場合に、
社会的な問題として、やはり片一方を切り捨てるというわけにはいかないのじゃないか、その点をはっきりしていただきたい、行政の運営の面ではっきりしていただきたい、こういうふうに考えるわけでございます。
それから、それと
関連いたしまして、
森林所有者の非常に多くの人たちが
農業と二重にやっている農民でございます。この人たちは
農業と
林業によって一つの独立の家計をもっておりますし、ある程度の所得規模をもっているわけでございます。その場合に
農業基本法はどちらかと言いますと、
林業をめぐった形、耕種
農業と畜産でもって自立農家をつくっていくという動きも出しております。しかし、私は、ある地域、たとえば
山村地帯の非常に
森林の多いような地帯におきましては、
農業構造改善のような
考え方の、たとえば作目の一種として
林業を考える、樹木を考えるという
考え方でもけっこうだと思います。その場合には
林業は
農業に対して従属的な
立場を持つわけでございますけれ
ども、そういう
経営もあっていいんじゃないか、全面的にそうなるということではなしに、そういう場所もあるし、そういう時期もあるのではないか、そういうものも重要視していただきたいというふうに考えるわけでございます。
それから、同じく担い手に
関連いたしまして、素材
生産業について若干申し上げたいと思います。
基本法の中では林産業というものと、それから、本来の
林業というものについてかなり書いておられますけれ
ども、その間をつなぐところの素材
生産業については、
林業のほうに含まれていると考えますけれ
ども、あまり積極的なあれができていない。素材
生産業については、北海道の場合には素材
生産業の専業者というのがほとんどございません。これは、ほとんどが製材工場であるとか、あるいは所有者みずから素材
生産するとか、あるいは請負に出してやってるとか、という形で行なわれておりますけれ
ども、私は、素材に関する面では、大規模による有利性というものは十分出てくる、植栽
林業、育成
林業ではなしに、実際的な
林業の面で素材
生産について大規模の有利性というものが当然出てくる、あるいは
生産の有利性も出てくる、そういう観点から言いまして、これは抹殺すべきではなく、むしろ育てるものではないかというふうに考えております。加工という面と、それから素材
生産という問題、たとえば製材業を考えてみてもわかると思いますけれ
ども、非常に違う
性質のものでございます。あるいはまた、育
林業というものと素材
生産もかなり違う
性質のものでございます。そういうものは将来は
社会的な分業という
方向に向って進むだろう、また進むべきであるというふうに考えております。
それから、同じように
林業生産の担い手として
国有林を考える必要があると思うのですけれ
ども、
国有林は、
農業構造改善あるいは
林業構造改善のために活用することがたいへん問題になっておりますけれ
ども、私は、
国有林については企業会計制度の原則を採用して現在運営されておりますけれ
ども、これは趣旨そのものとしてたいへんけっこうなんですけれ
ども、その中に、たとえば畜産あるいは保安林というようなものをたいへんたくさんかかえておる。保安林臨時
措置法などにおいて保安林の改良をずいぶんやっておりますし、それからみずからも従来から持っております。そういうような公益的な面を負担しておるわけでございます。この点はやはり切り離す、あるいは勘定科目として切り離すことでもけっこうでございますけれ
ども、切り離さなければ
国有林としての企業性というものを
確立していかないのじゃないか、そういうふうに考えておりますけれ
ども、切り離して
林業として
確立することが重要だと思います。
それから、ちょっと飛びましたけれ
ども、活用の問題につきましては、私は、一般論として
国有林開放を論ずるのは間違いではないかと思っております。それは地域的に、場所的に問題になることである。ある地域、ある場所において、その地域の全体の経済の中で、
林業はどういうふうに位置づけられるか、あるいは
農業はどういうふうに位置づけられるか、その中で
国有林はどういう役割を果すかというような観点からこそ問題にされるべきであって、
全国的な観点からは問題にされない。かりに、
農業構造改善なり
林業構造改善の中に、
国有林を開放するとか活用するとかということを全面的に推し進める場合には、片手落ちになるのではないか。と申しますのは、大所有の内地農
山村でございますけれ
ども、大面積所有の山がございます。これはある
意味では、その地域に行きますと、
国有林と同じような性格をもって地元の住民の
農業的な利用、あるいは
林業的な利用をしている例がございます。
こちらのほうはこれとして、
国有林だから簡単に開放できるんだということで着手するのは非常に不合理ではないか。日本全体の
林業構造改善問題として、
国有林問題は地域的な問題にすぎないというふうに、ちょっと誇張でございますけれ
ども、そういうふうに考えております。もちろん、その範囲の中で
農業活用あるいは
林業活用を十分なされることは、これは当然だと思います。そういう
意味でこの趣旨に反対ではございませんけれ
ども、地域的な問題として、これは軽視するのじゃなく、重要視する必要がある。
全国的なだけが問題じゃないのじゃないか、そういうふうに考えております。
それから、ちょっと時間が超過しておるようでございますけれ
ども、最後に、
林業資本の
生産性ということについて申し上げたいと思います。
これは、いろいろな問題が
林業の中にございますけれ
ども、
林業全体を通じて一番問題なのは、実は
林業に投下されている資本が非常に少ない。端的に言いますと、
社会全体の資本の量というものが一定しておるわけですけれ
ども、その中で
林業のために投下される資本が少ないということが一番大きな問題じゃないか。それは
林業の総
生産力を高めない原因になっておりますし、それから、
生産性を高めることもできない原因になっているというふうに見ているわけです。それは大きな
経営も小さな
経営もその点では変わらない、対面積当たりの資本の投下量、あるいは
労働の投下量というものを計算した場合に、大きいほうが多いか、小さいほうが少ないか、それは必ずしもはっきりしたことはわかりませんし、それから、その中で
労働の
生産性というものがどちらが高いかということは必ずしも証明できないと思います。全体として、やはり大きいのも小さいのもひっくるめて、資本が不足なんだということが非常に重要な問題だというふうに考えます。その原因はいろいろございますけれ
ども、一つは
林業に投下された資本の能率が非常に悪いということ、
林業生産の一つの基本的な特徴でございますけれ
ども、資本の
生産性が低い、そういうことではないか、つまり収益が低いという
ことばで代表してもよろしいと思いますけれ
ども、そういう問題として
林業がある。したがって、ほかの産業、ほかの部門に投下される資本が
林業のほうに移動してこない。
林業自体の中で蓄積される資本も
林業の中へ再投下されずに、
林業以外のところに流れ出ていく。たとえば山に木を植えるよりもニコニコ
投資をしたほうがいいとか、ビルを建てたほうがいいとかいうケースが現に行なわれておる。宅地業者なんかも、ずいぶん山林所有者が山林の中から利益を出して
経営しているという人がいるということを聞いております。それは収益性が低いからだということなんです。そういうことが一番問題なわけです。それですから、
林業の一番短期的にも長期的にも思うのですけれ
ども、大事な、重要な問題は
林業に対して資本が流入してくるような
政策をすることが必要である。それがたとえば補助金という形でももちろんけっこうでございますけれ
ども、いろんな形で
林業に流入してくるような
政策をとる必要がある。そういうふうに考えます。そのあとで、特に
林業資本が収益性を高めること、
生産性を高めるような
社会投資が必要なんじゃないかというふうに考えます。
一例をあげますと、これは一つの例でございますけれ
ども、林道というようなもの、これは林道というものは道路でございまして、
森林の中についているだけのものでございます。この道路がもしも公道のような形で、
社会投資の形でもって普及していったならば、
林業の収益性あるいは
林業資本の
生産性というのが非常に高まってくることは間違いない。
山村の地域振興もございますけれ
ども、
森林に投下された資本の
生産性を飛躍的に高める
社会投資ではないかというふうに考えます。これは一つの例でございますが、そういうふうに、私は将来直接
投資されるやり方と、資本の収益性を高め、あるいは
生産性を高める関接的な
投資、
社会投資としていろんな形で
投資がなされる。それが
林業基本法ができてきた場合に集中的にとられるべき重要な行政手段、あるいは行政
目標ではないかというふうに考えております。(拍手)